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作者: NO SOUL?
残酷な描写あり R-15
1.― DOUBLE KILLER ―
第三章
1.― DOUBLE KILLER ―
 ビル風に舞い上がる前髪は、あの夜のビビットピンクから、深みのあるブルーに変わっていた。ウィッグだったのか。
 数日振りの再会となるCrackerImpは、ファーの着いたカーキのフードジャケットに黒のダメージジーンズと控え目な印象に思えた。
 表情は緊張感もなく、屈託のない笑みを見せ、えらく上機嫌な雰囲気だった。

「また会えるなんて、テンション上がっちゃうな」

「CrackerImp……」

「この人混みで、その名前は勘弁してよ。蓮夢って言うんだ、花の蓮に夢。よろしくね」

 IDのない“ノーネーム”にしては凝った名前だ。おそらく俺と同じで、本名をそのまま使っているのだろう。本当に警戒心や緊張感のない男だ。仮にも殺し屋の俺に向かって、名乗って見せるとは。
 蓮夢は右手を差し出し握手を求めるが、応じるつもりはなかった。

「黒幕がこんな大企業とはな……」

 改めてアクアセンタービルを見上げる。蓮夢は差し出した手を引っ込め、同じくビルを見上げた。
 世界規模の、人身売買マーケットに関わる組織が所有する高層ビル。近代的で洗練されたデザインの建物だが、その事実が妙な圧迫感を与えていた。

「ある程度、想定はしてたけどね。これが中々、手強い相手なんだ……その様子じゃ、アンタも困ってる感じだね」

 困っている様な、そんな雰囲気が滲んでしまってるのだろうか、表情は硬くしているつもりだったが。
 手強いと言う言葉を聞く限りでは、蓮夢の方も、はかどっている訳ではなさそうだった。

「俺の視界に入るべきじゃないと警告してやったが、理解してないようだな」

「邪魔はしてない。知り合いなんだ、挨拶ぐらいは礼儀だろ? それに結果的には俺を助けてくれた恩人だしね」

 殺す殺されるの関係を随分と軽く知り合いで片付けるとは。どこまでも馴れ馴れしい奴なんだ。
 こいつの馴れ馴れしさには打算が含まれている。それは間違いない。大方、気に入られれば、殺されずに済むとでも思っているのだろう。
 浅はかな狙いだ。プロの殺し屋にそんな理屈が通じる訳ない。俺自身、指示があれば、この場で躊躇なく殺せる。その程度の関係で、それ以上は存在しない。

「あれからも調査を続けていたのか?」

「まぁね、昼はCrackerImp、夜はポルノデーモン。貧乏暇なしってヤツさ。ところで、アンタの事はどう呼べばいい? 殺し屋さんってのも勘弁だろ?」

 やはり、蓮夢は俺との距離を縮めようとしている。強かだな、初めて会った時といい、こちらの情報を引き出して、対話のネタを増やそうとしている。しかし、その手はもう通じない。

「お前が俺を呼ぶ必要はない。俺の話に、お前が答えれば良いだけだ」

「あっそ……。立ち話も目立つ、話すなら歩きながら話そうよ。この時間帯なら森林公園は空いてる」

 蓮夢はアクアセンタービルの向かいにある、森林公園を指差して、そこへ歩き出した。確かに、この広場に比べると公園の方は人気が少なかった。
 俺が主張しないせいもあるが、常にこいつのペースになる。今は大人しく合わせやらねば、手強いと口では言っても現状では誰よりも情報を持っているのは蓮夢である事は間違いないからだ。
 公園の木々は紅葉が混じり、季節感を演出している。人混みを離れて程よい静けさが心地良かった。
 ふと気付くと、自分の前を歩いていた筈の蓮夢が、真横を歩いている。歩きながら話すには丁度良い距離感だった。

「林組は海桜商事までは把握してなかったんだろうな……」

 黙ったまま公園を歩いても仕方ないので、こちらから切り出した。俺と蓮夢の始まり、林組と荒神会の一連の顛末についてだ。
 大筋に関しては蓮夢から手に入れたメモリーで分かっているが、詳細には至っていない。クライアントとやらには、それほど重要な部分ではないのだろう。
 ただ、当事者の一人である俺は知っておきたかった。

