残酷な描写あり
18 「ルーシーの特性」
聡慧の魔女ライザに案内され、ニコラとルーシーは個室へと入っていく。
そこは客間というより談話室に近かった。
テーブルに肘掛け椅子、食器棚には各種ティーセット、小皿などが揃えられている。
先ほど癇癪の魔女が飲んでいたであろう食器類を配膳用のワゴンに置いて、それから新しくお湯を沸かしてお茶を淹れるライザ。
あまりに手慣れた様子で思わず見入っていたルーシーは、こんなに美しく位の高そうな魔女が自分からお茶を淹れる姿を見て、本来なら淹れてもらう側の人物なのにどうしてこんなに手慣れているのだろうと思った。
「おかしいですか?」
「えっ……」
ライザは良い香りのする茶葉をティーポットに挿れて、円を描くように揺らしながらルーシーに微笑みかける。
「私は今でも陛下にお茶を淹れて差し上げているのですよ。慣れるのは当然というものです」
ライザはミリオンクラウズという国で専属の宮廷魔術師をしているとニコラから聞いていたルーシーは、それほどの魔女ならば手厚く奉公されていたことだろうと思っていたのだ。
そんなライザでも公王の為に自らお茶を淹れているという。これだけ他の魔女から敬われるライザが、そういったことをしているというだけで驚きだった。
三人分のお茶を淹れ終わり、肘掛け椅子に腰掛けたライザはお茶に息を吹きかけ冷まし、一口含んでからついに本題となる。
「この娘、ルーシーは魔女の修行を始めたばかりだ。当初からこの娘の特性が何なのか不明のままでね。ライザに特性を視てもらいたい」
「……一目見た時から違和感はありました。まだ幼い少女だというのにとても大きな力を秘めているような。現状わかっている特徴などはありますか?」
ライザにそう問われニコラは『動物と会話が出来ること』、そして『動物にお願いをして実行してもらうことが出来ること』を話して聞かせた。これまで実際にあった経験談を元に、ルーシーがニコラの前でやってのけたことや、前世でも同じような能力があったことなど。
驚いたことにニコラはルーシーが一度転生していることまで、その全てをライザに話したことだ。
これまで他の人間や魔女に紹介してきた時には、そのような詳細まで語ることは決してなかった。しかしルーシーの特性を知る為にどうしても必要なことだったのか、ニコラはほぼ包み隠さずルーシーの現在の出自を明かしたのである。
ルーシー自身もそこまで詳しく聞かされていたわけではない。
どこからどこまでが包み隠していない真実なのか、ルーシーに判別できるはずもないが。少なくとも生前はルーシーという名前の貴族で、十八歳の頃に魔女狩りで火刑に処されたこと。
その直後に幽魂の魔女ヴァイオレットの魔法を使ってルーシーの魂を捕らえ、ニコラの元にあった現在の肉体である少女に魂を宿したこと。
それからはルーシーという名の5歳の少女として、魔女の修行をしていること。
ほぼニコラやヴァイオレットから聞いた通りの内容だった。
ライザは黙ってニコラの話を聞いている。時々視線を落としたり、じっとニコラの瞳を見つめ続けたり、ルーシーをちらりと観察するように眺めたりと。ただひたすら黙ったまま話を真剣に聞いて、自分の頭の中で飲み込むように情報を整理しているように見える。
「動物と会話……、それも動物と括るならば魔物ですらその対象となる、ですか。なるほど、それは確かに珍しい事象ですね。大抵の魔女は相性の良い動物を使い魔として契約を交わしてから、初めて対話が成立するものなのですが。それも人間と同じように会話をするようにはいきません。テレパシーで思考を読み取るようなものであって、口に出して会話するというのは実に妙ですね」
「同じような特性を持った魔女が過去にいたことは?」
「……似たような特性ならいくつか記憶にありますが、しかし……でもまさか」
ライザは眉根を寄せ、表情に影を落とした。
それを見逃さなかったニコラはまたしても黙る。どうしたらいいのかわからないルーシーに至っては、二人の様子からあまり良くない特性かもしれないと不安になるばかりだ。
またちらりとルーシーに視線を向けるライザの瞳は、まるで未知のものを見つめるような、そんな眼差しだった。
そういった視線がまたルーシーを不安にさせる。
