1
生きとし生けるものは、すべからく、美しいものを愛している。
それを眺めて心の糧とし生きている。
我々は、美しいものを愛するために生きているといっても過言ではない。
私のように、永遠の命を持つ神でさえも。
* * *
暗闇を歩く。
ヒールの高い音が、果てのない闇に響きわたる。
「呼びましたか」
漆黒の机の前で足を止める。
私の向かいには、死神本社西洋支部長――ハデスが、深い背の椅子にもたれかかって座っていた。
「東洋支部からの依頼が来た。日本に、どの死神にも殺せない男がいるとか。その魂の回収を君に頼みたい。
死女神、キル・リ・エルデ」
「引き受けましょう。私にできない仕事などありません」
かくして私は、日本につながる扉の「鍵」を受け取った。
***
日本、東京――難高校。
漫画や映画でよく見る、整った、真っ白な校舎。
日本一の難関校というここに、東洋の死神たちが誰も殺せなかったという「標的」がいる。
ふわ、と優しい風が吹いた。ピンク色の花びらが後ろから流れてきた。私の白銀の長い髪に枚絡まる。
振り向くと、何本もの桃色の花の木が並び、そよそよと風に揺れていた。
――これが、ジャパニーズ・サクラ。
なんと美しいのだろう……。
人間の世界に西洋と東洋があるのと同じように、冥界にも西洋、東洋が存在する。
西洋支部の死神は西洋、東洋支部の死神は東洋をテリトリーとし、互いのテリトリーに許可なく入ることはできない。はるか昔、死神たちがまだ何者にも統率されていない時代、好き勝手に人間を殺しまくった上、自分の縄張りの人間を殺しただのなんだのと世界を滅ぼしかねない死神戦争を巻き起こしたためである。
だから、西洋支部の死神である私が日本に来ることなど永遠に叶わないと思っていた。
それなのに……。
まさか、愛する日本に足を踏み入れることになるなんて……!
私はキャリアを積んだ上級死神。死に損ねた魂を回収するなどの特別な依頼の時しか仕事に出ることはない。それ以外は愛する我が闇の部屋で、悠々自適な生活を送っている。
そんな私がここ数百年はまっているのが、日本文化!
わびさび、風流、礼儀といった日本の美しき価値観、景観や建物、歴史、人間の等身、日本酒や和菓子といった日本食、漫画や映画などのサブカルチャーに至るまで、私のツボに入りまくる!
とりわけ素晴らしいのが、ジャパニーズ・アイドル「ニッポンDANJI」の緋王 颯雅様……!
さわやかな薄顔、口元のえっちなほくろ、常に称えている柔らかな微笑み、涼やかな物腰、しなやかなお体、おだやかな京都弁、甘い声音……。知的で上品で、歌もダンスも演技も最上級!
その上、優しくて、誠実で、それでいて謙虚で――人柄までパーフェクトに素晴らしい!
日本の美しい男性像の全てが詰まった二十四歳! 美しさの権化である!
その人柄のすばらしさを特に感じるのが、「ひおさんぽ」だ。多忙な芸能活動の傍ら、私たちファンのため、そしてグループや日本の魅力を世界に伝えるために、「ひおさんぽ」という動画配信を行っていて、浴衣や着物で日本各地を散歩し、日本文化を紹介してくださっている。
人格者。いや、神の私が言うのもなんだが、もはや神である!
緋王様こそ、ジャパニーズ・「推し」! 私の生きる糧である。
もしかしたら、本物の日本文化に触れ、「ひおさんぽ」の模倣ができるだけでなく……あわよくば生緋王様にお会いできるのでは……!?
うっ……! 想像するだけで心臓が焦げるように熱くなる……っ!
ここまで生き残った「標的」に、圧倒的感謝……っ!
