残酷な描写あり
第十七話 記憶の彼方にある物は――
「此処はどこだろう、僕は一体何をしているんだ? 確かアデル達と一緒に先生の家に帰って剣聖結界を伝授してもらう為に……あぁ、そうだ。確か瑠璃の話をした後先生を説得するために部屋に入ったんだ。それから~――あまり覚えてないな、気が付いたら辺り一面にだだっ広い草原があって。なんだか良く分からない」
「そうだ、イゴールと話をしたんだ。何の話だっけな。覚えてないや……でもとても憎かった気がする。誰が憎かった? イゴールの事が憎かったんだっけ? 何で? イゴールとは初対面のはずだ、なんであいつを憎むんだ? わからない、そうだ。確かイゴールの記憶を見たんだ、とても酷い記憶だった。そうそう、イゴールが憎いんじゃない。人間が憎いんだ。あいつにあんなことをした人間が憎いんだ。ひっそりと暮らしていた彼等に突如戦争を吹っ掛けた人間が憎い、彼らをぼろ雑巾みたいに扱った人間が憎い」
「あれ、そうすると僕自身も憎いのか? 人間でいる僕自身が憎いのかも? 自分が憎いって何だろう。そうだ、人間の事が憎い、僕自身憎い。じゃぁアデルやギズー、ガズルにメルも憎い」
「あぁ――そうか。友達が憎いんだ、僕がこうして苦しんでいるのに誰も助けてくれないあいつらが憎い。なんで僕だけがこんな目に合わなくちゃいけないんだ、でもイゴールに任せておけば全部やってくれるんだっけ? じゃぁ僕は何もしなくていいや。イゴールだけが僕の事を分かってくれる、憎しみを分かち合う兄弟みたいな感じだなぁ。兄弟がいればこんな感じなんだろうなきっと」
「あれ、このニンゲンどこかで見たことあるな。あぁ、僕の事助けに来てくれなかったアデルか。今更何の用だよ、今更来たって遅いんだよ。僕は知ってしまったから、人間の醜いところ全部を知ってしまったから。今更僕に何をするんだよアデル、帰れよ――帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ!」
「どの面下げて僕の前に現れたんだよ。僕が一番大変な時に助けに来てくれなかったのになんて顔してんだ、ふざけるな。もう僕の事はほっといてくれよ。いや、僕はもう何もしなくていいや、全てイゴールに任せよう。あいつが全て上手くやってくれる」
「レイに何をした!」
炎の厄災と対峙したアデルが叫ぶ、その声に後ろの小さなレイが肩をビクッと震わせた。
「直接少年に尋ねるといい、返答があるとは思えないがね」
その表情は一切揺らぐことなかった、引き裂かれた口は顔いっぱいに広がり不気味に笑っている。目は見開いているが眼球はない、その代わりに白い光のようなものが見える。一度も瞬きする事無く、一度も口を閉じることも無い。
「野郎っ!」
アデルはグルブエレスを逆手に持ち替えるとその場を飛んだ、炎の厄災に急速接近し首に狙いをつける。確実に首を跳ねたと思った。が、グルブエレスは空を切った。炎の厄災が避けた訳じゃない、すり抜けてしまった。勢いが付いたアデルは体制を崩し、顔から焦土に落ちる。
「イテテテ、てめぇ!」
「頭を冷やせ馬鹿者、こやつに刃物なんぞ通じるか!」
炎帝が叫ぶ、その声に炎の厄災がピクリと反応した。まさに千年以上前に聞いたその声に懐かしさを覚えて。
「そうですか、あなたが私を焼き、私に炎の力をくださったのは」
アデルを見ていた顔がゆっくりと炎帝へと振り返る、その表情には怒りと感謝が見え隠れしていた。不気味に笑うその口から次々と言葉が出てくる。
「アレは熱かった、だがそのおかげで私はこれほどの力を手にすることができた。感謝しますよご老人、あなたのおかげで私は人間に復讐するという目標を作ってくれた。これほどまでに執念深く、憎悪に満ちることはない! かつて私が受けた苦しみ、憎しみ、全てをあなたに感謝せねばなりません」
「貴様、壊れているな」
「壊れている? 何を今更、何もない空間に封印され千年もこの憎悪と憎しみに囚われ続けていれば壊れもするさ。いや、壊れることを助長したと解釈するべきか――ハハハ、言うのが千年遅いんじゃないかね?」
先程までとは違い明らかに殺気を放ち始めた、重い空気が辺りを緊張させる。ピリピリと伝わるその殺気に思わずアデルが身を引いた。彼は恐怖した、かつてこれ程までに恐ろしく禍々しい殺気を見たことがあるだろうか。否、それは人を超越した存在でしか発する事の出来ない非常に重い私怨だ。憎悪が憎悪を呼び、憎しみが憎しみを重ねる。長年積み上げられてきた殺気とは人を畏怖させる。
「テメェが人間に何されたかは知らねぇ、知らねぇけど俺のダチは返してもらう!」
厄災の後ろでアデルが叫ぶ、その声を聴いて厄災は肩を震わせ始める。そして両手を広げて大いに笑う。
「ハハハハハハ、返してもらう? 馬鹿を言ってはいけないよアデル。少年は自分から殻の中に閉じこもったのだ、私が閉じ込めたのではない!」
ここで初めて厄災の表情に変化があった、正確にはあったように見えた気がする。変わらずの表情だったがほんの一瞬だけ口元の広がりが増したように見えた。
「さぁ、君にも見せてあげよう! 人の醜さを! 私が受けた苦しみ、憎しみ――恐怖を!」
厄災の足元から黒い影のようなものが辺りの景色を包み込み始める、徐々にではなく即座にといった方がいいだろう。あたり一帯が真っ暗になると即座にその空間全体にヒビが入る。大きな音を立ててソレは粉々に割れてしまった。厄災の足元から噴き出した影はその場にいた全員の身動きを封じていた、指一本動かせず、瞬きすらも許されない強烈な束縛。
