少女と相棒と誓いの言葉
〇開拓中継基地 格納庫
無数の人戦機が立ち並ぶ中継基地の格納庫。既に夜に差し掛かっており、昼間の喧騒とはまるで異なる静寂があたりを包む。
損傷を負ったアオイとソウの機体が、クレーンに吊られながら立っていた。かたわらで呆然と立ち尽くするアオイ。きめ細やかな頬には血の気が無い。
任務続行が難しいと判断され、最低限の成果のみしか上げる事が出来なかった。再出撃も難しいほどに損傷はひどく、失地挽回もままならない。当然、手当も最低限しかない。
それは、社会的破滅を意味していた。
「ダメだ……。もうおカネを返す当てがない……。もう二度と――」
佇(たたず)む背後から、冷淡な声。
「アオイ。どうした?」
「ソウ……」
ソウの顔も見ず答える。ソウの平静さが無性に痛く、腹立たしい。
(平気そう……。って当たり前か。ソウに困る事なんて……。ボクとは違って。どうしてそんなに……)
持っている物が違う。その理不尽さが、普段の自分を壊していく。
「アオイ。何があった? どうして答えない?」
「……ごめん。いまはちょっと無理」
振り向かずに答えた。顔を見たら、何を口走るか分からない。
「だが、オレたちはチームメイトだ」
確かにチームメイトではある。逆に言えば、それだけだ。
「職場が一緒ってだけでしょ。お互い何も知らないし」
熱くて暗いうねりが、声へにじみ出てしまった。
「カネと聞こえたが、それで悩んでいるのか?」
だが、ソウは意に介さない。それがソウだと、頭では分かっている。
任務前の会話を思い出す。カネの話になった時のソウのつまらなそうな顔が、真っ先に浮かぶ。
(ソウはおカネのことで悩んだことなんてないんだろうな)
すぐ隣にいる同僚の境遇の差が、身を震わせるほどの寒さを錯覚させた。
同じ失敗をしても、ソウに問題は無く、自分は一生のかかった問題まで追い詰められている。もちろん、ソウは悪くない。
(分かっている。分からなきゃダメなんだけど……!)
でも、心が追いつかない。
湧き出てはいけない熱い物を押し込めようとしている時に、割り込むソウの声。
「早急な答えを」
思わずソウの方を振り返り、声を荒げた。
「そうだよ! おカネが返せないんだよ! これ以上、スコアが落ちたら、まともに働くことだって――」
「ならば、オレが代わりに返そう」
「……どうして? そもそも、この金額が返せるの?」
ここまですれば分かるだろう。そう思いながら、先ほどまで見ていた通知をかざす。フソウの子供たちにとっては、大金と言える額が載っていた。
「ワタシたちの歳でこんなおカネ、返せないでしょ? これ以外にも――」
「返せる。大したことはない」
「大したこと……ない? これが?」
そっけない返事に身体中の力が抜けていく。
前を向いていられないほど頭が重い。力なくうつむくしかなかった。
(どうして、こんなに違うんだろう……。同じ国で、同じような歳なのに)
床を眺めていると、予想しなかった感情が込み上げてきた。可笑しさだ。
「ふ……。ふふ……。ふふふ……」
どこか他人のような嗤い声。それは紛れもなく自分の口から飛び出していた。
「どうした? アオイ。なぜ――」
「そうか。ソウにとってはちっぽけなおカネか」
「端的に言えばな」
「ソウからしたらちっぽけだよね。おカネに悩んでいるボクだって」
込み上げる可笑しさの正体も分からなかった。まるで自分が壊れたようだった。
「アオイ?」
顔を覗き込もうとするソウを、制止するように、睨め上げる。目尻から頬を流れる熱い感触。
出た声は震えていた。
「ボクを……。ボクを憐れんでいる?」
「そうでは――」
だがソウの言葉を遮って、行き場のない暗さがいつもの自分と言う薄皮を突き破った。
「確かにソウに比べれば、ボクはドンくさくて! へたくそだよ!」
どうして、自分を嗤わないといけないのか。嗤っているのに涙が出るのか。もう訳が分からなかった。
