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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
16-4 和音みこ**
「え?日和に会えなかったぁ? 愚図だねぇ。仕方ないなあ、私が手伝ってあげるから……1度だけよ?」

 甘く高い声は意地悪く笑った。
 和音みこは深淵で見えない目を、傀儡の主に向ける。

「でも肝試しには成功したみたいね。今日はちゃんと、日和に会ってくるのよ?」

 にたりと笑う主の口から八重歯が見えて、体が震えた。
 歪んだ空間から、外へ。
 『カナツメヒヨリ』に会えば、この呪われた身体も、意識も、全てさよならできる。
 そんな希望を脳でもない、心でもない、意識の外側の先で感じた。
 早く、さよならしたい。
 早く、助けてほしい。
 早く、悪魔の存在を、知ってほしい――。



***
「竜牙、今日も図書館に行ってきますね」

 昨日のことを踏まえ、今日の日和はちゃんと竜牙に声をかけた。

「わかった、一応その辺で様子は見ておくが、気をつけろ」

 そう竜牙に言われ、日和は今日も外に出ている。
 昨日よりは遅い時間、今日は昼食を口にしてから外に出ている。
 しかしやはり夏の日差しは強く、暑い。
 この状態で仕事させるのも申し訳なさを感じたが、どうせ外に出ると言っていたので気にしなくても一緒らしい。
 こうして日和は図書館前で、竜牙と別れたのだった。

「……えっ?」

 図書館に入ると、辺りはとても静まり返っていた。
 寧ろ図書館なので本来であれば当然なのだが、明らかに異常な光景が広がっている。
 
 本来であれば図書館の職員等がいるはずなのに、やけに空調の効いた静かな空間に、独りだけ。
 脳が状況を認識するまでに、時間がかかった。
 ――これは、孤独の女王と一緒だ。
 日和の体から血の気が引いて、きびすを返す。

「――っ!!……ぐっ、うっ!……あ、開かない!」

 どうしてもっと早く気付けなかったのか。
 電気は通っているだろうに、自動ドアは開いてくれない。
 スマートフォンを開くが、電波も通じていない。
 完全に女王の空間に閉じ込められたと理解した。

「どうしよう……」

 ドアが曇り始め、外が見えなくなっていく。
 エントランスとなる背後のもっと広い空間にはきっと、妖がいる。
 広がっていく恐怖を唇を噛んで気持ちを抑え、震えそうになる手に力を込めてカバンを握り締め、日和はゆっくりと壁に寄り、正面玄関の影からホールをゆっくりと覗き込む。
 どくどくと激しく打ち鳴らす心臓の音。
 吹き抜けの天井からは太陽の光が射し込み、机と椅子は明るく照らされている。
 閑散とした受付カウンター。
 静かに整列された本棚に、カフェスペースへ通じる道。
 そのどれもに妖の気配は感じられない。
 日和はその1歩を踏み出した――。



***
『妖:商店街 結界済』

 青のアイコンでその一報が届いたのは、遠目で日和が図書館に入った姿を確認してすぐのことだった。
 商店街は長い坂を下り神流大橋を渡った奥で、図書館からはほどほどに離れる。

「……くっ」

 警戒を抜きたくないのだが、早急に倒すことを優先に竜牙は商店街へ向かった。

「……面倒なのがいるな」
「竜牙……! 助かるよ!」
「見た感じ、この一体だけのようです」

 現場に行くと既に夏樹が合流しており、目の前には赤銅色の熊がいる。
 既に戦っていたらしい玲は安堵を織り交ぜた声を上げ、夏樹は先に辺りを確認していたようだ。
 竜牙は槍を構え、臨戦態勢となった。

「――分かった」
「グオオォォォォォ!!!!」

 戦いの意思を確認したか、熊は大きく咆哮し腕を振り上げる。

「散れ!」

 竜牙の合図に全員で退避した瞬間、大きく鋭い爪が振り下ろされ地面が大きく抉れた。
 寸で避けた竜牙は背に回り込み、隙のある背中に槍を突きつける。
 しかし熊は腕を広げその場で回り、槍は腕に弾かれた。

「ぐっ……!」
「竜牙さん!!」

 その力強さに飛ばされ、歯を食いしばる竜牙を夏樹の風が受け止める。

「すまない、夏樹!」

 体制を立て直した着物の男は左足に力を溜め、一気に踏み込み再度妖の胴体に槍を突きつける。
 同じタイミング、竜牙が踏み込んだ地面から石で出来たやじりの様な荒い槍先がせり上がり、熊の右足を貫く。

