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作者: 遠堂沙弥
残酷な描写あり
54 「マンチェス町の老婦人」
 遠雷の魔女システィーナの訃報を聞き、弔ったあの日からおよそ五年の月日が流れた。

 ルーシーとニコラは相変わらずのんびりとしたペースで、聡慧の魔女ライザが暮らしているミリオンクラウズ公国へと向かっている最中だ。
 早く自身の特性を知って、それに見合った修行スタイルに変えてほしかったルーシーであったが、ニコラはなぜかそれを良しとしない。
 ニコラ曰く、行く先々でも学ぶことがたくさんあるから……だそうだ。
 その土地にしかない植物はもちろんのこと、魔法植物や魔物の生態も、魔女の修行に必要となってくる知識の元だから、だと。

 自生植物、その土地で品種改良された植物。
 その土地柄でしか自生しない魔法植物、その地域にひっそりと住んでいる魔女がその土地の植物を使って調合した薬品。

 魔物の生態を知る為に。そして売る目的の素材と、調合に使える素材を目利きする力。その全ての知識を身に付けるには、やはり現物を見て回った方が一番早いのだ。

 そしてニコラは一度回った土地を二度、三度と戻るつもりはない。
 ただでさえ広範囲に渡って、見聞を広める為の旅に出ているのだ。何度も同じ地域を行ったり来たりしていたら、一生かかっても全て見て回ることなど不可能。
 ニコラもまた、それだけの時間はないという。
 よってルーシー達は五年をかけてようやく、もう目と鼻の先にミリオンクラウズ公国がある場所まで辿り着くことが出来たというわけだ。

 ***

 穏やかな田舎町、といったところだろう。
 町と呼べるほど栄えてなければ、村と呼ぶほど寂れてもいない。
 ほど良く家々が立ち並び、ほど良く店や宿などがある。
 人々の往来も少ない方ではあるが、閑散としているわけでもない。
 静かに、不便なく住むにはきっと打ってつけの田舎町だと言える。

 ルーシー達はまず、道中で狩った魔物から獲れた素材と売れそうな植物などを換金する為に、道具屋へ立ち寄った。
 少し大きな町ならば、別々の問屋へ持って行かなければならない。
 採集した植物などは一般的な道具屋へ。
 魔物などから採取した牙や角、毛皮などは冒険者ギルドと提携している解体屋へ、直接持って行かなければいけない。
 解体すらしていない魔物自体を持って行けば、なおさら解体屋でしか換金してもらえないのが一般常識だ。
 ニコラは過去に長い一人旅をしていたこともあり、小型の魔物の解体技術は習得していたので、解体費用を支払う必要がなかった。
 そもそもマンチェスに冒険者ギルド支部はなさそうだ。冒険者ギルドはある程度栄えてる町レベルか、近くに魔物が多く棲息しているか。魔窟があるかどうか、そういった基準で設けられる。
 マンチェスは比較的平和な町で、周囲にそういった物騒なものは確認出来ないということで、ギルドが設けられることはなかったようだ。

「大きめの魔物を狩らなくて正解でしたね、お師様」
「そうだね、解体屋がいなけりゃ売ることも出来ない。魔物の死体を運び続けるのは、さすがに骨が折れるからね」

 魔物の死体と旅をするのは気持ちが悪い、とか。
 気分的に良くない、という理由にはならないところがニコラのすごいところだった。
 あくまでニコラの魔法で魔物を氷漬けにして腐らないようにして、それを荷台に乗せて運ぶ。
 氷漬けとなって通常より重くなった魔物の死体を、ロバに延々引かせることに「骨が折れる」という発言になるのが、実にニコラらしいとルーシーは心の中で思う。

「売れるものはここである程度売って、ミリオンクラウズ公国に着くまでの道のり分だけ食料を買い足そう」
「それだと二日分だけになりますが、それでいいんですか? 結構な額で売れるから、それなりに買い足そうと思えば買い足せますけど」

 いつもなら必要分より少し多めに買って、備えとして荷台に乗せていたはずだ。
 ニコラは常々、備えは大事だと口にしていた。
 普段と違う言葉にルーシーが困ったような形で眉を下げていると、ニコラは「ふふん」と笑みを浮かべて説明する。