「ボクなりに頑張ってきたんだよ!? どれだけ、どうでもよく扱われても!」
頼れる人は居なくなった。だからそれしか方法がなかった。
「大して親しくもない人から、理由もなくおカネを恵まれるなんて! そんなこと――」
「アオイ」
「放し――」
落ち着かせようと手を伸ばしてきたソウの手を払おうとする。しかし、勢いのあまり、一人で転んでしまった。
その様子を、もう一人の自分が蔑んだ目で見降ろしていた。そして、酷薄にたしなめる。
――ソウのおカネはソウもの。どう使おうとキミには関係ない
――無能なキミらしく、愛想笑いを浮かべて受け取ればいいのに
幼い八つ当たりを、鏡写しの自分が冷笑していた。
自分を嗤い、憐れみ、冷笑する。床に手を付き項垂れた。もはや立ち上がる気力もない。
「うぅ。うぅぅ!」
格納庫に嗚咽が響く。それでもかまわず、貯めていた全てを声と涙にした。
熱くて冷たい濁流が尽きた頃、聞こえてきたのはいつもの平静なソウの声。
「どうして、そこまで借金が? 何に使っている?」
「……ソウ。本当に空気を読まないんだね」
「不得手だからな。それで理由は?」
「断っても聞いてくるだろうし……。言うよ」
もはやこれ以上の醜態は無い。腹を括って、ゆっくりと立ち上がる。ため息を付き、噛み締めるように言葉を続ける。
「お姉ちゃんを探しているんだ」
ウラシェで待っているはずの姉がいない。混乱と孤独と不安の日々を思い出す。
「警察にお願いしたけど、まともに探してくれない。探してくれる所にお願いするために、生活費もギリギリまで削って……。その時、前の前の仕事をクビになっておカネを借りてから、段々と返せなくなって……」
「そうか」
「たった一人の家族だったのに……。先にウラシェで頑張るって言って、ボクの二つ前の渡航船に乗ったきり連絡が取れなくなって……」
脳裏には、自分と瓜二つな姉の面影が浮かんでいた。目の前には不思議そうに見るソウ。無理解に腹が立ったが、それがソウだと諦めてため息をつく。
「きっと、ソウには分からないよ……」
「ああ」
「やっぱりか。そんな気が――」
「オレには家族がいないからな」
「……え?」
予想しなかった回答に、今までの嫉妬が霧散する。
「オレが働く理由を言っていなかったな」
「う、うん」
ソウは目線を落とし、一瞬の躊躇を見せた。しばらくの沈黙があたりを包む。
やがて、ソウは意を決したように、顔を上げた。
「オレはある研究所で被検体として育てられた」
「研究所? ひ、被検体?」
次々と出る予想外の単語に、理解が追いつかない。だが、ソウはお構いなしに話を続ける。
「そうだ。イナビシの研究所。気づいたらそこにいた」
「気づいたら? どういうこと?」
「貧困国フソウには浮浪児も多い。彼らが人体実験の対価として多額の治験費を得るケースもよくある。恐らくはそういった事例だろうと、トモエさんは言っていた」
淡々とした口調と内容の差に、理解が追いつかない。
「そして、被検体になる以前の記憶はない」
無言でソウの説明を飲み込むしかなかった。
「その後、トモエさんが引き取ってくれてオレはここにいる」
「トモエさんが……。でも、トモエさんなら」
長いとは言えない付き合いだが、今まで出会った誰よりもトモエは誠実だと言う確信があった。
「オレはトモエさんに恩を返したい。そのためにアオイが必要だ」
名前を呼ばれ、我に返る。
「ボクが? どうして?」
「サクラダ警備には社員が必要だ。ウラシェでは事故や遭難の危険が極めて高いため、二機以上での行動が基本だからな。厳しい経営の中、任務はギリギリまで控えてきた。オレたちが出会ったあの日が唯一の例外だ」
安全第一のトモエならばきっとそうするだろうと、容易に想像できた。
「それだけではない。研究所は事故で無くなってしまい、記録は全てロストした。だから、この名前もオリジナルのものかわからない」
