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作者: エコエコ河江
N28C2b ready-1/6: 準備 2
 西武池袋線で四〇分。飯能駅にやってきた。

 商店街を抜けて、公園の傍を通り、巨大な交差点を渡る。広いのに歩行者はボタンを押すのが埼玉県流だ。東京ではこうはいかない。

 ここは天覧山、登山道入口の看板と、通り抜けできないと示す看板が並ぶ。あやと蓮堂の行き先は通り抜けできないほうだ。

 十六女家之墓。あやがごみ拾いをして、蓮堂が磨く。

「ねー蓮堂、名前が二人分しかないけど、おじいちゃんやおばあちゃんは?」
「別の墓の下にいる。リナが無理を言った。クソ親と同じ墓は御免だとさ」
「そういうもんなんだ」
「解さないが、無視するのも趣味じゃない」

 蓮堂の顔は、あやが知るどれとも別の場所へ向いていた。卒園式も運動会も学芸会も、蓮堂は来てくれたし、穏やかに迎えてくれた。そこに疑念はない。しかし、この場だけは何かが違う。

 今なら少しでもわかるかもしれない。知っておきたい。どこか居心地が悪い理由を。

「蓮堂にとって、あたしの産みの母って何者?」

 手を止めて、目はそのままで、時間だけが流れる。自動車の音がなく、室外機や空調機の音もなく、風さえも木々が阻んで届かない。静寂だけがここにある。

「リナは」

 蓮堂はためらった。

「最初で最後の助手だ。あいつのおかげで多くを得た。いらないものまでな」

 具体的には聞くまでもない。蓮堂の目にも涙ということわざがある。あやが求めたひとつは得られた。蓮堂はリナを愛している。どんな形かは知らない。確信だけで十分だ。

「ここはリナが初めて登った山だ。三角比の実習をした。山頂の展望台から麓に見える建物まで、角度と標高を使って、直線距離と高さを無視した距離を割り出した。道中では疲れにくい足運びの実習と、それから持ち物に説得力を持たせた。登山が趣味と言っていれば便利な道具を自然に持っていられる」

 墓前で二人、喋りは静かでもよく通り、途切れ目のたびに静寂が耳につく。

「彩が産まれた祝いの席に、呼んだのは私とオオヤと、あとは夫側の親族だ。人の縁を大切にする奴だからこそ、不義理には不義理で返す。言葉では彩も同じに思うだろうが、形はまるきり違った」

 蓮堂に対していつも思うことがある。決してあやを誰かと関連づけない。親譲りとか直伝とかを一度も言わなかった。あやが身につけた全てをあやだけのものとする。ドライな感性と言えば寂しげでも、あやにとっては存在の肯定になった。試した分だけ成長になる。

 あやを見る目と理奈を見る目は違う。あやは代替品ではない。それが分かっただけでも来た価値がある。

「蓮堂、いつもありがとね」
「どうした急に」
「もし蓮堂がいなかったらあたしは元気に動けてないって言ってるの」

 自慢の母親だから。義理でも。

「そうか」

 受け取ってくれる所とか。

「これからも元気で生きろよな」

 誤魔化しも歪めもなく直接的な言葉を選ぶ所とか。

「あたしのも聞いてよ。ひとつ思い出しちゃった」
「いくつでもいいぞ」

 数を出すとすぐに反応する所とか。

「生みの母との思い出があるんだよね。小さい頃の、家の廊下でさ」

 黙って聞いてくれる所とか。

「荷物に足をぶつけて、転んで、その衝撃で荷物が崩れてきちゃったの。足を挟まれて、お医者さんに駆け込んだら、歩く程度はできても運動は厳しいし痕は残るだろうって」

 きっと知ってるけど。

「その痕がさ、なくなったんだ。左手も、左足も」

 戦いへ臨む理由がここにもある。

「それだけ。おしまい。もしあたしが忘れちゃったら、思い出させてね」

 他の記憶はなくて、たったひとつの記憶は金属に置き換わっている。

「覚えておこう」

 思い浮かんだままで喋ったらオチがなくなってしまった。それでも蓮堂は受け止めた。何をしても大丈夫と信じられる。安心が意欲になり、意欲が挑戦になり、挑戦が成長になり、成長が次の安心になる。

「はーっ」

 高い声のため息と、足腰を伸ばして湿った話題を入れ替える。

「掃除の続きをしますかあ」

 雑巾担当を交代して、あやが磨きあげた。金属の手では傷をつけそうなので、生身の右手で。

「じゃあ蓮堂の初登山は?」
「高尾山だが」
「奇遇じゃん」
「公立校なら、そりゃあな」

 墓前には不思議な力がある。思い出話と過去への感謝を伝えやすくする力だ。静かな空間と共通の話題がそうさせる。

 綺麗な石になった。並んで写真を撮るにぴったりとの提案を、蓮堂は苦い顔ながらも合意した。あやのスマホで、インカメラで撮る。

 とある微妙な顔と、とある微妙な顔を見て綻んだ顔と、とある輝くもの。

 画面から目を外したとき、一人の男が正面にいた。

 彼は岩谷弘いわたに・ひろむ、公安警察のはみ出し者として独自の権限と共に『レディ・メイド』を追う男だ。同時に、あやのいとこでもある。どちらもあやは最近まで知らなかった。

「考えは同じ、でしたか」
「掃除は私たちが済ませた。出遅れたな」

 岩谷は桶と柄杓を置いた。花はいくらあってもいいが、岩谷が用意したのはただ一輪の。

「逆に寂しい気もしますね」
「蓮堂が何も持ち込まなかったからね」
「花より団子だ。私も、リナもな」

 同じメンバーでも、場所が変われば話題も変わる。この場では故人の思い出話が始まったが、蓮堂が切り上げようとしたので、その理由をあやが真っ先に言い当てた。あやが聞くばかりになるからだ。

「あたしは知らないものを知りたいからもっと聞きたい」
「主役のくせに気を遣うな」
「いや逆でしょ。気を遣えなかったら主役失格じゃん」
「む、言われてみれば」
「なので今日は蓮堂が主役ってことで」

 主役は押し付けるものだ。たまには脇役になりたい。この点であやと蓮堂は一致している。岩谷は主役では重いから日陰者になりたい。理由は違えども結論は一致している。

 歯を見せあい、頭を捻り捻られ、笑い声を聞かせあう。特に意味のない言葉を出しやすくする力も墓前にはある。

「お二方、この後は?」
「ワクチンの接種をしに行く。その後なら空いてるぞ」
「ではいかがでしょう、あゆでも」
「いい趣味をしてる。飯能といえば鮎だな。昔からずっとそうだ」

 あやは初耳だが、名前が似ているのできっとそうだ。距離もそう遠くないらしい。

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