残酷な描写あり
8.三年後には
戦犯管理所を出てからの記憶はおぼろげだった。頭が酷く混乱し、どこをどう歩いてきたかすら覚えていない。薄っすら覚えているのは、チャグに無理矢理引きずり込まれるようにしてタクシーに乗り込んだことだけ。
チャグに引っ張られながら汽車に乗り込んだ後、私は項垂れながら座席に座っていた。まだ周囲の音が歪んで聞こえるような錯覚に囚われている。向かいに座るチャグが、絶望する私の心中を察したように溜め息混じりに言った。
「お父さん、行方不明か⋯⋯これじゃあ、僕にもどうしようもないよ」
「⋯⋯そうですよね」
口から出たのは自分でもぞっとするほどしわがれた声だった。
◆ ◆ ◆
ヨト村に着いて汽車を降り、ヤケ村へ続く道をチャグと共に歩いていく。
陽は既に峰へくだりつつあり、道の両端を挟む山は夕陽を浴びて赤味を帯び始める。蜩たちが物悲しい鳴き声を発していた。逃げ水を張っていた道は橙色の陽に照らされ、黄色い帯みたいになっている。
一時間ほど歩き続けてヤケ村へ到着し、自宅にたどり着く。私は扉の前に立ったまま、背後に立つチャグの気配を感じていた。チャグは気の滅入った私のことが心配なのか突っ立ったまま帰ろうとしない。私もなぜだかこのまま一人にされたら独り真っ暗な世界に放置されてしまうな不安を覚えるあまり、チャグに「送ってくれてありがとう。もう帰っていいよ」と中々言えなかった。
立ち尽くしたまま、沈黙が流れた。暫しの間を置いてチャグが口を開く。
「あ、あのさ! もし可能であれば、帝国の警察にお父さんの捜索願いを出せるかどうか後で聞いてみるよ。そうすれば、きっと⋯⋯」
励ますように弾んだ声でそう言っておきながら、語尾は自信なさげに尻すぼみになって終わる。私は適当に頷いてみせた。
「ありがとう、チャグさん。⋯⋯じゃあ、今日はこれで」
「うん⋯⋯また、今度ね」
チャグの足音が遠ざかっていき、夜道に捨てられたような孤独感に襲われた。後ろを振り返って扉を開け、「チャグさん待って!」と呼び止めたい衝動に駆られるが、呼んだってどうにもならないじゃないかと理性で押さえ付ける。
戸に背をくっ付けたままその場にへたり込み、私はうずくまった。
そうだ、もうどうにもならないんだ。たとえ捜索願いを出したって、どうせ父との血の繋がりなんて証明できないのだから私は他人と見なされ、関係のない人からの捜索願いはできませんと突っぱねられるだけだ。
全部、終わったんだ。諦めるしかないんだ。
虚無感が感情や思考を打ち砕いてゆく。呆然と地面を見下ろしながら私は空笑いした。
ユミン、もう無理だよ。復讐への道は完全に閉ざされたんだ。私は神様から見放されたんだよ。
この先ずっとずっと、村から出られず村人たちを傷つけてばかりの最悪な人生を歩まなきゃいけないんだ。
◆ ◆ ◆
一週間ほど経ってから、帝国へ父の捜索願いを出せるか否かの答えがチャグから電報で伝えられた。結果は否だった。
国際電話で帝国の警察相談課に聞いてみたところ、捜索願いを出すには捜索対象者の生年月日、元々住んでいた場所の住所、身体的特徴、いなくなった日時、最後に対象者を目撃した場所などの情報が必要だという。
案の定の結果だった。父の顔も実家もわからないので、完全に無理だった。
これにて復讐への道は完璧に閉ざされた。
どん底に突き落とされた私は、半ば廃人状態になった。毎日胃を苛んでいた食欲もなくなり、眠ることもできなくなり、痩せ細っていた身体は更に縮みゆく。
卒業するために農民学校へ通い続けたが、食欲がないことと睡眠不足のため集中力はほとんど欠けており、勉強はほぼ頭に入らなかった。
成績は徐々に下がり続け、留年ギリギリの線まで落ち込み卒業が危うくなってしまった。留年したら、もう一年間いじめられる日々を送るはめになる。
父探しがいつまで経ってもできないまま、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月、四ヶ月と時は無為に流れ続けた。夏が過ぎて秋深まり、村の里山が紅葉の時期を迎えた。
温突床下暖房を焚いて寒さを凌ぐ日々がやって来た。
温突床下暖房とは小屋の外に置かれた竈門の火を焚き、床下に掘った穴に熱い蒸気を流して部屋の中を温める暖房方法だ。これで部屋は冬でも常に温かい。義父に小屋へ置いていかれた後、母が以前から貯めていたへそくり金で業者に頼んで造ってもらったらしい。
十一月、冷たい木枯らしの吹き荒ぶある日。冷風に当てられ凍えきった身体を震わせながら私は学校から帰宅した。部屋に入ると、散らかったごみに紛れて寝転がりぶつぶつと独り言を呟く母の姿が目に入った。