だが、本当に感謝するのは死んでもらってからだ。
奴の魂を回収すれば、日本への「鍵」を永久に私の物にしていいとハデスに約束させた。
とっとと仕事を終わらせて、ゆっくり日本を観光し、悠々自適な推し活三昧の日々を送るのだ。
そして今夜はサクラを見ながら日本酒を嗜もう。ジャパニーズ・祝い酒というやつだ。
前回の「ひおさんぽ」の模倣――いわゆる推し活である。
私は意気揚々と仕事場へ足を踏み入れた。
***
ジャパニーズ・JKの姿になった私は、2-Aと名付けられた30人の男集団の前に晒されることとなった。漫画や映画でよく見る、転校生の自己紹介シーンである。
「今日からこのクラスに入った、エルデ キルコさんだ」
日本人に寄せた偽名である。白銀の長い髪、金色の瞳のために、日本人とは見られないかもしれないが、どうせ今日限りの名だからいいだろう。
「よろしく」
担任を含む31人の男たちが、私の神々しさにあてられた。たった一言で体中を熱くさせて硬直するなど、人間はなんと弱い生き物だろう。
さて、標的はどれか。呆然とするブ男たちをひとつひとつ眺める。
目が糸のように細いブ男。でかい鼻にでかい赤にきびをこしらえるブ男。前歯が全部出ているブ男。輪郭がニンジンのような形をしたブ男。顔がパンパンに腫れ上がったブ男……。
――なぜ。
なぜ、どれもこれももっさり黒髪メガネブ男なのだ!
高校といったら、ジャパニーズ・アオハルの舞台ではないのか!? 私の見た日本のアオハル映画にこんな光景はなかった!
私は美しいものをこよなく愛す。だからこそ、醜いものは殺したいほど嫌いなのだ!
たった少しの時間であってもこれだけのブ男に囲まれて息をしなければならない状況がつらい。体中が腐りそうだ!
鎌を手に取り、殺しつくしたい衝動にかられた。
だが、仕事以外で人間の命を狩るのは禁止事項。私の積み上げてきたキャリアと悠々自適な推し活生活が終わる。
私は堪えた。あこがれていたジャパニーズ・セーラー服に身を包んでいる喜びを思い出し、心を落ち着かせる。
もう一度、同じ見た目にしか見えない男たちを眺める。
――あれか。廊下側の前から3番目の席に座る、細身の男。
緋王様と同じ、下唇の右下にほくろがあった。
目の下まである前髪と太い黒縁のメガネのせいで顔がほとんど隠れており、表情はよくわからなかったが、知る必要もない。
皇 秀英。
東洋の死神たちが、10年かかっても魂を回収できなかったという男。
私がすぐに殺してくれる。
***
「エルデさん! このクラスに入ったということは、り、理系女子、ですね!? 我々の化学部に、ははは、入っていただけませんか!」
「いえいえ! こんなつまらん部活にいく必要などありません! 我々の蒸気機関車研究部に是非!」
「我々生体研究部以外、何の価値もありません! ぜひ、我々と一緒に!」
1限のチャイムが鳴り終わった瞬間、男たちに囲まれた。皆、跪いて指を組み、はぁはぁと下品な息を漏らしている。
標的が近づいてきやすいようにと神力を抑えているためになんとか近寄ることはできようが、よくもこうぐいぐいと近づいてこれるものだ。
身の程を知れ、愚かものどもめ。
あぁ、臭い。
私は立ち上がった。くるりと男たちに踵を返して髪を振り、私の百合の香りで男たちの脂臭い匂いを浄化する。
「ああっ……エルデさん……」
私は振り向くことなく、まっすぐに奴の元に向かった。
唯一私に近づいてこなかった、皇 秀英のもとに。
「皇 秀英さん」
ぽつんと自席に座り、カタカタとパソコンを打ち込んでいた皇が、ゆっくりと顔を上げた。
「学級委員と聞きました。放課後、学校を案内してください」
奴は唇をわずかに震わせたあと、大人しく「……はい」と頷いた。
***
「ここが教務室です。隣のここが自習室で、その隣が図書室。ここから先が実験室です」
皇は私を、6階まである校舎の隅々まで案内した。
……なんだこれは。
隙だらけではないか。いつもの私のやり方で、さっと魂を狩れそうだ。
だが、資料には、何度そのやり口でやっても失敗したとあった。ひとまず従っておくのが賢明だろう。
改めて、皇の後ろ姿を睨んだ。
背がすらりと高く、背筋がしゃんと伸びている後ろ姿から、育ちの良さが感じられる。
細い質感のさらりとした髪も、後ろから見るだけなら上品めいてみえる。
それに、ふわりといい香りもする。お香のような、若葉のような、和の香り……。
