残酷な描写あり
R-15
14.― JIU WEI ―
14.― JIU WEI ―
頭上高く、轟音が通り過ぎて行く。古い新幹線を滑らす高架線のコンクリートから伝わる振動を、黒衣の金属部が敏感に感じ取っていた。
ここ数日は本当に大変だった。鵜飼に殺されかけ、気が付いた時には、このオンボロ病院のベットの上だった。彩子さんに借りがある“訳あり”の医者が経営している小さな病院。何かと都合がいいそうだ。
毒による激痛は収まっていたが、高熱が続き、二、三日使い物にならなかった。この発熱は毒ではなかった。
気絶して間もなく彩子さんが駆け付けた時には、鵜飼は消えていたそうだ。気を失っていた筈なのに、念動力は発動したまま尾は動き、周囲を警戒していたと言う。
半分成功、半分失敗と言ったところだ。やはり、あの忍者は強い。そして、呆れる程の役人気質だ。多少の迷いを感じる事はあったが、それ以上に怒りの方が強かった。
しかし、今の私には怒りも焦りもなかった。むしろ鵜飼には感謝したいぐらいだった。ヤツがキッカケで、私は自分自身を知る事が出来た。鵜飼でなくては、サイキックである私よりも強い存在でなければ、それは実現できなかった。
大丈夫、まだやれる。とは言え、久し振りに着た黒衣はかなり重かった。病み上がりのせいもあるが、早く慣らして本調子に戻さないと。
大体の事は分かった。今しがた警察署から戻って来た彩子さんが、退院の手続きを終えて、じきこの屋上へ来る。
昼過ぎには来れると言っていたが、もう日が暮れる時間だ。
早く、披露したい。そしてマンションに帰ったら、CrackerImpに連絡を入れよう。
話してみる、私の事を。サイキックである事を話して、気持ちをハッキリ伝えてみよう――貴方の手伝いをしたいと。
鵜飼と手を組めないのなら、鵜飼の動きを注視して、 CrackerImpから得た情報を餌にするのも悪くない。
あの忍者を敢えて泳がせて、事が荒立てば、私が動けばいい。大雑把に戦うのは慣れている。日本に来て、浮き沈みが激しかったが、今は自分自身の可能性と力に確信が持てた、やっと地に足を付いた気分だった。
「ユーチェン」
面を上げ、声のする方へ振り向く。しかし、その先にいる人の容姿は、見慣れた姿とは大きくかけ離れ、私の思考を硬直させた。
「あ、やこ……さん?」
控え目なウェーブのかかった長い黒髪はすっかり消え去り、両サイドを五分刈りにして、真ん中に残した髪を右側へ倒した、まるでモヒカンの様な風貌の彩子さんがそこに立っていた。
「似合ってるでしょ? 元々、こう言う髪型が好きなの。年甲斐もなくとか言わないでよ」
元々、彩子さんは精悍な顔立ちをしている。母と共に映っていた、大学時代の彩子さんの短髪のイメージを持ったまま、初めて空港で会った時は、その長い黒髪がイメージとかけ離れていて、違和感すら覚えたぐらいだ。
年甲斐なんて、とんでもない。寧ろ、とても様になっていた。大胆で刺激的な雰囲気。女性でもこの様な姿をしてもいいのか、まるで――男性の様な姿。
私の国ではきっと許されない。
「退院してもいいけど、しばらくは安静に……って言っても、無理そうね」
「程々にします」
彩子さんは私の姿と、念動力で散らかした周囲を見渡していた。
狐の面と黒衣を身に纏った状態では説得力もないが、今は早く身体を慣らし、元に戻りたいと逸る気持ちと、無茶はせず休みたいと言う気持ちで揺れていた。
「ユーチェン、貴方に話す事があるの」
「私も彩子さんに話たい事が」
「……どっちから話す? 私のは悪い話よ」
悪い話と言う割には、彩子さんの表情は多少の冷やかさがある以外は、冷静な雰囲気だった。
「私のは良い話です。多分……」
「なら、悪い方から話そうか」
壁に凭れて煙草に火を着ける姿は、普段よりも雄々しげで、その一つ一つの動作や仕草が、どこか自然に思えた。
初めて会った日から、彩子さんの雰囲気はどんどん変わっていく。それとも、戻っていってるのだろうか――母が傍にいたあの頃に。
「今日、停職命令を出された。私はもう、刑事じゃない……」
「そんな、どうして?」
「色々、小難しい理由もあるけど、多くは荒神会絡みの捜査で独断専行が過ぎたのが理由ね。でも、それ以上に圧力も感じた。私はただの見せしめ……誰かにとって都合の悪い事に首を挟むなと言う……」
心の何処かで、そうならないかと危惧していたが、とうとう現実になってしまった。警察の具体的な仕組みや組織図が分からなくても、彩子さんがかなりの無茶を繰り返しているのではないかと、どことなく感じていたからだ。
「しばらくは……いや、多分このまま、私が辞職届を出すのを待ち続けるんでしょうね……と言うわけで、今後は警察のコネや情報網は使えなくなる。で、無職になった記念に髪型を好きにして、心機一転ってワケよ」
深い溜息と煙草の煙。それでも彩子さんの表情はあっさりしていた。さっぱりした髪を軽く弄り、自分の置かれた状況以上に、今の自分に満たされている様な、そんな顔をしていた。