「だろうね、そこまで連中が分かってたら、あんな雑な真似はしないだろうし。竹藤……林組の組長と、アンタが殺した荒神会の幹部とは、杯を交わした間柄でね。その幹部が港の密輸品の管理をしてた。そのやり取りに必要なデータを俺が奪って
壊し、アンタが幹部を殺す。シノギの代行ができるのは林組の組長だけ。と言う筋書きで荒神会の乗っ取りを企てた」

 それで外部からその道のプロ、つまりは“組合”の殺し屋と、腕利きのハッカーを雇い、仕事を遂行させた。後はお決まりの口封じをしたかったが、俺と蓮夢に返り討ちに遭った訳か。
 人身売買に密輸業。林組にはさぞ美味しいシノギに思えたのだろうが、仮に上手い具合に事を進められても、最後には海桜商事に潰されるか、または跡形もなく取り込まれてしまう末路だったろうに。つくづく、馬鹿な奴等だ。

「荒神会が林組なんて小規模な組織と繋がりたかった理由は?」

「さあ? 輝紫桜町でシノギがしたかったんじゃない? それには古くから輝紫桜町にいる林組が必要になる。輝紫桜町はある時期から外の組織が入り込まないように、裏表関係なく各組織で結託してる。東北エリアで最も金が渦巻く大歓楽街。儲けたい連中には魅力的な市場だよ。貧乏人も沢山いるから搾取できる労働力も桁違いだしね」

 蓮夢は自分のその中の一人。と、胸に手を当てて笑っていた。大歓楽街、輝紫桜町のもう一つの顔が、巨大なスラムだった。
 毎晩、外から金を持った欲深い連中を吸い寄せて、ローコストな労働力がそれを搾り取る。それでも、行き場のない訳有りな者や“ノーネーム”には、仕事に事欠かないのなら、完璧ではないにしろ、ありがたい事なかもしれない。
 そして、その管理を犯罪組織や企業が連携して、調和を保っている。行政の干渉や支援を必要としない、独立した特殊なコミュニティに思えた。

「よく荒神会がデカイ組織で他を追いやってるって噂もあるけど、実際は逆。入りたくても入れないのさ。金儲けできそうな一等地を、指を咥えて眺めてる組織は輝紫桜町の外に沢山いる」

 そんな輝紫桜町の結束力を高めた原因とは、一体なんなのだろうか。安田が話してた“ナバン”との権力争いだろうか。
 あの街で長く男娼として生きてきたであろう蓮夢からは、その特殊な街を見てきた生き証人の様な――時間の重みを感じた。

「まさに別世界だな」

「人はそれを、地獄って言ってる……」

 俺の右側を歩く、暗紫色の左目はギラ付き、歪んだ笑みを浮かべている。それを計り知る程の興味はないにせよ、蓮夢からは幾つかの複雑な感情が渦巻いている様だった。輝紫桜町に対する相反する感情の衝突。
 一先ず、これで林組と荒神会の件は完了したな。
 林道を抜けると、小さな広場に出る。移動販売のワゴン車が、帰り支度をしている。かなり主張の激しい珈琲の香りからすると専門店なのだろう。
 広場を通り過ぎ、また人気のない林道へ。一部の木は、スポットライトに当てられ紅葉を輝かせている。大分暗くなってきたな。

「それで? 俺に聞いてばかりだけど、そちらさんは?」

「俺がお前に情報を提供する義理はない」

 蓮夢はジャケットのポケットに両手突っ込んだまま、後ろ向きに歩きながら聞いてきたが、即座に拒否した。あくまでも力関係はこちらが上である。
 尤も現状で“組合”も俺も、新しい情報はない。これから取り掛かると言うタイミングだ。
 そう言う意味では、こいつと再会できたのは良かったのかも知れない。鬱陶しいところはあるが、協力的ではある。
 今後の足掛かりにでもなる情報でも手に入れば思っていた。その為にも、俺と蓮夢の関係に対等は在り得ない。
 ふと気付くと、蓮夢の顔が目の前にあった。思わず立ち止まる。
 身長の差もあり、蓮夢は上目遣いにこちらの目を覗き込んでいた。その目は男のくせにまつ毛も長く、中性的な顔立ちを妖艶に引き立てていた。
 改めて感じるが、こいつは普通の男じゃないな。