「どうせあと二日にはミリオンクラウズだ。ここから目的地まで、全く平和な道のりになるのは私が保証するよ」

 そう言って、ミリオンクラウズ公国のある方角へ指をさしたニコラは淡々と、しかし得意気に話した。

「この辺りはすでにミリオンクラウズ公国が治める領地だ。そしてこの国は、多くの魔女を懐柔している。これがどういう意味かわかるかい?」

 目を瞬かせて考え込んでいる内に、ニコラが答えを言ってしまう。
 ニコラは意外にせっかちな部分がある。
 これもこの五年の旅の中で知ったことだ。

「魔女に周囲を警戒させてるのさ。いわば自警団みたいなもんだね。危険な人間、魔物が出れば魔女が対応する。そうやってこの周辺の治安は守られているんだよ」

 魔女にとって住みやすい国とされているミリオンクラウズ公国。
 その国の公王陛下から寵愛を受けている聡慧の魔女ライザと初めて会った時、ライザは自らルーシーとニコラにティーセットを用意してお茶を淹れてくれた。
 その時のセリフを、ルーシーは思い出す。

『私は今でも、陛下にお茶を淹れて差し上げているのですよ。慣れるのは当然というものです』

 ライザはミリオンクラウズ専属の宮廷魔術士として働いている上に、公王に対して慣れるほどお茶を淹れていると。
 つまり魔女にとって優しい国とはいえ、決して魔女達に対して無条件に贅沢三昧させているわけではない、ということだ。
 ライザほどの魔女ですら労働している。
 そういった意味では、確かに魔女に対して平等な価値観を持っていると言えるだろう。
 そんな魔女達が、自分達が住んでいる国を守る為に警戒にあたっているのだ。

「だからミリオンクラウズまで、何事もなく進むことが出来る。そして公国に到着した後は、ライザからもてなされるだろうね」
「まさかそこで奢ってもらう目的、とかじゃないですよね? お師様はそんな意地汚い魔女だったんですか?」

 つい、疑ってしまう。
 歯噛みするように苦い顔をしながら、そこはきっぱり否定するニコラ。

「お前も言うようになったね。そりゃ十二になれば、口も達者になるか」
「ありがとうございます」
「ミリオンクラウズには多くの魔女も住んでいる。そこなら色んなものが軒を連ねて売られている。何か買うなら、そこでまとめ買いした方が絶対にお得ってことさ」

 なるほど、と合点がいく。
 確かに商品の種類が少なそうなこの町より、あと二日もあれば到着するミリオンクラウズで物資を揃えた方が一石二鳥だろう。
 あくまでここでは荷物を少なくする為に、あえてここで売り捌くということなのだ。でも、とルーシーは思う。
 いくら手荷物を少なくする為とはいえ、これだけの規模の町で自分達にお金を落とさせることに少し気が引けた。
 決して裕福に見えない町柄、特にここで購入することもなく、売るだけとなると町にとってマイナスになったりしないだろうかと。
 しかしそれはルーシーの杞憂に過ぎなかった。
 道具屋で手持ちの荷物を売りに見せたところ、想像以上に大歓迎されたのだ。

「いやはや、これはありがたい! この野草はここらでは手に入らない貴重なもの! この魔物の牙なんかは本当にありがたい!」

 ものすごく喜ばれた。
 むしろもっと無いのかと、催促までされた。

「これだけあればこの町の装飾品店で、良い物が作れるって喜ばれるよ。もっといい値で売れるだろうさ。何気にこの町は、宝石だけじゃなく魔物の素材で作られたお守りや装飾品なんかで儲かってる」
「大体の冒険者はここを通り過ぎて、ミリオンクラウズで売り捌こうとするんだろ? 実際はここの職人の方が良い物を作ってくれるそうじゃないか」
「良く知ってるね。あそこは魔女さんの手で、確かにご利益のある物が作られているだろうが。そんな魔女さんさえ、ウチの彫金師に弟子入りするくらいなんだよ」

 道具屋の主人とニコラの会話を聞いて、ここで売る理由がわかった。アクセサリーを作る為の素材をここで売れば、それを元にアクセサリーを作って更にいい値段で売ることが出来る。
 ちゃんとこの町にも利益があったのだ。

「そんな物知りの魔女さんに、一つ頼みがあるんだけど聞いてくれるかな?」
「なんだい? こっちはそんなにゆっくりとした旅をしているわけじゃないんだ。面倒事なら断るからね」

