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作者: エコエコ河江
N45D4b あやの居場所 2
 義肢は食事への影響がある。家庭科の授業では五体満足を前提に食べる量とバランスを教えてくれるが、あやの周りでは加えて、腕や脚が減った分の経験談も共有している。

 リティスはクラスどころか学年も違う。今日になって初めて聞いた。食べる量に驚き、自分も合わせて減らそうとした。あやは気にせず食べるよう勧めた。あやが量を食べられないのは必要を上回るからで、普通の体で同じ量にしたら今度は足りなくなる。

 乳酸が溜まると疲労になる、と言われていた。蓮堂が小学生の頃だが、その世代はインターネットに触れ始めたので、当時の言葉がまだ残っている。時代が進むにつれて本当の理由らしき説が移り変わっても。乳酸は疲労を回復していて疲労はリン酸だとか、リン酸でもなく神経の伝達に使うカルシウムが石灰化するとか、それ自体は観測できても疲労の原因がどこにあるかは特定できていない。

 あやの義肢は神経を流れる微弱な電気を読み取り、乾電池の電力を足して油圧ピストンの伸縮に変換している。カルシウムを人並みに使うがグリコーゲンはほとんど使わず、糖質やタンパク質などは体幹や生身の右腕の分だけで抑える。すなわち、電気を食べた分を含めれば同程度になる。

 低糖質ピザだ。あやが食べられる余裕になり、あや以外は運動を減らすか間食を増やして帳尻を合わせる。義肢のおかげで困らずに済むのは歩行や作業だけで、食事の問題は生きているかぎりついてくる。あや一人で乗り越えさせるより、皆で力を合わせて文明人の矜持を見せる。

 といった話はあやの耳が届かない場所でしていた。すでに知っている話を繰り返せば誰でもうんざりする。今日は初めて、義肢の集音機能により蓮堂の計らいに気づいた。

 翌朝、あやは普段よりもぐったりしていた。久しぶりの筋肉痛と、少しの食べすぎと、先が見えない挑戦への億劫さで。時計が普段より進んでいた。戦隊ヒーローも仮面ライダーもプリキュアも、今日の戦いを終えていた。

 何をやりたいか、何も決められない。身近な欲求はすでに満たされている。

 社会的な課題に対する自分だからこその役目といえば、まずは義肢が思い当たった。コストと整備の問題はハマカンや他の職人に任せて、心理的な問題なら当事者性がある。芸能人も人気漫画も、ほとんどが生身の手脚で活動している。自分とは違う存在の集まりを実感する。ここには隔たりがある。

 だからいつも『鋼の錬金術師』の話題が出る。特殊な例を探してようやく見つけられるのでは隔たりの解消にはならない。

 物語における登場人物は意味があって初めて存在できる。チェーホフの銃と呼ばれている。登場したものは何らかの形で物語に関わらせよ。銃を見せたならば撃ち、家を見せたならば内外の区切りを越えて、眼鏡を見せたならば取りに行くなり外すなりする。

 蓮堂はいつも伊達眼鏡をかけている。花粉やウイルス飛沫への耐性として有用だが、作中にそんなシーンがないので、この段落が初出となる。

 対する現実の個人は意味より先に存在している。意味を探してもいいし、探さないのも自由だ。主人公のように強い意志がなくても存在している。しかし、あやが目立つには往々として強い意志の結果になる。隔たりが残ってしまう。

 意味がなくとも物語に存在するものがある。男女や人種や服装は、物語における意味を持たずとも、個人を構成する一部として受け入れられている。誰もが身近に感じているからだ。異性が身近でない時期をターゲットにした作品では異性が意味を持つ。では似た理由で、眼鏡や義肢はどうか。火傷や古傷は。現実を生きる人間を身近にする手段は何か。義肢と身近さを兼ね備えるには。

 考える先を決めた。次は気分転換だ。脳は意識していないときにこそ考えを生み出す。

 やらなければ気分が悪いものに取り掛かる。すなわち、ピザパの後片付けを。日常用の手脚をつけて、昨日との弾性の違いに慣らして、寝室から台所へ向かった。

 箱は燃えるごみだ。油がついた紙はリサイクルできない。食器はティッシュで油を拭き取り、水とブラシで残りを落とす。

 扉の音が聞こえた。蓮堂が起きてきて、テーブルクロスの食べこぼしを分担した。

「意味わかったよ。パーティの片付けは翌朝がいいって話」
「彩はどっちだ」
「朝になってから昨日を思い出す手がかりになるほう」

 遊ぶ日は最後まで遊ぶ当日重視派でないほう。

 昨日のパーティは決して気のせいではない。パーティに至る理由があった。頭の中身も片付けていく。

「蓮堂が寝坊って珍しいよね」
「今日のは彩が早起きだぞ。眠れなかったか」
「ってより、起きたかったのほうが近いかな。他のみんなは?」
「オオヤは上で寝てる。ハマカンは夜のうちに帰って昨日の手脚の整備、リティスはさっき、近所を歩かせた。道を覚えて帰ってくる」

 今日は蓮堂も心なしか緩慢な動きをしている。たまに画面を眺める程度で、操作もせずにストレッチばかりをしている。

「腹具合はどうだ」
「いまいち」

 だろうな。呟いて蓮堂は指を折り始めた。食べた量と調子の対応を計算するいつもの手つきだ。

 朝食はまだ用意しない。

 窓の外を眺めた。景色と喧騒は昨日の出来事を何も知らない。限られた数人だけが知っている。街を歩くそれぞれの出来事をあやが知らないのと同じく。

 足音と、ノックの音と、扉が開く音。オオヤが降りて来た。

「おはよう蓮堂くん。悪いね、借りて」
「構わんさ。元はお前の建物と部屋だ」
「寝具やカーテンを調えたのは他ならぬ蓮堂くんだ。見越していたかな」
「捨てるのが面倒なだけだ」

