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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
24-4 小さな記憶の欠片
「すごい……胸がざわつく……! あはっ、あはははっ!」

 弥生の高まっていく心に合わせ、声は高笑いに変わっていく。
 長い長い目標が成就したのだ。
 待ちに待った報酬に、弥生は余韻に浸る。
 駆り立てられるように進んできた妖としての邪の道が成就した、そんな大きな達成感は弥生の今まで使いすぎていた思考を停止させる程大きな存在となった。

 一方の玲は諦めたように項垂れ、竜牙も焦点の合ってない目を虚空に向けて黙っている。
 そこへぽたり、ぽたりと雨が降り始めた。
 通り雨か、雨足は次第に強くなり、この場いる全員がずぶ濡れになっていく。
 酷く叩きつけるような雨は軽い痛みを与える程に激しい。
 だから弥生は気付かなかった。
 これが、術士に喝を与える代物だとは、微塵も。

「ごめん、咲栂……もう一度、力を貸してくれ……」

 頭を垂れる玲の目線の先に生まれた水たまりに、水底に住む天女のような姿が映し出された。
 ぽつりと零れるように。
 玲は死にかけた表情に僅かな希望を抱いて、天女に話しかけた。

「それが、主様の望みなら……」

 か細く、しかし力強い芯のある声は囁くように響き、強い雨音に掻き消された。
 玲の身体は濡れない。
 自然の水に干渉できない。
 だからこそ、周囲に落ちる雨水を膜に玲の水を広げることができる。
 ゆっくりと玲の力が両手で触れた地面から弥生を通り過ぎて竜牙へ、次いで正也へ、夏樹へ、波音へと広がっていく。
 傷は少しずつ癒えていき、特に夏樹と波音の苦しげな表情は和らいでいった。

 癒やしの水は身体と精神を強く浪費する。
 よって、玲の視界はぐらりと揺れた。
 弥生はそれを、無の表情で見つめる。
 どうやら体も揺れたらしい。
 だが、そんなことを玲は気にも止めない。
 弥生は一歩一歩玲に近づき目の前でしゃがみ込むと、右手で襟首を掴み、引き上げる。

「ん、ぐ……」
「……君は弱い。それなのに、何をしているんだい……? ――ああ、君はずっと日和を守ってくれた子か。いいよ、君にお似合いの呪いをかけてあげよう……」

 蛇のように睨みつける弥生に対し、疲労一色の玲は力なく笑う。
 口調で分かる。
 そこに居るのは金詰蛍だ。

「は、はは……お父さんからの呪い、か……。ええ、甘んじて、受けますよ……」
「次に式になる時は、覚悟を決める事だね。楽しみにしているよ……」

 空いた左手で玲の額に触れ、弥生は両手を離す。
 その手は真っ黒なもやに包まれていた。

「う、ぐ……」

 ドサ、と音を立てて玲の体が倒れていく。
 弥生は立ち上がり、ひとつ息を吐いた。
 その途端、どくん、と大きく心臓が跳ねた。

「……?」

 ひとつ跳ねた皮切りに、心の奥がざわついて、更に鼓動は早まる。

「な、に……この感覚! う、ぐ……っ、抜かれる……!」

 体から力という力が漏れ出し、急激な脱力感が弥生を襲う。
 すると日和の体が浮き上がり、弥生から出たいくつもの神々しい光が日和の許へと吸収されていった。

「光……?」

 朧気な意識の中で、気付けば体を倒していた竜牙が視線のみを光に向けた。
 日和に吸収された光は徐々に日和の体を纏っていく。
 そして静かに降り立ち、その目を開けた。