「私のせいだ……」
叔父と組んでいた時は、こんな不安はなかった。当然だ、私は叔父のフィールドで何の気兼ねもなく、ただ暴れていただけに過ぎないのだから。
でも彩子さんは違った。無頼な叔父と違い、正義を行使する立場の人だ。彩子さんと組んで真っ先に、その事をまざまざと見せ付けられた。規律を重んじて尊厳を保つ姿勢。
だが少しづつ、その姿勢が崩れていった。それこそ叔父の様に臨機応変で、なりふり構わず、躊躇のない姿勢が似始めていった。
私のせいで彩子さんが無茶している様な気がして、忍びなさを感じていた。
「上司に呼び出されて、上の連中に囲まれて停職命令が下される数分前、CrackerImpが接触してきた。パソコン越しに」
「CrackerImpが?」項垂れた視界を彩子さんに戻す。
「当たり前の様に警察署にハッキングしてコンタクトしてくるなんて、とんでもないヤツね……近い内、クビなる可能性があるから覚悟しておけと、それは間違いなく、この一連の事柄に関わる黒幕の圧力によるものと……」
CrackerImpが彩子さんに警告してから間もなく、それが現実に起きた言う訳か。彩子さんが冷静になれたのも、そのワンクッションのお陰かもしれないな。
CrackerImp。堅実な情報収集力だけじゃなく、時には大胆なアプローチも仕掛ける。腕の良いハッカーであると同時にリサーチャー。そんな風に紹介された事を思い出す。
最近、彼からは連絡が来ていない。前回は焦りで彼を問い詰めてばかりだった。
「これから先、その黒幕が警察も港区も徹底的にコントロールし始める。駒である荒神会が立て続けに襲撃された事で警戒を強めているそうよ。輝紫桜町で起きた荒神会の幹部暗殺。私達が仕込んだ警察のガサ入れ。下手に目立てば、それだけ情報が奥へ隠されて攻略が難しくなっていくと。クライアントである貴方の安全を守る為に、連絡を避けて単独行動で調査していたそうよ。充分に用心して、私に貴方を守って欲しいと言っていた」
私達がまだ辿り着いていない領域で、CrackerImpは今も答えを求めて行動している。
分かっていた筈だ、彼はそう言う人だと。会った事もないけど、ハッカーなんてアウトローな世界の住人であっっても、人情味があって直向きな人だと。
信頼している。なのに、私は。
「じゃあ、私がやっていた事は、CrackerImpの邪魔になっていた……」
「私“達”よ。ガサ入れを提案したのは私だし。何にしても、私達もCrackerImpも、領分を超えた先で行動している。本来なら、もっと密に連携し合えるのが理想だけど、そうもいかない」
彩子さんがすかさず私達と強調して過ちを共有した。それでも自分の不甲斐なさと軽率さに眩暈を覚える。私は彩子さんのキャリアを潰し、CrackerImpの足を引っ張ってしまった。とんだ間抜けだ。
「これから、どうすれば」
「近い内に、手に入れた情報を渡してくれるそうよ。彼は彼で、ゴタゴタが続いてたらしいけど、体勢を立て直して調査しているそうだから。今後は細かい事でも情報や進捗を報告するから、その上で判断して行動して欲しいだって」
おそらく、察してくれているのだろう。CrackerImpは私がじっとしていられない心情である事を。
そんな私と黒幕に最も近い状況の中で、それ抱えた上で、彼は今後も調査を続けると言うのか。私を責める事もなく。
「港区を中心に荒神会の動きを探ります。CrackerImpには、彼には迷惑がかからない様、慎重に……」
もっと考えて行動しないと。叔父の言葉通り、知恵を付けないと。自分の力に奢り高ぶって、力任せに物事を進めるのは――まだ先にとっておこう。
今は進まず、下がらず、立ち止まって状態で物事を見つめよう。だからCrackerImpは私にではなく、彩子さんにコンタクトを取ったのだろう。これまで以上に舵取りをしてもらう為に。
そして、この話が私に伝わって、私に慎重になれと釘を刺せる事も念頭に入れてある。本当に賢い人だ。
「忍者の鵜飼がこれから何をするのか? それも注意すべきね。場合によっては彼の調査を邪魔する事になりかねない。荒神会だけじゃなく奴の動向にも目を光らせないと」
そうか、そっちも不安要素になるのか。鵜飼が今後も荒神会にちょっかいを出せば、相手の警戒レベルが上がり、結果としてCrackerImpの調査が困難になる。
鵜飼の動きは、仕掛けた発信器で把握してる。散々酷い目に遭わされたが、今後も接触を続けざるを得ないようだ。
手を組めないにしても、もっと上手く会話して、警戒を解いてもらわないと。
彩子さんは吸い切った煙草を携帯灰皿に入れ、おもむろにショルダーホルスターから拳銃を取り出し、こちらに見せ付ける。女性の手には少し大きくてゴツいセミオートの拳銃。普段持ち歩いていたのは小口径のリボルバー銃だった筈。
