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文化祭準備は目まぐるしく進んだ。
演目を決め、実験道具の調整をし、カンペを確かめ、リハーサルをする。
昼休みも放課後も、皇と二人きりになる時間が取れなかった。
授業中にファンサをしてくれたからいいものの、せっかくの握手会の約束が全然果たせないことに、私は非常にモヤモヤしていた。
そもそも、たった二週間でこれだけの準備をするというのが阿呆な話なのである。
それでもやりきってしまうのが人間たちのすごいところなのだが。
前日。皇と豚どもは、教室の飾り付けまで、すべてを完了させた。
そして、当日。
「エルデさん! おはようございます!」
「本日の衣装はこちらです!」
「エルデさんに選んでいただこうと思って、いろいろ用意してみました!」
「もももも、もしよければ、着て、選んでくださいぃ!」
豚どもの鼻息の荒さといやらしい顔つきに寒気がした。
だが、『エルデ キルコさん専用更衣室』と書かれたカーテンの奥にずらりと並ぶ衣装に、気になるものがあった。
これは、ジャパニーズ・コスプレ……!
しかも、バーチャルシンガーの二音カコちゃんのコスプレだ……!
肩を出した萌え袖の長袖に、ミニスカート、ロングブーツの衣装。高いところでツインテールにしたら、ますますニ音カコちゃんに近づいた!
嬉しい……!
ほんのり憧れていたジャパニーズ・コスプレが、まさか、こんなところでできるとは……!
豚どもがパシャパシャと写真を撮る。だが、別に気にならなかった。
「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
「エエエエ! エルデさん!!!! さささっ! 最高ですぅぅうう!!!!」
「二音キルコさんだあ〜〜〜〜っ!!!!」
「ぜひこれも!」
「いえいえ! 次はこれを!」
広げられた衣装に、はっとした。
アイドルグループNNN38の衣装!
ゲーム「Vampiress Hearts」のユディちゃんの衣装!
私は、次々にコスプレ衣装を身に纏った。
いろいろなアニメキャラの衣装を着ていたら、ど定番のナース、シスター、警察の制服なども、なんだか着るのが楽しくなってきた。
可愛い! 楽しい! 嬉しい!!
「うおおおおお!!! エルデさーーーーん!!!!」
「こっちこっち! こっち向いてくださいーー!!」
「エルデさん、次はこっちをおおおお!!!!!」
「うおおおおお!!!! 写真部! 写真部はいねえかぁ!!!!」
「ここだぁ!!!! まかせろぉ!!!!」
「全員どけろぉおお!! ここは写真部にまかせろおぉ!!!!」
「何やってるの」
チャイナドレス姿で写真を撮られていた時。文化祭運営委員に呼び出され、最終打ち合わせに行っていた皇が帰ってきた。
いつのまにか他クラスからも観客が集まってきていたようで、見知らぬ豚どもが廊下にびっしり詰まっている。皇は、それらを掻き分け、なんとか教室に入って来たらしい。
メガネがずれてまったからか、皇はメガネを外し、前髪を掻き上げた。
うっ……。今日もいい顔…………!
皇が、自分の着ていたブレザーで、私の肩を包んだ。
皇のぬくもり。キュン。
「最終準備の時間だから、みんな着替えて。他のクラスのみんなも、あと二十分ではじまるから、急いで戻って」
皇が冷たい声でそう言うと、豚どもはのろのろと自教室へ帰っていった。我がクラスの豚どもも、ぶうぶう鳴きながら自分の赤い衣装を手に取った。
「何してたんですか」
「ジャパニーズ・コスプレです。衣装係に着て選ぶよう言われて」
「元凶は衣装係ですか。あとで先生に報告しておきます。ひとまず、これが本当の衣装だと思うので、着替えて来てください」
渡された衣装は、体にピッタリと貼りつく白いロングドレスだった。大きく開いた胸に、マントのクリップがついている。胸が窮屈な上に、クリップが食い込んで鬱陶しい。
「い、いい…………っ!」
「なんてプロポーション……!!」
「まさに、女神……!」
「最高です…………っ!!」
「たたた、たにま……! えるでさんの、たにま…………!」
「バスト98、ウエスト54、ヒップ86とみた……!」
パシャパシャと、赤い衣装の豚どもが膝をついて私を撮る。
その時、皇が更衣室から帰ってきた。
はぁ……っ! まるで、アイドル……ッ! 豚どもと同じ衣装だが、全然ベツモノに見える……っ!
緋王様のステージ衣装姿といい勝負! つまり、美しく、かっこいい!!!!
