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作者: 鈴奈
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 リンリンリンリンリンリンリンリン!

 ――うるさい!
 
 けたたましい黒電話の音に起こされる。緋王様の主演映画を一作目から七作目まで観ながら萌えて、幸せに寝落ちていたというのに!!
 部屋が片付いてしまい、黒電話があらわになっていたせいだった。この電話に出たら、昨晩空けた酒瓶二本とつまみのゴミに埋めておこう。
 沈鬱な気持ちで受話器を取る。

「おはようございます、ハデス」

『おはよう、キル・リ・エルデ。で、まだ?』

「何度もお話ししていますが、この件は成功次第私から連絡いたしますので、他のお仕事をしてお待ちください。
 ああ、他の仕事といえば、はぐれ死神のジャックが、私の仕事の邪魔をして、あやうく死神の存在を人間に知らしめるところでした。私目当てで私の闇の周りにいるか、日本に来ると思います。一刻も早く捕えてください。私も善処しますので。お互いに頑張りましょう」

 ガチャン。

 ふん。これでジャックはますます追われる立場となり、しばらく私に近づけまい。ハデスも、2000年の失敗を突きつけられたのだ。私にしつこく、なおかつ厳しく要求するのを控えるだろう。
 そもそも、ハデスはジャックを捉えることに2000年も失敗し続けている。それなのに私ばかり責めるのはおかしい。たった三ヶ月様子見していた私を責める資格はハデスにはない。
 そう思ったら気が晴れた。そうだ、ゆるゆるやればいい。一日一仕事は必ずしているのだし。
 私はもう一度ソファに寝転がった。
 こんなに晴れやかな気持ちで今日一日を――そして、何よりも大切な今日の夜を過ごせると思うと、幸せでならなかった。

         ✦ ✦ ✦

 皇の弁当をつまみながら、私は、ほくほくした気持ちで今日の皇のファンサを思い出していた。
 今日の私の渾身のファンサ要求は、「ボタン外して!」。
 戸惑いながらも一つずつ、ゆっくり外していく皇……。指の動きも、ゆっくりと開いていく課程も、色気があってよかった……!
 そして、皇の体が、見えるか、見えないかの瀬戸際で――。
 ちらっと見えた――!!!! 胸からへそ上くらいまでのところが、わずかに開いた服の隙間から、ちらっと――!!
 ああ、ジャパニーズ・チラリズム! これぞ日本の控えめな文化が生んだ究極の色気……! ありがとう……っ!!
 うん、我ながら最高の要求だった。

「今日のあの要求は一体……。
 いえ、今日はそれよりも、聞かなければならないことがあります。しばらくいろいろあって、キルコさんの僕への感情が推しではないことを証明するための問いができていませんでした。今日は、それについての質問をさせてもらいます。
 今日は、僕以外の推しと僕への感情の比較検討を行います。この検討が終われば、証明するための情報収集は終了です。よろしくお願いします。
 まずは、僕以外の推し……前に言っていたアイドルについて、どのような点が推しだと思いましたか?」

 緋王様の、推しだと思った点――つまり、緋王様の魅力。

 「たくさんあります。まずは顔。透き通るような瞳、長いまつ毛、ずっと通った鼻筋、口元のほくろ、美しい輪郭、いつも称えているやさしい微笑み! 私の理想そのものです……!
 それに加えて、涼やかで礼儀正しい物腰、しなやかなお体、穏やかな京都弁、やさしい口調、甘い声音……。他のアイドルのように意図したような甘い言葉を吐くことがなく、物腰や表情だけで魅力と色気を爆発させ――だからこそ歌詞で甘い言葉を歌った時の爆発力が大変で! 透明感と色気のギャップ、色気爆弾の期待度が高いのです! イメージキャラクターである『帝』そのもの!
 
