N32C3c ready-2/6: 迅速 3
草原は見通しが悪い。草が光を阻む。しかしもし、光以外を感知できたら?
あやの義眼にはその機能がある。熱が見える。元は軍の兵士がヘルメットにつける、暗闇でも敵を見つける装備だった。技術の常として時代を追うごとに小型化が進む。
見通しの悪さは可視光線の輪郭を阻むせいだ。温度の輪郭なら見つけられる。草や土は同じ温度をしている。少しでも別の温度があるなら、そこには別の何かがある。
ネズミより直線的で、石ころより整っていて、タケノコより整列している。似た形を空にも見つけた。敵のドローンだ。
この場所の都合がいいからこの場所へ来た。自分が見つけたものは相手も見つけている。先回りは防御側の特権だ。
「彩ぁ、逆に彩がわたしたちの方に来るのもいいんじゃない? 今みたいに気持ちよく動けるよ、約束する」
そろそろ爆撃が止む。あやが知っている計画を、椎奈も知っているかのように言葉を始めた。
「スカウトなら蓮堂を通してよ。正当性も言いくるめる自信もないだろうけど」
「まだ親の言いなりなの?」
「あたしは反抗より孝行したくなる家庭で育っただけ。椎奈は違うの?」
どれかが効いた。椎奈が挑発に乗ってきた。巨大な手が土を掴み、加速をつけて投げた。粉塵ならあやのフルフェイスマスクで防げるが、滑りの元が増えるのはいただけない。混ざった石の威力も馬鹿にならないし、虫がつけば集中が散る。
あやは下がる。背中で防風林へ近づく。いくら巨人の手で力を出せても、指が通らない場所なら投石はできない。あわよくばそのまま持ち場を離れてくれればもう少し楽になるが。
「気が変わったよ彩! 友達のよしみで生きて帰そうと思ってたけど、殺していいとも言われてるから!」
「そうなんだ。意外と裁量があるね!」
土と石ころとミミズやモグラが飛んでくる中、あやはどうにか防風林に着いた。入るには狭すぎるが、乗るにはちょうどいい。
木の上なら身軽さを優位にできる。強化外骨格も万能ではない。純粋な質量が足場の有無に直結する。
全体重があやは六〇キログラム程度に対し、椎奈は生身だけで同程度、そこに巨大な外骨格も加わる。耐えられる枝の数が違う。
眼鏡の発展により視力障害者の範囲が狭まりただの近視になった。同様に、義肢の発展により身体障害者の範囲が狭まりただのサイボーグになった。
視力が正常でも伊達眼鏡をかけられる。目を守る機能であり、おしゃれでもある。蓮堂のように。同じ理由で、四肢が正常でもパワードスーツを身につけられる。椎奈のように。どちらも共通で、生身だけで平気な者の優位は覆らない。使えば劣位を緩和できるだけで、使っても使わなくてもいい選択肢を一方的に持っている。
理論上は。
健康体は時に驕りを生む。大抵の思いつきは、考えればすぐにわかるし、試せばすぐに明らかになる。しかし、考えない限りは永久にわからないし、試すのは安全なうちがいい。
どうやら椎奈は考えていなかった。
あやを追って木の上に飛び乗った。大型の強化外骨格は重さに相応のパワーがある。一方で足場となる木は、あやが乗ったときより大きく撓り、折れたものもある。それで姿勢を崩した所にあやの打撃を当てる。
狙いは腕だ。いかに頑丈でも多少の歪みが重なればやがて耐えられなくなる。体との接続部がずれるだけでいい。投げ縄銃を防げない一瞬さえ作れれば。
「椎奈やっぱり、あたしのほうが上手に動けるよ」
「うるさい日用品が!」
無茶が最も負担になる。わずかな歪みを拡大する。ダメージは相手から受けるものではない。相手から受けたものを自分で拡大するものだ。
椎奈も足場の不利を理解し、防風林から土へ降りた。忘れたままにさせる。椎奈は待つだけで勝てるのだ。あやはぎりぎりまで追い挑発する。
