少女と幸運と鏡写しのあなた
〇黒曜樹海 資源採取戦指定区域外 通信不能領域 峡谷内
ソウが機体を駆けさせると、ヨウコ機がガトリングガンを向けようとした。
インカムを切り忘れるほど動揺したヨウコの声が、峡谷に響く。
「この!」
ヨウコがガトリングガンを向ける前に、ソウ機が射線を外す。ヨウコの声に苛立ちが混じった。
「重い! この距離は本当に!」
ソウ機が跳びながらアサルトライフルを向け、そのまま発砲する。弾丸は全てが違わず命中した。
「なんて精度!?」
ヨウコの舌打ちが聞こえた。
「武器変更! ハンドガン!」
ヨウコ機がガトリングガンを背面に仕舞い、ハンドガンを取り出す。
「背面マウンターをパージ! 早く!」
ヨウコ機の背面マウンターが、音を立てて地面に落ちる。それを見て、ソウの眉間に緊張が走る。
「予測よりも対応が早い」
声に焦りが混じる。
ヨウコ機は機動力を手に入れた。アサルトライフルの方がヨウコ機のハンドガンに比べて火力は優っている。だが、ソウ機の損耗はひどく、残装甲は心許ない。そのうえ、機体スペックは旧式のシドウ一式が不利。
得意の近距離戦闘だが、押し切れるかは分からなかった。
「いけるのか?」
ソウの顔に弱気が浮かぶ。だが、何かを思い出したようにふと笑い、つぶやいた。
「頼りにしている……か」
普段は平静な三白眼に魂の猛りが宿る。
「こちらもマウンターパージ! 行くぞ!」
異常を起こして動かなくなったアサルトウィングを捨て、ソウも勝負の号砲を叫ぶ。
得物を改めた銃撃戦。
ヨウコ機のハンドガンがソウ機を追う。ヨウコ機が獲物を追う速度は、ガトリングガンを持っていたときよりも遥かに早い。
だが、ハンドガンの弾丸はシドウ一式に当たらなかった。
ハンドガンの銃口が照準を合わせきる一瞬手前に、シドウ一式の巨影が霞む。バイオストラクチャー合金製の機体構造も、マッスルアクチュエーターの出力も、機体制動を熟知した挙動だった。
並を遥かに越した速さに、ヨウコの声が戦慄く。
「なんなの……!? 欠陥品じゃないの!?」
ソウは答えを伝える必要はない。だから、インカムは入れない。
「悔しいが、欠陥品だ」
それでも呟く。過去の苦さを吐き出さずには居られなかった。瞳に輝く猛りの奥に、寂しさが陰る。
しかし、直後の声に気迫が籠った。
「だが! それでも!」
ソウの機動が、一層の鋭さを帯びる。不規則に左右へ、緩急自在に。
その中でも銃撃は外さない。
「オレは! オレのできる事を! できる事》を!」
望まぬ過去の産物でもアオイの役に立つ。その気迫がキレを生む。
一方、ヨウコ機の動きが徐々に鈍り、声に苛立ちが目立ち始めた。
「どうしてそこまで!?」
「頼りにされたからな」
インカムは切っているから聞こえるはずもない。それでも答えたかった。
ヨウコの声に一層の苛立ちが籠る。
「一人で逃げているかも知れないのに!」
「アオイを信じている」
アオイが仲間を見捨てるはずがないと、確信を込めてソウが呟く。
徐々に近づく二機の距離。
「この! この!」
ヨウコ機の照準が甘くなった瞬間、ソウ機が鋭く踏み込んだ。
「甘い!」
「くっ!?」
ハンドガンの銃口がソウ機に向けられる。だが、ソウ機は銃口を押しのけ、一気に懐へ入った。
「しまった!?」
ヨウコのハンドガンから放たれた銃弾は明後日の方向へ飛び、崖に着弾した。
一方のソウ機は、アサルトライフルをヨウコ機胸部へ押し付ける
「がら空きだ」
フルオートで叩き込まれる銃撃が装甲を剥ぐ。弾倉に込められた弾を撃ち切った後、ソウ機が身体を捻る。
「吹き飛べ!」
軸足が土をえぐり、重金属の鞭のような横蹴りが繰り出された。
重い衝突音が炸裂した後に、ヨウコ機が弾かれる。巨人の蹴りの衝撃が操縦士を襲い、ヨウコの声に苦悶が混じった。
「くはっ! この!」
二機は距離を取り、仕切り直した。再度の激闘に備えソウは呼吸を整え、切れ長の三白眼を見開いた。
「まだだ!」
ソウの銃火が号砲となり、銃撃戦の口火が再び切られた。だが、ヨウコは銃撃を控え、回避機動を強める。
その変化にソウは顔を顰めた。
「急に攻勢が弱まった? 残弾を気にしているのか?」
だが、ソウが手を緩める理由にはならない。銃撃を続け、確実に相手を弱らせる。
ヨウコ機の装甲は減り続ける。あり得ないほど一方的な展開に、ソウが切れ長の三白眼を不審で歪ませた。
「何を狙って――」
ヨウコはソウ機の足元に、一発だけ銃撃を放つ。
「私に夢中になりすぎて、周りが見えていないみたいね」
足を止めたソウは、不敵な笑いに周囲を警戒する。
訝しむソウの耳が、小石が落ちる音を拾った。
「一歩引いて考える癖をつけたら? もう遅いけどね」
ソウが上を見ると、大小さまざまの岩がソウに目掛けて襲い掛かるところだった。
「崖崩れ!?」
咄嗟に、ソウが回避を試みようとする。だが、ヨウコの声は見越した様に酷薄だった。
「させないわ」
