残酷な描写あり
第14回 絶望を知る 希望を悟る:2-1
「〈慈愛の寺〉」
次の山に着き、次の寺院に着いた。セディカは門に掲げてある額を読み上げた。
「そういう名前も、つくの?」
「古い寺院だってことだね。祭神の名前をそのまま使うのは」
この場合、〈慈しみの君〉よりも〈慈愛神〉または〈慈愛の御方〉という呼称が相応しいだろう。〈慈愛神〉を祀る〈慈愛の寺〉。〈慈愛神〉を主祭神とする寺院は世界中に数多くあるだろうに、そんな風に名乗ってのける寺院をセディカは見たことがなかった。
日の暮れる頃合いであった。一夜の宿を乞えば、快く招き入れてもらえた。僧侶たちが質のよい衣服を身につけているなとは思うともなく思ったものの、院主が呼ばれてきたところで、セディカは初めて戸惑った。院主は——きらきらしていたので。
僧衣は煌びやかな錦で、金を織り込み、翡翠の羽根で縁取りがしてあった。帽子には猫目石が飾ってあるし、靴には八宝が散りばめてあるし、杖には象眼細工が見える。
一応、奇妙ないでたちではない。帝都にあるような大寺院であったり、皇帝の名において執り行う法要であったり、然るべき場所で見かけたのなら特に目立ちもしなかっただろう。山寺には、不似合いだが。
「帝国からおいでとか」
愛想よくにこにことして、珍しい客人を喜んでいるようでもある。
「わけあって我々二人だけがお供しております。従者の身ですが、常にお嬢様に同席させていただきますので」
「田舎の寺です、堅苦しいことは申しませぬわい。早速離れを掃除させましょう」
田舎と謙遜する人間が着る服ではないのだが。
また妖怪ではあるまいなと突飛なことを考えてしまったのは、木綿の朝服を着ていた木の妖怪たちや、武官のようだが派手な服を着ていた首領を思い出したためだ。服装の違和感が妖怪に結びついてしまっている。トシュとジョイドは真っ当な旅姿でいたし、獅子は国王に成り済ましていたから真っ当な国王姿でいたのだけれども。
振る舞われた夕食を二人が邪魔しなかったから、妖怪疑惑が濡れ衣であったことは知れた。その代わりと言おうか、食後の茶菓が出る頃には、院主の正体は判明していた。
自慢屋、なのだ。
「これは二代目皇帝の時代の品でしてな」
食後に出てきた茶は香り高く、その茶を湛えた椀は金で縁取りをした七宝で、院主が言うように二代目皇帝の時代に流行した絵柄をしていた。それを載せてきた盆に目をやれば羊脂玉のようだし、急須は白銅らしい。
成金趣味で趣味が悪い、わけではない。真実、上等な品々であり、組み合わせも季節感も問題はない。ただ——ひけらかす、だけだ。
隣りのトシュが苛立ってきているのがわかる。院主は気づかないものか、妬まれることこそが楽しいものか、ジョイドが上手に相槌を打っているから流されているものか。
「この程度のもの、帝国の方々は見慣れておいででしょうが」
単に性格が悪いのだろうか。
「帝国からいらしたのであれば、見る甲斐のあるものの一つや二つお持ちでしょう。これも縁ですから拝見させていただけませんか」
「ねえ」
セディカはトシュの耳に口を寄せた。
「あのマント、見せてあげる?」
ジョイドではなくトシュに尋ねたところに、本音が表れていたかもしれない。トシュはにやっとした。
「心細いお立場なんでね。持ち出せたのはせいぜいマントぐらいですわ」
「ほう、マントとは」
嘲笑に聞こえたのは思い込みではないだろう。ジョイドが咎めるように睨んでいたが、トシュは悠々とマントの包みを取り出して、開けた。
部屋の灯りを受けてきらりと輝いたそれに、院主の顔は間違いなく強張った。トシュはセディカに立つよう促し、マントをばさりと広げてその肩にかけた。ことさら凛とした表情を保ったセディカの姿は、炎の巫女と称しても通りそうであったろう。
思惑通りと言おうか、院主は唖然とし——驚いたことに、はらはらと涙を流した。
「年を取るとは悔しいことじゃ。折角の名品、年寄りの目では、この暗さでは霞んでよくも見えませぬ」
トシュが唇を尖らせたのは、羨ましいとは言わなかったことが不満なのかもしれない。口に出しては認めなくとも、羨ましいのだろうとは、思うが。
「何かあるかと訊かれたから見せたのに、それで泣かれたんじゃどうしたらいいのかね。ああ、暗いってんなら灯りを増やしてやろうか?」
「灯りが多ければ多いで目が眩みますでな。いや、仰る通り、勝手でございましたわい。我が身の老いを思い知ってすっかり悲しゅうなってしまいました」
院主は首を振った。
「のう、老人をいたわると思って、一つわがままを聞いてはくださらんか。一晩、これをお貸しいただきたい」
「うん?」
声を立てたのはトシュだったが、セディカも目を円くした。
「じっくりと、飽きるまで眺めてみたいのですじゃ。勿論、発たれるときにはきちんとお返し申します」
