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作者: ディエ
R-15
準備
翌日の朝、湖陵高校の裏門へ行くと、先輩はやはり時間前に来て、待っていた。
「おはようございます」
「あ、おはよう」
昨日のことには触れずに、お互いに挨拶を交わす。
先輩は少し腫れぼったい目をして寝不足気味のようだったけど、先輩からすれば、私もそう見えたかもしれない。
とりあえず私たちは、体育館の手前の出入り口へ向かう。
「それで、キーって本当に田沢に預けたの?」
「多分・・・ 部屋にはなかったので、もうそれくらいしか心当たりがなくて」
「ふ~ん・・・ あーちゃんがそこまで田沢のこと信頼してたなんて、意外だなぁ」
「信頼って言うか、消去法ですかね。何か預けるような人は先輩か田沢先生くらいしか思い付かなくて」
これで田沢先生に何もないと言われてしまうと、本当に手掛かりはなくなってしまう。
グラウンドでは野球部や陸上部が活動していたけど、田沢先生の姿はなかった。
「田沢って陸上部の顧問だったよね? いなくない?」
「いませんね・・・」
「一応、体育教官室も見てみる?」
そうして私は内履きに履き替え、先輩は靴箱の予備のスリッパを履いて、出入り口のすぐ横にある体育教官室をノックする。
「失礼しまーす」
「・・・誰もいませんね」
「まぁ、そうだよね。部活のために来てるんだから。ちょっと待ってて」
そう言って先輩は小走りで体育館に入っていく。中にはバレー部がいたから、そこで田沢先生が来ているか聞いてくれているのだろう。
しばらくして、先輩は同じように小走りで戻って来る。
「ダメ。今日は来てないってさ。どうする?」
「じゃあ、とりあえずメッセージ送ってみますか。反応あるといいんですけど」

『以前、先生に何かを預かってもらったことってありますか?』

とりあえずそう送ると、出入り口のところに先輩と並んで腰を下ろす。
「あーちゃん、田沢の連絡先なんて知ってるんだ」
「いつの間にか登録されてたんですよね。もしかしたら、元からいたオリジナルの私が、何かしてたのかも」
「なるほど・・・ じゃあ、オリジナルのあーちゃんが田沢に何か預けたのかもね」
先輩が納得したように言う。
「・・・先輩、オリジナルのこと、どう思います?」
「どうって、別に何も。会ったことも話したこともないし」
それは桧原さんも言っていた。オリジナルと先輩は出会っていないと。でも私の言いたかったのは、そうじゃない。
「・・・あくまで仮定の話なんですけど、私がいなくなってオリジナルが復活したら。オリジナルじゃなくても、どこかから別の私がスライドしてきたら。 ・・・先輩はその新しい『私』と仲良くできますか?」
「できないでしょ」
先輩は即答する。
「何から何まで全部同じだったとしても、それはあーちゃんではないんでしょ? 私がそのことを知っている限りは無理」
「そう、ですか」
私は『そうですよね』と言いかけて、言葉を変える。それはあまりに自惚れが過ぎるだろう。
「ちゃんとあーちゃんがいて、その上でオリジナルとか、他からスライドしてきたあーちゃんがいるなら話は別だよ? 『あーちゃん、双子だったんだ』って思えばいいだけだから。でもあーちゃんの代わりには、絶対ならないよ」
先輩はそう断言してくれる。
「・・・桧原さんもそうなんでしょうね」
桧原さんは退院後に、どこかからスライドしてきた私を見て絶望し、迷路の中では冷たく当たり、そして今は他人行儀に接している。今思えば、全て納得できる行動だ。
「だから、あーちゃんも注意してね」
「え?」
「桧原さんにとって、オリジナルとあーちゃんが違うように、あーちゃんの知ってる桧原さんは、ここの桧原さんとは違うかもしれないってこと」
「はい」
先輩の言わんとしていることは分かる。以前、私Bも同じことを言っていた。
桧原さんにとって、特に今の追い詰められた桧原さんにとっては、長い間パートナーとして一緒にやって来たオリジナルが誰よりも大切なはずだ。私や先輩のことなど、どうなってもいいと思えるくらいに。

その時、私のスマホに着信がある。
それは田沢先生からだった。

『今どこにいる? すぐに行く』

とりあえず、預けたものがあるかどうか知りたいだけなのに・・・
「なんか来てくれるみたいですよ?」
そう言って先輩にも見せていると、今度は電話が鳴り始める。もちろん、田沢先生からだ。
電話は苦手なのに、と思いながら操作すると、途端に田沢先生の大きな声が聞こえてくる。
