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作者: 真名鶴
3.河童
 眠って起きて、頭の中がぐるぐるし始める。がたんごとんと揺れる列車の中、不愉快で気持ちが悪い思いをした。なまぬるい感触に、声も出ない。
 逃げるように次の駅で電車を降りて、駅のベンチで一本電車を見送った。臙脂色と白の電車は置き去りにした俺のことなど見向きもしないで、音を立てて通り過ぎていく。
 手が震えていた。情けないなと自分を叱責して、リュックサックの中に手を突っ込んだ。
 真っ黒なリュックサックの中から、文庫本が一冊。表紙に描かれた墨絵の河童は縦に細長くて、人間味はあるのに人間ではない。
 芥川龍之介の『河童』は、精神病患者の第二十三号が語る話だった。
 秋の風は、少しだけ冷たい。
「秋来ぬと」
 目にはさやかに見えねども。
 目に見えないことはいくらでもある。人間の気持ちなんてものは何一つとして見えず、何を考えてるかも分からない。
 どうせ嫌われているのだろうなと。どうせこうなのだろうなと。そんな風に拗ねたような気持ちで決めつけて、ただ自分勝手に暗くてみにくい気持ちになっていく。
 風の音にぞおどろかれぬる。
 分からないことは、たくさんあるのだ。だから次の電車が来たら、何でもない顔をして電車に乗って、何でもない顔で学校へ行かなければならない。
 笑わなければならない。
 いつも通りでいなければならない。
 喉のところに手を当てる。呼吸が上手くできない気がして、頸動脈に指を這わせた。どくりどくりと血管は脈打っている。血液はきちんと体中を回っている。けれど、どうしてだかどこかで血液の循環が滞ってしまっている気がした。
 次の電車が来るまでには二十分ある。学校の始業時間にはぎりぎり間に合う電車は、まだここにはやって来ない。
 河童。
 登山をした男が河童に出会い、河童の国に迷い込む。
 生まれたいかどうかを胎児に問う。
 河童の言葉は、果たして哲学なのか。河童は人間より不幸なのか。河童は人間よりも進化した生き物であるというのか。
 しばし読みふければ、耳に電車の音が届く。河童、河童だ。緑の体に白い皿、それは俺が思うだけのもの。けれど日本人が共有する河童というもののイメージなのかもしれない。
 ぱたりと閉じれば、墨絵の河童。体の色は緑ではなく、皿は白かもしれないが、よく分からない。けれどもそれは確かに河童であると思うのだ。
 偏見。
 その言葉だけを残して、文庫本は黒いリュックサックの中に呑み込まれていく。
 がたんごとんと人を鮨詰めにした電車がやってくる。その中の無数の人間の中の一人になって、目的の駅まで運ばれていくことを選ぶしかない。
 がたん、ごとん。
 がたん。
 生きたくないと言えば、死ねる世界ではない。ゆるやかに呼吸が止まっても、心臓は鼓動を止めてくれない。動き続けろなどと命令していないのに、この心臓は動き続ける。
 ようやく駅について、人間が吐き出されていく。吐き出された人間の波の中に紛れ込んで、どこか蒸し暑い駅のホームで足を止める。誰かがぶつかって舌打ちをして、そうしてまた去って行った。
 これは淀みだ。
 流れを止めて腐らせるものだ。
 いや、違うか。泳ぐことのできない魚のようなものだ。当たり前のように流れていく人の流れに乗ることもできず、邪魔をして、淀みを作る。
 改札を抜けて、ようやく息ができる気がした。なまぬるくて重い空気は吸い込みにくくて、いっそちょうどいい。鉛のように重くて、どうしようもなく呑み込みにくい。
 なまぬるい、なまぬるくてなまあたたかい。
 いっそあの感触もすべて呑み込んで忘れてしまえればいいのに。それなのに忘れられなくて、ぐるぐると頭の中を回り続けるものがある。
 吐き出さなければ。吐き出さなければ、描かなければ、息が止まる。
 誰か助けてなどとそんな言葉を紡げるはずもなく、どうせ誰もこれを理解はできない。
 ごめん、分からない。
 いつかの言葉が頭の中を回り始める。理解を求めて紡いだ言葉は宙ぶらりんになり、曖昧に笑って何でもないと誤魔化すしかなかった。
 宙ぶらりんになった言葉の行く先はなく、そのまま浮かんで首を吊っている。ゆらりゆらりと揺らいだままに、どうせ誰も理解できないという短冊を張り付けた。
 どうせ、どうせ。
 そうやって決めつけて拗ねたような気持ちでいる自分に吐き気がして、けれど誰かに理解を求めることなど二度とできそうにもない。
 学校までの道を歩いていると、だんだんと背中が丸くなっていく。前を向くこともできないまま、地面のアスファルトだけを眺めて、その端から右左と規則正しく顔を出す爪先を数えた。
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