彼女のそばには酒の入った一升瓶が置かれている。またなけなしの金を無駄に使ったなとうんざりしていると、一升瓶のそばに一枚の電報の封筒が落ちていることに気付いて、私は拾い上げた。差出人はチャグからだった。日付は今日だ。母が今日郵便配達員から受け取ってここに放置していたらしい。
あれから四ヶ月も音沙汰無しだったので、急な連絡に驚いた私は慌てて封筒を開け、紙を広げる。紙にはこう書かれていた。
『ユミン・ナリメ様へ。急な電報の送信、ごめんなさい。あなたにちょっとした朗報があります。
実はユゴ市に帝共戦争国際博物館っていうすんごくでっかい博物館が三年後に建てられるという情報を親父から入手しました。
その博物館には、帝国の資料保存委員会の集めた資料がたくさん展示されるらしいのです。勿論共和国の資料もね。
展示されるものは当時使われた帝共軍の軍需品のみならず、今まで共和国では入手困難だった帝国側の詳しい戦況文書とか、元帝国兵たちが提供してくれた従軍日記や戦争体験の公演会の記録など、盛り沢山です。
あ、最後にとっても重大なお知らせです。
ユゴ市を含む各戦犯管理所と繋がっている帝国の戦友会とか史料研究機関の人たちも定期的にその博物館へ公演会や海外異動で来る方針らしいから、もしかするとお父さんの行方を追跡している人とか、連絡を取り合っている人が見つかるかもしれません。
チャグ・ホル』
今まで絶望に打ちのめされ潰れかけていた心身に、ほんの少し生気が戻ったような気がした。
――ユゴ市を含む各戦犯管理所と繋がっている帝国の戦友会とか史料研究機関の人たちも定期的にその博物館へ公演会や海外異動で来る方針らしいから、もしかするとお父さんの行方を追跡している人とか、連絡を取り合っている人が見つかるかもしれません。
父の行方を追跡している人、連絡を取り合っているという人が必ず見つかる保証はない。だが、完全に寸断されたと思っていた復讐への道が、再び伸び始め出した気がして私はひとまず安堵した。
三年後。あまりにも長く感じられる歳月だが、その三年後にたどり着いて再び復讐への道を歩めるのだとしたら⋯⋯。
その時まで精一杯生きなきゃ、と私は自身を鼓舞して独り頷いた。
◆ ◆ ◆
半年が過ぎて、私は十三歳になった。春には農民学校を無事卒業して小卒の資格をもらった。
中学校からは高額の学費が必要になるため、貧乏な農民は進学できない。貧乏な私も
、本格的に農民の一員として朝から晩まで働き詰めの毎日を送ることになった。
この村に私がい続ける限り、村人たちの心はずっと傷つけられることになる。本当なら彼らのためにもヤケ村から出ていきたいところだが、農民が町で暮らしていくのも働くのもほぼ不可能だ。
農民の雀の涙ほどしかない給与では格安の賃貸すら借りることもできない。労働するのに必須の小卒の資格があっても、農民出身だと大抵どこの企業でも内定は出してもらえない。農民は村からほとんど出ないから外の世界を知らない、社会の知識も常識もないと平民たちの農民に対する社会的評価は低く、端から無能と断定され突っぱねられるからだ。
農民が平民に成り上がるのはほぼ不可能であり、農民に生まれた者は一生農民のままで人生を終える。私もその一人だ。
農民学校から脱出できたものの、今度は畑仕事で農民たちと毎日何度も鉢合わせしなければならなくなる新たな地獄が待ち受けていた。
四月半ば、雪が完全に溶けて畑の土が剥き出しになった頃。
未明のまだ空が白んでいる時間帯に私は目覚めた。意識が明確になってきた時、今年の畑作り必要な肥料を取りに行かなくてはならないことを思い出して、飛び起きる。
農村の隅には、隣村の牧場から運ばれてくる家畜糞を腐葉土と混ぜた肥料が山積みされた場所がある。朝になれば大勢の農民たちが肥料を取りにそこへやってくる。農民たちに姿を晒して傷つけないため、彼らが起きる前にさっさと肥料を取りに行こう。天井にぶら下げて部屋干ししていた綿入れを二枚着て、小屋の壁に立てかけていた猫車を押していく。
白んだ空の色を反映して薄灰色に染まる畦道を進んでいく。雪は溶けたが北部の気温はまだ凍えるほど寒く、綿入れを二枚重ね着しても身体が震える。吐く息も白い。
農村隅の肥料場に続く畦道にたどり着くと、予想に反して既に農民たちの長い行列が出来ていた。私はあの行列に近寄ってはいけない。一旦引き返そうとした時、後ろからびっこを引くような足音が迫ってきた。足音の正体を察した私は、慌てて踵を返す。
振り返りざまに頭に硬い物をぶつけられた衝撃を受けた。足元で小石の落下する音がする。
いたた⋯⋯と呻いて頭の痛む部分を手で押さえた時、あのおばさんの怒声が轟いた。
「どけっ! 邪魔だっ!」