 オオヤはダイニングテーブルに着いた。あやも挨拶をする。お互いに踏み込むのは後でだ。必ず反省会がある。

 そうするうちにリティスも戻った。主要メンバーが揃ったことになる。

「彩さん、どうっすか調子は」
「ぼちぼちだよ。そっちはどう? 馴染めそうならいいけど」
「温かすぎて、怖いくらいっすよ」

 その顔があやには自嘲に見えた。よほどの暮らしをしていたらしい。蓮堂からリティスへは当たりがまだ強いのに、それを温かいと評するほどに。今はよくても長続きは難しそうなので住む場所をどうにかしておきたい。目下の行動とした。

「昨日の続きだが」

 ひと区切りついたところでオオヤが切り出した。

「連絡が来たよ。連中は海の向こうへ渡った。再入国はまず不可能だろうが、逆に追うのも苦しい」
「逃げきられたか」
「だが二人を分断したままだ。僕らはそっちを張る」

 あやとリティスにとっては、まだ懸念の種が身近に残っていると示す情報だ。オオヤがいても拭うには足りない。

「蓮堂くんも頼むよ。特に『レディ・メイド』の付近はいつ集まってもおかしくない」
「税理士の事務所はまだ休職止まりにしてある。来週には動き直せるが」
「恩にきる」

 あやの頭に電流が走った。この状況はアルバイト先を失ったのと同じだ。使えるかもしれない。

「しつもーん。お店の営業とかはどうなるの? あの二人だけじゃあまず回らなくなるけど」

 蓮堂は考えるそぶりを見せた。敵の考えをなぞり、どう動きたいかを探す。

「しばらく閉じたまま、だろうな。シャッターを閉じたままでトンズラってのも珍しい話じゃない」
「じゃあさ、あたしたちが乗っ取っちゃえないかな」

 注目が集まった。最初の言葉を発したら次に続けるべき話を感覚が教えてくれる。

「ただのメイド喫茶にしちゃって、人の目を集めておけば向こうも近づきにくそうだし、オオヤさんが張るにも楽なほうがいいでしょ。受付席とかなら冷暖房があるし、ずっといても誰も怪しまないよ」

 大人組が目を見合わせた。高校生組も同じく。

「リティスの家も必要だよね。蓮堂はここに置きたくないみたいだし。家を兼ねちゃえば、向こうがどっちを狙っても見つけられるよ」
「待ってくださいよ彩さん、結局それでも従業員とか店長さんとか、必要になるでしょ」
「だから、あたしがやるよ」

 にやりと笑って蓮堂へ確認した。

「高校生起業家ってたまにニュースで見るよね。だからあたしもできる」
「確かに年齢制限はない。書類と手数料があれば法人の名義を作れる」
「勝手にあの場所を使っても法的処置でしか追い出せない」
「まともな戸籍なしの透明人間にはできない、ちょろまかしても手がかりを得られる、ってか」
「そうそう」

 次はオオヤへ向かった。正面から見ると腰が引けそうないかめしい顔をしているが、あやには度胸がある。

「オオヤさんの部下って人たちを雇わせてください」
「それは無理な話だが、案としては面白い。あるのかい? 怪しくなく続けられる程度に利益を出せる計画が」

 なかった。黙れば確実な負けなので、出せる言葉を出す。期待できずともチャンスはある。

「あの近くには大学があって、あたしの友達が志望してるので、経由して宣伝ができます」

 オオヤは鼻で笑い飛ばした。

「足りないな。それに、きみが手を汚すには早すぎる。これは僕たちの問題だからね。きみにとって、協力とかは建前なんじゃないかい? 本当の目的を言ってみなよ」

 見透かされた。大人の最弱とはこのことだ。考えの甘さを詰められれば手も足も出ない。手脚がないあやでも。今はサイボーグ・ジョークを言う余裕があるが、あえて言わない。もっと言うべき話がある。

「本当は、メイドさんだからです。絶対カワイイ」

 得心とくしんしないオオヤへの補足として、蓮堂は「そういえばロリータ趣味があったな」と呟き、リティスは「え、初耳っすよそれ」と繋げた。

「わかった、じゃあこうしよう。『レディ・メイド』は僕が乗っ取る。きみを引き続き雇用する。きみにとっては、ある日いきなり方針が変わって巻き込まれた形になる。今日この場で、僕が実は関係者だったと知らされたことにしてくれ。これならきみは不幸な被害者でいられる」

 あやは唸り、言い返すには知識も経験も足りないと認めた。近くで見学するのも悪くない。

「悔しいですが、任せます」
「ありがとう。とはいえ発案者はきみだからね。ある程度の要望は出してくれたまえよ」

 言い負けてはいても、目的は達成している。引き続きカワイイ服で遊べる。

 またの機会までに何度も負けて、その度にどんな負け方かを覚えて、細かく勝つ機会を得て、勘所を身につけていく。大人の舞台は始まったばかりだ。焦ることはない。法治国家である限り負けても死なずに、何も失わずに、何度でも再挑戦できる。

 義肢を人々の身近にする計画にもなる。言い出した時点で気づきたかった。解散して過去になると、脳が緊張から解けて、それまでの言葉を整理し始める。
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