ヨウコ機がハンドガンを発砲する。放たれた弾丸はソウの機体の軸足に当たった。
「な!?」
ソウ機が衝撃で倒れこむ。無防備に横たわる機体へ、容赦なく岩石が襲い掛かった。
「ぐぅ!?」
いくつもの岩石が装甲を激しく叩き、土埃が舞い上がる。ヨウコ機が、その様を傍らで静かに見届けていた。
「ハンドガン一発でここまで崩れるとはね」
ヨウコの声が、余裕に踊る。
「今度も、狙いどおりに動いてくれて助かったわ」
鼻歌まじりのつぶやきだった。
ヨウコ機が銃口を向ける先には、戦闘不能の一歩手前まで装甲が剥離したソウ機が倒れ伏している。ほんの少しも動かなかった。
「これで形勢逆転ね。私はあなたの事、好きだったわよ」
ヨウコがコックピット内のトリガーを引こうとした時、峡谷の奥から銃声が響いた。
「誰!?」
ヨウコの声に焦りが乗った。だが、しばらくすると愉快そうな笑い声に切り替わる。
「アオイさん。戻ってきたの?」
ヨウコ機のアイカメラの先には、アサルトライフルを構えたアオイ機の姿があった。
「あなたの事、本当に大好きよ。今からでも遅くない。私の仲間にならない?」
アオイの眼前のゴーグルモニターには、ハンドガンを構えるヨウコ機と倒れ伏したソウ機が見えた。
アオイが動かないソウのシドウ一式へ視線を送る。そして、ある表示が無い事に安堵した。
「機能停止はしていない。今、ボクのすべきことは……」
アオイが、インカムをオンにする。
「お断りします」
「あら? 今度もおしゃべりに付き合ってくれるの?」
ヨウコの返答を聴き、少しだけ安堵の息を吐く。
(よし。問答無用に殺しに来るわけじゃない)
ソウ機の様子を伺いながら答えた。
「ヨウコさんには恩がありますから」
「こんな時まで? 義理堅いのね。じゃあ、聞きたいんだけど、どうしてここまで追い詰められても裏切らないの? 仲間とは言え、ただの他人でしょ?」
「違います。相棒です」
自然と声に力が籠った。
「私には違いが分からないんだけど?」
「まっすぐに見てくれた。頼ってくれた。初めての相手です」
「だからって……」
ヨウコの戸惑いがはっきりと聞こえた。
「ヨウコさんには感謝してます。ソウのこと、教えてくれて」
「私に? 感謝? 嘘を――」
「本当です。おかげでソウの事を、真っすぐ見れました。心から尊敬できました」
ヨウコが鼻で笑った。
「大げさじゃない? ただの仕事仲間でしょ?」
「ヨウコさんは、そう言う人に会えなかったんですか?」
「……会わなかったわ。レモン君はそんなに――」
「それです。ソウはあんなに凄いのに、どうして真っすぐ見ないんですか?」
ヨウコの言葉が続かなかった。
「ヨウコさんの言うとおりでした。いい人に会えるか。それで全然違いました」
「私だって……。どうして、貴方だけ」
ヨウコの声に嫉妬が色濃く混じる。
「一歩を進んだ。それだけです。それだってヨウコさんのおかげです」
「私が? ……そんな事を」
「本当です。ヨウコさんが励ましてくれたから、だからソウに会えました」
ソウと逢った日に、アオイを支えたのはヨウコの励ましだった。
「それで……。そんなの……、ただの運じゃない」
「そうです。人生に一度、あるかないかの幸運です。だから、守り抜きます」
ギリっと歯を食いしばる音が、ヨウコ機から聞こえた。
「裏切るつもりがないなら……、これ以上は時間の無駄ね」
峡谷を沈黙が包む。ヨウコ機がハンドガンを向けた。
「ケリはこっちでつけさせてもらうわ」
銃声が峡谷に響く。
アオイ機が岩陰に隠れ、アサルトライフルを半身で構えた。そして反撃の発砲を敢行する。
しかし、弾丸はヨウコ機の足元を僅かに抉っただけだった。
「アオイさん! もうちょっと練習した方がいいわよ!」
「ヨウコさんを倒して、たっぷりします!」
銃撃戦が続く。互いに隠れては撃ち、撃っては隠れてを繰り返した。焦燥がアオイの声に乗る。
「こっちの方が、火力があるはずなのに!」
ヨウコの銃撃は当たるのに、自分の銃撃は当たらない。連戦で装甲も削られている。アオイの顔に余裕はなかった。
徐々に勝負の天秤がヨウコの方に傾いていく。
「アサルトライフル。残弾ゼロ」
無機質に響くシステムメッセージに、アオイが顔を歪める。
「武器変更! ハンドガン!」
最後の命綱であるハンドガンへ装備を切り替えた。
「もう少しのはずなのに!」
お互いが鎬を削る銃撃戦が続く。
「ソウを! 死なせる訳には!」
だが口にした願いとは裏腹に、ハンドガンにヨウコの銃弾が当たる。
「ぐ!」
衝撃で、ハンドガンは遥か後方へ弾き飛ばされた。それを見届けたヨウコの声には嘲りと同情が乗る。
「あら、残念」
「く! あんなところまで」
アオイ機が振り返った先、ハンドガンが落ちた周辺に隠れる所はない。取りに行く間に撃破されると、アオイは判断した。
ヨウコ機から聞こえる声に余裕が戻る。弄ぶようにたっぷりと間を置きながら、高らかに語りかける。
