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作者: 喉飴かりん
残酷な描写あり
11.思い出の喫茶店
 チャグの仕事が終わる午後五時頃まで、私は博物館の玄関前に設置されたベンチに腰かけていた。

 既に宵時を迎え、太陽は彼方の山の峰に沈んで空は紺碧色に染まっていた。お母さん、今頃どうしているだろう。作り置きしておいた夕飯ちゃんと食べているかしら⋯⋯と不安になる。

 博物館の玄関口左右に設置されたガス灯二本の明かりが灯り、光に誘惑された蛾の群れが集まってくる。瓦斯灯の周りに広がる淡い光の球を眺めていると、玄関口から足音が聞こえてきた。

「ユミンちゃん、おまたせ」

 チャグの声がして、私は彼のほうへ顔を向けた。多忙なのに私情で資料を見せてくれとわがままを言ってしまったことが申し訳なくて、私はチャグに謝る。

「ごめんなさい、無理言って⋯⋯」

 チャグは微笑んで返す。

「何言ってんの。君を助けたいっていう僕の仕事はまだ終わってないよ」

 罪悪感に圧迫される胸が少し軽くなった。戦争調査隊を抜けて学芸員になった後も私を支援したいと思ってくれていることが素直に嬉しかった。

「それに、ユミンちゃんとはもう三年の付き合いだ。⋯⋯なんか恥ずかしくて言うのきついんだけど⋯⋯僕はユミンちゃんのことを一相談者じゃなくて、友達だと思ってる。だから今は、仕事としても、純粋に友達としても助けたいと思ってる」 

 友達として助けたい、という言葉で心臓の鼓動が激しくなった。

「友達⋯⋯」

 あなたは私の友達だ、だなんて誰かから生涯一度も言われないだろうと思っていた。目の奥がじんわり熱くなる気配を覚えながら、私は嬉しさに頬をほころばせる。

「ありがとう、チャグさん」

「友達なんだから、チャグでいいよ」

 親しい仲と言えど年上の人を呼び捨てするのはさすがに抵抗があり、私は戸惑う。

「え、でも、呼び捨てはちょっと⋯⋯」

 チャグは可笑しそうに笑って言った。

「そう言わず頑張って言ってごらん⋯⋯チャグって」

「チャ⋯⋯チャ、チャ⋯⋯グ」

 チャグは手を叩いた。

「おめでとう、呼び捨てできたね!」
 
 チャグの嬉しそうな笑みを見ていると、恥ずかしいような、照れくさいような気持ちになる。

 チャグは玄関口奥の廊下へ引き返し、一旦足を止めてこちらを振り返った。

「じゃ、資料探しに行こうか」


 ◆ ◆ ◆


 事務所の人に「戦争調査隊の仕事で地下室にある資料を調べたい」と嘘をついて許可をもらい、地下所蔵室に再び入った。嘘を付くのは気が咎めたが。

 地下所蔵室から資料をいくつか持ってきて、一階会議室を借りてそこで調べることにした。

 持って来た資料はユゴ上陸作戦時に帝国北部方面軍司令部が作成した作戦資料、部隊編成、戦況報告書を複写して製本したものだ。外国軍の資料だけれど、軍事作戦の基本的な構造は他国軍と何ら変わらないので読むのは苦ではなかった。

 ユゴ上陸作戦の主戦場は海岸線だった。開戦直前、戦争が始まるのを予期した共和国軍は数十万人もの大部隊と陣地を海岸線に連ねて配置し、帝国軍の上陸に備えた。帝国軍はユゴ上陸軍を編成して海を渡り上陸したが、海岸線で待ち伏せしていた共和国軍の激しい抵抗に遭い、全く前へ進むことができず三ヶ月以上も泥沼合戦をするはめになったという。

 痺れを切らした帝国北部方面軍司令部は、共和国軍の陣地と部隊配置が薄手の場所へこっそり派兵。後方に回って海岸線上に張り付いている敵部隊を挟み撃ちにした。これによって共和国軍は大打撃を受け、大陸の奥地へ撤退しユゴ市は帝国軍の占領下になった。というのがユゴ上陸作戦の主な流れだ。

