少女と神業ともう一人の自分
〇黒曜樹海 防衛対象周辺 機体トレーラー
大群に遭遇する前日、アオイとソウは恒例の訓練を行っていた。
機体を係留するトレーラー荷台を直立させて、アオイはそれぞれのコックピットに乗り込む。
簡易シミュレーションモード特有の真っ白な仮想空間に、二機のシドウ一式が佇んでいる。通信ウィンドウにソウの顔が映った。
「アオイ、どの武器について教えればいい?」
「えっと今回持ち込んだ装備の一覧は…っと。うわ、いっぱいある」
モニターに多数の武器が表示された。顧客の安全に対して万全を尽くすトモエの誠意が反映されているとも言える。しかし、全てを使いこなすことはできない。
例えば、軽機関銃のように弾をばら撒く装備なら、アオイでも一定の成果を挙げることができる。
一方で、難しいのが手榴弾だ。シミュレーション上の手榴弾を眺めつつ、溜息をつく。
「これ、使うの難しいよね……。狙ったところに飛んでいかないし、爆発する時間をぴったりにセットするのも難しいし……」
人戦機は投擲も可能だ。しかし、実戦レベルに到達するのは難しい。距離調整、高低差の考慮、風向補正。それぞれに熟練の勘が必要だ。
そのため、グレネードランチャーを使う者も多い。しかし、十分な技量があるならば手榴弾を選ぶメリットは大きい。ランチャー部分の重量を減らしつつ、火力を得られるからだ。
「オレは訓練済みだ」
そして、ソウも十分な技量の持ち主だ。
「どの程度まで狙えるの?」
「平地ならば三百メートルで誤差コンマ数パーセント以内だ」
「本当に!?」
自分とは別格の数値に、思わず噴き出しそうになった。
「実証が必要ならば、やるが」
「べ、別に疑っている訳じゃ」
「それでも一回は手本を見せた方が効率的だろう」
直後、ソウ機の手に手榴弾が出現した。次いで仮想目標が出現すると、ソウ機が大きく振りかぶる。
「いくぞ」
脚、膝、腰、胴、肩から順々に受けとった力によって、矢のように手榴弾が飛んでいく。美しい弧は目標まで続き、接触するや否やで爆発が起こる。後には何も残らなかった。
「うわ……。ほんとにできるんだ……」
ソウは十回程度投擲したが、投げた手榴弾はどれも仮想目標の傍に転がっていた。さらに時限信管を調整して空中で炸裂させるなど神業を次々と披露していた。
「まずはこれくらいから始めるか。アオイも――」
「いや!? 出来ないよ!?」
アオイは引きつりながら、無茶苦茶な技量に呆れかえる。その技量のおかげで、自身の危機を乗り切れるとは知らずに。
〇黒曜樹海 防衛対象周辺
回想を終えたアオイは、崖の上へ顔を向ける。豆粒程度に映るソウの機体を見ながら、感嘆の息を洩らした。
「さすが、ソウ……。あんなに遠くから」
今回の作戦で、ソウは副武器として手榴弾を携行していた。
大群を少数で相手取る必要がある中で、機動力を殺してしまう高重量装備は持っていけない。ソウにとって、効率的に攻性獣を間引きできる手榴弾は最適解だった。
感心しているとソウの声が、呆けた意識を叩き起こす。
「アオイ。足が止まっているぞ」
「ご、ごめん!」
「謝罪より行動を」
ソウの叱責で、銃撃を再開すると、攻性獣も突撃を再開した。
だが、もはや不安と恐怖も感じない。迫る影はまばらになっていた。
「これくらいなら!」
次々と爆発が続く。生き残った攻性獣の大半は原型をとどめず、残りも怪我のため動きが鈍っている。もはや脅威は感じない。続く銃撃で群れが更に数を減らす。
決着は見えた。山場は乗り切ったと判断し、ソウへ通信を繋ぐ。
「ソウ! 手伝ってもらってごめん!」
「謝罪は非効率――」
ソウの返事が不意に途切れる。
嫌な予感に導かれ、崖上を見た。急速に拡大されていくソウ機。その背後に、軽甲蟻が突撃していた。