「ドイツ製の偽銃“HK型四五式拳銃”私物よ。警察の支給品なんかより、ずっと使い勝手がいいし、威力もある。他にもSMGやショットガンも持ってる」
古い型の銃器類を模造した日本製の偽銃は私の国でも評判が良く、黒社会では密輸品の定番だった。
生産力こそ弱いものの、品質も良く、安く仕入れて、更に売れば、倍の値でも良く売れると、叔父が良く言っていたので知っていた。
彩子さんは本気だ。私やジャラの為、それ以上に自分自身と母の為に。危うい程の決意の固さを示していた。
「ユーチェン、私は警察に、刑事でなくなる事に未練はない。漠然とした使命感や正義感に感覚を鈍らせて生きてくよりも、ずっとマシだと思ってる。それにあの職場は嫌いだった。女っぽければ見下し、男っぽければ蔑み。ホント面倒臭くて、窮屈なところだったから。正直、今はスッキリしてる。先の不安がゼロとはいかないけど、これまで以上に貴方に協力したい」
「彩子さん……」
「それで? 貴方の良い知らせは?」
拳銃をホルスターにしまい、彩子さんが近づいてくる。
こんな話の後では、私の良い知らせは、彩子さんの話に匹敵する程のインパクトも重みもないかも知れないが。
「レベルアップしました」
「レベルアップ?」
安直な表現だけど、これが一番分かり易くて、適切だった。
狐の面を被り、彩子さんから数歩下がりつつ念動力で九本の尾を持ち上げた。とても新鮮な気分だ。今までとまるで違う、鮮明な感覚に胸が躍る。
「そう言えば彩子さんに、この姿で立ち回る私をちゃんとお見せするのは、初めてかもしれませんね」
「ここでお面を付ける必要ってあるの?」
「集中できるんです」
彩子さんは私の格好を、単にコスプレの延長の様に思っている節があるが、それは間違いである。
これは私の、サイキックとしての能力を最大限に活かす為の装備だ。同時に、威風堂々と相手を畏れさせ萎縮させるための演出でもある。
「今までの私との違いは二つあります。私は、念動力で同時に九つの物体を操る事が出来る。あの夜に何がキッカケになったのかは分かりません……こんな変化は今まで体験した事がなかったから」
突然、私の身体を襲った焼ける様な熱。脊髄から脳へ、脳から全身を駆け巡った高熱は変化の兆しだった。
九本の尾をバラバラに動かしてから、ゆっくり一束に束ねて右へ一振り、左へ一振り、扇の様に開かせ、滑らかに振り上げて振り下ろし、重々しく空を切る。
「それはまるで、後頭部から九本の腕が生えている様な感覚。五メートル程の細いけど強い、おぞましい腕。それが鋼鉄製の尾を掴んで振りかざし、薙ぎ払い、絡み付く。私は人の革を被った化物、妖、物の怪。荒ぶる九尾の黒狐」
彩子さんに語りかけつつ、言葉のまま九本の尾を振り回す。振り回す尾に身体を引っ張られても、京劇の役者の様に逆らわず、流しながら立ち回る。
真夜中の廃ビル。その最上階や屋上で叔父と共に手探りで覚えた動きだ。
「彩子さんはサイキックには“ランク”があるのを知っていますか?」
「国連がとりあえずで定めているヤツでしょ。A級とかB級とか……」
サイキックが世界中で認知されてから半世紀。年々サイキックの種類や力の度合いに大きな差が生まれ始めて来た。現在では力が強力なサイキックにA、B、C級、そして特A級と分類される。
勝手にサイキック達の力にランクを付けて、警戒していると言うのが見え見えだ。
私は小さい頃に登録したので、当時はC級だったが。今は間違いなくA級にまで能力が上がっている――それどころか。
「ずっと葛藤してました……母は常に慎重にと、でも叔父は解き放てと。この力をどう使うのが正解なのか、未だに分かってなかったんです。私は獰猛な妖なのか、それとも私の中に妖が潜むのか」
思った通り、彩子さんは不思議そうに私を見ていが、この感覚を人に伝えるのは難しい。抽象的な例えを用いて話すのが精一杯だった。
「あくまで感覚的なものです。でも“ソレ”は確かに私の中に存在しているんです。同時に“ソレ”と一つになれる瞬間もある」
「サイキックの人達はみんな、そんな感覚を持っているの?」
「どうでしょうね……サイキックに会った事がないので。きっと私だけの感覚……母がいたならきっと助言をくれたかもしれませんが」
意識を変える事、向けるべき所へ向く事は本当に難しい。時間が蓄積されれば尚更である。
余程のキッカケがない限り、変えようとも思わない。故に成長できるかは運次第であり、時間もかかる。とても、もどかしいけど。
同じサイキックだった母から教わるべき事を教わる機会もなく、そして師と呼べる人も持たない私が、この認識を持てたのは奇跡か、或いは鼻持ちならない石頭の忍者のお陰か。
いずれにしても、私は今、かつてない程自然に、滑らかに念動力を操れていた。
「私の念動力は今まで放し飼いだった。制御もしないし開放も中途半端なまま、ただ本能に従うだけの単純なもの……」
自分でも嫌と言うほど感じていた。大振りで隙の多い自分の念動力に。現に鵜飼には、その隙を悉く突かれていた。