つまり、ソウには何もない。自分以上に何もない。家族も過去も名前も、何もかも。
「オレは、オレが何者なのか知りたい」
その苦悩は、理解できない。気持ちは分かるなどと言う言葉は、あまりにもおこがましい。
「研究所では人戦機と操縦士の能力向上の研究をしていた。武装警備員として名をあげれば、当時の関係者と再会できる確率は高い。オレには成果が必要だ」
「だから、あんなにこだわって……」
ソウはいつも何かに追われるようだった。今なら、焦りが理解できる。
「アオイに辞められては困る。施しが嫌ならばオレから借りればいい。その代わり、オレと一緒に、武装警備員として一流になってもらう。セゴエ=タイシのように」
「セゴエさん……。あの教科書に載っていた人?」
「武装警備員で知らないものはいない。それほどの存在だ。以上が理由だ。アオイへの憐れみではない」
「嘘だったりしないよね?」
「非効率的なことはしない。さぁ。どうする?」
ソウから手が差し出される。その手を見つめ、力と意志を込めて握り返した。
「やるよ」
顔を上げソウの目を見つめた。今度は視線を逃がさない。
「けど、施しは受けない。文字どおり、ソウへの借りだよ」
「簡単な任務もあれば、困難な任務もある。順調な事もあれば、苦境に立たされる事もある。それでも一緒に戦ってもらうぞ」
「一緒に戦う。誓うよ」
そして、頭を下げる。
「それと、ごめん。勝手に勘違いして、ひどい事を言っちゃって」
「謝罪は不要だ。これからの事に集中するべきだ」
出会っていた頃に戸惑っていたソウの言葉が、いまはとても心地よい。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」
「そうか。そう言えばオレもアオイの事を知らなかったな」
お互いに何も知らないと言い放った先ほどの自分を恥じた。自分の過去も働く理由も何も言わなければ、互いに何も知らないのは当たり前だった。
「確かに、お姉ちゃんの事を――」
だが、ソウが言及したのはその事では無かった。
「アオイは自分のことを、ボクと言うんだな」
「ぅえ?」
先の会話を思い出す。
言った。確かに言っていた。
「……あ!」
顔が見る間に熱くなるのを感じる。なんとか絞り出した声は、自分でも可哀そうだと思うくらい震えていた。
「……その、他の人には内緒だよ?」
「それも貸しだな」
「ぐ……。分かった。そろそろ上がりの時間だから、とりあえず今日は――」
「訓練をするぞ」
「ぅえ?」
意味が分からなかった。既に任務は完了しており、一般的な就業時間は過ぎている。
「え? 残業ってこと?」
「違う。自主訓練だ。人戦機単体でも簡易的なシミュレーションはできる。一緒に一流を目指すのだろう?」
「ボク、今日は疲れていて……。それに給料は?」
「武装警備員の給与体系ならば、当然無給だ」
「う……。それはちょっと――」
言い淀(よど)んでいると、目の前にソウが立つ。
「貸しは?」
ソウの切れ長の三白眼が鋭さを増す。気圧されながら、おずおずと答えた。
「……わかったよ」
「協力感謝する」
そうやって二人は各人の人戦機に乗り込む。人戦機のセットアップをしながら、ため息交じりにぽつりと呟いた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
何気ない呟きは今までどおり誰にも拾われず、静寂に溶けていくと思った時だった。
「聞こえているぞ。承諾したのではなかったのか?」
「え!? しまった!? インカム! ……ごめん。約束どおり頑張るよ」
「そうしてくれ」
ソウが通信を切る。ちょうどその時、アオイのシドウ一式の起動プロセスが完了し、格納庫が映った。
シドウ一式から見下ろす物影にバイザー型視覚デバイスを掛けた長身の女性がいた。踵を返し、格納庫の出口に向かう所だった。
(トモエさん……。もしかして聞いていた?)
