少女と懺悔と新たな誓い
〇黒曜樹海 資源採取戦指定区域外 通信不能領域
「レモン君。あなただけだったら、逃げても撃たないであげるわよ」
静かな暗闇の樹海にヨウコのシドウ型が佇む。
スピーカーから響くヨウコの声は、淑やかさを装っている。だが、底に流れる冷たい悪意にアオイは震えた。
(よ、ヨウコさん? どういう事?)
最初に会った時の暖かさはどこにもなかった。その変貌と意味不明さに眉を顰める。沈黙の拒否を踏みにじり、ヨウコが言葉を続けた。
「しゃべった事がないとは言え、同じ古巣の仲だもの。それくらいはサービスするわ。私、あなたみたいな人が好きなのよね。あなたの素敵な所、その子にも話してあげるわ」
訳が分からずにいるとソウの声が聞こえた。
「やめろ」
通信ウィンドウを見ると、ソウの顔に困惑が滲んでいた。
インカムを入れていないから、その声がヨウコに届くはずもない。そんな当たり前を忘れるほど、あのソウが動揺していた。
「どの実験場にもいて、いつも体中に装置を取り付けられていたわね。おまけにあなたが絡むと成果が出ないから無能扱いされていた」
そんなはずはないと思う。ソウはいつだって自分の遥か上を行く。自分のような不遇の過去を持っているはずがない。
「やめろと言っている!」
憤怒がソウの顔に浮かぶ。
「私のように能力も根付かない。それでついたあだ名がレモン。きれいな見た目で、中身はすっぱくて腐ったみたい。欠陥品のスラングだなんてひどいあだ名ね」
そんなはずがないと思う。ソウは自分とは比べ物にならない才能に溢れている。自分のようなみじめな扱いを受ける訳がない。
「やめてくれ!」
哀願で、ソウの顔が歪む。
「ごめんなさいね。本当はそう呼びたくないんだけど、この呼び方が一番なじみ深くて」
だが、ソウは何も言わない。ただ、悔し気に唇をかむ。
ソウの反応は、ヨウコの語る過去が事実である事を肯定していた。だが、あまりにも受け入れがたく、内心が口から思わず零れ出てしまった。
「そんな……。だってあんなにすごいのに。ボクなんかとは、違う側の人間なんじゃ……」
ソウは何も答えなかった。
しばらくの沈黙の後、ヨウコはつまらなそうにため息をつく。が、元の調子で会話を続けた。
「それでも、一人で健気に練習していたわね? 見返したかったのかしら? 私、そういう頑張り屋さんは好きよ」
ソウが頑張り屋なのは知っている。訓練が好きでたまらないのだろうと思っていた。
「けど、ただの武装警備員をやっているってことは、捨てられちゃったのね?」
知らない過去だった。だが、知ってみれば、何よりも説得力のある過去だった。
(ボクと違う側のはずないじゃないか。あんなに必死だったのに)
ミズシロやトモエへ答えを求めていた様子を思い出し、唇を嚙みしめる。
(ごめん。ボク、勝手に違うと思ってた)
ヨウコの声が少し焦れた。
「さあ。今ならどこに行っても私は撃たないわよ。この甘えん坊さんは私が殺しておくわ。だって、あなたのこと裏切っているんだもの。殺されても当然よね?」
そう言ってガトリングガンを構える。火力に裏打ちされた重圧に呑まれそうになった。
「その子、あなたの事を小さく裏切っているわ。それを放っておくと段々、大胆になっていく。いつか、あなたを決定的に裏切る。だから、今のうちにあなたから裏切っておきなさいよ」
そんなつもりは無い。
ソウへ訴えかけようとした時、ソウの機体がスッと近づく。
「チャンスだな……」
「え?」
「アオイ。オレは行く」
直後、ソウの機体が巨岩から飛び出す。突然の出来事に、口を開けたまま動く事ができなかった。
「ソ、ソウ……?」
ようやく巨岩から半身を乗り出した時、ソウ機は既に遠ざかっていた。
ヨウコ機がそれを見送り、操縦士の呆れたような声を、スピーカーからばら撒いた。
「本当に裏切るなんて。ここを取り囲んでいる攻性獣に殺されるだろうけど、お似合いね」
「助けるんじゃなかったんですか?」
「撃たないと言った。嘘はついてないわ。それに、裏切り者を生かしておくなんて、そんな訳ないじゃない。私、そういう人が大嫌いなの」
ヨウコの盛大なため息が聞こえる。
「今日も沢山の裏切り者が……。残念だわ。でも、仕方ないのよね。みんな追いつめられていて、そういう状況になれば裏切るわ。早くフソウを変えないと」
ヨウコの機体が俯く。操縦士もそうなのだろう。
「この星は、何もかも隠す。この国は、苦しみに満ちている。そんな中では、どんな人でも裏切る。……きっと」
その言葉に、ほんの少しの苦みを感じ取るアオイ。そして、今までのヨウコの言葉を思い出し、ある悲しい物語が閃いた。
「裏切られたんですか? そして、その人を裏切り返して殺したんですか?」
それは、想像の物語。
ある武装警備員には仲間がいた。その武装警備員は仲間を可愛がって世話を焼いていたが、仲間は劣等感を募らせる。頼ってもらえず、任せてもらえず。行き場のない暗さが捻れ、裏切りを画策する。
しかし、能力が足らず、裏切りは完遂できなかった。そして、返り討ちにあってしまう。
その結末をぶつけてみる。
「……どうしてそう思ったの?」