「奥只見! お前、今どこにいる!?」
「え、学校ですけど。体育教官室の前・・・」
「湖陵高だな!? そこから動くな! 待ってろよ!」
それだけ言うと、通話は途切れる。
わざわざ湖陵高か確認するなんて、それ以外のどこの学校にいると思ってるんだ。
「今の田沢でしょ? なんかすごい焦ってなかった?」
あんな大声で怒鳴れば、隣の先輩にも聞こえて当然だ。
「何なんでしょうかね・・・」
そしてその30分後、田沢先生が職員駐車場の方から、息を切らせて走ってくる。
「奥只見! 大丈夫か!? まずは落ち着け!」
「先生の方が落ち着いてくださいよ」
私たちは自販機で買った乳酸菌飲料と紅茶を飲みながら、田沢先生を見上げる。
「おう、よし、大丈夫そうだな・・・」
そんな私たちを見て、先生はほっとしたように息を吐く。
「なんでそんなに慌ててるんですか?」
「いや、お前が預けてたものがあるか、とか言うからだろ」
「それでどうして先生が慌てるんですか?」
「それは・・・」
田沢先生はちらりと先輩の方を見る。先輩には聞かせたくない、私の、いやオリジナルのプライベートに関することなのだろう。
思い当たることは一つだけだ。
「これは冗談とかじゃなくて、私は本当に先生に何かを預かってもらったのか、忘れているんです。そして、先輩にも一緒に聞いてほしくて、来てもらったんです」
苦しい言い訳だけど、他に言いようがない。
「だがなぁ・・・」
そう言っても、田沢先生はどうしようかと迷っている様子だ。
私は思い切って切り札を切る。
「それは、私の自殺に関することですか?」
「ばか、お前!」
田沢先生は慌てて辺りを見回すが、近くにはもちろん誰もいない。
でもその反応は私の予想を裏付けるものだった。
田沢先生はオリジナルの行動をある程度察している・・・
「・・・こっちに来い」
田沢先生は私たちを体育教官室に通すと、来客用のソファーに座らせる。
「奥只見、本当に諏訪にも聞かせていいのか?」
その向かいに座ると、田沢先生はそう確認してくる。
「はい。私は何を預かってもらったんですか?」
「その前に」
田沢先生はずいっと体を乗り出してくる。
「お前、もうあんなことは考えていないよな?」
多分、時期的にはオリジナルが展望台から飛び降りる直前のはずだ。オリジナルが無関係の田沢先生にこれから何をするかなど言うとも思えないし、おそらく田沢先生が一人で察していたのだろう。
それでオリジナルが自殺するのではないか、そしてその自殺と預けた品物が関係しているのではないかと考えていたとしたら、素晴らしい洞察力だ。正確には自殺ではないけど、深刻な自己犠牲という点では同じようなものだ。
「全く考えていません」
私は好きな人を残しての自己犠牲など選ばない。
私がそう言うと、田沢先生はじっと私の目を見詰めた。私の目を通して、内面まで見通してくるようだった。
「確かに、あの時とは状況が変わったようだな・・・ 目が違う」
田沢先生は立ち上がり、自分の机の引き出しから、小さな箱を持ってくる。藤色の箱に金細工が施された、とてもきれいなものだ。
そして、いつかのイベントで同じものを目にしていたことを思い出す。
あの感覚は、私が来る前のオリジナルの記憶だったのだろうか。
「・・・先輩。これです。間違いありません」
私は思わず先輩の手を握って言う。何がどうとは説明しにくいが、明らかに異様な気配を感じる。
田沢先生はそれを私の目の前に置く。
「お前から預かったまんまだ。何もいじっていないぞ」
私はその異様なものを前に、息を飲む。
「あの、私はこれを預かってもらう時に、何か言ってましたか?」
その問いに田沢先生はおかしな顔をする。
「すみません。その時のことは何も覚えてなくて・・・」
そう誤魔化すと、田沢先生は少しためらうようなそぶりを見せるが、話し始める。
「お前はひどく思い詰めた様子で、『このことは誰にも言わないでください』って言って、これを持って来たんだ。俺はもう、形見か何かのつもりだと思ったぞ。俺が何でも力になるから、そんなことは止めろって、怒鳴ったと思う。そうしたらお前は『自殺なんかするつもりはありません』と断言した。これは覚えてるだろ?」
「はい」
全く記憶にないけど、田沢先生に期待を込めて言われ、私はそう答えるしかなかった。
「『ただ、勘違いして後追い自殺を考えるかもしれない人がいます。だから、これを預かっていてください』。お前はそう言ったんだ」
桧原さんのことだ。ということは、これは桧原さんに渡さない方がいいのでは?
