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作者: 鈴奈
 昔から、美しいものが好きだった。
 
 氷の結晶、味噌汁に浮かぶ六角形、適切な土の配合と太陽光を浴びて育った花……。
 自然に溢れる美しいものや現象を見つけるたび、それがなぜ美しいのかを研究するのが好きだった。
 僕は、美しいものを見るために、それがなぜ美しいかを知るために――つまり、美しいもののために生きていた。
 人や生き物の造形に心を惹かれることはなかったけれど。
 
 だけど、彼女を一目見た瞬間、僕は、生まれてはじめて、人を美しいと思った。
 直後、彼女のような美しい遺伝子配列になる可能性を計算した。銀色の髪に金色の瞳、通常の人の遺伝子には起こり得ない色が肉体に出る確率も含めながら。
 
 1.762%。
 彼女は、唯一無二の人だった。

「私、このもふもふに埋もれてみたいです」

 不思議な人だ、と思った。
 美しくありながら、不思議さを持つ確率を計算した。

 0.529%。
 彼女は、奇跡そのものだった。
 
 そんな奇跡が、僕に言った。

「一緒に死んでしまいましょう。ジャパニーズ・心中です」

 その瞬間。
 僕は、彼女と一緒に死んでしまいたい、と思った。
 
 彼女と一緒に身を投げて、彼女とともに桜に堕ちながら――。
 僕は、彼女と人生の最後を迎える確率を計算した。

***


 19時半。我が家の大会議室に、母と8人の家政婦さんたちが集まった。
 
「なぁに、秀ちゃん。みんなを集めて、重要な会議って」

「こんな大々的な会議、はじめてよね」
「しかも、坊ちゃんが私たちに話なんて」
「いつもは私たちにも奥様にも挨拶だけなのに」
「私たちの命に関わる大実験をするとか?」
「未曽有の大災害の予告をするとか?」

 僕は大画面に、帰宅してから42分で作成したプレゼンテーション資料の一枚目を映した。

「今週の土曜日に、同じクラスのエルデ キルコさんを我が家に招待することになったので、この中で一番いいプランを、皆さんに検討してほしいと思います。女性視点でのご意見をお願いします」

『キルコさん来訪プラン検討会』と書かれた白い画面を見つめたまま、9人の女性たちは沈黙した。

「生まれてこの方、お友達を呼んだこともない坊ちゃんが、人を呼ぶ……?」
「しかも、女の子?」
「坊ちゃん。そもそも、キルコさんって、どんな方なんです?」

「この前秀ちゃんがウィルスに罹った時に呼んでいたお名前よね!? 秀ちゃんの……なに!? も、もしかして、彼女!?」

 僕はスライドの2枚目を表示した。この前一緒に撮ったプリクラの写真が提示される。母が、「オッフ!」と口を覆い、家政婦さんたちも感嘆の声を漏らした。

「あら、美しい!」
「外人さんかしら」
 
「美男美女……! と、尊い……」

「プリクラの補正機能で顔が補正されていますが僕の隣に写っているのがエルデ キルコさんです。4月から、僕のクラスに転入してきました。以前はフランスに住んでいらっしゃったとのことですが、ご両親ともフランスの方なのかそれとも別の国籍の方なのか、家族構成や現在のお住まい、なぜ日本に来たのかなどはまだお聞きできていません。
 現代国語等の授業に興味をお持ちの様子であることや、日本文化に強い興味があるところ、そのほか様々な言動から、文系寄りに思えますが、特進Aに進学できるほど理系の成績もよく、満遍なく、なんでもこなしてしまう印象です。さらに、成績優秀なだけでなく、運動神経も並外れています」

