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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百七五話 白起、和睦し兵を退く
 上党郡の民が邯鄲へ逃れたことで、白起は秦と趙の同盟が崩壊すると予見する。趙との戦に戦力を集中させる為、咸陽から派遣された使者の蔡沢と共に、韓と和睦を行う。
 前262年(秋) 新鄭

 新鄭を包囲する白起の許に、王齮軍からの報告があった。そこで白起は、上党郡の民が邯鄲へ逃れたこと初めて知った。
「趙とはもう……同盟は続けられまい。誰か!」
「ここに!」
「将軍らに命令を届けよ。一月(ひとつき)以内に、秦王様から撤収の命令が出る筈だ。速やかに行動に移せるように、準備せよ」
 白起は、趙との戦が起こることを察していた。それは局地的な戦ではなく、秦と趙が、雌雄を決する一戦になるのだと、悟っていたのだ。
 数十日後、咸陽より秦王の使者が訪れ、撤退の詔が発布された。
「武安君殿、私はこれより秦王様に代わって、韓王と和平を結ぶべく交渉を行う。貴君にはご同道願います」
「秦王様の命とあらば、なんなりと」
「しからば、すぐに向かいましょう。一刻も早くに」
 使者の蔡沢(さいたく)は、韓王と和平を結ぶべく、新鄭へ入城した。
 軍神(いくさがみ)である白起を初め、虎や狼にも勝る秦兵を護衛に付けた蔡沢は、敵地の中心に在っても、堂々と発言することができた。
 白起は会合の席に於いて、時には影を潜め、また時には威圧し、蔡沢の主張を通すべく立ち回った。
 交渉の末、韓王は、奪われた土地の返還は求めず、秦軍の速やかな撤退のみで手を打った。

 無事に新鄭から出た白起と蔡沢は、陣営に戻った。
「それでは武安君殿、私は先んじて、咸陽へ戻ります」
「蔡沢殿の弁論、お見事でした。弟の蔡尉殿同様、文武に於いて、秦の要となる方々と同じ時代を生きられたことを、天に感謝せざるを得ません」
「私の弁論など、丞相には劣ります。なれど……丞相は少々、利己心が他の人間より強い様に感じます」
「政に携わる人間というのは、そういうものであると、私は思っております。私も秦軍の国尉とし政に携わるようになってからは、権謀術数のようなものを意識するようになりました」
「武安君殿、お気をつけなされ。丞相のそれは、並ではない。功績を立てた男というのは、周囲に妬まれるのが世の常。いつか足を引っ張られ、奈落の底へ落とされぬよう……用心されてください」
「少々考えすぎな様にも思いますが……忠告、感謝申し上げます」
「しからば……私はこれにて」
「しからば」

 白起は、蔡沢の言葉を気には止めなかった。彼の中で丞相の張禄は、秦王が喉から手が出る程に求めた逸材であったことからも分かる様に、紛うことなき賢人であった。そんな賢人が、自らの首を絞めるような利己心によって、忠臣を貶めることなど、ありえないと感じていたのである。
「将軍、撤退の準備が整いました。ご命令を」
「楊摎殿、そなたは兵法に明るく、人の一手二手先を読むのが得意な人であったな。教えてくれ、同じ王の志を支える忠臣が、嫉妬から忠臣を貶めることがあるであろうか」
「無きにしも非ず……。自己研鑽を重ねられぬ愚か者は、時に人の足を引っ張ることで、自らの優位を保とうとするものです」
「左様か……安心した。命令だ。撤収するぞ」
 白起は、張禄が胡座をかいて政を執り行う愚か者ではないことを知っていた。
 白起は意気揚々と、戦線を後退した。趙との国境付近に撤退し、兵を駐屯させた後、白起は咸陽へと戻って行った。
蔡沢(生年不詳〜没:紀元前237年)は、戦国時代の秦の宰相。剛成君。出身国は燕。
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