「ギブアップならほら、こっち来て」
「黙れかたわ、彩にできないことを見せてやるから」
言葉がよく聞こえなかった。たしか古い時代の、五体不満足な状態を示す言葉だ。テレビからも本からも失われ、義肢の発展で侮蔑にも使えなくなり、ついには辞書に残るだけになった言葉だ。あやの幼少期なら一応は残っていたが、三本もなくなれば悪ガキはダルマを選ぶ。
初めて耳にした言葉はその侮蔑であっても少し嬉しい。ひとつマシな方へ受け入れられたものだ。それはそれとして、現状の対処が先だ。
椎奈は木を掴んだ。あやが立つその木を揺らし、あやが退いても掴み続けた。
木は軋み、葉が揺れる音と幹に傷がついた匂いが立ちこめる。傾き、倒れて、そう見えたら持ち上がって、最後の繋がりまで千切る。幹をそのまま巨大な棍棒として構えた。
「下品な言葉でちゃった。わたしのキャラじゃないのに」
木は高い。その長さを動くには、あやでも垂直方向には途中の足場が必要で、水平方向には振るより時間がかかる。
その回転軸にある椎奈の顔には、まるで体育の授業で活躍しているも同じの、清々しさが浮かんでいた。
「こっからは本気でやろうか! 彩も楽しめるでしょ!」
口を閉じがちな現代人の牙を見せ合う歓びを。あやも椎奈も共通で、周囲より優れた身を持っていた。人知れず使う機会こそあれども、歓声や賞賛とは無縁だった。
「いいよ椎奈、かかってきて!」
売り言葉に書い言葉で一心不乱の大喧嘩を始めた。
椎奈は木を振る。針葉樹は軽いと言われるが、それは広葉樹と比べればの話だ。結局は単位にトンが必要な大質量を持つ。回転運動は軸から離れるほど速さを増す。運動エネルギーは速さと質量に比例して大きくなる。掠っただけでおしまいだ。幸いにも間隔と軌道はいくらかの予測が効くものの、移動の自由はとても効かない。
加えて採ったばかりの木は虫や鳥の巣がある。雨の日は洞に水が溜まる。椎奈が振るたびに、あやが避けるたびに、柔らかな身や液体が舞い散り落ちてくる。花粉の黄緑色が視界を塗り替える。
体を動かすのは楽しい。小学校では毎週金曜日の朝にクラスあそびの時間があった。全員参加で大規模な遊びをする。教室でやる週にはフルーツバスケットやハンカチ落としを楽しんでいた。しかし校庭や体育館の週では義肢の都合で見学になった。
この動きは大縄跳びだ。違いはあや以外の参加者がいないことと、当たれば死ぬこと。追加ルールがあるときは合わせた言葉を付け足す。鬼ごっこに対する氷鬼や色鬼のように。差し詰めデス縄跳びと呼んだ。
「いいね椎奈、サービス旺盛で!」
あやは木の軌道を見た。初めは左右へ振っていたが、途中からそれでは大変と気づいたようで、回転運動になった。大剣の扱いに似ている。勢いを利用して踊るように振り続けて、全方向からの接近を拒む。
大剣と違い、枝がそのままある。掴みどころがある。ぶつかれば死は免れなくても、掴むなら。投げたらジャイアントスイングと同じく飛んでいくが、あやの脚なら着地できる。これで行く。
次に来た木をジャンプで避けたら、左手で強い枝を掴んだ。皮膚は摩擦で削れる。しかし、機械の手なら削れるのは木の側だ。一度でも掴んでしまえば、そこからの相対速度は静止状態と同じになる。
一直線上に椎奈を見た。目を合わせた。今なら投げ縄銃を防ぐには木を放すしかない。拾い直すには再び隙ができる。同じ手は食わない。
「彩!? よくもそんな」
「色々は蓮堂に話してよ」
左腕の投げ縄銃を構えて、放った。火薬の燃焼ガスがケブラー繊維のベルトを飛ばす。
放ったベルトは真っ直ぐに飛ぶ。あやは椎奈を真っ直ぐに見て、真っ直ぐに構えて、真っ直ぐに放った。正射必中、射撃は狙った通りの位置に、狙った通りの軌道で飛ぶ。正しく射てば必ず中る。