私は、運命写真機で、皇を撮った。私を見たまま呆然と立ち尽くしている皇が写真に浮かび上がる。いい……! 皇のアイドル衣装ブロマイド、ゲット!!
「エルデさん! こっちを!」
「いやいや、こっちを見てください!!」
私に向けられるスマホたちを見て、私は羨ましくなった。
いいな、スマホ……。スマホがあれば、無限に今日の皇を撮れたのに……。
そんなこんなをしていたら文化祭がスタートした。
私は四部あるうちの一部目で仕事をすることになっていた。皇のパフォーマンスのサポート係だ。隣で道具を渡してやるだけなので、簡単。
だから、隙を見て鎌を振り下ろし、魂を奪ってやろうと思い、準備期間、練習のたびに鎌を握っていたが、結局殺せずじまいだった。光を取り扱うからと言ってメガネ姿でいたために、鎌を振り下ろす私の手に躊躇はなかった。ただ、皇の反射神経に勝てないのだ。どうやっても、さらりと避けられる。豚どもに鎌を持たせて襲撃を試みたが、結果は同じだった。
そうしてハデスにネチネチと言われ続けたこの二週間、ストレスの蓄積は半端でなかった。
その上、ジャックも頻繁に顔を出す始末。日本酒を届けるのはいいが、いつまでもスマホは持ってこないし、暑苦しいし鬱陶しいし、緋王様を拝むという私の唯一のストレス解消の時間は潰されるし……!
私はいい加減、ストレスで爆発しそうだった。
とはいえ、この時間を耐えれば、ジャパニーズ・文化祭を巡ることができる……!
楽しみなことができれば、きっとストレスは解消しよう。
パフォーマンスなんぞ、早く終われ。
教室には、座りきれないほどの観客が集まってきていた。文化祭テーマの「未来を創造する」に関連付けて、子ども向けにつくっていることもあり、一番前の席には小さな子どもたちが座っていた。
拍手が鳴り響き、ストーリー仕立ての演目が開幕した。
題目は「女神の素顔」。
本物の女神である私を女神役で出演させるなど、なんという贅沢ものたちだろう。まあ、女神は女神でも、死女神だが。
「皆さんにとって、美しいものはなんですか」
「宝石!」
「お花〜!」
「お姫様〜!」
「そうですね。僕もどれも美しいと思います。
ですが、この世界で一番美しい女神様がいるんです」
レースで顔を隠した私が登場し、皇の横に並んだ。
「わあ~綺麗~!」
「お顔見えないけど、綺麗~!」
「お顔見たい~! 見せて見せて~!」
子どもたちが見せて見せてとコールする。
やかましい、愚か者どもが。身分をわきまえられず、常にうるさい無礼な存在どもめ。ああ、いやだ。だから子どもは好まないのだ。
「女神様は、美しいものをプレゼントすると、お顔を見せてくれるといいます。
女神様にとって、美しいものはなんですか?」
「花が美しいと思います」
本心ではない。私にとって最も美しいものは、推しである!
「ですが、どの花も見飽きてしまいました。この世でただ一つしかない花をくだされば、顔を見せてあげましょう」
「この世でただ一つしかない花……。どこに咲いているのでしょう。
分からないので、つくってしまいましょう」
四つ折りにしたティッシュペーパーを取り付けた棒を渡す。
皇はそこに水を吹きかけ、鉄の粉を振りかけた。
幼い声が、「魔法の粉?」と言ったのが聞こえてきた。
照明が落ちた。皇が、ティッシュペーパーに炎を吹きかける。炎の飛沫がぶわっと上がり、火花が咲いた。ワッと歓声が起こった。
「いかがでしょう」
「素敵です。でも、一番美しい色にしてください」
「お好きな色を言ってください。何色にも変えられます」
霧吹きを吹きかける。赤色に変わる。また、観客が沸いた。
「何色がいいでしょう。皆さん、教えてください」
幼い声が次々と色を言うのに合わせて、水を吹きかけ、色を変える。黄緑、紫、青、橙。
最後にピンク色に変えたとき、「わあ、ピンク! 恋の色だぁ!」と、小さな少女が嬉しそうに言った。
私は、「この色がいいです」と言った。
「皆さん、ありがとうございます。おかげで、一番美しい色が分かりました。これなら、女神様がお顔を見せてくださるでしょう。
さあ、これをどうぞ、女神様」
「まあ、美しい」
皇が、私に花火を差し出した。
私はレースをとって、受け取った。
私の顔が光に浮かび上がったのか、はぁ……と感嘆の息が観客たちから漏れた。
泡のような拍手が起こる。しばらくすると教室は、割れんばかりの拍手でいっぱいになっていた。
その後の皇のマシンガンのような解説がなければ、最高のショーとなっただろう。
✦ ✦ ✦
廊下の先を見ると、いつもと違う学校の風景にワクワクした。普段は学校に入れぬ一般人、プラカードを持って練り歩くコスプレたち、教室の壁にごってりと貼られた手製の装飾。まさに、ザ・文化祭!