「そこで見てれば、見逃してもいいわ。これが最後のチャンスよ」
そう言って、視線を倒れ伏しているソウの機体へ銃口を向けようとする。
「裏切ったのは、苦しかったから。私たちは悪くない。きっとみんなが私たちの様に――」
自分を慰めようとしたヨウコの耳に、人戦機の足音が聞こえた。ヨウコが、目を見開きながら振り向く。
「どうしてそこまで!?」
弾薬の尽きたアサルトライフルを握りしめ、アオイ機が突撃してきた。淑やかな顔が、嫉妬に曇る。
「本当に! 妬ける!」
ヨウコ機が銃撃を打ち込む。残り少ないアオイ機の装甲が砕けていく。もはや、限界寸前である事を悟ったヨウコが、勝ち誇るように笑った。
「あなた、本当にいい人ね! 不格好だけど!」
機体に限界が迫るころ、シドウ一式がアサルトライフルを投げた。迫る銃はヨウコ機の片腕で、あっけなく防がれた。
すぐに銃撃は再開される。
ささやかな抵抗は、ヨウコに取っては狂乱と自棄にしか見えなかった。
「あはは! 無様! だけど素敵!」
ヨウコは未熟なアオイを嗤い、見下し、愛おしむ。高揚に溺れるヨウコ。
一方のアオイは、冷静にモニターを見ていた。
(お願い……。頑張ってシドウ!)
僅かながらに動くソウ機を見据えていた。
(ソウがやってくれるまで!)
岩の下敷きになったソウの機体。コックピット内で、ソウがぐったりとしていた。
意識が朦朧としているのか、半透明ゴーグル越しのソウの瞳は焦点が合っていない。ソウのヘッドホンにアオイ機が駆ける音が聞こえた。
「アオイ……か」
歯を食いしばる音がコックピットに響く。
「……きっとオレを信じている! ……だから!」
ソウの瞳に輝きが戻った。
呼応するように、シドウ一式が僅かに動く。無音のままアサルトライフルの銃口をヨウコ機の手元に向けた。
「今!」
銃撃がヨウコを襲う。
「な! しまった!?」
ソウの執念が実を結んだかのように、ヨウコのハンドガンが弾け飛ぶ。ハンドガンは弧を描きながら宙を舞い、囮となったシドウ一式の近くに落ちた。
「取りに!? いや!」
取りに行く間の追撃で一方的なダメージを受けるのは下策。ヨウコの判断は早かった。
「そのダメージ! この距離! ならば!」
ヨウコ機が一気に間合いを詰める。それを見たソウが吠えた。
「立て! シドウ!」
ソウのゴーグルモニターには無数の赤い表示。機体中のマッスルアクチュエーターに破損警告。装甲も警告だらけ。
グラグラとふらつく脚に冴えが無い。
「立ち上がれ! アオイのために!」
ソウの咆哮に応じるが如く、バイオストラクチャー合金を軋ませて、機械仕掛けの戦士は立ち上がった。
力ないソウ機の姿を見たヨウコが、高笑いを上げる。
「そのダメージ! ツイてないわね! 貴方の人生!」
ヨウコ機がシドウ一式へ殴りかかった。ソウ機が僅かに半身を逸らす。ヨウコ機の拳は空を切った。
「な!?」
ヨウコ機が拳の勢いに流される。獲物を仕留めそこねたヨウコが舌打ちを一つ。
「レモン君のくせに、本当に頑張り屋さん! 少し目障りだわ!」
流された勢いを切り返し、ヨウコ機が更なるパンチを繰り出そうとする。だが、繰り出された次撃を、ソウ機はまたも躱す。
そのコックピットでソウが叫ぶ。
「ここだ!」
ソウ機が軽く殴る。ソウのゴーグルモニターに大量のアラート。そこまでが限界。
だが、力の流れとタイミングを見極めた一撃だった。ヨウコ機はバランスを崩してたたらを踏む。
「な!?」
驚きに満ちたヨウコの声。
「でも、それくらいしか――」
舌打ちをした後、反撃に移ろうとしてヨウコ機が拳を振りかぶる。
だが、背後に迫る足音を聴いて振り返った。そこには、アオイ機が一足の間合いに接近していた。
「な!」
直後にシドウ一式が跳んだ。そのコックピットでアオイが吠える。
「ソウだったら!」
アオイが思い浮かべるのは、初めて逢ったあの日。今も鮮烈に脳裏へ焼き付く、華麗な体技。
そのイメージを機械仕掛けの戦士が鮮やかに読み取る。
「ボクの全部を!」
ソウに比べれば不慣れで、不格好で、不器用だが、アオイの全てを乗せた一撃だ。
「くらえぇ!」
巨躯が纏う慣性を脚先に込め、全力の蹴りを突き立てる。
ヨウコ機の装甲に衝撃が波打ち、轟音が峡谷に響いた。
弾かれたように吹き飛んだヨウコの機体は、地面に激しく叩きつけられ、囮となったシドウ一式の隣まで転がる。
その後はピクリとも動かない。
「やった!」
アオイが勝利を確信し、安堵の息を吐きながらソウの元へ駆け寄る。
「ソウ! 大丈夫!?」
「辛うじて動ける。先ほどの技は?」
「ソウの真似。下手くそだったけど」
「精度向上が必要だな。帰還したら自主練習だ」
「いや、今日くらいは休みたいんだけど――」
ソウとアオイが互いの状態を確かめ合う間、ヨウコの機体が静かに動く。
そして、近くに飛ばされていたハンドガンを握った。二機のシドウ一式を見ながら、ヨウコが感嘆の息を吐く。
(本当にキレイ。もったいないけど……!)
