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作者: 葛城 隼
残酷な描写あり
第39話 料理は人生のテストだ
「黒毛和牛とは、この国のブランド牛らしい」

 その女性は、上品な手つきでプレートに乗ったステーキをカットしながら、赤茶色のテーブル向かいの少女へ語っていた。ブロンドのセミロングヘアに、赤が混じった前髪。ルビィ・ニンフェアだ。

 そこは茶色い木目で形作られた料理店だった。窓に映る景色は、月夜の下、往来する車や並ぶ住宅街。特別じゃない、平穏な街にあるお店。

 向かいで黙々とステーキをカットして食べ始めている褐色の少女、ティナ・ニンフェアに、ルビィは講釈を続ける。

「『和』とは、日本の通称を意味する漢字だそうだ。して和牛とは、日本国内で生まれ育ったものをそう表記するとのことで、国産牛は産まれに関係なく日本国内ならそう分類される。国産牛、和牛、黒毛和牛の順で狭く、そして珍しくなる、といったところか」
「お肉は全部おいしいよ」
「確かにそうだね。けど人は物珍しさに心を惹かれるものだ。そして黒毛和牛は、肉の色あい、きめ細かさ、締まりといった肉の質に特化したもの。美味しく頂くために生まれ育ったものだ」
「だから『いただきます』って日本語で言うんだよね」
「その通り。美味しい?」
「うん、スゴくおいしい」
「それは良かった」

 満足し、微笑みを向けるルビィ。自分もいよいよと、焼かれた黒と生の赤を覗かせるステーキの一片をフォークに突き刺し、口元へ運ぶ。
 お預けされていた訳ではないが、ずぅっと香っていた黒胡椒の混じった、待ち焦がれた匂いが近づく。呼吸と共に嗅覚を刺激していたそれがより、ルビィの食欲を増長させた。

 口を大きく開き、一気に頬張る。
 熱々のプレートで熱を帯びた肉が、ルビィの口内で暴れ出す。確かに熱さでほのかに痛みを感じる、それ以上に味が広がる。絡められたステーキソースのしょっぱさ。焼かれた面で閉じ込め、赤みに混じる肉汁。酸素と入れ替わりに鼻を刺激する風味。一つ一つを、ルビィは全神経で確かめていた。
 味の予想などしていなかった。それは無粋だと考えていたからだ。受け身で舌に転がす肉の味を、ルビィは一回、一回と咀嚼する度に幸福が増していくのを、胸の奥底から味わった。

 一度、深呼吸し。口をナプキンで拭い、ルビィは子供っぽい笑顔で恍惚を漏らす。「──美味しい」、と。

「『食』とは生きることだ。動物も、植物さえも、『食』によって生きている。では料理とは?」

 そう問いかけたルビィ。ティナにだ、テーブルには2人しかいない。しかし、ティナは首を傾げ、一息の思考の後すぐに食へ戻る。

「『食』には野暮な話だったな」

 そうして彼女らは、その日の夕食を満面の笑みで味わった。

 *

「オシマイの概念……」

 そんな切り口で紙という名の虚空を見つめるのはそうです、僕です。我妻 タマキです。
 日本は東京、季節ヶ丘。星乃花ほしのはな高校のコンクリート製の廊下で僕とぷらな、それからカバンの中のヒカリとで集まり、冷えた空気に身を縮こませています。
 12月も半ばに差し掛かろうというこの時期この季節といえばそう、期末テストです。

「あーん赤点ギリギリぃ! 数学なんて難しいに決まってるもーん!」
「難しいのは確かね。けど理解できてる人に聞いてみるのはどうかしら。先生もだけど、タマキとか」
「そうね〜、ヒカリちゃんってば良いこと言う!」

 ぷらなが嘆きの声を挙げています。もし僕が赤点、もしくはそのギリギリの点数を取ろうものなら、この命を以て償うべく切腹するでしょう。この、シャーペンで……!

「タマキちゃんはどうだった? あ、難しい顔してるし、やっぱ……」
 僕は無言で見せる。哀しみのテスト用紙を。98点の点数を……!
「いや頭いいとかのレベル超えてるわ!?」
「全然だ、ダメなんだ! この2点何かわかる!? 最初の計算問題なんだ! 基礎中の基礎見返してる時にいくらでも気づけるしなんなら繰り返し見直してれば他より何周もするようないっちばん初歩の基礎問題で」
「わかった! わかったからもっと自分を褒めてあげてー!」