 その上、性格も素晴らしくて……! ファンや世界にグループや日本の魅力を知ってもらうために、多忙なお仕事のかたわら、「ひおさんぽ」という動画配信を行っているのです! 忙しいのに日本に貢献しようとする姿勢が素敵ですし、スケールが大きい目標をさらりとやっている点も素晴らしい! 紹介するお酒も質が高く目も舌も肥えているところも尊敬しますし、紹介する本のチョイスも文学的なものばかりで最高です! つまり、上品で育ちがよくて知的なのです! その上、「ひおさんぽ」の際は、周りにファンが集まれば立ち止まってまんべんなく手を振ってお礼を伝え、お店の人にははじまる際に深々とお辞儀をし、終わり際には必ず握手とサインをするなど、最高のサービスをしてくださる! 映画やドラマで関わった人たちにもいつもその性格の良さを話題にされていて……人間的魅力の塊! 人格者としかいいようがありません!」

 た、楽しい……! はじめて緋王様について口に出して語った……! 皇はかたかたと私が言ったことをパソコンに打ち込んでいたが気にしない。語れるなら、もはやなんでもいい!
 私はまくしたてる勢いでさらに続けた。

「六年前にデビューしたのですが、デビューとヒットの流れもすごいのです。スカウトされてすぐにメンバー入り。ですが、大学受験とスキルアップのために、一年間、他四人のメンバーだけがメディアに出て、緋王様は『秘密の五人目』として顔を隠し、コメントだけを出していたのです。一年後、メディアの前に姿を現すと、あまりの美しさと抜群の歌唱力、ダンスの技術に話題が沸騰し、グループを一気に日本の頂点に押し上げたのです! 歌とダンスは一年で習得したというのですが、メンバーで一番……いえ、日本のアイドル界でトップクラス! 才能と努力の塊です! 
 それに、役者としての才能も素晴らしいのです! アイドルとしてデビューした18歳ですぐに映画に出演されたのですが、その時点で色気が素晴らしく……! 演技力の高さも評価され、その後ドラマや映画に引っ張りだことなり、一年で助演男優賞を受賞! さらには三作品のドラマの主演を、映画も、七作品連続で主演を務めていて……! アイドルも『ひおさんぽ』も兼業しているのに涼しい顔で役者まで……! それに、どの作品のキャラクターもそれぞれ違うのに、全部見事に演じ分けるんです。真面目な警察に、サイコパスな先生に、ちょっとドジな会社員、忠実な侍……全部萌え……! 演技力最強……。
 ちょうど、今日公開の映画があるのですが、その役もいつもと違くって……! 悲しい過去を背負った、ダークな殺し屋なのです! 絶対萌え死ぬ!
 実は、学校が終わったらプレミアム上映会なんです! 舞台挨拶で緋王様が登壇するんです! 生緋王様〜〜〜〜!」

 ずっと楽しみにしていたのだ……! 
 ライブ以来なかなか機会がなかったが、久しぶりに生緋王様を拝める!!
 この日のために手作りした『緋王様♥』『こっちみて!』のうちわを存分に振って、今日こそファンサをもらってみせる!!
 作品自体も楽しみだ。ダークな緋王様など、ギャップ萌えの塊でしかない……!

「その上映会、僕も行っていいですか?」

「え?」

「キルコさんの話口調がいつもと違うことから、本人の前での反応も変わるのではないかと思って。証明に使える貴重なデータが得られるかもしれません」

 皇は、いかにも研究者らしい顔で私を見た。
 うっ! いい顔すぎてドキドキしてきた……!
 目を逸らしてうつむくと、だんだん、興奮した話し方になってしまったことが恥ずかしくなってきた。なぜなのだろう。話せたことは楽しかったのだが……。
 ゆえに、一緒に行くのは躊躇した。自分の恥をさらに晒してしまう気がして億劫になる。そんなことを気にして気持ちや態度を抑え込んでは楽しめないだろう。せっかくの生緋王様を拝める機会だ。存分に楽しみたい。
 それに、映画の後、「ひおさんぽ」で訪れた居酒屋に行って緋王様のおすすめしていた日本酒を飲もうと思っていたのだ! 皇がいたら、酒が飲めない……!