他のブ男たちよりはいくらかましなように思えた。
だが、黒い縁のメガネと長い前髪がダサすぎる。
せっかく緋王様と同じ唇の右下にほくろがあるのに……。
羨ましくて怒りがわいた。剥がしてやりたい。
そしてその見た目と、必要のないこと以外話さないロボットのような無口っぷりから根暗感がにじみ出ている。
私の嫌いなタイプの男だ。
はぁ。
たまらなく緋王様を拝みたくなった……。
さっさとこいつの魂を回収してここから撤収しよう。
そして一度自室に戻り、緋王様の動画を見て幸せを注入し、花見酒を愉しみにいくとしよう。
音楽室の前から大きな音が漏れ聞こえた。運命写真機を取り出し、皇を撮った。
出てきた写真に、皇の後ろ姿と、奴のこの後の「運命」が浮かび上がる。
死神の仕事は、運命写真に浮かぶ標的の死因になりうる決定的な出来事を確認し、何かあればその出来事を確実に起こして魂を狩り、なければ出来事をつくって魂を狩る。
今日は、死因となりうる出来事はない。だが、出来事をつくることなどお手の物だ。
この運命ならば、次のタイミングで魂を狩れるだろう。
***
外にはグラウンドが二つあった。校舎に隣接した広いグラウンドと、道路を一つ挟んだ敷地にある、小さめのグラウンド。小さなグラウンドには、古ぼけて錆だらけの第二体育館と柔道部用の武道場が建ち並んでいた。
横断歩道を渡り、小さなグラウンドに向かう。普段はサッカー部が練習をしているらしいが、今日は休みらしく、人1人いなかった。
グラウンドに足を踏み入れた瞬間、はっと目を惹かれた。奥に、たった一本の、とても大きなサクラの木が聳え立っていたのだ。校門前に並ぶサクラたちとは違い、無二の存在感があるように思えた。
「ひおさんぽ」の花見酒の回に出てきたサクラの木に似ているからだろうか。
「美しいですね」
息を吐くように、皇が呟いた。教室の説明以外のことを話すのははじめてだった。
「サクラ、好きなんですか」
「どうでしょう。
ただ、この世界に存在する生きとし生けるものはすべからく、美しいものに惹かれてしまうものだと……そう、僕は思います」
それは全くの同意見だ。
私は、ほくそ笑んだ。
「もっと近くで見てもいいですか? できれば、上から」
第二体育館の屋上に登ると、サクラが上から見えた。
フェンスから身を乗り出してサクラの香りをすうっと吸い込む。甘酸っぱくて、いい香りだ。
見た目もとても可愛らしい。
「もふもふですね」
「そうですね」
「私、このもふもふに埋もれてみたいです」
振り向くと、皇は不思議そうに、わずかに唇を開いていた。
「飛び込んでみませんか? このサクラの中に」
皇は私の隣に並ぶと、フェンスから少し身を乗り出し、サクラのもふもふと、遥か下の地上とを見た。
「ここから桜までの距離は3m20cmといったところでしょうか。僕の去年の立ち幅跳びの記録が2m55cmなので、エルデさんの体重を計算に含めて考えるとして……。エルデさんの体重はいくつですか?」
「ありません、そんなもの」
皇は一瞬きょとんとしたが、すぐにまた理系の顔に戻った。
「いずれにしても、2m55cmからもう15cm、どう伸ばすかを考えないと……」
「そんなこと、考えなくて構いません」
「地上まで、26mほどです。体を打ちつけた場合の衝撃力を計算したら、確実に死に至る高さです」
「死んだら死んだです。人間はいつか死ぬのです。これで死んだとしても、美しいもののために死ぬのですから、いいではありませんか。
一緒に、死んでしまいましょう。ジャパニーズ・心中です」
私が手を差し伸べる。皇の手が、ゆっくり伸びる。
そして、私の手を、やさしく握った。
かかった。私の洗脳に。
死んでもいい――皇の脳みそはその思考で埋め尽くされたのだ。
フェンスを超えて、コンクリートを蹴った。
――なんて簡単な任務だったのだろう。
こんな男に10年もかけていた東洋支部の死神たちの無能ぶりに笑えてくる。
標的に接近すること、洗脳すること、身を投げるよう仕向けること……すべて、東洋支部の死神がやらなかったことをやったまで。
まあ、せっかく日本に来たのだから、東洋の死神が古くにやっていたという殺し方――ジャパニーズ・心中をやってみようと思ってやってみたというのが正直な話であるが。
さあ、このまま落ちて魂を回収し、祝い酒と推し活を……!