 慰められる僕。ああ、自分の惨めさを痛感する……。

「賑やかねぇ、アンタってばいつも」
「あっ、も、もか……」
「もかちゃーん!」

 現れたのはもかだった。彼方や、飴ギャルのくるみさんも一緒だ。

「やっ! テストの結果、どうやら振るわなかったみたいね?」
「オレはど〜でもいいけど?」
「あたしも同じく〜」
「っていう無関心なヤツらなモンで、話に花が咲かないのよ」
「おぉ〜もしろがられるのはちょぉ〜っとふふぅくぅなんですけどぉ〜?」
 もかに対して頭グルゥ〜んとして見得を切りけりぃ……。
「……歌舞伎?」

 あれから10日が経っている。もかとはこれまで通りのようでいて、やっぱりなんとなく距離が近くなった。というより、僕がもかに遠慮しなくなった、とするのが正しい。今まで僕がもかに距離感を無意識に感じていたからだ。
 それもこないだまでの話。教団と戦う僕らを制止するもかとぶつかり合って、初めてもかのことが垣間見えた。本当の友達になれた。もっともかの事を知りたい。

「ま、いいわ。とゆーワケで、アンタらのテストはどうかしら〜? アタシは、数学63点、現文が78点、歴史が85点で、生物が68点てな感じ?」
「スッゴ〜イ! 私なんて数学31点だよ〜! 現文も57だし、歴史37、あ、化学あったよね? 23点だったの〜!」
「そりゃあヒドい……。タマキは?」
「あっ、化学なら100点です」
「「「「ひゃくぅ!?」」」」
 アァッ、みんなに詰め寄られるぅ……!
「アンタよりによって化学100点なんてどゆこと!? アタシなんて42点よ!」と、もか。
「さすがに興味湧いてきたぞ。オレは化学58。数学73。現文65。歴史64で、生物37」と、彼方。
「あっ、数学は、その、ホント悔しくて堪らないんですけど98点で、現文は100点です」
「また100!」
「ンならあたしオール30代よ〜」と、くるみさん。
「あっ、オール95以上です。現代文が一番低かった……!」
「バケモンかよ」

 みんなの興味の眼差しがどんどん強くなっていく。変なプレッシャーで押し潰されそうだ……!
 一番興味を持ってそうだったのがもかだった。

「つか、そんならアンタ学年トップなんじゃない?」
「あっ、今回は2位です」
「あ〜、東 進ひがし すすむがいたかぁ……。アイツは本物の天才ね、しゃーない」
「……勝ちたいです。東さんに……!」
「いやそんな熱血マンガみたいに言われても」
「勝ちたいっ……!」
「続けるんかいっ。あぁ〜、そンならさっ、放課後みんなで勉強会しましょうよ! アタシのバイト先、平日の昼間んならヒマだしさ!」
「ウチはパス」とくるみさん。
「返事はやっ」
「オレぁ昼はお家でって母さんに言ってあるし。行けたら行く」と彼方。
「アンタそう言っていつも来るじゃない」
「あっ! 私はすぐ行きたい! 友達とお勉強会とか憧れてたの〜! ファミレスでパンケーキもぐもぐしながらお勉強! タマキちゃん先生、授業お願いしま〜す!」
「あっ、ハイ」
 ぷらなの誘いを何も考えず二つ返事した。

 ヒカリがバッグから僕を見上げているのが傍目で見えた。
「となると、どうするのタマ……あっ」
 僕はそれどころじゃない。

 勉強会!! それは『勉強』を口実に友達と遊ぶだけの陽キャの時間! 頭のいい子は何も学習する機会などなく、かといって勉強できない子はそれをキッカケに学習できる訳もない虚無の時間! ゲーム、漫画、おやつ、この現代じゃスマホまで! ありとあらゆる悪魔の誘惑に未熟な子供達が抗える筈もない!
 僕が強い意思で断るんだ! 断れ、断れぇーっ!!

「タマキも来るわよね?」
「あっ、ハイ」
 僕は無力だ。
「決まりね! 彼方は後でネ、くるみは後悔すんなよ〜!」
「行けたらっつってんでしょ〜」
「後悔しねぇよ〜」

 こうして僕は、もかとぷらなに引かれて勉強会に連れさらわれるのだった……。

 *

 ここはレストラン『ムムス』。住宅街を結ぶ道路にポツンとあるファミレスであり、僕の元バイト先でもかの現バイト先。
 僕は窓際すみっこ、隣に等身大に変化したヒカリが座り、向かいにぷらなともかの席順。

 まさか辞めてから客として来るというイベントが発生するなんて……。そういえば陽キャなもかは自分がバイト休みの日でもなんか人連れてきてたっけ、僕は厨房だからあんまよく見えなかったけど。やはり、経験値に圧倒的な差があるっ!

「もうダメだ、勝てるわけがない……!」
「やる前からオシマイの概念ね」
「いや勝手に終わらせないでくれる?!」
「タマキちゃん復活して〜! えいっ」

 カックゥ〜ンっ!
 ぷらなの『ラブずっきゅん』によるベクトル操作でテーブルに突っ伏した僕はムリヤリ背筋ピーンとさせられた!

