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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
14-1 講習会・前
 話は少しだけ、孤独の女王に出会う前にさかのぼる。
 先日講習会を開く、と師隼から言い渡された金詰日和は、練如の出迎えにより師隼の元へ向かっていた。

「いらっしゃい。……ちょっと待ってくれるかな」

 案内されたのは初めて足を踏み入れた師隼の執務室。
 部屋の主は衣装はいつもの簡単な着流しに羽織をかけているが、これまた初めて見る姿で黒縁の丸眼鏡をかけている。
 最近見かける姿は珍しく、更に新たに見た部屋に少しだけ緊張しながら、日和は師隼が手を向けたソファーに座った。

「すまない、東京へ出ていた間に書類が溜まっていてね……すぐに済ませるよ」

 師隼は手の中の書類に集中していた。
 その間周囲に目を向ける日和だが、師隼の背後には圧力を感じるほどに立派な本棚がある。
 中には書類やファイル、本がぎっちりと埋め込まれ、師隼が作業している机もそうだが日和が座る黒皮の高級そうなソファーや対面の椅子、どれもが色味にしろ造りにしろかなり値が張った品のように感じる。
 師隼にうながされて腰かけたソファーは体が深く沈み、革の質感や手触りが日和の知らない領域の物で、思わず気が退けてしまう。
 あまりじろじろ見てしまうのも悪いかと気になってしまい、日和は周囲の情報をあまり視界に入れないよう、師隼にのみ視線を向けた。
 師隼は一枚一枚ぺらぺらと用紙を捲ってはじっと見て、場所を振り分けているようだ。
 少しずつ山は小さくなって、最後の一枚が整理されると師隼は小さく頷き、立ち上がって眼鏡を外した。

「待たせてしまったね、お茶を出そう」

 師隼は背後のミニテーブルに置かれた電気ポットから隣の湯呑に湯を注ぐ。
 手慣れた手つきで淹れた茶と共に、テーブルを挟んだ日和の対面の椅子に腰かけた。

「いえ、ありがとうございます」
「あまり術士の事を教えても、とは思うのだが……やはり色々教えておかないと、今後君を守る上で皆が困るだろうから。中々上手く行かないと頭が痛くなりそうだよ……あ」

 師隼は茶を含み、ふぅ、と息を吐く。
 更に愚痴のような言葉が漏れ、すぐに塞ぐように口を押えた。

「すまない、落ち着こうとするとついつい愚痴っぽくなってしまってね。思わず地が出た」
「師隼の地は苦労性の気配がしますね。まるで竜牙みたいです」

 一方の日和もフォローのつもりだったが、どこかで重なって見えた姿に思わず口から漏れてしまった。
 怒るかと思ったが、意外にも師隼は「ははは」と声に出して笑い出す。

「竜牙か、否定はしないよ。私もあいつも付き合いは長いからね。……でもそれは、竜牙が聞くと酷く眉間に皺を寄せそうだから秘密。口に出さないようにね」

 師隼は人差し指を立て、秘密にするよう口に当てる。
 日和はその様子に首を傾げつつも、頷いた。

「さて、そろそろ始めようか」
「あ……よろしくお願いします」
「まずは……そうだね、日和のスマホを借りてもいいかい?」
「え? あ、はい……」

 日和はポケットからスマートフォンを取り出し、テーブルに置く。
 師隼は日和のスマートフォンを受け取ると、何やら操作をして「ありがとう」と日和に返した。
 渡されたスマートフォンには初期設定状態だった画面の中に、新たなアプリケーションが入っているようだ。
 テーブルに置かれた見慣れた画面には、日和には見慣れないアイコンがある。

「これは?」
「数年前に開発された術士達専用の通信アプリで、GPS機能が付いているんだ。簡単な連絡も入れることもできてね、うちの術士はいつもこれで連絡を取っているんだ」

 術士は案外ハイテクノロジーで動いているらしい。
 指で触れ、アプリを開くと画面には地図が表示されている。
 どうやら地図の範囲は篠崎市の安月大原から柳ヶ丘、商店街の範囲が映っているようだ。
 スライドすればその奥も見える、一点を除けは普通の地図アプリのようにも思う。

「丸いアイコンが4つ……」

 ただ一つ普通ではないもの。
 それは安月大原、比較的この場所から近い所に橙色と赤、商店街から少し外れた場所に青と緑のアイコンが映っている。
 師隼はアイコンを指差して口を開いた。

「うん。橙が正也、赤が波音、青が玲、緑が夏樹の現在位置だね。
 このマップを術士と狐面、そして私と君が共有している事になる。何かあればそこに術士がいると分かるし、アイコンが消えていれば非番だったり、休んでいるか用事をしているだろう。こうして可視化されれば、ある程度は君も連絡しやすいんじゃないかな」
「なるほど……便利ですね」

