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今日は、学校がない。
ゆえに、私の仕事も休みである!
今日は、念願の推し活day!
今日はJKでいる必要がない。この姿のまま、人間に見えるようにして行くことにしよう。
リン、と電話が鳴る。休みの日に仕事の電話など受けてたまるか。指を鳴らして留守電に切り替える。
鍵を差し込み、扉を開けて、念願の地に降り立った。
――ここが、ジャパニーズ・アキバハラ……!
ジャパニーズ・萌えの結集する街! 家電臭と2-Aのブタどもに似た脂臭さがコンクリートの匂いに混ざりむっとこみあがる。だが、いつものような不快感はない。
なぜなら、「ひおさんぽ」で緋王様が訪れた地だから!
緋王様はアキバハラの日本文化として、日本の先進的な家電やメイド喫茶を紹介していた。また、この地にも美味しい寿司屋があると紹介していた。
今日はここをメインで巡ろう。
だが、緋王様に会えるチャンスがあるなら、そちらの方を優先したい。
私は、電信柱にいるカラスたちに人差し指を向けた。
「この地で最も位の高いカラスを呼びなさい」
カラスたちは一斉に飛び立った。しばらくして一羽のカラスが私の向かいのコンクリート塀に止まった。
「権平と申します。ようこそ日本にお越しくださいました。西洋の死女神、キル・リ・エルデ様」
「日本各地のカラスたちに伝令し、今日中に、緋王という名の男性の居場所を突き止め、私に伝えに来なさい」
「承知いたしました」
権平はバサバサと音を立てて飛び立っていった。
これで連絡が来るまではアキバハラ巡り、連絡が来た後は生緋王様拝みができる!
帰り際には日本酒をしこたま調達して帰ろう。もう何日も日本酒を買い損ねている。今日こそ、必ず!
さあ、早速緋王様が行ったメイド喫茶に行って……。
「キルコさん?」
……聞き覚えのある声に、そっと目だけを後ろによこす。
――皇 秀英。
なぜ。
なぜここに――も、そうだし、今日は死神の姿とほぼ同じ。JK姿の私とは違って、背丈が高く、グラマラス。顔立ちも大人びている! なぜこの状態の私の後ろ姿で、私だと分かった!?
ともかく、このまま近づいてこられて顔を見られてはまずい気がする。別人だったと踵を返す可能性が激しく乏しい予感がする。
逃げるか? いや、間に合わない。こちらに近づいてくる。まずい――!
私は、私と皇の間に1人が通った隙に、JKの背丈と顔立ちに変えた。
「こんにちは」
皇の目線が少し下がった。メガネと前髪越しに、「おかしいな」という表情をしているのがわかる。
靴を20センチ分の厚底ヒールに変えたが、もとの私は176センチ。さっきはそれにヒールを履いていたからもう少し高かったはず。普段JK姿のときは約158センチに擬態しているので、若干の差が出てしまった。
数字にうるさい男だから気にしていそうだが、ここはとっとと撒いて逃げるのが正解だろう。
「こんにちは、キルコさん。奇遇ですね。お出かけですか?」
「いえ、友人と一緒です」
「ご友人はまだですか」
「はい。でも、もうすぐくると思います。なので、また学校で……」
「それなら、僕も一緒に待ちます」
なぜ。
「用事があるのではないですか? 早く行ったほうが」
「いえ、僕はパソコンのメモリを足そうと思って、その買い物に来ただけなので。それより、キルコさんをここで1人にさせるのは危ないので」
「危ない?」
「周りが注目しているので」
ちら、と周りを見ると、たしかにこちらを見ながら歩いている豚どもがいた。
上から下まで黒色の、シアー生地のトップスとミニスカートという簡単な格好な上、神力をコントロールし、美しさを抑えているはずなのだが。
まあ、どんなに美しさを抑えても人間たちには刺激が強いのだろう。神々しい美しさに声をかけることもできなかろうが。
「大丈夫ですよ」
「いえ、何かあったら僕が嫌なので。ご友人が来たら、すぐに帰りますから」
何度いいと断っても、皇は断固として居座った。
まずい。このままでは、動けないではないか。
……こうなったら、適当なことを言って撒こう。
「そういえば約束、今日じゃなくて、明日でした。うっかり間違えて来てしまいました。ということで、帰ります。さようなら」
「待ってください。それなら、僕と行きませんか」
……え?
「僕はこの街は来慣れているので、キルコさんが明日行く場所とは違うところで、行きたいところがあれば案内します。僕の用事はいつでもいいことですし」
案内と言われて、そういえば、私が行きたいメイド喫茶がどこにあるか、いまひとつわからないことに気づいた。頼みの綱のカラスたちは緋王様を捜索させていてどこにもいない。
……案内役をさせるか。身長の話は触れられないようにうまく濁しながら……。
「では、お言葉に甘えて。『メイド喫茶みぃみぃ』というところに行きたいのですが、案内をお願いしてもいいですか」
皇は「みぃみぃ……」と呟いて、黒いスマホにささっと何かを入力すると、「こっちです」と右を指差した。
「……あの、よかったら。
足元、心配なので」
手が差し伸べられていた。手がきれいできゅんとする。
が、メガネと前髪で顔が隠れた状態では萌えはしない。
前髪が上がり、メガネがとれている状態で、わずかな微笑みを浮かべ、手を差し伸べてくれていたら、百点満点爆発的な萌えだったのに!!