次の山に着き、次の寺院に着いた。セディカは門に掲げてある額を読み上げた。
「そういう名前も、つくの?」
「古い寺院だってことだね。祭神の名前をそのまま使うのは」
この場合、〈慈しみの君〉よりも〈慈愛神〉または〈慈愛の御方〉という呼称が相応しいだろう。〈慈愛神〉を祀る〈慈愛の寺〉。〈慈愛神〉を主祭神とする寺院は世界中に数多くあるだろうに、そんな風に名乗ってのける寺院をセディカは見たことがなかった。
日の暮れる頃合いであった。一夜の宿を乞えば、快く招き入れてもらえた。僧侶たちが質のよい衣服を身につけているなとは思うともなく思ったものの、院主が呼ばれてきたところで、セディカは初めて戸惑った。院主は——きらきらしていたので。
僧衣は煌びやかな錦で、金を織り込み、翡翠の羽根で縁取りがしてあった。帽子には猫目石が飾ってあるし、靴には八宝が散りばめてあるし、杖には象眼細工が見える。
一応、奇妙ないでたちではない。帝都にあるような大寺院であったり、皇帝の名において執り行う法要であったり、然るべき場所で見かけたのなら特に目立ちもしなかっただろう。山寺には、不似合いだが。
「帝国からおいでとか」
愛想よくにこにことして、珍しい客人を喜んでいるようでもある。
「わけあって我々二人だけがお供しております。従者の身ですが、常にお嬢様に同席させていただきますので」
「田舎の寺です、堅苦しいことは申しませぬわい。早速離れを掃除させましょう」
田舎と謙遜する人間が着る服ではないのだが。
また妖怪ではあるまいなと突飛なことを考えてしまったのは、木綿の朝服を着ていた木の妖怪たちや、武官のようだが派手な服を着ていた首領を思い出したためだ。服装の違和感が妖怪に結びついてしまっている。トシュとジョイドは真っ当な旅姿でいたし、獅子は国王に成り済ましていたから真っ当な国王姿でいたのだけれども。
振る舞われた夕食を二人が邪魔しなかったから、妖怪疑惑が濡れ衣であったことは知れた。その代わりと言おうか、食後の茶菓が出る頃には、院主の正体は判明していた。
自慢屋、なのだ。
「これは二代目皇帝の時代の品でしてな」
食後に出てきた茶は香り高く、その茶を湛えた椀は金で縁取りをした七宝で、院主が言うように二代目皇帝の時代に流行した絵柄をしていた。それを載せてきた盆に目をやれば羊脂玉のようだし、急須は白銅らしい。
成金趣味で趣味が悪い、わけではない。真実、上等な品々であり、組み合わせも季節感も問題はない。ただ——ひけらかす、だけだ。
隣りのトシュが苛立ってきているのがわかる。院主は気づかないものか、妬まれることこそが楽しいものか、ジョイドが上手に相槌を打っているから流されているものか。
「この程度のもの、帝国の方々は見慣れておいででしょうが」
単に性格が悪いのだろうか。
「帝国からいらしたのであれば、見る甲斐のあるものの一つや二つお持ちでしょう。これも縁ですから拝見させていただけませんか」
「ねえ」
セディカはトシュの耳に口を寄せた。
「あのマント、見せてあげる?」
ジョイドではなくトシュに尋ねたところに、本音が表れていたかもしれない。トシュはにやっとした。
「心細いお立場なんでね。持ち出せたのはせいぜいマントぐらいですわ」
「ほう、マントとは」
嘲笑に聞こえたのは思い込みではないだろう。ジョイドが咎めるように睨んでいたが、トシュは悠々とマントの包みを取り出して、開けた。
部屋の灯りを受けてきらりと輝いたそれに、院主の顔は間違いなく強張った。トシュはセディカに立つよう促し、マントをばさりと広げてその肩にかけた。ことさら凛とした表情を保ったセディカの姿は、炎の巫女と称しても通りそうであったろう。
思惑通りと言おうか、院主は唖然とし——驚いたことに、はらはらと涙を流した。
「年を取るとは悔しいことじゃ。折角の名品、年寄りの目では、この暗さでは霞んでよくも見えませぬ」
トシュが唇を尖らせたのは、羨ましいとは言わなかったことが不満なのかもしれない。口に出しては認めなくとも、羨ましいのだろうとは、思うが。
「何かあるかと訊かれたから見せたのに、それで泣かれたんじゃどうしたらいいのかね。ああ、暗いってんなら灯りを増やしてやろうか?」
「灯りが多ければ多いで目が眩みますでな。いや、仰る通り、勝手でございましたわい。我が身の老いを思い知ってすっかり悲しゅうなってしまいました」
院主は首を振った。
「のう、老人をいたわると思って、一つわがままを聞いてはくださらんか。一晩、これをお貸しいただきたい」
「うん?」
声を立てたのはトシュだったが、セディカも目を円くした。
「じっくりと、飽きるまで眺めてみたいのですじゃ。勿論、発たれるときにはきちんとお返し申します」