なんでもいい、知ってることがあるならば、思い当たることがあるならば、不吉でもなんでもいいからとにかく早く答えが欲しかった。
思っていてもそれをうまく言葉に乗せることができないルーシーは、代弁してくれるニコラの言葉を待つしかない。ルーシーにとって、魔女の中の頂点の存在のように思えるライザに向かって、気軽に話しかける勇気があるわけもなかった。
カップを持つ手が少し震えているライザは、こぼさないようにゆっくりと口を付けて乾きを潤す。ほどよい温かさになった飲み物を含んだおかげで多少気持ちを落ち着けることができたのか、ライザは一呼吸ついて、それからやっと言葉を発した。
「ニコラ、申し訳ありませんがこの小さな魔女の特性について、今ここで話すわけにはいきません」
思いもしなかった言葉にニコラは珍しく感情を露わにする。
「どうしてだい、そんなに都合の悪い特性だっていうのかい」
「都合の悪い……、いえ。そういうわけではないのですが、でも……そうですね。非常にまずいのは確かかもしれません」
「はっきり言ってください。それって誰かを不幸にしてしまうような特性なんですか」
思わず言葉が出た。
思いも寄らなかった返答に、答えを今ここで教えてもらえずにまさか『待て』と犬のような扱いを受けるとは想像もしていなかったせいだ。ルーシーはここでライザに会うことができれば、自分の特性を知って、そして方向性が定まった魔女の修行ができると信じていたから。
それがまさか『話せない』と返されるのは納得がいかなかった。
動揺とも敵意とも取れるルーシーの強い口調にライザだけではなくニコラも驚きを隠せない。
今までルーシーは他人の顔色を窺い、機嫌を取るように、相手を不快にさせないように生きてきた。少なくともルーシー・イーズデイルの頃も、そして五歳の少女の体になってからも、その態度を変えることは決してなかった。
時に感情的になり自分の気持ちを吐露することもあったが、大人に対して、ましてや聡慧の魔女ライザという高尚な女性に対してルーシーが堂々と、たどたどしい口調にならずにはっきり言い切ったことにルーシー自身も驚くほどだった。
目を丸くしたライザは、少女の元の魂が十八歳のものであることを思い出す。
ルーシーの出自を知らないライザの中では、それほどの年月を重ねた者ならばこれくらいのことは少しも不思議ではないと思ったのだろう。
しかしこれまで共に過ごしてきたニコラには驚きの反応だったのは言うまでもない。
ようやく、やっとニコラに対してのみ普通に会話が成立するようになったのだ。だからこその驚きだった。
「使い方によっては『誰か』ではなく、『世界』すら滅ぼしかねない特性だということです」
「それはまた大袈裟じゃないかい? 動物と意思疎通が可能なだけで、そこまで行くかね」
馬鹿らしい、というニコラの反応にライザは表情を崩すことなく淡々と説明を続ける。
ルーシーは『世界すら』という言葉に心臓が一瞬縮まった思いがしていたため、何の反応も返すことができていなかった。
「ここで詳細を話して小さな魔女さんに誰かが危害を加えるか、またはその力を利用しようとする輩が現れるとも限りません」
「ここは魔女しかいない夜会だよ」
「魔女の夜会に参加する者は皆、それぞれの事情などお構いなしです。それがルール。例えその中に人間に従属して良からぬ考えを持った魔女が参加していたとしても、私たちはその魔女を出入り禁止にすることは不可能なんですよ。どこに誰の目や耳があるかわからない。だから今ここで彼女の特性を話すことができないのです」
誰かに利用されるかもしれない。
あるいは命を狙われる可能性があると、ライザはそう言っているのだ。
ライザはルーシーに触れることも何もなく、もうすでに特性が何なのか。その全てがわかったというのだろうか。
にわかには信じられないルーシーは押し黙ったまま、しかしこれ以上うまく気持ちを言葉にする技術もなかったのでニコラに託すしかない。緊張が、動揺が、そしてこれまでに培った『他人への恐怖心』が拭い去れないルーシーは、自分で道を切り拓くこともできないことにもどかしさを感じる。
「ミリオンクラウズへ来なさい。そこならば全てを話して差し上げることができます」
「安全だという保証は?」