 これまでも結構ゆっくり、のんびりと旅をしていたような……と思ったが、それはルーシーの心の中にしまっておくことにした。

「実はね、この町の少し小高い丘に住んでるマルチナさん家のおばあちゃんのことなんだけどね」

 ***

 結局ニコラは、道具屋の依頼を引き受けた。
 この依頼を達成してくれたら、売値に色を付けるとサービスされたからだ。もちろん依頼料とは別で。
 これまでお金関連で動いたことはしばしばあったが、今回この依頼を引き受けたのは路銀の為ではない。

「罪悪感、ね」
「……」

 ルーシー達はひとまず、依頼主であるマルチナに話を聞くことにした。彼女は先ほど話にあった装飾品店の彫金師。金、銀、銅などの金属を溶かし、加工して、アクセサリーなどを作る技術者だ。
 他にも金属の特徴を生かして、食器類、家具などの装飾金具を制作してする仕事もしているらしい。
 装飾品店まで足を運ぶと、亜麻色の髪を左右におさげした女性が姿を現す。

「いらっしゃいませ、何かお探しでしょうか? それとも制作依頼でしょうか?」
「すまないね、客じゃないよ」
「……あぁ、それじゃあ私が出した依頼の件、でしょうか」

 奥へどうぞと招かれ、ルーシー達は中へ入って行った。
 お店から一般家庭のリビングに一変。恐らくこの部屋は、アクセサリーや装飾金具などの依頼を受ける為のカウンセリング室といったところだ。
 ここで使用する金属、デザイン、金額の相談をしているのだろう。
 周囲の壁や棚の上には、様々な加工が施された金属で出来た装飾品がいくつも飾られている。
 本棚には金属の性質に関するものや、デザインの参考になるような資料がびっしりと並べられていた。
 リビングテーブルへ進み、椅子に腰掛け、周囲の装飾品を眺めている間にマルチナがお茶とお茶菓子を持って再び現れる。
 お礼を言ってティーカップに手を伸ばすと、マルチナはルーシーに向かって優しく微笑みかけた。
 その笑顔を見た瞬間、ルーシーは何とも言えない懐かしさを覚える。思わず、お茶を飲みそびれてしまった。

「相談というのは、祖母のことなんです……」

 マルチナには、今年六十歳になる祖母がいるそうだ。
 祖母は元々この町の出身で、貧しさが原因で遠方にある貴族の屋敷に出稼ぎに出た。
 三十七歳の出稼ぎ、その頃にはマルチナの母親は十五歳。母親は、この装飾品店で職人としてではなく、店員として働いていたそうだ。
 夫と一人娘を置いて出稼ぎに行くことは相当辛かったそうだが、破格の収入であった為に祖母は泣く泣く出稼ぎに行ったという。
 その間にマルチナの母親は当時、装飾品店の彫金師として働いていたマルチナの父親と数年後に結婚し、マルチナを授かる。
 祖母が出稼ぎから帰って来たのはおよそ十八年後、マルチナの母親は三十三歳となり、孫であるマルチナが十五歳の頃だった。

「祖母の心は、壊れていました……」

 出稼ぎ先で、精神的によほど酷い目に遭って来たのだろう。
 マルチナは知らないが、当時の祖母はふっくらとした恰幅の良い体型であったのに、帰った時には旅の疲れもあったのか……ガリガリに痩せ細っていたのだという。
 約二十年振りに会う娘に、孫に会ってもその微笑みはどこかぎこちなかった。
 家族の生活の為に出稼ぎに行った祖母を責めるに責められない母親は、これ以上心に負担を与えるわけにいかないと、見晴らしの良い丘の上に家を建てた。
 そこで祖母は静養するように暮らしていたのだが、五年前に容体が急変してしまって現在ではほぼ寝たきりの状態だという。

 マルチナは、棚の引き出しに入れてあった新聞紙と封書のような物を二通取り出し、まずは新聞紙をテーブルの上に広げた。
 その新聞紙の一面を見て、ルーシーは愕然とする。
 ニコラもまた、表情が少し固くなった様子だ。

『遠雷の魔女、魔女狩りにより再建の町クローバーにて火刑に処される』

 そう、ルーシー達は手にする気にもなれなかったが。
 遠雷の魔女システィーナの処刑は、新聞記事となり全国に出回っていたのだ。
 マルチナは悲しそうに目を伏せながら、この新聞紙を見てから祖母の様子が明らかにおかしくなったことを話す。