「ひ……より……? わた、しの力を……抜いたと言うの……?」
「……弥生、ありがとうございます。お父さんに会えました。本物の弥生ちゃんにも、会えました」

 化け物を見るかのように目を見開き、れた声を出し弥生は震える。
 日和は真っ直ぐに弥生を見て頭を下げると、首から円柱型のペンダントを取り出し、手に持った。

『これはお守り。多分日和が強い気持ちを持った時、呼応してくれるはずだよ』

 昨日の玲の言葉を思い出す。
 本能が、父と小さな弥生の力が言う。
 今が使う時だと。

「日和……」

 小さく呟くように、呆然とした弥生がぽそりと友の名を溢す。

「今まで、ありがとう……。私はちゃんと、友達として覚えておくから……」

 降る雨と地面に広がる雨水が日和に集まり、弓を型作る。
 左手からは金色の光が集まりバチバチと音を立てて矢となり、日和は弥生に向かって構えた。

「……そう。日和になら、殺されてあげる。やっぱり私……あなたが好きよ」

 力なく弥生は笑い、日和は左手を離した。
 放たれた矢は弓の水を巻き込んで大きな塊となり、弥生の身体を貫く。
 次の瞬間には光の塊となって、空に撃ち上がって弾けた。
 ラニアの言葉が頭に浮かぶ。

『その感覚を、忘れないで』

 日和の中で、その言葉の意味がストンと落ちた。

「そっか。……さようなら、弥生」

 きらきらと、雪のように白い光が舞い散る。
 貫かれた弥生の体は今までの妖と同様に霧散し、日和の光に混じって溶けていく。
 やがて倒れた術士達の体が光りだし、ゆっくりと意識を戻し始めた。

 「……痛く、ない……」
 最初に横になった体を転がしたのは波音だ。
 玲の力では治りきってない全身の焼けただれた跡がゆっくりと消えていく。

 「終わったん、ですか……?」
 体をゆっくりと起こす夏樹は薄目を開けながら周囲を確認する。

 「……竜牙、ごめん……迷惑、かけた……」
 動く事なく、付近に式神の存在を確信した正也は呻くように声を出す。

 「……よかった」
 ただ玲だけは、それだけを呟いて眠りに落ちた。

「日和、お疲れ様。頑張ったね」
「ありがとう、日和さん」

 降り注ぐ光が幻影を映す。
 ただの光のシルエットが父と弥生を映している気がした。

 「こちらこそ、ありがとう」

 やり切ったように、日和は朗らかに笑う。
 心の底から初めて笑った気がした。

「ひ、より……」

 日和の背後でゆっくりと立ち上がる影があった。
 二人は明るい声で、竜牙に声をかける。

「ああ懐かしい、竜牙じゃないか。今回はお疲れ様。あと少し、だな」
「お兄ちゃんに頑張って、って伝えて下さい。私は金詰さんと先に行ってますので」
「ああ、伝えておく……。お前達は……共にいたんだな……」

 竜牙の言葉に頷く蛍は日和に顔を向けると、優しく微笑む。
 それは正しく父親の姿であり、幼い記憶の断片でしか知り得ない日和にとって初めての姿だった。

「それじゃあ日和、短い時間だったけど会えて良かった。もっと笑いなさい」
「さようなら、日和さん。誕生日おめでとう」

 明るい声で、二人は光の屑となって消えていく。
 その姿を、日和は焼き付けるようにじっと見つめた。

「……さようなら、お父さん。弥生ちゃん……」

 涙を堪えるような悲痛な声が空しく響く。
そのまま日和の体は後ろにぐらりと倒れ、受け止める竜牙によって腕の中に抱き留められた。

「……日和も、皆も、お疲れ様」



***
 置野の人間は術士の力を継がなければ本家には滞在できない。
 そして、本家を追い出されたら置野を名乗る事は出来ない。
 そう言っていたのは、祖母だ。

 気が付いた時には既に、私には何かが欠けていた。
 何が欠けているのかは分からない。
 だけど、祖母の言葉で私は理解した。
 私に欠けているのは、兄弟だ。

「ここが、置野……」

 小さいながらに探険が好きだった私は、いろんな場所を彷徨いながら公共手段を使って、ついに安月大原まで足を運ぶことができた。
 幸運だったのは、置野の家が安月大原の入口のような場所にあったこと。
 門からは人の気配があるけれど、大きな門は入ることを拒絶するように建っている。
 いくら探険が好きとはいえ、威圧感たっぷりのこの門を通ることは足がすくんでできなかった。
 だからとりあえず、見ることだけ。
 晴れの日は勿論、雨の日も、風が強い日も。
 天気がよくないから出るなと言われた日も、見にきていた。
 そんなある日、門が開いて同じような歳の男の子が出てきた姿が見えた。