「公王陛下は私たち魔女のことを大切に扱ってくださいます。そしてそれは国民を始め、城に仕える人々も同じです。魔女に対する敵愾心を持った人間はまず入城すらできないのですから。そこは信用してくれて構いません」
「そういえばその国は徹底的なまでに魔女に手厚い国だったね」
「迫害を受ける地方の魔女たちも皆、ここへ来れば穏やかに暮らしていけるのですが。物事はそんなに簡単なことじゃないのかもしれませんね」
そして今度はパッと明るい笑顔を見せたライザが、ルーシーのそばへ寄り、その小さな手を褐色の綺麗な手が包み込んだ。
「ミリオンクラウズへおいでなさい。私たちはあなたを歓迎しますよ。最もそれまでは辛い道のりになるかもしれませんが、そこでなら自分が魔女であることも忘れ楽しく過ごすことができるでしょう。それにあなたの特性に関してもそんなに不安にならないでください。特性は決してあなたを裏切ったりしませんから。あなたの意思に反して暴走したりはしません。感情的になって力が強く現れることがあるかもしれません。それでもあなたの心の中に『誰も傷つけたくない』という思いさえあれば、その力は絶対にあなたを裏切らない」
安心させるように掛けた言葉であったはずだ。
しかしルーシーは顔に引き攣った微笑みを浮かべながら、心底ではとても心苦しい思いがしていたのだ。
ライザの言葉のひとつひとつが重く圧しかかる。『誰も傷つけたくない』という言葉の通りには決してならないことをルーシーだけは知っていたからだ。
ルーシーにとって大切な人たちは絶対に傷つけたくない、それは本心から思っていることだが。
全ての人間という意味ではないのは確かだ。
傷つけたくて、苦しめたくて、……殺してやりたいほどに憎い相手を除いては。
「わかった。それじゃあ続きはミリオンクラウズで、ってことだね。時間を取らせて悪かったよ」
「それはこちらの言葉です。大した力になれなくて申し訳ありません」
「元々会えるかどうかも怪しいって思っていたからね。ミリオンクラウズ行きは最初から確定していたことなんだ。あんたが気にすることじゃないよ」
「そうでしたか。それじゃあ罪悪感は綺麗さっぱり忘れますね」
二人は立ち上がり、軽く握手を交わした。仲が良いというのはどうやら本当のようだとルーシーは思う。
それから自分も慌てて立ち上がり、お礼を言ってお辞儀をする。
微笑ましいとでもいうようににっこりと笑ったライザは、最後にひとつだけ忠告した。
「動物と会話をするだけなら今まで通りどんどんしてくれて構いませんよ。それが特性の成長にもつながりますからね。ただしその力を使って魔物に命令することだけは極力控えてください。小動物相手なら問題ありませんが、それが自分の力を超えるような存在……例えば知性の高い魔物や魔獣、聖獣にその力を行使しようとして失敗してしまった場合、その魔力の反動が自分へ跳ね返ってしまいます。呪い返しみたいなものですね。相手の力が強ければ強いほど跳ね返る魔力は増大し、最悪……死にます」
さらに重く圧しかかる。
「これだけはしっかり覚えていてくださいね。それではまた、ミリオンクラウズでお会いしましょう。さようなら、小さな魔女さん」
それだけ言い残すとライザは先に退室していった。
個室に残った二人はしばらく沈黙していたが、大きなため息をついたニコラがそれを破る。
「最後の最後まで後味悪くしていくね、あの魔女は」
腰に手を当て、頭をぽりぽりとかくニコラ。それからルーシーの背中をばんと叩いた。
「ああいう魔女なんだ。気にするだけ疲れるだけだよ。さ、今日のノルマは達成したからここに用はもうないけど。どうする? まだしばらく夜会を楽しむかい?」
そう聞くニコラにルーシーはしばし考えた後、答えた。
「遠雷の魔女システィーナさんと、もう少しだけお話をしたいんですが。いいですか、お師様?」
一瞬だけ緩んでいた表情が固くなるニコラ。
そしてすぐまたいつもの鉄面皮に戻ると、『構わないよ』とだけ言ってつかつかとドアを開けて退室してしまった。それに慌ててついて行きながら、もしかしてあまり良く思っていないんだろうかと訝しむ。
ニコラの機嫌を損ねるようなことは出来る限りしたくなかったが、どうしてもシスティーナに聞きたいことがあった。たくさんあった。取りに足らないことから、聞いてはいけないかもしれないようなことまで。
そしてふと気付く。
