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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百三三話 夏人の系譜
 黔中郡を含む江南一帯を完全に掌握した秦は、同地に秦人を移住させ、法を発布する。
 前277年(昭襄王30年)

 白起は前線に戻ってから、尚も抵抗を続けていた巫(ふ)城を攻撃すべく、上庸から軍を進めた。巫城は黔中郡の東方に位置しており、今や黔中郡内の数個の小城と共に孤立していた。
 楚兵の士気が低いことを感じた白起は、再三に渡り降伏勧告を行った。
「旦那様、城を包囲するだけで、攻めないのですか」
「可能ならば、降伏させたい。こちらも兵を失わずに済むことに加え、敵軍の捕虜を得ることができる。捕虜はなにかと使い勝手がいいのだ。それに、降伏勧告が功を奏すのは、こういった、敵軍の士気が低く、自軍の将が手柄を上げたばかりの場合に限る」
「どういうことでしょうか?」
「自軍の将が暴発するのを避けるには、誰もが、戦果に満足している必要がある。敵国の首都を陥したのだ。訓練にもならぬ小さな城の為に、兵を使う旨みは少ない」
 連日、昼夜を問わずに大声で降伏勧告を行った秦軍に、楚軍は心が折れた。城は開かれ、白起は兵力を消耗することなく、鄢郢以西を掌握することに成功した。

 江南地域を失い、楚の国力は大いに低下した。
 秦王は喜んだ。占領した旧楚の領土を南郡とし、秦の法を発布し、人を移住させることとした。
 秦王はどこから移住者を募るべきか思案した。咸陽に帰還した折り、白起は秦王より相談を受け、名案が浮かんだ。
「申し上げます。かねてより巴蜀では灌漑を行い、土地は肥えて豊かになりました。しかし十数年前は、同じく土地が痩せている漢中とは比べ物にならぬ程、生きにくい土地でした。生きる為にやむなく物を盗み、その中で人を傷つけてしまい、投獄された者が居ます。それは大勢です。彼らの罪を赦し、移住させるのです」
「なるほどな。さすれば、巴蜀の獄吏(ごくり)の負担が軽減され、司馬錯が願っていた巴蜀での秦の法の軽減化を実行する、良いキッカケになるであろう」
「移住するとかれば、その家族も引き連れることになるでしょう。罪を負ったとはいえ、それはやむなくであり、その性分は善人。家族連れの数は多く、移住者は総勢一万前後にはなるでしょう」
 秦王は「よかろう」と言い、巴蜀の罪人を赦すことを決めた。その顔は、白起への信頼や期待に満ちた、澄んだ顔であった。

 南郡に戻った白起は、秦の法を発布した。そして、巴蜀で恩赦を与えられた罪人やその家族を、移住させた。
「武安君殿、独身の罪人が現地の民と子を拵(こさ)えれば、名実共に、この地が秦人(しんひと)の土地となります」
「そうだな、張若将軍。しかし……楚にとって今や秦は、不倶戴天の敵。秦人とのあいだに子を産みたいと思う楚人(そひと)が、いるものか」
「武安君殿、私は司馬錯殿と共に、巴蜀で長く暮らしました。巴蜀に伝わる、太陽を落とした夏人(かひと)の伝説はご存知でしょう?」
「あぁ、司馬錯殿から聞いたことがある」
「夏は天下の最初の国であり、いわば天下にある全ての国の、先祖です」
「なるほど……。そなたのいいたいことがよくわかった。我が秦は夏の正当なる後継国である。楚人の血には、既に秦人の先祖の血が入っているということに、したいのだな」
 白起はその悪知恵ともいえる発想の転換に、思わず笑ってしまった。
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