「出稼ぎ先の出来事を、この記事を見て何か思い出したんでしょう。どう関連があるのか私には分かりませんが、もしかしたら祖母はこの記事にある魔女と……何か関係でもあるのかと」

 しかしそんなはずはないと、マルチナ自身が否定した。
 この記事が出回ったのは五年前、その頃にはすでに祖母はマンチェスの丘の上にある家で、家族と共に静かに暮らしていたはず。
 もちろん五年以上前からこの魔女が、祖母に会いに来たことなど一度もない。祖母からも、そういった話は一切聞いていない。

「だったら、他の魔女さんと何か深い関わりがあったのかと思って。祖母が出稼ぎに行っていたお屋敷に、思い切って手紙を送ってみたんです。もちろん祖母の心の傷に障ったらいけないので、本人には内緒で」

 そうしてマルチナは、新聞紙と一緒に取り出した封書をテーブルに置く。それは手紙だった。
 ニコラはマルチナに許可をもらい、その手紙を手にして宛先を見る。怪訝に思ったニコラの反応に、マルチナはすかさず答えた。

「届かなかったんです、お相手の所までは。住所不定として、私の元に返ってきました」
「つまり、その貴族の屋敷は……今はもうないと?」
「手詰まりとなりました。それ以上の情報を私は持ち合わせていないので。出来れば突き止めたいところですが、でも……どうせなら祖母にはこのまま波風立てず、静かに余生を過ごしてもらえたらと」

 祖母の寿命は、もうすぐそこまで来ているという。
 あくまで医者の診断だが、少なくとももう長くはないそうだ。
 祖母の心を蝕む原因がわからない以上、これ以上心を乱すことなく、安らかに逝けるよう支援したいというのがマルチナの希望のようだった。

「それで? 私達にどうしろと?」
「以前、と言っても……これは祖母がまだ出稼ぎに行ってて、母に向けて手紙を受け取ったことがあったんです。それが、これになります」

 もう一通の手紙を差し出し、宛先を確認する。
 差出人の住所は、さっきの手紙にあった宛先と同じ住所だった。

「ロマニ、というのは?」
「それは母の名前です」

 あくまでこれは母親の私物ということで、中身を取り出すことをマルチナは避けた。しかし内容が確認出来なければ、もしかしたら何かしらの手がかりを掴めなくなると思い、マルチナが差し障りない程度に内容を話して聞かせる。

「どうやら祖母は、貴族の家に生まれた魔女のお世話を頼まれたそうなんです。ですから破格の収入だったのだと思います。住所から推測したのですが、そこは今でも魔女に対する偏見の強い土地柄でしたので」

 マルチナが淡々と説明していく中、ルーシーの胸はドクンドクンと早鐘を打つようだった。
 肩に力が入ったような緊張した姿勢となり、手の汗がどんどん滲み出てくる。

「祖母自身、手酷い仕打ちを受けたとは書かれていなかったのですが。とにかく、その家に生まれた魔女の……子供への虐待が酷いと。助けられない自分の不甲斐無さに、何度も逃げ出したいと考えつつ、そうすると子供を守る人間が、味方がいなくなると思って……。祖母は逃げるに逃げられなかったと」
「まぁ、どの地域でもそういうもんさ。魔女ってのは遺伝じゃない。突然変異みたいなもんだからね。魔女の特性を持っていれば、一般人の家にひょっこり誕生してしまう、なんて珍しくない」

 ルーシーは、ただ一点を見つめる。
 やがて全身から汗が噴き出してくるのを感じて、ぞくっと寒気までしてきた。
 身震いするルーシーに、ニコラが声をかける。

「どうしたんだい、さっきから。随分と顔色が悪いじゃないか」
「大丈夫? 温かいお茶を淹れ直しましょうか?」
「い、いいえ。大丈夫、です……。続けてください」

 二人が心配している。気丈に振る舞わなければ。
 そう思うけれど、ルーシーは気になって仕方がなかった。
 が、どうしても。

「祖母と会話をしていく内に、どうやら祖母は少し……その……ボケが入ってしまってるようで。会話の内容が、どうやら祖母が出稼ぎに行ってる時の記憶が元になってるみたいでして」

 それからマルチナはルーシーの方へ向き直ると、頭を下げてお願いをした。突然のことで驚いたルーシーは目を丸くする。

「そちらのお嬢さんにお願いがあります!」
「私、ですか? え、どうして……?」
「祖母の話し相手になって欲しいんです。この町ではどうしても、お嬢さんと同じ位の子供がいなくて。魔女さんならなおさらというか」