「腰がオシマイっ!!」
「わぁかったわかった。さ、まずは糖分補給よ。テストで使った頭を回復させなきゃ」
「じゃ〜私は〜、パンケーキ!」
「ぷらなコレで〜、ヒカリは?」
「あら、ご親切にどうも。ん〜、色々あるけどティラミスね、それとドリンクバー」
「あっ、私もドリンクバーつけたい!」
「ハイハイ。タマキは?」
 もかの回し方助かるなぁ……。
「あっ、えと、豚のしょうが焼き定食、ご飯は中盛り、セットドリンクバーもお願いします」
「結構ガッツリ行くのね」
「あっ、ハイ。脳のエネルギー補給にはビタミンBやブドウ糖が効きますから。豚肉と、お米で」
「ここでも理詰めなのねぇ……。てっきりあの席の人らがお肉食べてるから、それでかと」

 もかが親指でくいっと指した方を覗き見る。そして刹那の思考でメニューで顔を隠す。

「ど、どしたのまた……」
「おや、何やら視線を感じたかと思えば」

 どうして、人の視線に気づくという概念が存在するのでしょうか。僕も僕で、相手の視線に気づいてメニューの影から隠した顔を覗かせると、ピッタリと目があった。

「タマキさんじゃないか」
「ルビィさん……」
 セミロングのブロンドに赤い前髪、ルビーのような紅く透き通った瞳のルビィ・ニンフィアさんだ。当然というべきか、銀髪に褐色肌の少女、ティナも同席してた。

「ふあぁ~キレイな人ぉ~! かっこいい〜! そっちの子は妹さんですか? お人形さんみたいにかわいいぃ~!」
 即座に反応したのはぷらなだ。それを遮るのはヒカリ。
「よしときなさい」
「え? なんで?」
「なんでもよ、ちょっとした知り合いだから分かるの」
「ちょっとした知り合いだから、別に気に留める必要はないよ」

 『ちょっとした知り合い』。その部分を繰り返し、ルビィさんがヒカリを咎めるように言った。多分、いやさすがに、こんな場所で敵対する意思は無いという事だ。以前バイトしてた頃にここで会った時、相手はプライベートだった。僕の考えすぎか?
 そんなふうに思考を巡らせて警戒していたら、その空気を察知したのか、もかが話を切り出す。

「いや、完っ全に言うタイミング逃したけど、この人らここの常連なのよ。んでタマキともなんか仲良いって聞いてたし。アタシとしちゃ、バイト中じゃなきゃヒマしない話し相手になっていいのよね~」
「え、いつの間にそんな距離が近く……!?」
 距離感バグじゃん。あと仲良いとかウソじゃん。
「ははっ。よければ私らもお話に混ぜてくれないかい?」
「あ〜……。アタシはいいですケド、ヒカリとタマキがビミョ〜みたいな……」
 僕らを言い訳に使わないで!?
「むぅ、残念だ。私としてはタマキさんとお話したいところだったんだけどね」
「えっ、えうっ、あうっ」
 ターゲットにされてたーっ!

 怯えてる内、ルビィさんがヌぅっと僕へ近づく。

「あっ、あっち行って下さい……」
「あんまりな言い方してくれるじゃない。私としては──そうだね、この店のレベルの低下で、食材がムダ・・にされてる点について話をしようかと思ったのだけど」

 僕はピクっとした。
「……今、なんて?」
「食材が、ムダ・・と言ったんだ。三流シェフによって手にかけられ、ムダ・・にされる食材達。悲しいかな、そうして出来上がったとて出来るものは、ブタのエサだ」
 ムダ・・ムダ・・と、ルビィさんは強い口調で繰り返す。
 頭にきていた、それもかなり。

「……けっこう、育ち悪いんですね」
「むっ」
「おばあちゃんが言っていました。料理は真心。その料理を踏みにじる者に心は無い。三流シェフと言ってますけど、貴女だってさっきまでその料理を食べていたじゃないですか」
「こんなもので満足するほど、私の舌は安くないよ」
「……やっぱり、決着着けなきゃいけないですね」