……と、愉悦に浸っていた時だった。
私の腕と体とがぐっと前にひっぱられ、美しきジャパニーズ・サクラの上に、もふりと着地した。
ズザザザッ!
幹や枝を削るような音が下から聞こえた。下を覗くと、少し下の太い枝の上に、皇が片膝をついていた。
6
「怪我はありませんか?」
――え?
……まさか……。
この状況で、生きているなんて……。かすり傷は見えるが、飄々としている。
「ど、どうして……」
「体重はないとおっしゃっていましたが、身長や肉質から40キロ前後であると想定しました。その見立てにかけて、少し遠くに投げるようにエルデさんの体を桜の方に押し出して、その反動で僕の体も桜の中で一番太く質量があるこの枝に着地するよう計算して、その通りにしてみたまでです」
そうじゃない。
死んでもいいと思うように、確実に洗脳したはずだ。なのに、なぜ……!
動揺する私に、皇が手を差し伸べた。
「満足したら、降りましょう」
はっとした。屋上ほどではないが、ここも高さは十分ある。
私は、彼の手に手を伸ばすふりをして、彼の体に飛び込んだ。私の指先が、彼の肩をトンと押す。彼の体がぐらりとバランスを崩す。
しめた。今度こそ、このまま落ちてしまえば――!
ズサササササササッ!
幹をこすり、細かな枝を折った音が響いた。
私の胸の下には、地面に背中を打ちつけた皇の胸が重なっていた。
「大丈夫ですか」
「……なんで、生きて……」
「2mほどの高さでしたから、途中途中の枝を折りながら衝撃をある程度軽減させ、背中から落ちれば、僕の筋肉量であれば、骨を折ることなく着地できる計算でしたから。多少の痛みはありますが、命にかかわる怪我はありません」
皇 秀英は、理系的思考と物理計算によって、10年間、あらゆる死の危機を回避してきた男だ。
洗脳すれば計算ができなくなると思ったのに……。
まさか、本当に、この私の洗脳が効かなかった……?
――いや、考える必要はない。
私は前髪に刺していた黒い羽のピンを抜いた。短い鎌に形が変わる。
これは、人間の魂を狩るための武器――しかも人間にはその形が見えない。
通常は死因によって気絶している状況下で魂を狩るのだが、そうでない場合に狩ったとしても、「心臓突然死」として処理される。実に便利な代物だ。
皇は私の真下にいる。この鎌から逃れることは決してできない。
私は、鎌を振りかぶった!
「あれ、髪飾りがなくなって……。あ、これ、でしょうか……」
皇の手が、私の前髪に触れた。
何か細いものが、耳と髪の間に挿しこまれた。
「すみません、違いました。
でも……美しいです」
皇が、ほほ笑んだ。
前髪がわずかに流れ、メガネの下の甘い瞳が見える。
涼やかで整ったきれいな顔が、ちらりと見えた……。
――どきっ!
胸が、バクバク鳴る。顔が、頭のてっぺんが熱くなる。
鎌を持った手が、動かない……!?
こ、これは……。
萌え……っ!
つまらなくて根暗なブ男であるとみせかけて、きれいな顔と微笑、甘い声で胸きゅんワードを繰り出す――!
まさに、ジャパニーズ・ギャップ萌え……っ!
そんな……!
相手を萌えさせて死を免れる術まで持っているだなんて……!
――できない……!
萌える相手を手にかけるなど、できない…………っ!
……くぅ……………………っ!
***
ダン!
一気に飲み干した日本酒の一升瓶を、黒いテーブルに叩き置く。空の一升瓶やらおつまみのゴミやらで散らかった床をまさぐり、まだ開いていない一升瓶を掴む。これで三本目だ。
悔しくて、飲まずにはいられなかった。
この私が、失敗するなんて……!
今頃、サクラを見ながら祝い酒を飲んでいるはずだったのに……!