すなわち、椎奈へ飛ぶ途中でベルトの軌道が逸れて、明後日の方向に飛び去った。
あやの義眼にはその機能がある。熱が見える。元は軍の兵士がヘルメットにつける、暗闇でも敵を見つける装備だった。技術の常として時代を追うごとに小型化が進む。
見通しの悪さは可視光線の輪郭を阻むせいだ。温度の輪郭なら見つけられる。草や土は同じ温度をしている。少しでも別の温度があるなら、そこには別の何かがある。
ネズミより直線的で、石ころより整っていて、タケノコより整列している。似た形を空にも見つけた。敵のドローンだ。
この場所の都合がいいからこの場所へ来た。自分が見つけたものは相手も見つけている。先回りは防御側の特権だ。
「彩ぁ、逆に彩がわたしたちの方に来るのもいいんじゃない? 今みたいに気持ちよく動けるよ、約束する」
そろそろ爆撃が止む。あやが知っている計画を、椎奈も知っているかのように言葉を始めた。
「スカウトなら蓮堂を通してよ。正当性も言いくるめる自信もないだろうけど」
「まだ親の言いなりなの?」
「あたしは反抗より孝行したくなる家庭で育っただけ。椎奈は違うの?」
どれかが効いた。椎奈が挑発に乗ってきた。巨大な手が土を掴み、加速をつけて投げた。粉塵ならあやのフルフェイスマスクで防げるが、滑りの元が増えるのはいただけない。混ざった石の威力も馬鹿にならないし、虫がつけば集中が散る。
あやは下がる。背中で防風林へ近づく。いくら巨人の手で力を出せても、指が通らない場所なら投石はできない。あわよくばそのまま持ち場を離れてくれればもう少し楽になるが。
「気が変わったよ彩! 友達のよしみで生きて帰そうと思ってたけど、殺していいとも言われてるから!」
「そうなんだ。意外と裁量があるね!」
土と石ころとミミズやモグラが飛んでくる中、あやはどうにか防風林に着いた。入るには狭すぎるが、乗るにはちょうどいい。
木の上なら身軽さを優位にできる。強化外骨格も万能ではない。純粋な質量が足場の有無に直結する。
全体重があやは六〇キログラム程度に対し、椎奈は生身だけで同程度、そこに巨大な外骨格も加わる。耐えられる枝の数が違う。
眼鏡の発展により視力障害者の範囲が狭まりただの近視になった。同様に、義肢の発展により身体障害者の範囲が狭まりただのサイボーグになった。
視力が正常でも伊達眼鏡をかけられる。目を守る機能であり、おしゃれでもある。蓮堂のように。同じ理由で、四肢が正常でもパワードスーツを身につけられる。椎奈のように。どちらも共通で、生身だけで平気な者の優位は覆らない。使えば劣位を緩和できるだけで、使っても使わなくてもいい選択肢を一方的に持っている。
理論上は。
健康体は時に驕りを生む。大抵の思いつきは、考えればすぐにわかるし、試せばすぐに明らかになる。しかし、考えない限りは永久にわからないし、試すのは安全なうちがいい。
どうやら椎奈は考えていなかった。
あやを追って木の上に飛び乗った。大型の強化外骨格は重さに相応のパワーがある。一方で足場となる木は、あやが乗ったときより大きく撓り、折れたものもある。それで姿勢を崩した所にあやの打撃を当てる。
狙いは腕だ。いかに頑丈でも多少の歪みが重なればやがて耐えられなくなる。体との接続部がずれるだけでいい。投げ縄銃を防げない一瞬さえ作れれば。
「椎奈やっぱり、あたしのほうが上手に動けるよ」
「うるさい日用品が!」
無茶が最も負担になる。わずかな歪みを拡大する。ダメージは相手から受けるものではない。相手から受けたものを自分で拡大するものだ。
椎奈も足場の不利を理解し、防風林から土へ降りた。忘れたままにさせる。椎奈は待つだけで勝てるのだ。あやはぎりぎりまで追い挑発する。
「ギブアップならほら、こっち来て」
「黙れかたわ、彩にできないことを見せてやるから」