「お話中すみません。坊ちゃんがその方をどう思ってるか、そこを教えてもらえます?」
「一言で、簡単に」

 彼女をどう思うか――。一言――。
 これまでの分析結果から導き出した結論を口にした。

「恋愛対象として、好きです」
 
「オッホ!」

 母が顔を覆って天を仰ぎ、ずるずると椅子からずり落ちた。

「奥様、大丈夫ですか?」
 
「すっ! 好きな子! 秀ちゃんが……! 人に興味がなかった、秀ちゃんが……っ!!」

「どんなところが好きなんです?」
「どちらから告白を?」
「ききたいわぁ」

「それは本論とは関係ないので割愛します。ただ、好きという気持ちを伝えることも、お付き合いを提案することもまだしていません」

「あらあら、照れちゃって」
「坊ちゃんも人間らしいところがあるのねぇ」
 
「待って、秀ちゃん! つつつ、つまり、今回お呼びするのは、告白をするため……ってこと!?」

「いや。前に帰り道でキルコさんから好きだといわれたから、それがどんな意味の『好き』なのかを確かめるため」

「え!?」
「坊ちゃん、それはもう両思いでは!?」

「キルコさんは、クラスの男子とは話しかけられても一言も話しません。ですが、僕には話しかけてくれますし、顔が好きだと言ってくれたことがあるのでその可能性はあるのですが、まだ定かではありません」

「もう! そんなの、いちいち確かめなくていいじゃない! 好き! 付き合おう! って当たってみればいいじゃない!」

「でも、確かめてみて、もし坊ちゃんを恋愛として好きだとキルコさんが言ったら、告白するんでしょう?」

「正式にお付き合いできるか確かめる日を別に設けます。確実にお付き合いできるよう準備しなければならないので」

「なんでなの?」
「坊ちゃんは準備と数字と定義でできてますから……」

 家政婦長のトメさんが、昂る母にひそりと耳打ちした。


 徹底的な準備と、数字と定義。それこそが確かな結果を手に入れる鍵だ。
 だから僕は、常にそれらを重視してきた。

 キルコさんと出会い、キルコさんと最期まで一緒にいたいという感情を抱いた時も、僕はまず、自分の感情を分析するところからはじめた。そしてその感情に最も近いものが何かをインターネットで検索し、「恋愛感情」であると仮定した。そこで複数の心理学の論文を読んで恋愛の定義を見出し、それらを整理して、次の6つの項目を導き出した。

 1.相手の外見や内面に魅力を感じる
 2.相手に性的接触を求める
 3.相手と二人でいたい、独占したいという気持ちがある(独占欲、または共依存)
 4.相手を幸せにしたいという気持ちがある
 5.相手と一緒にいることで強い幸福感や高揚を感じる(心拍数の上昇、セロトニン量の変化)
 6.相手と一緒にいられないと考えると、自分自身の一部が抜け落ちたような感覚になる(アイデンティティの融合)

 そして、それぞれの項目が何パーセントかを数値化した。
 初日は6つの項目のうち、「1.相手の外見や内面に魅力を感じる」「4.相手を幸せにしたいという気持ちがある」が80%を超えていたが、他の項目は検証が必要であるという結果となった。
 翌日から50%以下の項目があてはまるかどうかを検討しながら、キルコさんと一緒にいるときの心拍数、セロトニン量を調べた。心拍数とセロトニン量の研究から、「5.相手と一緒にいることで強い幸福感や高揚を感じる」は100%だということがすぐに分かった。
「2.相手に性的接触を求める」は、キルコさんと間接キスをすることになった際に意識が高まり、89%まで上がった。
「3.相手と二人でいたい、独占したいという気持ちがある」は、秋葉原で一緒に過ごした際、もしキルコさんと遊ぶ相手が他の男性だったらとふと考えてみたら、たちまち92%まで上がった。
「6.相手と一緒にいられないと考えると、自分自身の一部が抜け落ちたような感覚になる」だけはいまだ0%であるが、そのほかの項目はじわじわと上がり続けており、秋葉原から帰ってきた時点で6項目中5つの項目が90%を超えたため、その時点で、これは恋愛感情での好きであると定義づけたのである。