テーブルの上に、はらりと、髪に刺さっていた何かが落ちた。
皇が私の髪に挿したもの……。
それは、ちいさなサクラが二つ咲いた、細い枝だった。
……明日は絶対に、仕事を終わらせる。
そして、本当の花見酒をしよう。
小さなサクラを見つめながら、胸のざわつきを抑え込むように、甘い酒を口に含んだ。
それを眺めて心の糧とし生きている。
我々は、美しいものを愛するために生きているといっても過言ではない。
私のように、永遠の命を持つ神でさえも。
* * *
暗闇を歩く。
ヒールの高い音が、果てのない闇に響きわたる。
「呼びましたか」
漆黒の机の前で足を止める。
私の向かいには、死神本社西洋支部長――ハデスが、深い背の椅子にもたれかかって座っていた。
「東洋支部からの依頼が来た。日本に、どの死神にも殺せない男がいるとか。その魂の回収を君に頼みたい。
死女神、キル・リ・エルデ」
「引き受けましょう。私にできない仕事などありません」
かくして私は、日本につながる扉の「鍵」を受け取った。
***
日本、東京――難高校。
漫画や映画でよく見る、整った、真っ白な校舎。
日本一の難関校というここに、東洋の死神たちが誰も殺せなかったという「標的」がいる。
ふわ、と優しい風が吹いた。ピンク色の花びらが後ろから流れてきた。私の白銀の長い髪に枚絡まる。
振り向くと、何本もの桃色の花の木が並び、そよそよと風に揺れていた。
――これが、ジャパニーズ・サクラ。
なんと美しいのだろう……。
人間の世界に西洋と東洋があるのと同じように、冥界にも西洋、東洋が存在する。
西洋支部の死神は西洋、東洋支部の死神は東洋をテリトリーとし、互いのテリトリーに許可なく入ることはできない。はるか昔、死神たちがまだ何者にも統率されていない時代、好き勝手に人間を殺しまくった上、自分の縄張りの人間を殺しただのなんだのと世界を滅ぼしかねない死神戦争を巻き起こしたためである。
だから、西洋支部の死神である私が日本に来ることなど永遠に叶わないと思っていた。
それなのに……。
まさか、愛する日本に足を踏み入れることになるなんて……!
私はキャリアを積んだ上級死神。死に損ねた魂を回収するなどの特別な依頼の時しか仕事に出ることはない。それ以外は愛する我が闇の部屋で、悠々自適な生活を送っている。
そんな私がここ数百年はまっているのが、日本文化!
わびさび、風流、礼儀といった日本の美しき価値観、景観や建物、歴史、人間の等身、日本酒や和菓子といった日本食、漫画や映画などのサブカルチャーに至るまで、私のツボに入りまくる!
とりわけ素晴らしいのが、ジャパニーズ・アイドル「ニッポンDANJI」の緋王 颯雅様……!
さわやかな薄顔、口元のえっちなほくろ、常に称えている柔らかな微笑み、涼やかな物腰、しなやかなお体、おだやかな京都弁、甘い声音……。知的で上品で、歌もダンスも演技も最上級!
その上、優しくて、誠実で、それでいて謙虚で――人柄までパーフェクトに素晴らしい!
日本の美しい男性像の全てが詰まった二十四歳! 美しさの権化である!
その人柄のすばらしさを特に感じるのが、「ひおさんぽ」だ。多忙な芸能活動の傍ら、私たちファンのため、そしてグループや日本の魅力を世界に伝えるために、「ひおさんぽ」という動画配信を行っていて、浴衣や着物で日本各地を散歩し、日本文化を紹介してくださっている。
人格者。いや、神の私が言うのもなんだが、もはや神である!
緋王様こそ、ジャパニーズ・「推し」! 私の生きる糧である。
もしかしたら、本物の日本文化に触れ、「ひおさんぽ」の模倣ができるだけでなく……あわよくば生緋王様にお会いできるのでは……!?
うっ……! 想像するだけで心臓が焦げるように熱くなる……っ!
ここまで生き残った「標的」に、圧倒的感謝……っ!