「グオオオオオオオ――!!!!!」
「今――じゃな」

 石によって身体を固定された熊の体に、竜牙の槍は遮られることなく突き立てられた。
 悲鳴、咆哮、大きな鳴き声は途中で二つの重々しい音が鳴ったことで目覚まし時計の様に突然止まる。
 タイミングを測ったように咲栂に変わった玲が氷の槍を造りだし、妖の頭と胴体に突き立てていた。
 刺さった氷の槍はペキペキと音を立てながら身体を凍って浸食を始める。
 熊は抵抗する事なく動かなくなり、そして妖の体はそこに存在していなかったかのように、霧散して消えた。

「……ふぅ、竜牙お疲れ様。大丈夫?」

 死んでいく妖の姿を確認した玲は、すぐに憑依換装を解いて竜牙に近寄る。
 しかし。

「ああ、大丈……――っ!」
「――グオオアアアアアア!!!」

 返事をしようとしたところで、強烈な威圧を感じた。
 背後に視線を向けると、既に倒れている夏樹と威嚇するように大きく吼える、先ほどとは毛色の違う熊。
 ――いや、熊にしては歪な頭。
 頭に直接鳥を縫い付けたような、耳のあたりから翼が1対生えた気味の悪い熊がそこにいた。
 玲の表情が引き攣り、竜牙の眉間に皺が寄る。

「これは……すぐに終われそうにないね……」
「ああ……」


---
 私は友達と歩いていた。
 じりじりと夏の暑さが地面を照りつける中、見慣れた道を進む。
 道の先にはゆらゆらと陽炎が見えて、それほどまでに今日はとても暑い日なんだと実感させられた。
 せ返るような熱がとても気持ち悪いけど、今はそんな事も言ってられない。
 だって今日は、友達も隣にいるんだから。

 元々私は術士の数が足りないのだと、分倍河原ぶばいがわらさんから指名を貰った。
 この町は私が住んでる場所より強い奴があまりにも多くて呪われている。
 だから私も一生懸命、必死になって手伝わないとだめなんだ、と張り切ったんだ。
 この町に来てから3か月、この土地にも慣れてきた私は今まで以上に気合を入れて町を見回ることにした。
 噂を聞いてしまったのだ。
 この地にはまだ倒されていない女王が居るのだと。
 その女王を倒す為に、私は仕事用の衣服を身に纏って水筒を下げて、いつでも戦えるようにいつも見てない街の端っこまで来た。

「みこ、大丈夫?」
「私は大丈夫だよ。――ちゃんは大丈夫? 怖くない?」
「大丈夫。私もお手伝い出来るなら頑張りたいから……」

 女王は人の姿をして人のように生活するのだという。
 成熟しきってしまえば人か妖かなんて見分けられないんだって。
 だけど私はこの心強い友達が居るから平気。
 何せ、を持っているんだから。

「あの、すみません。道を聞きたいんですが」

 そうして張り切っていると、背後から声をかけられた。
 相手は爽やかそうな、お兄さん。

「はい、どこですか?」
「術士が居る場所を、探しているんだ」
「……え?」

 気付けば隣の友達が青ざめてる事に気付いた。
 人と妖を見分けられるこの友達が、

「みこ、だめ!」

 視線を戻した瞬間、友達が私の名前を呼んで叫ぶ。
 同時にお兄さんの顔がろうそくの様にどろりと溶けた。

「――ひっ!」

 あまりの衝撃に引き攣った声が出た。
 顔は半分ほどが溶けて消えたまま、にこりとした笑みを残している。
 人生で初めて目にした女王はあまりにも衝撃的で、不気味で、怖かった。

「あ、ああ……あっ!?」
「――みこっ!!」

 何が起こったのかよく分からなくて、ただただ怖くって、頭の中はパニックになった。
 だからだろうか。
 恐怖に震えながらもなんとかポケットに入れたナットを取ろうとして……あろうことか、溢してしまった。
 焦りを認識した時、多分腕を掴まれて体が投げ飛ばされた。
 地面に体を打ち付け、アスファルトがおろし金のように私の体を削る。