「今日は一人で行きます。チケットも事前予約が必要な上、当落がある特殊ものなので、もう入手できないと思いますし」

「チケットは大丈夫です。手に入ると思うので。あ、取れました」

 スマホを二、三度触っただけで、とれただと……?
 どういう魔術だ。まあ、私もチケットの類は神力を使って用意しているのだが。

「キルコさんの楽しみの邪魔はしません。キルコさんの反応を観察するだけなので」

 たしかに、皇はそういう男だ。なぜだろうと思うことはあっても、変とかおかしいとか、そういう見方をしない。自分の印象や価値観に無頓着なのだ。言い換えれば、寛容。さすが推し! 人間的魅力の塊!
 それに、私のどんなところも尊重してくれると言ったし……。言葉を信じてチラリズムをさせても、変な目で見なかったし。
 恥を晒すなどと思わなくてもいいのかもしれない。
 そもそも私が興奮することになんの恥があろう。これが私の愛の形だ。恥じるべきことなど何一つないのだ。一周まわって吹っ切れた。
 
 だが――やはり、日本酒が飲みたい!

「では、ゲームをしましょう。それで皇さんが勝てたら、一緒に来てもらっても構いません」

「分かりました。なんのゲームですか?」

「愛してるゲームです」

 見つめ合い、順番に「愛してる」と言い合い、照れたり笑ったりしたら負け。
 ニッポンDANJIがデビューしたての頃、緋王様を含むメンバー五人が動画配信でやっていたゲームだ。緋王様が十八歳とは思えない最高の色気で圧勝した。そしてその動画が爆発的な人気となり、一気に世間の人気を掻っ攫ったのだった。
 緋王様はこれを最後に甘い言葉をホイホイと言わないようになったので、緋王様の貴重な甘々胸キュン動画として私は何度も見まくっていた。なんなら昨日も見た。緋王様が「愛してる」と囁くたびに「オッホ!」と噴き出し飛び跳ね倒れた。
 つまり、ゲームついでに萌え供給もできる、一石二鳥のゲームということである!
 だが私は、さらなる萌え供給と勝利を掴み取るために、特別ルールを追加した。

「本来は言い合うゲームですが、皇さんが私に言うだけにします。私をドキドキさせたら、皇さんの勝ちです」

 このルールなら、私が「照れていない」といえば私は負けることがない。完璧。
 皇は、口元を覆って少し考えた。

「……分かりました」

「では、はじめましょう」

 最高の萌え供給を!

 私がじっと見つめると、皇は目をつむって上を向き、すうっと息を深く吸った。はあ……と吐き出し、真剣な顔で私を見た。
 ドキッ……。

「……あ、………………。
 
 ………あの、『愛してる』だけですか?
『愛しています』、はだめですか?」

 なんだそれは!!
 どっちでもいい!
 いや、よくないか。台詞の選定は大事だ。

「『愛してる』だけです」

 いつも敬語の皇がタメ口で愛の言葉を囁いたら萌える。

「分かりました」

 皇は、再び目をつむった。そして、目を開くと、さっきよりもまっすぐ――覚悟を決めたような顔で、私を見据えた。

「――愛してる」

 ドキッ……!
 ま、まだまだ……。こんなのは予想の範囲内!
 まだ、顔がいいだけだ!

「……愛してる……」

 さっきより少し静かな声音……!
 うっ…………! 胸が締めつけられる……っ!
 だが、まだまだ……! まだ、いける……!

 皇が、黙ってじっと私を見つめる。
 謎の沈黙。だが、無性にドキドキしてきた……!

 でも、ここで倒れるわけにはいかない……!
 負けず嫌いの皇なら、きっと、もっと萌える「愛してる」を繰り出してくるはずだ……!

「…………あの、いったん、すみません」

 また「あの」かっ!
「あ」で期待してしまう私の気持ちを返せ!!

「すみません、どうしたらいいのかよく分からないので、ゲームについて調べてもいいですか? それと、脈拍計をつけてもいいですか? キルコさんがドキドキしたかどうかを明確にしないと勝敗が決まらないと思うので。キルコさんの言うドキドキが心拍数の数値でいうとどのくらいなのかも明確にしましょう」

 脈拍計は困る……! 一発で終わってしまう!!