物陰で聞き耳を立てるトモエを想像する。
(心配してくれていたのかな……)
出会ってほんの少しだが、トモエならありえると思った。インカムのスイッチを切った事を二回確かめて、再び独り言を零す。
「もう、一人じゃないんだ」
この間までは、誰にも本音を言えなかった事を思い出す。疲労に重い身体だったが、心はそうでもない。その事を意外に思いつつ、二人での訓練が始まった。
無数の人戦機が立ち並ぶ中継基地の格納庫。既に夜に差し掛かっており、昼間の喧騒とはまるで異なる静寂があたりを包む。
損傷を負ったアオイとソウの機体が、クレーンに吊られながら立っていた。かたわらで呆然と立ち尽くするアオイ。きめ細やかな頬には血の気が無い。
任務続行が難しいと判断され、最低限の成果のみしか上げる事が出来なかった。再出撃も難しいほどに損傷はひどく、失地挽回もままならない。当然、手当も最低限しかない。
それは、社会的破滅を意味していた。
「ダメだ……。もうおカネを返す当てがない……。もう二度と――」
佇(たたず)む背後から、冷淡な声。
「アオイ。どうした?」
「ソウ……」
ソウの顔も見ず答える。ソウの平静さが無性に痛く、腹立たしい。
(平気そう……。って当たり前か。ソウに困る事なんて……。ボクとは違って。どうしてそんなに……)
持っている物が違う。その理不尽さが、普段の自分を壊していく。
「アオイ。何があった? どうして答えない?」
「……ごめん。いまはちょっと無理」
振り向かずに答えた。顔を見たら、何を口走るか分からない。
「だが、オレたちはチームメイトだ」
確かにチームメイトではある。逆に言えば、それだけだ。
「職場が一緒ってだけでしょ。お互い何も知らないし」
熱くて暗いうねりが、声へにじみ出てしまった。
「カネと聞こえたが、それで悩んでいるのか?」
だが、ソウは意に介さない。それがソウだと、頭では分かっている。
任務前の会話を思い出す。カネの話になった時のソウのつまらなそうな顔が、真っ先に浮かぶ。
(ソウはおカネのことで悩んだことなんてないんだろうな)
すぐ隣にいる同僚の境遇の差が、身を震わせるほどの寒さを錯覚させた。
同じ失敗をしても、ソウに問題は無く、自分は一生のかかった問題まで追い詰められている。もちろん、ソウは悪くない。
(分かっている。分からなきゃダメなんだけど……!)
でも、心が追いつかない。
湧き出てはいけない熱い物を押し込めようとしている時に、割り込むソウの声。
「早急な答えを」
思わずソウの方を振り返り、声を荒げた。
「そうだよ! おカネが返せないんだよ! これ以上、スコアが落ちたら、まともに働くことだって――」
「ならば、オレが代わりに返そう」
「……どうして? そもそも、この金額が返せるの?」
ここまですれば分かるだろう。そう思いながら、先ほどまで見ていた通知をかざす。フソウの子供たちにとっては、大金と言える額が載っていた。
「ワタシたちの歳でこんなおカネ、返せないでしょ? これ以外にも――」
「返せる。大したことはない」
「大したこと……ない? これが?」
そっけない返事に身体中の力が抜けていく。
前を向いていられないほど頭が重い。力なくうつむくしかなかった。
(どうして、こんなに違うんだろう……。同じ国で、同じような歳なのに)
床を眺めていると、予想しなかった感情が込み上げてきた。可笑しさだ。
「ふ……。ふふ……。ふふふ……」
どこか他人のような嗤い声。それは紛れもなく自分の口から飛び出していた。
「どうした? アオイ。なぜ――」
「そうか。ソウにとってはちっぽけなおカネか」
「端的に言えばな」
「ソウからしたらちっぽけだよね。おカネに悩んでいるボクだって」
込み上げる可笑しさの正体も分からなかった。まるで自分が壊れたようだった。
「アオイ?」
顔を覗き込もうとするソウを、制止するように、睨め上げる。目尻から頬を流れる熱い感触。
出た声は震えていた。
「ボクを……。ボクを憐れんでいる?」
「そうでは――」
だがソウの言葉を遮って、行き場のない暗さがいつもの自分と言う薄皮を突き破った。
「確かにソウに比べれば、ボクはドンくさくて! へたくそだよ!」