 そして肝心の父の部隊はどこにあったのか。これを調べるにあたってはユゴ市占領後の部隊編成案総覧という資料を見てみた。占領後も奥地へ逃げ込んだ共和国軍を追撃するため、帝国軍は補充を増やして部隊を編成、北部全域に派兵した。父の属していた混成歩兵第七大隊の部隊編成案の補充転属部隊一覧を見ると、ユゴ上陸軍第一連隊から約千名が同大隊へ転属されていた。

 ユゴ上陸作戦地域範囲の地図を見てみると、第一連隊の配置は混成歩兵第七大隊の根拠地に近い。近場の部隊から転属させたのだろう。父もソゴ山へ行く前はこの第一連隊に属していたと思われる。

 父の属していた元部隊が第一連隊だった可能性が判明したので、再び地下室に戻り同連隊の郷土資料、日記、戦争体験談記録などを探してきて調べてみた。

 第一連隊はユゴ市の一番北に属するチサという港町に配属されていた。戦争体験談記録によれば、第一連隊の全六中隊はそれぞれチサ町内の旅館、学校、公共施設等を根拠地に利用していたという。残念ながら資料では父が六中隊のうちどこに属していたのかがわからないので、実際にチサ町へ出向いてみなければわからない。
 父の通っていた喫茶店は一流の菓子職人が経営していた。地元でならその菓子職人は有名かもしれない。

 全六中隊の基地の場所を帳面に書き写した。チサへ行った時、六つの場所を回ってみよう。

 戦争体験談記録の本を閉じ、また一歩父に近づけたなと満足した私はため息をついた。

 確かチサは汽車で行けるはずだ。ヤケ村へ帰る前にチサ町へ行って、例の喫茶店のことを訪ねてみようか。

 地下所蔵室へ各資料を戻して玄関口へ行くと、チャグが開かれた二枚扉の前に立ってこちらを見ていた。

「チャグ⋯⋯さん」

 呼び捨てはまだ緊張するのでさん付けになってしまう。私は彼に駆け寄り、訊いた。

「もしかして、私のこと待っていたの?」

「うん。もう暗いから駅まで送っていこうと思って」

「いやいや⋯⋯あたしもう子供じゃないから大丈夫です」

「あと四年間は子供だよ」

 きっぱりそう言われて私はちょっとムッとする。

 博物館を出て、二人でユゴ駅まで歩いてゆく。街路の電柱には色とりどりの提灯ちょうちんが並んで吊るされ、ぼんやりと淡い光を闇中に放っている。提灯行列の下には所狭しと祭屋台が立ち並び、着物を着た大勢の人々が寄って集ってくじ引き、金魚掬い、祭食を楽しんでいた。朝には何も無かった街路がいつのまにか賑やかな祭り会場に変身していて驚いた。

 お祭り会場を見るのは生まれて初めてだった。街のほうでは毎年こんなに数え切れないほどの屋台が並び、美味しいものや景品当て抽選会が開かれるなんて。平民は贅沢だなと少し悔しくなる。

 焼き鳥の屋台に通りがかり、香ばしい炭とタレの匂いが鼻孔を掠めて空腹を覚える。そういえば昼から何も食べていなかった。だが今はチサへ行くのが先だ、と自分に言い聞かせて焼き鳥屋台の前に並びたい衝動を抑えた。

 屋台を見つめていたことがバレたのか、チャグが訊いてきた。

「お祭り行きたいの? 寄ってく?」

 私は頭を振り、活気溢れる人混みを一生懸命駆け抜けていく。

 やがてユゴ駅にたどり着いて、チサ行きの切符を買った。改札口まで見送ってくれたチャグが私の手に持つチサ行きの切符を目にして、訝しげに訊いてくる。

「あれ? ヨト村に行かないの?」

「父のいた元部隊の基地がチサにあって、叔父の言っていた父行きつけの喫茶店もそこにあったんじゃないかって⋯⋯だから今から行くんです」

「あぁ、そうだったの。チサなら何度か行ったことあるし、道案内しようか?」

「チャグさ⋯⋯チャグ、時間はあるの?」

「今日は在宅での仕事はないから暇だよ」

 そんなわけでチャグもチサ行きの切符を買い、道案内のため一緒に向かうことになった。

 帰路につく会社員などで賑わう汽車に乗り、私とチャグは向かい合って座りチサについての話に興じていた。

 チャグ曰く、チサはかつて貿易の玄関口と言われ他国からの多くの輸送船と外国人が出入りし、チサは国際観光都市として発展したという。今でも持ち込まれた多種多様な文化が根付いており、終戦記念日週間になると多文化の祭りが繰り広げられて他町にはない盛り上がりを見せるらしい。