だが、本当に感謝するのは死んでもらってからだ。
奴の魂を回収すれば、日本への「鍵」を永久に私の物にしていいとハデスに約束させた。
とっとと仕事を終わらせて、ゆっくり日本を観光し、悠々自適な推し活三昧の日々を送るのだ。
そして今夜はサクラを見ながら日本酒を嗜もう。ジャパニーズ・祝い酒というやつだ。
前回の「ひおさんぽ」の模倣――いわゆる推し活である。
私は意気揚々と仕事場へ足を踏み入れた。
***
ジャパニーズ・JKの姿になった私は、2-Aと名付けられた30人の男集団の前に晒されることとなった。漫画や映画でよく見る、転校生の自己紹介シーンである。
「今日からこのクラスに入った、エルデ キルコさんだ」
日本人に寄せた偽名である。白銀の長い髪、金色の瞳のために、日本人とは見られないかもしれないが、どうせ今日限りの名だからいいだろう。
「よろしく」
担任を含む31人の男たちが、私の神々しさにあてられた。たった一言で体中を熱くさせて硬直するなど、人間はなんと弱い生き物だろう。
さて、標的はどれか。呆然とするブ男たちをひとつひとつ眺める。
目が糸のように細いブ男。でかい鼻にでかい赤にきびをこしらえるブ男。前歯が全部出ているブ男。輪郭がニンジンのような形をしたブ男。顔がパンパンに腫れ上がったブ男……。
――なぜ。
なぜ、どれもこれももっさり黒髪メガネブ男なのだ!
高校といったら、ジャパニーズ・アオハルの舞台ではないのか!? 私の見た日本のアオハル映画にこんな光景はなかった!
私は美しいものをこよなく愛す。だからこそ、醜いものは殺したいほど嫌いなのだ!
たった少しの時間であってもこれだけのブ男に囲まれて息をしなければならない状況がつらい。体中が腐りそうだ!
鎌を手に取り、殺しつくしたい衝動にかられた。
だが、仕事以外で人間の命を狩るのは禁止事項。私の積み上げてきたキャリアと悠々自適な推し活生活が終わる。
私は堪えた。あこがれていたジャパニーズ・セーラー服に身を包んでいる喜びを思い出し、心を落ち着かせる。
もう一度、同じ見た目にしか見えない男たちを眺める。
――あれか。廊下側の前から3番目の席に座る、細身の男。
緋王様と同じ、下唇の右下にほくろがあった。
目の下まである前髪と太い黒縁のメガネのせいで顔がほとんど隠れており、表情はよくわからなかったが、知る必要もない。
皇 秀英。
東洋の死神たちが、10年かかっても魂を回収できなかったという男。
私がすぐに殺してくれる。
***
「エルデさん! このクラスに入ったということは、り、理系女子、ですね!? 我々の化学部に、ははは、入っていただけませんか!」
「いえいえ! こんなつまらん部活にいく必要などありません! 我々の蒸気機関車研究部に是非!」
「我々生体研究部以外、何の価値もありません! ぜひ、我々と一緒に!」
1限のチャイムが鳴り終わった瞬間、男たちに囲まれた。皆、跪いて指を組み、はぁはぁと下品な息を漏らしている。
標的が近づいてきやすいようにと神力を抑えているためになんとか近寄ることはできようが、よくもこうぐいぐいと近づいてこれるものだ。
身の程を知れ、愚かものどもめ。
あぁ、臭い。
私は立ち上がった。くるりと男たちに踵を返して髪を振り、私の百合の香りで男たちの脂臭い匂いを浄化する。
「ああっ……エルデさん……」
私は振り向くことなく、まっすぐに奴の元に向かった。
唯一私に近づいてこなかった、皇 秀英のもとに。
「皇 秀英さん」
ぽつんと自席に座り、カタカタとパソコンを打ち込んでいた皇が、ゆっくりと顔を上げた。
「学級委員と聞きました。放課後、学校を案内してください」
奴は唇をわずかに震わせたあと、大人しく「……はい」と頷いた。
***
「ここが教務室です。隣のここが自習室で、その隣が図書室。ここから先が実験室です」
皇は私を、6階まである校舎の隅々まで案内した。
……なんだこれは。
隙だらけではないか。いつもの私のやり方で、さっと魂を狩れそうだ。
だが、資料には、何度そのやり口でやっても失敗したとあった。ひとまず従っておくのが賢明だろう。
改めて、皇の後ろ姿を睨んだ。
背がすらりと高く、背筋がしゃんと伸びている後ろ姿から、育ちの良さが感じられる。
細い質感のさらりとした髪も、後ろから見るだけなら上品めいてみえる。
それに、ふわりといい香りもする。お香のような、若葉のような、和の香り……。