どうして、自分を嗤わないといけないのか。嗤っているのに涙が出るのか。もう訳が分からなかった。
「ボクなりに頑張ってきたんだよ!? どれだけ、どうでもよく扱われても!」
頼れる人は居なくなった。だからそれしか方法がなかった。
「大して親しくもない人から、理由もなくおカネを恵まれるなんて! そんなこと――」
「アオイ」
「放し――」
落ち着かせようと手を伸ばしてきたソウの手を払おうとする。しかし、勢いのあまり、一人で転んでしまった。
その様子を、もう一人の自分が蔑んだ目で見降ろしていた。そして、酷薄にたしなめる。
――ソウのおカネはソウもの。どう使おうとキミには関係ない
――無能なキミらしく、愛想笑いを浮かべて受け取ればいいのに
幼い八つ当たりを、鏡写しの自分が冷笑していた。
自分を嗤い、憐れみ、冷笑する。床に手を付き項垂れた。もはや立ち上がる気力もない。
「うぅ。うぅぅ!」
格納庫に嗚咽が響く。それでもかまわず、貯めていた全てを声と涙にした。
熱くて冷たい濁流が尽きた頃、聞こえてきたのはいつもの平静なソウの声。
「どうして、そこまで借金が? 何に使っている?」
「……ソウ。本当に空気を読まないんだね」
「不得手だからな。それで理由は?」
「断っても聞いてくるだろうし……。言うよ」
もはやこれ以上の醜態は無い。腹を括って、ゆっくりと立ち上がる。ため息を付き、噛み締めるように言葉を続ける。
「お姉ちゃんを探しているんだ」
ウラシェで待っているはずの姉がいない。混乱と孤独と不安の日々を思い出す。
「警察にお願いしたけど、まともに探してくれない。探してくれる所にお願いするために、生活費もギリギリまで削って……。その時、前の前の仕事をクビになっておカネを借りてから、段々と返せなくなって……」
「そうか」
「たった一人の家族だったのに……。先にウラシェで頑張るって言って、ボクの二つ前の渡航船に乗ったきり連絡が取れなくなって……」
脳裏には、自分と瓜二つな姉の面影が浮かんでいた。目の前には不思議そうに見るソウ。無理解に腹が立ったが、それがソウだと諦めてため息をつく。
「きっと、ソウには分からないよ……」
「ああ」
「やっぱりか。そんな気が――」
「オレには家族がいないからな」
「……え?」
予想しなかった回答に、今までの嫉妬が霧散する。
「オレが働く理由を言っていなかったな」
「う、うん」
ソウは目線を落とし、一瞬の躊躇を見せた。しばらくの沈黙があたりを包む。
やがて、ソウは意を決したように、顔を上げた。
「オレはある研究所で被検体として育てられた」
「研究所? ひ、被検体?」
次々と出る予想外の単語に、理解が追いつかない。だが、ソウはお構いなしに話を続ける。
「そうだ。イナビシの研究所。気づいたらそこにいた」
「気づいたら? どういうこと?」
「貧困国フソウには浮浪児も多い。彼らが人体実験の対価として多額の治験費を得るケースもよくある。恐らくはそういった事例だろうと、トモエさんは言っていた」
淡々とした口調と内容の差に、理解が追いつかない。
「そして、被検体になる以前の記憶はない」
無言でソウの説明を飲み込むしかなかった。
「その後、トモエさんが引き取ってくれてオレはここにいる」
「トモエさんが……。でも、トモエさんなら」
長いとは言えない付き合いだが、今まで出会った誰よりもトモエは誠実だと言う確信があった。
「オレはトモエさんに恩を返したい。そのためにアオイが必要だ」
名前を呼ばれ、我に返る。
「ボクが? どうして?」
「サクラダ警備には社員が必要だ。ウラシェでは事故や遭難の危険が極めて高いため、二機以上での行動が基本だからな。厳しい経営の中、任務はギリギリまで控えてきた。オレたちが出会ったあの日が唯一の例外だ」
安全第一のトモエならばきっとそうするだろうと、容易に想像できた。
「それだけではない。研究所は事故で無くなってしまい、記録は全てロストした。だから、この名前もオリジナルのものかわからない」
つまり、ソウには何もない。自分以上に何もない。家族も過去も名前も、何もかも。
「オレは、オレが何者なのか知りたい」