「そして、『私がオルゴールを返してくださいって言ってきたら、よく相談した上かと確認してください』と言われたんだ。どういう意味かと聞いたが、『第三者からの言葉の方が響く時もありますから』、とはぐらかされた」
つまりオリジナルは今の私たちの状況を、かなり正確に予期していたということだ。
だとすれば、なおさら桧原さんを悲しませるだけの、自己犠牲の投身自殺などするわけがない。そこには何らかの勝機があったんだ。
「話はそんなとこだったんだが、お前はこれを返してくれと言うのか?」
「・・・はい。返してください」
「じゃあ、確認するが、よく相談した上か?」
「・・・いいえ。結果がどうなるか分からないので、まだ相談は出来ていません」
私はオリジナルの遺した問い掛けに、正直に答える。
「おい、それじゃあ・・・」
田沢先生は難色を示すが、それまで黙って聞いていた先輩が口を開く。
「奥只見さんは、」
そう言いかけて、先輩は私の左手を取る。
「あーちゃんは大丈夫ですよ。一人じゃありませんから」
そう言って先輩は自分の左手と、私の左手を並べて見せる。両方の薬指にはお揃いのペアリングが光っている。
田沢先生はそれに気付き、私にも目を向ける。
「はい。大丈夫です」
「そうか。じゃあ、これは返すぞ。 ・・・まぁ、返せと言われて返さないなんてことは出来ないけどな」
田沢先生は、背もたれに寄りかかりながら言う。
「だが、何度も言うが、何かあったら人に頼れ。誰もいなければ俺に頼れ」
「ラーメン奢ってくれるんですか?」
私が笑いながら言うと、田沢先生も笑う。
「あぁ、今度は奢ってやる。その代わり、ラーメン喰えるぐらい元気にしてろ」
「はい。覚えておきますね」
そうして私たちはそのオルゴールを持って、今度は桧原さんの待つヒストリーパークに向かう。

私たちを乗せたタクシーがヒストリーパークに着くと、それを出迎えるように桧原さんが車から降りてくる。
その姿は、たった一日でさらにやつれたように見えた。
「キーは見付かった?」
「はい。これです」
私はそう言って、桧原さんにオルゴールを渡す。
「うん、これよ。確かにあすかの力が残ってる」
そう言って桧原さんは、そのオルゴールを両手で大切そうに抱きしめると、展望台の方へと歩き出す。
私たちは、少し距離をおいて、後に続く。
「それで、それを使ってどうするんですか?」
「どうって、あすかと同じことよ」
私の問いに、桧原さんは当たり前のように答える。
「・・・それって、自殺するってことですか?」
「・・・あなたも見たでしょ? あすかはまだ死んでいない。私もあすかのそばに行くだけよ」
「でも世界から死亡認定されたって・・・ だから私がスライドして来たって・・・」
「あすかは死んでない!!」
桧原さんが突然、叫ぶ。
目がヤバい・・・
「・・・確かにあすかは死ぬわよ。もう少し亀裂が広がれば、あの結界ごと粉々に砕かれてね。でもまだ死んでいない。死ぬときは私と一緒なのよ」
桧原さんはうっとりした表情でオルゴールに頬擦りする。
「素敵でしょう? 愛する人と一緒に死ねるなんて」
「でも、そんなことしたって・・・」
「何にもならないって? 私には最後の役目があるのよ」
桧原さんはやつれた顔で、無理やり笑顔を作る。
「それはね、手っ取り早く死ぬことよ」
「え・・・?」
「私が死ねば、世界は別の私をスライドさせてくる。あすかの時と同じように。あなたたちは、そのスライドして来た私と三人で、今度はうまくやりなさい」
そう言った桧原さんの顔には、狂気とも慈愛ともつかないものがあった。