果たして自分は、こんなにも誰かと話したいと思うような人間だったのだろうか、と。
そこは客間というより談話室に近かった。
テーブルに肘掛け椅子、食器棚には各種ティーセット、小皿などが揃えられている。
先ほど癇癪の魔女が飲んでいたであろう食器類を配膳用のワゴンに置いて、それから新しくお湯を沸かしてお茶を淹れるライザ。
あまりに手慣れた様子で思わず見入っていたルーシーは、こんなに美しく位の高そうな魔女が自分からお茶を淹れる姿を見て、本来なら淹れてもらう側の人物なのにどうしてこんなに手慣れているのだろうと思った。
「おかしいですか?」
「えっ……」
ライザは良い香りのする茶葉をティーポットに挿れて、円を描くように揺らしながらルーシーに微笑みかける。
「私は今でも陛下にお茶を淹れて差し上げているのですよ。慣れるのは当然というものです」
ライザはミリオンクラウズという国で専属の宮廷魔術師をしているとニコラから聞いていたルーシーは、それほどの魔女ならば手厚く奉公されていたことだろうと思っていたのだ。
そんなライザでも公王の為に自らお茶を淹れているという。これだけ他の魔女から敬われるライザが、そういったことをしているというだけで驚きだった。
三人分のお茶を淹れ終わり、肘掛け椅子に腰掛けたライザはお茶に息を吹きかけ冷まし、一口含んでからついに本題となる。
「この娘、ルーシーは魔女の修行を始めたばかりだ。当初からこの娘の特性が何なのか不明のままでね。ライザに特性を視てもらいたい」
「……一目見た時から違和感はありました。まだ幼い少女だというのにとても大きな力を秘めているような。現状わかっている特徴などはありますか?」
ライザにそう問われニコラは『動物と会話が出来ること』、そして『動物にお願いをして実行してもらうことが出来ること』を話して聞かせた。これまで実際にあった経験談を元に、ルーシーがニコラの前でやってのけたことや、前世でも同じような能力があったことなど。
驚いたことにニコラはルーシーが一度転生していることまで、その全てをライザに話したことだ。
これまで他の人間や魔女に紹介してきた時には、そのような詳細まで語ることは決してなかった。しかしルーシーの特性を知る為にどうしても必要なことだったのか、ニコラはほぼ包み隠さずルーシーの現在の出自を明かしたのである。
ルーシー自身もそこまで詳しく聞かされていたわけではない。
どこからどこまでが包み隠していない真実なのか、ルーシーに判別できるはずもないが。少なくとも生前はルーシーという名前の貴族で、十八歳の頃に魔女狩りで火刑に処されたこと。
その直後に幽魂の魔女ヴァイオレットの魔法を使ってルーシーの魂を捕らえ、ニコラの元にあった現在の肉体である少女に魂を宿したこと。
それからはルーシーという名の5歳の少女として、魔女の修行をしていること。
ほぼニコラやヴァイオレットから聞いた通りの内容だった。
ライザは黙ってニコラの話を聞いている。時々視線を落としたり、じっとニコラの瞳を見つめ続けたり、ルーシーをちらりと観察するように眺めたりと。ただひたすら黙ったまま話を真剣に聞いて、自分の頭の中で飲み込むように情報を整理しているように見える。
「動物と会話……、それも動物と括るならば魔物ですらその対象となる、ですか。なるほど、それは確かに珍しい事象ですね。大抵の魔女は相性の良い動物を使い魔として契約を交わしてから、初めて対話が成立するものなのですが。それも人間と同じように会話をするようにはいきません。テレパシーで思考を読み取るようなものであって、口に出して会話するというのは実に妙ですね」
「同じような特性を持った魔女が過去にいたことは?」
「……似たような特性ならいくつか記憶にありますが、しかし……でもまさか」
ライザは眉根を寄せ、表情に影を落とした。
それを見逃さなかったニコラはまたしても黙る。どうしたらいいのかわからないルーシーに至っては、二人の様子からあまり良くない特性かもしれないと不安になるばかりだ。
またちらりとルーシーに視線を向けるライザの瞳は、まるで未知のものを見つめるような、そんな眼差しだった。
そういった視線がまたルーシーを不安にさせる。
なんでもいい、知ってることがあるならば、思い当たることがあるならば、不吉でもなんでもいいからとにかく早く答えが欲しかった。