そうして、上体を起こし狙いを定めようとした時、ソウ機が銃口を向ける。
「気づかれた! でも!」
照準から逃れるために、ヨウコ機が大きく横へ飛び退いた。直後、銃弾が空を翔け抜ける。
アサルトライフルの銃口がヨウコ機を追おうする。だが、ソウ機の腕部から異音が響いた。
「照準が! クソ!」
腕の動きは普段とは比べ物にならないほど遅く、銃口の向きはまるで合っていない。
ヨウコ機が、回避機動のままに銃口を向ける。自信に満ちたヨウコの声。
「これで終わ――」
ヨウコ機の足元で衝突音。
「な――」
ヨウコ機は勢いよく転がった末に、崖に叩きつけられる。ヨウコの声は当惑に満ちていた。
「一体……、何が……?」
ヨウコ機が頭部を上げる。そして、視覚センサーが一点を見つめた。
「そんな……。まさか……」
その先には、身代わりに使われた古びたシドウ一式と、傍らに転がる人影があった。
攻性獣の攻撃によって胸部に穴が開き、転倒の衝撃で機外に転がり出でてきた操縦士の遺体だった。
ヨウコの声が震える。
「どうしてここに……。どうして今頃……」
コックピットのヨウコは呼吸を荒げ、肩を震わせていた。歯の根が合わない中、意味不明の言い訳を始める。
「だって、あれはあなたが……」
ヨウコのモニターに遺体の映像が映る。ミイラと化した操縦士の顔がはっきりと見えた。目は落ちくぼみ闇を湛え、転げ出た衝撃で、口はパカリと開いていた。
「私の事を嗤っているの……? 私はあなたの事、そんなつもりはなかったのに……」
恐怖と錯乱で歪むヨウコの顔。優美な切れ長の瞳は、今にも泣き出しそうな程に震えていた。
錯乱するヨウコの意識に、アオイの叫び声が割って入る。
「――さん! ヨウコさん! 逃げて! 上から!」
現実に戻ったヨウコが背後の崖を見上げた。機体の背後に、無数のヒビが走っていた。
「な!?」
ヒビは一面に広がり、限界を迎えた。大量の落石がヨウコを襲う。
「しま――」
ヨウコ機の装甲が見る間に剥がれ、機影は岩に埋まっていった。もはや動く気配はない。そして、機能停止信号がアオイたちの元へ届いた。
「そんな……。ヨウコさん」
「機体をこじ開けて身柄を――」
ソウ機が、岩をどけてヨウコ機を掘り出そうとする。だが、アオイのモニターに多数の反応があった。
「待って! 峡谷入口の方から反応! 攻性獣多数! 早く逃げないと!」
「だがこいつは、オレの過去を!」
「ソウ! ダメだよ!」
「どうして邪魔をする!?」
「相棒の無茶を止めるのが、相棒の仕事だ!」
その一言に、ソウは唇を噛み、慟哭を上げた。
「分かった……」
「いつまでもここにいると弾薬がなくなるよ。まずは、戻って補給と修復をしないと」
アオイの眼前に峡谷にうごめく軽甲蟻が映る。
「アオイ。来たぞ」
「あの数は……」
普段なら蹴散らせる数だったが、消耗した今は心許ない。息を呑むアオイの視界の端に、通信ウィンドウが開き、切れ長の三白眼が映った。
「すまない。巻き込んでしまって」
珍しく弱気な口調だった。だが、相棒として掛けるべき言葉を返す。
「謝罪は非効率的、でしょ? これからの事を考えなきゃ」
それを聞いたソウが、ほんの僅かだが笑った。
「そのとおりだな」
ソウが、いつもの平静なソウに戻る。
「困難な状況だが」
「それでも一緒だよ」
二機は揃って駆け出す。風化したシドウ一式とヨウコの埋まる岩を見た二人は、隣にある幸運に感謝した。
そして、攻性獣がアオイとソウの目の前に迫る。
だが、今の二人ならきっと切り抜けられると確信があった。
ソウが機体を駆けさせると、ヨウコ機がガトリングガンを向けようとした。
インカムを切り忘れるほど動揺したヨウコの声が、峡谷に響く。
「この!」
ヨウコがガトリングガンを向ける前に、ソウ機が射線を外す。ヨウコの声に苛立ちが混じった。
「重い! この距離は本当に!」
ソウ機が跳びながらアサルトライフルを向け、そのまま発砲する。弾丸は全てが違わず命中した。
「なんて精度!?」
ヨウコの舌打ちが聞こえた。
「武器変更! ハンドガン!」
ヨウコ機がガトリングガンを背面に仕舞い、ハンドガンを取り出す。
「背面マウンターをパージ! 早く!」
ヨウコ機の背面マウンターが、音を立てて地面に落ちる。それを見て、ソウの眉間に緊張が走る。
「予測よりも対応が早い」
声に焦りが混じる。
ヨウコ機は機動力を手に入れた。アサルトライフルの方がヨウコ機のハンドガンに比べて火力は優っている。だが、ソウ機の損耗はひどく、残装甲は心許ない。そのうえ、機体スペックは旧式のシドウ一式が不利。