 いくつかの駅に止まって次々と客が降りていき、客車内が静かになった頃。隣の席から二人の中年男性の会話が聞こえてきた。

「今夜の帝共首脳会談で戦後賠償支払いの可否が出るかもしれんってよ」

「そりゃあいきなり過ぎるな。まるで終戦記念日に合わせて決定するみたいできな臭いもんだ。やれやれ、せっかくの楽しいお祭り騒ぎなのに嫌な話だな」

「もし否決されたら⋯⋯」

 重いため息が聞こえた。

「想像したくもないね」

「共和党も汚職事件とか不祥事の連続で国民の反感を大いに買っているし⋯⋯たぶん、大変なことになるぞ」

 新聞をあまり読んだことがない上に政治の話題には全く興味がないので、共和党の連続不祥事については聞いたことがなかった。

 私は二人の方を見た。制服を着た会社員たちだ。一人が両手に持ち広げている新聞の第一面には、『速報。終戦記念日第一日目の今日、首脳会談にて戦後賠償の可否決定』と書かれていた。

 そういえば数日前、仮設住宅暮らしの戦争被害者家族の聞き取り調査に出かけ、彼らから『戦争で家も仕事も失い、十年経った今も低賃金労働をしながら仮設住宅暮らしです。帝国には早く戦争賠償を払って私達の生活を保護してもらいたい』と涙ながら訴えられた。否決されたら彼らは、いや共和国中にいる約数百万人の戦争被害者たちは⋯⋯。

 嫌な予感が胸を掠めた。

 数十分ほどしてチサの街に入った。窓辺を流れ行く建物の隙間から見える街路で、眩い派手な光がいくつも瞬いているのが見える。騒がしい音楽や悲鳴のような歓声も窓越しから絶えず聞こえてきた。チャグが言った通りの盛り上がりっぷりだ。

 汽車から降りると、先ほどの喧しい音楽が腹に響くほどの大音量で聞こえてきた。玄関口を出た途端、眼の前の道路を通る電球で装飾された花電車の眩い輝きに、私は思わず片腕で目を覆う。

 花電車の周りでは仮装した外国人や共和国人が歌いながら踊り狂っている。彼らの後に続いて、音楽隊が楽器を鳴らし音楽を奏でながら歩いていた。道脇の歩道にはたくさんの見物客が並び、手を叩いたり騒いだりしていた。

 仮装して踊る外国人を見て、ふと彼らの中に帝国人はいるのだろうかと気になった。帝国人が共和国人と仲良く踊れているのなら、ここはもしかすると私にとって楽園のような場所かもしれないという淡い期待がこみ上げてきた。

 戦争時代、帝国はユゴ市を占領したけれど敗戦を期に軍が撤退し、残された帝国市民は共和国軍や地元民に迫害されて無理矢理帰国させられた。そのため共和国にはほとんど帝国人は残っていないという。貧乏ゆえに帰国できない市民は例外的にその後も残り続けているが、その例外がもしここで共和国人と仲良く暮らし、共に踊っているのだとしたら⋯⋯。

「あの中に帝国人はいるのかしら」

「いないんじゃないかな。戦争時代のことで共和国じゃどこもかしこも帝国人への差別と偏見に溢れているから、住む人も観光に来る人もあんまりいないと思うよ。前に観光へ来た帝国人が共和国人から暴行を受けたって事件が多発して、帝国が共和国への入国を一時規制したほどだし⋯⋯。ここは帝国人にとっちゃ差別と暴力の地獄かもしれないね」

