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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
2.― PORNO DEMON ―
2.― PORNO DEMON ―
『それは間違いないの?』

 まったく、間が悪過ぎる。よりにもよって、こんな時にダイレクトメールが来るなんて。以前から夜は連絡しないでくれと言ったのに。やれやれ、困ったクライアントさんだね。
 あれから四日経つ。俺は今だに気持ちの整理が着いていなかった。何をやっても、いまいちピンと来ない日々が続いている。

『攫われた人達が国内に留まっている確かな情報を手に入れた』

 視界を単色に変えてメッセージを送った。尤も、視界の色を抜いたところで、窓の向こうに広がる輝紫桜町のケバケバしいネオンの瞬きは、どうやっても落ち着ける事は出来ないが。
 クライアントさんの気持ちも分かる。人攫いにあった弟が生きていて、居場所がもう少しで分かるかもしれないと言う段階なのだから。

『問題は何処にいるか? どうやって助けるか? 俺やアンタが思っている以上に相手は大きな組織だ より慎重に事を進める必要がある』

 あの夜、林組から根こそぎ奪った情報には、中々有意義な物もあった。とは言え問題も山積している。あの夜を境に、一気にハードルが上がってしまった。
 こんな状況は初めてだ。あらゆる情報網を支配してる筈の俺の脳を以てしても、想定外が多過ぎる。トラブルは俺の好物だけど、今は対象の規模が巨大である事と、その意図や真意が見えない事に滅入っている。
 このクソッタレな街の中で、普段から多くの事をコントロール化に置いている分、どうすればいいのか分からない。と言う状況に酷くストレスを感じていた――何時の間にか、打たれ弱くなってしまったのかな。

『他に分かった事は?』

 クライアントさんが更に突っ込んで聞いてきた。これもまた初めての事だ。
 何時もなら、俺から情報を提供して軽い感謝、そしてちょっとした会話へ進行する。俺が調べた情報を受け入れて疑わない。なんとなく、そういう関係になっていたのに。
 文面越しでも伝わってくる。クライアントさんは若く未熟なところがあって、そんな自分を嫌っている。それを隠そうと必死に生真面目で大人びた態度をとろうとしている。心を閉ざして、取り繕って、何かに成ろうと、もがいている様に感じていた。
 そんな感情は俺にも覚えがある。そして――時間をかけないと見つけられない事も知っている。

『焦ってるようだね 気持ちは分かるけど 状況は厳しくなってるんだ』

『荒神会はただの駒 全ての答えを持ってる親玉組織から情報を奪う必要があるけど 数日前に港区で荒神会の拠点が襲撃に遭ってから連中は鳴りを潜めてる ガードが硬くなってる』

 俺が林組と、ひと悶着やらかしてたあの夜、俺のとって想定外な出来事が二つ起きていた。
 一つは同じぐらいの時間帯に林組の事務所も襲撃に遭い、実質、林組は壊滅状態に陥っていた事。二つ目は港区にある荒神会の拠点が襲撃に遭っていた事。
 この二つの組織は水面下で繋がっている。どこの誰が、何の目的で攻撃したのかは知らないが、この数日で荒神会は幾つかの拠点を閉鎖して、すっかり鳴りを潜めてしまった。
 俺の予想では、荒神会はその親玉組織に一時吸収されたと見ている。CrackerImpも大概だが、これだけ騒がしく暴れる連中が多いと、流石に警戒を強めざるを得ないだろう。
 お陰で今後の調査が、かなりやり辛くなってしまった。

『何故 その組織を教えてくれないの?』

 やはり焦っている。ここまで突っ込んで来るとは。それとも、クライアントさんは気付いているのだろうか。俺がクライアントさんを疑っている事を。
 荒神会の拠点を教えた途端の襲撃事件は出来過ぎだ。深夜に起きた激しい銃撃戦だったと言う。表沙汰にはなっていないが、警察のデータベースにハッキングして得た情報では、無人制御された自動小銃が無差別に発砲していたらしい。怪我人が数人出ている。
 記録を盗み見する限り、警察の動きもいやにスピーディに感じる。クライアントさんの協力者は刑事の坂内彩子。ベテランの刑事さんだ。疑いたくもなる。

『危険だからだよ 荒神会への襲撃は予想外だったし 相手が警戒を強めるてるのも明白 今後は確実に情報を手に入れてから 連絡するよ そっちも充分用心しなよ 正直俺も参ってるんだ 今のやり方じゃ答えが掴めない アプローチを変えないと』