力まずにセーブしながら念動力を使うべきか、もっと意識を集中させて高めるべきなのか。それは的外れだった。
本当に大切なのは、私自身が――受け入れる事だったんだ。
「でもこれからは違う。例えるなら、私と言う妖を受け入れ、私の中の潜んでいた妖は……」
最後の仕上げに入る。九本の尾が周囲に散らばるガラクタや砕けたレンガを拾い上げて目の前へ放る。
「解き放つ!」
この力のイメージは目だ。強く、激しく念じながら正面を睨む。集中力ではないもっと激しい感情を、強い意志を解き放つ様なイメージだ。
宙を舞うガラクタやレンガは粉々になりながら、暮れ紛れへ吹き飛んでいく。
一瞬の出来事に驚愕する彩子さんが口をを開こうとするが、指差してそれを止めた。この力はまだ探りを入れている最中だ。数えないと。
まるでスイッチが切れたかの様に、地面へ崩れ落ちる九本の尾。
ここから、一、二、三、四、五、六、七。よし、行けると思う瞬間に、再び念動力を発動させて地面にへたる九本の尾を起き上げる。
「これが私の十本目の尾“ショックウェーブ”」
「衝撃波……」
鵜飼と戦ったあの夜。私の身体を突然襲った違和感。更に毒が駆け巡り、苦痛に支配され、正気を保つのもままならない中、ただ、激情だけが込み上げていた。
何が引き金に、この力が目覚めたかなんて分からない。ただ不思議と、私は受け入れていた――これが私と言うサイキックの終着点であると。
九つの念動力でも満たされない事は過去に何度かあった。鵜飼と言う強敵を前にもっと強い力を、或いは九つ以上の念動力が使えないかと思う事もあったが、今はもう、そんな欲求はなくなっていた。
これで鵜飼に勝てる言う訳でもなく、可能性や向上心の否定でもない。これこそが私の完成形なのだと、心で理解していた――特A級のサイキックに私は成ってしまったのだ。
「かなり強力です。その分、負担も大きく感じますが」
「貴方の才能。と、言うべきかは分からないけど、素晴らしい才能ね」
その才能のお陰で、私の人生は狂いっぱなしだが、彩子さんの言葉に悪意がないのは分かっている。
いい加減、受け入れなくてはならないのも分かっていた。私はこの危険と悪意が混ざり合う世界で、サイキックとして生き続けていかねばならないと。
「ありがとうございます。と、言っておきますね。でも、一つだけこの力には弱点があります。この力を使うと七秒から八秒間、念動力が使えなくなります。隙も大きい」
今日ここで、試しに衝撃波を放ったのは計五回。いずれも身体から何かが抜け落ちる様な感覚と脱力感がある。
それが大体、七秒程で身体の中に戻って来る様な感覚だった。この五回で結構な疲労感がある。しかし、これは体力が落ちているせいもあるのでトレーニングで改善できそうだった。
「その、七、八秒をカバーする必要があるようね」
正面にある物は、大方蹴散らせるが、その後の対処が今後の課題だろう。多勢に無勢が想定される戦闘では自滅のリスクもある。
強力だが、それ故に衝撃波は使い道が難しい側面もあった。
「それを、あの忍者に頼めたら理想的なんでしょうが……」
奴と手を組むのはほぼ不可能だが、あの身のこなしと、変幻自在に全方向へ飛ぶ分銅鎖の刃は理想的なフォローになれる筈だ。
「忍者なんかいなくても、私がカバーすればいい事でしょ? あ、私の事を見くびってるんでしょ? これでも剣道、柔道、合気道も段持ちだし、射撃だって署内ではトップなんだから」
「彩子さんを危険に曝す訳には……母に怒られますよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。貴方とジャラにこそ、何かあったら私が陽葵に合わす顔がないって散々言ってるでしょ。これからは、しっかりツーマンセルで行動する」
面越しに彩子さんの手は私の左頬を摩る。狐の面のお陰で私の表情が彩子さんに見えないのは幸いだ。
髪型のせいでより際立っている。精悍な顔立ちと瞳。その目は真っ直ぐと私を見詰めて離さない。
不思議な雰囲気の人。最近、読み耽っている本のせいだろうか。ジェンダーレスと言う言葉が頭を過った。
「彩子さん、特性の異なる力を二つ以上持つサイキックは無条件で“特A級”のサイキックです。中国では監視対象として警戒される。他者にリスクを与える存在です。それでも……」
「お互い覚悟を決めましょう、ユーチェン。敵はかなり手強い。中途半端なモラルは足枷になる。私達はここから先、徹底的にアウトローになる」
「徹底的に、慎重で良心のあるアウトローとして。ですね」
彩子さんの手に自分の手を添えた。この場のこの瞬間だけは、私と相棒だけの世界になっていた。頭上を過ぎ去る轟音さえ他愛のないものだ。
もうじき日が暮れて相も変わらず、闇がこの街を覆うのだろう。それは高層ビルの煌めきに、足元を照らす灯りに、大歓楽街のネオンに、人々の喧騒に紛れて決して目には見えず、そして聞こえる事もない蠢く悪意。