「調べても構いませんので、脈拍計はやめてください。このゲームでは普通はつけませんので。正規の方法に則って、自己申告します」

 皇は了承して、スマホで調べはじめた。「勝ち方」と書かれたものや、実践動画を五分ほど漁る。ぷつぷつと、「今までの統計から考えて……でもこれは…………」などと呟く。ドキドキとは無縁の研究者の形相だった。
 
「見つめ合うというルールはそのままという解釈でよろしいでしょうか? それと、言葉以外の行為をするのも可能ですか?」

「お任せします」

「分かりました。では……」

 皇が、スマホをポケットに入れた。
 やさしく私の右手を取る。そして、自分の胸の近くに引き寄せた。

「……愛してる」

 うっは…………! お、王子風⁉ さ、さっきまでと違いすぎる……! 萌え……っ!
 ドキドキして、息が浅くなる……!
 息を止めようとしていると、手を引かれた。右手が皇の肩に乗せられる。体が皇に近づく。

「愛してる」

 ひ〜〜〜〜〜〜っ!!!!
 こ、こんな近い距離で、こんないい顔にそんなこと言われたら、やややや、やばい!!
 私は、グッと下唇を噛みしめた。耐えろ! 耐えろ私……!
 そっと、頬に皇の手が伸びた。ドクンと心臓が跳ねる!
 0.1mmの隙間から、皇の手の熱が伝わってくる……!

「……愛してる…………」

 ぎゃあああああああ〜〜〜〜!!!!
 やばぁああ〜〜〜〜い!!!!
 心臓が、ドッドッドッとすごい音で鳴り響く。ドクドクしすぎて、体が動かない! 息さえも、しているか否か分からない……!!
 皇の指が、耳を触った。

「ひぇッ⁉」

 皇の顔が、近づいた。
 鼻と鼻が重なるほど、近い……!
 そのまま、皇は私をじっと見つめた。
 目の中に、閉じ込められそうになる。

「――……愛してる……」

 んぅ――――――ッ!!!!
 
 思わず、肩にきゅっと力が入った。
 すべての時間が止まった。
 じっと見つめられたまま。

 ぶわっと、頭の上まで熱が込み上がった。ばっと顔を両手で隠す。恥ずかしい…………!

「続けます。顔を見せてください」

 ……ここで「はい」と言えば、さらなる萌えの供給が……!
 しかし、これ以上は、もう、心臓がもたない…………っ!

「………………わ……私の、負け、です…………」

 さらば日本酒……。
 がくりとうなだれる。やっと、心臓の音が聞こえてきた。バクバクが止まらない。
 恐るべし、萌えの供給過多……。明日からはほどほどにしよう……。
 
 はあ…………と、皇の長いため息が聞こえた。ちらりと見ると、両手で顔を覆い、うなだれていた。

         ✦ ✦ ✦

 終会が終わって一時間後の十七時。新宿の映画館で待ち合わせた。
 皇は、白いシャツの上に黒い薄手のカーディガン、黒いパンツという格好だった。スタイルがいいだけに、メガネと長い前髪で顔が隠れているのがもったいない。

「メガネを……」

 と手を伸ばしたが、メガネを押さえられた。暗い中なのでメガネを外すといっそう周りが見えなくなるらしい。
 まぁ、この時間は緋王様がメインだからいいか。
 せっかくなら、私服皇を写真に納めたかったのだが。
 準備していたスマホを鞄に戻すと、指先が運命写真機に触れた。
 そういえば、今日はまだ撮っていなかった。
 パシャリと皇を撮る。スマホで撮られ慣れているからか、突然の撮影にも皇は何も言わない。
 出てきた運命写真をみて、ため息をついた。
 今日は緋王様に浸ろうと思っていた矢先に……。

 まあいい。一日一仕事は決めていたことだ。
 今日はこのチャンスを使う。
 
 だが、まずは緋王様に集中する。

 劇場に入ると、緋王様のファンらしき少女たちが和気藹々としていた。皆、きらきらしたうちわを持ってキャッキャと話し合っている。微笑ましい。
 のほほんとした気持ちで皇についていく。前から二番目の席だった。
 ち、近い……! 映画後の登壇が楽しみで仕方ない!