「あすかのやろうとしていたことには気付いていたの。禍福のバランスの取れた私と、強烈な禍を持った奥只見さん、強烈な福を宿した諏訪さん。あすかが時間を稼いでいる間に、その三人で何とかしなさいってことだったのよ。でも私は、あすかの福をもらえなかった嫉妬心から、あなたたちとの協力を拒否した。私が、たった一つのチャンスを棒に振ったのよ」
「そんな・・・」
「今、出来ることは、あすかのそばに行って、もう少し時間を稼ぐことぐらい。私なりの責任の取り方よ」
桧原さんが展望台の階段の所まで来ると、辺りは急に薄暗くなり、時間が止まったかのような静寂に包まれる。
桧原さんが簡単な結界を張ったのだ。迷路の持つ性質と似たもので、この中では桧原さんがシャドウと呼ぶ、もう一人の桧原さんを出現させることができる。
そして、そのシャドウは光輝く弓を構え、真っ直ぐに私を狙っていた。
「動かないでね。禍の迷路は無効化できても、福の攻撃はそうはいかないわよ」
「あ、あーちゃんを殺したりしたら、桧原さんの計画だって・・・」
先輩が私の手をぎゅっと握り、庇うように前に出る。
「いいのよ別に、あなたじゃなくたって。あなたの代わりは言葉通り、無限にいるんだから」
そう言いながら、桧原さんは小さなオルゴールの蓋をゆっくりと開ける。
柔らかな澄んだ音色がゆっくりと流れる。
その途端、桧原さんはビクッと体を震わせて、膝を付く。
「桧原さん!?」
私は桧原さんに駆け寄ろうとするが、輝く矢が足元に打ち込まれ、動けなくなる。
「・・・動かないでって言ったでしょ。余計な手間をかけさせないで」
絞り出すように言うと、桧原さんはゆっくりと立ち上がる。その体には周りの禍がどんどん吸い込まれていく。
「あすかってば、平気な顔してたけど、結構苦しいんじゃない」
そうして桧原さんが先輩のことをスッと指差すと、先輩の体はピクリと震えた。
「え?」
「私の福は諏訪さんにあげる。あすかのと一緒に大事にしてね」
桧原さんは肩で息をしながら、展望台の螺旋階段をゆっくりと登って行く。でも桧原さんのシャドウは弓で私を狙ったまま、動こうとしない。
じりじりと時間が流れる中、私たちとシャドウの睨み合いが続く。螺旋階段を登っている桧原さんも、度々こちらを見下ろしてくる。
そして最後に桧原さんの姿が塔の陰に隠れ、シャドウがふっとかき消えると、私たちは同時に走り出した。桧原さんの命が掛かっている状況で、先輩は私を追い越し、どんどん先に行く。
「桧原さん!」
展望台の頂上で、先輩が叫ぶ声が聞こえる。
だいぶ遅れて私も頂上に到着すると、そこの柵が一つ外され、そこに桧原さんが立っていた。
「あら、あなたもお見送り? 最後にその顔が見られるのはうれしいわね」
「桧原さん、待ってください!」
私は叫ぶが、虚ろな表情の桧原さんには届いていないようだった。
「あすか、私もそっちに行くね」
そう呟くと、桧原さんは屋上から身を躍らせた。
そしてすぐに、桧原さんの作った結界は消えた。
「桧原さん!?」
慌てて柵に駆け寄って見下ろすけど、もうそこには桧原さんの姿はなかった。
現実世界から禍の迷路の中に入ったのだろう。
私は桧原さんがやったように、自分で結界を作り出す。すると、下の方に以前よりも大きくなった結晶が見えるようになる。桧原さんはオリジナルの結界の中に入ったのだ。
私は大きく息を吐いて、その場にへたり込む。
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