「くそ、うごかねぇ……」
次にアデル達の目に映ったのはレイが見せられた厄災の記憶だった。内容は全く一緒だった、だが視点が異なっている。レイは上空からその景色をただ見せられていただけだったが、アデルは異なっている。同じ炎の厄災が起こる直前、酷使され用済みとなった魔人の子供たちを小屋に押し込め火をつけるまさにその瞬間。アデル達はその小屋の前にいた。終始上空からただ見ていただけのレイの状況とは異なっている。
「さぁ、見るがいい! これから起きる光景を、残虐を!」
小屋に火が放たれた、最初に小屋の周りを囲うように火が付けられて徐々に取り囲むように炎が上がった。ジワジワと燃え広がっていく。次に小屋の周りに置かれていた枯れた稲から火の手が上がり、それが一気に火柱を上げた。
アデルは瞬きを許される事無くその光景を見続けた、レイと同じく人間の残虐性を知り絶望するかと思われた。しかし、その光景にアデルは猛烈な違和感を感じていた。
「おかしい、何かがおかしい」
違和感は次第に確信へと変わり始める。アデルが感じていた違和感は主に二つ、一つは何故殺すのに火を使った方法を取ったのか。単純に不治の病に掛かったとはいえ動けなくなるまで酷使し、その後動けなくなれば捨てればいいだけの話。それを何故火をつけて殺すという手段を取ったのか。
二つ目はそこに魔人以外の子供が混じっていることだった、厄災は多分気が付いていない。その多くは魔人の子供だったからかも知れない。数人の人間の子供も一緒に混じっている、それが猛烈に違和感を感じていた。厄災が見せてきた記憶では奴隷として仕事を強制的に行わせてきたのは魔人の子供だけ、そこに何故人間が混じっているのだろうか。また、魔族の子供はその中に存在していない。それも違和感の一つでもあった。
その後、厄災が封印されるまでの一部始終を見せられたアデル達は再び焦土が広がるレイの記憶の中に戻ってきた。体を拘束していた厄災の影も消え動けるようになっていた。つっかえが外れたように炎帝と小さなレイは崩れ落ちて地面に膝をつく。
「あ――あぁ――あぁぁぁぁぁぁ……」
「少年には荷が重すぎたかな? 一度ならず二度もアレをみたんだ、もう二度と戻ってくることも無いだろう」
小さなレイが頭を抱えてその場に蹲る、それを見ていた厄災は再び大きな声で笑い始めた。その姿を見た炎帝が急いで小さなレイへと駆け寄ろうと。が、再びその体がぴたりと動きを止める。
「イゴール――貴様っ!」
「ご老人は動かないで頂こう、もう少しで私の目標は完遂するっ!」
炎帝の体の周りには黒い影が渦巻いていた、厄災が再び炎帝の動きだけを止めていた。そしてゆっくりとアデルのほうへと体を向けると笑顔のまま続ける。
「さぁアデル君、君も私と一緒に人間を一人残さず根絶やしにしよう。君も見ただろう? これが君達人間の性なのだよ」
無表情のままアデルはその場に立っていた、視線だけを厄災へと向けピクリとも動かないでいる。だがアデルには厄災による束縛は受けているように見えない。
「炎の厄災。いや、イゴール――お前は勘違いをしているよ」
「勘違い? 何を言いますか、君も見たでしょう。人間が我等魔族に対して行った仕打ちを――残虐さを!」
淡々と口を開いたアデルに厄災が叫ぶ、その声には先ほどと同様に怒りと憎悪が混ざっている。だがアデルは眉一つ動かさずに厄災を見つめた。
「確かにテメェの記憶はきちんと見た、人間がお前らにやったことや魔人に対して行った仕打ちは確かに非道だ。それを否定するつもりはねぇ」
一度帽子を深く被りなおす、大きく開いた鍔を右手で顔つかみ切れ目の隙間から左目だけをのぞかせる。
「では何を勘違いしているというのですか、我等魔人だけがあれだけの事を受けたのです。勘違いもなにも――」
「不治の病『黒色塩化結晶症候群』、通称:黒色病」
厄災が叫びながらアデルへと近づくが、その声を遮るように一つの病名をアデルは口にする。それを聞いた厄災は足を止めた。
「当時の医療技術じゃ治せなかった病だ、一度発症すればそれは空気感染する。初めに倦怠感が体を襲い次第に発熱を伴う。この発熱期間が長くて一見風邪の症状にも似ているため早期発見が難しいと言われているがその症状は次第に変化を見せる。発熱が続いた後最初に体の一部分が黒色化する、次第に患部は広がり始めて全身を覆い、最後には塩の塊となって体が朽ちていく。治療技術はテメェが生きていた西部戦争時代から六百年後に確立され不治の病ではなくなった。当時は感染したら最後、原因となるウィルスは熱に弱く八十度以上の高温下では生きていくことができない。空気感染を防ぐためにも感染者を焼き払う必要があった」
次々にアデルは自分が知っている病気の歴史を話し始めた、何故彼がこれを知っているのかというとそれはガズルにある。この世界を旅するにあたって一番の悩みは病気にある。それも危険な病気だけでも覚えておけばいざという時に役に立つとガズルが幾つかの感染症について説明していたからだ。
しかし、何故アデルがこの病名を口に出したのか。それは厄災が見せた記憶と厄災本人に答えがあった。
「黒色病は一度発症するとワクチンを打たない限り完治しない、仮に患部を切り落とし焼こうものなら一気にウィルスが増殖し症状が進行する。本来なら数週間かけて進行するものがものの数秒で体全体に症状が発生する。ウィルスの自己防衛機能で爆発的に増殖を始める――」
「デタラメを言うな、焼かれたのは我等魔人の子供達だ! お前たち人間は我等を迫害し、奴隷として労働を強制してきたではないか!」