 映画は、最高だった。
 ミッションだけを淡々とこなす、冷酷な殺し屋……。
 ミッションのためにとある少年を殺すことになるのだが、それは自分の弟だった――という物語。
 わけあって親に捨てられた緋王様は、弟とは顔を合わせたことがなかったが、ふとしたタイミングで弟と交流し、心を通わせてしまう。
 憂いのある表情で錆びたビルの屋上から汚い街を見下ろすシーンの儚さたるや……。
 緋王様が映るたびに美しくて惚れ惚れした。
 しかし、映画が終わり、私は沈鬱な気持ちでボロボロに泣いていた。

「大丈夫ですか」

「うっ………………うぅ……………………」

 皇が差し出したハンカチに顔を埋めて泣く。
 また、緋王様が死んでしまった……。
 緋王様が死んでしまう映画はこれで二作目だ。ひどい。なぜ緋王様を殺すのか。私は悲しくて、許せない気持ちでいっぱいだった。
 しかも、最期の言葉が「愛してる……」。助けた弟に向けた言葉だったが、カメラ目線で画面いっぱいに映った緋王様が美しかっただけに、死んでしまったことへの悲しみが深くてならない。

「本当に死んだわけではないです。この後、登壇しますから」

「そうだとしても、いやなんです……。推しを失うなんて、世界の終わりです…………。推しには、永遠に生きていてほしいんです…………」

「…………永遠に…………」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしていると、「お待たせいたしました。それでは、キャストと監督が登壇いたします!」と司会者が言った。
 キャアアアアアアア!! と黄色い歓声が沸き、目を上げる。

 ひ、緋王様が……来たぁあ————っ!!!!

「あああああああっ! ほほほほ、ほんもの!! ほんもの!! ちかっちかっちかいっ!!!!」

 私はハンカチとうちわを膝に落とし、なにかを握りしめた。
 生緋王様! 黒スーツ緋王様!! かかかかか、かっこよぉおおお~~~~っ!! 二列目だから最高に近い! この前のライブより近い気がする! 心なしか、いいにおいがするっ! ああぁっ……! 嬉しい……!

「――では、主演の緋王さん。最初に一言、ご挨拶をお願いします」

「皆さん、こんばんはぁ」

 キャアアアアアアア!!!!! しゃべったあああああ!!!!
 目の前の緋王様が、しゃしゃしゃしゃ、しゃべってる! ほほほ、ほん、ほんもの……!!

「この度はこのような遅い時間に、劇場まで足を運んでいただき、本当にありがとうございます。お仕事終わりの方、学校終わりの方、いろいろな方がいらっしゃると思いますが、作品一つみるのは、心の力がいるものやと思います。お疲れのところ、この作品のために心の力と時間を割いてくださった皆さんに、心から感謝します」

 ひっ…………! な、なんて美しい礼のお心……。尊い……。
 感動して、涙がじわりと滲み出た。

 ――その時だった。

 緋王様がこちらを向いた……!

 …………⁉

 目が合っているかは分からない……!
 だが、確実にこちらを見ている! 私を見ている!!
 私は声にならない声を出しながら、「わわわわわわわ……!」とわけの分からぬ声を漏らしながらぐいぐい皇を引っ張り、やがてうちわの存在を思い出した。だが、うちわに書いてあるのは「こっちみて!」と緋王様の名前である。もうこっちを見てくれているし、意味がない!
 くっ……! 「大好き!」のうちわをつくってくればよかった……!