 そうした定義づけの作業を行う一方で、僕は毎日ずっと、キルコさんのことを考えていた。キルコさんのことを考えているとキルコさんについて知りたいことが湧いてきて、はじめ27個だった質問事項は、消化してはまた増えを繰り返し、48個になっていた。
 だから、僕がキルコさんを恋愛的に好きだと定義づけた際、まずはこの質問事項を全部聞いて、彼女のことをもっと深く知るという準備の段階を踏んでから、彼女と恋愛的な関係になれる方法を考えようと思っていた。
 
 だけど、「好き」だと言われて、僕は一刻も早く、彼女の「好き」がどういう「好き」なのかを知りたくなった。
 そうして、一刻も早く、彼女とお付き合いをしたいと思っていた。
 そうでなければ彼女はするりと、僕の隣から飛び去ってしまうような気がした。楽しいことをみつけるのが得意で、自由で、本当に質量がないのではと思うほど軽やかな人だから。
 捕まえておきたい。彼女を、手に入れたい。永遠に、僕のものにしたい。
 僕は強く、そう求めていた。これまで美しいものをみても、そう思うことはなかったのに。
 僕らしくない焦燥と所有欲が、僕の心を支配していた。

けれど、僕は冷静にその焦燥心を抑え込んでいた。
 僕の目標は、キルコさんと最期の時まで一緒にいること。
 その目標を確実に達成するための計画を、僕はすでに立てていた。あとはそれを着実にこなしていくだけだ。

「キルコさんの僕への気持ちを確かめるための時間は確保しているので、そのほかの時間はキルコさんには純粋に楽しんでいただきたいと思います。
 プランは23個考えました。皆さんには今の話を踏まえ、このうちどちらがより良いか、プランに穴はないかを検討してもらいたいと思います」

 僕は、23のプランを説明した。

「すみません、もう少しゆっくりと。トメは坊ちゃんの言葉についていけません」
「坊ちゃん、明日試験じゃなかったでしたっけ……」
「坊ちゃんはいつも試験勉強をしないのよ。しなくてもできるから」
「羨ましいわね。うちの息子なんてしてもしてもできないのに」
「うちの娘なんてそもそもしないしできないわ」

「――以上です。何かありましたらお願いします」

「はい! はい!」

「なに、母さん」

「なんで絶対秀ちゃんのお部屋に招待することになってるの!? だめ! 秀ちゃんのお部屋だけは、行っちゃだめ!」

「じゃあ削除する」

「うん、お部屋は行っちゃだめね」
「それにしても、坊ちゃん、意外とプレイボーイってやつなのかしらねぇ」
「はじめての恋愛でどうしたらいいか分からないんじゃないかしらね」

 ひそひそと話す家政婦さんたちの声の上を潰すように、頭を抱えていた母さんが低い声で唸った。

「ああ、心配だわ! こんな野獣のようなプランを立てて……女の子との関わり方が全然なってないんじゃないかしら!? 大丈夫なの? 失礼なことを言ったりしたりしていない? そもそもちゃんとアプローチできているの!? 心配で仕方ないわ!
はっ、そうだわ! 当日は私が一緒についているわ! そうすれば、アプローチのタイミングや、失礼な言動があったら教えてあげられるし!」

 母さんが一緒に行動する……。
 正直、嫌だった。僕はキルコさんと2人で過ごしたかった。僕は何度も断ったが、母さんは断固として訊かず、子どものようにいやいやを繰り返した。僕は諦めるしかなかった。
 以前秋葉原で怖がらせるようなことをしてしまったし、今後そういったマイナス評価を得ることがないようにするいい勉強の機会だと思い直すことにした。