「大丈夫です、慣れていますから」
さっぱりと丁重に断ると、皇は、「あ……」とゆっくり手を引っ込めた。
歩きながら、少し後ろに下がり、運命写真を撮った。
せっかくの休みだ。仕事のことは忘れたいところだが、チャンスがあるのなら、棒に振りたくはない。
浮かび上がるのを待っていると、皇が覗き込んできた。
「僕の写真ですか?」
運命写真は普通の人間には写真だけしか見えない。浮かび上がっている文字が見えるのは死神だけだ。
「記念に撮らせてもらいました」
「記念……」
丁度、ロリータ服の可愛い日本人少女たちが、右側にあった店から出てきた。
手にある何かを見ながらきゃいきゃいと歩いてくる。
皇が、ぴたりと足を止めた。
「記念なら、ここで、2人で撮りませんか?」
ガチャガチャと激しい音が、ガラス扉の向こうから聞こえてくる。
一歩中に入って、はっとした。
ここは――ジャパニーズ・ゲーセン……!
UFOキャッチャー、太鼓のメイジン、パリオカート、メダルゲームなど、さまざまなゲームができる夢の世界! 「ひおさんぽ」で取り上げられたことはないが、別の動画で見たことがあった。このガチャガチャした独特な日本文化感、たまらない……!
「はっ! ネコマタスケ!!」
ジャパニーズ・アニメ「ネコマタスケ」は、60年続く日本を代表するアニメ。妖怪のネコマタスケが飼い主のシィちゃんを妖怪の世界にとじこめ、まったりと、時々狂気的に過ごす物語だ。このほのぼのした細目の顔と三角形の口、白くてぷにぷにしたほっぺが可愛らしいのだ。そのネコマタスケの大きな人形がUFOキャッチャーの機械の中に5匹ほど閉じ込められている。
「取りましょうか?」
「取れるのですか!?」
「取れると思います」
皇はコインを入れ、ボタンを押した。上からぶら下がっていた鉄製の手――たしかアームとか言っただろうか――が、ウィンウィンと人形の方に前進する。ぴたりと止まったと思うと、今度は右にウィンウィンと動き、人形の真上でまた止まった。
アームが降りる。ネコマタスケの大きな顔を可愛そうなほどぎゅむっと掴む。
アームが上がる。だが、ネコマタスケの大きな体は、アームからずるりとこぼれ落ちてしまった。
皇は、UFOキャッチャーのガラスにべたりと手をつけ覗き込んだ。ぶつぶつと、「アームの強度はおそらく……角度は……人形の首の重さが大体……」と呟いている。おそらく、お得意の計算をしているのだろう。
「わかりました。次は取れます」
皇がコインを入れる。アームが前進し、ぴたりと止まる。右にいって、また止まる。
「人形と離れたところに……」
「大丈夫です」
アームが降りる。アームが閉じる。
何も掴まないまま上がる――かと思いきや、アームは、ネコマタスケについていたタグを引っ掛けていた。タグに引っ張られ、ネコマタスケがグイグイ上がる。そして、穴の中にぽろっと落ちた。
皇は、取り出し口から、ぬるっとネコマタスケを引っ張り出し、私に渡した。抱きしめなければならないほど大きなネコマタスケは柔らかく、触り心地もふわふわだった。今日から抱き枕にしよう。
私も挑戦したのだが、皇のようにうまくはいかなかった。どうやら、アームが弱いらしい。
人間風情が私を欺こうなどと。小賢しい。
2度目の挑戦で、私はアームの強度を最高になるよう念じた。ネコマタスケの顔が、ぎゅむっと可愛そうなほど潰される。だが、そのまま穴の中に転がり落ちてきた。
「強度が違う……? ランダムだったのかな……」
ネコマタスケの顔にくっきりとついたアームの跡を見ながら、皇が呟いた。
UFOキャッチャーで無双したい気持ちはあったが、たいして欲しいものがなかったので、皇がここに入った理由の場所へ向かった。
それは、ジャパニーズ・プリクラであった!
平成からジャパニーズ・ギャルたちが夢中になっている写真機! ジャパニーズ・女子は遊ぶ時は必ずこれで友人と一緒に撮るのだという。最近は補正機能が凄まじく、撮れば皆女神のように美しく映るのだとか。元々女神である私はどうなってしまうのか、少し楽しみである。
機械はたくさん並んでいたがどこも埋まっていた。ジャパニーズ・アキバ女子が実際にプリクラで遊んでいる姿を見られて、私は少し感動した。
ちょうど女子たちが出てきた機械の中に入った。
黄緑色の背景の小さな個室。皇はコインを入れて、操作画面に触れた。
皇は、『友達とカップル、どっち?』『何人でとる?』などの可愛い声に、画面を触って答えていた。
個室の外の女子が、「めっちゃ盛れたじゃん〜」と笑い合いながら、手にある何か――おそらくプリクラの成果物を見合っているらしき手元が見えた。
そうだ。プリクラは写真。最後は、撮った写真を持ち帰ることができる。ならば……皇の顔を見える状態にすれば、家でも好きなタイミングで皇の顔を見られるのでは!?
私は、なにやらぴこぴこと音を鳴らしながら操作画面を触っている皇に、「メガネをはずして、前髪をあげてください」と命令した。
皇が「あ、はい」とメガネをはずしてしているうちに、『撮影するよ!』という可愛らしい声が聞こえてきた。
『一枚目! ギャルピして!』
「ギャルピ!?」
「多分、下の写真を真似て……」
カシャ!
容赦なくシャッター音が響いた。『こんな感じだよ!』という声がして、慌てふためく私の顔と、前髪を垂らしたまま画面に指をさす皇が画面に映し出された。背景は黄緑ではなく、紫色に変わっていた。
なるほど、指示に従い、表示された写真の通りのポーズをとっていけばいいということか。
ほとんど間なく、『2枚目行くよ!』と声がした。
「前髪!」
「あっ、はい」
『ルダハートして!』
ルダ? なんだかしらんが、ほおに片手でつくったハートの形の片割れをつけるのか!
カシャッ!
あ~~~~顔きれい~~~~! 顔、すきぃ~~~~!
『3枚目、行くよ!』
は、はやいっ!
