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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
13-2 妖の呪い
 焦るように転がり込もうとしていた日和を玄関で保護した。
 軽い睡眠に目を覚まし、下に降りれば女中が『日和は外に出た』と聞いて、正直焦ったのは俺の方だ。
 今は現れた女王が未だに姿を見せず、どこに被害を与えるかも分からない。
 日和に少しでも被害を与える訳にはいかない。
 だからだろうか、直ぐに戻って来てよかったという安堵が強かった。

 そんな日和は見た目では何の問題もなく、その後は一度部屋に戻ると食事を始めた。
 ――それから、雲行きは怪しくなった。
 食事中から、日和の様子は変わっていく。
 何処か気が遠くにあったり、料理を口にしても咀嚼が少なく飲み込むのもやけにゆっくりだ。
 空腹ではないのか、或いは体調が悪いのか。
 結果的に食事はあまり進んでないようで、ほんの数口ですぐにやめてしまった。

 その後、廊下で少し吐き戻したらしい。
 多分迷惑をかけてしまったと自責しているのだろう、何度も「すみません」「ごめんなさい」と謝り倒す日和の気を落ち着かせ、今は階段を登る日和の後ろ姿を見ている。
 しかしその様子はふらふらとしていて、不安を煽るような動きだ。

「日和……大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」

 やはりその様子が気になって聞いてみるものの、返ってくるのは同じ答えばかり。
 本人は「何もなかった」「夜の空気に耐えられなくて走って帰って来た」と説明していたが、本当は何かあったのではないだろうか。
 そう言いたくなるほど、あまり良いとは思えない状態であるように見える。

「今日はもう、寝ることにします……」
「それがいい。ゆっくり休め」

 顔色の悪い日和は部屋に入っていく。

「……どう思う?竜牙」
(様子を見たい。何かしらの影響を受けているかもしれんな……)

 心の中の意思に訊くと、同意見が返ってきた。
 外では依然女王の存在がある。
 もしかしたらその影響を受けてしまったのだろうか?
 そんな不安を抱きながら、日和の部屋の前ですぐに動けるよう待機してみた。

 ……。
 何も音沙汰が無いまま10分程が経っただろうか。
 少し待つと、部屋の中からすすり泣くような声が聞こえてきた。
 ゆっくりと扉を開けて隙間から覗くと、ベッドに横たわった日和が眠りながら泣いていた。

「なっ……?」

 予想もしていない、あまりにも辛そうな姿に驚いてしまった。
 日和に近付くと苦しそうに胸を抑え、見るのもこたえるほどにうめいている。

「置いてかないで、パパ……! ママ……なんで、行っちゃうの……? おじいちゃん……一緒に……っ」

 まるで子供のように苦しみながら手が伸びて、何かを掴もうとしている。
 瞑った目からは涙が溢れて零れていく。
 悪夢にうなされているのだと気付き、涙を拭って伸びた手を握った。

「日和、しっかりして」
「パパ……ママ…………!!」
「日和、起きて。目を覚ますんだ……」

 夢は何度も繰り返すのか、言葉も同じように繰り返す。
 身体を揺り動かしても起きる様子はなく、未だ夢の中の人間を求め手を伸ばす。

「おじ、いちゃ……」
「ん、これは……」

 日和が振り上げた腕、半袖のパジャマから二の腕に三点の痣がちらりと覗く。
 自分が反応する前に、もう一人の意識が先に反応した。

(妖の呪い……!)

 瞬間、日和が今までにない大きな声を上げ、暴れ出した。

「――嫌だ! 嫌、嫌、嫌、嫌、嫌!!」
「日和!? 落ち着け、大丈夫だ! だから……」

 両手で頭を抱える日和の体を抱き起こし、背中を擦りながら抱き締める。
 髪をぐしゃりと握り締め、小さく暴れる日和を自分の胸に日和の頭を埋めた。
 そのまま落ち着かせるように背中を撫でる。
 まるでぐずる子供をあやすような形になってしまったが、それでもこれで日和が落ち着いてくれるなら、気にしない。

「もう、嫌……夜は……嫌…………」

 妖は人に呪いを与えることもある。
 その効果は呪いの印によって様々だけど、幻覚や苦痛を与え、感覚を奪う。
 中にはトラウマを蘇らせるものまで。
 きっとこの悲痛な声は日和の本心だ。
 何度も苦しんできた人間をまだ苦しめようとするのか。
 ただ自分の欲望のままに周囲を苦しめるなんて、許せない。
 今まで様々な妖を散々に倒してきたが、やはり相容れない。
 倒さねばと思うばかりだ。
 ただこの気持ちは、心の底から湧き上がる気持ちは自分だけではないと解る。

「……竜牙。この妖は俺が倒す。力を、貸して」
(……ああ、この呪いをかけた女王を倒そう)

 涙は止まったが、それでも悪夢に苦しむ腕の中の少女はまだ少し囈言うわごとを呟いている。
 額の汗を拭い、落ち着くまで傍にいることにした。
 長い夜があっという間に過ぎ去る事を願って、離れず様子を見守った。
 静かに、完全に落ち着いた頃には空がすでに白み始めている。
 あとはゆっくり眠ってくれればいい。
 そう思って、起こさぬようゆっくり布団に下ろす。
 日和は寝静まったようで、落ち着いたようだ。

