残酷な描写あり
第十八話 レッド・ダイヤモンドの追跡
「赤いダイヤ、か……。いやぁ、申し訳無いけどうちでは見た事が無いねぇ」
髪に白いものが混じり始めた初老の店主が、難しい顔をしながら首を横に振った。
「もしダイヤが此処で取り扱われたのだとしたら、恐らくおよそ四十年前から二十年前までの間だと思います。この店は創業から何年程経過しておられますか?」
もう何度か他の店でもやった質問を、シェイドは繰り返す。
「五十三年だよ。うちは爺様の代から続くからねぇ。四十年前のあの大地震の時にゃあちっとばかし難儀したが、すぐに店を立て直して営業を再開したくらいだ。レインフォール家の方々との取引もいくらかあったと思うけど」
「でしたら、お手数ですが過去の記録を確認してもらってもよろしいでしょうか?」
「それならお安い御用だよ。少し時間掛かるけど良いかい?」
渋るだろうな、とサニーは思ったが意外にも店主は快諾した。
「構いません、宜しくお願いします」
「よし! んじゃしばらく待っててくれよ」
頭を下げるシェイドに力強い返事を渡して、店主はいそいそと店の奥へと引っ込んで行った。
サニーとシェイドはお互いの顔を見合わせて、共に期待と切望の眼差しを奥へ向けた。
陽が落ちて以降、消えたレッド・ダイヤモンドの行方を求めて先代の遺した資料を頼りにアンダーイーヴズの宝飾店を片っ端から巡った二人だが、いずれも空振りに終わっていた。この店が最後の一軒だ。
「どうしましょうか、シェイドさん。もし此処もダメだったら……」
「振り出しには戻りますが無駄にはなりませんよ、サニーさん。父の調査結果に間違いがない事が明らかになるだけです」
「そうですよね。空振りだったらその時はその時ですっ!」
サニーは拳を握って、弱気になりかけた自分を励ますようにフンス! と鼻息を荒くした。
そのまま、待つ事数十分。壁際に立て掛けてある柱時計に目をやりながら焦れる気持ちを押さえていると、ようやく店主が戻ってきた。
「いや、悪いね。お待たせしちまって」
「いえいえ、こちらこそ無理なお願いをしてしまい、申し訳ございません」
若干バツの悪そうな笑みを見せる店主と、愛想良く社交辞令を返すシェイド。
「それで!? 赤いダイヤの取引記録はありましたかっ!?」
お行儀の良いやり取りに、いい加減痺れを切らしたサニーが場を急かした。
「おお、そうだったそうだった。いや、それがね……」
店主は気分を害した様子こそ見せなかったが、俄に顔を曇らせてしまう。そして、言いにくそうに先を続けた。
「やっぱり何処にもそんな物を扱ったっていう履歴は無かったんだよ。赤いダイヤなんて極めて珍しい宝石、もし売買に手を出していたら万が一にも記録漏れなんて事は起こさない筈なんだけどねぇ」
「そう、でしたか……。いえ、ありがとうございます」
落胆の色を隠して、サニーとシェイドは共に頭を下げた。
その二人の項に、店主は感慨深げな声を掛ける。
「すまないね。折角あんたらが街の呪いを解こうと頑張ってくれてるのに、何の手助けにもならなくて」
サニーとシェイドが顔を上げた。初老の店主は、目に悲しみの色を湛えて年若い二人を交互に見比べていた。
「四十年前のあの大地震の日。当時の俺ァまだガキだったが、今でもあの時の事は覚えてる。フリエさんにも、ジャックにも悪い事をしちまったよ」
ジャックとは、フリエの息子――つまりシェイドの父親の名前だ。
「店長さん、もしかしてお二人と知り合いだったんですか?」
サニーが驚いて尋ねる。隣でシェイドも意外そうな顔を浮かべている。
「ああ、ジャックとは友達だった。二人で良く遊んだよ。フリエさんにもよく可愛がってもらった。良い人達だった。間違っても魔女と呼ばれるような、そんなおっかない存在じゃあなかったよ。それなのに……」
と、店主が暗い顔で項垂れる。伏せられた目元には、しっかりと後悔の色が刻まれていた。