目的は変わらずに、絶えず変化し続ける状況。飽くなき挑戦に終わりはない。
頭上高く、轟音が通り過ぎて行く。古い新幹線を滑らす高架線のコンクリートから伝わる振動を、黒衣の金属部が敏感に感じ取っていた。
ここ数日は本当に大変だった。鵜飼に殺されかけ、気が付いた時には、このオンボロ病院のベットの上だった。彩子さんに借りがある“訳あり”の医者が経営している小さな病院。何かと都合がいいそうだ。
毒による激痛は収まっていたが、高熱が続き、二、三日使い物にならなかった。この発熱は毒ではなかった。
気絶して間もなく彩子さんが駆け付けた時には、鵜飼は消えていたそうだ。気を失っていた筈なのに、念動力は発動したまま尾は動き、周囲を警戒していたと言う。
半分成功、半分失敗と言ったところだ。やはり、あの忍者は強い。そして、呆れる程の役人気質だ。多少の迷いを感じる事はあったが、それ以上に怒りの方が強かった。
しかし、今の私には怒りも焦りもなかった。むしろ鵜飼には感謝したいぐらいだった。ヤツがキッカケで、私は自分自身を知る事が出来た。鵜飼でなくては、サイキックである私よりも強い存在でなければ、それは実現できなかった。
大丈夫、まだやれる。とは言え、久し振りに着た黒衣はかなり重かった。病み上がりのせいもあるが、早く慣らして本調子に戻さないと。
大体の事は分かった。今しがた警察署から戻って来た彩子さんが、退院の手続きを終えて、じきこの屋上へ来る。
昼過ぎには来れると言っていたが、もう日が暮れる時間だ。
早く、披露したい。そしてマンションに帰ったら、CrackerImpに連絡を入れよう。
話してみる、私の事を。サイキックである事を話して、気持ちをハッキリ伝えてみよう――貴方の手伝いをしたいと。
鵜飼と手を組めないのなら、鵜飼の動きを注視して、 CrackerImpから得た情報を餌にするのも悪くない。
あの忍者を敢えて泳がせて、事が荒立てば、私が動けばいい。大雑把に戦うのは慣れている。日本に来て、浮き沈みが激しかったが、今は自分自身の可能性と力に確信が持てた、やっと地に足を付いた気分だった。
「ユーチェン」
面を上げ、声のする方へ振り向く。しかし、その先にいる人の容姿は、見慣れた姿とは大きくかけ離れ、私の思考を硬直させた。
「あ、やこ……さん?」
控え目なウェーブのかかった長い黒髪はすっかり消え去り、両サイドを五分刈りにして、真ん中に残した髪を右側へ倒した、まるでモヒカンの様な風貌の彩子さんがそこに立っていた。
「似合ってるでしょ? 元々、こう言う髪型が好きなの。年甲斐もなくとか言わないでよ」
元々、彩子さんは精悍な顔立ちをしている。母と共に映っていた、大学時代の彩子さんの短髪のイメージを持ったまま、初めて空港で会った時は、その長い黒髪がイメージとかけ離れていて、違和感すら覚えたぐらいだ。
年甲斐なんて、とんでもない。寧ろ、とても様になっていた。大胆で刺激的な雰囲気。女性でもこの様な姿をしてもいいのか、まるで――男性の様な姿。
私の国ではきっと許されない。
「退院してもいいけど、しばらくは安静に……って言っても、無理そうね」
「程々にします」
彩子さんは私の姿と、念動力で散らかした周囲を見渡していた。
狐の面と黒衣を身に纏った状態では説得力もないが、今は早く身体を慣らし、元に戻りたいと逸る気持ちと、無茶はせず休みたいと言う気持ちで揺れていた。
「ユーチェン、貴方に話す事があるの」
「私も彩子さんに話たい事が」
「……どっちから話す? 私のは悪い話よ」
悪い話と言う割には、彩子さんの表情は多少の冷やかさがある以外は、冷静な雰囲気だった。
「私のは良い話です。多分……」
「なら、悪い方から話そうか」
壁に凭れて煙草に火を着ける姿は、普段よりも雄々しげで、その一つ一つの動作や仕草が、どこか自然に思えた。
初めて会った日から、彩子さんの雰囲気はどんどん変わっていく。それとも、戻っていってるのだろうか――母が傍にいたあの頃に。
「今日、停職命令を出された。私はもう、刑事じゃない……」
「そんな、どうして?」
「色々、小難しい理由もあるけど、多くは荒神会絡みの捜査で独断専行が過ぎたのが理由ね。でも、それ以上に圧力も感じた。私はただの見せしめ……誰かにとって都合の悪い事に首を挟むなと言う……」
心の何処かで、そうならないかと危惧していたが、とうとう現実になってしまった。警察の具体的な仕組みや組織図が分からなくても、彩子さんがかなりの無茶を繰り返しているのではないかと、どことなく感じていたからだ。
「しばらくは……いや、多分このまま、私が辞職届を出すのを待ち続けるんでしょうね……と言うわけで、今後は警察のコネや情報網は使えなくなる。で、無職になった記念に髪型を好きにして、心機一転ってワケよ」
深い溜息と煙草の煙。それでも彩子さんの表情はあっさりしていた。さっぱりした髪を軽く弄り、自分の置かれた状況以上に、今の自分に満たされている様な、そんな顔をしていた。