他のブ男たちよりはいくらかましなように思えた。
だが、黒い縁のメガネと長い前髪がダサすぎる。
せっかく緋王様と同じ唇の右下にほくろがあるのに……。
羨ましくて怒りがわいた。剥がしてやりたい。
そしてその見た目と、必要のないこと以外話さないロボットのような無口っぷりから根暗感がにじみ出ている。
私の嫌いなタイプの男だ。
はぁ。
たまらなく緋王様を拝みたくなった……。
さっさとこいつの魂を回収してここから撤収しよう。
そして一度自室に戻り、緋王様の動画を見て幸せを注入し、花見酒を愉しみにいくとしよう。
音楽室の前から大きな音が漏れ聞こえた。運命写真機を取り出し、皇を撮った。
出てきた写真に、皇の後ろ姿と、奴のこの後の「運命」が浮かび上がる。
死神の仕事は、運命写真に浮かぶ標的の死因になりうる決定的な出来事を確認し、何かあればその出来事を確実に起こして魂を狩り、なければ出来事をつくって魂を狩る。
今日は、死因となりうる出来事はない。だが、出来事をつくることなどお手の物だ。
この運命ならば、次のタイミングで魂を狩れるだろう。
***
外にはグラウンドが二つあった。校舎に隣接した広いグラウンドと、道路を一つ挟んだ敷地にある、小さめのグラウンド。小さなグラウンドには、古ぼけて錆だらけの第二体育館と柔道部用の武道場が建ち並んでいた。
横断歩道を渡り、小さなグラウンドに向かう。普段はサッカー部が練習をしているらしいが、今日は休みらしく、人1人いなかった。
グラウンドに足を踏み入れた瞬間、はっと目を惹かれた。奥に、たった一本の、とても大きなサクラの木が聳え立っていたのだ。校門前に並ぶサクラたちとは違い、無二の存在感があるように思えた。
「ひおさんぽ」の花見酒の回に出てきたサクラの木に似ているからだろうか。
「美しいですね」
息を吐くように、皇が呟いた。教室の説明以外のことを話すのははじめてだった。
「サクラ、好きなんですか」
「どうでしょう。
ただ、この世界に存在する生きとし生けるものはすべからく、美しいものに惹かれてしまうものだと……そう、僕は思います」
それは全くの同意見だ。
私は、ほくそ笑んだ。
「もっと近くで見てもいいですか? できれば、上から」
第二体育館の屋上に登ると、サクラが上から見えた。
フェンスから身を乗り出してサクラの香りをすうっと吸い込む。甘酸っぱくて、いい香りだ。
見た目もとても可愛らしい。
「もふもふですね」
「そうですね」
「私、このもふもふに埋もれてみたいです」
振り向くと、皇は不思議そうに、わずかに唇を開いていた。
「飛び込んでみませんか? このサクラの中に」
皇は私の隣に並ぶと、フェンスから少し身を乗り出し、サクラのもふもふと、遥か下の地上とを見た。
「ここから桜までの距離は3m20cmといったところでしょうか。僕の去年の立ち幅跳びの記録が2m55cmなので、エルデさんの体重を計算に含めて考えるとして……。エルデさんの体重はいくつですか?」
「ありません、そんなもの」
皇は一瞬きょとんとしたが、すぐにまた理系の顔に戻った。
「いずれにしても、2m55cmからもう15cm、どう伸ばすかを考えないと……」
「そんなこと、考えなくて構いません」
「地上まで、26mほどです。体を打ちつけた場合の衝撃力を計算したら、確実に死に至る高さです」
「死んだら死んだです。人間はいつか死ぬのです。これで死んだとしても、美しいもののために死ぬのですから、いいではありませんか。
一緒に、死んでしまいましょう。ジャパニーズ・心中です」
私が手を差し伸べる。皇の手が、ゆっくり伸びる。
そして、私の手を、やさしく握った。
かかった。私の洗脳に。
死んでもいい――皇の脳みそはその思考で埋め尽くされたのだ。
フェンスを超えて、コンクリートを蹴った。
――なんて簡単な任務だったのだろう。
こんな男に10年もかけていた東洋支部の死神たちの無能ぶりに笑えてくる。
標的に接近すること、洗脳すること、身を投げるよう仕向けること……すべて、東洋支部の死神がやらなかったことをやったまで。
まあ、せっかく日本に来たのだから、東洋の死神が古くにやっていたという殺し方――ジャパニーズ・心中をやってみようと思ってやってみたというのが正直な話であるが。
さあ、このまま落ちて魂を回収し、祝い酒と推し活を……!