ソウの舌打ちが直後に聞こえる。
「くそ!?」
ソウ機が上体を捻る。一歩間に合わず突撃が機体前腕を掠めた。衝撃で手榴弾が転げ落ちる様子が高倍率モニターで見える。
爆発物が転げた危険性は、嫌でもわかった。
「ソウ! 危ない!」
既に電子信管はセットされ、起爆まで時間が無いはず。だが、モニターに映るソウは冷静なままだ。
「問題ない」
ソウ機が突撃してきた軽甲蟻の甲殻をつかみ、陰に隠れるのが見えた。
直後の閃光と炸裂音。軽甲蟻の半身が吹き飛ばされた。
「ソウ!?」
だが、爆発で揺れるソウの顔とは裏腹に、声は平静そのものだった。
「大丈夫なの!?」
「損傷はない。軽甲蟻が緩衝材になった」
「よかった……」
「それよりも攻性獣の撃破を」
「こっちはもう片付いたよ」
「了解。トモエさん。指示を」
直後に、トモエの声。
「アオイは周囲を引き続き警戒。ソウは崖上の敵を索敵し、見つけ次第撃破」
「了解」
「分かりました」
指示を受け崖から森へ視線を移そうとした。だが、胸騒ぎが走る。
直感に従って崖を注視し映像が拡大されと、パラパラと落ちてくる小石が映っていた。
「どうした? アオイ?」
「いえ。崖から凄い量の小石が……」
その瞬間、トモエの眉が跳ね上がる。
「アオイ! 他に異常は!?」
「は、はい!」
張り詰めた声で、ただならぬ事態が迫っていることを知る。崖を凝視し、拡大された映像には幾筋もの亀裂が進展する様が映っていた。
崖が崩れつつあると悟る。
「ソウ! 崖が崩れるよ!」
「了解!」
ソウ機のアサルトウィングが煌めくのが見えた。だが、直後に轟音を立てながら崩壊が始まった。同時に通信が途絶え、ソウの顔が映っていたミニウィンドウにノイズが走る。
ついにはソウの顔が消え、信号無の文字のみが表示された。トモエの悲痛な声が耳を打つ。
「ソウ!? くそ! 通信が!」
「うそ! そんな!? ソウ!?」
背筋に冷たい物が走り、何かに締め付けられるような焦燥感に襲われる。崖下に埋まった誰かのシドウ一式の姿がフラッシュバックした。
「まさか……。そんな」
祈るように崖上を凝視する。土埃が舞う奥に、うっすらと人影があった。
シドウ一式が平然と立っていた。
続けて、アクロバットスポーツの選手のように、崩れた斜面を滑り降りてくる。その光景を呆然と見ていると通信が入った。
「聞こえるか」
「ソウ! よかった! どこか怪我してない?」
「無事だ」
ほっと胸を撫でおろしていると、トモエからの通信が入る。
「無事でよかった」
「了解。任務を続行したいのですが、崖上への再登坂は難しい状況で――」
死にかけた直後とは思えない回答に、苦笑いを浮かべるトモエ。
「お前って奴は……。とりあえず撃ち洩らしがいないか索敵しろ。今回の大群発生の理由も不明だ。警戒を怠るなよ」
しばらくの警戒では攻性獣は観察されなかった。
各員が即時戦闘態勢を解き、通常の哨戒へ戻る。山場を乗り切った後に、胸に残る小さな充実感に気づいた。
(ボクなりに、上手くやれたかな)
アイデアを考え、提案し、採用される初めての経験だった。
熱が身体にじんわりと広がる。実行する時にいくつかドジを踏んでしまったが、それでも中々の成果だったと鼻息を荒くする。
そんな時に、トモエからの通信が入った。
「アオイ。それにしてもよく――」
だが、通信の途中にオクムラ警備の二人が大声を上げる。
「生意気野郎! お前、すげえな!」
「あの操縦はやべえよ!」
思わずそちらを向く。二人はソウへの喝采に夢中だ。
(まぁ、ソウの方が凄いか)
今回の作戦の要は、間違いなくソウの神業だった。そちらに注目するのも無理はないと、自分に言い聞かせる。自分の中の誇らしい気持ちは、いつの間にか消えていた。
