▼詳細検索を開く
作者: 鈴奈
 鎮まらなかった。
 
 ひおさんぽも、緋王様主演の映画も観たのに、緋王様が心に入って来なかった……。
 理由は二つ。
 一つは、日本酒がないせいだ。必ず今日の帰りに調達する。
 そして重大すぎるもう一つは、皇秀英――あいつの顔が良すぎるせいだ!!

 それに、時々繰り出す萌え言動が爆弾的で……!
 おだやかな緋王様の「乾杯」や笑顔では上書きできない……っ!
 性格やポテンシャルなどを含めた総合的なところをみれば緋王様が上――と思ったが、皇は、減点していたコミュ障感が「女慣れしていない可愛さ」に移行したことで、緋王様とは別の萌えポイントが生じ、優劣をつけようとしたら頭の中がごちゃごちゃになってしまった。
 そうこう考え寝たり起きたりを繰り返していたら、いつのまにか朝を迎えていた。
 
 リン。黒電話が鳴る。

 ハデスだ。受話器を取ってすぐ、私はまくしたてた。

 「おはようございます、昨日は情報収集をしておりました、有用な情報を得ましたし今後も情報収集しながら着実に仕事を行なってまいりますので今後は確認のお電話は結構です、確実に成果は持ち帰りますのでしばしお待ちを」

 ガシャンと切る。あいつとの縁も切れればいいのに。

 ソファに倒れる。黒い天井を眺めながら、私は一つの考えに達していた。
 
 どんなに顔が良かろうと萌えようと、私は皇を殺さねばならない。それが私の仕事。長年積み重ねてきたキャリアがこんなところで崩れれば、この悠々自適な堕落生活が終わってしまう。それは嫌だ。私は永遠に、悠々自適にだらだらと好きなことをし続ける。
 
 だから、仕事は必ず成し遂げる。
 
 だが――皇には、潔く萌えることにする!
 
 顔がいいことに気づいてしまった以上、あの男に萌えないなんて無理だ。
 私にとって萌えはオアシス。
 制御などできない。しようものならストレスによって死に至る。まあ私は神だから死なないが。
 それに、ブ男だらけでストレスフルな仕事場に身を投じているのだから、このくらいの愉しみはいいだろう。 
 仕事はきちんとするのだし。
 
 鍵を扉に差し込んで、開く。
 晴れ晴れとした空が私を吞み込んだ。
 高校の屋上に着地する。ちょうど皇が歩いてくるところだった。
 きゅん、と胸が鳴った。
 運命写真を撮る。皇の姿と共に、今日の皇の運命が浮かび上がる。
 その文字列に、隙を探す。

 昨日の会話で、皇の負けず嫌いの性質が死なない原因だとわかった。が、それを崩す手は現状では見つからない。
 ひとまず、他のことについても、できない原因を探していこう。今まで東洋の死神たちが失敗したことを再度挑戦し、隙を見つけるのだ。
 
 ――と、私の行動方針はそれでいいとして。

 なぜ皇はまたメガネと長い前髪で顔を隠して登校しているのだ!
 これじゃあ、顔が見えないではないか!!
 
 せっかく潔く萌えると決めたのだ。
 せめて、顔は見なければ――。
 
***

 荷物を片付け、すとんと自席に座った皇の前に、私はふっと出現した。

「おはようございます」

「あ、おはよう、ございます」

「ノート、ありがとうございました」

「いえ、どうも」

「ところで、どうしてメガネをかけているんです?」

「え……。度が入っていないと近くのものしかよく見えないのと、ブルーライトカットも入っているので……」

 私は指を伸ばした。すっと、皇のメガネを取る。
 そして、自分にかけた。ぼやりと視界がゆがんだが、すぐに見え方を調整した。
 長い前髪から、皇のきれいな瞳が驚きで丸くなったのが見えた。

「あっ……!」

 豚どもがブヒィーーーーッ! と一斉に鳴いた。

「没収です」

 自席に足を向けると、豚どもが私の右側にズザザザザッとスライディング正座してきた。
 
「わわわわわわ私のメガネも献上します!!」
「いえこんな脂ギトギトなメガネではなくこの僕のメガネを!!」
「いえ僕のメガネを!!!!」

 などと一斉にメガネを外し私に捧げてきたが悉く無視した。
 
 ああ、やっぱりいい顔……。
 前髪は鬱陶しいが、いつもよりは顔が拝める可能性が高まった。
 席に座ると、皇がおずおずと私の方を振り向いてきたのが豚どもの壁越しに見えた。
 餌を求める子犬のようだ。ふふふ、可愛い。そして、手の上で転がしている感じがして楽しい。これぞ神の遊びよ。

 だが、メガネを取ったのは顔を見るためだけではない。今日は体育がある。運命写真に、「5限の体育の時間、ボールが顔面に向かってくるが回避」とあったのだ。メガネがなければ回避は難しいだろう。タイミングを見計らってボールの威力を上げ、脳震盪を起こしてやる。