「……!」

 良かったと安心したのも束の間、場を離れようとしたところで服が引っ張られるような感覚があった。
 よく見ると袂を握られている。
 ……いつの間に。

「……ここで、様子を見るか」

 眠る日和が見えるよう床に座り、顔にかかる髪を横に流す。
 どうか、このまま朝まで安心して寝て欲しい。
 竜牙はただ静かに日和の横顔を見る。
 大丈夫。今は落ち着いている。
 そう、心の端で心配をしながらまぶたが下がった。



***
「ん……なんか、久しぶりにぐっすり……っ!?」

 眠たい目をこすり、体を起こす。
 真隣ではベッドの縁を枕代わりに竜牙が眠っていた。
 どうして、と言いかけたが、動かしていない右手は竜牙の袂を握っていることに気付いた。

(これ、どう見ても犯人は私ですよね……!)

 部屋でしっかり休ませたいのに、迷惑をかけてしまった。
 昨日は軽く吐いてしまったので体調があまり良くなかっただけなのだが、心配をかけさせていたらしい。

「ど、どうしよう……起こさないようにしないと……」

 無理に動くと気付くだろう。
 日和はベッドから出ることを諦め、再びそろそろと横になる。

(竜牙、よく眠ってる気がする……)

 目の前の竜牙はぐっすりと眠っている。
 普段はあまりじっくりと見ない竜牙の容姿がいつも以上に近く、意識せずともついつい見とれてしまう。
 銀色の綺麗な髪、長い睫に整った目鼻、手は武器を持ち慣れているのか男性らしさのあるゴツゴツとした凹凸があり、肉刺がいくつもある。
 前髪に触れればさらっと流れ、指は絹糸に触れた様な手触りの良さを感じた。

(これが男性の容姿……はっ!こんなじっくり見たら失礼ですよね……!)

 あまりにも近い竜牙をじっくりと見て、急に現れた恥ずかしさと小さな罪悪感に日和は目を逸らす。
 次第に心臓がどきどきと早鳴りだして、居心地の悪さを沸々と感じてきた。

「なんだか落ち着かない……! 竜牙、ごめんなさい」

 あまりの目のやり場のなさに、結局日和は細心の注意を払ってベッドから降りた。
 少し待っても竜牙は起きない。
 よかった、しっかり眠っているようだ。
 日和は胸をなで下ろし、部屋を後にした。

「……~~~っ!」

 残された部屋の中。
 竜牙は赤くなる顔を抑え、一人悶絶していた。
 ……。
 …。
 そんな竜牙の気も知らず、日和は階段を降りる。
 すると丁度女中の一人が日和に気付いて駆け込んできた。

「日和さん、お体はもう良いんですか?」
「はい、ご心配をおかけしてすみません……」
「大丈夫ならいいんです。良かった……」

 人の顔を覚えることも苦手な日和だが、目の前の女中は昨日店の場所を教えてくれた人物らしい。
 家の人間を気に掛けるのが彼らの仕事だ。
 もしかしたら代わりに外へ行かなかった事で、何かしら責任を感じていたかもしれない。
 その表情から強い安堵を感じた。

「あの……ご飯、いいですか?」
「ええ。どうぞ、召し上がって下さい」

 日和はそのまま女中に案内され、朝食を摂る。
 今日の朝食は昨日吐き戻してしまった日和の体調に合わせてか、温かい卵粥が出てきた。

「――日和」

 朝食が終わってすぐ。
 丁度学校の準備をしようと席を立とうとする間際、竜牙に呼びかけられた。

「あ……竜牙、おはようございます」
「ああ、おはよう。その……今日の学校だが、行くのをやめて欲しい」

 突然の頼みに、日和は首を傾げる。

「……? 私、元気ですよ?」
「……右腕を」
「?」

 竜牙が差し出す手のひらに、日和は右腕を置く。
 腕を握るとくるりと回し、「ここだ」と竜牙は指差す。
 肘から脇の間に黒い斑点があった。

「わっ、何これ……」
「妖の呪いだ。昨夜、明け方まで酷くうなされていた。覚えはないか?」
「えっ……た、体調はあまり良くなかったかなとは思いましたけど、ぐっすり眠れた気が……」
「……そうか。だったら余計、大人しくいるべきだ」

 少し安堵のような表情を浮かべる竜牙に、疑問が湧く。

「私……どんな夢を見たんですか?」
「……知りたいか? 知らぬが仏という言葉もある」
「うっ、そう言われると……怖いので、やめておきます……」
「懸命な判断だ」

 一瞬竜牙から威圧的な空気を感じた。
 頷く竜牙は憂いた目で日和の頭を撫でる。
 日和の中で温かいような、安心するような、言葉にするには難しい感覚が生まれた。

「……なんでですかね。竜牙に頭を撫でられると、なんとなく懐かしいというか、なんというか……」
「そう思うなら、今日はゆっくり休んでくれ。いいな?」
「はい……」

 竜牙の言葉に、最早日和は頷くことしかできない。
 日和は素直に登校をやめて大人しく引き籠もるのだった。
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