ごめんなさいと謝って道の開けると、おばさんは片足を引きずってこちらへ近寄ってきた。通りすがり際、おばさんは憎悪を湛えたような目でこちらを睨みつけるや、いきなりひじで私の身体をドンッと押した。
体勢を崩した私は畦道の土手を転げ落ちて、土の中に落下する。続けざま、おばさんに私の持っていた猫車を背中に投げつけられた。ガンッと重量感のある打撃音がこだまし、背骨が折れたのではないかと思うほど強烈な激痛が走り、思わず悲鳴を上げてしまう。背中から腹の中にかけてほとばしる激痛に身を震わせていると、おばさんの冷ややかな声が頭上から降ってきた。
「いつまでこの村にいるつもりだ。お前がこの村にいると思うといつも吐き気がするんだ。皆もお前のせいで迷惑しているんだよ。さっさと死んでおくれ」
そう吐き捨てて、おばさんは肥料場のほうへ去っていく。
激痛に呻きながら私は土に額を当てて顔を伏せていた。背中が痛いあまり一歩も動けない。
畦道の遠くから続々と肥料を取りに来た村人たちがやって来る。彼らは私に向かって罵声を浴びせ、泥の塊や石を投げつけてきた。激痛の走る背中に次々と物を当てられて、段々と痛覚が麻痺してきた。
全身の感覚が失せて立ち上がることもできない。土の上に這いつくばったまま、私はみんなに謝罪した。
「ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい、みんな⋯⋯ごめんね⋯⋯」
私はこの村にいてはいけない。
でもこの村から出られない。
三年後、博物館にて父の情報を得られるかどうかも定かではない。
父の情報を得られなかった時は、今度こそ完全に復讐の道は閉ざされ、私は死ぬまで永遠に村人たちを苦しめることになる。
そうなってしまったら、村人たちがあまりにも可哀想だ。
込み上げるやりきれなさに、私は土を握り締めて歯を食いしばった。
脳裏にふとチャグの顔が浮かび上がる。平和ボケ脳と内心で馬鹿にしている彼の存在が、なぜか今はとても恋しく思えた。
「チャグ⋯⋯」
君を助けたいんだ、というチャグの声が脳内で再生される。
「私、どうしたらいいの⋯⋯」
助けて、というわがままな気持ちに駆られる。
「助けて、チャグ」
激痛に打ちのめされて頭の中がぐちゃぐちゃになっていく中、ふと『相談』という二文字が脳裏を過ぎった。
◆ ◆ ◆
朝の畑仕事を終えた後、私はヤケ村の真ん中に位置する村役場へ駆け込んだ。村役場内には誰でも使える電報送信機が設置されている。それを使ってチャグに相談の文書を送ることにした。
白い煉瓦壁で構成されたお屋敷みたいな建物の村役場内に入る。手前には待ち受けの長椅子が四列左右に並び、向こうに受け付け窓口があって、その奥が事務室になっている。事務室では役場職員十数名が机に向かい忙しなくタイプライターを打っていた。
受け付け窓口で、チャグの送ってくれた電報の封筒に書かれた彼の住所を職員に教え、色々な手続きをした後、電報送信機の使用許可をもらった。
待ち受け椅子が並ぶ部屋の右端の壁に設置された一台の電報送信機の前に行ったが、さっそく打ち方がわからず私は戸惑った。電報を書くのは生まれて初めてだ。壁には電報送信機の打ち方の説明が書かれた紙が貼られているが、果たしてうまくいくか。説明をちらちらと読みながら私は電報送信機の印字板を打ち、チャグに送る文書を作成する。
――こんにちは、ユミン・ナリメです。チャグさん、いきなり電報を送ってごめんなさい。あなたに相談があります。私は今年で小学校を卒業し、一農民として働くことになりました。
しかしあなたもご存知だと思いますが、私は村人たちから日頃忌み嫌われております。働くようになってから彼らと頻繁に顔を合わせるようになり、彼らに辛い出来事を思い出させ可哀想な思いをさせてばかりです。ヤケ村から出て平民として働けるならどれほどいいだろうと思いますが、それは不可能な話です。
村から出たとしても、農民の少額の給料では賃貸を借りることもできません。また平民たちの農民に対する社会的評価は低く、世間知らずと罵られ就職も難しいです。ゆえに私は村で死ぬまで農民生活を、そして村人たちを苦しめる疫病神の役を続けなければならなくなります。
だけれど、心が苦しくてたまりません。私はどうすればいいのでしょうか。
無理難題な相談というのは百も承知ですが、何かいい知識を私にお恵みください。
入力した文書の下書きが、電報送信機の上部にある排紙穴から飛び出し、それを手に取って読み返す。特に不備は見当たらず、安堵する。
電報を送信して受け付け窓口で通信料を支払った後、私は村役場を出た。
チャグの返事が楽しみでならなかった
◆ ◆ ◆