息つく暇もないほど早く、4枚目、5枚目、6枚目と撮っていき、全部で10枚撮って終わった。
『撮影、終了〜!』と言われ、私はぜいぜいと息を切らせていた。皇も同じだった。あんなに高速で指定されたポーズや表情を作るなんて、なんて大変な遊びだ……。ジャパニーズ・女子の強さを思い知った。
これで終わりかと思いきや、「落書き」をしなければならないらしかった。10枚のうち6枚を選んで、ペンやスタンプで装飾することになった。
「何を書けば……」
「僕もはじめてなのでよくわかりません。記念ですので、日付を入れておきましょう」
他に思いつかないので、皇が6枚全てに日付を書き込んで終わった。私は6枚の皇の顔をゆっくり眺めていて、それどころではなかった。
かなり補正されてしまい目鼻顎の比率がおかしいことになってはいるが、皇の顔だ。たどたどしい微笑とぎごちないポーズが、可愛くて萌える……。顎の下でハートを作ったやつと、指ハートが特にいい。ファンサ感がある。萌え……。
機械の外に出てしばらく待つと、直径20センチほどの細長い写真がことりと落ちてきた。細長い中に6枚が凝縮されているので、一つ一つの写真が小さい。引き延ばしてポスターにして壁に貼りたい……。
……って、何を考えているんだ私は!
ポスターを壁に貼る……それではまるで推し活ではないか!
私の部屋の壁は、推し――つまり、緋王様のためのもの。
萌えるからといって、大切な推しの聖域を侵すなど、断じてしてはならない……!
他のゲームも気になったが、「じゃあ、行きましょうか、メイド喫茶へ」と言われ、本来の目的を思い出した。
そうだ。今日はひおさんぽの聖地巡礼のために来ていたのだ。
ゲーセンを出て、皇の道案内についていく。
ついたのは、ビルの一階だった。ステンドグラスのガラスが嵌め込まれた扉の上に「メイド喫茶みぃみぃ」の看板がどんと貼られている。ここだ。
扉を開くと……。
「おかえりなさいませ、お嬢様、ご主人様〜!」
可愛いメイドちゃんたちがお決まりのセリフをいって迎えてくれた。可愛い! これが、元祖ジャパニーズ・萌え!!
このメイド喫茶のポイントは、メイド服が少し和風であるところだ。袖のところが着物風になっている。内装も大正時代のカフェをモチーフにしているらしく、黒と赤でレトロな雰囲気に統一されていてシックである。
和風イズロマン!
ツインテールのメイドちゃんに接待されて、緋王様が頼んでいたジンジャーエールとオムライスを頼んだ。
向かいに座る皇は、メガネと前髪ですっかり美しい顔が隠れてしまっていた。歩いている最中に直してしまったのである。
「さっきみたいに、顔、みせてください」
「いいのですが、昨日の約束は今日も有効ですか?」
約束。私の要求で顔を見せた回数だけ、皇の質問に答えるというものだ。
「いいですよ」
「わかりました。では、二つ質問させてもらいます」
そう言って、皇はメガネをとった。前髪を少し掻き、右に流す。
……う。好き……。完璧すぎる……。こんなに好みの顔が目の前にいていいのだろうか……。
向かいに座ってよかった。私は、穴が開くほどじっと見つめた。
皇も、真っ直ぐに私を見つめ返してきた。
質問は、「以前はどこに住んでいたのか」と、「日本文化のどういったところが好きか」だった。
以前住んでいたところについてはフランスと答えておいた。
日本文化の魅力をつらつらと語っていると、メイドちゃんがやってきた。
「お待たせいたしましたぁ!」
皇の顔を見て、一瞬、驚いたような顔になった。
わかる。すごい変貌ぶりだし、とんでもなく美しいし、そうなる気持ち、わかる。
しかしメイドちゃんはプロだった。
取り乱すことなく、ことん、と私たちの目の前にまっさらなオムライスを置いてくれた。
「それではぁ〜! 萌え萌えの魔法をかけちゃいますっ! 行きますよ〜! 萌え萌え、きゅ〜ん!」
掛け声と共に、メイドちゃんがオムライスの上に「萌え」とハートマークをケチャップで描いた。
本当に、魔法のように上手い!
「きゅんきゅんパワーですっ! 美味しく召し上がれ〜!」
メイドちゃんはハートの形の手を私に向けてくれた。萌え!
同じように皇のオムライスにもアートが描かれる。皇はケチャップのチューブ口とオムライスとを眺めていた。
メイドちゃんが去ると、「ケチャップの濃度と質量、空気抵抗を考えるとあれが適切な高さでした。計算し尽くされていますね」と呟いた。
顔が見えているからだろうか。非常に知的に見えて、萌えてしまった……。
理屈っぽい男――すなわち理系の男はあまり好みではないと思っていたのに。皇の顔に惹かれてから、白衣にも、理系的な考え方にも、つい萌えを感じてしまう。
「一緒に食事をするのは、はじめてですね」
皇が微笑を浮かべて言った。
たしかに。飲食全てがはじめてだ。この前は私が麦茶を飲んだだけだったし。
はっ。あの時毒を盛ったが、私が萌えてしまったために失敗したのだ。
皇の食事に毒を混ぜれば、皇が毒を回避した理由を知ることができる――あわよくば魂を狩れるのでは?
私は、皇から目を逸らした。
チャンスは、いかさねば。たとえ皇が死に、この顔が二度と見れなくなろうと、私にはもう、プリクラがある!
いざ、本物の皇を手にかける!