「仕方ないよね。仕方ない……。集中しなきゃ」
通信ウィンドウに映るトモエを見る。
「トモエさん。哨戒に戻ります」
「分かった」
森の方へ振り返えると、何か映り込んだ気がした。
「ん? 何かな?」
妙な胸騒ぎと、警備任務への責任感。
アオイは後者を選んだ。
〇黒曜樹海 サクラダ警備防衛区域周辺
アオイたちが攻性獣を迎撃し終えた頃、森の中に人戦機の集団がいた。
そのうちの一機のコックピットに潜むのは厳つい男。モニターのミニウィンドウには暗号変換中と表示されている。その耳には低い男の声。
「採集量はどうだ?」
「目標を大幅に下回った」
「あの警備規模で迎撃しきったのか?」
「想定外だな……。待て」
「どうした?」
「隠れろ。一機近づいてくる」
「了解」
各機は茂みに隠れた。物音は極限まで小さい。
「更に近づいてくるな」
「見つかったらどうする?」
質問を受けた男が薄く笑う。
「当然、消す。そう簡単には見つからない。ここはウラシェだ」
「殺すのか?」
「仕方ない。我らの大志のためだ」
そうして、人戦機は武器を構える。視線の先には、肩に桜と盾をあしらった社章をペイントされたシドウ一式が歩いていた。
〇黒曜樹海 サクラダ警備防衛区域
黒曜樹海の中を、アオイの機体が歩いている。
「うーん。何か居た気がしたんだけど」
アオイは好奇心のままに歩く。
「見間違いかなぁ。でも、攻性獣だとまずいし……」
その時、合成された三次元音がアオイの耳元から聞こえる。
「なんだろ? 何か――」
アオイが茂みを覗こうとする。
「アオイ。トモエさんから帰投命令が出ているぞ」
コックピットにソウの声が響く。アオイ機の足が止まった。
「分かった。そっちへ行くよ」
「どうしたんだ?」
「いや。何か見えた気がしたんだけど」
「任務中も言っていたな」
「あー。そうだったね。ちょっと神経質になってたかも」
そうして、アオイは立ち去ろうとする。ソウのシドウ一式が早歩きで進む後ろをついて行った。
〇黒曜樹海 開拓中継基地 休憩設備
黒曜樹海の畔に巨大なドーム状の建物があった。それは開拓者と武装警備員が共用する開拓中継基地だ。今日も、多くのトレーラーがドームを目指し、ドームから出発していた。
設備防衛任務は、オクムラ警備の補充要員確保に伴い終了した。思いのほか弾薬の損耗が激しかったサクラダ警備は、中継基地で休憩と補充を行っている。
アオイは一人、水を汲むために給湯室へ向かっていた。道中で緩い巻き髪の女性を見かけ、思わず顔が綻んだ。
「ヨウコさん! こんにちは!」
振り返ったヨウコの顔には、前回会った時と変わらない穏やかな笑みが浮かんでいた。恩人の顔を見て、癒しと安堵に包まれる。
ひらひらと手を振ったヨウコが、小走りで近づいてきた。
「奇遇ね。アオイさん。元気だった?」
「おかげさまで! ヨウコさんが来てくれなかったら、どうなっていたか。本当にありがとうございました」
「いいのよ。私、感動しちゃった。あんな状況でも仲間と一緒に戦うなんて」
「そ、そうですか? ワタシ、無我夢中で」
「そういう時こそ、本性が出るのよ。あなたいい人ね。私、そういう人が好きよ」
ヨウコの言葉に僅かながら違和感を抱く。ヨウコにしては少しだけトゲのある響きに、うなじがざわついた。
嫌な空気を変えたくて、咄嗟に話題を変える。
「そういえばヨウコさんは、どこの警備会社で働いているんですか?」
「ごめんなさい。あまり詳しい事は言えないの。少しだけヒントをあげると、フソウをもっと豊かにするために働いているわ」
ヒノミヤとミズシロの仕事を想像した。彼らもフソウを豊かにするために働いていて、ヨウコも同じなのだろうと思った。
(確か、お客さんによっては機密保持とかがあるんだっけ……?)