 もだもだしていると、緋王様の視線が離れてしまった。
 ああ……。

 残念ではあったが、その後の質問のお答えもすべて素晴らしかった。緋王様イズ崇高…………。

「それでは、最後に一言お願いします」

 あっという間に時間になってしまった。緋王様がマイクを握る。

「今日は、本当に長い時間お付き合いいただきありがとうございました。上映開始は二週間後になりますので、ぜひお友達や職場の人たちに広めてもろたら嬉しいです。暗いので、気ぃつけてかえってくださいね。
 ――僕に、殺されないように」

 キャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
 最後の、最後の台詞!!!!
 萌え!! 萌え!! やばい!! 萌え!!
 しかも、私の方を見たっ!!!! 絶対見た!! 嬉しすぎる!!!!
 あああ! 緋王様になら殺されてもいいっ!!
 むしろ後ろから襲ってほしい!!
 私は神なので死なないが!!

         ✦ ✦ ✦

 放心しながら劇場を出る。

 よすぎた…………。

 幸せ。幸せの極み。
 ああ…………。
 緋王様こそ私の幸せ……。
 緋王様を推していてよかった……。
 まさかこんな近い距離で、こちらを見てくださる日がくるなんて……。
 我が2000年の人生で、今日が最高に幸せな日かもしれない……。

 あぁ、おなかいっぱい……。
 酒も何もとらなくていい。この幸せな気持ちのまま眠りたい。
 だが、そうもいかないのが私の仕事のつらいところだ。
 
 ビル風に吹かれながら、人の多い光の街を、皇に導かれるままゆらゆらと歩く。
「このまま死んでしまいたい……」と呟くと、皇が私の顔を覗き込んだ。

「キルコさんの幸福度はとても高いように見えますが」

 うん、目の前に好きな顔もあるし幸福度は最高だ。

「だからこそ死にたいのです。最高に幸せな瞬間に死んでしまえば、その幸せは永遠のものになりますから」

 皇は、ほぅ、と息をついた。
 
 到着したのは和風のカフェだった。
 半個室のような空間に入る。座ると、一気に脱力した。
 皇が開いたメニューをちらりと覗くと、茶のメニューが多いようだった。ちょっとした食事もデザートもある。
 皇は茶蕎麦を、私は抹茶のミニパフェを頼んだ。

「今日はありがとうございました。はじめて映画をみました」

「はじめて?」

「はい。あまり興味がなく」

「それはもったいないです! 緋王様の出ている映画のDVD、今度貸すので観てください! 緋王様、すごかったでしょう? 登壇した時と演技の時の差……! 同じ人なのに、違う人のようで! 表情一つ、息づかい一つで感情を表現して……まさにプロです!」

「すみません、そこまで注目していませんでした。キルコさんを見ることを優先していて」

「もったいない! 今回の映画もDVDになったら手に入れるので、貸したら観てください!」

「分かりました」

 皇の前に、蕎麦が運ばれてきた。
 おお……これが、ジャパニーズ・蕎麦……。
 緋王様が長野県に行った時に食べていたものだ。あの時の蕎麦と違って緑色なのは、茶が練り込まれているかららしい。

「食べてみますか?」

 皇が箸とつゆを差し出してきた。
 3本ほど箸で取り、持ち上げる。たしか、つゆにつけて、すするのだ。
 しゅるっと口の中に入れると、ふわっと茶の香りと、違う香ばしさが口の中に広がった。つるつるで噛みごたえもいい。つゆのしょっぱさもちょうどいい。
 もう少し……と箸を伸ばすと、皇が店員につゆが入ったカップをもう一つ頼んでいた。

 結局、二人で平らげる形になった。最後の一束は私に譲ってくれた。
 皇は足りなかったのか、いつのまにか私と同じパフェを頼んでいた。
 甘ったるい抹茶クリームを口に運ぶ。中のスポンジも抹茶味のようだった。
 私の興奮は落ち着いていた。