得意の近距離戦闘だが、押し切れるかは分からなかった。
「いけるのか?」
ソウの顔に弱気が浮かぶ。だが、何かを思い出したようにふと笑い、つぶやいた。
「頼りにしている……か」
普段は平静な三白眼に魂の猛りが宿る。
「こちらもマウンターパージ! 行くぞ!」
異常を起こして動かなくなったアサルトウィングを捨て、ソウも勝負の号砲を叫ぶ。
得物を改めた銃撃戦。
ヨウコ機のハンドガンがソウ機を追う。ヨウコ機が獲物を追う速度は、ガトリングガンを持っていたときよりも遥かに早い。
だが、ハンドガンの弾丸はシドウ一式に当たらなかった。
ハンドガンの銃口が照準を合わせきる一瞬手前に、シドウ一式の巨影が霞む。バイオストラクチャー合金製の機体構造も、マッスルアクチュエーターの出力も、機体制動を熟知した挙動だった。
並を遥かに越した速さに、ヨウコの声が戦慄く。
「なんなの……!? 欠陥品じゃないの!?」
ソウは答えを伝える必要はない。だから、インカムは入れない。
「悔しいが、欠陥品だ」
それでも呟く。過去の苦さを吐き出さずには居られなかった。瞳に輝く猛りの奥に、寂しさが陰る。
しかし、直後の声に気迫が籠った。
「だが! それでも!」
ソウの機動が、一層の鋭さを帯びる。不規則に左右へ、緩急自在に。
その中でも銃撃は外さない。
「オレは! オレのできる事を! できる事》を!」
望まぬ過去の産物でもアオイの役に立つ。その気迫がキレを生む。
一方、ヨウコ機の動きが徐々に鈍り、声に苛立ちが目立ち始めた。
「どうしてそこまで!?」
「頼りにされたからな」
インカムは切っているから聞こえるはずもない。それでも答えたかった。
ヨウコの声に一層の苛立ちが籠る。
「一人で逃げているかも知れないのに!」
「アオイを信じている」
アオイが仲間を見捨てるはずがないと、確信を込めてソウが呟く。
徐々に近づく二機の距離。
「この! この!」
ヨウコ機の照準が甘くなった瞬間、ソウ機が鋭く踏み込んだ。
「甘い!」
「くっ!?」
ハンドガンの銃口がソウ機に向けられる。だが、ソウ機は銃口を押しのけ、一気に懐へ入った。
「しまった!?」
ヨウコのハンドガンから放たれた銃弾は明後日の方向へ飛び、崖に着弾した。
一方のソウ機は、アサルトライフルをヨウコ機胸部へ押し付ける
「がら空きだ」
フルオートで叩き込まれる銃撃が装甲を剥ぐ。弾倉に込められた弾を撃ち切った後、ソウ機が身体を捻る。
「吹き飛べ!」
軸足が土をえぐり、重金属の鞭のような横蹴りが繰り出された。
重い衝突音が炸裂した後に、ヨウコ機が弾かれる。巨人の蹴りの衝撃が操縦士を襲い、ヨウコの声に苦悶が混じった。
「くはっ! この!」
二機は距離を取り、仕切り直した。再度の激闘に備えソウは呼吸を整え、切れ長の三白眼を見開いた。
「まだだ!」
ソウの銃火が号砲となり、銃撃戦の口火が再び切られた。だが、ヨウコは銃撃を控え、回避機動を強める。
その変化にソウは顔を顰めた。
「急に攻勢が弱まった? 残弾を気にしているのか?」
だが、ソウが手を緩める理由にはならない。銃撃を続け、確実に相手を弱らせる。
ヨウコ機の装甲は減り続ける。あり得ないほど一方的な展開に、ソウが切れ長の三白眼を不審で歪ませた。
「何を狙って――」
ヨウコはソウ機の足元に、一発だけ銃撃を放つ。
「私に夢中になりすぎて、周りが見えていないみたいね」
足を止めたソウは、不敵な笑いに周囲を警戒する。
訝しむソウの耳が、小石が落ちる音を拾った。
「一歩引いて考える癖をつけたら? もう遅いけどね」
ソウが上を見ると、大小さまざまの岩がソウに目掛けて襲い掛かるところだった。
「崖崩れ!?」
咄嗟に、ソウが回避を試みようとする。だが、ヨウコの声は見越した様に酷薄だった。
「させないわ」
ヨウコ機がハンドガンを発砲する。放たれた弾丸はソウの機体の軸足に当たった。
「な!?」
ソウ機が衝撃で倒れこむ。無防備に横たわる機体へ、容赦なく岩石が襲い掛かった。
「ぐぅ!?」
いくつもの岩石が装甲を激しく叩き、土埃が舞い上がる。ヨウコ機が、その様を傍らで静かに見届けていた。
「ハンドガン一発でここまで崩れるとはね」
ヨウコの声が、余裕に踊る。
「今度も、狙いどおりに動いてくれて助かったわ」
鼻歌まじりのつぶやきだった。
ヨウコ機が銃口を向ける先には、戦闘不能の一歩手前まで装甲が剥離したソウ機が倒れ伏している。ほんの少しも動かなかった。
「これで形勢逆転ね。私はあなたの事、好きだったわよ」