トモエから教わった内容を思い出す。何はともあれ、ヨウコに似合う素晴らしい仕事だと思い、声に尊敬が混じった。
「素敵な仕事ですね!」
「ありがとう。分かってもらえる事が少ないから」
「詳しい事が言えないなら当然ですよね。……そういえば、チームとか仲間の方とかは? あの時も一人ですよね?」
「一人が多いかしら。単独行動の方が得意っての言うのもあるけど、なんというか……」
「なんというか?」
そう言って、ヨウコが寂しそうに肩を落とした。
「ちょっと嫌な思い出があって。他の人の面倒まで見なきゃいけなくて、辛かった時期があったから」
「そうなんですか」
「手伝おうとしたら、こっちまで大変な目に遭っちゃって……。ちょっとでもミスがあったら私も死んでいたかも」
「それは、大変――」
そう言いかけた時、息を呑んだ。ヨウコの隣にいる鏡写しの自分がいた。
もう一人の自分が、冷笑を浮かべながらこちらを見ている。
(ど、どうしてこんな時に)
もう一人の自分が現れるのは、貶める時だと知っている。
もう一人の自分が怖かった。アオイにとって自分とは、誰よりも身近で、誰よりも自分を知り尽くしていて、誰よりも冷酷な敵だった。
大群に遭遇する前日、アオイとソウは恒例の訓練を行っていた。
機体を係留するトレーラー荷台を直立させて、アオイはそれぞれのコックピットに乗り込む。
簡易シミュレーションモード特有の真っ白な仮想空間に、二機のシドウ一式が佇んでいる。通信ウィンドウにソウの顔が映った。
「アオイ、どの武器について教えればいい?」
「えっと今回持ち込んだ装備の一覧は…っと。うわ、いっぱいある」
モニターに多数の武器が表示された。顧客の安全に対して万全を尽くすトモエの誠意が反映されているとも言える。しかし、全てを使いこなすことはできない。
例えば、軽機関銃のように弾をばら撒く装備なら、アオイでも一定の成果を挙げることができる。
一方で、難しいのが手榴弾だ。シミュレーション上の手榴弾を眺めつつ、溜息をつく。
「これ、使うの難しいよね……。狙ったところに飛んでいかないし、爆発する時間をぴったりにセットするのも難しいし……」
人戦機は投擲も可能だ。しかし、実戦レベルに到達するのは難しい。距離調整、高低差の考慮、風向補正。それぞれに熟練の勘が必要だ。
そのため、グレネードランチャーを使う者も多い。しかし、十分な技量があるならば手榴弾を選ぶメリットは大きい。ランチャー部分の重量を減らしつつ、火力を得られるからだ。
「オレは訓練済みだ」
そして、ソウも十分な技量の持ち主だ。
「どの程度まで狙えるの?」
「平地ならば三百メートルで誤差コンマ数パーセント以内だ」
「本当に!?」
自分とは別格の数値に、思わず噴き出しそうになった。
「実証が必要ならば、やるが」
「べ、別に疑っている訳じゃ」
「それでも一回は手本を見せた方が効率的だろう」
直後、ソウ機の手に手榴弾が出現した。次いで仮想目標が出現すると、ソウ機が大きく振りかぶる。
「いくぞ」
脚、膝、腰、胴、肩から順々に受けとった力によって、矢のように手榴弾が飛んでいく。美しい弧は目標まで続き、接触するや否やで爆発が起こる。後には何も残らなかった。
「うわ……。ほんとにできるんだ……」
ソウは十回程度投擲したが、投げた手榴弾はどれも仮想目標の傍に転がっていた。さらに時限信管を調整して空中で炸裂させるなど神業を次々と披露していた。