(あっ、あの子……)

 思わず声を掛けそうになって、足を止めた。
 傍に少し背の高い男の子と……一目見て分かる、お父さんがいた。
 銀色の髪の男の子は分からない。
 だけど同じような見た目の子は足りない部分を補うように、感覚的に兄弟だと感じた。
 それが、最初。
 それから何度も、見に来ていた。
 ここでしか会えないけど、見に来ても会えないけど、見に来ていた。
 いつか、お話をしてみたかった。

「正也? どこに行った?正也!」

 小学生になりたての頃、門の中からそんな声が聞こえた。
 私はなんとなく、家の周辺を探し回った。

「……あっ!」

 兄がどこに行って、どこに居たかは覚えてない。
 だけどなんとなくを信じて探したら、そこにいた。

「……っ! だ、誰……?」

 男の子は小さくうずくまって、隠れてた。

「私、やよ――……や、いや、かくれんぼ……今、友達とかくれんぼ、してて……」

 置野の人間は術士の力を継がなければ本家には滞在できない。
 そして、置野を名乗る事は出来ない。
 祖母の声が聞こえた気がした。
 もしかしたらこの兄は、私を知っているかもしれない。
 なんだか知られるのが嫌で、名乗らなかった。

「……じゃあ、人違い……。僕は遊んでない」
「じゃあ、何してたの?」
「……休憩」
「そっかあ。……おうち、大変なの?」
「……別に。少し、疲れただけ」

 男の子は私とは真逆で静かな人だった。
 ずっと静かに佇んで、ぼーっとしているだけ。
 私は、それをじっと見ていた。

「……いつまでここに居るの?」

 しばらくして、逆に男の子の方から聞いてきた。

「え? 君が飽きるまで」
「……じゃあ、飽きた。帰る」
「うん」

 男の子が立ち上がり、その後ろをついて行く。
 行先はやっぱり、置野の家だった。

「……いつまでついてくるの?」
「ここまで。この先は、私いけないから」

 置野の家の前は通らない。
 それが私なりのルールだった。

「……じゃあ」
「うん、またね」

 男の子は置野の家に帰っていく。

「……またね、お兄ちゃん」

 その後ろ姿に手を振って、私は帰り道を歩く。
 私はあの家をまたげない。
 力が無いから。
 妖の目という、特別なものなら持ってるのに。

 今、目の前を歩いている猫は偽物。
 白っぽい毛色をしているけど、黒い物が渦巻いて見える。
 だからそれを拾って、近くに居たお姉さんに届けた。

「ねえ、この子あげる」
「え?」
「……アヤカシ、でしょ?」
「……っ!」

 たまに見かけるお母さんが術士であることを知っている。
 身体から溢れているものが、術士の力だという事も。

「……ありがとう」
「どういたしまして」

 あの人は火を使う術士の人。
 たまに親子で歩いている姿をよく見る。
 この町には二つの世界が混じっていることを、私は知っていた。



 それから兄には何度も顔を合わせる事になった。
 こっちは隠れてるつもりなのに。

「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「今日も、かくれんぼ?」
「う、うん、そう……」

 ひとつ嘘が重なる。

「……今日は、何?」
「お、お買いもの……」

 会う場所はバラバラなのに何故か見つかる。
 会う度に嘘が重なってく。

「今日はお買いもの?」
「う、ううん! 友達の家に行くところ!」

 最近お兄ちゃんに会いすぎてるかもしれない。
 もしかしたら、家族の人にばれてるかもしれない。
 そう思いながらもまた門を見に来てしまったある日、声をかけられた。

「何してるの?」
「――ひゃっ!? あ、えと……」

 目の前に現れた少し年上のお姉さんは首を傾げている。
 でも、この人はたまにお屋敷に入っていく人。