厄災はアデルの襟を両手でつかみ持ち上げた、身長差でアデルの体は簡単に持ち上がり地面から十数センチ浮き上がる。
「いずれも発症するのは未成年の子供に多く、稀に大人へと感染する。大人に感染すると最後、ウィルス自体が進化を初めて大人にまで感染拡大が始まる。だから感染した子供は一か所に集めて焼くしかなかった。それは人間の子供も同じだ!」
掴みあげられたアデルは厄災を睨みながら続ける、本人は一切気づかなかった事実を告げそのまま続ける。
「テメェが見たのは確かに魔人の子供が焼かれるその現場だ、お前も当事者だ。でもな、あの積み上げられた魔人の子供たちの下に元からいた人間の子供も居たんだ! 最後にやってきたお前には分からなかっただろうがな!」
「人間があそこに? 馬鹿馬鹿しい、あそこには我等魔人しかいなかった! 人間など一緒ではなかった!」
「じゃぁもう一度見てみろ! お前が見逃した事実を俺が付きつけてやる!」
アデルを掴んでいる厄災の手を振りほどいて地面に落ちる。喉元を圧迫されていた為かアデルが咳き込んだ、地面に落ちた衝撃で帽子が脱げていた。足元に落ちた帽子を被りなおしてまっすぐと厄災を睨む。右手に持つグルブエレスを逆手に持ち替えると体の正面に持ち、手を放す。
「再起動」
地面にグルブエレスが刺さるとそこから光があふれる、逆光剣だった。カルナックがレイ達に使った深層意識の中へとダイブする時に使ったもう一つの使い方である。逆光剣には主に二つの使い分けがある、一つは目くらましと同時に相手の深層意識に干渉し一時的に動きを封じる効果。もう一つはこの深層意識の中へ直接ダイブする手法である。
光は焦土の世界を瞬く間に包み込んだ、その光にその場にいた全員が目を眩ます。厄災の視力が回復した時そこは再び厄災が見せたあの世界だった。だが状況が異なる。時間の流れはぴたりと止まっていた。
「テメェが人間を恨む気持ちは分かったつもりだ、だけどな」
厄災は火が放たれる前の小屋を無意識に見つめていた、だがアデルは別の方向を見ていた。それに気が付いた厄災が同じ場所へと視線を動かす。
「人間も、同じ気持ちだったんだ」
そこに映ったのは泣き崩れる人間と魔人の大人たちだった、その景色を厄災は理解できなかった。何故人間が泣いているのか、大人の魔人達が泣いているのは理解できたが何故人間たちと一緒にいるのか。それも理解できなかった。
「何故だ、何故魔人や魔族までもが人間と一緒にいる」
厄災は歩き始めた、彼の目に映った異常なまでの違和感の正体を知るために泣き崩れている人々の元へと足を運ぶ。そこには見慣れた面々が集まっていることを初めて知る。
「皆知ってる顔だ、それも魔人にまで優しくしてくれた人間の顔だ……」
そこに並んでいた人々の顔を見て驚く、それはまさに一握りの良識のある人間たちだった。路上で過ごす魔人の子供達を拾っては匿い、独立国家の兵士から匿ってくれた人間たちがそこにはいた。
「理解したろ、何もお前たちを憎んで焼いたわけじゃない。仕方なかったんだ」
アデルが厄災の斜め後ろに立ってそう諭す様に話した、厄災は振り返ることはなかった。唯々目の前の状況を受け入れようにも思考が混乱しているだろう。
「人間の子供も一緒に焼かれていると言ったな」
「あぁ」
アデルが指を鳴らすと時間が進み始めた。そして一斉に声が聞こえた、人々の泣き叫ぶ声や無念を口にする声。いろんな言葉が混ざりあって厄災の耳に届く。その声に戸惑いを感じていた。
「子供というにはあまりにも幼すぎるだろうな」
アデルのその言葉が聞こえた瞬間、景色が一変する。それは何時しか見た厄災の友達が焼ける場面だった。仲間たちが焼かれているその下、小さな褐色の手が見える。魔人の物ではない。人間の子供、幼年期程だろうか。五歳、いや六歳程度の人間の子供の手に見えた。
「魔族や魔人に褐色の肌を持つ者はいない、俺はそう聞かされてきたが真実はどうなんだ」
炎でそう見えるとは言えなかった、隣に魔人の子供の足が出ているが肌の色は全く別物だった。それを見た厄災は膝から崩れ落ちる。
「我等魔人に褐色の肌は居ない、生まれることは決して無かった――」
そっとその褐色の持ち主に手を伸ばす、しかし触れることはできない。スッと通り抜けてしまった手に力がこもる。
「私は、人間を憎んでいた。しかし実際は私の考えるものとは異なっていた、私達に手を差し伸べてきた人間を私は……私はあの人達を」
厄災は後悔した、悔やんでも悔やみきれない程の悲しみが突如として彼を襲った。誤解の一言で済まされる事ではない過去の過ちが彼に降りかかる。
「俺も炎の厄災については師匠に聞かされた話だ、詳しくは知らねぇ。だがお前達魔人にひどい仕打ちをしたのは人間だ。それを否定するつもりはねぇが、お前達にひどい仕打ちをした奴らを。俺はそいつらに覚えがある」
もう一度指を鳴らすと今度は外の景色へと切り替わった、此処でアデルはずっと不思議に思っていたことがあった。それは泣き崩れる人々の正面に立つ軍人の姿だった。
「イゴール、お前が憎むべき相手はこいつらじゃないか」
涙は流れていなかったが、後悔で泣いて蹲って肩を震わしている厄災にアデルは問う。顔を上げて問われた軍人の後ろ姿を見て。
「お前が憎むべきはこの軍人たち、帝国軍の人間だ」
あれから数分、彼等は焦土の景色へと戻ってきていた。
アデルは地面に突き刺さったグルブエレスを引き抜きそれを鞘に納める、厄災はあれからずっとどこか遠くを見ているかのように一点だけを見つめている。動かずただひたすらと遠くの一点だけを見つめていた。