言葉がよく聞こえなかった。たしか古い時代の、五体不満足な状態を示す言葉だ。テレビからも本からも失われ、義肢の発展で侮蔑にも使えなくなり、ついには辞書に残るだけになった言葉だ。あやの幼少期なら一応は残っていたが、三本もなくなれば悪ガキはダルマを選ぶ。
初めて耳にした言葉はその侮蔑であっても少し嬉しい。ひとつマシな方へ受け入れられたものだ。それはそれとして、現状の対処が先だ。
椎奈は木を掴んだ。あやが立つその木を揺らし、あやが退いても掴み続けた。
木は軋み、葉が揺れる音と幹に傷がついた匂いが立ちこめる。傾き、倒れて、そう見えたら持ち上がって、最後の繋がりまで千切る。幹をそのまま巨大な棍棒として構えた。
「下品な言葉でちゃった。わたしのキャラじゃないのに」
木は高い。その長さを動くには、あやでも垂直方向には途中の足場が必要で、水平方向には振るより時間がかかる。
その回転軸にある椎奈の顔には、まるで体育の授業で活躍しているも同じの、清々しさが浮かんでいた。
「こっからは本気でやろうか! 彩も楽しめるでしょ!」
口を閉じがちな現代人の牙を見せ合う歓びを。あやも椎奈も共通で、周囲より優れた身を持っていた。人知れず使う機会こそあれども、歓声や賞賛とは無縁だった。
「いいよ椎奈、かかってきて!」
売り言葉に書い言葉で一心不乱の大喧嘩を始めた。
椎奈は木を振る。針葉樹は軽いと言われるが、それは広葉樹と比べればの話だ。結局は単位にトンが必要な大質量を持つ。回転運動は軸から離れるほど速さを増す。運動エネルギーは速さと質量に比例して大きくなる。掠っただけでおしまいだ。幸いにも間隔と軌道はいくらかの予測が効くものの、移動の自由はとても効かない。
加えて採ったばかりの木は虫や鳥の巣がある。雨の日は洞に水が溜まる。椎奈が振るたびに、あやが避けるたびに、柔らかな身や液体が舞い散り落ちてくる。花粉の黄緑色が視界を塗り替える。
体を動かすのは楽しい。小学校では毎週金曜日の朝にクラスあそびの時間があった。全員参加で大規模な遊びをする。教室でやる週にはフルーツバスケットやハンカチ落としを楽しんでいた。しかし校庭や体育館の週では義肢の都合で見学になった。
この動きは大縄跳びだ。違いはあや以外の参加者がいないことと、当たれば死ぬこと。追加ルールがあるときは合わせた言葉を付け足す。鬼ごっこに対する氷鬼や色鬼のように。差し詰めデス縄跳びと呼んだ。
「いいね椎奈、サービス旺盛で!」
あやは木の軌道を見た。初めは左右へ振っていたが、途中からそれでは大変と気づいたようで、回転運動になった。大剣の扱いに似ている。勢いを利用して踊るように振り続けて、全方向からの接近を拒む。
大剣と違い、枝がそのままある。掴みどころがある。ぶつかれば死は免れなくても、掴むなら。投げたらジャイアントスイングと同じく飛んでいくが、あやの脚なら着地できる。これで行く。
次に来た木をジャンプで避けたら、左手で強い枝を掴んだ。皮膚は摩擦で削れる。しかし、機械の手なら削れるのは木の側だ。一度でも掴んでしまえば、そこからの相対速度は静止状態と同じになる。
一直線上に椎奈を見た。目を合わせた。今なら投げ縄銃を防ぐには木を放すしかない。拾い直すには再び隙ができる。同じ手は食わない。
「彩!? よくもそんな」
「色々は蓮堂に話してよ」
左腕の投げ縄銃を構えて、放った。火薬の燃焼ガスがケブラー繊維のベルトを飛ばす。
放ったベルトは真っ直ぐに飛ぶ。あやは椎奈を真っ直ぐに見て、真っ直ぐに構えて、真っ直ぐに放った。正射必中、射撃は狙った通りの位置に、狙った通りの軌道で飛ぶ。正しく射てば必ず中る。
すなわち、椎奈へ飛ぶ途中でベルトの軌道が逸れて、明後日の方向に飛び去った。