「私のせいだ……」
叔父と組んでいた時は、こんな不安はなかった。当然だ、私は叔父のフィールドで何の気兼ねもなく、ただ暴れていただけに過ぎないのだから。
でも彩子さんは違った。無頼な叔父と違い、正義を行使する立場の人だ。彩子さんと組んで真っ先に、その事をまざまざと見せ付けられた。規律を重んじて尊厳を保つ姿勢。
だが少しづつ、その姿勢が崩れていった。それこそ叔父の様に臨機応変で、なりふり構わず、躊躇のない姿勢が似始めていった。
私のせいで彩子さんが無茶している様な気がして、忍びなさを感じていた。
「上司に呼び出されて、上の連中に囲まれて停職命令が下される数分前、CrackerImpが接触してきた。パソコン越しに」
「CrackerImpが?」項垂れた視界を彩子さんに戻す。
「当たり前の様に警察署にハッキングしてコンタクトしてくるなんて、とんでもないヤツね……近い内、クビなる可能性があるから覚悟しておけと、それは間違いなく、この一連の事柄に関わる黒幕の圧力によるものと……」
CrackerImpが彩子さんに警告してから間もなく、それが現実に起きた言う訳か。彩子さんが冷静になれたのも、そのワンクッションのお陰かもしれないな。
CrackerImp。堅実な情報収集力だけじゃなく、時には大胆なアプローチも仕掛ける。腕の良いハッカーであると同時にリサーチャー。そんな風に紹介された事を思い出す。
最近、彼からは連絡が来ていない。前回は焦りで彼を問い詰めてばかりだった。
「これから先、その黒幕が警察も港区も徹底的にコントロールし始める。駒である荒神会が立て続けに襲撃された事で警戒を強めているそうよ。輝紫桜町で起きた荒神会の幹部暗殺。私達が仕込んだ警察のガサ入れ。下手に目立てば、それだけ情報が奥へ隠されて攻略が難しくなっていくと。クライアントである貴方の安全を守る為に、連絡を避けて単独行動で調査していたそうよ。充分に用心して、私に貴方を守って欲しいと言っていた」
私達がまだ辿り着いていない領域で、CrackerImpは今も答えを求めて行動している。
分かっていた筈だ、彼はそう言う人だと。会った事もないけど、ハッカーなんてアウトローな世界の住人であっっても、人情味があって直向きな人だと。
信頼している。なのに、私は。
「じゃあ、私がやっていた事は、CrackerImpの邪魔になっていた……」
「私“達”よ。ガサ入れを提案したのは私だし。何にしても、私達もCrackerImpも、領分を超えた先で行動している。本来なら、もっと密に連携し合えるのが理想だけど、そうもいかない」
彩子さんがすかさず私達と強調して過ちを共有した。それでも自分の不甲斐なさと軽率さに眩暈を覚える。私は彩子さんのキャリアを潰し、CrackerImpの足を引っ張ってしまった。とんだ間抜けだ。
「これから、どうすれば」
「近い内に、手に入れた情報を渡してくれるそうよ。彼は彼で、ゴタゴタが続いてたらしいけど、体勢を立て直して調査しているそうだから。今後は細かい事でも情報や進捗を報告するから、その上で判断して行動して欲しいだって」
おそらく、察してくれているのだろう。CrackerImpは私がじっとしていられない心情である事を。
そんな私と黒幕に最も近い状況の中で、それ抱えた上で、彼は今後も調査を続けると言うのか。私を責める事もなく。
「港区を中心に荒神会の動きを探ります。CrackerImpには、彼には迷惑がかからない様、慎重に……」
もっと考えて行動しないと。叔父の言葉通り、知恵を付けないと。自分の力に奢り高ぶって、力任せに物事を進めるのは――まだ先にとっておこう。
今は進まず、下がらず、立ち止まって状態で物事を見つめよう。だからCrackerImpは私にではなく、彩子さんにコンタクトを取ったのだろう。これまで以上に舵取りをしてもらう為に。
そして、この話が私に伝わって、私に慎重になれと釘を刺せる事も念頭に入れてある。本当に賢い人だ。
「忍者の鵜飼がこれから何をするのか? それも注意すべきね。場合によっては彼の調査を邪魔する事になりかねない。荒神会だけじゃなく奴の動向にも目を光らせないと」
そうか、そっちも不安要素になるのか。鵜飼が今後も荒神会にちょっかいを出せば、相手の警戒レベルが上がり、結果としてCrackerImpの調査が困難になる。
鵜飼の動きは、仕掛けた発信器で把握してる。散々酷い目に遭わされたが、今後も接触を続けざるを得ないようだ。
手を組めないにしても、もっと上手く会話して、警戒を解いてもらわないと。
彩子さんは吸い切った煙草を携帯灰皿に入れ、おもむろにショルダーホルスターから拳銃を取り出し、こちらに見せ付ける。女性の手には少し大きくてゴツいセミオートの拳銃。普段持ち歩いていたのは小口径のリボルバー銃だった筈。
「ドイツ製の偽銃“HK型四五式拳銃”私物よ。警察の支給品なんかより、ずっと使い勝手がいいし、威力もある。他にもSMGやショットガンも持ってる」