「終わったのか小僧」
体の動きを封じられていた炎帝が突如として動き出してアデルに問う。それに対して首を横に振って静かにアデルは答えた。
「イゴールのほうは終わった、後は逆光剣でこいつを消し去れば俺のミッションは終了だと思うけど」
視線をずっと立ち尽くしているレイ本体へと移す、微動だに動くことなくそこに立っている。
「その前にレイをどうやって正気に戻すか」
「何じゃと?」
「仮に今イゴールをレイの体から除去したところで本人がこの状態じゃ廃人と同じだと思うんだ。魂の無い抜け殻みたいな状態になっちまう」
ゆっくりとレイの元へと足を運ぶアデル、ずっと怯えていた小さなレイはやっと正気を取り戻して泣くのをやめた。その小さなレイを炎帝が介抱し抱きかかえる。
「多分こいつは、イゴールに見せられたあの記憶をそのまま真正面から受け止めちまったんだ。まっすぐな性格してるだけあって多分トラウマにも似たものを植え付けられたんだと思う。それから自分自身人間の事を信じられずに自身暗鬼になって塞がっちまったんだろう」
それは異常なまでにレイの心境を獲ていた。何故アデルがこうまでもレイの現状を把握できたのか、それは再起動にある。厄災の記憶に再起動を掛けた時、互いの深層意識がリンクしてる厄災とレイの心の中を同時に覗くことができた。正しくはレイの意識が流れ込んできたと言えば正しいだろう。
「確かにあんなものまともに受け止めちまったら俺だって狂っちまいそうだ、それを助けてくれたのがレイだ。こいつ、こんなんになっても多少なり俺の事考えてくれてるみたいでよ。まぁなんでか恨まれたけど」
「恨まれていた?」
「あぁ、今更何の用だってさ。イゴールの記憶より俺はそっちに腹が立って半場それどころじゃなかった。だからこそある意味客観的にイゴールの記憶を見ることが出来たのかもしれねぇ」
淡々と寂しそうな表情をしてアデルは話す、だがその右手は握り拳を作っていた。
「だが俺はそれが気に入らねぇ、レイはそんな男じゃねぇんだ。自分の意思を他人に捻じ曲げられるようなやわな人間じゃないんだ、それをこんなにも簡単に洗脳されちまったコイツが気に入らねぇ!」
左足を一歩前に踏み出して地面を踏み込んだ、腰を捻って右腕を大きく後ろに振りかぶって反動をつける。
「レイ、歯ぁ食いしばれこのくそったれ野郎!」
腰を入れて思いっきりレイの左頬に自分の右手を力いっぱい殴った。殴られた衝撃でレイの目に光が戻り意識を呼び起こした。だが殴られた衝撃は無防備でただ立っていたレイの体を吹き飛ばす結果になる。そしてあたりの景色が一変する。最初に現れた無限に広がる広大な草原へと移り変わった。
全力で殴った、文字通り全力全開で自分の親友を殴り飛ばす。レイ自身意識が戻ってきたが自分が現在どんな状況に置かれているのか全く理解できていなかった。
「目ぇ覚めたかこの野郎!」
「アデル? え、何がどうなってるんだ」
レイは殴られた左頬を押さえながらゆっくりと立ち上がる、最後に見た景色とは別の場所にいることに驚きながら辺りを見渡し、今自分がおかれている状況を整理し始める。
「確か僕は、イゴールの記憶を見せられて……そうだ、イゴールは!?」
アデルが正気に戻ったレイを見て一安心する、ほっと胸を下すと首を傾げて後ろに向けて親指を突き立てる。そこには厄災が立っている。相変わらず遠くの一点を見つめて。
「お前はあいつに洗脳されていた、それを俺が解除してあいつの事もどうにか大人しくさせたんだ。もう悪いことはしねぇだろうよ」
「そっか。いや、助かったよアデル」
レイが素直に感謝を述べている横で炎帝はため息をつく、ゆっくりと小さなレイを下すと手をつないでアデル達の元へと歩み寄る。
「何が解除したじゃ、お主はただ思いっきり殴っただけじゃないか」
炎帝が渋い顔をして話しかける、それを聞いたアデルは気分を悪くしてムッとにらみつける。
「この方は?」
「炎のエレメント、炎帝ヴォルカニックじゃ。お主とは本来なら相容れぬ存在じゃよ、今はアデルの深層意識とリンクしているからこそこうして会話することもできるがの」
そう、本来であればレイに炎のエレメントに対する適応力がない為こうして会話することも姿を見ることもできない。だが存在だけは感じることはできる。
「そうですか、お手数をお掛けしましたご老人。それと――」
炎帝と手を繋いでいる小さな子供に目を向ける、すると小さなレイは肩をビクッと震わせ炎帝の後ろへと隠れてしまった。
「この子は、僕?」
「ケルミナ襲撃の時のお前だ。自分でも無意識のうちにあの記憶から隔離しちまったんだろう」
「あの記憶?」
レイが首を傾げた、それにアデルは驚く様子もなく何かを悟ったような表情をした。あの残虐な記憶を思い出さないように記憶だけを分離したのだろう。だが同時に小さなレイにアデルは複雑な表情を向けた。
「アデル?」
「いや、大丈夫だ。なぁちびっ子」
アデルがゆっくりと足を曲げて小さなレイと同じ目線に顔を落として複雑な表情を今まで誰も見た事のないような優しい微笑みを見せた。
「大変だったな、俺の親友を守ってくれてたんだな。ありがとう」
そう言って頭に右手を乗せ撫でた。思えばこの世界にダイブしてきた、レイを見つけ声をかけた時もこの小さなレイが本人を庇う様にアデルの注意を引いていた。この子は自分だけ辛い思いを、あの悲惨な思い出を何度も何度も繰り返し見続けてきた。その記憶を本人に悟られないように、記憶が漏れ出さないように。
「辛かったな」
