残酷な描写あり
第6回 王者が語る 亡者が願う:2-1
作中よりも過去における死ネタ、殺害方法への言及が含まれます。苦手な方はご注意ください。
ベッドの中で手足を伸ばしながら、自分はさぞかし上機嫌な顔をしているのだろうとセディカは思った。にやけているかもしれない。
何よりも湯浴みが叶ったことが嬉しい。ベールを脱ぎ捨てて髪を洗えたことも。上がった後はタオルを巻きつけて、トシュとジョイドの部屋を訪れたときにも外さなかったけれども、自分が借りた方の部屋で一人きりになってからはそれも取ってしまった。これまでも二人は寝る段になればセディカとの間に衝立を立てて、セディカの方が起きていくまで絶対に覗いてこなかったのだから、こっそりベールを外していても見られることはなかったのだろうけれど。
寺院のベッドも寺院の食事も決して豪華なものではなかったものの、旅路のそれよりはずっと上等だ。無論、寝具自体は簡素なものであったとはいえ、小屋を持ち運んでその中で夜を過ごしていた旅路は、通常の旅路とは比べ物にならないほど上等だったに違いないのだが。
ただ、寺院の者たちや神に対して感謝を抱きながらも、トシュとジョイドに対するような引け目は感じていなかった——という事実は、セディカの意識に上っていなかった。恐らくは〈世を幸いで満たす寺〉の慈善に慣れていて、寺院たるもの、困窮している者に手を差し伸べるのは当然のことと認識していたためであったろう。実家にいる間のセディカは、父に嫌われているからといって貧相なベッドと粗末な食事をあてがわれているわけでもなく、寧ろ寺院に喜捨をして間接的に貧者を救うべき立場にあったけれども、今現在はどう贔屓目に見ても手を差し伸べられるべき立場である。
ともあれ、セディカはしばらくぶりに、心の底から快い眠りに落ちていこうとしていたのだったが。
「娘よ、娘。我が声が聞こえぬか」
どこから響いたともわからない声が、少女の眠りを妨げた。
否、その声は外から響いてきたのだった。声の主を探しに出たセディカは、そこに一つの姿を認めるや、反射的に跪いた。黄金色の衣装、碧玉を散りばめた帯、伝説の花をあしらった靴、そして冠——帝国内においては皇子に、帝国外においては臣下の礼を取る国の王に許された、王者のいでたちだったからだ。
「面を上げよ。我が王であったは三年前までのこと、今やこの身は斯様な礼を受けるに値せぬ」
そうは言われても、……そんな格好で現れておいて、そんなことを言われても。
尤も、相手もセディカが顔を上げるのをわざわざ待ってはいなかった。聞いてほしい、とだけ前置きをして、その人物は語り始めた。
「我は〈錦鶏集う国〉の王であった。かつて我が国は旱に見舞われた。我は我が不徳ゆえに天が罰を下されたものと考え、身を清めて行いを慎み、神々に祈って赦しを乞うた。一年目は貢を免除し、二年目は王家の倉を開いて民を救おうと努め、生活苦から罪を犯した者に恩赦を与えた。なれどいかなる効果も見られぬまま、国が滅びるも時間の問題かと思われた五年前、一人の方士が現れたのだ」
方士、とはジョイドの講義で知った言葉であった。仙人となるべく、即ち不老不死を目指して、修行を積んでいる者を指す。ただ、修行を中断したり怠けたりしていても、別に方士と称することを禁じられるわけではない、と冗談のように言ってもいた。仙術使い、と呼んでしまえば一番嘘がないと。
「かの方士は雨を降らせて我が国を救った。のみならず、石を指して金に変え、復興のための財源となした。我はかの者に王の弟に準ずる地位を与え、我が右腕として重用した。かの者は信頼に足る人間であると見えたのだ、娘よ」
どきりとしたのは、信頼を寄せている方士が身近にいるためである。
「二年が経った春のことだ。我はかの者と二人、供を連れずに王宮の庭園を散策しておった。かの者は我を井戸に突き落とし、井戸の蓋を閉めて土で埋め、同じ庭園に生えていた芭蕉を、術を以てその上に移し替えた。そして、我と寸分違わぬ姿に化け、我に成り済ましたのだ」