翌朝、即行チャグから電報が届いた。
――ユミン・ナリメ様。この度は相談の電報をありがとうございます。
村にいることで村人たちの心を傷つけてしまうというユミンちゃんの苦しみ、僕ごときには計り知れないものだと思います。ユミンちゃんには何の罪もないことだけれど、なんといえばよいのか⋯⋯うまい言葉が見つかりません。人間って残酷なものだね。
それで、三年間どうすればいいのかという相談について僕なりの提案を書きますね。
村にいることで村人たちを傷つけるのが嫌、というのなら、村から町へ出稼ぎするという手があります。農民は町で働けないって書いたよね!? とこの文を読んで今怒ったと思いますが、どうぞご安心を。あなたにいい就職先があります。
それは、僕たち『戦争調査隊』です!
戦争調査隊、という文を見たとき心臓が突き上げるように高鳴った。嬉しいと思う反面、社会の知識も常識も欠けている私ごときがそこで働いてよいのかという躊躇いも覚えた。
――戦争調査隊なら、ユミンちゃんはいつでも大歓迎! 書類整理とか、入力作業とか、軽作業担当が不足しているので、この仕事を受けてみませんか? 小卒の資格があれば大丈夫です。
履歴書を書いて、僕たち戦争調査隊の本部であるユゴ市役所の文化歴史部の歴史課に提出して、書類選考が通ったら今度は二次選考の面接。二次選考が通ったら内定が貰えます。
毎日結構大量の書類が来るので、朝から晩までずっとお仕事漬けになるけれど、村にいる時間はなるべく減らすことができると思いますよ。
ちなみに戦争調査隊も三年後には博物館に関わる予定なので、内定が出ればもしかするとユミンちゃんも博物館で何かしらのお仕事に携わることができるかもしれません。お父さんの情報も手に入れられるかも?
もしこのお仕事を受けたいと思ったら、お返事くださいね。それでは。
興奮のあまり、紙を持つ両手が震えた。
仕事を受けたいか否か――答えは勿論、『受けたい』に決まっている。
もし仕事の内定が出れば、村からある程度は距離をおけるし、あわよくば父の情報も手に入れられる可能性もある。
私はさっそく返信の電報を書くため、村役場へ向かった。
◆ ◆ ◆
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て⋯⋯――。
三年が経ち、私は十六歳になった。今は戦争調査隊の一人として各地の村を訪問し、戦争被害者への聞き取り調査を行っている。
里山の山桜が満開の時期を迎え、綿のような白い塊が山に点々と現れ始めた頃、私はまたいつものように石碑の前に経っていた。
石碑越しの空き地には相変わらずススキの草原が広がり、背の高い葉を風に靡かせている。
私は石碑を見下ろしながら、まだ姿見えぬ父に向かって告げる。
「父さん⋯⋯まだ生きてるの? 私に殺されるまでどうか死なないでね」
カーブミラーを見上げると、そこには三年前とは違う成長した姿の私がいた。
身長は三年前よりぐんと伸び、顔立ちは大人っぽくなって、平べったかった胸は両手で包み込めないほど大きく膨らんだ。ぼさぼさだった髪は肩辺りで切り揃え、ちゃんと整髪料を塗ってまっすぐ整えている。
三年前にホル一家から贈呈された職服は今でも着ている。背広、ワイシャツ、リボン。それに加え膝丈より上のプリーツ付きの紺色のスカートに、膝下まで丈のある黒い靴下、黒くて艶のある革靴。見た目だけは平民の制服労働者だ。これらを身に着けて、私はユゴ市役所の歴史課に出勤したり聞き取り調査に出かけたりしている。
仕事がない日や週末休みは農民として畑仕事に勤しんでいた。残念ながら非正規雇用の私の月給は低賃金で、それだけで食べていくことはできず、結局半農民生活を続けなければならなかった。相変わらず農民たちには迷惑をかけるばかりだ。それでもなんとか頑張って耐えてきた。
「さて、そろそろ行かなきゃ」
今日は帝共戦争国際博物館の開館記念式が執り行われる日だった。私も来賓者として式に参加することになっている。
私は自分の姿から目を逸し、右手にまっすぐ伸びた畦道を進んでいった。
里山から流れてきた山桜の白い花吹雪が、私の横を掠めていった。
チャグに引っ張られながら汽車に乗り込んだ後、私は項垂れながら座席に座っていた。まだ周囲の音が歪んで聞こえるような錯覚に囚われている。向かいに座るチャグが、絶望する私の心中を察したように溜め息混じりに言った。
「お父さん、行方不明か⋯⋯これじゃあ、僕にもどうしようもないよ」
「⋯⋯そうですよね」
口から出たのは自分でもぞっとするほどしわがれた声だった。
◆ ◆ ◆
ヨト村に着いて汽車を降り、ヤケ村へ続く道をチャグと共に歩いていく。