ゆっくりと小さなレイを引き寄せて抱きしめた。当時の年齢でいえば七歳、そんな小さな子供が自分の将来の事を考え行った小さな行動。だがそれは大きな勇気でもあった。抱きしめられた小さなレイはその言葉に目から大きな、大粒の涙を零した。
「そうだ、イゴールと話をしたんだ。何の話だっけな。覚えてないや……でもとても憎かった気がする。誰が憎かった? イゴールの事が憎かったんだっけ? 何で? イゴールとは初対面のはずだ、なんであいつを憎むんだ? わからない、そうだ。確かイゴールの記憶を見たんだ、とても酷い記憶だった。そうそう、イゴールが憎いんじゃない。人間が憎いんだ。あいつにあんなことをした人間が憎いんだ。ひっそりと暮らしていた彼等に突如戦争を吹っ掛けた人間が憎い、彼らをぼろ雑巾みたいに扱った人間が憎い」
「あれ、そうすると僕自身も憎いのか? 人間でいる僕自身が憎いのかも? 自分が憎いって何だろう。そうだ、人間の事が憎い、僕自身憎い。じゃぁアデルやギズー、ガズルにメルも憎い」
「あぁ――そうか。友達が憎いんだ、僕がこうして苦しんでいるのに誰も助けてくれないあいつらが憎い。なんで僕だけがこんな目に合わなくちゃいけないんだ、でもイゴールに任せておけば全部やってくれるんだっけ? じゃぁ僕は何もしなくていいや。イゴールだけが僕の事を分かってくれる、憎しみを分かち合う兄弟みたいな感じだなぁ。兄弟がいればこんな感じなんだろうなきっと」
「あれ、このニンゲンどこかで見たことあるな。あぁ、僕の事助けに来てくれなかったアデルか。今更何の用だよ、今更来たって遅いんだよ。僕は知ってしまったから、人間の醜いところ全部を知ってしまったから。今更僕に何をするんだよアデル、帰れよ――帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ!」
「どの面下げて僕の前に現れたんだよ。僕が一番大変な時に助けに来てくれなかったのになんて顔してんだ、ふざけるな。もう僕の事はほっといてくれよ。いや、僕はもう何もしなくていいや、全てイゴールに任せよう。あいつが全て上手くやってくれる」
「レイに何をした!」
炎の厄災と対峙したアデルが叫ぶ、その声に後ろの小さなレイが肩をビクッと震わせた。
「直接少年に尋ねるといい、返答があるとは思えないがね」
その表情は一切揺らぐことなかった、引き裂かれた口は顔いっぱいに広がり不気味に笑っている。目は見開いているが眼球はない、その代わりに白い光のようなものが見える。一度も瞬きする事無く、一度も口を閉じることも無い。
「野郎っ!」
アデルはグルブエレスを逆手に持ち替えるとその場を飛んだ、炎の厄災に急速接近し首に狙いをつける。確実に首を跳ねたと思った。が、グルブエレスは空を切った。炎の厄災が避けた訳じゃない、すり抜けてしまった。勢いが付いたアデルは体制を崩し、顔から焦土に落ちる。
「イテテテ、てめぇ!」
「頭を冷やせ馬鹿者、こやつに刃物なんぞ通じるか!」
炎帝が叫ぶ、その声に炎の厄災がピクリと反応した。まさに千年以上前に聞いたその声に懐かしさを覚えて。
「そうですか、あなたが私を焼き、私に炎の力をくださったのは」
アデルを見ていた顔がゆっくりと炎帝へと振り返る、その表情には怒りと感謝が見え隠れしていた。不気味に笑うその口から次々と言葉が出てくる。
「アレは熱かった、だがそのおかげで私はこれほどの力を手にすることができた。感謝しますよご老人、あなたのおかげで私は人間に復讐するという目標を作ってくれた。これほどまでに執念深く、憎悪に満ちることはない! かつて私が受けた苦しみ、憎しみ、全てをあなたに感謝せねばなりません」
「貴様、壊れているな」
「壊れている? 何を今更、何もない空間に封印され千年もこの憎悪と憎しみに囚われ続けていれば壊れもするさ。いや、壊れることを助長したと解釈するべきか――ハハハ、言うのが千年遅いんじゃないかね?」
先程までとは違い明らかに殺気を放ち始めた、重い空気が辺りを緊張させる。ピリピリと伝わるその殺気に思わずアデルが身を引いた。彼は恐怖した、かつてこれ程までに恐ろしく禍々しい殺気を見たことがあるだろうか。否、それは人を超越した存在でしか発する事の出来ない非常に重い私怨だ。憎悪が憎悪を呼び、憎しみが憎しみを重ねる。長年積み上げられてきた殺気とは人を畏怖させる。
「テメェが人間に何されたかは知らねぇ、知らねぇけど俺のダチは返してもらう!」
厄災の後ろでアデルが叫ぶ、その声を聴いて厄災は肩を震わせ始める。そして両手を広げて大いに笑う。
「ハハハハハハ、返してもらう? 馬鹿を言ってはいけないよアデル。少年は自分から殻の中に閉じこもったのだ、私が閉じ込めたのではない!」
ここで初めて厄災の表情に変化があった、正確にはあったように見えた気がする。変わらずの表情だったがほんの一瞬だけ口元の広がりが増したように見えた。
「さぁ、君にも見せてあげよう! 人の醜さを! 私が受けた苦しみ、憎しみ――恐怖を!」
厄災の足元から黒い影のようなものが辺りの景色を包み込み始める、徐々にではなく即座にといった方がいいだろう。あたり一帯が真っ暗になると即座にその空間全体にヒビが入る。大きな音を立ててソレは粉々に割れてしまった。厄災の足元から噴き出した影はその場にいた全員の身動きを封じていた、指一本動かせず、瞬きすらも許されない強烈な束縛。
「くそ、うごかねぇ……」