……と、愉悦に浸っていた時だった。
私の腕と体とがぐっと前にひっぱられ、美しきジャパニーズ・サクラの上に、もふりと着地した。
ズザザザッ!
幹や枝を削るような音が下から聞こえた。下を覗くと、少し下の太い枝の上に、皇が片膝をついていた。
6
「怪我はありませんか?」
――え?
……まさか……。
この状況で、生きているなんて……。かすり傷は見えるが、飄々としている。
「ど、どうして……」
「体重はないとおっしゃっていましたが、身長や肉質から40キロ前後であると想定しました。その見立てにかけて、少し遠くに投げるようにエルデさんの体を桜の方に押し出して、その反動で僕の体も桜の中で一番太く質量があるこの枝に着地するよう計算して、その通りにしてみたまでです」
そうじゃない。
死んでもいいと思うように、確実に洗脳したはずだ。なのに、なぜ……!
動揺する私に、皇が手を差し伸べた。
「満足したら、降りましょう」
はっとした。屋上ほどではないが、ここも高さは十分ある。
私は、彼の手に手を伸ばすふりをして、彼の体に飛び込んだ。私の指先が、彼の肩をトンと押す。彼の体がぐらりとバランスを崩す。
しめた。今度こそ、このまま落ちてしまえば――!
ズサササササササッ!
幹をこすり、細かな枝を折った音が響いた。
私の胸の下には、地面に背中を打ちつけた皇の胸が重なっていた。
「大丈夫ですか」
「……なんで、生きて……」
「2mほどの高さでしたから、途中途中の枝を折りながら衝撃をある程度軽減させ、背中から落ちれば、僕の筋肉量であれば、骨を折ることなく着地できる計算でしたから。多少の痛みはありますが、命にかかわる怪我はありません」
皇 秀英は、理系的思考と物理計算によって、10年間、あらゆる死の危機を回避してきた男だ。
洗脳すれば計算ができなくなると思ったのに……。
まさか、本当に、この私の洗脳が効かなかった……?
――いや、考える必要はない。
私は前髪に刺していた黒い羽のピンを抜いた。短い鎌に形が変わる。
これは、人間の魂を狩るための武器――しかも人間にはその形が見えない。
通常は死因によって気絶している状況下で魂を狩るのだが、そうでない場合に狩ったとしても、「心臓突然死」として処理される。実に便利な代物だ。
皇は私の真下にいる。この鎌から逃れることは決してできない。
私は、鎌を振りかぶった!
「あれ、髪飾りがなくなって……。あ、これ、でしょうか……」
皇の手が、私の前髪に触れた。
何か細いものが、耳と髪の間に挿しこまれた。
「すみません、違いました。
でも……美しいです」
皇が、ほほ笑んだ。
前髪がわずかに流れ、メガネの下の甘い瞳が見える。
涼やかで整ったきれいな顔が、ちらりと見えた……。
――どきっ!
胸が、バクバク鳴る。顔が、頭のてっぺんが熱くなる。
鎌を持った手が、動かない……!?
こ、これは……。
萌え……っ!
つまらなくて根暗なブ男であるとみせかけて、きれいな顔と微笑、甘い声で胸きゅんワードを繰り出す――!
まさに、ジャパニーズ・ギャップ萌え……っ!
そんな……!
相手を萌えさせて死を免れる術まで持っているだなんて……!
――できない……!
萌える相手を手にかけるなど、できない…………っ!
……くぅ……………………っ!
***
ダン!
一気に飲み干した日本酒の一升瓶を、黒いテーブルに叩き置く。空の一升瓶やらおつまみのゴミやらで散らかった床をまさぐり、まだ開いていない一升瓶を掴む。これで三本目だ。
悔しくて、飲まずにはいられなかった。
この私が、失敗するなんて……!
今頃、サクラを見ながら祝い酒を飲んでいるはずだったのに……!
テーブルの上に、はらりと、髪に刺さっていた何かが落ちた。
皇が私の髪に挿したもの……。
それは、ちいさなサクラが二つ咲いた、細い枝だった。
……明日は絶対に、仕事を終わらせる。
そして、本当の花見酒をしよう。
小さなサクラを見つめながら、胸のざわつきを抑え込むように、甘い酒を口に含んだ。