陽は既に峰へくだりつつあり、道の両端を挟む山は夕陽を浴びて赤味を帯び始める。蜩たちが物悲しい鳴き声を発していた。逃げ水を張っていた道は橙色の陽に照らされ、黄色い帯みたいになっている。
一時間ほど歩き続けてヤケ村へ到着し、自宅にたどり着く。私は扉の前に立ったまま、背後に立つチャグの気配を感じていた。チャグは気の滅入った私のことが心配なのか突っ立ったまま帰ろうとしない。私もなぜだかこのまま一人にされたら独り真っ暗な世界に放置されてしまうな不安を覚えるあまり、チャグに「送ってくれてありがとう。もう帰っていいよ」と中々言えなかった。
立ち尽くしたまま、沈黙が流れた。暫しの間を置いてチャグが口を開く。
「あ、あのさ! もし可能であれば、帝国の警察にお父さんの捜索願いを出せるかどうか後で聞いてみるよ。そうすれば、きっと⋯⋯」
励ますように弾んだ声でそう言っておきながら、語尾は自信なさげに尻すぼみになって終わる。私は適当に頷いてみせた。
「ありがとう、チャグさん。⋯⋯じゃあ、今日はこれで」
「うん⋯⋯また、今度ね」
チャグの足音が遠ざかっていき、夜道に捨てられたような孤独感に襲われた。後ろを振り返って扉を開け、「チャグさん待って!」と呼び止めたい衝動に駆られるが、呼んだってどうにもならないじゃないかと理性で押さえ付ける。
戸に背をくっ付けたままその場にへたり込み、私はうずくまった。
そうだ、もうどうにもならないんだ。たとえ捜索願いを出したって、どうせ父との血の繋がりなんて証明できないのだから私は他人と見なされ、関係のない人からの捜索願いはできませんと突っぱねられるだけだ。
全部、終わったんだ。諦めるしかないんだ。
虚無感が感情や思考を打ち砕いてゆく。呆然と地面を見下ろしながら私は空笑いした。
ユミン、もう無理だよ。復讐への道は完全に閉ざされたんだ。私は神様から見放されたんだよ。
この先ずっとずっと、村から出られず村人たちを傷つけてばかりの最悪な人生を歩まなきゃいけないんだ。
◆ ◆ ◆
一週間ほど経ってから、帝国へ父の捜索願いを出せるか否かの答えがチャグから電報で伝えられた。結果は否だった。
国際電話で帝国の警察相談課に聞いてみたところ、捜索願いを出すには捜索対象者の生年月日、元々住んでいた場所の住所、身体的特徴、いなくなった日時、最後に対象者を目撃した場所などの情報が必要だという。
案の定の結果だった。父の顔も実家もわからないので、完全に無理だった。
これにて復讐への道は完璧に閉ざされた。
どん底に突き落とされた私は、半ば廃人状態になった。毎日胃を苛んでいた食欲もなくなり、眠ることもできなくなり、痩せ細っていた身体は更に縮みゆく。
卒業するために農民学校へ通い続けたが、食欲がないことと睡眠不足のため集中力はほとんど欠けており、勉強はほぼ頭に入らなかった。
成績は徐々に下がり続け、留年ギリギリの線まで落ち込み卒業が危うくなってしまった。留年したら、もう一年間いじめられる日々を送るはめになる。
父探しがいつまで経ってもできないまま、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月、四ヶ月と時は無為に流れ続けた。夏が過ぎて秋深まり、村の里山が紅葉の時期を迎えた。
温突床下暖房を焚いて寒さを凌ぐ日々がやって来た。
温突床下暖房とは小屋の外に置かれた竈門の火を焚き、床下に掘った穴に熱い蒸気を流して部屋の中を温める暖房方法だ。これで部屋は冬でも常に温かい。義父に小屋へ置いていかれた後、母が以前から貯めていたへそくり金で業者に頼んで造ってもらったらしい。
十一月、冷たい木枯らしの吹き荒ぶある日。冷風に当てられ凍えきった身体を震わせながら私は学校から帰宅した。部屋に入ると、散らかったごみに紛れて寝転がりぶつぶつと独り言を呟く母の姿が目に入った。
彼女のそばには酒の入った一升瓶が置かれている。またなけなしの金を無駄に使ったなとうんざりしていると、一升瓶のそばに一枚の電報の封筒が落ちていることに気付いて、私は拾い上げた。差出人はチャグからだった。日付は今日だ。母が今日郵便配達員から受け取ってここに放置していたらしい。
あれから四ヶ月も音沙汰無しだったので、急な連絡に驚いた私は慌てて封筒を開け、紙を広げる。紙にはこう書かれていた。
『ユミン・ナリメ様へ。急な電報の送信、ごめんなさい。あなたにちょっとした朗報があります。
実はユゴ市に帝共戦争国際博物館っていうすんごくでっかい博物館が三年後に建てられるという情報を親父から入手しました。
その博物館には、帝国の資料保存委員会の集めた資料がたくさん展示されるらしいのです。勿論共和国の資料もね。