「あの大地震で全部変わっちまった。あんなにフリエさんと仲良かった大人達が、目を血走らせて『あの親子を殺せ!』と叫びまわっていた。まだ子供だった俺は、何で大人達が態度を急変させたのか分からなくて、ただただ怖くてよ。ジャックやフリエさんを助けようとすらせずに、ひたすら路傍で毛布にくるまって震えているだけだった」
「で、でも! そんなの仕方無いですよ! 災害に見舞われた上に当時の大人達がパニックを起こしたんじゃ、子供にはどうしようも無かったでしょう!?」
「サニーさんの仰る通りです。誰もあなたを責められません。少なくとも、私はその件であなたを非難するつもりは毛頭ございませんよ」
懺悔する店主にサニーがフォローを入れると、シェイドも大きく頷いた。
「ありがとうよ。でもダメなんだ、どうしてもこればっかりは考えずにいられないんだよ。俺にだって何か出来たかも知れない、ってな」
しかし、店主の心を晴らすには至らなかったようだ。
深い皺の刻まれた頬を力なく歪めて寂しげな笑みを作ると、何処か遠くを見るような目をしながら彼は懺悔を続ける。
「さっきも言ったが、俺とジャックは友達だった。あいつはもしかしたら、俺が助けてくれる事を期待していたのかも知れない。それだったら俺は、ジャックの心を裏切った事になる。当時の大人達だってそうだ。フリエさんを仲間だと普段言っておきながら、彼女がちょっと不思議な力を使ったくらいで簡単に掌を返した。俺達は……アンダーイーヴズの街全体が、あの親子の心をこっぴどく踏みにじり、裏切ったんだ」
「店主……」
シェイドは、掛ける言葉が見つからないという風に半開きになった唇を震わせた。
「許しておくれよ、ジャックの息子さん。今日あんたの顔を見たら、ふと思い出しちまったんだ。俺達がした事は最低だった。フリエさんが怒り、恨むのも当たり前だ。俺の知ってるあの人は何処までも優しくて、街全体に呪いを落とすような残忍な人じゃあ決してなかったが、そんな人を悪魔みてえな復讐者に変えちまうくらい、俺達の仕打ちが非道なものだったって事なんだろう。俺達が苦しむのは当然の裁きってやつなのかもな。“心の闇で化け物に変わる”なんて、まさにお誂え向きの、俺達に相応しい罰じゃないか」
「いいえ、あり得ません」
きっぱりと、断固とした口調でシェイドが否定した。
「如何に祖母の受けた苦痛が想像を絶するものであろうと、未来永劫続く呪いを施すなど余りにも過剰な報復行為です。実際に彼女や父を追い詰めた当時の大人達はともかく、何の責任も無いあなたや、次の世代にまで恨みを向けて良い理由にはなりません。だからこそ父は、死の床に臥すまでずっと祖母の呪いと戦い続けてきました。祖母がこの世に遺した彼女の“心の闇”に、ずっと抗い続けてきました。私も、その志を継いでいます」
「ジャックか……。あいつが生きててくれて本当に良かったよ。レインフォール家にフリエさん共々匿われていたと知った時はどんなに嬉しかったか」
「父も此処に来て、今日と同じように赤いダイヤの追跡を行いました。二度手間をお掛けしてしまった事は重々申し訳なく思いますが……」
「ジャックが此処に?」
どういう訳か、店主はそこで怪訝な表情を浮かべた。
「いいや、ジャックは一度もうちの店を尋ねて来た事は無いぜ?」
「……え?」
サニーとシェイドは思わず絶句する。
「ジャックが『影』に呑まれた連中を狩っている事は知っていたがね、友達として再会した事は一度も無いんだ。俺は合わせる顔も無かったし、ジャックも忙しそうにしてたからな」
追憶に後悔の色を添えて、店主が遠い目をする。
「あいつに謝れなかった事が、俺の一番の心残りだ。だから気にしないでくれ、ジャックの息子さん。あんたの手助けになれるなら、少しはあいつへの罪滅ぼしになるかも知れないなって思っただけだ。これくらい、いくらでもお安いご用ってもんだよ。ははは……」