「まずはこれくらいから始めるか。アオイも――」
「いや!? 出来ないよ!?」
アオイは引きつりながら、無茶苦茶な技量に呆れかえる。その技量のおかげで、自身の危機を乗り切れるとは知らずに。
〇黒曜樹海 防衛対象周辺
回想を終えたアオイは、崖の上へ顔を向ける。豆粒程度に映るソウの機体を見ながら、感嘆の息を洩らした。
「さすが、ソウ……。あんなに遠くから」
今回の作戦で、ソウは副武器として手榴弾を携行していた。
大群を少数で相手取る必要がある中で、機動力を殺してしまう高重量装備は持っていけない。ソウにとって、効率的に攻性獣を間引きできる手榴弾は最適解だった。
感心しているとソウの声が、呆けた意識を叩き起こす。
「アオイ。足が止まっているぞ」
「ご、ごめん!」
「謝罪より行動を」
ソウの叱責で、銃撃を再開すると、攻性獣も突撃を再開した。
だが、もはや不安と恐怖も感じない。迫る影はまばらになっていた。
「これくらいなら!」
次々と爆発が続く。生き残った攻性獣の大半は原型をとどめず、残りも怪我のため動きが鈍っている。もはや脅威は感じない。続く銃撃で群れが更に数を減らす。
決着は見えた。山場は乗り切ったと判断し、ソウへ通信を繋ぐ。
「ソウ! 手伝ってもらってごめん!」
「謝罪は非効率――」
ソウの返事が不意に途切れる。
嫌な予感に導かれ、崖上を見た。急速に拡大されていくソウ機。その背後に、軽甲蟻が突撃していた。
ソウの舌打ちが直後に聞こえる。
「くそ!?」
ソウ機が上体を捻る。一歩間に合わず突撃が機体前腕を掠めた。衝撃で手榴弾が転げ落ちる様子が高倍率モニターで見える。
爆発物が転げた危険性は、嫌でもわかった。
「ソウ! 危ない!」
既に電子信管はセットされ、起爆まで時間が無いはず。だが、モニターに映るソウは冷静なままだ。
「問題ない」
ソウ機が突撃してきた軽甲蟻の甲殻をつかみ、陰に隠れるのが見えた。
直後の閃光と炸裂音。軽甲蟻の半身が吹き飛ばされた。
「ソウ!?」
だが、爆発で揺れるソウの顔とは裏腹に、声は平静そのものだった。
「大丈夫なの!?」
「損傷はない。軽甲蟻が緩衝材になった」
「よかった……」
「それよりも攻性獣の撃破を」
「こっちはもう片付いたよ」
「了解。トモエさん。指示を」
直後に、トモエの声。
「アオイは周囲を引き続き警戒。ソウは崖上の敵を索敵し、見つけ次第撃破」
「了解」
「分かりました」
指示を受け崖から森へ視線を移そうとした。だが、胸騒ぎが走る。
直感に従って崖を注視し映像が拡大されと、パラパラと落ちてくる小石が映っていた。
「どうした? アオイ?」
「いえ。崖から凄い量の小石が……」
その瞬間、トモエの眉が跳ね上がる。
「アオイ! 他に異常は!?」
「は、はい!」
張り詰めた声で、ただならぬ事態が迫っていることを知る。崖を凝視し、拡大された映像には幾筋もの亀裂が進展する様が映っていた。
崖が崩れつつあると悟る。
「ソウ! 崖が崩れるよ!」
「了解!」
ソウ機のアサルトウィングが煌めくのが見えた。だが、直後に轟音を立てながら崩壊が始まった。同時に通信が途絶え、ソウの顔が映っていたミニウィンドウにノイズが走る。
ついにはソウの顔が消え、信号無の文字のみが表示された。トモエの悲痛な声が耳を打つ。
「ソウ!? くそ! 通信が!」
「うそ! そんな!? ソウ!?」