次にアデル達の目に映ったのはレイが見せられた厄災の記憶だった。内容は全く一緒だった、だが視点が異なっている。レイは上空からその景色をただ見せられていただけだったが、アデルは異なっている。同じ炎の厄災が起こる直前、酷使され用済みとなった魔人の子供たちを小屋に押し込め火をつけるまさにその瞬間。アデル達はその小屋の前にいた。終始上空からただ見ていただけのレイの状況とは異なっている。
「さぁ、見るがいい! これから起きる光景を、残虐を!」
小屋に火が放たれた、最初に小屋の周りを囲うように火が付けられて徐々に取り囲むように炎が上がった。ジワジワと燃え広がっていく。次に小屋の周りに置かれていた枯れた稲から火の手が上がり、それが一気に火柱を上げた。
アデルは瞬きを許される事無くその光景を見続けた、レイと同じく人間の残虐性を知り絶望するかと思われた。しかし、その光景にアデルは猛烈な違和感を感じていた。
「おかしい、何かがおかしい」
違和感は次第に確信へと変わり始める。アデルが感じていた違和感は主に二つ、一つは何故殺すのに火を使った方法を取ったのか。単純に不治の病に掛かったとはいえ動けなくなるまで酷使し、その後動けなくなれば捨てればいいだけの話。それを何故火をつけて殺すという手段を取ったのか。
二つ目はそこに魔人以外の子供が混じっていることだった、厄災は多分気が付いていない。その多くは魔人の子供だったからかも知れない。数人の人間の子供も一緒に混じっている、それが猛烈に違和感を感じていた。厄災が見せてきた記憶では奴隷として仕事を強制的に行わせてきたのは魔人の子供だけ、そこに何故人間が混じっているのだろうか。また、魔族の子供はその中に存在していない。それも違和感の一つでもあった。
その後、厄災が封印されるまでの一部始終を見せられたアデル達は再び焦土が広がるレイの記憶の中に戻ってきた。体を拘束していた厄災の影も消え動けるようになっていた。つっかえが外れたように炎帝と小さなレイは崩れ落ちて地面に膝をつく。
「あ――あぁ――あぁぁぁぁぁぁ……」
「少年には荷が重すぎたかな? 一度ならず二度もアレをみたんだ、もう二度と戻ってくることも無いだろう」
小さなレイが頭を抱えてその場に蹲る、それを見ていた厄災は再び大きな声で笑い始めた。その姿を見た炎帝が急いで小さなレイへと駆け寄ろうと。が、再びその体がぴたりと動きを止める。
「イゴール――貴様っ!」
「ご老人は動かないで頂こう、もう少しで私の目標は完遂するっ!」
炎帝の体の周りには黒い影が渦巻いていた、厄災が再び炎帝の動きだけを止めていた。そしてゆっくりとアデルのほうへと体を向けると笑顔のまま続ける。
「さぁアデル君、君も私と一緒に人間を一人残さず根絶やしにしよう。君も見ただろう? これが君達人間の性なのだよ」
無表情のままアデルはその場に立っていた、視線だけを厄災へと向けピクリとも動かないでいる。だがアデルには厄災による束縛は受けているように見えない。
「炎の厄災。いや、イゴール――お前は勘違いをしているよ」
「勘違い? 何を言いますか、君も見たでしょう。人間が我等魔族に対して行った仕打ちを――残虐さを!」
淡々と口を開いたアデルに厄災が叫ぶ、その声には先ほどと同様に怒りと憎悪が混ざっている。だがアデルは眉一つ動かさずに厄災を見つめた。
「確かにテメェの記憶はきちんと見た、人間がお前らにやったことや魔人に対して行った仕打ちは確かに非道だ。それを否定するつもりはねぇ」
一度帽子を深く被りなおす、大きく開いた鍔を右手で顔つかみ切れ目の隙間から左目だけをのぞかせる。
「では何を勘違いしているというのですか、我等魔人だけがあれだけの事を受けたのです。勘違いもなにも――」
「不治の病『黒色塩化結晶症候群』、通称:黒色病」
厄災が叫びながらアデルへと近づくが、その声を遮るように一つの病名をアデルは口にする。それを聞いた厄災は足を止めた。
「当時の医療技術じゃ治せなかった病だ、一度発症すればそれは空気感染する。初めに倦怠感が体を襲い次第に発熱を伴う。この発熱期間が長くて一見風邪の症状にも似ているため早期発見が難しいと言われているがその症状は次第に変化を見せる。発熱が続いた後最初に体の一部分が黒色化する、次第に患部は広がり始めて全身を覆い、最後には塩の塊となって体が朽ちていく。治療技術はテメェが生きていた西部戦争時代から六百年後に確立され不治の病ではなくなった。当時は感染したら最後、原因となるウィルスは熱に弱く八十度以上の高温下では生きていくことができない。空気感染を防ぐためにも感染者を焼き払う必要があった」
次々にアデルは自分が知っている病気の歴史を話し始めた、何故彼がこれを知っているのかというとそれはガズルにある。この世界を旅するにあたって一番の悩みは病気にある。それも危険な病気だけでも覚えておけばいざという時に役に立つとガズルが幾つかの感染症について説明していたからだ。
しかし、何故アデルがこの病名を口に出したのか。それは厄災が見せた記憶と厄災本人に答えがあった。
「黒色病は一度発症するとワクチンを打たない限り完治しない、仮に患部を切り落とし焼こうものなら一気にウィルスが増殖し症状が進行する。本来なら数週間かけて進行するものがものの数秒で体全体に症状が発生する。ウィルスの自己防衛機能で爆発的に増殖を始める――」
「デタラメを言うな、焼かれたのは我等魔人の子供達だ! お前たち人間は我等を迫害し、奴隷として労働を強制してきたではないか!」
厄災はアデルの襟を両手でつかみ持ち上げた、身長差でアデルの体は簡単に持ち上がり地面から十数センチ浮き上がる。