 祖母は出稼ぎ先の魔女の子供と、会話をしたがっている。
 話す内容は、その子の安否ばかり。
 お腹が空いていないか。みんなからいじめられていないか。一人寂しく泣いていないか。
 そのことばかりを気にかけているのだと、マルチナは話す。

「罪悪感からなんでしょう。祖母はしきりにその子の名前を口にしては、泣いて謝っているんです。……ごめんね、ルーシーお嬢様、と」

 その言葉を聞いて、ルーシーは確信した。
 同時に、思い出が走馬灯のように駆け巡る。
 胸が熱くなり、こぼれそうになる涙を必死で堪えながら、ルーシーは後先考えずにマルチナの、祖母の名前を口にした。

「ロマーシカ……?」
「えっ? 祖母を知ってるんですか!?」

 口にして後悔したが、今はそんなことどうでも良かった。
 ルーシーはなりふり構わず、身を乗り出すようにしてマルチナに懇願する。

「あの……、そのルーシーお嬢様という魔女の役を引き受けますので。おばあさんのところへ今すぐ案内してもらえませんか!?」

 ***

 丘の上には心安らげそうな環境が整えられていた。
 木の温もりのある可愛らしい家、庭には色とりどりの花壇、季節によっては葉に色を付ける大きな木、そして腰の高さくらいあるウッドフェンスの向こう側にはマンチェスの町。そして遠くにはミリオンクラウズがあるであろう、王城の尖塔がわずかに見えた。
 家のウッドデッキは日当たりが良く、ロッキングチェアがゆらゆら揺れながら編み物をしている老婆がーー。

 確かにあの頃より、ずっと痩せた。
 ふくよかで、包容力があって、ルーシーの悲しみも寂しさも何もかも包み込んでくれた優しい表情。
 
 すっかりしわくちゃになって、眠たそうに閉じたまぶたの隙間からルーシーを見つける。
 顔は全く違うけれど、同じ特徴に老婆の両目は大きく見開かれた。
 驚くようにまん丸になった両目、上げかけた腰、編み物を中断して落としかけるも、またしっかり編み棒を持ってゆっくりと腰かける。
 ゆらゆら、前後に椅子を揺らしながらいつもの変わらぬ日常のように声をかけた。

「あらあら、今日も元気でよろしいことです。ルーシーお嬢様」

 そう言って再び編み物を編み始めたので、ルーシーは怪訝に思いながら後から追いついたマルチナの言葉を待つ。
 そのさらに後にはニコラがゆっくりとついて来ていた。

「祖母はいつもああやって、あの日を過ごしているようなのです」
「あの日?」

 ニコラが問う。
 恐らくこの中で、最も話の内容について行けてないのはニコラかもしれないと、ルーシーは密かに思った。
 しかし今のルーシーは、ニコラに疑問に思われても、それを言い繕う術を持ち合わせていない。
 ニコラに不審に思われるより、目の前のロマーシカに再会出来たことこそルーシーには重要だった。

「祖母は出稼ぎ先で、えっと確か……イーズデイル家、だったでしょうか。その屋敷で生まれたルーシーという名のお嬢様、乳母をしていたんです」

 祖母ロマーシカは、イーズデイルから「魔女の乳母」として雇われていた。
 魔女の特徴を持った赤ん坊の世話をし、育ててきた。実の親より長い時間を、ロマーシカはルーシーと過ごしてきたのだ。
 大きくなるにつれ、魔女として蔑まされてきたルーシーへの圧力は強くなり、赤ん坊の頃から育ててきたロマーシカにとっては自分の心を抉られるほどに辛い経験だったと、マルチナは聞いている。

「やがてその子の教育係という任が解かれ、マンチェスに帰ってくるものだと思いましたが。それは母のぬか喜びに終わりました」

 なおも激しく虐待されるルーシーのことが放っておけず、しかし手出しすればすぐさま解雇されるという状況の中。
 ロマーシカは助けてやれない罪悪感から、ただ遠くから見守ることしか出来なかった。
 何年も、何年も、無力な自分に打ちひしがれ、そして迎えた運命のあの日。

「イーズデイル家の次女の結婚式が間近となった時、詳しくは私も聞いていないのですが……。ルーシーお嬢様の処刑が行われ、母は失意の中で心が壊れ、その直後に辞職してマンチェスに帰ってきたのです」