「そう⋯⋯」

 ヤケ村のみならず、共和国ではどこもかしこも帝国人を排除する差別意識で溢れているのか。期待はあっさりと打ち砕かれ、私は肩を落とした。

 祭りの人混みでぎゅうぎゅう詰めの歩道を進みながら、私達は六中隊の基地に利用された施設のある場所を巡り、近所の人々に『一流菓子職人が経営していた喫茶店はここ辺りにないか』と聞いて回った。五ヶ所回って「知らないよ」と言われもうだめかもと諦めていたところ、最後の六ケ所目の地点でようやく喫茶店の情報を掴めた。

 磯の香り漂う海岸線沿いの街路にある珈琲豆店の中年男性店長は、一流菓子職人のことを懐かしそうに語った。

「一流菓子職人の経営していた喫茶店? あー、知ってるよ、うちの取り引き先だもの。がっつい体つきの帝国人で、めちゃくちゃ重い珈琲豆の大袋を肩に背負って持って行ってたね。フレイズ・ロジャースって名前だよ。七年前に病気をこじらせて死んじまってね、今は娘さんが店を引き継いでいるよ。喫茶店の名前は彼の名字から取って【ロジャース珈琲】っていうよ。地図描いてやるから見ながら行きな」

 そう言って店長はロジャース珈琲までの道のりを紙に描いて渡してくれた。私達は店長のくれた地図を見ながら人混み溢れる道を進み、ようやくロジャース珈琲へたどり着いた。

 茶色い煉瓦壁の二階建ての建物で、一階の玄関口上部に「ロジャース珈琲」と書かれた木板の看板が貼られている。窓越しに長机越しの調理場で皿を洗う帝国人のお姉さんが見えた。彼女がフレイズさんの後継ぎの娘さんだろうか。

 硝子張りの出入口扉を開けると、扉上部に吊るされた小さい鈴が鳴った。その音に気づいたのかお姉さんが手を止めて顔を上げ、共和国語で「いらっしゃいませぇ」と可愛らしい声で挨拶した。

 店に入った途端、珈琲の香ばしい香りと甘いお菓子の匂いが鼻腔をとろかし、私は思わず深呼吸する。

 店の壁も煉瓦壁で床は灰色の混凝土、天井の証明は橙色で落ち着いた雰囲気を演出している。調理場前の焦げ茶色の木材で出来た長机の前に行き、私達は椅子に座った。向かいの調理場を見てみると、濾過器、コーヒーミルなど珈琲を作るための機器がたくさん並んでいた。

 お姉さんが目の前に来て、机越しから私達に献立表を渡した。

「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

 流暢な共和国語でそう言い、彼女は私達に微笑みかけた。

 彼女の翡翠のような美しい緑色の瞳に目を引かれる。きめ細かい白い肌は染み一つなく、毛細血管が透き通って見える。鼻と唇は小さく、顔の輪郭は引き締まっていて整った顔立ちをしていた。後ろで束ねた亜麻色の髪は艷やかで、まるで絹のようだ。

 お人形みたいに綺麗なお姉さん⋯⋯と私はうっとりしてしまった。

 チャグと私がそれぞれ注文を決め、十数分後にお姉さんが作った料理を長机に乗せる。

 チャグは無糖珈琲を一つ、私は帝国菓子と紅茶。

 帝国菓子はクリームで覆われた焼菓子の上に、ブルーベリー、ラズベリー、カシス、みかんなどを乗せたお菓子だった。青、赤、紫、橙色など色とりどりの果物の上には金色の水飴がかかっていて、天井の照明を浴びて光っている。
 まるで芸術品のような美しい見た目の菓子に私はずっと見惚れていた。
 
