残酷な描写あり
和歌解説(一)
■第〇服■
生まれしも帰らぬものをわが宿に
小松のあるを見るが悲しさ
土佐日記 帰京より
生まれた我が子も亡くなり、この家に帰らないのに、留守の間に我が家に生えたての松があるのを見ることは悲しいことだ
『土佐日記』の帰京にある歌で、帰京した紀貫之を待っていたのは荒廃した自宅でした。管理を頼んでいた隣家の無責任ぶりに落胆するしかありません。あてにならない人情に悲哀を感じながら荒れ果てた庭を見ると、留守の間に生えた小さな松がありました。その姿に幼くして死んだ娘を偲び、生まれたての命とはかない死とをくらべて、悲しみを新たにしたのでしょうね。
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■第一服■
めづらしく けふたちそむる 鶴の子は
せんよのむつきを かさぬべきかな
詞花和歌集 賀 伊勢大輔
めずらしくも今日のこの日に飛び立ちはじめる鶴の子は千年にわたって睦月(=正月)を重ねていくでしょう
むつきは睦月と襁褓(むつき。おしめまたは産着のこと。ここでは重ねる=たくさん使うなので、おしめのこと)の掛詞、千世の睦月と千余の襁褓
という意味。
たちそむるは「立ち初むる」。赤子が初めて立ったことと、鶴が初めて飛んだことを掛けたと思われる。
伊勢大輔は、平安時代中期の日本の女流歌人。大中臣輔親の娘。高階成順に嫁し、康資王母・筑前乳母・源兼俊母など優れた歌人を生んだ。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
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■第二服■
いささめに 時待つまにぞ 日は経ぬる
心ばせをば 人に見えつつ
古今和歌集 紀乳母
ついうっかり、よい機会があろうかと、ため
らっているうちに、月日は経過してしまった。
私の気持ちだけは先方に知らせておきながら
紀乳母は陽成天皇乳母。嵯峨天皇の皇子源澄、または同皇孫蔭の妻かという。子に益がいる。元慶六年、従五位上。同七年、益は陽成天皇の御所で挌殺された(日本三代実録)。
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■第三服■
かくばかり 遠き吾妻の 不二の根を
今ぞみやこの 雪の曙
大内氏実録 大内義興
今までこれほどまでに京の都の比叡山の曙が、はるか遠き東の富士の山に見えたことはあっただろうか
大内 義興は、室町時代後期から戦国時代にかけての周防の戦国大名。周防の在庁官人・大内氏の第15代当主。
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■第四服■
いつしかに春とは知りぬ鴬の
さだかならねど今朝の初声
平瀬家蔵短冊手鑑 細川晴元より引歌
いつの間にか春になっていたとは知らなかったが、今朝か定かではないけれど、今年初めて鴬の鳴く声を耳にしました。
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■第五服■
春来ぬとふりさけみれば天の原
あかねさし出づる光かすめり
慈照院集 足利義政
春が来たと遥かに仰ぎ見れば、天空は茜色の現れた光が霞んでいるではないか。
菅原道真「新古今集」
天の原あかねさしいづる光には
いづれの沼かさえのこるべき
安倍仲麿「古今集」「百人一首」
天の原ふりさけみれば春日なる
三笠の山に出でし月かも
鷹司冬平「新千載集」
いとはやも春きにけらし天の原
ふりさけみれば霞たなびく
こちらの三首を参考に足利義政が詠んだ歌と思われます。
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■第六服■
今日はまた咲き残りけり古里の
あすか盛りの秋萩の花
慈照院集 足利義政
今日はまた咲き切らずに蕾が残った。古郷の飛鳥の秋の萩は、明日が盛りだろうか。
丹比国人「万葉集」
明日香河ゆきみる丘の秋萩は
今日降る雨に散りか過ぎなむ
足利義政はこの万葉集の歌を念頭に詠み変えたといわれています。
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■第七服■
逢ひ見てし後瀬の山の後もなど
通はぬ道の苦しかるらん 良覚
逢ってはみたものの、また逢えるとも分からないのだから、これから先、通っていない山の道が苦しいかどうかも分からないでしょうね。
後瀬山は若狭の掛詞で、後に逢うの意味として使われた言葉です。
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■第八服■
【和歌解説】
足引の山に生ひたるしらかしの
知らじな人を朽木なりとも
姿あやしと人の笑ひければ
後撰和歌集 凡河内躬恒
足を引きずって登らなければならないような深い山に繁った白橿(しらかし)を知らないでしょう。人を朽ちた木のようにみっともない恰好だと笑っている(朽木谷を鄙びた場所だと莫迦にしている)あなたのような人は。
足引は山の枕詞。朽木と朽木が掛詞になっています。
凡河内 躬恒は、平安前期の歌人・官人。『勅撰作者部類』では淡路権掾・凡河内諶利の子とされる。和泉大掾。三十六歌仙の一人。
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■第九服■
恋しくは たづねきてみよ 和泉なる
信太の森の うらみくずの葉
浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」
安倍晴明の母葛の葉伝説の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」で狐が口にくわえていた一首。菱木は信太よりやや西にある。
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■第十服■
わすれても汲やしつらん旅人の
高野の奥の玉川の水
雨月物語より引歌
旅人はたとえ忘れてもこの水を飲んでよいであろうか。高野山の奥のこの玉川の水は毒があると言われているのに。
この歌は雨月物語という本に弘法大師が詠まれた歌として登場しますが、実際に弘法大師が詠んだ歌ではなく、著者の偽作であると言われます。著者の思いを仮託して詠んだ歌なのでしょうね。