「おい、蓮夢! 聞いてるのか、おい!」

 しまった、集中し過ぎていた。ふと視界を単色から通常へ戻すと、窓に映っていたのは、上半身裸でズボンのベルトを垂らしたままの自分の姿。そして客の湿り気のある両手が、俺の両肩を掴んでいた。そう、間が悪過ぎる。

「あ……。あぁ、ごめん、ちょっと考え事してて……」

『悪いけど今日はここまでだよ 目の前の仕事も片付けないとならないんでね』

 落ち着いて構えていれば何て事ない。なんならヤッてる最中にだって別のタスクをこなす事だってある。手慣れた物さ。
 とは言え、流石にこの状況はクライアントさんに悪い気がする。

「まったく、久し振りに会えたんだ、ちょっとは集中してくれよな」

「分かってるよ、拗ねるなよ。楽しませてあげるから」

 抱き寄せる客の腕に手を添えて、振り向きざまに口付けてやると、客の舌が遠慮なく入り込んできた。少し苦しかった。
 常連はありがたいが、この客は苦手だった。何かは忘れたが、幾つかの飲食店を経営している社長さんだった筈。妙に匂いに執着する所があって、何時もヤる前にシャワーを浴びさせてくれないし、自分も浴びない客だった。
 人の匂いを楽しむのは勝手だが、俺はアンタの匂いなんて興味もないし、むしろ苦痛しかない。だから避けてた客だった。今夜は運悪く捕まってしまったが。
 良くない兆候だ。CrackerImpの仕事が勢い付くと、こっちの仕事に気が乗らない。忘れていけない、俺は輝紫桜町のHOEなんだ。

『ごめんなさい ありがとう』

『心配しないで 必ず答えを見つけ出す』

 その答えを見つける為の具体的なアイディアを、俺はまだ持っていない。気休めの言葉に罪悪感を覚える。
 視界のモニターが消え、荒い鼻息と醜い欲に満たされた目が俺を釘付けた。
 ようやく舌が口から離れたが、振り向かされ、肩を抑えながら膝を付かされる。

「早いところ始めてくれよ、見ろよ、もうはち切れそうだ」

 下着越しでも待ち切れないと言う状態は確かに伝わってくる。勝手に破裂しちまえよ。と言う気持ちをどうにか抑えて、物欲しそうな表情を作ってやった。
 気が乗らないな、それでも堪えて、この数時間を乗り切らないと。何時もしてる事だ、何時も通りにすれば良いだけだ。
 そう自分に言い聞かせている時点で、自分が何時もの調子ではないと言う事を思い知らされる。勘弁してほしいよ、大事な時だと言うのに――自分が嫌になる。





 うるさい。廊下の方が騒がしくなってきた。今、何時だろうか。
 そう考えると、瞼の裏側からお節介にも、九時四十七分と知らせてくれる。こういう沈んだ気分の時は、本当に鬱陶しいAI等だよ。
 でも、そろそろやって来る時間だろう。
 右手を額に置き、重い瞼を半開きに龍岡の診療室の天井を見る。三時間少々は眠れた様だ。相変わらず消毒液臭い空間だったが、臭い豚みたいな客よりは、よっぽどマシに思える。酷い夜だった。
 半開きになっているドアを恐る恐る開ける音、龍岡が入ってきたようだ。下手に動かずに、寝てる俺を見せておき、何か言って来るのを待つ。

「蓮夢……お前どうやって? ここに」

「電子ロックも南京錠も俺には意味ないよ……」

 輝紫桜クリニックは輝紫桜町で唯一の病院だった。かなり年季の入った施設ではあるが、毎晩、血生臭いトラブルが起きる歓楽街に加え、広大な貧民街を抱えるだけあって、設備は常に最新式を取り入れている。龍岡の持つコネクションのお陰もあるが。
 それでも、ネットワークに繋がっている機械ならば、俺には関係ない。

「お前、何を打ったんだ? 針も曲げて、腕から血も出てるじゃないか」

 龍岡が床に落ちていた注射器を拾いながら言った。自分の右腕に目をやると、確かに皮を少し裂いていた。
 注射器を使うのは久し振りだった。金のない時はシャブが御用達で、十代の頃から世話になっていた。でないと正気なんか保てない。
 最近は値が張っても、コカインの吸引ぐらいに止めていたから、久し振りに針が動脈に入り込んでくる感覚だけでハイになってしまった様だ。怖ろしい程の鮮明なフラッシュバック。それでも、一眠りすれば忘れてしまう実に虚しい多幸感。
 腕に垂れて、固まりかけていた血を舐め取って、傷口を眺めた。血はまだ滲んでくる。

