残酷な描写あり
第9回 謎に躓く 秘密を明かす:1-1
神琴の奉納は無事に済んだ。その頃にはセディカも平常に戻っていて、トシュはこっそり安堵を覚える。蟠りがあったわけでもない、慕っていた母親と祖母の供養であり、自ら弾き手まで務めたのだ。他人の干渉で異様に沈静化された精神状態で臨むことになってしまっては、不本意極まりなかっただろう。
「あいつ、本当に匿名にしたな」
「匿名でも行けるのかって自分で言ったんじゃないの」
「名前を出したら設定上おかしいだろと思ったんだよ」
いかにも事情ありげに素性を隠しているセディカが、母親や祖母といった近親の名を明かしてはおかしいのではないか。それは思いつきであって指示のつもりではなかったのだが、セディカは願文に書きつけた二つの名前と、自分の名前も塗り潰してしまった。
供養される死者の名であれ、供養する生者の名であれ、伏せておきたいなら塗り潰せばよい。そうした作法が定められているということは、即ち認められているということだ。その代わり願文は手ずから書かなくてはならないが、他人に知られないためには自分で書くしかないというだけで、作法や儀礼の問題ではない。
特別な関係にあったとは明かせない人物のために祈る者もあれば、世間から憎まれている人物のために祈る者もある。正義や裁きといった性格の強い神々の寺院では許さないかもしれないが、愛や救いといった性格の強い神々の寺院であれば、そういった事情を黙って受け止めてくれることが多い。悪用されることを恐れて受けつけない寺院もあるから、一概には言えないが。
「隠されると気になるってんじゃねえけど、隠したいもんなのか、とは思うな」
「隠した方がいいのかなって気を回したのかもしれないよ」
「俺のせいかよ」
「セディって俺らの言うことを聞こうとするじゃない。神琴だって当たり前みたいに弾いてくれたけど、……芸で返せって言ってるみたいだったかなあ」
「やめてやれよ。途方に暮れるぞあいつ」
ジョイドの言いようにトシュは笑った。あの少女は寧ろ、自分にもできることがあったと安堵していただろうに。
何もセディカに役目を与えてやるための奉納だったわけではない。時間ができたついでだったのでもない。この寺院に留まる口実を作るため、というのが本当だ。太子一人だけを捕まえて秘密の話をするのに、外ではやりにくそうだから、ここの本堂を使いたかったのである。そこにちょうど神琴を弾ける者がいたから、言うなれば利用したという側面はあるわけで、セディカに対して礼を欠いてはいたかもしれない。
故人に対しても非礼であった、とも言われれば反論はしにくい。が、元々、〈冥府の女王〉の寺院を訪れる機会があるたびに、ジョイドは欠かさず供養を依頼している。本人の言い方を借りれば「お布施を包んでお札を納めるだけの一番安いやつ」であることが多いけれども、今回は巡り合わせでもう少し大がかりになっただけ、とも言えるのだ。たまたま長居をしたいときで、たまたま弾き手になれる者がいたので。
「そういや、ぶっちゃけ、幾らだった?」
ふと尋ねてみれば、ジョイドは妙にまっすぐな瞳を向けてから金額を口にした。軽く目を瞠って、トシュは天井を仰ぐ。
「そこそこすんなあ」
「だから、お礼を出してくれるところからは格好つけずに貰っておこうね」
やけににっこりしているのは、釘を刺された、のかもしれない。助けられた礼だと差し出された金品を、見返りを求めたわけではないと断ったことがあるのだ。が、これといって収入源もない立場でやることではなかっただろう。例の方士がそうしたというように、その辺りで拾った石を金にでも変えてしまうという手もあるけれど。
さて、とジョイドが両手を打ち合わせた。
「大っぴらにしていいって王子様は言ってたわけね」
雑談はここまで、ということだ。頷いて、トシュも切り替える。
「王妃殿下も合意だとよ。盛大に暴いてやるか」
つまり、明日は——本番だ。
そのためには今日のうちに、何を片づけておくべきかと、昨日の相談を振り返って。
「一応、国王陛下の生まれ故郷に行っとくかな。妥当な理由で恨みを持ってるようなやつがいねえか」
「律義だよねえ」
「思いついちまったからなー。ちょっと調べるつもりがあれば簡単にわかったはずだ、とか後から言われたくもねえし」