背筋に冷たい物が走り、何かに締め付けられるような焦燥感に襲われる。崖下に埋まった誰かのシドウ一式の姿がフラッシュバックした。
「まさか……。そんな」
祈るように崖上を凝視する。土埃が舞う奥に、うっすらと人影があった。
シドウ一式が平然と立っていた。
続けて、アクロバットスポーツの選手のように、崩れた斜面を滑り降りてくる。その光景を呆然と見ていると通信が入った。
「聞こえるか」
「ソウ! よかった! どこか怪我してない?」
「無事だ」
ほっと胸を撫でおろしていると、トモエからの通信が入る。
「無事でよかった」
「了解。任務を続行したいのですが、崖上への再登坂は難しい状況で――」
死にかけた直後とは思えない回答に、苦笑いを浮かべるトモエ。
「お前って奴は……。とりあえず撃ち洩らしがいないか索敵しろ。今回の大群発生の理由も不明だ。警戒を怠るなよ」
しばらくの警戒では攻性獣は観察されなかった。
各員が即時戦闘態勢を解き、通常の哨戒へ戻る。山場を乗り切った後に、胸に残る小さな充実感に気づいた。
(ボクなりに、上手くやれたかな)
アイデアを考え、提案し、採用される初めての経験だった。
熱が身体にじんわりと広がる。実行する時にいくつかドジを踏んでしまったが、それでも中々の成果だったと鼻息を荒くする。
そんな時に、トモエからの通信が入った。
「アオイ。それにしてもよく――」
だが、通信の途中にオクムラ警備の二人が大声を上げる。
「生意気野郎! お前、すげえな!」
「あの操縦はやべえよ!」
思わずそちらを向く。二人はソウへの喝采に夢中だ。
(まぁ、ソウの方が凄いか)
今回の作戦の要は、間違いなくソウの神業だった。そちらに注目するのも無理はないと、自分に言い聞かせる。自分の中の誇らしい気持ちは、いつの間にか消えていた。
「仕方ないよね。仕方ない……。集中しなきゃ」
通信ウィンドウに映るトモエを見る。
「トモエさん。哨戒に戻ります」
「分かった」
森の方へ振り返えると、何か映り込んだ気がした。
「ん? 何かな?」
妙な胸騒ぎと、警備任務への責任感。
アオイは後者を選んだ。
〇黒曜樹海 サクラダ警備防衛区域周辺
アオイたちが攻性獣を迎撃し終えた頃、森の中に人戦機の集団がいた。
そのうちの一機のコックピットに潜むのは厳つい男。モニターのミニウィンドウには暗号変換中と表示されている。その耳には低い男の声。
「採集量はどうだ?」
「目標を大幅に下回った」
「あの警備規模で迎撃しきったのか?」
「想定外だな……。待て」
「どうした?」
「隠れろ。一機近づいてくる」
「了解」
各機は茂みに隠れた。物音は極限まで小さい。
「更に近づいてくるな」
「見つかったらどうする?」
質問を受けた男が薄く笑う。
「当然、消す。そう簡単には見つからない。ここはウラシェだ」
「殺すのか?」
「仕方ない。我らの大志のためだ」
そうして、人戦機は武器を構える。視線の先には、肩に桜と盾をあしらった社章をペイントされたシドウ一式が歩いていた。
〇黒曜樹海 サクラダ警備防衛区域
黒曜樹海の中を、アオイの機体が歩いている。
「うーん。何か居た気がしたんだけど」
アオイは好奇心のままに歩く。
「見間違いかなぁ。でも、攻性獣だとまずいし……」
その時、合成された三次元音がアオイの耳元から聞こえる。
「なんだろ? 何か――」
アオイが茂みを覗こうとする。