展示されるものは当時使われた帝共軍の軍需品のみならず、今まで共和国では入手困難だった帝国側の詳しい戦況文書とか、元帝国兵たちが提供してくれた従軍日記や戦争体験の公演会の記録など、盛り沢山です。
あ、最後にとっても重大なお知らせです。
ユゴ市を含む各戦犯管理所と繋がっている帝国の戦友会とか史料研究機関の人たちも定期的にその博物館へ公演会や海外異動で来る方針らしいから、もしかするとお父さんの行方を追跡している人とか、連絡を取り合っている人が見つかるかもしれません。
チャグ・ホル』
今まで絶望に打ちのめされ潰れかけていた心身に、ほんの少し生気が戻ったような気がした。
――ユゴ市を含む各戦犯管理所と繋がっている帝国の戦友会とか史料研究機関の人たちも定期的にその博物館へ公演会や海外異動で来る方針らしいから、もしかするとお父さんの行方を追跡している人とか、連絡を取り合っている人が見つかるかもしれません。
父の行方を追跡している人、連絡を取り合っているという人が必ず見つかる保証はない。だが、完全に寸断されたと思っていた復讐への道が、再び伸び始め出した気がして私はひとまず安堵した。
三年後。あまりにも長く感じられる歳月だが、その三年後にたどり着いて再び復讐への道を歩めるのだとしたら⋯⋯。
その時まで精一杯生きなきゃ、と私は自身を鼓舞して独り頷いた。
◆ ◆ ◆
半年が過ぎて、私は十三歳になった。春には農民学校を無事卒業して小卒の資格をもらった。
中学校からは高額の学費が必要になるため、貧乏な農民は進学できない。貧乏な私も
、本格的に農民の一員として朝から晩まで働き詰めの毎日を送ることになった。
この村に私がい続ける限り、村人たちの心はずっと傷つけられることになる。本当なら彼らのためにもヤケ村から出ていきたいところだが、農民が町で暮らしていくのも働くのもほぼ不可能だ。
農民の雀の涙ほどしかない給与では格安の賃貸すら借りることもできない。労働するのに必須の小卒の資格があっても、農民出身だと大抵どこの企業でも内定は出してもらえない。農民は村からほとんど出ないから外の世界を知らない、社会の知識も常識もないと平民たちの農民に対する社会的評価は低く、端から無能と断定され突っぱねられるからだ。
農民が平民に成り上がるのはほぼ不可能であり、農民に生まれた者は一生農民のままで人生を終える。私もその一人だ。
農民学校から脱出できたものの、今度は畑仕事で農民たちと毎日何度も鉢合わせしなければならなくなる新たな地獄が待ち受けていた。
四月半ば、雪が完全に溶けて畑の土が剥き出しになった頃。
未明のまだ空が白んでいる時間帯に私は目覚めた。意識が明確になってきた時、今年の畑作り必要な肥料を取りに行かなくてはならないことを思い出して、飛び起きる。
農村の隅には、隣村の牧場から運ばれてくる家畜糞を腐葉土と混ぜた肥料が山積みされた場所がある。朝になれば大勢の農民たちが肥料を取りにそこへやってくる。農民たちに姿を晒して傷つけないため、彼らが起きる前にさっさと肥料を取りに行こう。天井にぶら下げて部屋干ししていた綿入れを二枚着て、小屋の壁に立てかけていた猫車を押していく。
白んだ空の色を反映して薄灰色に染まる畦道を進んでいく。雪は溶けたが北部の気温はまだ凍えるほど寒く、綿入れを二枚重ね着しても身体が震える。吐く息も白い。
農村隅の肥料場に続く畦道にたどり着くと、予想に反して既に農民たちの長い行列が出来ていた。私はあの行列に近寄ってはいけない。一旦引き返そうとした時、後ろからびっこを引くような足音が迫ってきた。足音の正体を察した私は、慌てて踵を返す。
振り返りざまに頭に硬い物をぶつけられた衝撃を受けた。足元で小石の落下する音がする。
いたた⋯⋯と呻いて頭の痛む部分を手で押さえた時、あのおばさんの怒声が轟いた。
「どけっ! 邪魔だっ!」
ごめんなさいと謝って道の開けると、おばさんは片足を引きずってこちらへ近寄ってきた。通りすがり際、おばさんは憎悪を湛えたような目でこちらを睨みつけるや、いきなりひじで私の身体をドンッと押した。
体勢を崩した私は畦道の土手を転げ落ちて、土の中に落下する。続けざま、おばさんに私の持っていた猫車を背中に投げつけられた。ガンッと重量感のある打撃音がこだまし、背骨が折れたのではないかと思うほど強烈な激痛が走り、思わず悲鳴を上げてしまう。背中から腹の中にかけてほとばしる激痛に身を震わせていると、おばさんの冷ややかな声が頭上から降ってきた。
「いつまでこの村にいるつもりだ。お前がこの村にいると思うといつも吐き気がするんだ。皆もお前のせいで迷惑しているんだよ。さっさと死んでおくれ」