ことん、と私の前にジンジャエールが置かれた。皇の前には、緑茶が置かれた。私は皇から目を逸らしたまま、毒が皇の食べ物たちに混ざるように念じた。
私は、スプーンを持った。皇も、スプーンを持って、オムライスに差し込んだ。
私も、オムライスにスプーンを入れようとした、その時。
皇の左手が、私のスプーンを持つ手を握った。
「待ってください。ライスに若干粘り気があります。おそらく、食中毒の類かと」
――めざとい……。
そのあとは皇がさっさと店員に報告し、お代はいらないからと見送られる形となった。
「よくわかりましたね」
「小さい頃から色々な薬品をつかったり、飲食物で実験をしているので、匂いと質感には敏感で。よかったです、早めに気づいて」
なるほど。だとすると毒は完全に、こいつには無効か……。
まあ、その情報がわかったから今日はよしとしよう。
「他に行きたい場所やお店はありますか。食べたいものでも」
他……。
あ。
「お寿司。お寿司のテッペンに行きたいです」
緋王様がアキバハラ巡りの最後に行き着いていたお店である。
美味しいお寿司を食べながら、日本酒をクイっと飲んでいて、強く日本に憧れたのだ。
……が、テッペンは夜限定の店だったらしく、開いていなかった。無念……。
「お寿司なら、少し歩いたところに、もう一件あります。行ってみましょう」
案内された店は、テッペンよりかなり階級の低い大衆向けの店のようだった。
席数があったためにすんなり座れた。
目の前で動いているものに、ハッとした。
これは……。
ジャパニーズ・回転寿司!
レールの上に乗った寿司たちがくるくると動き回るのをぱっととって食べるタイプの寿司屋だ。ひおさんぽとは違う動画で見たことがある。
さっそく、赤い魚の寿司が乗った皿が流れてきた。
寿司の代表格、ジャパニーズ・マグロ!
私は身を乗り出して、急いで皿を取った。やった……! 記念すべき一枚目の皿!
たしか、これを醤油につけて……。
「いただきます」
ひとくちで頬張ると、舌の上が魚の旨味で満ち満ちた。赤身らしいちょっとした血肉っぽさとわずかなお酢の風味が鼻から抜ける。おいしい!
私は、気になったものを次から次へと手に取った。甘エビ、いくら、ねぎとろ、はまち、いか、たこ、蒸しエビ、ウニ……。
2皿ずつ食べたところで、満足感が溢れた。酒を飲みたいと思っていたのに、なくても全然いけるじゃないか。流れていく寿司たちを見ていたら、もう一度マグロを食べたいかも、と思えてきた。
「……胃下垂ですか?」
隣の皇の皿を見ると、10枚ほど――すなわち、私の3分の1ほどしか皿が重なっていなかった。私は神だから、人間のようにお腹がいっぱいになるなどということはないのだ。
それより私が気になったのは、皇の顔だった。また前髪とメガネが戻ってしまっている!
「顔、出してください」
さっとメガネを没収し、私の頭にかけた。
「では、もう一つ質問していいですか?」
皇が前髪をかき上げて、私をみた。……きゅん。
マグロを取ろうとしていた手が、つい止まってしまった。
「明日会う予定のご友人のことなのですが……。
……男性、ですか」
ん?
あぁ。そういえば、最初にそんな嘘をついていたんだった。
真実は、どこにもなかった。皇の美しい顔は、険しかった。私の目を見て、答えをじっと待っている。
くっ、顔がいい! そのせいで思考がいまいち固まらない。どう答えたらいいのだろう。
ああもう! どう答えてもいいだろう。
「男性だったら、どうなのですか?」
皇の唇がかすかに震えた。
「……僕は……」
「すみませぇん! お席、お時間です!」
そういえば、2時間制と言っていたか。
まだ食べたかったが、やむを得ない。
外に出ると、カラスの権平が後ろから話しかけてきた。
「キル・リ・エルデ様。遅くなりまして申し訳ありません。男は現在、北海道のすすきのにいるとのことです」
男――。あっ! 緋王様!!
「キルコさん、次は……」
「今日はもう時間が……!」
「わかりました」
***
大きなネコマタスケのぬいぐるみが二つあるので車で送ると言われたが、適当に「もう迎えが来ているから」と断った。駅の車の停車場につき、「ここまでで大丈夫です」とネコマタスケのぬいぐるみを受け取り、抱きしめた。一旦部屋にこいつらを置いてから、緋王様のところへ行こう。
そう考えていた時、皇が、自分の着ていたカーディガンで、私の肩を包んだ。
「これから寒くなるので、着て帰ってください」
そう言いながら、皇は、カーディガンから手を離さなかった。
「すみません。さっきの、キルコさんの質問の答え……明日キルコさんと会う人が、男性だったら……。
僕は…………。
キルコさんが、その男性のところに行けないようにします」
本気の、顔――。
――――うっ…………! 萌える…………っ!
それに、またも発言が萌えすぎる……! 本当に、一体どこからこんなキュンワードが湧いてくるんだ!?
ダメすぎる。この男、萌えの権化すぎる!
というか、他の男のところに行けないようにするって……!?
な、何をするつもりだ!?
皇のカーディガンを握る手に力がこもる。わずかにぎゅっと、締め付けられる。まっすぐな見つめてくる皇の眼差しが私の瞳の奥を焦がす。
これは…………。
行かないと約束するまで、このいい顔で見つめてくる気だ……!
萌えの拷問! だんだん、心臓のバクバクが激しくなってきた……!
無理! 無理無理無理!
心臓が、持たない!!!!
「………………いっ…………!
……行き、ませんっ!」
皇が、はっと目を見開いた。
カーディガンを握っていた手が離れた。
私は、急いで踵を返し、走った。走って、走って、皇から遠く離れた黒いタクシーの後ろに回って、自室へとワープした。
荒れ放題の床の上に、私は、へたりこんだ。
――萌えが、すぎる……!
完全に、屈服してしまった……。
ネコマタスケをぎゅうっと抱きしめ、顔を埋める。
頭にかけていた皇のメガネが、ずるりと落ちてきた。
背中を包む皇の体温が気持ちよくて、ほんのり香る皇の香りに胸がギュッとする。
バクバク鳴り続ける胸が苦しくて、お腹がいっぱいで……。
私はもう、動けなかった。
ゆえに、私の仕事も休みである!