「アオイ。トモエさんから帰投命令が出ているぞ」
コックピットにソウの声が響く。アオイ機の足が止まった。
「分かった。そっちへ行くよ」
「どうしたんだ?」
「いや。何か見えた気がしたんだけど」
「任務中も言っていたな」
「あー。そうだったね。ちょっと神経質になってたかも」
そうして、アオイは立ち去ろうとする。ソウのシドウ一式が早歩きで進む後ろをついて行った。
〇黒曜樹海 開拓中継基地 休憩設備
黒曜樹海の畔に巨大なドーム状の建物があった。それは開拓者と武装警備員が共用する開拓中継基地だ。今日も、多くのトレーラーがドームを目指し、ドームから出発していた。
設備防衛任務は、オクムラ警備の補充要員確保に伴い終了した。思いのほか弾薬の損耗が激しかったサクラダ警備は、中継基地で休憩と補充を行っている。
アオイは一人、水を汲むために給湯室へ向かっていた。道中で緩い巻き髪の女性を見かけ、思わず顔が綻んだ。
「ヨウコさん! こんにちは!」
振り返ったヨウコの顔には、前回会った時と変わらない穏やかな笑みが浮かんでいた。恩人の顔を見て、癒しと安堵に包まれる。
ひらひらと手を振ったヨウコが、小走りで近づいてきた。
「奇遇ね。アオイさん。元気だった?」
「おかげさまで! ヨウコさんが来てくれなかったら、どうなっていたか。本当にありがとうございました」
「いいのよ。私、感動しちゃった。あんな状況でも仲間と一緒に戦うなんて」
「そ、そうですか? ワタシ、無我夢中で」
「そういう時こそ、本性が出るのよ。あなたいい人ね。私、そういう人が好きよ」
ヨウコの言葉に僅かながら違和感を抱く。ヨウコにしては少しだけトゲのある響きに、うなじがざわついた。
嫌な空気を変えたくて、咄嗟に話題を変える。
「そういえばヨウコさんは、どこの警備会社で働いているんですか?」
「ごめんなさい。あまり詳しい事は言えないの。少しだけヒントをあげると、フソウをもっと豊かにするために働いているわ」
ヒノミヤとミズシロの仕事を想像した。彼らもフソウを豊かにするために働いていて、ヨウコも同じなのだろうと思った。
(確か、お客さんによっては機密保持とかがあるんだっけ……?)
トモエから教わった内容を思い出す。何はともあれ、ヨウコに似合う素晴らしい仕事だと思い、声に尊敬が混じった。
「素敵な仕事ですね!」
「ありがとう。分かってもらえる事が少ないから」
「詳しい事が言えないなら当然ですよね。……そういえば、チームとか仲間の方とかは? あの時も一人ですよね?」
「一人が多いかしら。単独行動の方が得意っての言うのもあるけど、なんというか……」
「なんというか?」
そう言って、ヨウコが寂しそうに肩を落とした。
「ちょっと嫌な思い出があって。他の人の面倒まで見なきゃいけなくて、辛かった時期があったから」
「そうなんですか」
「手伝おうとしたら、こっちまで大変な目に遭っちゃって……。ちょっとでもミスがあったら私も死んでいたかも」
「それは、大変――」
そう言いかけた時、息を呑んだ。ヨウコの隣にいる鏡写しの自分がいた。
もう一人の自分が、冷笑を浮かべながらこちらを見ている。
(ど、どうしてこんな時に)
もう一人の自分が現れるのは、貶める時だと知っている。
もう一人の自分が怖かった。アオイにとって自分とは、誰よりも身近で、誰よりも自分を知り尽くしていて、誰よりも冷酷な敵だった。