「ぐあっ……!!う、うぅ……」

 家の塀が転がる私の体を受け止めてくれたけど、勢いが死んでいなかったからか背中を強く打った。
 まだ妖として何もされていないのかもしれない。
 だけど十分すぎるほどの痛みと恐怖に襲われて、涙が浮かんで視界はぼやける。
 痛みを耐えて流れる涙が、暑さで吹き出すように流れる汗が、傷口に塩を塗るようで全部が痛い。
 たったの一撃だけど、女王は容赦がないのだと、ここで初めて知った。

「みこ、みこ!!」

 女王から離れてこっちに駆け寄って来る友達が、私を呼んでいる。
 立たなきゃ……。
 もう一度ナットを取り出し、構える。
 今度はちゃんと握って取り出せた。
 指に力を入れて弾き、勢いよく飛ばす。
 同じ極を使って反発する力で飛んだナットを利用して、今度は私が近付く。

「反発する力は、ひっくり返せば引き寄せる力っ!」

 友達に近付く妖の前で、腰に準備していた特別製の裁ち鋏を構える。
 怖くて痛くて手が震えるけど、そんな事は言ってられない。
 少なくともこの友達は、一般人だから――。

「ふぅん、磁力使うんだ。面白いね」

 渾身の力を込めて裁ち鋏を振りかぶる。
 なのに妖は刃を握った。
 その手は歯が食い込んでいるだろうに血は出さず、妖がにたりと笑う。
 それだけで、怖い。
 この世の物ではない何かと私は戦っている。
 これが、女王――。
 夏の暑さと恐怖で汗なのか何なのか分からなくなった液体が、傷口に沁みた。

「震えてるよ? ……そ一だ、こんな怖い事するより、私と一緒にしゃぼん玉で遊ぼ?」
「しゃ、シャボン玉??――っ……!!」

 妖の手からしゃぼん玉がふわりと上がる。
 見た目は普通のしゃぼん玉だけど、妖が出したものなんて怖くて怖くてたまらない。

「あっ、遊ばない……!」

 恐怖からひっくり返りそうな、上擦った声が出た。

「そっかぁ、残念。じゃあこれあげる」
「きゃっ……!!」

 にこりと笑った妖が息を吹きかけて、しゃぼん玉が近づいてきた。
 なんでしゃぼん玉なの?
 意味が分からなくて、私は裁ち鋏で払う。
 当たることなく風に煽られたしゃぼん玉はあろうことか、裁ち鋏を握った私の手に付着した。

「っ……」

 妖のもので手が汚れた。
 ……それだけなら、まだ良かったのに。

 ――ボン!!

 しゃぼん玉は破裂した。
 ガシャン、と裁ち鋏が金属音を立てて落ちて、そこには、私の手も一緒にある。
 私の手首から先は、鋏と一緒に焼け落ちていた。

「あ、ああ、ああああああああああああああああ!!」

 しゃぼん玉が爆弾だって事を理解する前に、強烈な痛みが襲ってきた。
 目の前で笑う妖の顔が刷り込まれて、止め処ない恐怖を植え付けられる。
 視界には手首から先しか映らない。
 私の手首から、落ちた手首から、血が滴って液だまりを作る。
 赤くて黒いドロドロの液体がぽたりぽたりと垂れていき、落ちた手首はあっという間に鮮血に染まった。
 痛い、痛い、痛い、怖い、怖い、怖い、

「あっはははは! 子供の術士でも貴方は違うみたい。その表情、気に入ったわ」

 突然笑い出したその声に誘われ、視界を上にあげた。
 そこには剥き出すような女王の目があった。

「――!――!!」

 それだけで、怖い。
 絶叫しかできない。
 もう、頭が働かない。
 友達が何かを叫んでいた気がしたけど、耳にも入らなかった。
 楽しそうに笑う、甘ったるい甲高い声をした女王が次々にしゃぼん玉を産んで、襲ってきて、私は逃げたい。逃げたかった。
 ――でも、私の後ろには私が連れてきた弥生ちゃんが居る。
 駄目。
 貴女は、死んじゃだめ。
 一般人のあなたは、私が、守る。

 何を思ったか、体を反転させた私は友達の前で両手両足を目いっぱい広げた。
 背後から手に、足に、背中に、首に、頭に、身体の至る所しゃぼん玉が付着した。
 ごめんね、弥生ちゃん。ごめんね、みんな。
 分倍河原さん、霜鷹さん、師隼様、ごめんね――

「――痛いよぉ……!」
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