古い型の銃器類を模造した日本製の偽銃は私の国でも評判が良く、黒社会では密輸品の定番だった。
生産力こそ弱いものの、品質も良く、安く仕入れて、更に売れば、倍の値でも良く売れると、叔父が良く言っていたので知っていた。
彩子さんは本気だ。私やジャラの為、それ以上に自分自身と母の為に。危うい程の決意の固さを示していた。
「ユーチェン、私は警察に、刑事でなくなる事に未練はない。漠然とした使命感や正義感に感覚を鈍らせて生きてくよりも、ずっとマシだと思ってる。それにあの職場は嫌いだった。女っぽければ見下し、男っぽければ蔑み。ホント面倒臭くて、窮屈なところだったから。正直、今はスッキリしてる。先の不安がゼロとはいかないけど、これまで以上に貴方に協力したい」
「彩子さん……」
「それで? 貴方の良い知らせは?」
拳銃をホルスターにしまい、彩子さんが近づいてくる。
こんな話の後では、私の良い知らせは、彩子さんの話に匹敵する程のインパクトも重みもないかも知れないが。
「レベルアップしました」
「レベルアップ?」
安直な表現だけど、これが一番分かり易くて、適切だった。
狐の面を被り、彩子さんから数歩下がりつつ念動力で九本の尾を持ち上げた。とても新鮮な気分だ。今までとまるで違う、鮮明な感覚に胸が躍る。
「そう言えば彩子さんに、この姿で立ち回る私をちゃんとお見せするのは、初めてかもしれませんね」
「ここでお面を付ける必要ってあるの?」
「集中できるんです」
彩子さんは私の格好を、単にコスプレの延長の様に思っている節があるが、それは間違いである。
これは私の、サイキックとしての能力を最大限に活かす為の装備だ。同時に、威風堂々と相手を畏れさせ萎縮させるための演出でもある。
「今までの私との違いは二つあります。私は、念動力で同時に九つの物体を操る事が出来る。あの夜に何がキッカケになったのかは分かりません……こんな変化は今まで体験した事がなかったから」
突然、私の身体を襲った焼ける様な熱。脊髄から脳へ、脳から全身を駆け巡った高熱は変化の兆しだった。
九本の尾をバラバラに動かしてから、ゆっくり一束に束ねて右へ一振り、左へ一振り、扇の様に開かせ、滑らかに振り上げて振り下ろし、重々しく空を切る。
「それはまるで、後頭部から九本の腕が生えている様な感覚。五メートル程の細いけど強い、おぞましい腕。それが鋼鉄製の尾を掴んで振りかざし、薙ぎ払い、絡み付く。私は人の革を被った化物、妖、物の怪。荒ぶる九尾の黒狐」
彩子さんに語りかけつつ、言葉のまま九本の尾を振り回す。振り回す尾に身体を引っ張られても、京劇の役者の様に逆らわず、流しながら立ち回る。
真夜中の廃ビル。その最上階や屋上で叔父と共に手探りで覚えた動きだ。
「彩子さんはサイキックには“ランク”があるのを知っていますか?」
「国連がとりあえずで定めているヤツでしょ。A級とかB級とか……」
サイキックが世界中で認知されてから半世紀。年々サイキックの種類や力の度合いに大きな差が生まれ始めて来た。現在では力が強力なサイキックにA、B、C級、そして特A級と分類される。
勝手にサイキック達の力にランクを付けて、警戒していると言うのが見え見えだ。
私は小さい頃に登録したので、当時はC級だったが。今は間違いなくA級にまで能力が上がっている――それどころか。
「ずっと葛藤してました……母は常に慎重にと、でも叔父は解き放てと。この力をどう使うのが正解なのか、未だに分かってなかったんです。私は獰猛な妖なのか、それとも私の中に妖が潜むのか」
思った通り、彩子さんは不思議そうに私を見ていが、この感覚を人に伝えるのは難しい。抽象的な例えを用いて話すのが精一杯だった。
「あくまで感覚的なものです。でも“ソレ”は確かに私の中に存在しているんです。同時に“ソレ”と一つになれる瞬間もある」
「サイキックの人達はみんな、そんな感覚を持っているの?」
「どうでしょうね……サイキックに会った事がないので。きっと私だけの感覚……母がいたならきっと助言をくれたかもしれませんが」
意識を変える事、向けるべき所へ向く事は本当に難しい。時間が蓄積されれば尚更である。
余程のキッカケがない限り、変えようとも思わない。故に成長できるかは運次第であり、時間もかかる。とても、もどかしいけど。
同じサイキックだった母から教わるべき事を教わる機会もなく、そして師と呼べる人も持たない私が、この認識を持てたのは奇跡か、或いは鼻持ちならない石頭の忍者のお陰か。
いずれにしても、私は今、かつてない程自然に、滑らかに念動力を操れていた。
「私の念動力は今まで放し飼いだった。制御もしないし開放も中途半端なまま、ただ本能に従うだけの単純なもの……」
自分でも嫌と言うほど感じていた。大振りで隙の多い自分の念動力に。現に鵜飼には、その隙を悉く突かれていた。