淡々と語られた過去に、少女は震え上がった。詳細に描写されずとも背筋の凍る、殺害の告発。
——では、この。……すぐそこにいる、国王は。井戸で溺れたはずの、井戸ごと埋められたはずの……。
ちらとしか見なかった黄金色の衣装は、よく見ればぐっしょりと水を含んでいたのだろうか。ひょっとしたら耳を澄ませば、ぽたぽたと雫の滴る音が聞こえてくるのだろうか。止める間もなく瞬時に膨らむ想像に、耐えきれなくなって顔を上げる。そこにあった国王の姿は、ありがたいことに想像に反して、濡れそぼっても朽ち果ててもいなかった——青褪めては、いたが。
「今、妃は夫と信じてかの者に仕え、太子は父と信じてかの者に仕え、臣下は主君と信じてかの者に仕えておる。娘よ、我が声を聞きし娘よ、かの者の罪と正体を暴き、我が恨みを晴らしてくれぬか」
「どう……して」
発言の許可を求めるのも忘れて、セディカは呟くように、ひょっとしたら喘ぐように、問うた。
「わたし、何も……できることなんて」
「そちには力ある守り人がついておろう?」
厳かだった声が、縋るような響きを帯びた。
守り人。無論、トシュとジョイドに違いなかった。……では、方士を信頼するなと忠告されたわけでは——ないのだ。
「明日、我が太子は狩りのために王宮を離れ、この山へと参る。かの者の目の届かぬ場へと参るのだ。どうか、我が息子に真実を伝えてほしい」
「……信じていただけるでしょうか」
先よりはしっかりと、セディカは尋ねた。
「殿下はその偽物を、陛下と信じておいでなのでしょう?」
「証拠を渡そう。仮令太子が見覚えておらずとも、妃にはわかるはず」
色とりどりの碧玉が煌めく帯から、一際目立つ赤い飾りを国王は外した。上が狭く下が広い台形で、鳥の絵が描いてあるらしいことが遠目に見て取れた。
「かの者は姿こそ我と瓜二つとなったが、これの偽物を作ることは叶わず、弟に奪われたと言い成したのだ。弟とはあれ自身のことだ。ああ、何と忌まわしい——」
「セダ! 起きろ!」
何よりも湯浴みが叶ったことが嬉しい。ベールを脱ぎ捨てて髪を洗えたことも。上がった後はタオルを巻きつけて、トシュとジョイドの部屋を訪れたときにも外さなかったけれども、自分が借りた方の部屋で一人きりになってからはそれも取ってしまった。これまでも二人は寝る段になればセディカとの間に衝立を立てて、セディカの方が起きていくまで絶対に覗いてこなかったのだから、こっそりベールを外していても見られることはなかったのだろうけれど。
寺院のベッドも寺院の食事も決して豪華なものではなかったものの、旅路のそれよりはずっと上等だ。無論、寝具自体は簡素なものであったとはいえ、小屋を持ち運んでその中で夜を過ごしていた旅路は、通常の旅路とは比べ物にならないほど上等だったに違いないのだが。
ただ、寺院の者たちや神に対して感謝を抱きながらも、トシュとジョイドに対するような引け目は感じていなかった——という事実は、セディカの意識に上っていなかった。恐らくは〈世を幸いで満たす寺〉の慈善に慣れていて、寺院たるもの、困窮している者に手を差し伸べるのは当然のことと認識していたためであったろう。実家にいる間のセディカは、父に嫌われているからといって貧相なベッドと粗末な食事をあてがわれているわけでもなく、寧ろ寺院に喜捨をして間接的に貧者を救うべき立場にあったけれども、今現在はどう贔屓目に見ても手を差し伸べられるべき立場である。
ともあれ、セディカはしばらくぶりに、心の底から快い眠りに落ちていこうとしていたのだったが。
「娘よ、娘。我が声が聞こえぬか」
どこから響いたともわからない声が、少女の眠りを妨げた。