力無い、乾いた笑い声を上げる店主。そんな彼を尻目に、サニーとシェイドはお互い目を合わせて首を傾げた。
髪に白いものが混じり始めた初老の店主が、難しい顔をしながら首を横に振った。
「もしダイヤが此処で取り扱われたのだとしたら、恐らくおよそ四十年前から二十年前までの間だと思います。この店は創業から何年程経過しておられますか?」
もう何度か他の店でもやった質問を、シェイドは繰り返す。
「五十三年だよ。うちは爺様の代から続くからねぇ。四十年前のあの大地震の時にゃあちっとばかし難儀したが、すぐに店を立て直して営業を再開したくらいだ。レインフォール家の方々との取引もいくらかあったと思うけど」
「でしたら、お手数ですが過去の記録を確認してもらってもよろしいでしょうか?」
「それならお安い御用だよ。少し時間掛かるけど良いかい?」
渋るだろうな、とサニーは思ったが意外にも店主は快諾した。
「構いません、宜しくお願いします」
「よし! んじゃしばらく待っててくれよ」
頭を下げるシェイドに力強い返事を渡して、店主はいそいそと店の奥へと引っ込んで行った。
サニーとシェイドはお互いの顔を見合わせて、共に期待と切望の眼差しを奥へ向けた。
陽が落ちて以降、消えたレッド・ダイヤモンドの行方を求めて先代の遺した資料を頼りにアンダーイーヴズの宝飾店を片っ端から巡った二人だが、いずれも空振りに終わっていた。この店が最後の一軒だ。
「どうしましょうか、シェイドさん。もし此処もダメだったら……」
「振り出しには戻りますが無駄にはなりませんよ、サニーさん。父の調査結果に間違いがない事が明らかになるだけです」
「そうですよね。空振りだったらその時はその時ですっ!」
サニーは拳を握って、弱気になりかけた自分を励ますようにフンス! と鼻息を荒くした。
そのまま、待つ事数十分。壁際に立て掛けてある柱時計に目をやりながら焦れる気持ちを押さえていると、ようやく店主が戻ってきた。
「いや、悪いね。お待たせしちまって」
「いえいえ、こちらこそ無理なお願いをしてしまい、申し訳ございません」
若干バツの悪そうな笑みを見せる店主と、愛想良く社交辞令を返すシェイド。
「それで!? 赤いダイヤの取引記録はありましたかっ!?」
お行儀の良いやり取りに、いい加減痺れを切らしたサニーが場を急かした。
「おお、そうだったそうだった。いや、それがね……」
店主は気分を害した様子こそ見せなかったが、俄に顔を曇らせてしまう。そして、言いにくそうに先を続けた。
「やっぱり何処にもそんな物を扱ったっていう履歴は無かったんだよ。赤いダイヤなんて極めて珍しい宝石、もし売買に手を出していたら万が一にも記録漏れなんて事は起こさない筈なんだけどねぇ」
「そう、でしたか……。いえ、ありがとうございます」
落胆の色を隠して、サニーとシェイドは共に頭を下げた。
その二人の項に、店主は感慨深げな声を掛ける。
「すまないね。折角あんたらが街の呪いを解こうと頑張ってくれてるのに、何の手助けにもならなくて」
サニーとシェイドが顔を上げた。初老の店主は、目に悲しみの色を湛えて年若い二人を交互に見比べていた。
「四十年前のあの大地震の日。当時の俺ァまだガキだったが、今でもあの時の事は覚えてる。フリエさんにも、ジャックにも悪い事をしちまったよ」
ジャックとは、フリエの息子――つまりシェイドの父親の名前だ。
「店長さん、もしかしてお二人と知り合いだったんですか?」
サニーが驚いて尋ねる。隣でシェイドも意外そうな顔を浮かべている。
「ああ、ジャックとは友達だった。二人で良く遊んだよ。フリエさんにもよく可愛がってもらった。良い人達だった。間違っても魔女と呼ばれるような、そんなおっかない存在じゃあなかったよ。それなのに……」
と、店主が暗い顔で項垂れる。伏せられた目元には、しっかりと後悔の色が刻まれていた。