そう吐き捨てて、おばさんは肥料場のほうへ去っていく。
激痛に呻きながら私は土に額を当てて顔を伏せていた。背中が痛いあまり一歩も動けない。
畦道の遠くから続々と肥料を取りに来た村人たちがやって来る。彼らは私に向かって罵声を浴びせ、泥の塊や石を投げつけてきた。激痛の走る背中に次々と物を当てられて、段々と痛覚が麻痺してきた。
全身の感覚が失せて立ち上がることもできない。土の上に這いつくばったまま、私はみんなに謝罪した。
「ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい、みんな⋯⋯ごめんね⋯⋯」
私はこの村にいてはいけない。
でもこの村から出られない。
三年後、博物館にて父の情報を得られるかどうかも定かではない。
父の情報を得られなかった時は、今度こそ完全に復讐の道は閉ざされ、私は死ぬまで永遠に村人たちを苦しめることになる。
そうなってしまったら、村人たちがあまりにも可哀想だ。
込み上げるやりきれなさに、私は土を握り締めて歯を食いしばった。
脳裏にふとチャグの顔が浮かび上がる。平和ボケ脳と内心で馬鹿にしている彼の存在が、なぜか今はとても恋しく思えた。
「チャグ⋯⋯」
君を助けたいんだ、というチャグの声が脳内で再生される。
「私、どうしたらいいの⋯⋯」
助けて、というわがままな気持ちに駆られる。
「助けて、チャグ」
激痛に打ちのめされて頭の中がぐちゃぐちゃになっていく中、ふと『相談』という二文字が脳裏を過ぎった。
◆ ◆ ◆
朝の畑仕事を終えた後、私はヤケ村の真ん中に位置する村役場へ駆け込んだ。村役場内には誰でも使える電報送信機が設置されている。それを使ってチャグに相談の文書を送ることにした。
白い煉瓦壁で構成されたお屋敷みたいな建物の村役場内に入る。手前には待ち受けの長椅子が四列左右に並び、向こうに受け付け窓口があって、その奥が事務室になっている。事務室では役場職員十数名が机に向かい忙しなくタイプライターを打っていた。
受け付け窓口で、チャグの送ってくれた電報の封筒に書かれた彼の住所を職員に教え、色々な手続きをした後、電報送信機の使用許可をもらった。
待ち受け椅子が並ぶ部屋の右端の壁に設置された一台の電報送信機の前に行ったが、さっそく打ち方がわからず私は戸惑った。電報を書くのは生まれて初めてだ。壁には電報送信機の打ち方の説明が書かれた紙が貼られているが、果たしてうまくいくか。説明をちらちらと読みながら私は電報送信機の印字板を打ち、チャグに送る文書を作成する。
――こんにちは、ユミン・ナリメです。チャグさん、いきなり電報を送ってごめんなさい。あなたに相談があります。私は今年で小学校を卒業し、一農民として働くことになりました。
しかしあなたもご存知だと思いますが、私は村人たちから日頃忌み嫌われております。働くようになってから彼らと頻繁に顔を合わせるようになり、彼らに辛い出来事を思い出させ可哀想な思いをさせてばかりです。ヤケ村から出て平民として働けるならどれほどいいだろうと思いますが、それは不可能な話です。
村から出たとしても、農民の少額の給料では賃貸を借りることもできません。また平民たちの農民に対する社会的評価は低く、世間知らずと罵られ就職も難しいです。ゆえに私は村で死ぬまで農民生活を、そして村人たちを苦しめる疫病神の役を続けなければならなくなります。
だけれど、心が苦しくてたまりません。私はどうすればいいのでしょうか。
無理難題な相談というのは百も承知ですが、何かいい知識を私にお恵みください。
入力した文書の下書きが、電報送信機の上部にある排紙穴から飛び出し、それを手に取って読み返す。特に不備は見当たらず、安堵する。
電報を送信して受け付け窓口で通信料を支払った後、私は村役場を出た。
チャグの返事が楽しみでならなかった
◆ ◆ ◆
翌朝、即行チャグから電報が届いた。
――ユミン・ナリメ様。この度は相談の電報をありがとうございます。
村にいることで村人たちの心を傷つけてしまうというユミンちゃんの苦しみ、僕ごときには計り知れないものだと思います。ユミンちゃんには何の罪もないことだけれど、なんといえばよいのか⋯⋯うまい言葉が見つかりません。人間って残酷なものだね。
それで、三年間どうすればいいのかという相談について僕なりの提案を書きますね。
村にいることで村人たちを傷つけるのが嫌、というのなら、村から町へ出稼ぎするという手があります。農民は町で働けないって書いたよね!? とこの文を読んで今怒ったと思いますが、どうぞご安心を。あなたにいい就職先があります。
それは、僕たち『戦争調査隊』です!