「いずれも発症するのは未成年の子供に多く、稀に大人へと感染する。大人に感染すると最後、ウィルス自体が進化を初めて大人にまで感染拡大が始まる。だから感染した子供は一か所に集めて焼くしかなかった。それは人間の子供も同じだ!」
掴みあげられたアデルは厄災を睨みながら続ける、本人は一切気づかなかった事実を告げそのまま続ける。
「テメェが見たのは確かに魔人の子供が焼かれるその現場だ、お前も当事者だ。でもな、あの積み上げられた魔人の子供たちの下に元からいた人間の子供も居たんだ! 最後にやってきたお前には分からなかっただろうがな!」
「人間があそこに? 馬鹿馬鹿しい、あそこには我等魔人しかいなかった! 人間など一緒ではなかった!」
「じゃぁもう一度見てみろ! お前が見逃した事実を俺が付きつけてやる!」
アデルを掴んでいる厄災の手を振りほどいて地面に落ちる。喉元を圧迫されていた為かアデルが咳き込んだ、地面に落ちた衝撃で帽子が脱げていた。足元に落ちた帽子を被りなおしてまっすぐと厄災を睨む。右手に持つグルブエレスを逆手に持ち替えると体の正面に持ち、手を放す。
「再起動」
地面にグルブエレスが刺さるとそこから光があふれる、逆光剣だった。カルナックがレイ達に使った深層意識の中へとダイブする時に使ったもう一つの使い方である。逆光剣には主に二つの使い分けがある、一つは目くらましと同時に相手の深層意識に干渉し一時的に動きを封じる効果。もう一つはこの深層意識の中へ直接ダイブする手法である。
光は焦土の世界を瞬く間に包み込んだ、その光にその場にいた全員が目を眩ます。厄災の視力が回復した時そこは再び厄災が見せたあの世界だった。だが状況が異なる。時間の流れはぴたりと止まっていた。
「テメェが人間を恨む気持ちは分かったつもりだ、だけどな」
厄災は火が放たれる前の小屋を無意識に見つめていた、だがアデルは別の方向を見ていた。それに気が付いた厄災が同じ場所へと視線を動かす。
「人間も、同じ気持ちだったんだ」
そこに映ったのは泣き崩れる人間と魔人の大人たちだった、その景色を厄災は理解できなかった。何故人間が泣いているのか、大人の魔人達が泣いているのは理解できたが何故人間たちと一緒にいるのか。それも理解できなかった。
「何故だ、何故魔人や魔族までもが人間と一緒にいる」
厄災は歩き始めた、彼の目に映った異常なまでの違和感の正体を知るために泣き崩れている人々の元へと足を運ぶ。そこには見慣れた面々が集まっていることを初めて知る。
「皆知ってる顔だ、それも魔人にまで優しくしてくれた人間の顔だ……」
そこに並んでいた人々の顔を見て驚く、それはまさに一握りの良識のある人間たちだった。路上で過ごす魔人の子供達を拾っては匿い、独立国家の兵士から匿ってくれた人間たちがそこにはいた。
「理解したろ、何もお前たちを憎んで焼いたわけじゃない。仕方なかったんだ」
アデルが厄災の斜め後ろに立ってそう諭す様に話した、厄災は振り返ることはなかった。唯々目の前の状況を受け入れようにも思考が混乱しているだろう。
「人間の子供も一緒に焼かれていると言ったな」
「あぁ」
アデルが指を鳴らすと時間が進み始めた。そして一斉に声が聞こえた、人々の泣き叫ぶ声や無念を口にする声。いろんな言葉が混ざりあって厄災の耳に届く。その声に戸惑いを感じていた。
「子供というにはあまりにも幼すぎるだろうな」
アデルのその言葉が聞こえた瞬間、景色が一変する。それは何時しか見た厄災の友達が焼ける場面だった。仲間たちが焼かれているその下、小さな褐色の手が見える。魔人の物ではない。人間の子供、幼年期程だろうか。五歳、いや六歳程度の人間の子供の手に見えた。
「魔族や魔人に褐色の肌を持つ者はいない、俺はそう聞かされてきたが真実はどうなんだ」
炎でそう見えるとは言えなかった、隣に魔人の子供の足が出ているが肌の色は全く別物だった。それを見た厄災は膝から崩れ落ちる。
「我等魔人に褐色の肌は居ない、生まれることは決して無かった――」
そっとその褐色の持ち主に手を伸ばす、しかし触れることはできない。スッと通り抜けてしまった手に力がこもる。
「私は、人間を憎んでいた。しかし実際は私の考えるものとは異なっていた、私達に手を差し伸べてきた人間を私は……私はあの人達を」
厄災は後悔した、悔やんでも悔やみきれない程の悲しみが突如として彼を襲った。誤解の一言で済まされる事ではない過去の過ちが彼に降りかかる。
「俺も炎の厄災については師匠に聞かされた話だ、詳しくは知らねぇ。だがお前達魔人にひどい仕打ちをしたのは人間だ。それを否定するつもりはねぇが、お前達にひどい仕打ちをした奴らを。俺はそいつらに覚えがある」
もう一度指を鳴らすと今度は外の景色へと切り替わった、此処でアデルはずっと不思議に思っていたことがあった。それは泣き崩れる人々の正面に立つ軍人の姿だった。
「イゴール、お前が憎むべき相手はこいつらじゃないか」
涙は流れていなかったが、後悔で泣いて蹲って肩を震わしている厄災にアデルは問う。顔を上げて問われた軍人の後ろ姿を見て。
「お前が憎むべきはこの軍人たち、帝国軍の人間だ」
あれから数分、彼等は焦土の景色へと戻ってきていた。
アデルは地面に突き刺さったグルブエレスを引き抜きそれを鞘に納める、厄災はあれからずっとどこか遠くを見ているかのように一点だけを見つめている。動かずただひたすらと遠くの一点だけを見つめていた。
「終わったのか小僧」
体の動きを封じられていた炎帝が突如として動き出してアデルに問う。それに対して首を横に振って静かにアデルは答えた。