今日は、念願の推し活day!
今日はJKでいる必要がない。この姿のまま、人間に見えるようにして行くことにしよう。
リン、と電話が鳴る。休みの日に仕事の電話など受けてたまるか。指を鳴らして留守電に切り替える。
鍵を差し込み、扉を開けて、念願の地に降り立った。
――ここが、ジャパニーズ・アキバハラ……!
ジャパニーズ・萌えの結集する街! 家電臭と2-Aのブタどもに似た脂臭さがコンクリートの匂いに混ざりむっとこみあがる。だが、いつものような不快感はない。
なぜなら、「ひおさんぽ」で緋王様が訪れた地だから!
緋王様はアキバハラの日本文化として、日本の先進的な家電やメイド喫茶を紹介していた。また、この地にも美味しい寿司屋があると紹介していた。
今日はここをメインで巡ろう。
だが、緋王様に会えるチャンスがあるなら、そちらの方を優先したい。
私は、電信柱にいるカラスたちに人差し指を向けた。
「この地で最も位の高いカラスを呼びなさい」
カラスたちは一斉に飛び立った。しばらくして一羽のカラスが私の向かいのコンクリート塀に止まった。
「権平と申します。ようこそ日本にお越しくださいました。西洋の死女神、キル・リ・エルデ様」
「日本各地のカラスたちに伝令し、今日中に、緋王という名の男性の居場所を突き止め、私に伝えに来なさい」
「承知いたしました」
権平はバサバサと音を立てて飛び立っていった。
これで連絡が来るまではアキバハラ巡り、連絡が来た後は生緋王様拝みができる!
帰り際には日本酒をしこたま調達して帰ろう。もう何日も日本酒を買い損ねている。今日こそ、必ず!
さあ、早速緋王様が行ったメイド喫茶に行って……。
「キルコさん?」
……聞き覚えのある声に、そっと目だけを後ろによこす。
――皇 秀英。
なぜ。
なぜここに――も、そうだし、今日は死神の姿とほぼ同じ。JK姿の私とは違って、背丈が高く、グラマラス。顔立ちも大人びている! なぜこの状態の私の後ろ姿で、私だと分かった!?
ともかく、このまま近づいてこられて顔を見られてはまずい気がする。別人だったと踵を返す可能性が激しく乏しい予感がする。
逃げるか? いや、間に合わない。こちらに近づいてくる。まずい――!
私は、私と皇の間に1人が通った隙に、JKの背丈と顔立ちに変えた。
「こんにちは」
皇の目線が少し下がった。メガネと前髪越しに、「おかしいな」という表情をしているのがわかる。
靴を20センチ分の厚底ヒールに変えたが、もとの私は176センチ。さっきはそれにヒールを履いていたからもう少し高かったはず。普段JK姿のときは約158センチに擬態しているので、若干の差が出てしまった。
数字にうるさい男だから気にしていそうだが、ここはとっとと撒いて逃げるのが正解だろう。
「こんにちは、キルコさん。奇遇ですね。お出かけですか?」
「いえ、友人と一緒です」
「ご友人はまだですか」
「はい。でも、もうすぐくると思います。なので、また学校で……」
「それなら、僕も一緒に待ちます」
なぜ。
「用事があるのではないですか? 早く行ったほうが」
「いえ、僕はパソコンのメモリを足そうと思って、その買い物に来ただけなので。それより、キルコさんをここで1人にさせるのは危ないので」
「危ない?」
「周りが注目しているので」
ちら、と周りを見ると、たしかにこちらを見ながら歩いている豚どもがいた。
上から下まで黒色の、シアー生地のトップスとミニスカートという簡単な格好な上、神力をコントロールし、美しさを抑えているはずなのだが。
まあ、どんなに美しさを抑えても人間たちには刺激が強いのだろう。神々しい美しさに声をかけることもできなかろうが。
「大丈夫ですよ」
「いえ、何かあったら僕が嫌なので。ご友人が来たら、すぐに帰りますから」
何度いいと断っても、皇は断固として居座った。
まずい。このままでは、動けないではないか。
……こうなったら、適当なことを言って撒こう。
「そういえば約束、今日じゃなくて、明日でした。うっかり間違えて来てしまいました。ということで、帰ります。さようなら」
「待ってください。それなら、僕と行きませんか」
……え?
「僕はこの街は来慣れているので、キルコさんが明日行く場所とは違うところで、行きたいところがあれば案内します。僕の用事はいつでもいいことですし」
案内と言われて、そういえば、私が行きたいメイド喫茶がどこにあるか、いまひとつわからないことに気づいた。頼みの綱のカラスたちは緋王様を捜索させていてどこにもいない。
……案内役をさせるか。身長の話は触れられないようにうまく濁しながら……。
「では、お言葉に甘えて。『メイド喫茶みぃみぃ』というところに行きたいのですが、案内をお願いしてもいいですか」
皇は「みぃみぃ……」と呟いて、黒いスマホにささっと何かを入力すると、「こっちです」と右を指差した。
「……あの、よかったら。
足元、心配なので」
手が差し伸べられていた。手がきれいできゅんとする。
が、メガネと前髪で顔が隠れた状態では萌えはしない。
前髪が上がり、メガネがとれている状態で、わずかな微笑みを浮かべ、手を差し伸べてくれていたら、百点満点爆発的な萌えだったのに!!