戦争調査隊、という文を見たとき心臓が突き上げるように高鳴った。嬉しいと思う反面、社会の知識も常識も欠けている私ごときがそこで働いてよいのかという躊躇いも覚えた。
――戦争調査隊なら、ユミンちゃんはいつでも大歓迎! 書類整理とか、入力作業とか、軽作業担当が不足しているので、この仕事を受けてみませんか? 小卒の資格があれば大丈夫です。
履歴書を書いて、僕たち戦争調査隊の本部であるユゴ市役所の文化歴史部の歴史課に提出して、書類選考が通ったら今度は二次選考の面接。二次選考が通ったら内定が貰えます。
毎日結構大量の書類が来るので、朝から晩までずっとお仕事漬けになるけれど、村にいる時間はなるべく減らすことができると思いますよ。
ちなみに戦争調査隊も三年後には博物館に関わる予定なので、内定が出ればもしかするとユミンちゃんも博物館で何かしらのお仕事に携わることができるかもしれません。お父さんの情報も手に入れられるかも?
もしこのお仕事を受けたいと思ったら、お返事くださいね。それでは。
興奮のあまり、紙を持つ両手が震えた。
仕事を受けたいか否か――答えは勿論、『受けたい』に決まっている。
もし仕事の内定が出れば、村からある程度は距離をおけるし、あわよくば父の情報も手に入れられる可能性もある。
私はさっそく返信の電報を書くため、村役場へ向かった。
◆ ◆ ◆
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て⋯⋯――。
三年が経ち、私は十六歳になった。今は戦争調査隊の一人として各地の村を訪問し、戦争被害者への聞き取り調査を行っている。
里山の山桜が満開の時期を迎え、綿のような白い塊が山に点々と現れ始めた頃、私はまたいつものように石碑の前に経っていた。
石碑越しの空き地には相変わらずススキの草原が広がり、背の高い葉を風に靡かせている。
私は石碑を見下ろしながら、まだ姿見えぬ父に向かって告げる。
「父さん⋯⋯まだ生きてるの? 私に殺されるまでどうか死なないでね」
カーブミラーを見上げると、そこには三年前とは違う成長した姿の私がいた。
身長は三年前よりぐんと伸び、顔立ちは大人っぽくなって、平べったかった胸は両手で包み込めないほど大きく膨らんだ。ぼさぼさだった髪は肩辺りで切り揃え、ちゃんと整髪料を塗ってまっすぐ整えている。
三年前にホル一家から贈呈された職服は今でも着ている。背広、ワイシャツ、リボン。それに加え膝丈より上のプリーツ付きの紺色のスカートに、膝下まで丈のある黒い靴下、黒くて艶のある革靴。見た目だけは平民の制服労働者だ。これらを身に着けて、私はユゴ市役所の歴史課に出勤したり聞き取り調査に出かけたりしている。
仕事がない日や週末休みは農民として畑仕事に勤しんでいた。残念ながら非正規雇用の私の月給は低賃金で、それだけで食べていくことはできず、結局半農民生活を続けなければならなかった。相変わらず農民たちには迷惑をかけるばかりだ。それでもなんとか頑張って耐えてきた。
「さて、そろそろ行かなきゃ」
今日は帝共戦争国際博物館の開館記念式が執り行われる日だった。私も来賓者として式に参加することになっている。
私は自分の姿から目を逸し、右手にまっすぐ伸びた畦道を進んでいった。
里山から流れてきた山桜の白い花吹雪が、私の横を掠めていった。