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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第六三話 白起、再び韓を攻める
 司馬錯とともに巴蜀の統治を行っていた白起は、秦王の命で再び韓を攻める。
 同年 咸陽

 秦王は、魏冄を政界から排除してから、心情に変化があった。戦をして祖業を継ぎ、国を導きたいという思いが、日毎強くなっていっていた。それは王としての自覚ともいえるものであった。しかしそれ以上に、彼の中に燻る怪物が、目を覚ましたような感覚に近かった。
 簡単にいってしまえばそれは、なにかの為にという理由を後付けして、ただ戦をし、高揚感を得たいということであった。
 朝議で彼は「魏や韓を攻め滅ぼしたい」と発言し、臣下を響(どよ)めかせた。今七雄を滅ぼし、他の国が合従軍として秦へ攻めいれば、次こそは滅亡の憂き目をみることになると、誰もが考えていた。
 だが秦王は、タガが外れたように、「戦をしたい」といい続けた。
「余は、穣候の息がかかった軍神を用いることに抵抗があった。だが今となってはそれは過去のことだ。聞けば白起は、巴蜀で司馬錯と灌漑作業にふけり、大人しくしているとか。余には、白起は宮殿内での勢力争いに無関心な、ただの戦上手に思える。故に、巴蜀の兵を率いらせ、出兵させることとする!」


 同年 白起

 白起は、巴蜀の兵を率いた韓攻めの命を受けた。
 幸い、巴蜀の感慨作業は軌道に乗っており、数万の人夫を戦地へ送っても、作業が停止することはなかった。
「白起殿、巴蜀のことは私に任せてください」
「はい、司馬錯殿。必ずや奴隷を連れ帰り、巴蜀の人夫を増やしてみせます」
「それを手懐けるのは、罪人よりも大変そうだな。ではこれにて」
「はい、これにて」
 挨拶を済ませ、白起は成都宮から屋敷へ戻り、直ぐ様出兵の準備に取りかかった。
 巴蜀の兵は、この役一年で、よく白起に馴染んでいた。一度も戦地を駆け巡ったことはないが、それでも白起はあまり心配をしていなかった。それは巴蜀の将官たちが、蜀煇の乱を戦った兵士だということもあるが、それ以上に、将として自らが訓練を主導した兵への信頼があった。兵もまた、白起の統率力に魅了され、彼を信頼していた。

 白起は韓の国境を侵犯すると、瞬く間に城を陥していった。重要拠点である苑や葉をも陥した。
 白起は前回同様に、韓は有事の際の対応が鈍いと感じていた。それが罠であると勘ぐって、偵察を四方に放ち、進軍を停止する慎重さを見せもしたが、時間の無駄であった。韓王は優柔不断で、対応が遅いだけなのだと悟った。各城の粘りの弱さも、連携不足から来る諦めの速さが原因だと、彼は学んだ。
「そうだ。これは真理なのだ。戦いは個の武ではなく、統率が取れた集団の力が物をいうのだ」


 前290年(昭襄王17年) 司馬錯

 咸陽からの使者が、大将軍司馬錯の下へ訪れた。定期的に、臣従の意志を示す為に咸陽宮へ参内することはある。だが今は、その時期ではなかった。
 使者が王の勅を読みあげる。布に墨で書かれた文字を読みあげるあいだ、司馬錯は膝を突き、拱手をしていた。
 使者が勅を読み終える頃には、大将軍司馬錯は震えていた。それは老将の膝が弱っているということではない。彼は勅にて、数十年ぶりに巴蜀から敵国への出兵を命じられたことに、震えていたのだ。
「血が滾(たぎ)るのを感じます。この歳になって……再び将軍らしく、戦で指揮を執ることをできるとは……なんたる幸運か!」
 大将軍司馬錯は命に従い、巴蜀から漢中郡へ北上し、同地の兵を率いて東へ出兵した。
宛……現在の中華人民共和国河南省南陽市宛城区。

葉……現在の中華人民共和国河南省平頂山市葉県。
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