思っていてもそれをうまく言葉に乗せることができないルーシーは、代弁してくれるニコラの言葉を待つしかない。ルーシーにとって、魔女の中の頂点の存在のように思えるライザに向かって、気軽に話しかける勇気があるわけもなかった。
カップを持つ手が少し震えているライザは、こぼさないようにゆっくりと口を付けて乾きを潤す。ほどよい温かさになった飲み物を含んだおかげで多少気持ちを落ち着けることができたのか、ライザは一呼吸ついて、それからやっと言葉を発した。
「ニコラ、申し訳ありませんがこの小さな魔女の特性について、今ここで話すわけにはいきません」
思いもしなかった言葉にニコラは珍しく感情を露わにする。
「どうしてだい、そんなに都合の悪い特性だっていうのかい」
「都合の悪い……、いえ。そういうわけではないのですが、でも……そうですね。非常にまずいのは確かかもしれません」
「はっきり言ってください。それって誰かを不幸にしてしまうような特性なんですか」
思わず言葉が出た。
思いも寄らなかった返答に、答えを今ここで教えてもらえずにまさか『待て』と犬のような扱いを受けるとは想像もしていなかったせいだ。ルーシーはここでライザに会うことができれば、自分の特性を知って、そして方向性が定まった魔女の修行ができると信じていたから。
それがまさか『話せない』と返されるのは納得がいかなかった。
動揺とも敵意とも取れるルーシーの強い口調にライザだけではなくニコラも驚きを隠せない。
今までルーシーは他人の顔色を窺い、機嫌を取るように、相手を不快にさせないように生きてきた。少なくともルーシー・イーズデイルの頃も、そして五歳の少女の体になってからも、その態度を変えることは決してなかった。
時に感情的になり自分の気持ちを吐露することもあったが、大人に対して、ましてや聡慧の魔女ライザという高尚な女性に対してルーシーが堂々と、たどたどしい口調にならずにはっきり言い切ったことにルーシー自身も驚くほどだった。
目を丸くしたライザは、少女の元の魂が十八歳のものであることを思い出す。
ルーシーの出自を知らないライザの中では、それほどの年月を重ねた者ならばこれくらいのことは少しも不思議ではないと思ったのだろう。
しかしこれまで共に過ごしてきたニコラには驚きの反応だったのは言うまでもない。
ようやく、やっとニコラに対してのみ普通に会話が成立するようになったのだ。だからこその驚きだった。
「使い方によっては『誰か』ではなく、『世界』すら滅ぼしかねない特性だということです」
「それはまた大袈裟じゃないかい? 動物と意思疎通が可能なだけで、そこまで行くかね」
馬鹿らしい、というニコラの反応にライザは表情を崩すことなく淡々と説明を続ける。
ルーシーは『世界すら』という言葉に心臓が一瞬縮まった思いがしていたため、何の反応も返すことができていなかった。
「ここで詳細を話して小さな魔女さんに誰かが危害を加えるか、またはその力を利用しようとする輩が現れるとも限りません」
「ここは魔女しかいない夜会だよ」
「魔女の夜会に参加する者は皆、それぞれの事情などお構いなしです。それがルール。例えその中に人間に従属して良からぬ考えを持った魔女が参加していたとしても、私たちはその魔女を出入り禁止にすることは不可能なんですよ。どこに誰の目や耳があるかわからない。だから今ここで彼女の特性を話すことができないのです」
誰かに利用されるかもしれない。
あるいは命を狙われる可能性があると、ライザはそう言っているのだ。
ライザはルーシーに触れることも何もなく、もうすでに特性が何なのか。その全てがわかったというのだろうか。
にわかには信じられないルーシーは押し黙ったまま、しかしこれ以上うまく気持ちを言葉にする技術もなかったのでニコラに託すしかない。緊張が、動揺が、そしてこれまでに培った『他人への恐怖心』が拭い去れないルーシーは、自分で道を切り拓くこともできないことにもどかしさを感じる。
「ミリオンクラウズへ来なさい。そこならば全てを話して差し上げることができます」
「安全だという保証は?」
「公王陛下は私たち魔女のことを大切に扱ってくださいます。そしてそれは国民を始め、城に仕える人々も同じです。魔女に対する敵愾心を持った人間はまず入城すらできないのですから。そこは信用してくれて構いません」