この学校は、特進理系が二クラス、特進文系が二クラス、一般理系が四クラス、一般文系が四クラス。特進理系は三学年ともAクラスはサイエンスショー、Bクラスは実験体験会だった。面倒くさがっているのか伝統なのか、とりあえず三年間同じことをするしきたりのようだ。
だが、その他のクラスは完全に自由。演劇、映画、三Dアート、お化け屋敷、迷路、ジェットコースター、カフェなど思い思いの催しをしていた。
中でも私が一番気になったのが、三年特進文系Aクラスの文豪カフェ……!
行ってみると、文豪のコスプレをした男たちが給仕をしていた。すごい。着物も髪型もメイクも、写真そっくりだ……!
メニューも文豪の作品をモチーフにしたものが並んでいる。太宰治「斜陽」のスープ、宮沢賢治「注文の多い料理店」の肉料理……。
「私はこれにします」
「じゃあ、谷崎潤一郎『美食倶楽部』の中華セット二つで。
好きなんですか? 谷崎潤一郎」
「はい。文豪の中で一番好きです。女性の描写が好みです」
「あまり文学に興味がなく、どれもタイトルとあらすじくらいしか分からないのですが、読んでみます。おすすめがあれば教えてください」
普通のチャーハンとしゅうまいだったが、気分だけを味わって、谷崎潤一郎のコスプレ男と握手して店を出た。コスプレ男は、私との握手に喜んでいて、「やばいやばい!」と呟いていたのが残念だった。谷崎潤一郎はそんなこと言わない。
ついでに、ざっと三年生の教室も見て周り、もう一つの目的地である一年一般文系Dクラスの縁日に向かった。
ジャパニーズ・縁日……! 祭りと同義とはいえ、この響きがいい。
教室前に、デカデカと「一D神社」と書かれた赤い鳥居が飾られていた。
射的、輪投げ、水風船掬い。皇はすべてを計算によって攻略し、私は神力によって支配した。
景品はたいしたことがなかったのでもらわずに、水風船を二つだけもらって歩きだす。
途中でたい焼きを買って食べながら、校舎を練り歩いた。
ひととおり教室棟をまわりきったので、武道場の謎解きホラー脱出ゲームに向かった。あまり興味はなかったが、催し物のラインナップの中で、唯一、チャンスがありそうなところだったからだ。
二週間の準備期間の中で、私は皇がなぜこんなにも気配に敏感で反射神経がいいのか、さりげなく聞いてみた。皇は、幼い時から銃撃を受けたり、誘拐しようとしてくるやつらに襲われたりしているために、襲ってくる者の気配に敏感なのだと話した。これが、直接的物理攻撃が効かない理由だったのだ。
だが、真っ暗闇の中であれば、攻撃に気付かれても、止められることはないだろう。皇の姿も見えないから、私が容赦することもない。
今までで最大のチャンスとなるだろう。
推しをこの手で葬ることはこの上なく悔しく、恐れ多く、大変悲しいことではあるが……。私の悠々自適な生活を守るためには仕方ない。
私は常に覚悟していた。今も覚悟は固まっている。
皇のグッズはある程度手に入れた。ファンサもたくさんしてもらった。
もはや、一片の悔いもな……いやある。あるが、やらねば!
迷路に入る。真っ暗で行き止まりの小さな部屋だった。皇が、入り口でもらった小さな懐中電灯を照らしながらあたりを見る。血糊でつけたらしい血飛沫や手形の模様が一面にある。壁の血まみれ模様のボードに、のクロスワードパズルようなものが書かれていた。
私は、死神姿に変わった。大きな鎌を手に宿す。
そして、皇の背中に向かって、思い切り振り下ろした!
