残酷な描写あり
第十九話 剣聖結界 ―奥義伝承―
目を覚ますとそこはカルナックの家の中だった、目だけを動かして辺りがどこかを確認しながらゆっくりと上体を起こす。上半身を起こして二度首を鳴らす、どうやらリビングのようだ。ソファーに寝かされていたアデルはテーブルの上に置かれている自分の帽子を見つける。それを取ると頭に被り立ち上がる、先ほどまでレイの深層意識の中で起こった出来事を思い出しながら再び辺りを見渡す。彼にとって貴重な体験だっただろう、自分の、ましてや他人の深層意識の中で起こった出来事なんて通常ではあり得ない事柄だからである。
「戻ってきたか」
帽子の横に置かれていた自分の愛剣を片手で掴み取ると破壊された玄関へと歩き始める、外にはカルナックを初めとしたダイブ前の面々が揃っている。最初にアデルに気が付いたのはガズルだった、手を振ってアデルの名前を呼ぶと本人も左手を上げてそれに答えた。
「長かったな、どうだった?」
「あぁ、万事解決だ。だけど氷の結界が気になって俺だけ先に戻ってきたんだ、レイには後一時間ぐらいしたら目を覚ます様に伝えてある」
皆の元へと歩きながら話した、両手を組んで結界で封印されているレイを見ていたカルナックは彼の表情をみて安堵する。モノクルを一度右手で掛けなおしてにっこりと笑った。
「おかえりなさいアデル、良くやりましたね」
「大変だったぜ全く、だけど良い体験ができた気がするんだ」
「そうですか、炎の厄災はどうなりましたか?」
右手で鷲掴みにしていた二本の剣を左右の腰に丁寧にぶら下げた。それから帽子を両手で位置調整を行い切れ目がきちんと左目の上にくるように調整する。
「それに関しては大丈夫だ、もう何ともないさ」
平静を装いながら返した、カルナックは何事もなかったように話すアデルを見てもう一度安心する。我が子の様に育ててきた弟子が一つ成長した姿を見て頬が緩む。
「レイは大丈夫なのか?」
今度はギズーが話しかけてきた、寒そうに両手で自分の両腕をさすって小刻みに震えている。寒いのであれば家の中で暖を取ればいいだろうにとアデルは思ったが、自分がギズーの立場であった時そんなことは出来ないだろうとすぐに考えを改めた。
「さっきも言った通りさ、ちょっと一発殴っちまったけどな」
右腕を振りかぶってレイを殴った時のそぶりを見せた、するとガズルが思わず笑ってしまった。
「お前は深層意識の中ですらぶっきらぼうなんだな」
「目覚まさせるにはこれが一番だってお前が言ったんじゃないかガズル」
「それはお前に対してだけだ、寝起きの悪い事悪い事」
二人が笑いながらそんな話をし始めた。会話を聞いていたカルナックはため息を一つついてヤレヤレと首を振った、同じくシトラもそれにつられて微笑む。
「それじゃ、レイ君の結界を解きましょうかね」
右手に握っていた杖を正面に持ってくるとシトラは詠唱を始めた、氷漬けのレイの足元から大きな魔法陣が出現すると紋章の角に沿って新たに魔法陣が出現する。ここでアデルはシトラのエーテルを感じ取った。今までのアデルからすればシトラが何をしているのかさっぱり分からない状態だったが此度の事件でエーテルコントロールを覚えたアデルには感知できるようになっていた。それでもまだレイの足元にも及ばないだろうその技術。
「すげぇ、エーテル感知が出来るようになると改めて凄さが分かるな」
その発言にまずカルナックが驚いた、コントロールも真面に出来ずにいたアデルがこんな短期間で感知まで使えるようになっていることに驚愕した。
「アデル、感知まで出来るようになったのですか?」
「ん? あぁ、爺さんに教わったんだ。というか爺さん言ってたぜ? カルナックはそんなことも教えとらんのかってさ」
「ハハハハ。教える前に飛び出した弟子にそんな事言われる日がこようとは思いもよりませんでしたよ」
「ぬぐっ……」
してやったりと思ったつもりだったが逆に痛い所を指摘されてしまう。恥ずかしそうに帽子を深く被りなおしてバツが悪そうにしていた。
「いつまでも面倒見てもらうわけにも行かないと思ってたんだ、仕方ねぇじゃないか」
アデルがそう呟いた、魔法陣が起動する音によってそれはきっと誰の耳にも届いていないだろう。だがカルナックは薄々感じていた、きっとそうじゃないかなと。アデルの性格を考えればあり得る話だと思っていた。聞こえてはいなくてもそこは師弟であった。