ヨウコがコックピット内のトリガーを引こうとした時、峡谷の奥から銃声が響いた。
「誰!?」
ヨウコの声に焦りが乗った。だが、しばらくすると愉快そうな笑い声に切り替わる。
「アオイさん。戻ってきたの?」
ヨウコ機のアイカメラの先には、アサルトライフルを構えたアオイ機の姿があった。
「あなたの事、本当に大好きよ。今からでも遅くない。私の仲間にならない?」
アオイの眼前のゴーグルモニターには、ハンドガンを構えるヨウコ機と倒れ伏したソウ機が見えた。
アオイが動かないソウのシドウ一式へ視線を送る。そして、ある表示が無い事に安堵した。
「機能停止はしていない。今、ボクのすべきことは……」
アオイが、インカムをオンにする。
「お断りします」
「あら? 今度もおしゃべりに付き合ってくれるの?」
ヨウコの返答を聴き、少しだけ安堵の息を吐く。
(よし。問答無用に殺しに来るわけじゃない)
ソウ機の様子を伺いながら答えた。
「ヨウコさんには恩がありますから」
「こんな時まで? 義理堅いのね。じゃあ、聞きたいんだけど、どうしてここまで追い詰められても裏切らないの? 仲間とは言え、ただの他人でしょ?」
「違います。相棒です」
自然と声に力が籠った。
「私には違いが分からないんだけど?」
「まっすぐに見てくれた。頼ってくれた。初めての相手です」
「だからって……」
ヨウコの戸惑いがはっきりと聞こえた。
「ヨウコさんには感謝してます。ソウのこと、教えてくれて」
「私に? 感謝? 嘘を――」
「本当です。おかげでソウの事を、真っすぐ見れました。心から尊敬できました」
ヨウコが鼻で笑った。
「大げさじゃない? ただの仕事仲間でしょ?」
「ヨウコさんは、そう言う人に会えなかったんですか?」
「……会わなかったわ。レモン君はそんなに――」
「それです。ソウはあんなに凄いのに、どうして真っすぐ見ないんですか?」
ヨウコの言葉が続かなかった。
「ヨウコさんの言うとおりでした。いい人に会えるか。それで全然違いました」
「私だって……。どうして、貴方だけ」
ヨウコの声に嫉妬が色濃く混じる。
「一歩を進んだ。それだけです。それだってヨウコさんのおかげです」
「私が? ……そんな事を」
「本当です。ヨウコさんが励ましてくれたから、だからソウに会えました」
ソウと逢った日に、アオイを支えたのはヨウコの励ましだった。
「それで……。そんなの……、ただの運じゃない」
「そうです。人生に一度、あるかないかの幸運です。だから、守り抜きます」
ギリっと歯を食いしばる音が、ヨウコ機から聞こえた。
「裏切るつもりがないなら……、これ以上は時間の無駄ね」
峡谷を沈黙が包む。ヨウコ機がハンドガンを向けた。
「ケリはこっちでつけさせてもらうわ」
銃声が峡谷に響く。
アオイ機が岩陰に隠れ、アサルトライフルを半身で構えた。そして反撃の発砲を敢行する。
しかし、弾丸はヨウコ機の足元を僅かに抉っただけだった。
「アオイさん! もうちょっと練習した方がいいわよ!」
「ヨウコさんを倒して、たっぷりします!」
銃撃戦が続く。互いに隠れては撃ち、撃っては隠れてを繰り返した。焦燥がアオイの声に乗る。
「こっちの方が、火力があるはずなのに!」
ヨウコの銃撃は当たるのに、自分の銃撃は当たらない。連戦で装甲も削られている。アオイの顔に余裕はなかった。
徐々に勝負の天秤がヨウコの方に傾いていく。
「アサルトライフル。残弾ゼロ」
無機質に響くシステムメッセージに、アオイが顔を歪める。
「武器変更! ハンドガン!」
最後の命綱であるハンドガンへ装備を切り替えた。
「もう少しのはずなのに!」
お互いが鎬を削る銃撃戦が続く。
「ソウを! 死なせる訳には!」
だが口にした願いとは裏腹に、ハンドガンにヨウコの銃弾が当たる。
「ぐ!」
衝撃で、ハンドガンは遥か後方へ弾き飛ばされた。それを見届けたヨウコの声には嘲りと同情が乗る。
「あら、残念」
「く! あんなところまで」
アオイ機が振り返った先、ハンドガンが落ちた周辺に隠れる所はない。取りに行く間に撃破されると、アオイは判断した。
ヨウコ機から聞こえる声に余裕が戻る。弄ぶようにたっぷりと間を置きながら、高らかに語りかける。
「そこで見てれば、見逃してもいいわ。これが最後のチャンスよ」
そう言って、視線を倒れ伏しているソウの機体へ銃口を向けようとする。
「裏切ったのは、苦しかったから。私たちは悪くない。きっとみんなが私たちの様に――」
自分を慰めようとしたヨウコの耳に、人戦機の足音が聞こえた。ヨウコが、目を見開きながら振り向く。
「どうしてそこまで!?」