 マンチェスに戻った時には、自分の娘は結婚して子供も出来て。
 自分の知らない間に幸せな家庭を築いていたことを知り、喜んでくれるのかと思いきや……。
 ロマーシカが思ったことは、ただただルーシーの不憫さを痛感するのみだった。

「魔女というだけで、生まれた地域が悪かっただけで、こんなにも人の幸不幸に差がつくものなのかと。母は自分の幸せを素直に喜んでくれなかった祖母を、当時は恨んでいたそうです。そりゃそうですよね。長い間帰ってくることなく、母は母なりに生活を支えていたというのに。やっと帰ってきた祖母が、自分に新しい家族が出来ていることを喜んでくれなかったんですから」

 罪悪感で苦しまなければいけないのは、自分の方だと……ルーシーは痛感した。
 自分を守ってくれている間に、ロマーシカは自分の家族を犠牲にしていたのだから。
 知らなかったとはいえ、ルーシーは無意識に別の家族を不幸にしていた。今さらそんなことを悔いても仕方がないと、わかってはいる。
 だけどマルチナが言いたいこともわかった。

 ルーシーはウッドデッキに行ってもいいかマルチナに訊ね、許可を得てからウッドデッキの階段を上ってロマーシカの側に歩み寄る。

「何を作っているの、ロマーシカ?」
「もうすぐ冬でしょう? ルーシーお嬢様が風邪を引かないよう、手袋を編んでいるんですよ」

 そう言って淡いピンク色の糸で編んだ、完成間際の手袋を目の前まで持ち上げ見せてくれた。
 手袋の大きさは、とても小さい。恐らくルーシーがまだロマーシカ達に、色々な仕事を教えてもらっている頃のものだろう。
 ロマーシカの心は、あの頃のまま……止まってしまったんだろうか。
 するとロマーシカはふと編む手を止めて、しわしわの震える手でルーシーの髪に触れた。さらりと手のひらの上で髪が落ちて行くのを、懐かしそうに眺める。

「綺麗な銀髪ですよ、本当に」
「ありがとう、ロマーシカ」
「本当に綺麗なのよ、この髪は。初めて目にした時は驚いてしまったけれど、本当に綺麗だと思ったの。本当ですよ、ルーシーお嬢様」

 それから両手を膝の上に置いて、ロマーシカはゆっくりと沈んでいく夕陽を眺めながら、ぽつりぽつりと話し始める。

「魔女のお世話をしたことはなかったけれど、娘を育てていた時と何も変わらなかったわ。本当に普通の赤ちゃんだった」

 休み休み、ロマーシカは話し続ける。

「ご両親に愛されないなら、私達が愛してあげようって思ったわ。でも雇われの身だった私達は……、あの子を守ることが出来なかった。ずるいの、私は。その気になればあの子を連れて、屋敷を出て行くことさえ出来たはずなのに……。怖くて出来なかったのよ」

 そんなことはない。
 私はロマーシカ達の存在に、どれだけ救われたことか。

「教育係の任を解かれても、あの子のことが気がかりで……帰ることすら出来なかった。私は自分の娘すら見捨ててしまったの」

 ごめんなさい。
 何も知らなくて、ごめんなさい。
 私がもっと強ければ、ロマーシカは自分の家に帰れたはずなのに。 

「あの子は自分の運命を受け入れて、従順に従って、逆らう意思すら奪われていた。私もそれに加担していた。あの子に顔向け出来なくなってしまったの……」

 ロマーシカが、ルーシーの頬に触れてーー見つめる。
 銀色の髪を、赤い瞳を。
 顔は似ても似つかないが、特徴だけは同じ少女の顔を。

「ごめんなさい、ルーシーお嬢様……。あなたを助けられなくて、救い出してあげられなくて。弱いロマーシカを、許しておくれ……」

 ルーシーは頬にあるしわくちゃの手を両手で包み込み、愛しそうに頬に押しつけた。
 温かいロマーシカの手、懐かしい……優しかった手を握り返す。

「ごめんなさいを言うのは、私の方です。私は……あなたにたくさんの愛情をもらいました。たくさんの優しさを、孤独を埋めてもらいました……。心から、感謝しているのです……。ありがとう、ロマーシカ。私のことをずっと、気にかけてくれて……」
「あぁ……、ルーシーお嬢様……。もったいないお言葉です……。うぅ……っ、ロマーシカは……っ、私は……っ」