 それにしても、なかなか度が強い。4限までは座学だが、5限前後に階段で足を踏み外して死ぬように仕掛けてもいいかもしれない。
 ふっ、いいぞ。順調だ。

***

 この学校の女子の体操着はなぜかブルマーであった。
 ジャパニーズ・ブルマー……。絶滅し、漫画やアニメにしか残っていないと思っていたのに、まさかこの身で着ることができる日が来るとは。感激。
 しかも、ありがたいことに、女子のいる他クラスとの合同実施のために、ジャパニーズ・JKのブルマーが間近で拝める。
 ああ、ジャパニーズ・JK……。
 長い黒髪、短くてやわらかそうな足……。私と並ぶと足の付け根の位置が皆私より10cmは低い。まるで日本人形そのもの。可愛らしいったらない。
 日本文化で好きなものトップ3をあげるとすれば、1位が緋王様、2位が日本酒、3位が日本文学と日本人女子。そのため、私は多幸感で満ち満ちていた。

「エルデさん、よろしくね」
「仲良くしてね」

 この高校の女子はみな控えめで、ザ・ジャパニーズ・女子、という感じでなお好みだった。
 少しの間、黒髪日本人女子に囲まれてきゃっきゃうふふした。日本に来てからこんなにほのぼのしたのは初めてだったかもしれない。

 授業がはじまった。女子は陸上競技だった。短距離、幅跳び、高跳びを記録する。
 はじめは短距離。
 
「ひっ……!? 50m、5秒!? 100m、10秒!?」

 幅跳び。

「4m28!?」

 高跳び。

「3m10!?」

「すごいよ、エルデさん!」
「すごいってレベルじゃないよ……! 人間離れしてるよぉ!」
「陸上部入らない? 絶対、伝説になるよぉ!」

 ジャパニーズ・女子たちに囲まれ、きゃっきゃともてはやされた私はふわふわと浮かれた気持ちだった。
 どこからかブヒブヒと低い声がした。道路を挟んだところにある第二グラウンドにいた男子たちがフェンスを掴んでこちらをみていた。私の名前を叫んでいる。

「やだ、エルデさんのこと、見てる……」
「気持ち悪い……。大丈夫? エルデさん」

 ただの豚の塊だ。問題ない。
 それより、皇の姿がないのが気になった。

「少し休憩してきます」と言ってその場から離脱する。
 女子の目も男子の目もない、第二グラウンドに渡る横断歩道に近づく。
 そこに、皇がいた。

「キルコさん」

 近づいていくと、皇が、私のほおに冷たいものをぴたりとあてた。

「あっ、すみません。当てるつもりはなかったのですが。
 これ、麦茶です。キルコさん、すごく動いていたのに、飲み物を持っていなかったので、よければ。水分補給に適した日本のお茶です。今日は昨日より気温が3度高いですし、第一グラウンドは日光が当たりやすいので、体温が上昇しやすいんです。よければタオルも冷やして使ってください。僕は使っていないので」

「球技をしていたのでは?」

「サッカーの予定だったのですが、みんな女子の方を見入ってしまって、先生が何を言っても動かないので取りやめになったんです。
 普段はこんなことはないのですが」

 自分の美しさで、皇を殺す機会を一つ減らしてしまうとは……。
 せっかくメガネを没収しているのだから、今日中に何か一つは仕掛けたいものだが……。
 
 「活躍、すごかったです。桜に飛び込みたいと言っていたのは、ご自身の運動能力を加味して、怪我をしないと考えていたからだったのですね。運動能力の有無について盲点だったと気付き反省しました。
 引き続き、頑張ってください」

 ペコリときれいな礼をして、皇が背を向ける。

「――待ってください」

 慌てて、皇の腰もとを摘んだ。

「日陰に、連れて行ってください」

***

「ここなら、5度は低いと思います」

 案内されたのは、校舎の下だった。屋根のおかげか、たしかに5度は低いかもしれなかった。コンクリートの床もひんやりしていて気持ちいい。
 座って、「どうぞ」と隣をすすめる。
 皇は少しもじもじとしたが、人一人分あけた隣に腰掛けた。
 もらった麦茶を喉に流す。香ばしさがふわりと鼻から抜ける。

「美味しい」

「お口にあってよかったです。本当は、一番お勧めしたいのは緑茶なのですが、カフェインが入っている上に利尿作用があるので、水分補給には向いていないんです。なので、よければ後日、お渡ししてもいいですか? 昨日の、お礼に」

「お礼? なんのですか?」

「放課後のお礼です。僕に興味を持っていただいたみたいですし、お話も、ゲームも楽しかったですし、顔も褒めていただいて」

 なんで茶が好きかと聞いたかと思ったら、そういうことか。
 資料に、皇の家は大手飲料メーカーだと書いてあった。自分の家の製品を礼品として渡そうと考えたのだろう。
 このペットボトルには、なぜかラベルが貼られていないが。
 