「あの大地震で全部変わっちまった。あんなにフリエさんと仲良かった大人達が、目を血走らせて『あの親子を殺せ!』と叫びまわっていた。まだ子供だった俺は、何で大人達が態度を急変させたのか分からなくて、ただただ怖くてよ。ジャックやフリエさんを助けようとすらせずに、ひたすら路傍で毛布にくるまって震えているだけだった」
「で、でも! そんなの仕方無いですよ! 災害に見舞われた上に当時の大人達がパニックを起こしたんじゃ、子供にはどうしようも無かったでしょう!?」
「サニーさんの仰る通りです。誰もあなたを責められません。少なくとも、私はその件であなたを非難するつもりは毛頭ございませんよ」
懺悔する店主にサニーがフォローを入れると、シェイドも大きく頷いた。
「ありがとうよ。でもダメなんだ、どうしてもこればっかりは考えずにいられないんだよ。俺にだって何か出来たかも知れない、ってな」
しかし、店主の心を晴らすには至らなかったようだ。
深い皺の刻まれた頬を力なく歪めて寂しげな笑みを作ると、何処か遠くを見るような目をしながら彼は懺悔を続ける。
「さっきも言ったが、俺とジャックは友達だった。あいつはもしかしたら、俺が助けてくれる事を期待していたのかも知れない。それだったら俺は、ジャックの心を裏切った事になる。当時の大人達だってそうだ。フリエさんを仲間だと普段言っておきながら、彼女がちょっと不思議な力を使ったくらいで簡単に掌を返した。俺達は……アンダーイーヴズの街全体が、あの親子の心をこっぴどく踏みにじり、裏切ったんだ」
「店主……」
シェイドは、掛ける言葉が見つからないという風に半開きになった唇を震わせた。
「許しておくれよ、ジャックの息子さん。今日あんたの顔を見たら、ふと思い出しちまったんだ。俺達がした事は最低だった。フリエさんが怒り、恨むのも当たり前だ。俺の知ってるあの人は何処までも優しくて、街全体に呪いを落とすような残忍な人じゃあ決してなかったが、そんな人を悪魔みてえな復讐者に変えちまうくらい、俺達の仕打ちが非道なものだったって事なんだろう。俺達が苦しむのは当然の裁きってやつなのかもな。“心の闇で化け物に変わる”なんて、まさにお誂え向きの、俺達に相応しい罰じゃないか」
「いいえ、あり得ません」
きっぱりと、断固とした口調でシェイドが否定した。
「如何に祖母の受けた苦痛が想像を絶するものであろうと、未来永劫続く呪いを施すなど余りにも過剰な報復行為です。実際に彼女や父を追い詰めた当時の大人達はともかく、何の責任も無いあなたや、次の世代にまで恨みを向けて良い理由にはなりません。だからこそ父は、死の床に臥すまでずっと祖母の呪いと戦い続けてきました。祖母がこの世に遺した彼女の“心の闇”に、ずっと抗い続けてきました。私も、その志を継いでいます」
「ジャックか……。あいつが生きててくれて本当に良かったよ。レインフォール家にフリエさん共々匿われていたと知った時はどんなに嬉しかったか」
「父も此処に来て、今日と同じように赤いダイヤの追跡を行いました。二度手間をお掛けしてしまった事は重々申し訳なく思いますが……」
「ジャックが此処に?」
どういう訳か、店主はそこで怪訝な表情を浮かべた。
「いいや、ジャックは一度もうちの店を尋ねて来た事は無いぜ?」
「……え?」
サニーとシェイドは思わず絶句する。
「ジャックが『影』に呑まれた連中を狩っている事は知っていたがね、友達として再会した事は一度も無いんだ。俺は合わせる顔も無かったし、ジャックも忙しそうにしてたからな」
追憶に後悔の色を添えて、店主が遠い目をする。
「あいつに謝れなかった事が、俺の一番の心残りだ。だから気にしないでくれ、ジャックの息子さん。あんたの手助けになれるなら、少しはあいつへの罪滅ぼしになるかも知れないなって思っただけだ。これくらい、いくらでもお安いご用ってもんだよ。ははは……」
力無い、乾いた笑い声を上げる店主。そんな彼を尻目に、サニーとシェイドはお互い目を合わせて首を傾げた。