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作者: エコエコ河江
N20B3c 策略家 3
 中間テストだ。黙って用紙に向き合えるならば楽な一方で、堪え性がない者は頑張って乗り切る一週間になる。

 あやの義肢は近くの音を高精度で拾える。今になって聞かされた機能だ。誰がどの文字をどこに書いたかまでわかる精度を持つが、あやはそんなずるっこをしない。月曜と火曜は標準型の腕で臨んだ。

 水曜日の一年生は実技科目だ。体育と音楽とプログラム、クラスの枠組みも越えて少人数を順々に割り振る。

 あやの義肢では体育の実技を受けられないため、早く帰れるよう順番を組まれている。ありがたく受け止めて、放課後は『レディ・メイド』へ向かった。

 平日の真昼では客足が少ない。その少ない中に、たった一人で仕事を増やす男がいる。例の食いしん坊だ。あやの仕事は多忙を極めた。厨房と席を往復し、軽食の皿と空の皿を交換する。

 来ているらしい外部顧問について調べるはずが、とても自由には動けない。仕方がないので表の仕事を続けている。

 クリーニング席では仕事が片付いてもまだあやは走り回る。見かねて黒田凛丹くろだ・りんにが往復に加わった。

十六女いろつきさん、助太刀しますよ」

 返事も待たずに往復を始めた。あやが厨房にいる頃には凛丹が席に、あやが席にいる頃には凛丹が厨房に、それぞれ皿を持って動く。

 てんやわんやが徐々に落ち着き、最後にシェフを呼びつけて、入れ替わりにあやと凛丹の休憩が始まった。

「助かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして。十六女いろつきさんもよく頑張りました」
「えへへ。ところで彼、どうしてこんなに? ここの料理ってそんなに特別ですかね」

 さりげなく探りを入れた。凛丹が答える前に次の発見が話を浚う。

「え、あの彼、室月むろつきさんのお腹を撫でましたよ」
「聞いてはないけど、るるが二ヶ月なのは知ってる」

 凛丹は涼しい顔で言った。嫌うでなく、鼻にかけるでもなく、ただそうあるべきのように。

「彼女、ああ見えて人当たりがよくて、すぐ仲を深めるのよ」
「お布施みたいな感じですかね。いいんですか? そんな話を勝手に広めて」
「勝手なんかじゃない。ちゃんと了承がある」

 あやとは異なる文化だ。言葉が少なくても行動は雄弁で、この場のあやは部外者になり肩身が狭い。

「いいよねえ、体が大きい子は。私はこんなだから、碌に動けやしないわ」
「凛丹先輩は可愛いですけどね。すみませんあたし、お花を摘んできます」
「激務だったもんね。行ってらっしゃい」

 るると顔を合わせないように。頃合いを見計らって背を向けた。会計の情報を録れないのは惜しいが、もっと重要な情報のためだ。

 あやの後ろでひそひそ喋りが始まった。普通の耳では聞こえなくても、義肢の機能ならわかる。音ではなく感触として脳まで届く。

「彼女は」
「トイレに」
「見張りは」
「任せる」

 あやは気づかないふりで歩く。るるが足音なく追う。あやは個室に入る。るるは隣の個室に音なく入る。耳で聞こえない音まで拾って腕から聞く。どんな技術があっても、呼吸や心臓の音までは隠せない。

 変な動きはできない。だから、変でない動きで拾える情報を探す。

 トイレには換気口がある。換気口は他の部屋とも繋がっている。そこから来る音を拾いたい。指向性を上へ向ける。あわよくば、何か。尿を止める前に。

 見つけた。誰かの声だ。厨房やメインホールよりも近い、きっとお目当ての声だ。調整して内容まで探す。

「向こうの情報は」知らない女の声だ。
「一日後を届けました。信じるしかないでしょうね」これも知らない女。
「上出来。あとは手足だけど」
「子供たちでやります。逃がしませんよ」
「変わらないわね、しょうちゃんは」
卯月うづきさんこそ。また会えてよかったです」

 聞き覚えある名前だ。ずっと前から蓮堂が言っていた。兎田卯月とだ・うづきには絶対に近づくな、もし名前を聞いたら必ず教えろ。聞き違いかもしれなくても必ず教えろ。蓮堂は毎年のように言っていた。

 尿が震えた。危険な相手がすぐ近くにいる。トイレットペーパーを用意する音を重ねて誤魔化した。この会話を聞いているのはあやだけに思えるが、自分にできることの大抵は他人にもできると思い知っている。

 尿切れだ。拭いて、蓋を閉めて、流す。手を洗って持ち場に戻った。るるはまだ来ない。

「おかえり。彼は会計を済ませて、今は休業状態よ」
「お待たせしました。誰もいなくても、お給料をもらっていいんですかね」
「もちろん。この場にいるだけで仕事だから給料は出るの」

 秘密の情報を拾ったと勘づかれてはいけない。普段通りに、自然な流れに持ち込む。作業があれば楽だが、そんな状況に限って暇になった。

 暇は危険だ。蓮堂が言っていた。歴史の授業でも言っていたし、経験からもわかる。何かをしたい欲求が矛先を失い暴走しやすくなる。

 向ける先があれば楽になるが、今のあやは何もない。友達とのおしゃべりはできないし、スマホやゲーム機もない。静かに何かを考えるか、体を休めるか。いま考えるとどうしても浮かぶのが秘密の話で、体を休めるほど疲れてもいない。

 こんな状況で何をできるか、ヒントになる誰かを思い出す。

 蓮堂は場所の設計や通行人を見ていた。どう歩くと想定しているか、火事やミサイルの逃げ道はどこか、逃げ道を塞ぐとしたら。通行人は、この地域に何を求めているか、どこから来たか。せっかく教わった話を詳しく覚えておらずもどかしい。

 知っているだけでは真似られない。何を見ても構わないが、見ただけで終わってしまう。目の前にある全ては誰かが数ある選択肢から選んだひとつだ。選ばなかった他の選択肢を知っていて初めて話を広げられる。

 あやには視点が足りない。ストレッチで誤魔化せるのはせいぜい六十秒で限界だ。

 すぐ隣の凛丹が静かだからこそ、あやはプレッシャーを感じた。

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