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作者: 喉飴かりん
残酷な描写あり
エピローグ
「今日で出所するのねユミンちゃん。寂しいわ、私」

 婦女刑務所の塀に囲まれた運動場端の草地で、私は仲の良い若い女性受刑者に髪をとかしてもらっていた。刑務所暮らしの五年間で、私の髪は腰辺りまで伸びた。

 塀の上に広がる長方形型に切り取られた青空の中を白雲が流れ、太陽が見えたり隠れたりを繰り返している。いよいよあの空の下に広がる世界を今日、私は再び見ることになるのだ。

「外に出たらどうするの?」

「ユゴ市役所の戦争調査隊に復帰して、あと執筆活動をするの」

 前科が付いてしまったが、事件を知った市役所長の御慈悲で戦争調査隊に復帰させてもらえることになった。共和国に帰ったら、また忙しない日々がはじまる。

 更にこの五年間で、私は随筆家という新しい職を手に入れた。共和国の出版社から「あなたの生い立ちと犯行に至るまでの道のりを描いた手記を出版しませんか?」という誘いが来て、承諾し手記を執筆することにしたのだった。

 手記は共和国と帝国で出版され、結構売れている。両国の読者から感想の手紙が頻繁に来て、読むのが日々の楽しみになっていた。
 手記の出版を期に随筆家デビューした私は、今は歴史や戦争についての随筆集の原稿を書いている。

「髪、ありがとう。じゃあ、そろそろ私行くね」

 私は後ろを振り返り、彼女に微笑みかけた。受刑者は寂しそうに口元に弧を描いて、別れの言葉を告げる。

「今まで五年間、ありがとう」

 私は頷いて歩き出し、刑務所内の廊下に入って自室に向かった。開いた扉から次々と輸送業者がたくさんの本を手にして出ていく。本は救う会や手記の読者が暇潰しにと送ってくれたものだ。おかげで部屋の中には積み上げられた本の塔が乱立していた。

 その本は全部、ホル家の一室に運ばれることになる。出所後、私はチャグの家に居候することにした。ホル一家は私を養子にしようと法的手続きをしてくれたようだが、残念ながら母親からの虐待が無かったこと、子供が職に就いていたことにより親権停止できなかった。

 自室から本、本棚、その他の物が全て運び出されると、室内は伽藍堂になった。空っぽの部屋を入口越しから見ると、五年間ここで過ごした日々の記憶が脳裏を過ぎって寂しさが込み上げる。

「⋯⋯さよなら」

 自室にお別れして、私はそっと扉を閉めた。





 刑務所を出て共和国に帰国してから、再び市役所の歴史課での仕事が始まった。歴史課の皆は私に「おかえり」と言って温かく迎えてくれて、五年前と何ら変わらない対応をしてくれた。

 共和国の報道機関において、私の起こした事件は一個人の犯行ではなく帝共戦争の悲劇の一つとして報じられた。そのせいか私を犯罪者として忌み嫌う人間はほとんどおらず、日常生活は至って平穏に流れていった。

 五月のある日、私は事件の真の元凶と五年ぶりに再会することになった。


 ◆ ◆ ◆


 待ち合わせの場所は、父が亡くなった幼なじみの骨を埋めた農村の丘だ。墓参りのついでに私に会いたいのだという。私も父に約束してほしいことがあるので、再会に応じた。

 会うことを決意できたのは、この五年間で父に対する感情がだいぶ変わったからだった。五年前までは殺したいほど憎んでいたのに、刑務所暮らしでたくさんの人々から支援されていくうちに、父を殺したら皆に見切られてしまう、もう繋がれなくなってしまうと葛藤した。

 葛藤の末、私は支えてくれる皆との繋がりを絶ちたくないからという理由で、父の殺害を断念した。

 こうして私の復讐劇は完全に幕を降ろしたのだった。

 殺意は抑圧されるにつれ小さくなり、消えた。父のことはこれからも決して許さないし家族という意味での親だとも思わないつもりだが、彼の罪業が結果的にここまで私を導いたことには複雑な心境であった。

 父への憎みと、今ある人生をありがたく思う気持ちで曖昧になった心を抱いて、私は待ち合わせ場所へ向かった。

 その日の午後は、麗らかな春の日差しが青空から降り注いでいた。

 待ち合わせ場所である村は、十数年前の戦火で廃村になっていた。畑は背の高いススキや麻の葉に覆われ、畦道も雑草が伸び放題だった。村は廃れてしまったが、里山に咲き誇る桃色や白の野生の桜が花吹雪を散らしていて、殺風景な世界を彩っていた。

 ヒゲナシの咲く丘の一番上まで登った私は、杖を突きながらゆっくりと丘を登ってくる父を待っていた。彼の片手には新聞紙に包まれた花束が握られている。

 父は丘の上に来ると、私に言った。

「すみません、こんな場所へ呼んでしまって」

「別に⋯⋯何とも思ってないわ」

 父は地面に突き立てられた銃剣の墓標前にしゃがみこんで花束を添え、頭を深々と下げて呟く。

「フレイス⋯⋯すまなかった。十年以上も待たせちゃって」

 父は顔を上げ、銃剣の柄にかけられた丸い鉄帽をそっと撫でた。

 親友フレイスの死が父を鬼畜に豹変させ、私の人生をも狂わせたのだと思うとやるせない気持ちになる。

 父は立ち上がり、私のほうを向いて訊いた。

「今の生活はどうですか」

「至って普通よ」

 父は微笑んだ。

「⋯⋯よかった」

「父さんは? 随分元気そうじゃないの」

 父は笑みを消して申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「父さんという呼び方はやめて頂けませんか。鬼畜の僕にあなたの父になる資格はないので」

「父さんっていうのは血縁上での意味。家族って意味での父じゃないわ」

 納得したように父は表情を和らげた。

「そういうことですか」

「あとね、私からお願いがあるの」

「何ですか」

「全財産使い果たしたところ悪いのだけれど、私の母の治療費を払ってくれる?」

 ソニさんは五年前に精神病棟に移され、今も治療を受けている。刑務所暮らし中に稼いだ印税を私は彼女の治療費に全額割り当てていた。

 彼女に娘じゃないと言われた時は酷く傷ついて、一度は情が完全に無くなった。だが時々ソニさんが夢に出てきたり、ふと思い出したりを繰り返すうちに消えたはずの情が再び芽生え初めてきたのだ。

 ソニさんを母だと思うのを一度止めたはずなのに、心の奥底ではまだ彼女を母だと思ってすがっていたらしいことに気づいて、見捨てられない気持ちが湧いて私は治療費を払うことにした。

 私の給料は少なく、ホル一家に支払う同居料金と高額の治療費を払うとほとんど手元に何も残らない状態だった。

「毎日かつかつで、仕事で使う帳面とか鉛筆の購入もなかなかできなくて困っているくらいよ。だから、母の治療費を払ってくれたらとても助かるの」

 父は嬉しそうな笑みを浮かべた。

「勿論です」

「⋯⋯あなたが母の心と私の人生を壊したんだから、一生償ってね? 約束よ」

 私は父に手を差し伸べた。

「はい、必ず」

 父は私の手をそっと握り締める。





 鬼畜の手には、人間の優しい温もりがあった。
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