「オピオイド、お陰で今は楽だよ……」

 この機械仕掛けの脳みそになってから、ずっと続く慢性的な頭痛。こればかりはもう、どうしようもなく、受け入れざるを得ない代償だった。しかも年々酷くなっていき、頭のどこがどう痛いのかすらも分からない程だ。死なずに壊れない程度の劇薬が欠かせない、そんなクソな状況に追い詰められていたお陰もあって、ハードドラッグ絡みの知識は身に付いたが。

「また病院の薬を勝手に、蓮夢、お前」

「そんな事よりも……」半身を起こし上げ、龍岡を見上げる。「送金した金は確認してくれたの?」 

 龍岡と見つめ合う数秒の後、龍岡は軽い溜息をつきながらデスクトップを立ち上げた。
 何が言いたいのかは、もう分かっていた。突然の、それも立て続けにあちこちから数百万単位の金が送金されたのだ。この後、龍岡が呆れ顔で何を言うのかも、分かっていた。

「二〇〇万じゃなかったのか?」

「臨時収入さ。ご心配なく、トラブルはないよ。完済でいいよね?」

 予想していた通りの言葉と表情の龍岡に、用意していた言葉を返す。厳密にはトラブルを蹴散らして、解決した上での収入だ。暴力的に。当然、そんな事は口が裂けても言えない事だった
 林組は潰れた。俺にどうこうしてくる奴等は、もういない。多分ね。

「釣りも出せるぐらいだ」

「いいよ、利子もなく七年待ってくれたから」

「一人で返済するには不可能な額だったのに……」

 確かに思い起こせば、とんでもない負債だった。あの頃、感じた眩暈は今でもよく覚えている。何せ、九桁だったからな。俺の提案とは言え、その後の改良も加えれば、危うく十桁になるところだった。
 脳死した俺を、この病院のあらゆる機材を使い、数日かけて、龍岡の宝とも言える高価なインプラントデバイスを使って、俺は復元された。
 こんな俺にって、何度も思ったし、今だって思っているが、俺じゃなければならないと言う理由もあった。だから、尚更やるせない感情が込み上げてくる。
 龍岡にとっては、またとない機会だった。このタブーをする事で、称賛を浴びるなんて事は在り得ない。様々な条件が、良くも悪くも重なってしまった上での結果だった。
 一つだけ言えるのは、死んだ人間にはイエスもノーも言えない。かと言って、あの時の俺に話す口があったとして、ノーと言えたかどうかも分からない。
 だから、やれる事は何でもやってきた。何度も壊れかけたけど、俺には、俺しかいなかった。向き合う事しかできなかった。

「やっと自由だ……これからは稼いだ金は全部、俺の物になるな」

 今のところ、俺の望んだ通りの方向に進んでいる。割に合わない脳をしっかり乗りこなし、街を歩けば居場所を感じられる。
 この街に流れ着き、それからも流れされるまま、誰かさんの金儲けの玩具になって、薄っぺらい称賛に溺れて、時間を浪費してしまった。
 そしてやっと自分の脚で立てると思った時に、脳がぶっ飛んだ。何とか生き永らえたかと思えば、このザマだ。俺が馬鹿なのか、この街がイカれてるのか。
 でも運が悪いなんて、安っぽい負け犬みたいな事は思わない、全て自分で蒔いた種さ。それも全て刈り取った。それなのに。

「しっかり働いて……早く抜け出さないと」

 そう、これからだ。やっとこれからと言える日を迎えられたと思ってたのに。なのに、どうして、俺の心は晴れるどころか沈んで行くのだろうか。
 身体中に纏わり付いた靄が晴れない。林組の連中に対する罪悪感なのか、クソみたいな客の相手が続いてるせいか。勝ち目の薄い組織に挑む術が見い出せないからか。
 どうして、自分の心すら思い通りに出来ないのだ。