力まずにセーブしながら念動力を使うべきか、もっと意識を集中させて高めるべきなのか。それは的外れだった。
本当に大切なのは、私自身が――受け入れる事だったんだ。
「でもこれからは違う。例えるなら、私と言う妖を受け入れ、私の中の潜んでいた妖は……」
最後の仕上げに入る。九本の尾が周囲に散らばるガラクタや砕けたレンガを拾い上げて目の前へ放る。
「解き放つ!」
この力のイメージは目だ。強く、激しく念じながら正面を睨む。集中力ではないもっと激しい感情を、強い意志を解き放つ様なイメージだ。
宙を舞うガラクタやレンガは粉々になりながら、暮れ紛れへ吹き飛んでいく。
一瞬の出来事に驚愕する彩子さんが口をを開こうとするが、指差してそれを止めた。この力はまだ探りを入れている最中だ。数えないと。
まるでスイッチが切れたかの様に、地面へ崩れ落ちる九本の尾。
ここから、一、二、三、四、五、六、七。よし、行けると思う瞬間に、再び念動力を発動させて地面にへたる九本の尾を起き上げる。
「これが私の十本目の尾“ショックウェーブ”」
「衝撃波……」
鵜飼と戦ったあの夜。私の身体を突然襲った違和感。更に毒が駆け巡り、苦痛に支配され、正気を保つのもままならない中、ただ、激情だけが込み上げていた。
何が引き金に、この力が目覚めたかなんて分からない。ただ不思議と、私は受け入れていた――これが私と言うサイキックの終着点であると。
九つの念動力でも満たされない事は過去に何度かあった。鵜飼と言う強敵を前にもっと強い力を、或いは九つ以上の念動力が使えないかと思う事もあったが、今はもう、そんな欲求はなくなっていた。
これで鵜飼に勝てる言う訳でもなく、可能性や向上心の否定でもない。これこそが私の完成形なのだと、心で理解していた――特A級のサイキックに私は成ってしまったのだ。
「かなり強力です。その分、負担も大きく感じますが」
「貴方の才能。と、言うべきかは分からないけど、素晴らしい才能ね」
その才能のお陰で、私の人生は狂いっぱなしだが、彩子さんの言葉に悪意がないのは分かっている。
いい加減、受け入れなくてはならないのも分かっていた。私はこの危険と悪意が混ざり合う世界で、サイキックとして生き続けていかねばならないと。
「ありがとうございます。と、言っておきますね。でも、一つだけこの力には弱点があります。この力を使うと七秒から八秒間、念動力が使えなくなります。隙も大きい」
今日ここで、試しに衝撃波を放ったのは計五回。いずれも身体から何かが抜け落ちる様な感覚と脱力感がある。
それが大体、七秒程で身体の中に戻って来る様な感覚だった。この五回で結構な疲労感がある。しかし、これは体力が落ちているせいもあるのでトレーニングで改善できそうだった。
「その、七、八秒をカバーする必要があるようね」
正面にある物は、大方蹴散らせるが、その後の対処が今後の課題だろう。多勢に無勢が想定される戦闘では自滅のリスクもある。
強力だが、それ故に衝撃波は使い道が難しい側面もあった。
「それを、あの忍者に頼めたら理想的なんでしょうが……」
奴と手を組むのはほぼ不可能だが、あの身のこなしと、変幻自在に全方向へ飛ぶ分銅鎖の刃は理想的なフォローになれる筈だ。
「忍者なんかいなくても、私がカバーすればいい事でしょ? あ、私の事を見くびってるんでしょ? これでも剣道、柔道、合気道も段持ちだし、射撃だって署内ではトップなんだから」
「彩子さんを危険に曝す訳には……母に怒られますよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。貴方とジャラにこそ、何かあったら私が陽葵に合わす顔がないって散々言ってるでしょ。これからは、しっかりツーマンセルで行動する」
面越しに彩子さんの手は私の左頬を摩る。狐の面のお陰で私の表情が彩子さんに見えないのは幸いだ。
髪型のせいでより際立っている。精悍な顔立ちと瞳。その目は真っ直ぐと私を見詰めて離さない。
不思議な雰囲気の人。最近、読み耽っている本のせいだろうか。ジェンダーレスと言う言葉が頭を過った。
「彩子さん、特性の異なる力を二つ以上持つサイキックは無条件で“特A級”のサイキックです。中国では監視対象として警戒される。他者にリスクを与える存在です。それでも……」
「お互い覚悟を決めましょう、ユーチェン。敵はかなり手強い。中途半端なモラルは足枷になる。私達はここから先、徹底的にアウトローになる」
「徹底的に、慎重で良心のあるアウトローとして。ですね」
彩子さんの手に自分の手を添えた。この場のこの瞬間だけは、私と相棒だけの世界になっていた。頭上を過ぎ去る轟音さえ他愛のないものだ。
もうじき日が暮れて相も変わらず、闇がこの街を覆うのだろう。それは高層ビルの煌めきに、足元を照らす灯りに、大歓楽街のネオンに、人々の喧騒に紛れて決して目には見えず、そして聞こえる事もない蠢く悪意。
目的は変わらずに、絶えず変化し続ける状況。飽くなき挑戦に終わりはない。