弾薬の尽きたアサルトライフルを握りしめ、アオイ機が突撃してきた。淑やかな顔が、嫉妬に曇る。
「本当に! 妬ける!」
ヨウコ機が銃撃を打ち込む。残り少ないアオイ機の装甲が砕けていく。もはや、限界寸前である事を悟ったヨウコが、勝ち誇るように笑った。
「あなた、本当にいい人ね! 不格好だけど!」
機体に限界が迫るころ、シドウ一式がアサルトライフルを投げた。迫る銃はヨウコ機の片腕で、あっけなく防がれた。
すぐに銃撃は再開される。
ささやかな抵抗は、ヨウコに取っては狂乱と自棄にしか見えなかった。
「あはは! 無様! だけど素敵!」
ヨウコは未熟なアオイを嗤い、見下し、愛おしむ。高揚に溺れるヨウコ。
一方のアオイは、冷静にモニターを見ていた。
(お願い……。頑張ってシドウ!)
僅かながらに動くソウ機を見据えていた。
(ソウがやってくれるまで!)
岩の下敷きになったソウの機体。コックピット内で、ソウがぐったりとしていた。
意識が朦朧としているのか、半透明ゴーグル越しのソウの瞳は焦点が合っていない。ソウのヘッドホンにアオイ機が駆ける音が聞こえた。
「アオイ……か」
歯を食いしばる音がコックピットに響く。
「……きっとオレを信じている! ……だから!」
ソウの瞳に輝きが戻った。
呼応するように、シドウ一式が僅かに動く。無音のままアサルトライフルの銃口をヨウコ機の手元に向けた。
「今!」
銃撃がヨウコを襲う。
「な! しまった!?」
ソウの執念が実を結んだかのように、ヨウコのハンドガンが弾け飛ぶ。ハンドガンは弧を描きながら宙を舞い、囮となったシドウ一式の近くに落ちた。
「取りに!? いや!」
取りに行く間の追撃で一方的なダメージを受けるのは下策。ヨウコの判断は早かった。
「そのダメージ! この距離! ならば!」
ヨウコ機が一気に間合いを詰める。それを見たソウが吠えた。
「立て! シドウ!」
ソウのゴーグルモニターには無数の赤い表示。機体中のマッスルアクチュエーターに破損警告。装甲も警告だらけ。
グラグラとふらつく脚に冴えが無い。
「立ち上がれ! アオイのために!」
ソウの咆哮に応じるが如く、バイオストラクチャー合金を軋ませて、機械仕掛けの戦士は立ち上がった。
力ないソウ機の姿を見たヨウコが、高笑いを上げる。
「そのダメージ! ツイてないわね! 貴方の人生!」
ヨウコ機がシドウ一式へ殴りかかった。ソウ機が僅かに半身を逸らす。ヨウコ機の拳は空を切った。
「な!?」
ヨウコ機が拳の勢いに流される。獲物を仕留めそこねたヨウコが舌打ちを一つ。
「レモン君のくせに、本当に頑張り屋さん! 少し目障りだわ!」
流された勢いを切り返し、ヨウコ機が更なるパンチを繰り出そうとする。だが、繰り出された次撃を、ソウ機はまたも躱す。
そのコックピットでソウが叫ぶ。
「ここだ!」
ソウ機が軽く殴る。ソウのゴーグルモニターに大量のアラート。そこまでが限界。
だが、力の流れとタイミングを見極めた一撃だった。ヨウコ機はバランスを崩してたたらを踏む。
「な!?」
驚きに満ちたヨウコの声。
「でも、それくらいしか――」
舌打ちをした後、反撃に移ろうとしてヨウコ機が拳を振りかぶる。
だが、背後に迫る足音を聴いて振り返った。そこには、アオイ機が一足の間合いに接近していた。
「な!」
直後にシドウ一式が跳んだ。そのコックピットでアオイが吠える。
「ソウだったら!」
アオイが思い浮かべるのは、初めて逢ったあの日。今も鮮烈に脳裏へ焼き付く、華麗な体技。
そのイメージを機械仕掛けの戦士が鮮やかに読み取る。
「ボクの全部を!」
ソウに比べれば不慣れで、不格好で、不器用だが、アオイの全てを乗せた一撃だ。
「くらえぇ!」
巨躯が纏う慣性を脚先に込め、全力の蹴りを突き立てる。
ヨウコ機の装甲に衝撃が波打ち、轟音が峡谷に響いた。
弾かれたように吹き飛んだヨウコの機体は、地面に激しく叩きつけられ、囮となったシドウ一式の隣まで転がる。
その後はピクリとも動かない。
「やった!」
アオイが勝利を確信し、安堵の息を吐きながらソウの元へ駆け寄る。
「ソウ! 大丈夫!?」
「辛うじて動ける。先ほどの技は?」
「ソウの真似。下手くそだったけど」
「精度向上が必要だな。帰還したら自主練習だ」
「いや、今日くらいは休みたいんだけど――」
ソウとアオイが互いの状態を確かめ合う間、ヨウコの機体が静かに動く。
そして、近くに飛ばされていたハンドガンを握った。二機のシドウ一式を見ながら、ヨウコが感嘆の息を吐く。
(本当にキレイ。もったいないけど……!)