「大丈夫です、慣れていますから」
さっぱりと丁重に断ると、皇は、「あ……」とゆっくり手を引っ込めた。
歩きながら、少し後ろに下がり、運命写真を撮った。
せっかくの休みだ。仕事のことは忘れたいところだが、チャンスがあるのなら、棒に振りたくはない。
浮かび上がるのを待っていると、皇が覗き込んできた。
「僕の写真ですか?」
運命写真は普通の人間には写真だけしか見えない。浮かび上がっている文字が見えるのは死神だけだ。
「記念に撮らせてもらいました」
「記念……」
丁度、ロリータ服の可愛い日本人少女たちが、右側にあった店から出てきた。
手にある何かを見ながらきゃいきゃいと歩いてくる。
皇が、ぴたりと足を止めた。
「記念なら、ここで、2人で撮りませんか?」
ガチャガチャと激しい音が、ガラス扉の向こうから聞こえてくる。
一歩中に入って、はっとした。
ここは――ジャパニーズ・ゲーセン……!
UFOキャッチャー、太鼓のメイジン、パリオカート、メダルゲームなど、さまざまなゲームができる夢の世界! 「ひおさんぽ」で取り上げられたことはないが、別の動画で見たことがあった。このガチャガチャした独特な日本文化感、たまらない……!
「はっ! ネコマタスケ!!」
ジャパニーズ・アニメ「ネコマタスケ」は、60年続く日本を代表するアニメ。妖怪のネコマタスケが飼い主のシィちゃんを妖怪の世界にとじこめ、まったりと、時々狂気的に過ごす物語だ。このほのぼのした細目の顔と三角形の口、白くてぷにぷにしたほっぺが可愛らしいのだ。そのネコマタスケの大きな人形がUFOキャッチャーの機械の中に5匹ほど閉じ込められている。
「取りましょうか?」
「取れるのですか!?」
「取れると思います」
皇はコインを入れ、ボタンを押した。上からぶら下がっていた鉄製の手――たしかアームとか言っただろうか――が、ウィンウィンと人形の方に前進する。ぴたりと止まったと思うと、今度は右にウィンウィンと動き、人形の真上でまた止まった。
アームが降りる。ネコマタスケの大きな顔を可愛そうなほどぎゅむっと掴む。
アームが上がる。だが、ネコマタスケの大きな体は、アームからずるりとこぼれ落ちてしまった。
皇は、UFOキャッチャーのガラスにべたりと手をつけ覗き込んだ。ぶつぶつと、「アームの強度はおそらく……角度は……人形の首の重さが大体……」と呟いている。おそらく、お得意の計算をしているのだろう。
「わかりました。次は取れます」
皇がコインを入れる。アームが前進し、ぴたりと止まる。右にいって、また止まる。
「人形と離れたところに……」
「大丈夫です」
アームが降りる。アームが閉じる。
何も掴まないまま上がる――かと思いきや、アームは、ネコマタスケについていたタグを引っ掛けていた。タグに引っ張られ、ネコマタスケがグイグイ上がる。そして、穴の中にぽろっと落ちた。
皇は、取り出し口から、ぬるっとネコマタスケを引っ張り出し、私に渡した。抱きしめなければならないほど大きなネコマタスケは柔らかく、触り心地もふわふわだった。今日から抱き枕にしよう。
私も挑戦したのだが、皇のようにうまくはいかなかった。どうやら、アームが弱いらしい。
人間風情が私を欺こうなどと。小賢しい。
2度目の挑戦で、私はアームの強度を最高になるよう念じた。ネコマタスケの顔が、ぎゅむっと可愛そうなほど潰される。だが、そのまま穴の中に転がり落ちてきた。
「強度が違う……? ランダムだったのかな……」
ネコマタスケの顔にくっきりとついたアームの跡を見ながら、皇が呟いた。
UFOキャッチャーで無双したい気持ちはあったが、たいして欲しいものがなかったので、皇がここに入った理由の場所へ向かった。
それは、ジャパニーズ・プリクラであった!
平成からジャパニーズ・ギャルたちが夢中になっている写真機! ジャパニーズ・女子は遊ぶ時は必ずこれで友人と一緒に撮るのだという。最近は補正機能が凄まじく、撮れば皆女神のように美しく映るのだとか。元々女神である私はどうなってしまうのか、少し楽しみである。
機械はたくさん並んでいたがどこも埋まっていた。ジャパニーズ・アキバ女子が実際にプリクラで遊んでいる姿を見られて、私は少し感動した。
ちょうど女子たちが出てきた機械の中に入った。
黄緑色の背景の小さな個室。皇はコインを入れて、操作画面に触れた。
皇は、『友達とカップル、どっち?』『何人でとる?』などの可愛い声に、画面を触って答えていた。
個室の外の女子が、「めっちゃ盛れたじゃん〜」と笑い合いながら、手にある何か――おそらくプリクラの成果物を見合っているらしき手元が見えた。
そうだ。プリクラは写真。最後は、撮った写真を持ち帰ることができる。ならば……皇の顔を見える状態にすれば、家でも好きなタイミングで皇の顔を見られるのでは!?
私は、なにやらぴこぴこと音を鳴らしながら操作画面を触っている皇に、「メガネをはずして、前髪をあげてください」と命令した。
皇が「あ、はい」とメガネをはずしてしているうちに、『撮影するよ!』という可愛らしい声が聞こえてきた。
『一枚目! ギャルピして!』
「ギャルピ!?」
「多分、下の写真を真似て……」
カシャ!
容赦なくシャッター音が響いた。『こんな感じだよ!』という声がして、慌てふためく私の顔と、前髪を垂らしたまま画面に指をさす皇が画面に映し出された。背景は黄緑ではなく、紫色に変わっていた。
なるほど、指示に従い、表示された写真の通りのポーズをとっていけばいいということか。
ほとんど間なく、『2枚目行くよ!』と声がした。
「前髪!」
「あっ、はい」
『ルダハートして!』
ルダ? なんだかしらんが、ほおに片手でつくったハートの形の片割れをつけるのか!
カシャッ!
あ~~~~顔きれい~~~~! 顔、すきぃ~~~~!
『3枚目、行くよ!』
は、はやいっ!