「それも大事かもしれないが、蓮夢、しばらく休むべきだ。どう見ても消耗しきってるぞ」

 龍岡の言う事は御尤もなんだろうな。自分でも分かってる、今の俺は酷いツラをしているのは間違いない。
 でも、俺が今、欲しいのは、そんな言葉なんかじゃないんだよ。

「かもね、でも貧乏暇なしさ。頑張らないとならないのに、なんか……」

 言葉が詰まった。多分、言った方が楽になれるのかもしれない。喉元まで出かかっている。
 でも、それを他人へ話したところで何になる。俺自身でも、どうにもできない事を、龍岡に何ができるって言うんだよ。結局、無力感に満たされてしまうだけじゃないか。

「いや、なんでもない。もう行くよ、確認したかっただけだし」

 やっぱり龍岡先生は苦手だ。作った者、作られた者と言う厄介な立場もなく、既婚者でもなければ、俺も少しは素直に心を開いて、甘えたり出来たりしたのだろうか。 
 もう、借金を口実にした火遊びもできなくなるな。正直、それだけが俺にとっては良い気晴らしになっていたので、惜しい。
 ここいらで、終わりにしよう。これ以上、龍岡と話していたら必ず望まない展開になる。
 ベットから重い腰を上げ、酷いツラで龍岡に笑みを見せる。

「蓮夢、待て!」

 左腕を強く握られ、龍岡に呼び止められた。その痛みが、腕から胸の辺りにまで響いて行く様な不快感を感じた。
 龍岡に会うと何時もこれだ、また御尤もらしい言葉で俺を案じて憂う。それに俺が常に苛付いている事も、その理由も知りもせずに。

「お前、このままじゃ、また潰れてしまうぞ! 何故立ち止まらないんだ? お前ば充分……」

「勝手な事ばかり……」

 勢い任せに深い溜息が出る。それでも龍岡は俺の腕を離す気配はない。
 また潰れる。だから何だって言うんだ。輝紫桜町で生きるって、そう言う事の繰り返しだって、知っているくせに。終わりなんてない、だから地獄って比喩されている。そういう連中が流れ着く街だって知っているくせに。
 腕は掴まれたままだったが、龍岡の方に振り向く。

「口じゃ返済は拘らないって言ってても、実際は病院を潰しかけて、アンタの人生だって潰しかけた。俺だって、望んでこんな生き方してる訳じゃないよ!」

 声を荒げるのは嫌いだ。感情を曝すのも嫌い。その後、ロクな事にならない事がほとんだから。
 でも、言わずにはいられなかった。現実を二の次にした他人事みたいな御託と正論にはウンザリする。

「じゃあ、聞くけど、この頭の中の物のメンテナンス以外の事で、先生は俺に何が出来るの? 何も出来ないでしょ。俺の……」

 また声が詰まる。自分でも不思議なくらい高精度なフィルターが、かかっているかの様だ。
 長い沈黙が続く、龍岡の目を直視するのは耐え難い拷問の様に思えた。何よりも龍岡の裏表ない心が、俺には苦痛だった――俺は失敗作じゃない。
 こうなって七年、俺にとっても龍岡にとっても今の状況は望んだ結果じゃない。だから望んだ結果に近づけなきゃいけないんだ。誤ったなんて認める訳にいかない。

「何だ? 言えよ、お前は何時もそうだな。他人の心ばかりを見て、自分の心は頑なに見せようしない。何故、独りで背負い込むんだ?」

「何故? 俺は何時だって独りだからだよ、先生……」

 落ち着け、目を閉じて、深呼吸を二回して切り替えろ。目から溢れそうな邪魔なのを堪えるんだ。

「俺の心は、見なかった事にしててよ……その方がお互い楽だから……」

 ほらね、結局こうなる。腕を掴む龍岡の手に触れると、静かに離れていった。無力感その物だ。
 龍岡の顔から目を背けたまま、診療室のドアを開く。胸が裂けてしまいそうな気まずさから、早く逃げ出したい。

「蓮夢、俺と此処の助けが必要な時は、何時でも来いよ」

 龍岡の言葉に歩みを止めるが、俺は振り向く事が出来なかった。でも、それでいい、必要な時は必ずやって来るのだから。
 病院の廊下は、看護師達が忙しなく早歩きで仕事している。俺も昼の仕事に取りかからないと。さて、どうやって入り込む――あの厄介なシステムに。
 そう、俺はもう止められない。止まっている暇なんてない。常にこの身体と、脳を使い続ける。
 そう遠くないであろう、今度。龍岡に助けを乞うその時は、今日よりは素直になれるだろうか。
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