残酷な描写あり
第4回 虎の約束 狼の誓い:1-1
外へ出るとトシュはバンダナを外した。近づいてくるのは敵意ではない。危険はあるまい。すっかり怯えきっている少女の方が心配だ。本人に自覚はないかもしれないが。
やがて現れたのは三人連れであった。
中央が無論、首領、である。高位の武官のような、しかし武官にしては華美な、錦の衣服に身を包んでいる。衣服に呑まれぬ堂々たる風格であったが、髭面だけは将軍というより、山賊の首領にでも譬える方が似つかわしい。
一歩引いてその後ろにいる二人は、首領に比べれば随分と地味だ。向かって右は隠者のような粗末な衣でフードを被り、向かって左は学生の、勉強中の身分であることを示す簡素な制服を着ていた。とはいえどちらも、煌びやかな首領と並んでも見劣りした印象はない。事実、二人は別に部下ではなく、首領と対等に付き合う友だ。
「よう。虎どの熊どの野牛どの」
トシュは自分から呼びかけた。
「狼の小倅ではないか」
首領はにやりとした。人の姿を取っているが、その正体は年経た虎である。
この〈連なる五つの山〉を、トシュは以前も通ったことがある。この三人とも面識があり、何なら一言、挨拶ぐらいはしていくつもりでいた。セディカを拾ってしまったので、どうしたものかと迷っていたのだが。
「暴れたことは詫びるが、あいつらが聞く耳持たなかったことはわかってほしいね。俺は穏便に話し合おうとしたんだ」
「そのようだ。蛇とはな」
「あんたの子分は俺の連れに手を出しやがったんだよ」
顔を顰める。
「まっさかこんな熱い歓迎を受けるとは思わなかったぜ」
「我らがけしかけたのではないよ。松の老爺の話を聞いて、一肌脱いでやろうと張り切ったらしい」
隠者——熊が言った。ということは、あの獣たちも言葉は通じるわけだ。となればやはり、聞こうとしなかった向こうが悪い。
セディカには木の妖怪が特別であるような言い方をしたが、鳥獣虫魚の妖怪も、強大な力を持つ者は周囲に影響を与えうる。といってもその度合いは段違いなので、素人への説明としてはあれで問題ないのだが、この三人は正にそれだけの力を有する大物だった。一人でなく三人も、今ここにいるというだけでなく長年に渡って棲み着いていれば、通り過ぎるだけの旅人でなく同じ山に暮らしている獣や鳥は、その影響が積もり積もって変化を遂げていても何らおかしくないのだ。通常よりも簡単に妖怪と化したり、化けぬまでも口を利くようになったり、口は利けずともこちらの言葉を解するようになったり。
「あの爺さんが何を言ったって?」
「詩会に殴り込んで暴力を振るったそうではないか」
「大した要約だな」
その部分に嘘はない。
「人間の小娘を連れ込んで妖気漬けにしたとは言ってたか?」
「人間の娘が訪ねてきたから仲間に入れたとは言っていたね」
「訪ねてなんざくるかよ、あんな子供が」
これには吐き捨てた。都合よく解釈してんじゃねえよ。
「あいつらは詩のことしか頭にないのかもしれねえが、あんたらにわからんとは言わせねえぞ。化けた木が群がってる場所に迷い込んだ子供を捕まえて、ナマの妖気にどっぷり漬け込んでおくなんざ、人の姿をしてるやつの所業とは思えねえな」
正真正銘の人間がその子供を山中に放置したことは棚に上げた。
一般に、妖怪は妖怪であることを誇っていて、動物が妖怪になることを進化と捉える。山の獣が妖怪に近づくことは、トシュも問題視していない。
が、動物でなく人間となると話は別だ。妖怪から見れば、人間は動物よりも——繊細、なのである。端的に言えば、妖怪に触れすぎ妖気を浴びすぎれば、死ぬ可能性の方が圧倒的に高い。蜻蛉よりも繊細だと言われれば人間は不満かもしれないが、蜻蛉が本来の倍の体躯と十倍の寿命を得て生まれ変わる横で、人間はただただ当てられて衰弱していくのだから勝負にならない。羽も毛皮も鱗も甲羅も持たない、裸の生命。
なお、妖怪と接することで妖怪でないものが被る影響を、「妖気」という単語を用いて表すのは不正確、というより不十分なのだが、妖怪の間ではそれで通じるはずだった。あの木の精たちは別として。
「松どのの言い分とは食い違うが」
「だが、杏の御寮の言い分とは合うぞ」
髭を撫でる虎に、熊が指摘した。
「食べ物をやったと言っていたじゃないか。それはまずいのじゃないかとは思ったんだ」
「それもあったな。あいつが飲み食いしなかったからよかったようなものの」