「あった、扉」
「キエーーーッ!」
「ひっ⁉」
皇が謎を解いて扉を開き、足元からよく分からぬ血まみれのコスプレ女が飛び出し、私が思わず鎌を振り上げ退く――その間、約一秒であった。
その後も、同じようなことが繰り返された。0.3秒で皇が謎を解いて次の部屋の扉を見つけ、想像以上の速さに慌てて出てきたお化け役のコスプレたちに私が驚き――あるいは「見つけました」とちょうどいいタイミングで動いて鎌を回避する。
結果、五分とかからず脱出してしまった。
皇は、一度も驚かなかった。お化け役と壁に飾られていた血まみれの日本人形たちが可哀想である……。
千載一遇のチャンスもだめだったか。だが、暗いところが有効か否かの確認は取れていない。気配に気付いていない様子だったし、また違う機会を狙おう。
「次は外の屋台ですね。行きましょう」
差し伸べられた手を握る。
今日の仕事は終わった。
あとはもう、楽しむだけだ。
✦ ✦ ✦
外には、部活動ごとの屋台やイベントのテントがずらりと並んでいた。
部活動の屋台も、面白いものがたくさんあった。
焼きそば、たこ焼きせんべい、鈴カステラ、タピオカドリンク。
皇と両手いっぱいに食べ物を抱えていたのに、野球部の坊主たちからケバブをもらってしまった。献上するかわりにか、「俺の名前覚えてください!」などと言われたが、全員丸刈りで、顔と名前も全員同じにしか思えず、すぐに忘れてしまった。
「袋かなにかを持ってくればよかったですね。ひとまず、どこかに座って食べましょうか」
そうしようと、頷こうとした時だった。
背後から、屈強な腕が私の体を抱きしめた。
反動で、鈴カステラが散らばる。タピオカドリンクが地面に落ちる。
「見つけたぜ、キリィ!」
――ジャック……⁉
どうしてここに。
そう言う前に、ジャックは私の頬に頬をこすりつけた……!
「ああ、キリィ! こんなにお前に触れるなんて夢みたいだぜ! いつもと違う可愛いカッコも最高にそそるぜ! あぁ、やわらけぇ……! いいにおいだぜぇ……」
胸が揉まれる。太ももが触られる。頭が吸われる。
気持ち悪い……!
鳥肌が立ち、声を出すことさえできなくなった。
雷を出して蹴散らしたかったが、皇や周りの目がある。迂闊に行動して人間ではないとバレるのもまずい。
どうするかと思案しようとした時、皇の手から、たこせんべいが落ちた。
そして、私の胸を揉むジャックの手首を、ぐっと掴んだ。
「離してください」
「黙れ人間。キリィは俺の女だ。近づいたら、殺すぞ」
皇が、目を見開く。
ジャックは皇の手を払うと、「行こうぜ、キリィ」と私を抱きしめたまま皇に背を向け、私の肩を掴んで歩きだした。40㎝近く差のある屈強な大男に抵抗しようもない。足が勝手に、ジャックについていってしまう。
「離して。気持ち悪い。死んで」
「そんなこと言うなよぉ。キリィの欲しかったもんが手に入ったからすぐに届けてやりたくなってよ! カラスに聞いたらここだっていうから、飛んできてやったんだぜ?」
欲しいもの?
ま、まさか……。
「ほらよ」
ジャックが差し出した、手のひらサイズの小さな白い箱を受け取る。
中にあったのは――。
スマホ! しかも、日本製!
や、やった……! これで皇を撮りまくれる……! 嬉しい……!
「じゃあ、礼をもらうぜ、キリィ」
歓喜に酔う私を、ジャックはぐいっと、強引に壁に押し当てた。顎を掴まれた。好みじゃなさすぎるいやらしい顔と、強制的に見つめ合わせられる。怒りが湧き、嬉しさが一気に掻き消えた。
「触らないで。死んで」
「お前をこんなにたくさん触れんのに、我慢できるわけねぇだろ? 2000年我慢させられたんだ! 唇も体も、俺のモノにしてやる!」
ジャックの顔が近づいてくる。
ブチッと、頭の中で音がする。
私のストレスは限界値を迎えていた。
——もう、周りなど知るか!
これまでに溜まっていたストレスの分も、まとめて全部爆発した!
「死ね!!!!」
バリバリバリバリッ!!!!
「ヅァアアアアアア――――ッ!!!!」
10万ボルトの雷が、私の体から解き放たれた。
ジャックの手が私から離れた。
その時。ジャックの手首を、美しい手が捕えた。
――皇。
「この男です」
その言葉を合図に、何人もの警備員がジャックの体を取り押さえた。ジャックは雷で痺れたせいで抵抗できない。
「うぅ……キリィ……」と情けない声をこぼしながら、ずるずると引きずられていった。