 ただ、譲れない条件があった。僕は画面にプランAを映し出した。

「現時点で考えているプランの昼食の時間に確認をしようと思っているから、この時には2人きりにして」

「昼食の時くらいいいでしょう。ただし、むやみに接触しないこと。いいわね!?」

「しないよ」

「はぁ。もう本当に、秀ちゃんが人を好きになるなんて、きっと最初で最後よ。彼女を逃したら、お嫁さんと一緒に料理をするという私の夢が潰えるわ……もうほとんど諦めていたのに……。何がなんでも、お付き合いして、結婚してもらうんだから!
秀ちゃん! お付き合いして関係が安定するまでは、絶対、野獣は封印ですからね! 愛とは理性。そしてやさしさ! この言葉をしっかり胸に刻みなさい!」

 どうしたんだろう。いつもの母さんと違う。いつもの母さんなら、僕が何かしたいと伝えると、「あら、そう。頑張って」で終わるのに。
 それにしても、野獣的行動とは? 下心をそう比喩しているのだろうか。
 「愛」については、恋愛だけでなく、母性愛、隣人愛、友人への愛などの定義を分析して本質を理解しているし、それをもとにどのようなふるまいが適切かを研究したから問題ないのに。

「あ、坊ちゃん。一ついいですか」

「はい、どうぞ」

「着物と茶道以外の内容について、全部カチカチ決めないで、当日にキルコさんに決めてもらえばいいんじゃないですか? 自分で決めてやるのが『楽しい』の基本です」
 
「たしかに、キルコさんは自由な方なので、そうかもしれません。では、茶道以外のものは選択式にします」

「あ、料理は、リクエストありますか?」
「そうね、事前に苦手なものや食べたいものを聞いておくといいかもしれませんよ」
「ほかに何かお手伝いがあればやりますよ。茶室の飾り付けとか」

「なるほど、聞くようにします。
 茶室の飾り付けは僕がします。お手伝いをお願いしたいことは明日朝までに準備します。
 他はありますか」

「いいえ」
「大丈夫かと」
「まあ、あとは当日柔軟にね」

「お母さんも腕によりをかけてお料理をするわ!」

「では、これで進めます。ありがとうございました」

 閉じたパソコンの熱を抱きしめ、息を吐いた。
 女性視点の意見をもらえてよかった。もう少し詰めよう。
 そして、完璧な日にする。彼女の気持ちを確かめて、次の一歩に進めるように。

***

 ――推し…………。

 推し…………。推し…………………………。

 キルコさんが帰り、僕は自室の畳に仰向けになり、呆然としていた。
 今日は78%の出来だった。正直母がいなければ96%くらいにはなった。そのくらい、僕はキルコさんをよくおもてなしできていたと評価していた。
 だけど……。
 キルコさんの僕への気持ちが、恋愛感情ではなかったことに、僕は、この上ないショックを受けていた。僕はちゃんと、恋愛的感情の「好き」ではなかった場合のことも想定していた。なのに、どうしてこんなにショックなんだろう……。

 推し…………。

 なぜその可能性を考えなかったんだろう……。
 キルコさんの言動――「ファンサ」や「顔が好き」から、十分考えられたのに。
 僕は、キルコさんが僕を恋愛的感情で好きなのだと98%信じこんでいた。それは僕がそうであって欲しいと思っていたからだ。愚かだった。いつものように冷静に考えられなかった自分を悔やんだ。

 でも、キルコさんは僕に好感を持っている。
 推しではなく、恋愛感情なのだと思い直してもらえるよう、計画を考えよう。
 完璧な準備と、数字と定義。これがあれば、絶対、間違えることはない。

 僕は起き上がり、パソコンを開いた。
 すでに考え終わっていた、「キルコさんにお付き合いを提案する日の計画」のプレゼンテーション資料を開く。
 予定していた日付を消して、一月後の日付に打ち直す。

 そして、新しい計画書のファイルを開いた。

 僕は絶対にやり遂げる。
 キルコさんと人生の最後を迎えることができる確率を、100%にするために。

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