残酷な描写あり
R-15
第百十六話 秦王、記録を抹消する
宣太后は魏冄の独善的な性格に頭を悩ませる。呼び出された泠向は、国が秦王の下にまとまる為の、策を献じる。
宣太后は次に、泠向を呼び出した。
泠向は魏冄派閥の中心人物でありながら、先を見通せる賢臣であった。その意見を聞かなくては、最早誰が正しいのか、分からなくなりつつあったのだ。
やがて現れた泠向に対し、宣太后は、今後の国政について尋ねた。
「宣太后様の危惧も、魏冄様や羋戎様の意向も、十分に理解できます」
「どのように解決すべきものか……」
「斉攻略という大業を前にし、一度は結束できたのです。対立が必定という訳では、ありますまい。解決策としては、私は、時を待つ他ないと存じます。秦王様は、宣太后様や魏冄様、羋戎様ら三貴よりもお若く、また聡明です。時が経てば必ず、王として、真の意味で君臨できましょう」
「それもそうであるな……。待つしか、できることはないのか」
「そうではありませぬ。待ち方というのも、あります」
泠向は、その待ち方というものについて語りだした。
「対立があったという事実は、将来、魏冄様が鬼籍に入られた後、その地盤を引き継いだ者が現れる結果を招きます。丁度、楚が同じことを繰り返し、世代を隔てても賢人同士が対立し、王が真に君臨できていない現状がありますな」
「確かに、我が生まれ故郷である楚は、ずっとそうして国内で対立を繰り返してきた」
「楚は幾つもの国を併呑し、異なる文化や風習を持つ人々が、意見を対立させる為、一つになれないのです。つまり対立派閥の根源さえなくなれば、いつでも一つになれるのです。我が秦国の対立の根源は、有能な外戚と、そこに恩がある王という構造です」
「故に、時が経てば外戚である三貴は死に、王の下に秦が一つになるという話であろう?」
「違います。三貴の後に、高陵君や涇陽君などの、有能で王と年が近い外戚が立つだけです。故に、待ち方が大切になるのです。具体的には、対立の根源は既にないということにするのです」
「諸悪の根源は既になく、時が経てば、亀裂は自然と塞がっていく……しかしそんな方法があるのかしら?」
「ございます……しかしこれは、英雄を貶め、痛みが伴います」
「申せ!」
「しからば……。今は亡き任鄙将軍は、幾度となく書簡にて、魏冄様と秦王様が対立していることを記し、吹聴していました。それこそが、対立を煽り、対立が始まった、諸悪の根源……ということにするのです。任鄙将軍は先王である武王様の臣下であり、現秦王様にも魏冄様にも与していませんでした。任鄙将軍に対立の全ての責任を擦り付ければ、三貴が身罷(みまか)られた後の世代は、魏冄様の独善的な姿勢を過去の遺物とみなし、後を継ごうとは思わないでしょう。さすれば今後、秦王様を蔑ろにする存在は、現れぬと存じます」
宣太后は秦王に泠向の進言を伝えた。秦王は宣太后と同様に、魏冄の存在に煩わしさを感じていた為、泠向の進言が胸に響いた。
「最早それしかあるまい……。噂を流布するのです。今、秦の宮廷で派閥争いが起きているのは、旧臣の武王派閥に属した任鄙将軍によるものであると。時間をかけその考えを浸透させた後、余は、官吏へ密命を下すこととする。今後、王の権威を脅かす存在を秦の地に生まぬ為、任鄙将軍の記録を抹消する。対立を作り出して煽ったことに対する刑罰として、抹消するのだ。整合性を取る為、武王によって取り立てられたことと、漢中郡太守であったことのみ、残すこととする」
秦王は震える声で、そう告げた。名将の活躍をねじ曲げてでもやり通すべきことなのかと、葛藤した。だが秦が強国として行うべき大業の前に、それは必要な犠牲なのだと、自らを納得させた。