あの場にいた全員の正体を見抜けているわけではないが、椀や皿を渡してきた青い衣の女性が、つまり杏の化身だったわけだろうか。
やがて現れたのは三人連れであった。
中央が無論、首領、である。高位の武官のような、しかし武官にしては華美な、錦の衣服に身を包んでいる。衣服に呑まれぬ堂々たる風格であったが、髭面だけは将軍というより、山賊の首領にでも譬える方が似つかわしい。
一歩引いてその後ろにいる二人は、首領に比べれば随分と地味だ。向かって右は隠者のような粗末な衣でフードを被り、向かって左は学生の、勉強中の身分であることを示す簡素な制服を着ていた。とはいえどちらも、煌びやかな首領と並んでも見劣りした印象はない。事実、二人は別に部下ではなく、首領と対等に付き合う友だ。
「よう。虎どの熊どの野牛どの」
トシュは自分から呼びかけた。
「狼の小倅ではないか」
首領はにやりとした。人の姿を取っているが、その正体は年経た虎である。
この〈連なる五つの山〉を、トシュは以前も通ったことがある。この三人とも面識があり、何なら一言、挨拶ぐらいはしていくつもりでいた。セディカを拾ってしまったので、どうしたものかと迷っていたのだが。
「暴れたことは詫びるが、あいつらが聞く耳持たなかったことはわかってほしいね。俺は穏便に話し合おうとしたんだ」
「そのようだ。蛇とはな」
「あんたの子分は俺の連れに手を出しやがったんだよ」
顔を顰める。
「まっさかこんな熱い歓迎を受けるとは思わなかったぜ」
「我らがけしかけたのではないよ。松の老爺の話を聞いて、一肌脱いでやろうと張り切ったらしい」
隠者——熊が言った。ということは、あの獣たちも言葉は通じるわけだ。となればやはり、聞こうとしなかった向こうが悪い。
セディカには木の妖怪が特別であるような言い方をしたが、鳥獣虫魚の妖怪も、強大な力を持つ者は周囲に影響を与えうる。といってもその度合いは段違いなので、素人への説明としてはあれで問題ないのだが、この三人は正にそれだけの力を有する大物だった。一人でなく三人も、今ここにいるというだけでなく長年に渡って棲み着いていれば、通り過ぎるだけの旅人でなく同じ山に暮らしている獣や鳥は、その影響が積もり積もって変化を遂げていても何らおかしくないのだ。通常よりも簡単に妖怪と化したり、化けぬまでも口を利くようになったり、口は利けずともこちらの言葉を解するようになったり。
「あの爺さんが何を言ったって?」
「詩会に殴り込んで暴力を振るったそうではないか」
「大した要約だな」
その部分に嘘はない。
「人間の小娘を連れ込んで妖気漬けにしたとは言ってたか?」
「人間の娘が訪ねてきたから仲間に入れたとは言っていたね」
「訪ねてなんざくるかよ、あんな子供が」
これには吐き捨てた。都合よく解釈してんじゃねえよ。
「あいつらは詩のことしか頭にないのかもしれねえが、あんたらにわからんとは言わせねえぞ。化けた木が群がってる場所に迷い込んだ子供を捕まえて、ナマの妖気にどっぷり漬け込んでおくなんざ、人の姿をしてるやつの所業とは思えねえな」
正真正銘の人間がその子供を山中に放置したことは棚に上げた。
一般に、妖怪は妖怪であることを誇っていて、動物が妖怪になることを進化と捉える。山の獣が妖怪に近づくことは、トシュも問題視していない。
が、動物でなく人間となると話は別だ。妖怪から見れば、人間は動物よりも——繊細、なのである。端的に言えば、妖怪に触れすぎ妖気を浴びすぎれば、死ぬ可能性の方が圧倒的に高い。蜻蛉よりも繊細だと言われれば人間は不満かもしれないが、蜻蛉が本来の倍の体躯と十倍の寿命を得て生まれ変わる横で、人間はただただ当てられて衰弱していくのだから勝負にならない。羽も毛皮も鱗も甲羅も持たない、裸の生命。
なお、妖怪と接することで妖怪でないものが被る影響を、「妖気」という単語を用いて表すのは不正確、というより不十分なのだが、妖怪の間ではそれで通じるはずだった。あの木の精たちは別として。
「松どのの言い分とは食い違うが」
「だが、杏の御寮の言い分とは合うぞ」
髭を撫でる虎に、熊が指摘した。
「食べ物をやったと言っていたじゃないか。それはまずいのじゃないかとは思ったんだ」
「それもあったな。あいつが飲み食いしなかったからよかったようなものの」
あの場にいた全員の正体を見抜けているわけではないが、椀や皿を渡してきた青い衣の女性が、つまり杏の化身だったわけだろうか。