「イゴールのほうは終わった、後は逆光剣でこいつを消し去れば俺のミッションは終了だと思うけど」
視線をずっと立ち尽くしているレイ本体へと移す、微動だに動くことなくそこに立っている。
「その前にレイをどうやって正気に戻すか」
「何じゃと?」
「仮に今イゴールをレイの体から除去したところで本人がこの状態じゃ廃人と同じだと思うんだ。魂の無い抜け殻みたいな状態になっちまう」
ゆっくりとレイの元へと足を運ぶアデル、ずっと怯えていた小さなレイはやっと正気を取り戻して泣くのをやめた。その小さなレイを炎帝が介抱し抱きかかえる。
「多分こいつは、イゴールに見せられたあの記憶をそのまま真正面から受け止めちまったんだ。まっすぐな性格してるだけあって多分トラウマにも似たものを植え付けられたんだと思う。それから自分自身人間の事を信じられずに自身暗鬼になって塞がっちまったんだろう」
それは異常なまでにレイの心境を獲ていた。何故アデルがこうまでもレイの現状を把握できたのか、それは再起動にある。厄災の記憶に再起動を掛けた時、互いの深層意識がリンクしてる厄災とレイの心の中を同時に覗くことができた。正しくはレイの意識が流れ込んできたと言えば正しいだろう。
「確かにあんなものまともに受け止めちまったら俺だって狂っちまいそうだ、それを助けてくれたのがレイだ。こいつ、こんなんになっても多少なり俺の事考えてくれてるみたいでよ。まぁなんでか恨まれたけど」
「恨まれていた?」
「あぁ、今更何の用だってさ。イゴールの記憶より俺はそっちに腹が立って半場それどころじゃなかった。だからこそある意味客観的にイゴールの記憶を見ることが出来たのかもしれねぇ」
淡々と寂しそうな表情をしてアデルは話す、だがその右手は握り拳を作っていた。
「だが俺はそれが気に入らねぇ、レイはそんな男じゃねぇんだ。自分の意思を他人に捻じ曲げられるようなやわな人間じゃないんだ、それをこんなにも簡単に洗脳されちまったコイツが気に入らねぇ!」
左足を一歩前に踏み出して地面を踏み込んだ、腰を捻って右腕を大きく後ろに振りかぶって反動をつける。
「レイ、歯ぁ食いしばれこのくそったれ野郎!」
腰を入れて思いっきりレイの左頬に自分の右手を力いっぱい殴った。殴られた衝撃でレイの目に光が戻り意識を呼び起こした。だが殴られた衝撃は無防備でただ立っていたレイの体を吹き飛ばす結果になる。そしてあたりの景色が一変する。最初に現れた無限に広がる広大な草原へと移り変わった。
全力で殴った、文字通り全力全開で自分の親友を殴り飛ばす。レイ自身意識が戻ってきたが自分が現在どんな状況に置かれているのか全く理解できていなかった。
「目ぇ覚めたかこの野郎!」
「アデル? え、何がどうなってるんだ」
レイは殴られた左頬を押さえながらゆっくりと立ち上がる、最後に見た景色とは別の場所にいることに驚きながら辺りを見渡し、今自分がおかれている状況を整理し始める。
「確か僕は、イゴールの記憶を見せられて……そうだ、イゴールは!?」
アデルが正気に戻ったレイを見て一安心する、ほっと胸を下すと首を傾げて後ろに向けて親指を突き立てる。そこには厄災が立っている。相変わらず遠くの一点を見つめて。
「お前はあいつに洗脳されていた、それを俺が解除してあいつの事もどうにか大人しくさせたんだ。もう悪いことはしねぇだろうよ」
「そっか。いや、助かったよアデル」
レイが素直に感謝を述べている横で炎帝はため息をつく、ゆっくりと小さなレイを下すと手をつないでアデル達の元へと歩み寄る。
「何が解除したじゃ、お主はただ思いっきり殴っただけじゃないか」
炎帝が渋い顔をして話しかける、それを聞いたアデルは気分を悪くしてムッとにらみつける。
「この方は?」
「炎のエレメント、炎帝ヴォルカニックじゃ。お主とは本来なら相容れぬ存在じゃよ、今はアデルの深層意識とリンクしているからこそこうして会話することもできるがの」
そう、本来であればレイに炎のエレメントに対する適応力がない為こうして会話することも姿を見ることもできない。だが存在だけは感じることはできる。
「そうですか、お手数をお掛けしましたご老人。それと――」
炎帝と手を繋いでいる小さな子供に目を向ける、すると小さなレイは肩をビクッと震わせ炎帝の後ろへと隠れてしまった。
「この子は、僕?」
「ケルミナ襲撃の時のお前だ。自分でも無意識のうちにあの記憶から隔離しちまったんだろう」
「あの記憶?」
レイが首を傾げた、それにアデルは驚く様子もなく何かを悟ったような表情をした。あの残虐な記憶を思い出さないように記憶だけを分離したのだろう。だが同時に小さなレイにアデルは複雑な表情を向けた。
「アデル?」
「いや、大丈夫だ。なぁちびっ子」
アデルがゆっくりと足を曲げて小さなレイと同じ目線に顔を落として複雑な表情を今まで誰も見た事のないような優しい微笑みを見せた。
「大変だったな、俺の親友を守ってくれてたんだな。ありがとう」
そう言って頭に右手を乗せ撫でた。思えばこの世界にダイブしてきた、レイを見つけ声をかけた時もこの小さなレイが本人を庇う様にアデルの注意を引いていた。この子は自分だけ辛い思いを、あの悲惨な思い出を何度も何度も繰り返し見続けてきた。その記憶を本人に悟られないように、記憶が漏れ出さないように。
「辛かったな」
ゆっくりと小さなレイを引き寄せて抱きしめた。当時の年齢でいえば七歳、そんな小さな子供が自分の将来の事を考え行った小さな行動。だがそれは大きな勇気でもあった。抱きしめられた小さなレイはその言葉に目から大きな、大粒の涙を零した。