残酷な描写あり
第3回 虎が遮る 大蛇が塞ぐ:3-1
獣の吠え声や呻り声、暴れ回る物音はしばらくやまなかった。トシュとジョイドの声も時々混ざった。ということは、人間の姿に戻ったのだろうか。大蛇がしゅうしゅう言っているのも聞こえて、これも追いかけてきたのかと慄く。
だが、やがて静かになるときが来て——小屋の戸が開いた。セディカはつい身構えてしまったが、入ってきたのは緊張感の感じられないトシュで、半ば後ろへ顔を向けてジョイドと喋っていたくらい、平常だった。片手に提げている背負い袋は、獣とやり合う邪魔になるので下ろしていたのだろう。最後に見た後ろ姿も、そういえば背負っていなかった気がする——狼に変わる直前の、あのときも。
こちらを向いてまともに視線がぶつかると、だが、ぎくりと立ち止まった。それから降参でもするような調子で頭を掻く。
「あー……見たんだってな」
何を、とは明示されなかったが、セディカの首は縦に振れた。
近づいてきたトシュは、セディカを囲う輪より二メートルほども手前で腰を下ろした。ジョイドも倣うようにその隣りに座る。どちらも特に負傷はしていないようだった。衣服を汚しているのは土であって、血ではない。
「まあ、そういうことなんだが」
「……仙術で変身したんじゃ、ないのね?」
トシュは妙な顔をしてからジョイドを睨んだ。
「語るに落ちてんじゃねえか」
「ああ、そういうことにしとけばよかったのか」
しまったなあ、と苦笑するジョイドは、とはいえあまり深刻そうにはしていない。
「先に違うこと言っていい? 外にいたやつらはみんな追っ払ったから、とりあえず安心して。もしまた戻ってきたとしても、この小屋は——薄々感づいてるかもしれないけど、昨日と同じ小屋なんだけどね。こっちから戸を開けなければ、あいつらは絶対入ってこらんないから」
「多分それどころじゃないと思うぞ」
トシュが呟く。実際、ジョイドの言ったことも気にはなったが、そこを追及している余裕はなかった。
「妖怪、なの?」
「まあな」
「二人とも?」
「そうね」
俺は違うよ、と手を振るかもしれないと思ったからこそそう訊いたのだけれども、ジョイドはあっさり、自分もそうだと認めてしまった。行動を共にしていることからの推測であり、鎌をかけたようなものだったのだが。
「まあ、混血だ。四分の一は人間だ、どっちも」
混血。四分の一。
「俺は、祖父さん——お袋の親父が、猿でな。俺の見た目に猿要素はねえが、お袋には尻尾があったよ」
「……猿?」
訊き返す。思っていたのと、違うのだが。
「おかげで嫁の貰い手がなかったんだが、何でか親父が惚れてな。親父は狼で」
何故かここでトシュは顔を顰めた。
「あんな年経た狼が、なんで今さら、それも猿と人間の合いの子に惚れるんだか謎だけどな。せめて同じ狼か、犬だろ」
「俺もパターンは同じでね。父親が鷹で、母方の祖父が犬」
相棒の物言いにくすくす笑いながらジョイドが後を続ける。
「母さんは恵まれてた方なんだよね。お祖父さんがただの犬じゃなくて、悪い妖怪を退治した霊犬ってことで有名で、その功績で人間の姿を与えられたんだって言われてたらしいから。それでもやっぱり結婚となると避けられたみたいで」
鷹に求婚されちゃった、とその子供は言った。
単なる混血を告白しているような口振りだった。西国の血を引くのだとセディカが告げたときのように。否、セディカよりずっと、あっさりしていただろう。
——違う。人間同士の混血とは違う。四分の一が人間なら、四分の三が妖怪だ。そちらが——主だ。セディカが西国の血を引く帝国人であるように、二人は人間の血を引く妖怪だ。人間の血——と、猿の血を引く狼……と、人間の血と犬の血を引く鷹……。
……。妖怪、には違いないが。……狼と鷹、でよいのだろうか。猿でもある、犬でもあると言うべきなのだろうか。そう言うのなら、同じだけ、人間でもある……が。
「だから、わかるだろ。おまえがあの枯れ木どもの集会に付き合わされてたのは、俺らから見りゃ——自分の膝ぐらいまでしかねえ子供が、賭場に連れ込まれてるレベルの許しがたさだったわけさ」
思わぬところへ話が飛んだようでセディカは目を瞬いたが、トシュは何だかすっきりした様子だった。煙草と酒の臭いが充満した場末の賭場にな、と言い足したところからすると、自分がいかに深い軽蔑を抱いているか、あれがいかに非難されて然るべき所業であったか、これで余さず語れるようになったということなのかもしれない。
枯れ木って悪口なの、とおもしろがった後で、ジョイドの方は渋い顔をした。
「それを言うのは今じゃないでしょ、トシュ」
「あん? 何かまだ言ってないことあったか?」
「そうじゃなくて。恩を着せるタイミングじゃないでしょってこと」
こちらへ向いたときには、柔和な表情に戻っている。