それから秦王の中で、タガが外れた。元よりあった容赦のなさは勢いを増し、烈火のように激しい攻撃性を、有するようになっていった。
泠向は魏冄派閥の中心人物でありながら、先を見通せる賢臣であった。その意見を聞かなくては、最早誰が正しいのか、分からなくなりつつあったのだ。
やがて現れた泠向に対し、宣太后は、今後の国政について尋ねた。
「宣太后様の危惧も、魏冄様や羋戎様の意向も、十分に理解できます」
「どのように解決すべきものか……」
「斉攻略という大業を前にし、一度は結束できたのです。対立が必定という訳では、ありますまい。解決策としては、私は、時を待つ他ないと存じます。秦王様は、宣太后様や魏冄様、羋戎様ら三貴よりもお若く、また聡明です。時が経てば必ず、王として、真の意味で君臨できましょう」
「それもそうであるな……。待つしか、できることはないのか」
「そうではありませぬ。待ち方というのも、あります」
泠向は、その待ち方というものについて語りだした。
「対立があったという事実は、将来、魏冄様が鬼籍に入られた後、その地盤を引き継いだ者が現れる結果を招きます。丁度、楚が同じことを繰り返し、世代を隔てても賢人同士が対立し、王が真に君臨できていない現状がありますな」
「確かに、我が生まれ故郷である楚は、ずっとそうして国内で対立を繰り返してきた」
「楚は幾つもの国を併呑し、異なる文化や風習を持つ人々が、意見を対立させる為、一つになれないのです。つまり対立派閥の根源さえなくなれば、いつでも一つになれるのです。我が秦国の対立の根源は、有能な外戚と、そこに恩がある王という構造です」
「故に、時が経てば外戚である三貴は死に、王の下に秦が一つになるという話であろう?」
「違います。三貴の後に、高陵君や涇陽君などの、有能で王と年が近い外戚が立つだけです。故に、待ち方が大切になるのです。具体的には、対立の根源は既にないということにするのです」
「諸悪の根源は既になく、時が経てば、亀裂は自然と塞がっていく……しかしそんな方法があるのかしら?」
「ございます……しかしこれは、英雄を貶め、痛みが伴います」
「申せ!」
「しからば……。今は亡き任鄙将軍は、幾度となく書簡にて、魏冄様と秦王様が対立していることを記し、吹聴していました。それこそが、対立を煽り、対立が始まった、諸悪の根源……ということにするのです。任鄙将軍は先王である武王様の臣下であり、現秦王様にも魏冄様にも与していませんでした。任鄙将軍に対立の全ての責任を擦り付ければ、三貴が身罷(みまか)られた後の世代は、魏冄様の独善的な姿勢を過去の遺物とみなし、後を継ごうとは思わないでしょう。さすれば今後、秦王様を蔑ろにする存在は、現れぬと存じます」
宣太后は秦王に泠向の進言を伝えた。秦王は宣太后と同様に、魏冄の存在に煩わしさを感じていた為、泠向の進言が胸に響いた。
「最早それしかあるまい……。噂を流布するのです。今、秦の宮廷で派閥争いが起きているのは、旧臣の武王派閥に属した任鄙将軍によるものであると。時間をかけその考えを浸透させた後、余は、官吏へ密命を下すこととする。今後、王の権威を脅かす存在を秦の地に生まぬ為、任鄙将軍の記録を抹消する。対立を作り出して煽ったことに対する刑罰として、抹消するのだ。整合性を取る為、武王によって取り立てられたことと、漢中郡太守であったことのみ、残すこととする」
秦王は震える声で、そう告げた。名将の活躍をねじ曲げてでもやり通すべきことなのかと、葛藤した。だが秦が強国として行うべき大業の前に、それは必要な犠牲なのだと、自らを納得させた。
それから秦王の中で、タガが外れた。元よりあった容赦のなさは勢いを増し、烈火のように激しい攻撃性を、有するようになっていった。