その苦悩は、理解できない。気持ちは分かるなどと言う言葉は、あまりにもおこがましい。
「研究所では人戦機と操縦士の能力向上の研究をしていた。武装警備員として名をあげれば、当時の関係者と再会できる確率は高い。オレには成果が必要だ」
「だから、あんなにこだわって……」
ソウはいつも何かに追われるようだった。今なら、焦りが理解できる。
「アオイに辞められては困る。施しが嫌ならばオレから借りればいい。その代わり、オレと一緒に、武装警備員として一流になってもらう。セゴエ=タイシのように」
「セゴエさん……。あの教科書に載っていた人?」
「武装警備員で知らないものはいない。それほどの存在だ。以上が理由だ。アオイへの憐れみではない」
「嘘だったりしないよね?」
「非効率的なことはしない。さぁ。どうする?」
ソウから手が差し出される。その手を見つめ、力と意志を込めて握り返した。
「やるよ」
顔を上げソウの目を見つめた。今度は視線を逃がさない。
「けど、施しは受けない。文字どおり、ソウへの借りだよ」
「簡単な任務もあれば、困難な任務もある。順調な事もあれば、苦境に立たされる事もある。それでも一緒に戦ってもらうぞ」
「一緒に戦う。誓うよ」
そして、頭を下げる。
「それと、ごめん。勝手に勘違いして、ひどい事を言っちゃって」
「謝罪は不要だ。これからの事に集中するべきだ」
出会っていた頃に戸惑っていたソウの言葉が、いまはとても心地よい。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」
「そうか。そう言えばオレもアオイの事を知らなかったな」
お互いに何も知らないと言い放った先ほどの自分を恥じた。自分の過去も働く理由も何も言わなければ、互いに何も知らないのは当たり前だった。
「確かに、お姉ちゃんの事を――」
だが、ソウが言及したのはその事では無かった。
「アオイは自分のことを、ボクと言うんだな」
「ぅえ?」
先の会話を思い出す。
言った。確かに言っていた。
「……あ!」
顔が見る間に熱くなるのを感じる。なんとか絞り出した声は、自分でも可哀そうだと思うくらい震えていた。
「……その、他の人には内緒だよ?」
「それも貸しだな」
「ぐ……。分かった。そろそろ上がりの時間だから、とりあえず今日は――」
「訓練をするぞ」
「ぅえ?」
意味が分からなかった。既に任務は完了しており、一般的な就業時間は過ぎている。
「え? 残業ってこと?」
「違う。自主訓練だ。人戦機単体でも簡易的なシミュレーションはできる。一緒に一流を目指すのだろう?」
「ボク、今日は疲れていて……。それに給料は?」
「武装警備員の給与体系ならば、当然無給だ」
「う……。それはちょっと――」
言い淀(よど)んでいると、目の前にソウが立つ。
「貸しは?」
ソウの切れ長の三白眼が鋭さを増す。気圧されながら、おずおずと答えた。
「……わかったよ」
「協力感謝する」
そうやって二人は各人の人戦機に乗り込む。人戦機のセットアップをしながら、ため息交じりにぽつりと呟いた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
何気ない呟きは今までどおり誰にも拾われず、静寂に溶けていくと思った時だった。
「聞こえているぞ。承諾したのではなかったのか?」
「え!? しまった!? インカム! ……ごめん。約束どおり頑張るよ」
「そうしてくれ」
ソウが通信を切る。ちょうどその時、アオイのシドウ一式の起動プロセスが完了し、格納庫が映った。
シドウ一式から見下ろす物影にバイザー型視覚デバイスを掛けた長身の女性がいた。踵を返し、格納庫の出口に向かう所だった。
(トモエさん……。もしかして聞いていた?)
物陰で聞き耳を立てるトモエを想像する。
(心配してくれていたのかな……)
出会ってほんの少しだが、トモエならありえると思った。インカムのスイッチを切った事を二回確かめて、再び独り言を零す。
「もう、一人じゃないんだ」
この間までは、誰にも本音を言えなかった事を思い出す。疲労に重い身体だったが、心はそうでもない。その事を意外に思いつつ、二人での訓練が始まった。