否、その声は外から響いてきたのだった。声の主を探しに出たセディカは、そこに一つの姿を認めるや、反射的に跪いた。黄金色の衣装、碧玉を散りばめた帯、伝説の花をあしらった靴、そして冠——帝国内においては皇子に、帝国外においては臣下の礼を取る国の王に許された、王者のいでたちだったからだ。
「面を上げよ。我が王であったは三年前までのこと、今やこの身は斯様な礼を受けるに値せぬ」
そうは言われても、……そんな格好で現れておいて、そんなことを言われても。
尤も、相手もセディカが顔を上げるのをわざわざ待ってはいなかった。聞いてほしい、とだけ前置きをして、その人物は語り始めた。
「我は〈錦鶏集う国〉の王であった。かつて我が国は旱に見舞われた。我は我が不徳ゆえに天が罰を下されたものと考え、身を清めて行いを慎み、神々に祈って赦しを乞うた。一年目は貢を免除し、二年目は王家の倉を開いて民を救おうと努め、生活苦から罪を犯した者に恩赦を与えた。なれどいかなる効果も見られぬまま、国が滅びるも時間の問題かと思われた五年前、一人の方士が現れたのだ」
方士、とはジョイドの講義で知った言葉であった。仙人となるべく、即ち不老不死を目指して、修行を積んでいる者を指す。ただ、修行を中断したり怠けたりしていても、別に方士と称することを禁じられるわけではない、と冗談のように言ってもいた。仙術使い、と呼んでしまえば一番嘘がないと。
「かの方士は雨を降らせて我が国を救った。のみならず、石を指して金に変え、復興のための財源となした。我はかの者に王の弟に準ずる地位を与え、我が右腕として重用した。かの者は信頼に足る人間であると見えたのだ、娘よ」
どきりとしたのは、信頼を寄せている方士が身近にいるためである。
「二年が経った春のことだ。我はかの者と二人、供を連れずに王宮の庭園を散策しておった。かの者は我を井戸に突き落とし、井戸の蓋を閉めて土で埋め、同じ庭園に生えていた芭蕉を、術を以てその上に移し替えた。そして、我と寸分違わぬ姿に化け、我に成り済ましたのだ」
淡々と語られた過去に、少女は震え上がった。詳細に描写されずとも背筋の凍る、殺害の告発。
——では、この。……すぐそこにいる、国王は。井戸で溺れたはずの、井戸ごと埋められたはずの……。
ちらとしか見なかった黄金色の衣装は、よく見ればぐっしょりと水を含んでいたのだろうか。ひょっとしたら耳を澄ませば、ぽたぽたと雫の滴る音が聞こえてくるのだろうか。止める間もなく瞬時に膨らむ想像に、耐えきれなくなって顔を上げる。そこにあった国王の姿は、ありがたいことに想像に反して、濡れそぼっても朽ち果ててもいなかった——青褪めては、いたが。
「今、妃は夫と信じてかの者に仕え、太子は父と信じてかの者に仕え、臣下は主君と信じてかの者に仕えておる。娘よ、我が声を聞きし娘よ、かの者の罪と正体を暴き、我が恨みを晴らしてくれぬか」
「どう……して」
発言の許可を求めるのも忘れて、セディカは呟くように、ひょっとしたら喘ぐように、問うた。
「わたし、何も……できることなんて」
「そちには力ある守り人がついておろう?」
厳かだった声が、縋るような響きを帯びた。
守り人。無論、トシュとジョイドに違いなかった。……では、方士を信頼するなと忠告されたわけでは——ないのだ。
「明日、我が太子は狩りのために王宮を離れ、この山へと参る。かの者の目の届かぬ場へと参るのだ。どうか、我が息子に真実を伝えてほしい」
「……信じていただけるでしょうか」
先よりはしっかりと、セディカは尋ねた。
「殿下はその偽物を、陛下と信じておいでなのでしょう?」
「証拠を渡そう。仮令太子が見覚えておらずとも、妃にはわかるはず」
色とりどりの碧玉が煌めく帯から、一際目立つ赤い飾りを国王は外した。上が狭く下が広い台形で、鳥の絵が描いてあるらしいことが遠目に見て取れた。
「かの者は姿こそ我と瓜二つとなったが、これの偽物を作ることは叶わず、弟に奪われたと言い成したのだ。弟とはあれ自身のことだ。ああ、何と忌まわしい——」
「セダ! 起きろ!」