 僕は胸にふつふつ沸き上がる怒りのままに立ち上がり、ルビィさんを一瞥しズンズン歩く。「来い」、と背中で伝わったのか、ルビィさんも着いてきた。

「えええちょっと!? お昼は!? 食べないのー?!」
「運動したら食べるよっ!」

 *

 ──それからどしたの──

 レストラン『ムムス』に、店前の道路まで長蛇の行列が出来ていた。

 遅れてやって来た彼方は、目の前の状況に目をキョロキョロとさせていた。
 ドタドタと忙しなく、それに駆け寄る。
「うおおお〜! なんだこの行列!?」

 急いで店内に、そして厨房へと入る。そこで見かけた人物に、彼方は声を上げて驚愕するのだった──。

「タマキ!?」

 *

「なんて実力……。この私が、まさか押されるとは」

 僕は右手人差し指を天へ差し、語る。

「おばあちゃんが言っていました。料理は人生のテストだ。これまでの人生で培った経験・技術・知識。それらを総合した結晶が、人生という名の料理に表れる、てね」
「いいセリフだ。けれど、それじゃあ三流シェフは報われない」
「そうじゃないです。料理でテストするのはシェフの腕前だけじゃない。如何に食べてもらう人の笑顔を提供できるかです。僕の料理が、ティナの笑顔を作ったように」

 二人でホールのティナを見る。そのティナは料理をほおばり、その口元にソースと笑みを零していた。

 肩で息をするルビィさんは、大きく深呼吸し、同じように笑みを零して、それからようやく口を開き、
「さすがだよ。一流シェフのタマキさん」
 一言、僕を称賛した。

「もう一度、言います。僕は一流シェフじゃない。ただの女子高生です」
「充分だよ。お見事」

 ルビィさんは納得し、銀色の手に手袋をし直して厨房を出ていく。入れ替わりに彼方が入ってきた。

「いらっしゃいませ」
「……お、おう。どしたのさこの状況。バイトだったんか、君ぃ」
「元、だよ。ただあの人、ルビィさんの言葉に納得できなかったから、料理で勝った」

 彼方は、ゆっくり、首を傾けた。そしてヒカリ達の席へと向かったので、僕もそれについていく。

「もか、コレどういう事」
「いや私も説明しろったってちょっと……」
「あっ、彼方ちゃん! タマキちゃんがね、あのルビィって人と料理で決闘したの!」
「スゴいさっき聞いたまんまで意味がわからないトコから進まない」
 次いでヒカリが補足する。
「この大盛況のことなら、その結果SNSで話題になってこうなったのよ」
「このわずか1時間で!? ……いや、そっか、料理でスゴいんならスゴいか」
「それに一番の驚きは、タマキが私ナシであのルビィに勝った事ね」
「スゴいよタマキちゃん!」
「いやずっと何なのよこのバトル!」
 もかはずっと納得してくれなかった。僕の料理を振る舞った一人なのに、どうして……!

「あっ、そうだ。彼方も一品どう?」
「あー、そうだな~。シェフの気まぐれメニュー、なんてどう?」
 彼方はイタズラっぽい表情でオーダーする。
 僕もまた、ニッ、として「かしこまりました」なんて恭しく返すのだった。

 そうして料理を提供する。二人分だ。彼方はキョトンとする。

「これは?」
「お待たせしました、豚のしょうが焼き定食です。僕はまだ昼食食べてなかったからさ。彼方は食べてきたって話だったから、ご飯は少量だよ」
「ん、助かるよ」

 二人揃って手を合わせ「いただきます」。箸で豚肉を摘むと、肉汁とタレが光沢を放って滴り落ちた。
 焼かれた肉の香ばしい匂いが嗅覚を刺激し、味覚にまで訴えかける。それを舌へ運ぶと、醤油ダレの塩味と生姜のほどほどな辛み、そして主役たる豚肉が、塩コショウの味を絡めた。

「「美味しい〜!」」
「いい料理に、いい顔する料理人。ロックじゃん」
「ありがとう」
「いやアンタロック言いたいだけでしょ」
 今度の僕の課題はもかを納得させる料理を作ることとする……!

 ふと、僕は疑問が浮かぶ。ルビィさんに対してだ。席を立ち、自分の元の席にいたルビィさんの元へ行った。

「一つ、気になった事を」
「なんだい?」
「貴女はもしかして、僕を厨房に立たせる為に、ワザと挑発じみた事を?」
「さて、どうだろうね」

 ルビィさんはデザートのパンケーキ、その最後の一口を口を大きく開けてほおばる。一回り年上であろうお姉さんだけど、まるで子どものような無邪気さだった。

「一つ言えるのは、ティナに美味いものを食べさせてやれて良かった。それだけだよ」

 ルビィさん達は立ち上がり、去り際に背を向けたまま、右手人差し指を天へ向けて差し、僕へ語る。

「少佐が言っていた。健全な精神は健全な料理に宿る。それを作る料理人にも、それを頂く者にも、てね。ごちそうさまでした」
 一瞥してそう言い残し、店を後にする。

「ルビィさん……」
 あの人、そこまでして僕に料理を作らせたかったんだな……。

 ともかく僕は席へ戻り、遅めの昼食を頂いて、みんなと勉強会をした。
 本来の目的をすっかり忘れてた事に焦ったけど、なぜだか僕はスッキリした気持ちで勉強を教え、理解を深められた。
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