 日和がスマートフォンに視線を向けていると、ぴこん、と軽快な音を立ててスマートフォンが鳴った。

「おや、噂をすれば」

 一緒になって日和のスマートフォンをじっと見る師隼は口角を上げた。
 波音を示す赤いアイコンに吹き出しが現れ、短く『妖:狼』と書かれている。

「狼型の妖を見つけたようだね。……ね、分かりやすいだろう?」
「はい。……あ、私が見つけてしまった時はどうしたら良いんでしょう?」
「右下にプラスのマークがあるだろう? そこを押せば書き込めるよ」

 日和は試しにプラスマークをタップしてみた。
 すると端には紙飛行機とマイクのマークがある入力画面へと切り替わった。
 メッセージ入力と音声入力の2種類があるようだ。
 確かにこれなら何かあった時に便利かもしれない。

「これで連絡できるようになるね。気付いただろうが、音声入力もできるから急ぎでも使える。何かあれば迅速に連絡を寄越すんだよ」

 師隼はにこりと微笑む。
 日和は「はい」と短く答え、スマートフォンを回収した。

「じゃあ次は女王の話に入ろうか。まず、君は先日の女王に何を感じ取ったんだい?」
「感じ、取る?」

 問われた日和は首を傾げる。
 師隼の言葉の意味が分からず、解釈に悩んだ。
 それを師隼が汲み取り、軽く顎に触れる。

「んー……質問を変えよう。君が見た女王はどんな状態だった?」

 再び訊かれた日和は商店街に現れた女王を思い出す。
 碧色の長い髪を靡かせた細身の女性。
 『私を見て』と何度も繰り返し呟き、フラッシュを浴びるような姿。

「そうですね……モデルみたいな人が『私を見て』とずっと言ってました。飛ぶ光はカメラのフラッシュのようで眩しかったです」

 ふむ、と師隼は呻り、「それで? 日和はどうしたんだい?」と首を傾げる。
 先日あった事を思い出しながら、日和は口に出していく。

「まず、女王の言葉はどんな人がそんな事を思うのか、考えました。細い身体に沢山の光、見て貰いたい羨望、ふと思いついたのはモデルの仕事でした。それで辺りを見回してたら、丁度雑誌が見えて、段々女王の声に羨ましさを感じて……憧れを感じたんです。
 丁度その日の午前中に、友人とモデルの話をしていました。その時友人が言っていた言葉をそのまま伝えました。それで女王が叫んでいる感情は『憧憬』だって伝えたら動きが止まって……」
「……そうか。最初に会った時、私は言ったね。妖は感情を餌にすると。餌を食べて成長した妖は、最終的に女王になるんだ。
 女王は最初に生まれた時の感情で生きているから、女王を倒す時はその感情を思い出させる必要があるんだ。君はそれと同じことをしたんだよ」

 つまり、あの女王は憧憬の感情を持って生まれてきたということか。
 師隼の言葉によって妖がどういう生き物であるか、少し理解できた気がする。

「感情を、思い出させる……」
「沢山感情を食べて様々な感情を覚えたって、結局その大元の感情で彼らは動いている。それを思い出させることによって、女王は全てを曝け出した状態になるんだ」
「なるほど……」
「人は思い悩み、溜まった感情がエネルギーとなってどこかへふっ、と消える。
 消えたエネルギーは妖の元となって、そこから少しずつ時間をかけて段々と大きくなっていく。そうして成長したのが妖、そこから更に沢山の感情を取り入れて女王の姿になる」

 最初はただの憧れの感情だった。
 それが羨ましいという感情が強くなり、歪み、理想の姿を想像して具現化されていく。
 本人の意志とは関係なく彷徨う妖は、ただ理想の姿を求める為に街を彷徨う。

「そうして社会の中に、彼らは溶け込もうとするんだ。人ではないのに、自分が生まれた感情を欲に変えて、人々を脅かしながら生きる。……君は2度、怪我をしているだろう?」
「……そう、ですね」

 一瞬だけ、鳶色の髪の少女の姿を思い出した。
 しかし彼女に関わった殆どは、櫨倉命によってその記憶に鍵をかけられていて、朧気おぼろげなままだ。

「どうして成長した姿は女性なんでしょうか……」
「男性は基本的に直情傾向にあるから、と言われているね。女性ほど溜め込めないんだよ。だからどうにもならなくて落としてしまうような感情を抱える込むのは女性が多いんだ。そして、成長して女王になる。
 男性でも妖は作られるが……女王になるほど繊細な感情ではないと思うよ。それこそ、術士が今までに見つけてきた暴力的な妖が多いんじゃないかな」

 妖には様々な姿があり、次第に大型へと変化していく。
 熊や狼等の野生の象徴である妖は、男性が生み出した可能性が高いのかもしれない。
 師隼の話は、そういう話だった。

「そもそも女王に会うことすら極稀なんだけどね。もし出来るなら……術士を手伝ってあげて欲しい。君は多分観察眼があるし、力になれるだろう。
 それに……きっと戦うことに必死で、皆そこまで余裕がないと思うから」
「わかりました」
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