「何だ?」

「ねぇ? 俺達、手を組まない?」

 依然、蓮夢の目は俺の目を離そうとしなかった。俺と手を組みたいだと。
 この状況は、想定外と言う訳ではなかった。この数週間、自分の周りをうろつき一歩前を進んでいたハッカー、CrackerImpに興味を持っていた事は事実だ。
 数日前に受け取ったメモリー内の情報も有意義な物だった。CrackerImpには、利用価値があるのではないかと考え始めていたのは事実だ。
 ただ、想定していなかったのはCrackerImp自ら提案してきたと言う部分だった。――これは良くない。

「アンタのいる組織が何なのかなんて、俺には興味ないけど、海桜商事から色々情報引き出したいって目的は一緒だろ? やる事は同じだし、二人で行動した方が絶対効率がいいよ」

「俺の欲しい情報と、お前が欲しい情報が一緒とは限らない……」

「俺がクライアントに渡したい答えは、ピンポイントで摘まめるものじゃない。俺が欲しい情報を手に入れる頃には、海桜商事の情報をゴッソリ頂いてる。アンタの欲しい情報も含まれる。好きなだけあげるよ。なぁ、悪くない話だろ?」

 確かにここまで聞くと、美味しい話だ。情報を掻き集めるのは蓮夢。俺は待ってるだけで情報が手に入るのだから。しかし、そうもいかないだろう。

「その情報の見返りに、お前は俺に何を要求する気だ?」

「知恵は多い方が良いって言うだろ? アンタには俺にないものが沢山ある。相談役になって欲しいし、いざって時は守って欲しいんだよ。この前みたいに、荒神会や、海楼商事の手下が仕掛けて来る可能性は高いからね」

 要するにコンサルタントをしろと言う訳か。限りなく対等なパートナーな関係である。やはり良くない。
 しかし、この提案自体は、理にかなった関係性と思える。この男のスキルを正確に判定は出来ないが、腕が良い事は確かだ。一方の俺も腕っぷしには、それなりの自信はある。不本意ながら、俺と蓮夢の具合なら、お互いの短所を補って、長所を活かせるだろう。
 だが、それ以前に気に食わない関係性でもある。俺が何故、こんな奴と対等でなくてはならないのだ。生かしてやっているだけに過ぎない、矮小な男娼如きめ。
 蓮夢を嘲笑した。自分の立場も弁えずに。手を組まないかだと。
 そんな提案してもいいのは“組合”の殺し屋で、お前の命を握ってる俺だけだ。

「守って欲しいだと? 男のくせに情けない奴だな。何を勘違いしてるのか知らんが、お前の様な男共に媚びを売ってる男娼如きに、裏社会の人間が手を貸すとでも思っているのか? 半端者のオカマなんかに用はない。消え失せろ、俺の邪魔をするな」

 蓮夢の表情は少し固まっていた。正直なところ、同性愛者に対して、俺はこれと言った感情もない。肯定も否定もする気はなかった。
 だが、男のくせにと言うのは本心だった。戦場では男女もなく戦闘に参加してる世界もあると言うのに。何が守って欲しいだ、甘ったれめ。
 蓮夢は僅かな間だけ俯いていたが、すぐに視線を俺に戻した。口角を歪ませた挑発的な笑みを浮かべている。

「勘違いしてんのはアンタもだろ? チャカぶっ放すしか能がないくせにさ……」

 度胸があるのか、向こう見ずなのか。初めて会った時もそうだったが、掴み所がない。こっちが下手に出でやっているのも、分かっている筈なのに。
 分かった上でやっているのなら、これは俺の喧嘩を買うと言う態度と見なしてもいいって事か。

「でも、そのスキルが俺より優れてる様に、俺の情報収集力はアンタより上だって事は間違いない。クソつまんない御託を並べたって、その事実は変わらないよ。そして組めばお互いパフォーマンスが更に上がる。解ってて組まないなんて」

 的を射ている。と言う事は、俺の喧嘩を買うと言う事だ。それなりに頭は良いらしいが、とんだ大馬鹿だな。
 こう言う奴は、やはり一度痛めつけないと、理解しないらしいな。