「質問していいですか?」

 皇を見た。メガネと前髪で顔が隠れている。許可を出し難い。

「顔を見せてくれたらいいですよ」

 皇は、あっさりメガネを取った。そして、前髪を掻き上げた。
 ドキッ――。
 やっぱり、緋王様に似ている……。
 落ち着いていた興奮がじわじわと復活してきた。

「比較検証に関する質問です。三点、質問させてください。
 一つ目です。僕への反応と彼への反応には結構な差があるように思います。例えば、彼が登壇した時と話しはじめた時、キルコさんは、僕の腕をものすごい強さで握って喜びました。僕に対してはそのような反応はありません。その理由はなんでしょう」

 皇のカーディガンの二の腕部分がわずかに伸びていた。私が握ったところらしい。あまりの興奮で、皇の二の腕を握ったことさえ自覚がなかったし、力加減もよく分からなかった。
 
「よく会えるか会えないか……あとは、推しでいる期間の違いでしょうか」
 
「なるほど。
 二つ目です。彼に望むこと、僕に望むことに違いはありますか。また、それぞれに望むことを具体的に教えてください」

 難しい。違いはあるが、これもやはり距離感の違いによるものだ。もし緋王様と皇の立場が入れ替わったら、皇に要求していることを緋王様に――いや、要求できない。恐れ多い! 緋王様が皇の立場になったら、私は私を見てくれるだけで、嬉しくて昇天するだろう……。
 そう思うと、皇と緋王様への気持ちは、同じ推しでも違うもののように思える。緋王様へは崇拝の気持ち、皇へは――もしかすると、甘えてしまっているのかもしれない。そしてそれが心地よい――そんな気持ちなのかもしれない……。
 そう考えたことをつらつらと呟きながらパフェにスプーンを刺すと、中から一口サイズの餅が出てきた。
 だが、白くない。透明だ。
 これは……?

「わらび餅です」

 これが、ジャパニーズ・わらび餅……! 口に入れると、やわらかくてとろけるような餅食感で感激した……! 甘さも控えめ……! まさにジャパニーズ!
 皇の口元が、ふっと緩んだ。突然の微笑みにキュンとする……!
 だが、皇はすぐにまた真剣な顔に戻った。そして自分のパフェをどかし、パソコンを開いた。

「彼に望むことはキルコさんを見ること、僕に望むことはファンサをはじめとする様々な要求、ですね。
 では、三つ目です。これから言うことについて、僕と彼のどちらがよりあてはまるか、比較検証し、答えてください。全部で七項目あります」

 ……これは、「質問」なのだろうか?
 不思議に思っているうちに、皇の問いがはじまった。
 
「一緒にいられないと、寂しさを感じる」

「皇さん?」

 そもそも緋王様とは一緒にいられないし。
 それに、文化祭期間、昼休みにあまりいられなかった時は、不満――というより、寂しかったような気がする……。
 
「一人でいると、会いたいと思う」

 会いたい……? 見たいのはどっちも……? でも、明日はどんなファンサ要求をしようか、早く明日になってほしい、とわくわくするのは……。

「皇さん?」

「一人占めしたい」

「どちらもないです」
 
「その人に幸せになってほしい」

「緋王様?」

 もっともっと努力が報われて、芸能界の頂点に行ってほしいと思う。
 
「自分が幸せにしたい」

「緋王様?」

 これからも全力で応援して力になりたい。
 
「なんでも許せる」

 顔がいいからどちらも許せる!
 と言っても、緋王様に落ち度があるようなところは考えられない。緋王様は完璧なのだ。
 だとすると……。

「皇さん」

「その人のためなら、なんでもできる」

「緋王様」

 お会いするためならどこへもいけるし、グッズも全部手に入れて貢献している。ジャックがどうやって手に入れていたかは知らないが。

「では、最後です。
 もし、キルコさんの前からいなくなってしまったら、自分の一部が抜け落ちたような気持ちになる」

 これは、一択だった。

「緋王様」

 だって私は、「皇の命を奪わない」という道を、選ばないのだから。
 
         ✦ ✦ ✦


「今日はありがとうございました。これで証明に必要な資料は揃いました。今週中にまとめます。
 絶対に、証明してみせます」

 キュン……。
 おっと、真剣なまなざしにときめいている場合ではない。
 
 ――仕事の時間だ。
 
「プレゼンをさせていただく日時なのですが……」

 パン!