 つまり関係者だ。

「正也君のお友達?」
「え、えと……まっ、また来ます!!」
「あ、待って――」

 私は全速力で逃げた。
 走るのは元々得意だけど、いつも以上に速く走ってる気がした。

「……正也君、呼んできてあげようか?」

 数日経って、やっぱり見に来てしまって、またお姉さんに見つかった。
 とりあえず気付かれたらどうなるか分からない。
 全力で首を横に振った。

「じゃあ、正也君に来てたよって伝えてあげる」
「う、ううん、いらない!」

 やっぱりこのままじゃだめだ、と行くのを止めた。
 遊びに行くのも、駅までにしよう。

 それから置野家を見に行くことがなくなったまま数日が経った。
 今日も学校からまっすぐに帰ろう……そう思っていたら銀縁眼鏡をかけた大人の人に話しかけられた。
 和服で同じ髪色の……――お父さん。

「君は……」
「あ……」

 頭が止まった。
 どうしたらいいのか分からない。
 時間が止まったみたいに、動けない。

「……この辺りの子?」
「え? あ、はい……」
「そっか。一人じゃ危ないから、ちゃんとお友達と居なさい」
「は、はい……」
「それじゃ……おばあちゃんによろしくね」
「……っ!!」

 気付かれてる。
 涙が出そうになった。
 だめだ、もう、だめだ。
 そう思った時に限って、走って逃げた先に君はいる。

「……こんにちは。今日は、どこ行くの?」
「えっと……お散歩!」
「ふうん……」

 沈黙。
 何を話せばいいか分からなくなって、頭がぐるぐるする。

「……家、この辺りなの?」
「えっ――う、うん、そう!」

 更に家まで知られてはいけない。
 本当はもうちょっと歩いた先なのに、思わずまた嘘をついてしまった。

「……そう」

 兄は何を考えてるのか分からなかった。
 ものすごく喋らなくて、何より表情が動かない。
 疑われてるのか、信じられてるのかも分からない。

「……そういえば、名前聞いてない」
「えっ……と、ごめん。それは、教えられない……んだ…………」
「……そう。僕は、置野正也」

 簡単に知ってる事を教えられてしまった。
 思わず名乗れるのって良いな、って思ってしまった。
 全部全部羨ましい。
 自分と兄はやっぱり、違うんだ――。
 そんな気持ちは、私の決意を後押しした。

「……ごめんね、君とはもう会わない事にしたんだ。……私の名前、奥村弥生って言うの。ばいばい、お兄ちゃん……楽しかったよ」

 私と兄の違いを知った私は、あっさりと決別した。
 また走って逃げた。
 私のできる事って何だろう。
 術士じゃない、だけど妖の目を持つ半端な私が出来る事。

 それから何年も経った。
 置野家からは、あれ以来何もなかったように何も言われなくて。
 だから分家の私には何ができるか探しながら、しばらくは静かに過ごした。
 同い年の新しい術士がやってきて、私は自分から話しかけて友達になった。
 そして彼女の目として手伝う事にしたんだ。
 あの暑い夏の日まで。

「私を殺すなら、もっと良い利用方法がある」

 みこが目の前で殺されたのに、よく言ったものだと思う。
 だけど私だって、誰かを守りたい。
 誰かを守れるなら、私は何にだってなるよ。
 身体を拘束されて実験台になって、色んな感情を混ぜられて、色んな妖を混ぜられて、私は何になるんだろう。
 どうなってもいい。
 私は一つだけ、女王と約束したんだから。

「もう一度、お兄ちゃんに会いたい。だから、貴女は私になりなさい」

 女王はにこりと笑って、私は私じゃなくなった。
 お兄ちゃん、私女王の中でお兄ちゃんが女王を倒せるように手伝ってあげるからね。
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