息つく暇もないほど早く、4枚目、5枚目、6枚目と撮っていき、全部で10枚撮って終わった。
『撮影、終了〜!』と言われ、私はぜいぜいと息を切らせていた。皇も同じだった。あんなに高速で指定されたポーズや表情を作るなんて、なんて大変な遊びだ……。ジャパニーズ・女子の強さを思い知った。
これで終わりかと思いきや、「落書き」をしなければならないらしかった。10枚のうち6枚を選んで、ペンやスタンプで装飾することになった。
「何を書けば……」
「僕もはじめてなのでよくわかりません。記念ですので、日付を入れておきましょう」
他に思いつかないので、皇が6枚全てに日付を書き込んで終わった。私は6枚の皇の顔をゆっくり眺めていて、それどころではなかった。
かなり補正されてしまい目鼻顎の比率がおかしいことになってはいるが、皇の顔だ。たどたどしい微笑とぎごちないポーズが、可愛くて萌える……。顎の下でハートを作ったやつと、指ハートが特にいい。ファンサ感がある。萌え……。
機械の外に出てしばらく待つと、直径20センチほどの細長い写真がことりと落ちてきた。細長い中に6枚が凝縮されているので、一つ一つの写真が小さい。引き延ばしてポスターにして壁に貼りたい……。
……って、何を考えているんだ私は!
ポスターを壁に貼る……それではまるで推し活ではないか!
私の部屋の壁は、推し――つまり、緋王様のためのもの。
萌えるからといって、大切な推しの聖域を侵すなど、断じてしてはならない……!
他のゲームも気になったが、「じゃあ、行きましょうか、メイド喫茶へ」と言われ、本来の目的を思い出した。
そうだ。今日はひおさんぽの聖地巡礼のために来ていたのだ。
ゲーセンを出て、皇の道案内についていく。
ついたのは、ビルの一階だった。ステンドグラスのガラスが嵌め込まれた扉の上に「メイド喫茶みぃみぃ」の看板がどんと貼られている。ここだ。
扉を開くと……。
「おかえりなさいませ、お嬢様、ご主人様〜!」
可愛いメイドちゃんたちがお決まりのセリフをいって迎えてくれた。可愛い! これが、元祖ジャパニーズ・萌え!!
このメイド喫茶のポイントは、メイド服が少し和風であるところだ。袖のところが着物風になっている。内装も大正時代のカフェをモチーフにしているらしく、黒と赤でレトロな雰囲気に統一されていてシックである。
和風イズロマン!
ツインテールのメイドちゃんに接待されて、緋王様が頼んでいたジンジャーエールとオムライスを頼んだ。
向かいに座る皇は、メガネと前髪ですっかり美しい顔が隠れてしまっていた。歩いている最中に直してしまったのである。
「さっきみたいに、顔、みせてください」
「いいのですが、昨日の約束は今日も有効ですか?」
約束。私の要求で顔を見せた回数だけ、皇の質問に答えるというものだ。
「いいですよ」
「わかりました。では、二つ質問させてもらいます」
そう言って、皇はメガネをとった。前髪を少し掻き、右に流す。
……う。好き……。完璧すぎる……。こんなに好みの顔が目の前にいていいのだろうか……。
向かいに座ってよかった。私は、穴が開くほどじっと見つめた。
皇も、真っ直ぐに私を見つめ返してきた。
質問は、「以前はどこに住んでいたのか」と、「日本文化のどういったところが好きか」だった。
以前住んでいたところについてはフランスと答えておいた。
日本文化の魅力をつらつらと語っていると、メイドちゃんがやってきた。
「お待たせいたしましたぁ!」
皇の顔を見て、一瞬、驚いたような顔になった。
わかる。すごい変貌ぶりだし、とんでもなく美しいし、そうなる気持ち、わかる。
しかしメイドちゃんはプロだった。
取り乱すことなく、ことん、と私たちの目の前にまっさらなオムライスを置いてくれた。
「それではぁ〜! 萌え萌えの魔法をかけちゃいますっ! 行きますよ〜! 萌え萌え、きゅ〜ん!」
掛け声と共に、メイドちゃんがオムライスの上に「萌え」とハートマークをケチャップで描いた。
本当に、魔法のように上手い!
「きゅんきゅんパワーですっ! 美味しく召し上がれ〜!」
メイドちゃんはハートの形の手を私に向けてくれた。萌え!
同じように皇のオムライスにもアートが描かれる。皇はケチャップのチューブ口とオムライスとを眺めていた。
メイドちゃんが去ると、「ケチャップの濃度と質量、空気抵抗を考えるとあれが適切な高さでした。計算し尽くされていますね」と呟いた。
顔が見えているからだろうか。非常に知的に見えて、萌えてしまった……。
理屈っぽい男――すなわち理系の男はあまり好みではないと思っていたのに。皇の顔に惹かれてから、白衣にも、理系的な考え方にも、つい萌えを感じてしまう。
「一緒に食事をするのは、はじめてですね」
皇が微笑を浮かべて言った。
たしかに。飲食全てがはじめてだ。この前は私が麦茶を飲んだだけだったし。
はっ。あの時毒を盛ったが、私が萌えてしまったために失敗したのだ。
皇の食事に毒を混ぜれば、皇が毒を回避した理由を知ることができる――あわよくば魂を狩れるのでは?
私は、皇から目を逸らした。
チャンスは、いかさねば。たとえ皇が死に、この顔が二度と見れなくなろうと、私にはもう、プリクラがある!
いざ、本物の皇を手にかける!