「過去のことは気にしないで、怖かったら俺らから逃げていいんだからね。助けられた過去があるからって、その過去に縛られて逃げ損なったら元も子もない」
……恩を着せる、とは、そういう。
だが、やがて静かになるときが来て——小屋の戸が開いた。セディカはつい身構えてしまったが、入ってきたのは緊張感の感じられないトシュで、半ば後ろへ顔を向けてジョイドと喋っていたくらい、平常だった。片手に提げている背負い袋は、獣とやり合う邪魔になるので下ろしていたのだろう。最後に見た後ろ姿も、そういえば背負っていなかった気がする——狼に変わる直前の、あのときも。
こちらを向いてまともに視線がぶつかると、だが、ぎくりと立ち止まった。それから降参でもするような調子で頭を掻く。
「あー……見たんだってな」
何を、とは明示されなかったが、セディカの首は縦に振れた。
近づいてきたトシュは、セディカを囲う輪より二メートルほども手前で腰を下ろした。ジョイドも倣うようにその隣りに座る。どちらも特に負傷はしていないようだった。衣服を汚しているのは土であって、血ではない。
「まあ、そういうことなんだが」
「……仙術で変身したんじゃ、ないのね?」
トシュは妙な顔をしてからジョイドを睨んだ。
「語るに落ちてんじゃねえか」
「ああ、そういうことにしとけばよかったのか」
しまったなあ、と苦笑するジョイドは、とはいえあまり深刻そうにはしていない。
「先に違うこと言っていい? 外にいたやつらはみんな追っ払ったから、とりあえず安心して。もしまた戻ってきたとしても、この小屋は——薄々感づいてるかもしれないけど、昨日と同じ小屋なんだけどね。こっちから戸を開けなければ、あいつらは絶対入ってこらんないから」
「多分それどころじゃないと思うぞ」
トシュが呟く。実際、ジョイドの言ったことも気にはなったが、そこを追及している余裕はなかった。
「妖怪、なの?」
「まあな」
「二人とも?」
「そうね」
俺は違うよ、と手を振るかもしれないと思ったからこそそう訊いたのだけれども、ジョイドはあっさり、自分もそうだと認めてしまった。行動を共にしていることからの推測であり、鎌をかけたようなものだったのだが。
「まあ、混血だ。四分の一は人間だ、どっちも」
混血。四分の一。
「俺は、祖父さん——お袋の親父が、猿でな。俺の見た目に猿要素はねえが、お袋には尻尾があったよ」
「……猿?」
訊き返す。思っていたのと、違うのだが。
「おかげで嫁の貰い手がなかったんだが、何でか親父が惚れてな。親父は狼で」
何故かここでトシュは顔を顰めた。
「あんな年経た狼が、なんで今さら、それも猿と人間の合いの子に惚れるんだか謎だけどな。せめて同じ狼か、犬だろ」
「俺もパターンは同じでね。父親が鷹で、母方の祖父が犬」
相棒の物言いにくすくす笑いながらジョイドが後を続ける。
「母さんは恵まれてた方なんだよね。お祖父さんがただの犬じゃなくて、悪い妖怪を退治した霊犬ってことで有名で、その功績で人間の姿を与えられたんだって言われてたらしいから。それでもやっぱり結婚となると避けられたみたいで」
鷹に求婚されちゃった、とその子供は言った。
単なる混血を告白しているような口振りだった。西国の血を引くのだとセディカが告げたときのように。否、セディカよりずっと、あっさりしていただろう。
——違う。人間同士の混血とは違う。四分の一が人間なら、四分の三が妖怪だ。そちらが——主だ。セディカが西国の血を引く帝国人であるように、二人は人間の血を引く妖怪だ。人間の血——と、猿の血を引く狼……と、人間の血と犬の血を引く鷹……。
……。妖怪、には違いないが。……狼と鷹、でよいのだろうか。猿でもある、犬でもあると言うべきなのだろうか。そう言うのなら、同じだけ、人間でもある……が。
「だから、わかるだろ。おまえがあの枯れ木どもの集会に付き合わされてたのは、俺らから見りゃ——自分の膝ぐらいまでしかねえ子供が、賭場に連れ込まれてるレベルの許しがたさだったわけさ」
思わぬところへ話が飛んだようでセディカは目を瞬いたが、トシュは何だかすっきりした様子だった。煙草と酒の臭いが充満した場末の賭場にな、と言い足したところからすると、自分がいかに深い軽蔑を抱いているか、あれがいかに非難されて然るべき所業であったか、これで余さず語れるようになったということなのかもしれない。
枯れ木って悪口なの、とおもしろがった後で、ジョイドの方は渋い顔をした。
「それを言うのは今じゃないでしょ、トシュ」
「あん? 何かまだ言ってないことあったか?」
「そうじゃなくて。恩を着せるタイミングじゃないでしょってこと」
こちらへ向いたときには、柔和な表情に戻っている。
「過去のことは気にしないで、怖かったら俺らから逃げていいんだからね。助けられた過去があるからって、その過去に縛られて逃げ損なったら元も子もない」
……恩を着せる、とは、そういう。