 ……茶…………。
 
 閃いた。
 この茶の中に、毒を混ぜるのだ。
 東洋の死神が仕掛けた毒が回避された理由がわかるかもしれない。
 私は念じ、麦茶に毒を混ぜ込んだ。そして、皇に差し出した。

「おいしかったです。皇さんも、喉、乾いたでしょう。飲んでください」

「いえ、僕は、向こうに自分の水筒があるので……」

「これは、私のお礼です。受け取ってくれないのですか?」

 皇は俯き、しばし考えていたが、おそるおそるといった様子で受け取った。
 ペットボトルの中を、じっと見る。
 ……なんだ。警戒して確かめているのか?
 色も匂いも変化はないはず。怪しまれる要素はないはずだ。
 さあ、飲め。毒に気づくなら、その理由を見せてみろ。
 皇は、白いペットボトルの口に、薄い唇を近づけた。

 ――が。
 片手で額と前髪の生え際を握り、ハァ……と深いため息を吐き、うなだれた。
 そして、前髪をかきあげ、顕になった美しい顔を私に見せた。
 頬と耳が、赤らんでいる。
 萌え…………っ!!
 美しい顔が羞恥で赤くほてってくしゃりと歪み、日本酒のような甘美な色気が漏れ出して……っ!
 そんな、まさか……! かっこよく美しく可愛らしいだけでなく、色気まで出せるなんて――!!
 それにしても、ななななな、なんで!? なんで急に……!?
 皇の目が、私を捕えた。ドキリと心臓が鳴り、体が凍り付く。
 
「キルコさんは、大丈夫、ですか……?
 僕が飲んでしまうと、間接的に、唇が接触する状況になりますが……」

 …………そっ。

 それって……!

 か、か、間接キス――――――ッ!!
 
 こんな顔のいいうぶな男が、わ、わ、私の唇が触れたところに口をつける……!?
 唇が……皇の、くくく、唇が……!
 ああっ! その下に輝くほくろが、えっちに見える……!

 ………………くっ! だめだ!
 心臓が、持たない…………っ!!!!

「――や、やっぱり、ダメッ!!」

 ペットボトルを奪い返し、勢いで、ひりひりする喉に流し込む。舌に、痺れが走った。しまった。毒を飲ませるつもりだったのが、すっかり飛んでしまっていた。私は神だから効かないが……。
 ――くっ。この顔を前にしたら、何もできなくなる……っ!
 でも、拝んでいたい……。
 ちら、と見ると、皇の前髪は上がったままで、はっきりと顔が見えていた。安心したような、しかし残念そうなような、複雑な美しい顔をしていた。

「そういえば、どうして僕のメガネを没収したんですか」

「顔が見たいと思ったからです」

「見たいと思ってくださるなら、見えるようにします」

「そうしてください!」

 叫んで、はっとした。まずい。この美しい顔を見ているせいでこいつを殺せないのに、ずっと見えるようになってしまったら、一切手が出せなくなってしまう!!

「いえ、やっぱり……」

 でも……見たい。これだけ美しい好みの顔を見られないままなのは生殺しというものだ。

 ――そうだ。

「こういうのはどうでしょう。私がお願いした時に、メガネを取って、前髪を上げて、顔を見せてください。授業中にノートを見せるので、その時に」

 そうすれば、退屈な授業の暇つぶしもできるし、萌えのコントロールもできる。さすが私。さすがは神だ。

「授業中だと、先生に失礼では」

「黒板の方を向くタイミングですれば気付かれません」
 
「そうでしょうか。では、僕の方が席が前なので、僕が確認したタイミングに限りますが、大丈夫ですか」

「ええ。今日くらい確認してもらえれば十分です」

「今日は、僕の度が入ったメガネをかけて体調を悪くしていないか、心配で。すみません、何度も見てしまって。
 では、それでいいのですが、僕もお願いがあります。
 昨日の続きを……質問をさせていただける機会を、またつくってもらえませんか。色々考えてしまって、質問事項が30個になってしまって」

 昨日27だったのに? 3つ答えたから減るはずのところが、なぜ増えた? 逆に気になる。

「たとえば、僕がキルコさんの要求に応えた数だけ、その日に質問をさせてもらう、というのはどうでしょうか。時間は、昼休み。昼食をとりながら。場所は屋上で。あ、学食を使っていればそちらでも」

 なるほど、それなら毎日皇と接触する機会が確保されるし、悪くない提案だ。

「わかりました」

「では、それでお願いします」

 皇は、礼儀正しくペコリと頭を下げた。
 顔を上げた皇の額に、ふた束の前髪が降りてきていた。
 皇は、私をまっすぐに見て、ふわりと微笑んだ。

「では、僕のこと、見ていてくださいね」

 心臓がどきりと鳴る。
 動かない私の顔からメガネをすっと取って、皇は、自分の耳にかけた。
 
 メガネをかけても美しい顔の輝きは褪せることがなく、私はまた、このままずっと、見ていたいと思ってしまった――。
Twitter