「ついでに言っておくけど、俺は相手に媚なんか売らなくても、勝手に向こうの方から札束握って求めて来るんだ。醜い心を剝き出しにしてね……。アンタも本心じゃ俺に興味持ってんだろ? なんなら、遊んでやってもいいんだぜ、財布の中身とズボンの中のモノ、出してみなよダーリン」

 突き立てた中指で下顎を撫でてきた。細く纏わりつく様に妖しく、そして卑屈に歪む安っぽい笑み。板に付き手慣れた雰囲気。異国でよく見てきた、道端に立つ娼婦そのものだった。
 纏わりつく左手を掴み、捻り上げる。反射的に拳銃へ手が伸びるが、流石にそこまですると大人気ない。右肘で押し出し、木に押し付けてやった。
 迂闊に叫べぬよう、右肘で首元を押さえて気道を塞ぐ。
 蓮夢は苦悶の表情こそしているが、その目は反抗的で引き下がるつもりはないと訴えていた。

「ホモ野郎が、黙って聞いてやれば、舐めた口利きやがって!」

 今日は散々な日だな。イワンが現れて日本の“組合”と俺を引っ掻き回して、此処へ来てみれば、この曲者と罵り合ってる。
 何時も平坦を心掛けている自分自身の感情も、今日ばかりは波打って荒ぶっていた。
 そんな俺の憂鬱などお構いなしに、蓮夢は挑発的にへらへらと笑い出した。わざわざ苦痛を堪えてまでする事だろうか。

「嗚呼、ヤバっ、マゾヒストなんで、こう言うのマジでゾクゾクするよ。その舐めた口でアソコでも舐め回してやろうかい? “組合”の鉄志さん……」

 一々卑猥な事をほざく蓮夢に嫌悪と怒りが込み上げたが、それが一瞬で消し飛ぶぐらいの衝撃を受ける。
 常に警戒し続けて、多くの情報を伏せて来たのに、蓮夢の声で、鉄志と名前だけでなく“組合”と言う単語まで飛び出してきた。 

「貴様、何故それを!」

 首を絞める肘につい力が入る。この男は一体どこまで、どれだけの情報を手に入れているのか。
 “組合”と言う組織は裏社会では知れた存在だ。林組や荒神会から手に入れた情報の延長線上から、調べれば知る事は出来るだろう。しかし、その中から俺の名前を見つけ出すなんて不可能な筈だ。どうやって。

「じ、自分の携帯見てみろよ!」

 苦し紛れに言った事ではない。それは悶えてる様ですぐに分かった。拘束を解いてやる。よろめく蓮夢の首筋から、チョーカーが外れ落ちた。
 携帯を取り出し画面を見ると、普段の正常な画面が歪んだり戻ったりを繰り返している。明らかに異常な状態になっていた。

「悪いね、鉄志さんが名乗らないから、こっちから探らせてもらったよ。俺と数十分もいたら、携帯端末の中身なんてあっと言う間に抜き取られるぜ」

 噎せ返りながら、落ちたチョーカーを拾い上げる。それでも、蓮夢の目は俺を捉えていた。
 今の言い振りでは、この数十分の間に俺の携帯端末にハッキングしていたと言うと事になる。歩きながら会話していた合間に、それらしい仕草なんて一切していなかったのに。

「何時の間にどうやって? 答えろっ!」

「パンセクシュアル……」

 蓮夢は拾ったチョーカーを念入りに、大事そうに眺めながら、静かに言った。その暗紫色の目は鋭く、確固たる力強さを宿している。

「何?」

「俺はパンセクシュアルだよ、鉄志さん。オカマでもホモでもない。って言うか悪い言葉だから、ホモじゃなくゲイって言いなよ、常識だろ?」

 さっきまでの取っ組み合いも、どこ吹く風だ。蓮夢はチョーカーを首に付けながら、飄々と笑みを浮かべてみせた。チョーカーに付いている、クラブのメタルプレートが街灯に反射して七色に光っていた。
 パンセクシュアル。俺には聞き慣れない言葉だ。男相手に売春する男なら、ゲイぐらいしら思い当たらない、それぐらいの認識しかない。
 勿論、それ以上の認識なども必要としていない。