 弾けるような音の直後、巨大なトラックが横転した。人々が悲鳴をあげながら逃げ惑う。横転したトラックはコンクリートの上を滑りながら、私と皇の方に向かってくる。長い胴体からは、どうあっても逃げられない。
 これが、今日の皇の運命写真に浮かんだ死のチャンスだった。
 様々な物理攻撃を回避してきた皇も、これは回避できなかろう……!
 皇は、私の手を取った。そして、全速力で運転席のある方へ走った。悪あがきだ。車は近づいている。間に合わない。

 ガシャアン!!

 凄まじい音とともに、トラックが店にぶつかった。店の玄関口が大きく潰れる。
 だが――。
 私たちは間一髪、無事だった。トラックの前輪の近くに行ったおかげで、タイヤと店の外壁のわずかな隙間に入り込むことができたのだ。おそらく、これも皇の計算のうちなのだろう。

 パン、パン! と不穏な銃声音が鳴り響く。けたたましい人間たちの悲鳴が轟く。

「早く出ないと……! ガソリンのにおいが……! このままだと、爆発する……!」

 だが、動けなかった。動ける隙間などなかった。
 皇は私を庇い、トラックに背を向けていたからなおさらだ。
 体がくっついているために、私たちはもう、顔を見ることもできなかった。
 私には、好都合だ。皇の顔を見て、躊躇しなくて済む。

「いいではないですか、もう、死んだって。一緒に、死んでしまいましょう」

 ヘアピンを鎌に変える。皇の首の後ろに、鎌を伸ばした。
 ……改めて考えると、今までで一番べったりくっついている! 保健室に行く前のあの時より、密着度が高い! だんだん、ドキドキしてきた……!
 が、覚悟を決めて、鎌を振り上げた!

「――いやです」

 皇の手が、私の背中に回った。
 ドキン! と胸が鳴った次の瞬間、私は、皇に抱き上げられていた! 
 足が宙に浮かぶ。皇の頬に、私の頬がくっつく。

「まだ、証明もしていないのに……この先に、幸せがあるのに!
 ここで死ぬのは、悔しいので!」
 
 皇は、背中を後ろのトラックに押しつけ、体をのけぞらせると、私が背にしていた建物の壁に足をつけた。

「危ないので、僕の方を向いていてください」

 言われた通りに顔の向きを変える。反対側の頬がくっつく! ちちちちちちち、近い! 近すぎるっ!! 史上最高に近い――っ!! ほ、ほっぺ、きもちいぃ……っ!

 そんな私の動揺などつゆ知らず、皇は思い切り壁を蹴った!
 皇の背中が、トラックの銀色の荷台に乗った。
 これで動ける。
 皇は私を離し、立ち上がると、私の手首をぐっと握った。全速力で荷台の上を走る。
 荷台から飛び降り、三歩行ったところで、皇が私をぐっと引き寄せ、抱きしめた。
 
 ドォン!

 凄まじい爆発と爆風が、背後のトラックから迫る。
 足を取られた皇は、私を抱いたまま転がった。
 ドォン、ドォンと連続で爆発が起こったが、爆風はもう届かなかった。

「怪我はありませんか」

「なんとも……」

「よかった」

 体を離して起き上がる。皇も、服は汚れていたが、怪我はなかった。

 ……くっ。まさか、これだけの規模の事故と爆発さえ回避してしまうとは……。

「すみませんでした。また、巻き込んでしまって。
 ですが、僕は絶対に死なないし、絶対にキルコさんを守ります。
 なので――土曜日、僕にまた時間をください。
 キルコさんの僕への気持ちが推しではないと、証明するための時間を」

 皇の背後に炎が上がる。
 皇の目にも、炎が燃えているのが見えた。
 
 ——無理だ。何もできない……。
 この研究モードが終わるまで、どんな大きなチャンスも精神力に打ち砕かれてしまうだろう……。
 
 私は、しばらく仕事を休むことに決めた。
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