「綺麗なお菓子⋯⋯」

 お姉さんが少し照れくさそうに答える。

「父から教わって作ったお菓子です。どうぞ召し上がってください」

 そこでふと叔父の住んでいる街を聞き出すという目的を忘れていたの思い出し、私は慌ててお姉さんに訊いた。

「あ、あの⋯⋯すみません」

 お姉さんは食器を洗いながら訊き返す。

「どうなさいましたか?」

「ちょっと、お聞きしたいことがあるのですが」

「はい、何でしょうか?」

「アト・ネメントさんという方をご存じですか?」

 お姉さんの顔から表情が無くなり、手が止まる。やった、父のことを知っているのだと内心微笑みながら私はさらに訊いた。

「十数年前、彼はよくここに通っていたそうですね。故郷の思い出話をよくしたとか」

 お姉さんは呆然としながら呟く。

「アト兄ちゃん⋯⋯」

 懐かしの旧友を思い出すような、親しみのこもった声色だった。

「彼のこと、ご存じですか?」

 お姉さんは嬉しそうに微笑んで頷いた。

「ええ、私がまだ十四歳の頃のことですわ。ユゴが占領された後、二ヶ月の間に頻繁にうちへ来てくれて、私をとても可愛がってくれましたからよく覚えてますわ」

 叔父は、占領の二ヶ月後に父がソゴ山へ転属されたと言っていた。占領後の二ヶ月間に父が喫茶店へ通っていたというのなら辻褄が合う。

「お嬢さん、なぜアトさんのことをご存じなんですか?」

「私の父だからです。会いたいけれど、顔も居場所もわからなくて調べているんです」

 お姉さんは顔を上げて、私のことをじっと見つめた。

「あなた、アトさんにお顔が似ている気がします」

「他の人にもそう言われました。⋯⋯で、彼がここで何を話したかも覚えていますか?」

「全部は思い出せませんが、結構色んなことは覚えております」

 緊張に固唾を呑んで私は訊いた。

「彼の住んでいた場所についてはご存じですか?」

「住んでいた場所、ですか?  えっと⋯⋯確か帝国西部のフィンガル州にある『セントベルク』市という街で暮らしていたと言っていました」

「セントベルク⋯⋯」

 私はすぐさま胸の物入れから帳面を取り出し、万年筆で『セントベルク』と書いた。その街で叔父は彼の祖父母と今も暮らしているのだろう。

 隣で無言で珈琲を啜っていたチャグが口を開く。

「セントベルク市か。帝国語で『聖山』って意味で、名前の通り街の北側には年中雪の積もる凄く標高の高い霊峰が連なっているんだ」

 お姉さんが意外そうに呟く。

「あら、よくご存知で」

 叔父がセントベルクという街に住んでいるのはわかった。しかし、どこら辺に父たちの家があったのかを把握できないと近隣住民から叔父の祖父母の家がどこにあるか聞き込みできない。無理を承知で私は訊いた。

「あと、何度も質問して大変申し訳ないのですが父はセントベルク市内のどこに住んでいたかというのは言っていましたか」

 お姉さんは首を横に振った。

「すみません、そこまでは覚えていないです」

 一番欲しかった情報を得られず、私は愕然とする。これ以上は父の情報を詮索しても無駄だろう。憂鬱感に襲われるあまり、さっさと帰りたい衝動に駆られた。だが、出されたお菓子と紅茶を残して帰るわけには行かない。椅子から立ち上がりたい気持ちを必死に堪えながら、私はフォークで帝国菓子を切って口に運ぶ。口いっぱいに広がる果実の酸っぱさが、自身のもどかしい気持ちを表しているようたった、

 私達は茶菓子を食べながら、お姉さんから父との交流話を訊いた。

「アトさんは最初、一人で喫茶店へ来ました。食べ物がなくて困っているって。戦火であらゆる店が無くなり、物資もなく、私達も自分らの食料が無くて困っていました。しかし父は「彼に罪はない」と言ってわずかに残っていた珈琲と菓子を無償でアトさんに出したんです。

 アトさんは感激したような顔で凄く美味しいって喜んでくれました。お金は払わなくていいって言ったのに、彼はこんな旨いものに金を払わないなんてとんでもない! と言ってちゃんとお金を置いていきました。律儀な方だなと思いました。

 それからアトさんは何度か店へ来るうちに、私達に自分のことを話すようになりました。中卒で社会に出て二十歳になるまで製鉄工場に務めてたとか。趣味は哲学書を読むことだとか、休日はよく父や友達とフレアーズという球団の野球観戦を見に行っていただとか。色々です。

 しばらく日が経ってから、アトさんは友達を何人か連れて喫茶店へ来てくれるようになりました。彼らは来るたびに町から盗んできた小麦粉、卵、野菜、茶葉等をたくさん持ってきてくれました。素人の兵隊が作るまずい飯より、一流菓子職人のとても旨い飯を皆で食べたいからって。アトさんは他の仲間たちにも喫茶店のことを広めてくださったようで、多くの兵隊さんたちが食料を持って来て茶菓子を食べていき、店は賑わいました。