「とにかく、俺は気にもしないし、意識もしない。自分のしなきゃならない事をやるだけだよ。そうやって輝紫桜町で生きてきた……鉄志さんの言い分も分かるけど、今こうやって俺達が揉めるのは、最も馬鹿馬鹿しくて、時間の無駄だよ。鉄志さんの組織が持つ情報力ってのが、どれ程かなんて知らないけど、俺なら確実にその上を行く自信があるぜ」

 蓮夢は話しながら、指先で俺の携帯に触れる。その瞬間、携帯は再起動を始めて正常な状態に戻る。
 一体どんな手を使ってハッキングしたのか。今の再起動も、こいつの仕業なのは間違いない。たまたま、そのタイミングが来ただけかもしれないが、そう思わせる様な振る舞いを見せるのは、上手いと言わざるを得ない。
 どんなに蔑もうが、腕力に物を言わせようが、あの夜と同じで、蓮夢のペースで物事が進んでいる様な気がしてきた。

「何故、俺と組みたがる? 助言も護衛も他を当たる事だって出来る筈だ」

「鉄志さんと同等なんて中々いないと思うし、そんなの刺激に欠けるね。ま、これも御縁ってヤツじゃない?」

 合理的かと思えば、私情を遠慮なく混ぜてくる。強かさがあると思えば軽率。
 混沌としているようで、計算高い思考。対極する性質を織り交ぜながらも、重要な局面では的確に統括してる。本当に不思議な男だ。

「まったく……。ふざけた奴だ」

「よく言われる。でも俺は本気だよ、必ず仕事はやり遂げる。クライアントと鉄志さんの望みに応えてみせるよ。CrackerImpって名前でハッカーをやって七年になるけど、一度もしくじった事はない。ま、小口の案件ばかりだけどね」

 それでいて、その思考の根底にあるものは、大小や優劣もない、疑りたくなる程の――純粋な使命感。
 蓮夢の口から出た在り来りな、本気と言う言葉に妙な説得力を感じていた。
 そんな事を考えていると、何時の間にか蓮夢は先の方へ歩いていた。少し早歩きして追い付いた頃には、公園を抜けて大通りに出る。六車線の道路は車のヘッドライトが犇めき、疎ましく光が飛び交っていた。
 公園の出入り口の先にある駐車場に、ポツンと停めてある黒いバイクの前で蓮夢は足を止めた。馬力のありそうなスポーツバイクだった。

「そう言えば、高そうな外車に乗ってたね。鉄志さんは車派なんだ、俺はバイク派だけどね。昔付き合ってた奴がバイク好きで、その影響でバイク好きなって、ライセンス取ったタイミングでトラブって別れたって言う、お寒いエピソードがあるけど、どっかで一杯やりながら話そうか?」

 こいつ、俺が車から降りる時点で、俺の事を見つけていたのか。すぐに話しかけず様子を伺ってた。やはり計算高い。
 しかし、それを隠さずに言うのなら、打算と言う事ではない。こちらにアレコレと考えさせて、自分を無視させない様にしてる。

「お前、本当によく喋るな……」

 俺はいよいよ、蓮夢に呆れかけていた。こっちがどんな態度で接しても、蓮夢はそれに上手く対応して軌道修正を施し、最後には自分のペースに持って行ってる。
 今のところ、それを攻略する方法が見い出せなかった。

「そっちが喋ってくれれば、俺だって静かになるよ。鉄志さんはクールだけど、激情的なところもあって、頼り甲斐がありそうで危うい。俺達、良い相棒になれそうだけどなぁ。それに好みだし」

 バイクに凭れて、煙草を取り出した蓮夢の表情は、最初に会った時と同じものに戻っていた。屈託のない笑み。
 奴にとっては、ここまでのやり取りは計画通り。さぞかし上機嫌な事だろう。