ことん、と私の前にジンジャエールが置かれた。皇の前には、緑茶が置かれた。私は皇から目を逸らしたまま、毒が皇の食べ物たちに混ざるように念じた。
私は、スプーンを持った。皇も、スプーンを持って、オムライスに差し込んだ。
私も、オムライスにスプーンを入れようとした、その時。
皇の左手が、私のスプーンを持つ手を握った。
「待ってください。ライスに若干粘り気があります。おそらく、食中毒の類かと」
――めざとい……。
そのあとは皇がさっさと店員に報告し、お代はいらないからと見送られる形となった。
「よくわかりましたね」
「小さい頃から色々な薬品をつかったり、飲食物で実験をしているので、匂いと質感には敏感で。よかったです、早めに気づいて」
なるほど。だとすると毒は完全に、こいつには無効か……。
まあ、その情報がわかったから今日はよしとしよう。
「他に行きたい場所やお店はありますか。食べたいものでも」
他……。
あ。
「お寿司。お寿司のテッペンに行きたいです」
緋王様がアキバハラ巡りの最後に行き着いていたお店である。
美味しいお寿司を食べながら、日本酒をクイっと飲んでいて、強く日本に憧れたのだ。
……が、テッペンは夜限定の店だったらしく、開いていなかった。無念……。
「お寿司なら、少し歩いたところに、もう一件あります。行ってみましょう」
案内された店は、テッペンよりかなり階級の低い大衆向けの店のようだった。
席数があったためにすんなり座れた。
目の前で動いているものに、ハッとした。
これは……。
ジャパニーズ・回転寿司!
レールの上に乗った寿司たちがくるくると動き回るのをぱっととって食べるタイプの寿司屋だ。ひおさんぽとは違う動画で見たことがある。
さっそく、赤い魚の寿司が乗った皿が流れてきた。
寿司の代表格、ジャパニーズ・マグロ!
私は身を乗り出して、急いで皿を取った。やった……! 記念すべき一枚目の皿!
たしか、これを醤油につけて……。
「いただきます」
ひとくちで頬張ると、舌の上が魚の旨味で満ち満ちた。赤身らしいちょっとした血肉っぽさとわずかなお酢の風味が鼻から抜ける。おいしい!
私は、気になったものを次から次へと手に取った。甘エビ、いくら、ねぎとろ、はまち、いか、たこ、蒸しエビ、ウニ……。
2皿ずつ食べたところで、満足感が溢れた。酒を飲みたいと思っていたのに、なくても全然いけるじゃないか。流れていく寿司たちを見ていたら、もう一度マグロを食べたいかも、と思えてきた。
「……胃下垂ですか?」
隣の皇の皿を見ると、10枚ほど――すなわち、私の3分の1ほどしか皿が重なっていなかった。私は神だから、人間のようにお腹がいっぱいになるなどということはないのだ。
それより私が気になったのは、皇の顔だった。また前髪とメガネが戻ってしまっている!
「顔、出してください」
さっとメガネを没収し、私の頭にかけた。
「では、もう一つ質問していいですか?」
皇が前髪をかき上げて、私をみた。……きゅん。
マグロを取ろうとしていた手が、つい止まってしまった。
「明日会う予定のご友人のことなのですが……。
……男性、ですか」
ん?
あぁ。そういえば、最初にそんな嘘をついていたんだった。
真実は、どこにもなかった。皇の美しい顔は、険しかった。私の目を見て、答えをじっと待っている。
くっ、顔がいい! そのせいで思考がいまいち固まらない。どう答えたらいいのだろう。
ああもう! どう答えてもいいだろう。
「男性だったら、どうなのですか?」
皇の唇がかすかに震えた。
「……僕は……」
「すみませぇん! お席、お時間です!」
そういえば、2時間制と言っていたか。
まだ食べたかったが、やむを得ない。
外に出ると、カラスの権平が後ろから話しかけてきた。
「キル・リ・エルデ様。遅くなりまして申し訳ありません。男は現在、北海道のすすきのにいるとのことです」
男――。あっ! 緋王様!!
「キルコさん、次は……」
「今日はもう時間が……!」
「わかりました」
***
大きなネコマタスケのぬいぐるみが二つあるので車で送ると言われたが、適当に「もう迎えが来ているから」と断った。駅の車の停車場につき、「ここまでで大丈夫です」とネコマタスケのぬいぐるみを受け取り、抱きしめた。一旦部屋にこいつらを置いてから、緋王様のところへ行こう。
そう考えていた時、皇が、自分の着ていたカーディガンで、私の肩を包んだ。
「これから寒くなるので、着て帰ってください」
そう言いながら、皇は、カーディガンから手を離さなかった。
「すみません。さっきの、キルコさんの質問の答え……明日キルコさんと会う人が、男性だったら……。
僕は…………。
キルコさんが、その男性のところに行けないようにします」
本気の、顔――。
――――うっ…………! 萌える…………っ!
それに、またも発言が萌えすぎる……! 本当に、一体どこからこんなキュンワードが湧いてくるんだ!?
ダメすぎる。この男、萌えの権化すぎる!
というか、他の男のところに行けないようにするって……!?
な、何をするつもりだ!?
皇のカーディガンを握る手に力がこもる。わずかにぎゅっと、締め付けられる。まっすぐな見つめてくる皇の眼差しが私の瞳の奥を焦がす。
これは…………。
行かないと約束するまで、このいい顔で見つめてくる気だ……!
萌えの拷問! だんだん、心臓のバクバクが激しくなってきた……!
無理! 無理無理無理!
心臓が、持たない!!!!
「………………いっ…………!
……行き、ませんっ!」
皇が、はっと目を見開いた。
カーディガンを握っていた手が離れた。
私は、急いで踵を返し、走った。走って、走って、皇から遠く離れた黒いタクシーの後ろに回って、自室へとワープした。
荒れ放題の床の上に、私は、へたりこんだ。
――萌えが、すぎる……!
完全に、屈服してしまった……。
ネコマタスケをぎゅうっと抱きしめ、顔を埋める。
頭にかけていた皇のメガネが、ずるりと落ちてきた。
背中を包む皇の体温が気持ちよくて、ほんのり香る皇の香りに胸がギュッとする。
バクバク鳴り続ける胸が苦しくて、お腹がいっぱいで……。
私はもう、動けなかった。