 アトさんたちの健気さと優しさで、潰れかかっていた店は立ち直れたのです。

 おかげで私達も餓死せずにすみましたし、たくさんの兵隊さんたちにお礼の茶菓子をお出しすることができました。盗みは罪ですが、戦時下はどこもかしこも食べるものが無くてやむを得ず盗むしかなかった。生きるためには仕方のないことです。

 アトさんが来てくれなかったら、私は今頃お腹を空かせて死んでいたことでしょう。彼のおかげで今私は生きているんだって、アトさんにはとても感謝しています。

 それから三年経って帝国が敗戦し、占領区は解放され共和国の領土に戻されました。当時、共和国軍と現地民が占領区に住む帝国人たちを暴力をもって迫害し、強制的に帰国させました。

 私も暴徒と化した共和国人たちから石を投げられたり、様々な暴行を受けました。彼らから何度も国から出て行けと言われました。でも私は祖父の代から共和国で暮している在共帝国人で、帝国には帰る場所などありませんでした。

 それから毎日毎日、共和国人の暴動に怯えながら父と暮らしました。そんな中、いきなりユゴ市内の戦犯管理所から手紙が届いたんです。差出人はアトさんでした。

 店の住所を調べて手紙を出したらしいです。手紙には『占領区が解放されて共和国人が帝国人を迫害しているので、あなたたちがとても心配です』と書かれていました。アトさんは私達のことを忘れていなかったんです。

 その時は、嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした。ずっと怖くて心細かったから。それからもアトさんとの手紙のやり取りは続いて、迫害される中送られてくる彼の手紙にいつも励まされていました。でも、彼が出所した後に手紙のやり取りは途絶えてしまいました」

 お姉さんは切なさに浸るように涙ぐんで鼻をすする。対象的にお姉さんの話を訊いていて段々と菓子を食べる気力が無くなってきてしまった私は、憂鬱な気持ちで聞き取った話を帳面に書き込んでいた。

 彼女の思い出話を聞く限り思い浮かぶ父の人物像は、思いやりのある優しい好青年という感じである。

 そういえば、叔父も父のことを「自分のことよりも他人のことを優先する心優しい人」だと言っていた。二ヶ月間も喫茶店へ頻繁に食料を無償提供し続けたという父の行動と、叔父の語る父の人柄が一致するような気がしないでもない。

 捏造だと信じたかった叔父の発言が真実味を帯びてきて、苛立ちと困惑で胃がむかつくような感覚を覚える。

 私は万年筆を卓上に起き、唇を痛いくらい強く噛み締めた。

 嘘だ。母を三週間もずっと犯し虐げ続けた鬼畜が、思いやりのある心優しい人間? 有り得ない。思いやりがあるのなら、母を虐げることなんかするものか。そんな訴えが喉に突き上げてくるものの、
お姉さんと叔父の語る父の人物像があまりにも酷似しているため、なぜか言い出せなかった。

「どうなさいましたか?」

 父のことに苛立っていつの間にか不機嫌な顔になっていたのかもしれない。私は咄嗟に口元に微笑みを浮かべて首を横に振り、なんでもありませんと言った。

 その時、外から閃光が瞬くと共に花火の爆音が轟く。ばんばんと鳴り響く花火の音に混じってお姉さんの声がした。

「花火大会、はじまりましたね。よかったら三階の屋上で二人きりで花火を見てきてはいかがですか?」

 お姉さんの明るい声が苛立ちに拍車をかけ、私は無言で皿と紅茶碗を持って玄関横の階段を上がっていった。

 階段に満ちる暗闇を背景に、あの青い目を持つ帝国兵の姿が浮かぶ。

 父さん、何で母さんを虐げたの?

 母さんを虐げて自分の不幸を埋め合わせようとしたの?

 でも、それが善良な普通の人間のやること?

 本当は表面的には良い人を装っていて、裏では残虐なことを考えている反社会的な人格の持ち主だったのではないか。

 ますます父という憎き相手の人物像がわからなくなってきた。
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