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作者: 古今いずこ
残酷な描写あり
第8回 王子の誇り 息子の怒り:1-1
作中よりも過去における死ネタが含まれます。苦手な方はご注意ください。
「大変です、お客人」

 ばたばたと誰かが走ってきて、寺院で案内を乞うたときに最初に出てきた下男の声がした。ジョイドが応じているのに耳を傾けようとはせず、セディカは〈黄泉の君〉の前にたたずみ、両手を握り合わせてひたすら祈っていた。太子が話を聞いてくれるように、信じてくれるように、偽物を追い払えるように、亡き国王の恨みを晴らすことができるように——最後の一つはともかく、全体的に冥府の主神に対して祈ることではないような気はしたけれど。そしてもう一つ、ひょっとしたら一番切実に——場所もあろうに寺院の本堂で、理由はどうあれ人を騙すことを、お赦しくださいと祈らずにもいられなかった。

 もっとも、おびえるような思考を含んでいる一方で、セディカは生まれてこの方十三年、未だかつてなかったほどに落ち着き払っていた。不敬なことであるという認識も、赦しを乞うべきであるという判断も、至って淡々となされて感情を伴わない。

 やがて、騒がしくはなくとも一人ではないとわかる気配がやってきたけれども、少女は微動だにしなかった。誰かが慌てたようだったのは院主だろう。

「太子殿下の御成りである」

 知らない、よく通る、厳しさと険しさを帯びた声が告げた。

 少女はやはり、動かなかった。

「あれは耳が聞こえぬのか」

 今度の声は先よりも若かった。

「そのようなことは」

「では、聞こえていてあの態度か」

 ざわりと風が立つように、背後で怒気が膨らんだ。

「無礼であろう」

 普段であれば身がすくんだかもしれない。怒鳴り声なら父で慣れているけれども、自覚している自分の非をきゅう弾されるのはまた違う。が、太子より上位にいるつもりになれ、というのが青年たちの指示だ。

「太子とはいえ人の子でいらっしゃいましょう。神への祈りをさえぎられますか」

 平然とジョイドが口を挟む。相手の顔色が変わったかどうかはわからないけれども、少なくとも言い返す気配はなかった——から、そろそろ、よいだろう。

 少女はあごを上げ、ここで初めて、向き直った。

 太子は一目でそれとわかった。よろいをまとい、宝剣を腰に差し、かぶとは寺院の中だからか外している。二十歳になるならずで、トシュやジョイドより若い。外には軍勢が待機しているのかもしれないが、この場に従えているのは数人だった。

 案内を務めているのだろう院主と二、三人の僧侶がおろおろしているのは、尤もであったし、申し訳のないことであった。太子の来訪はちゃんと知らされたのに、かしこまって迎えないとは思うまい。

 セディカはしずしずと歩み、自然に言葉を交わせるところまで近づいて、とはいえ何かあってもジョイドが間に割り込める程度には距離を取って、立ち止まった。

「お待ちしておりました。〈錦鶏集う国〉の王太子殿下」

 静かすぎて自分でも聞いたことのないような声がした。

「何者か」

「わたくしは何者でもありません。わたくしの元におります者より、殿下にお伝えすることがございます」

 巫女よろしく振る舞ってやろうという意識はなかったけれども、衣装の効果か声音ゆえか、それらしい印象は与えられたと見えた。太子もその周りも怒りとさげすみを鎮めて、代わりに警戒の色を浮かべている。

 セディカはジョイドに、正確にはその手元に、目を向けた。

「申し上げなさい」

 カコ、と小箱のふたが開き、中からまばゆい光がこぼれ出た。その中からひゅっと飛び出してきて、小さな雲に乗って太子の顔の前へと飛んでいったのは、ピンと立てた指ほどの背丈しかないトシュである。上から下まで緋色の衣装で固めて、頭も赤茶色の長髪になっているから、院主や僧侶たちが見てもトシュであるとは気づかないだろう。

「ふむ、これが〈錦鶏集う国〉の太子か」

 キィキィと高い声を出して、トシュは太子の周りをくるくると飛んだ。

「な、何だ、この一寸法師は」

 太子は反射的に剣の柄に手をかけ、とはいえ抜くわけにもいかないのだろう、身構えながら戸惑った。トシュは太子の右へ左へ、またやはり驚いている他の人々の間へとひゅんひゅん動く。

「太子どの。あんたのお父上は、まあどことは言わんが遠方の生まれで、跡目争いに敗れて流れてきたな。館に火をかけられたところ、錦鶏に命を救われて辛くも逃げ延びたわけだ。そこで国をおこしたときに『錦鶏』と名をつけたとか」

 その話はジョイドからも聞いた。史書の上ではそうなっているけれども、文字通りに受け取ってよいかどうかは断言できないと言い添えて。本物の錦鶏が現れたのか、きっと錦鶏の助けだと解釈したのか、誰かしらを錦鶏にたとえたのか、全くの創作なのか——最後の一つを入れる辺りが容赦ない。
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