対するヨウコの声に僅かな興味が含まれた。
(多分、ボクの想像は合っている)
返り討ちにした武装警備員はどう思うか。物語の先を考える。
裏切られ、裏切った傷跡がいつまでも疼くだろう。憤怒、後悔、悲哀、未練。何度も何度も傷跡を抉り返す感情に渦に、どうしようもなくなっているのではないか。
きっとそうだと思った。
「ヨウコさんから、怒りと後ろめたさを感じます」
「……そうなの」
今度もヨウコは否定しない。アオイは確信を深めて続きを口にする。
「自分が裏切られて、裏切ったから、裏切り者を嫌っている」
そして裏切り返した方も自己嫌悪にまみれる。
「そして、裏切らない人に惹かれる」
自分にないものを持った人間が眩しく見える。その気持ちが痛いほどわかる。
「……へえ」
自分にも有り得たかもしれない物語の帰結を、ヨウコは否定しなかった。抱え続けた弱さを直視し、言葉を紡ぎ続ける。
「だから、追いつめて、唆している。裏切る様を見届けて、自分を慰めている。堕ちるのは自分たちだけじゃないと安心している」
一息を吸い、確信を込める。
「あなたの顔は見えません。でも分かります――」
そして、断言する。
「あなたは、ソウが逃げた今、安心して笑っている」
不気味な沈黙を破ったのは、震えるような笑い声。
「ふ……。うふ……。うふふ……」
静かな笑いが、徐々に狂喜を帯びていく。
「あは! あははは!」
つんざくような高笑いが、森の静寂を引き裂いた。
「私の事、そんなにわかってくれるなんて! アオイさんとなら、最高の仲間になれるわ!」
「今のヨウコさんの仲間は嫌です」
「私は大好きなのに!? ……殺すのが惜しい位!」
ヨウコは、ガトリングガンを背面へ格納し、グレネードランチャーを取り出そうとした。
ありえないほどの無防備。
隠れていた巨岩から飛び出し、青く輝く弾道予測線をヨウコ機に合わせる。
「隙だらけです!」
そして、アサルトライフルの弾丸をヨウコに浴びせた。
ヨウコは反撃をしない。ただ硬直しながら、困惑に満ちた声を絞り出すだけだった。
「……どうして? あなたの銃。壊れているはずじゃ?」
ヨウコのシドウ型が、アオイ機が携えるアサルトライフルを見た。
「いや、銃が違う……! 軽機関銃じゃない!? どうして!?」
ヨウコの声の困惑が最高潮に達した時に、横からの銃撃がヨウコのシドウ型を襲う。
「なんですって!?」
予想外だったのかヨウコの回避が遅れ、幾分かの銃撃を浴びてしまった。そこにソウの声が響く。
「まだ分からないか」
そこにはソウ機がアサルトライフルを構えていた。
ヨウコ機のカメラアイがソウ機の得物を凝視する。
ソウ機は見覚えのあるアサルトライフルを持っている。それはオクムラ警備の物だった。ソウは逃げた訳ではなく、撃破された機体から装備を回収していた。
「その銃は、さっきの裏切り者の……。じゃあ」
そして、ヨウコ機のアイカメラが、ソウから預けられたアサルトライフルを向いた。
「さっき飛び出すときに……。最初から裏切る気なんて……」
しばらくの沈黙。聞こえてきたのは愉快そうな笑い声。
「ふふふ……。素敵……! 素敵よ! もう少しだけ……一緒に遊んで!」
そして、レドームを展開した。直後、ヨウコの苦悶の声。
「くぅあぁぁ……」
ヨウコ機が頭を抱えた。恐らくは操縦士も。しばらくして、機体が再び顔を上げる。
「もっと……。もっと見たい……。キラキラした……、素敵な……」
聞こえてきたのは、荒い息遣いと、絞り出すような声だった。奥底には、憧憬と嫉妬が、濁流のように轟々と響いている。
「ヨウコさん……」
直後、視界に赤い光点が次々と映し出された。
攻性獣に囲まれた。
悪化する状況に唾を飲む。破損状況はひどい上に、弾薬も多くはない。
身構えるアオイへ、ソウからの通信が入った。
「アオイ。銃をよこしてくれ」
「え?」
「突っ込む。その間に逃げろ」
「どうして? だってボクたち――」
「オレのせいでこうなった。それにアオイには助けてもらった恩があるだから――」
「ボクだってソウに恩がある。そして、今までそれを裏切ってきた」
「なんのことだ」
ヨウコの言葉を思い出す。無知の罪を気づかせてくれた、ある種の恩人の言葉だ。
「必死になって頑張ってきたんでしょ? ボク、知らなかった。知ろうともしなかった」
相棒が足掻いた過去を知り、罪を懺悔する。
「ボクと同じ、いや、ボクよりも辛い中を頑張ってきたんでしょ? 凄いよ……」
ありったけの敬意をこめて、言葉を紡ぐ。
「だからボクも、ボクにできる事をする。全部だ」
できる事》じゃなく、できる事》を。そう、自分に誓う。
「死ぬほど頑張る。それで対等なんだ」
全力を絞り出す覚悟に応え、機械仕掛けの戦士がアサルトライフルを構えた。
「それに、一緒に戦うって誓ったんだから」
ソウ機が、静かに頷く。そして、迫りくる攻性獣たちを見渡した。
「アオイ、どうする?」
「大群相手には?」
ソウの機体が峡谷を向いた。
「分かった。行くぞ」
アオイとソウはすぐに後退を開始した。そこには微塵の躊躇も疑問も無い。互いの能力を信じて、生還のためのオペレーションを開始する。