自分で挙げた仮定に、自分で顔を顰める。
「で……あー……あっちは、夕飯の後でいいかな……」
「寧ろそうして」
ジョイドが苦笑で同意した。もう一つの予定は——食事の前にやることでは、ない。
「あいつ、本当に匿名にしたな」
「匿名でも行けるのかって自分で言ったんじゃないの」
「名前を出したら設定上おかしいだろと思ったんだよ」
いかにも事情ありげに素性を隠しているセディカが、母親や祖母といった近親の名を明かしてはおかしいのではないか。それは思いつきであって指示のつもりではなかったのだが、セディカは願文に書きつけた二つの名前と、自分の名前も塗り潰してしまった。
供養される死者の名であれ、供養する生者の名であれ、伏せておきたいなら塗り潰せばよい。そうした作法が定められているということは、即ち認められているということだ。その代わり願文は手ずから書かなくてはならないが、他人に知られないためには自分で書くしかないというだけで、作法や儀礼の問題ではない。
特別な関係にあったとは明かせない人物のために祈る者もあれば、世間から憎まれている人物のために祈る者もある。正義や裁きといった性格の強い神々の寺院では許さないかもしれないが、愛や救いといった性格の強い神々の寺院であれば、そういった事情を黙って受け止めてくれることが多い。悪用されることを恐れて受けつけない寺院もあるから、一概には言えないが。
「隠されると気になるってんじゃねえけど、隠したいもんなのか、とは思うな」
「隠した方がいいのかなって気を回したのかもしれないよ」
「俺のせいかよ」
「セディって俺らの言うことを聞こうとするじゃない。神琴だって当たり前みたいに弾いてくれたけど、……芸で返せって言ってるみたいだったかなあ」
「やめてやれよ。途方に暮れるぞあいつ」
ジョイドの言いようにトシュは笑った。あの少女は寧ろ、自分にもできることがあったと安堵していただろうに。
何もセディカに役目を与えてやるための奉納だったわけではない。時間ができたついでだったのでもない。この寺院に留まる口実を作るため、というのが本当だ。太子一人だけを捕まえて秘密の話をするのに、外ではやりにくそうだから、ここの本堂を使いたかったのである。そこにちょうど神琴を弾ける者がいたから、言うなれば利用したという側面はあるわけで、セディカに対して礼を欠いてはいたかもしれない。
故人に対しても非礼であった、とも言われれば反論はしにくい。が、元々、〈冥府の女王〉の寺院を訪れる機会があるたびに、ジョイドは欠かさず供養を依頼している。本人の言い方を借りれば「お布施を包んでお札を納めるだけの一番安いやつ」であることが多いけれども、今回は巡り合わせでもう少し大がかりになっただけ、とも言えるのだ。たまたま長居をしたいときで、たまたま弾き手になれる者がいたので。
「そういや、ぶっちゃけ、幾らだった?」
ふと尋ねてみれば、ジョイドは妙にまっすぐな瞳を向けてから金額を口にした。軽く目を瞠って、トシュは天井を仰ぐ。
「そこそこすんなあ」
「だから、お礼を出してくれるところからは格好つけずに貰っておこうね」
やけににっこりしているのは、釘を刺された、のかもしれない。助けられた礼だと差し出された金品を、見返りを求めたわけではないと断ったことがあるのだ。が、これといって収入源もない立場でやることではなかっただろう。例の方士がそうしたというように、その辺りで拾った石を金にでも変えてしまうという手もあるけれど。
さて、とジョイドが両手を打ち合わせた。
「大っぴらにしていいって王子様は言ってたわけね」
雑談はここまで、ということだ。頷いて、トシュも切り替える。
「王妃殿下も合意だとよ。盛大に暴いてやるか」
つまり、明日は——本番だ。
そのためには今日のうちに、何を片づけておくべきかと、昨日の相談を振り返って。
「一応、国王陛下の生まれ故郷に行っとくかな。妥当な理由で恨みを持ってるようなやつがいねえか」
「律義だよねえ」
「思いついちまったからなー。ちょっと調べるつもりがあれば簡単にわかったはずだ、とか後から言われたくもねえし」
自分で挙げた仮定に、自分で顔を顰める。
「で……あー……あっちは、夕飯の後でいいかな……」
「寧ろそうして」
ジョイドが苦笑で同意した。もう一つの予定は——食事の前にやることでは、ない。