残酷な描写あり
R-15
第百二六話 巴蜀の天才
白起は鄢攻略の為、地形を変える灌漑作業の天才である李冰を、前線へ呼び寄せる。
白起の命により、李冰は使者に連れられ、黔中郡の前線まで訪れた。
「長旅ご苦労だった李冰殿」
「お久しぶりです。司馬錯殿の件、哀悼の意を表します」
「そなたのような、巴蜀を天賦の国に変えた天才に死を悼まれて、司馬錯殿も鼻が高かろう」
「司馬錯殿は優れたお方でした。私は、人の為に灌漑に勤しむだけの男でしたが、司馬錯殿は戦で人を騙し、殺める強かさも併せ持つお方でした。その二面性は、誰にも持つことはできぬでしょう」
「正(まさ)しく……そうであるな。私は、胸が痛い。そなたを苦しめることになる……」
そういうと、白起は従者を呼び、地図を広げさせた。
「これを見てくれ李冰殿。これは周辺の精密な地図だ。ここが、我らがいる地点で、こちらが攻撃目標の鄢です」
「なに故私をここまで呼んだのか、今やっと分かりました。攻めるのですね、この鄢という城を……!」
暗い顔をする李冰に対し、白起は、かける言葉が見つからなかった。
「白起殿、教えてください。あなたは神とも呼ばれるお方。私がいなくとも、城を陥すことなど、容易なのではないですか?」
「私が神と呼ばれるのは、機を逃さず変を待ち、攻めやすい所を見逃さないからです。どんな人や地形にも、刃を刺し込む弱点があるものです。しかし、此度はそれがない上に、時が足りない。兵糧が足りぬのです。変を待つこともできず、私は今、困り果てているのです」
「左様ですか……。白起殿。私は兵士ではない故、断ることもできる筈です」
「李冰殿、昔話をしましょう」
白起はそれから、李冰と出会った日の話を始めた。
「李冰殿、私はあの時いいました。楚人は我が秦を、虎視眈々と狙っているのだと」
「それ故私は、巴蜀を水害から救い、天賦の国としました。これで楚人は攻めてこないと、あなたはそういった!」
「今日攻められなければ、明日も攻められぬとお思いか! 楚人が国を挙げて巴蜀や秦へ攻め入るまで、手をこまねいていても良いとお思いか!」
李冰の顔が曇った。小さな故郷の谷から巴蜀の都、成都へ移住してから、彼の世界は広がっていた。信じてきた正しい道理では、世の中を生きていくことはできないと感じていたのだ。
ましてや今は乱世であり、数百年に渡り戦を続けている時代。殴られる前に殴る。奪われる前に奪う。そういう気概がなくては、人や自分を守ることなどできないと、彼は悟っていたのだった。
「李冰殿、私は、出(いで)て活路を見出したいのです。どうか再び、知恵を貸してはくれまいか」
「良いでしょう……。明日、現地を視察してみます。私に考えがあります故」
白起は礼をいい、窶れた顔の李冰に、今日は休むようにと伝えた。
「長旅ご苦労だった李冰殿」
「お久しぶりです。司馬錯殿の件、哀悼の意を表します」
「そなたのような、巴蜀を天賦の国に変えた天才に死を悼まれて、司馬錯殿も鼻が高かろう」
「司馬錯殿は優れたお方でした。私は、人の為に灌漑に勤しむだけの男でしたが、司馬錯殿は戦で人を騙し、殺める強かさも併せ持つお方でした。その二面性は、誰にも持つことはできぬでしょう」
「正(まさ)しく……そうであるな。私は、胸が痛い。そなたを苦しめることになる……」
そういうと、白起は従者を呼び、地図を広げさせた。
「これを見てくれ李冰殿。これは周辺の精密な地図だ。ここが、我らがいる地点で、こちらが攻撃目標の鄢です」
「なに故私をここまで呼んだのか、今やっと分かりました。攻めるのですね、この鄢という城を……!」
暗い顔をする李冰に対し、白起は、かける言葉が見つからなかった。
「白起殿、教えてください。あなたは神とも呼ばれるお方。私がいなくとも、城を陥すことなど、容易なのではないですか?」
「私が神と呼ばれるのは、機を逃さず変を待ち、攻めやすい所を見逃さないからです。どんな人や地形にも、刃を刺し込む弱点があるものです。しかし、此度はそれがない上に、時が足りない。兵糧が足りぬのです。変を待つこともできず、私は今、困り果てているのです」
「左様ですか……。白起殿。私は兵士ではない故、断ることもできる筈です」
「李冰殿、昔話をしましょう」
白起はそれから、李冰と出会った日の話を始めた。
「李冰殿、私はあの時いいました。楚人は我が秦を、虎視眈々と狙っているのだと」
「それ故私は、巴蜀を水害から救い、天賦の国としました。これで楚人は攻めてこないと、あなたはそういった!」
「今日攻められなければ、明日も攻められぬとお思いか! 楚人が国を挙げて巴蜀や秦へ攻め入るまで、手をこまねいていても良いとお思いか!」
李冰の顔が曇った。小さな故郷の谷から巴蜀の都、成都へ移住してから、彼の世界は広がっていた。信じてきた正しい道理では、世の中を生きていくことはできないと感じていたのだ。
ましてや今は乱世であり、数百年に渡り戦を続けている時代。殴られる前に殴る。奪われる前に奪う。そういう気概がなくては、人や自分を守ることなどできないと、彼は悟っていたのだった。
「李冰殿、私は、出(いで)て活路を見出したいのです。どうか再び、知恵を貸してはくれまいか」
「良いでしょう……。明日、現地を視察してみます。私に考えがあります故」
白起は礼をいい、窶れた顔の李冰に、今日は休むようにと伝えた。