「気色悪い事を言うな」

 俺も一服する事にした。蓮夢の方は火花もほとんど出ていないライターに苦戦している様子だが、それを他所にこちらは早々に煙草に火を着けた。
 咥え煙草のまま、煙を一筋吐き、一息ついていた次の瞬間、視界に蓮夢の顔が入り込んできた。
 煙草の先端に、自分の煙草を柔らかく押し付けて火を着けた。
 こんな不本意な感情が他にあるだろうか。俺はその、遠慮のない馴れ馴れしさに腹を立てるよりも先に、間近に見る蓮夢の顔立ちに対し、妖艶な色気と整った顔立ちに――だた綺麗だと思い知らされる。
 同じ男と言う生物なのに、こうも違うものなのか、どうしたらこうなるんだ。

「ラブホとかクラブのライターはホント使えないよね。俺もいい加減ちゃんとしたライター買わないとな……」

 安物のライターを放り捨て、蓮夢は一筋の煙を空へ伸ばした。これはライムだろうか、蓮夢の煙草からは柑橘系の独特な香りがした。

「ま、組むかどうか、今決めてくれとは言わないよ。携帯に俺の連絡先入れといたから、なんかあったら気軽にどうぞ」

 蓮夢は踵を返し、バイクの傍へ戻ると、何処からともなく真っ黒なドローンが音もなくバイクのシートに降りて来た。市販品のそれとは、かけ離れた歪な改造ドローンだった。
 携帯を取り出して確認してみると、確かに知らないメールアドレスが一つ登録されている。この携帯は破棄しよう、蓮夢に筒抜けになる可能性がある。

「一体どんな手を使っているんだ? そのドローンといい、さっきからお前はそれらしい仕草や行為もなしにハッキングしてみせる……」

 ここまで来る間、蓮夢の手はジャケットのポケットに入っていた。そのポケットの中に何かがあったとしても、こんな複雑な作業は出来る筈がない。
 俺の携帯端末をなんらかのデバイスでハッキングして“見る”事が出来たのなら“組合”と言う言葉や、俺の名前もあるだろう。しかし――蓮夢は見ていない。

「魔法使いじゃない事は確かだよ。タネも仕掛けもあるデジタルのマジシャンさ」

 バイクに凭れたまま、煙草を持った手をひらひらさせ、クイッとスナップを利かせた瞬間に、煙草が消えると言うちゃちな手品をして見せる。手の内を見せるつもりはないらしい。
 蓮夢は黒いドローンのバッテリーを交換して、再びドローンが空高く飛び上がった。あっという間に見えなくなるぐらいの高さまで上がる。恐ろしく高出力なドローンだ。
 ホルダーに引っ掛けたヘルメットを手にしてバイクに跨り、エンジンをかける。

「昼は大体、此処にいるよ。海楼商事のリサーチでね。夜は輝紫桜町の正門横とか彼方此方動いてる。アポイントメントは午前中か午後一に頼むよ。夜に呼び出しても、仕事中は出れないからね」

 蓮夢は自分の行動パターンを何の警戒もなく明かした。もっとも、夜のポルノデーモンの動きに関しては大凡、把握してあった。標的を見つけ出し、追い詰めるのは殺し屋の基本だ。それにしても、また俺と会う事が前提であるかの様に言う。
 前髪を大きく掻き上げてから、ヘルメットを被る。軽く吹かすエンジン音は心地良い響きだった。

「それじゃ、またね。鉄志さん」

 フルフェイスのヘルメット越しでも、笑みを浮かべているのが伝わってくる。気のせいだろうか、蓮夢の暗紫色の左目が微かに赤く光っている様に見えた。
 シールドを下ろすと同時にバイクは滑らかに加速し、車道の車を軽快に避け、あっという間に去って行った。

「変なヤツに気に入られしまったな……」

 吸い終えた煙草を足元へ捨て、言葉が漏れる。どういう訳か、今はホッとした気分になっていた。同時に疲れがどっと押し寄せても来る。
 ヘッドライトの群れに目を背けて振り返れば、海楼商事のアクアセンタービルが威圧的に聳え立ち、夜空を照らしていた。
 俺もいよいよ、決断と行動の時が迫っている様だ。戦場にいた頃は、決断など単純で迷いなんか微塵もなかったと言うのに。少し出遅れてる状況だった。
 かと言って無闇に焦る程の若さもない。今はただ、潰れるまでジンでも飲んで寝てしまいたい気分だ。
 それぐらいの時間はある。酔い潰れてひっくり返るまでには決断する。
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