そうして、上体を起こし狙いを定めようとした時、ソウ機が銃口を向ける。
「気づかれた! でも!」
照準から逃れるために、ヨウコ機が大きく横へ飛び退いた。直後、銃弾が空を翔け抜ける。
アサルトライフルの銃口がヨウコ機を追おうする。だが、ソウ機の腕部から異音が響いた。
「照準が! クソ!」
腕の動きは普段とは比べ物にならないほど遅く、銃口の向きはまるで合っていない。
ヨウコ機が、回避機動のままに銃口を向ける。自信に満ちたヨウコの声。
「これで終わ――」
ヨウコ機の足元で衝突音。
「な――」
ヨウコ機は勢いよく転がった末に、崖に叩きつけられる。ヨウコの声は当惑に満ちていた。
「一体……、何が……?」
ヨウコ機が頭部を上げる。そして、視覚センサーが一点を見つめた。
「そんな……。まさか……」
その先には、身代わりに使われた古びたシドウ一式と、傍らに転がる人影があった。
攻性獣の攻撃によって胸部に穴が開き、転倒の衝撃で機外に転がり出でてきた操縦士の遺体だった。
ヨウコの声が震える。
「どうしてここに……。どうして今頃……」
コックピットのヨウコは呼吸を荒げ、肩を震わせていた。歯の根が合わない中、意味不明の言い訳を始める。
「だって、あれはあなたが……」
ヨウコのモニターに遺体の映像が映る。ミイラと化した操縦士の顔がはっきりと見えた。目は落ちくぼみ闇を湛え、転げ出た衝撃で、口はパカリと開いていた。
「私の事を嗤っているの……? 私はあなたの事、そんなつもりはなかったのに……」
恐怖と錯乱で歪むヨウコの顔。優美な切れ長の瞳は、今にも泣き出しそうな程に震えていた。
錯乱するヨウコの意識に、アオイの叫び声が割って入る。
「――さん! ヨウコさん! 逃げて! 上から!」
現実に戻ったヨウコが背後の崖を見上げた。機体の背後に、無数のヒビが走っていた。
「な!?」
ヒビは一面に広がり、限界を迎えた。大量の落石がヨウコを襲う。
「しま――」
ヨウコ機の装甲が見る間に剥がれ、機影は岩に埋まっていった。もはや動く気配はない。そして、機能停止信号がアオイたちの元へ届いた。
「そんな……。ヨウコさん」
「機体をこじ開けて身柄を――」
ソウ機が、岩をどけてヨウコ機を掘り出そうとする。だが、アオイのモニターに多数の反応があった。
「待って! 峡谷入口の方から反応! 攻性獣多数! 早く逃げないと!」
「だがこいつは、オレの過去を!」
「ソウ! ダメだよ!」
「どうして邪魔をする!?」
「相棒の無茶を止めるのが、相棒の仕事だ!」
その一言に、ソウは唇を噛み、慟哭を上げた。
「分かった……」
「いつまでもここにいると弾薬がなくなるよ。まずは、戻って補給と修復をしないと」
アオイの眼前に峡谷にうごめく軽甲蟻が映る。
「アオイ。来たぞ」
「あの数は……」
普段なら蹴散らせる数だったが、消耗した今は心許ない。息を呑むアオイの視界の端に、通信ウィンドウが開き、切れ長の三白眼が映った。
「すまない。巻き込んでしまって」
珍しく弱気な口調だった。だが、相棒として掛けるべき言葉を返す。
「謝罪は非効率的、でしょ? これからの事を考えなきゃ」
それを聞いたソウが、ほんの僅かだが笑った。
「そのとおりだな」
ソウが、いつもの平静なソウに戻る。
「困難な状況だが」
「それでも一緒だよ」
二機は揃って駆け出す。風化したシドウ一式とヨウコの埋まる岩を見た二人は、隣にある幸運に感謝した。
そして、攻性獣がアオイとソウの目の前に迫る。
だが、今の二人ならきっと切り抜けられると確信があった。