生まれしも帰らぬものをわが宿に
小松のあるを見るが悲しさ
土佐日記 帰京より
生まれた我が子も亡くなり、この家に帰らないのに、留守の間に我が家に生えたての松があるのを見ることは悲しいことだ
『土佐日記』の帰京にある歌で、帰京した紀貫之を待っていたのは荒廃した自宅でした。管理を頼んでいた隣家の無責任ぶりに落胆するしかありません。あてにならない人情に悲哀を感じながら荒れ果てた庭を見ると、留守の間に生えた小さな松がありました。その姿に幼くして死んだ娘を偲び、生まれたての命とはかない死とをくらべて、悲しみを新たにしたのでしょうね。
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■第一服■
めづらしく けふたちそむる 鶴の子は
せんよのむつきを かさぬべきかな
詞花和歌集 賀 伊勢大輔
めずらしくも今日のこの日に飛び立ちはじめる鶴の子は千年にわたって睦月(=正月)を重ねていくでしょう
むつきは睦月と襁褓(むつき。おしめまたは産着のこと。ここでは重ねる=たくさん使うなので、おしめのこと)の掛詞、千世の睦月と千余の襁褓
という意味。
たちそむるは「立ち初むる」。赤子が初めて立ったことと、鶴が初めて飛んだことを掛けたと思われる。
伊勢大輔は、平安時代中期の日本の女流歌人。大中臣輔親の娘。高階成順に嫁し、康資王母・筑前乳母・源兼俊母など優れた歌人を生んだ。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
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■第二服■
いささめに 時待つまにぞ 日は経ぬる
心ばせをば 人に見えつつ
古今和歌集 紀乳母
ついうっかり、よい機会があろうかと、ため
らっているうちに、月日は経過してしまった。
私の気持ちだけは先方に知らせておきながら
紀乳母は陽成天皇乳母。嵯峨天皇の皇子源澄、または同皇孫蔭の妻かという。子に益がいる。元慶六年、従五位上。同七年、益は陽成天皇の御所で挌殺された(日本三代実録)。
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■第三服■
かくばかり 遠き吾妻の 不二の根を
今ぞみやこの 雪の曙
大内氏実録 大内義興
今までこれほどまでに京の都の比叡山の曙が、はるか遠き東の富士の山に見えたことはあっただろうか
大内 義興は、室町時代後期から戦国時代にかけての周防の戦国大名。周防の在庁官人・大内氏の第15代当主。
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■第四服■
いつしかに春とは知りぬ鴬の
さだかならねど今朝の初声
平瀬家蔵短冊手鑑 細川晴元より引歌
いつの間にか春になっていたとは知らなかったが、今朝か定かではないけれど、今年初めて鴬の鳴く声を耳にしました。
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■第五服■
春来ぬとふりさけみれば天の原
あかねさし出づる光かすめり
慈照院集 足利義政
春が来たと遥かに仰ぎ見れば、天空は茜色の現れた光が霞んでいるではないか。
菅原道真「新古今集」
天の原あかねさしいづる光には
いづれの沼かさえのこるべき
安倍仲麿「古今集」「百人一首」
天の原ふりさけみれば春日なる
三笠の山に出でし月かも
鷹司冬平「新千載集」
いとはやも春きにけらし天の原
ふりさけみれば霞たなびく
こちらの三首を参考に足利義政が詠んだ歌と思われます。
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■第六服■
今日はまた咲き残りけり古里の
あすか盛りの秋萩の花
慈照院集 足利義政
今日はまた咲き切らずに蕾が残った。古郷の飛鳥の秋の萩は、明日が盛りだろうか。
丹比国人「万葉集」
明日香河ゆきみる丘の秋萩は
今日降る雨に散りか過ぎなむ
足利義政はこの万葉集の歌を念頭に詠み変えたといわれています。
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■第七服■
逢ひ見てし後瀬の山の後もなど
通はぬ道の苦しかるらん 良覚
逢ってはみたものの、また逢えるとも分からないのだから、これから先、通っていない山の道が苦しいかどうかも分からないでしょうね。
後瀬山は若狭の掛詞で、後に逢うの意味として使われた言葉です。
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■第八服■
【和歌解説】
足引の山に生ひたるしらかしの
知らじな人を朽木なりとも
姿あやしと人の笑ひければ
後撰和歌集 凡河内躬恒
足を引きずって登らなければならないような深い山に繁った白橿(しらかし)を知らないでしょう。人を朽ちた木のようにみっともない恰好だと笑っている(朽木谷を鄙びた場所だと莫迦にしている)あなたのような人は。
足引は山の枕詞。朽木と朽木が掛詞になっています。
凡河内 躬恒は、平安前期の歌人・官人。『勅撰作者部類』では淡路権掾・凡河内諶利の子とされる。和泉大掾。三十六歌仙の一人。
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■第九服■
恋しくは たづねきてみよ 和泉なる
信太の森の うらみくずの葉
浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」
安倍晴明の母葛の葉伝説の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」で狐が口にくわえていた一首。菱木は信太よりやや西にある。
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■第十服■
わすれても汲やしつらん旅人の
高野の奥の玉川の水
雨月物語より引歌
旅人はたとえ忘れてもこの水を飲んでよいであろうか。高野山の奥のこの玉川の水は毒があると言われているのに。
この歌は雨月物語という本に弘法大師が詠まれた歌として登場しますが、実際に弘法大師が詠んだ歌ではなく、著者の偽作であると言われます。著者の思いを仮託して詠んだ歌なのでしょうね。