 大粒の涙を互いに流し、それからロマーシカはゆっくりとロッキングチェアに体を預け、体重をかけた。
 ゆら、と後ろに倒れる椅子は、彼女の重みでそのまま後ろに倒れたままだ。
 今度はルーシーが、真っ白い柔らかい両手でロマーシカの頬に触れる。しわしわになった顔だが、覚えている。
 辛いことがあって泣いて帰った時、ロマーシカがその優しい笑顔でいつでも励ましてくれたことを。
 両手で幼いルーシーの頬に触れながら「大丈夫、明日にはきっと良いことが」と言って、こぼれる涙を指で拭ってくれたことを。

「大丈夫……」

 ルーシーはロマーシカの頬を両手で包んで、こぼれる涙を指で拭いながら、震える声でーーあの時の魔法の言葉を口にする。

「明日にはきっと、良いことが……」

 にっこり笑った時、ルーシーの両目からたくさんの涙がこぼれ落ちた。
 ロマーシカ、大好きなロマーシカ。
 いつも私を見てくれた。
 いつでも私の味方をしてくれた。
 とても優しい、大好きなロマーシカ。

「あぁ……、やっぱりあなたは……私の知る、ルーシーお嬢様……なんですね……」

 幸せそうに笑顔になったロマーシカは、そっと……小声で呟いた。
 きっとニコラ達の方にまでは聞こえていない。
 そう思ってルーシーは、こくんと小さく頷く。

「ロマーシカが苦しむ必要なんてないの。私はロマーシカのおかげで、今とても幸せだから……安心して。私はロマーシカのこと、ちっとも恨んでなんかいないってこと……」
「あぁ……、ルーシーお嬢様……。よかった……、いつも泣いていたお嬢様が、幸せでいてくれて……。ロマーシカも、心……から……嬉しいですよ……」

 そう囁いて、ロマーシカはそっと目を閉じた。
 頭がこくりと……全身から力が抜けるように、身動きすることなく、眠るように。
 その様子を見たルーシーは幼い子供のように、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。嗚咽を漏らし、静かに息を引き取ったロマーシカの膝に伏せって、まるで小さな子供が母親に縋るように泣きじゃくる。
 マルチナは慌てて駆け寄り、祖母が亡くなったことを確認すると、すぐさま工房で働いている両親を連れて来ると言って駆け出してしまった。
 ニコラはそれを見送り、ルーシーの元へ歩み寄る。
 恐らくニコラの前でこれほど号泣するのは、初めてだったのだろう。どうすることも出来なかった。
 泣き崩れる少女に、何と声をかけたら良いのかわからないまま、ニコラはルーシーが泣き止むまでずっと側で見守り続けた。

 ***

 少しばかり立ち寄るつもりが、ルーシー達はマルチナのたっての希望により葬儀に参列することとなる。
 最初こそニコラは断るつもりでいたが、ルーシーの様子を察し、はっきり断ることが出来なかったのだ。
 町の住民はそれほど多くないからか、葬儀には住民のほぼ全員が参列していた。それだけマルチナの装飾店が人気であること、マルチナ一家が人望ある人柄だったからである。
 静かに、しめやかに葬儀は行われ、最後にロマーシカは火葬された。この地域では、遺体は葬儀の後に火葬されるのが通例となっている。大半の地域では土葬となっているので、よそ者が葬儀の一部始終を見て嫌悪する光景も珍しくない。
 ルーシーは葬儀に参列したことがなければ、火葬や土葬といった価値観の違いにも触れたことがなかった。
 心当たりといえば、自らが火に焼かれ死んでいったことだけ。
 そう考えるとあまり良い気持ちにはなれなかった。
 しかし自分の時とは違う。
 ロマーシカは家族に、町の住民に見守られながらその身を焼かれ天へと召されていく。
 生きたまま、苦しんで焼かれることとは大違いだ。
 そんな風に少し見方を変えるだけで、まるでロマーシカは精霊が織りなす聖なる炎で、その身が浄化されて行くようにも見える。

「さようなら……、ロマーシカ……」

 火葬場の煙突から天へと昇っていく煙を見つめながら、ルーシーはロマーシカに別れを告げる。
 そんなルーシーを隣で目にしていたニコラは、とうとう最後まで……何も訊ねることはなかった。
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