「そういえばその国は徹底的なまでに魔女に手厚い国だったね」
「迫害を受ける地方の魔女たちも皆、ここへ来れば穏やかに暮らしていけるのですが。物事はそんなに簡単なことじゃないのかもしれませんね」
そして今度はパッと明るい笑顔を見せたライザが、ルーシーのそばへ寄り、その小さな手を褐色の綺麗な手が包み込んだ。
「ミリオンクラウズへおいでなさい。私たちはあなたを歓迎しますよ。最もそれまでは辛い道のりになるかもしれませんが、そこでなら自分が魔女であることも忘れ楽しく過ごすことができるでしょう。それにあなたの特性に関してもそんなに不安にならないでください。特性は決してあなたを裏切ったりしませんから。あなたの意思に反して暴走したりはしません。感情的になって力が強く現れることがあるかもしれません。それでもあなたの心の中に『誰も傷つけたくない』という思いさえあれば、その力は絶対にあなたを裏切らない」
安心させるように掛けた言葉であったはずだ。
しかしルーシーは顔に引き攣った微笑みを浮かべながら、心底ではとても心苦しい思いがしていたのだ。
ライザの言葉のひとつひとつが重く圧しかかる。『誰も傷つけたくない』という言葉の通りには決してならないことをルーシーだけは知っていたからだ。
ルーシーにとって大切な人たちは絶対に傷つけたくない、それは本心から思っていることだが。
全ての人間という意味ではないのは確かだ。
傷つけたくて、苦しめたくて、……殺してやりたいほどに憎い相手を除いては。
「わかった。それじゃあ続きはミリオンクラウズで、ってことだね。時間を取らせて悪かったよ」
「それはこちらの言葉です。大した力になれなくて申し訳ありません」
「元々会えるかどうかも怪しいって思っていたからね。ミリオンクラウズ行きは最初から確定していたことなんだ。あんたが気にすることじゃないよ」
「そうでしたか。それじゃあ罪悪感は綺麗さっぱり忘れますね」
二人は立ち上がり、軽く握手を交わした。仲が良いというのはどうやら本当のようだとルーシーは思う。
それから自分も慌てて立ち上がり、お礼を言ってお辞儀をする。
微笑ましいとでもいうようににっこりと笑ったライザは、最後にひとつだけ忠告した。
「動物と会話をするだけなら今まで通りどんどんしてくれて構いませんよ。それが特性の成長にもつながりますからね。ただしその力を使って魔物に命令することだけは極力控えてください。小動物相手なら問題ありませんが、それが自分の力を超えるような存在……例えば知性の高い魔物や魔獣、聖獣にその力を行使しようとして失敗してしまった場合、その魔力の反動が自分へ跳ね返ってしまいます。呪い返しみたいなものですね。相手の力が強ければ強いほど跳ね返る魔力は増大し、最悪……死にます」
さらに重く圧しかかる。
「これだけはしっかり覚えていてくださいね。それではまた、ミリオンクラウズでお会いしましょう。さようなら、小さな魔女さん」
それだけ言い残すとライザは先に退室していった。
個室に残った二人はしばらく沈黙していたが、大きなため息をついたニコラがそれを破る。
「最後の最後まで後味悪くしていくね、あの魔女は」
腰に手を当て、頭をぽりぽりとかくニコラ。それからルーシーの背中をばんと叩いた。
「ああいう魔女なんだ。気にするだけ疲れるだけだよ。さ、今日のノルマは達成したからここに用はもうないけど。どうする? まだしばらく夜会を楽しむかい?」
そう聞くニコラにルーシーはしばし考えた後、答えた。
「遠雷の魔女システィーナさんと、もう少しだけお話をしたいんですが。いいですか、お師様?」
一瞬だけ緩んでいた表情が固くなるニコラ。
そしてすぐまたいつもの鉄面皮に戻ると、『構わないよ』とだけ言ってつかつかとドアを開けて退室してしまった。それに慌ててついて行きながら、もしかしてあまり良く思っていないんだろうかと訝しむ。
ニコラの機嫌を損ねるようなことは出来る限りしたくなかったが、どうしてもシスティーナに聞きたいことがあった。たくさんあった。取りに足らないことから、聞いてはいけないかもしれないようなことまで。
そしてふと気付く。
果たして自分は、こんなにも誰かと話したいと思うような人間だったのだろうか、と。