「さぁ、そろそろ結界が解けるよ。レイ君の体誰か押さえてね」
根元からビキビキと音を立ててヒビが入り始める、一瞬それをみたアデルがギョッとする。氷の中で封印されているレイの体は本当に大丈夫なんだろうかと心配し始めた。
「なぁ、そんなに勢いよくやって本当に大丈夫なんだろうな?」
「あら? 私を信じなさい坊や」
ニッコリと笑うと注ぎ込んでいるエーテルを一層増やした、するとどうだろう、見る見るうちにヒビは全体に広がり氷が割れた。心配されていたレイの体には何の傷も無く外相は見られなかった。
「よっと」
氷が割れた瞬間アデルはその場からレイの元へと跳躍して落ちてくる体を両手で抱きかかえた。穏やかな表情で寝息を立てているレイを見てアデルも一安心した。
「さてと、では時間も遅いですし続きは日が昇ってからにしましょう。皆さんお疲れ様です、今夜はゆっくりと休んでください。アデルは朝になったらレイ君を連れて私の元へ来てくださいね」
カルナックが両手で手を叩いてそう言った、その言葉でそれぞれ破壊された家の中へと戻っていく。こうしてレイとアデルの両名は無事に現実へと戻ってくることが出来た。レイはその後すぐに目が覚めてアデル達に謝っていた。カルナックとシトラはすでに部屋に戻っていて謝ることが出来なかったためそれは朝が来てからになってしまう。四人は同じ部屋でそれぞれ体を休めた。しかしこの日、レイとアデルは寝ることが出来なかった。完全に目が覚めていて睡魔など一切ない。しかし精神的な疲れは確実に二人の体に残っている。寝ることは出来なかったが二人は目を閉じてそれぞれその日を休んだ。
日が昇り朝を迎えた、アデルとレイはそれぞれ起き上がると身支度をはじめていた。まだ朝の七時頃だろうか? 吐く息は白く外気温はおそらく氷点下だろう。二人は一度玄関にまで足を運んで外の様子を見た、目の前に広がったのは一面銀世界だった。あの時止んでいた雪がもう一度降ったのだろう。彼らの戦闘の後が限りなく雪に覆われていたからである。庭の先に目をやると森が続いている、その入り口付近の木々がなぎ倒されている。間違いなく戦闘があった痕跡だった、レイはそれを見てここでどれほど大きな戦闘があったのかを理解した。
「暴れたんだなぁ僕は」
「あぁ、凄かったらしいぜ」
二人が雲の間から覗き込んでくる朝日に照らされながらそう話した、そして玄関を後にして二人はカルナックの部屋へと向かう。ドアの前で立ち止まると一つノックをした。だが中から返答はない、物音一切しないカルナックの部屋に二人はため息をつく。
「自分から朝一番で来るように言っておいてこれか」
「仕方ないよアデル、僕は何も言えない」
二人が顔を合わせてそれぞれ笑った、レイがゆっくりとドアノブに手を掛けて回す。立て付けが悪いのか高い音を鳴らしながらドアを開く。中には居るはずのカルナックの姿は見えなかった。部屋の中へと二人はそれぞれ入って辺りを見渡す。だがやはりどこにも姿は見えなかった。
「また本でも読んでるのかと思ったら居ないのか」
両腕を組んで舌打ちをしながらアデルが舌打ちをした、苦笑いしながらレイがカルナックの机を調べる。何かメモ書きでもあるかと思って捜索してみるが机の上は本が散らかっていて良く分からなかった。
「相変わらずだなぁ先生も」
ため息をついて本を一冊一冊本棚にしまい始めた、積み重ねられた本はおよそ二十冊はあるそうだった。それも分厚いカバーで覆われていて一冊が重い。辞典のような物から推理小説のような小さな本まで多岐にわたる。
片づけをしていたレイはふと本の下敷きになっている手紙のようなものを見つける、左手で本を持ちながらその手紙を拾った。
「アデル、これ」
レイの片づけを近くにあった椅子に座ってみていたアデルは腰を上げてその手紙を受け取る、メモ紙は端の処に切れ目があったりしている。
「おやっさんの字だな、何々?」
そこに書かれているのは次の通りだった。
「えーっと、『お久しぶりですフィリップ君、私の弟子達が君達の所にお邪魔したみたいですね。兄弟子である君としてはどのように目に映ったでしょう? 今度また紅茶を飲みにお邪魔しますのでその時にでもお聞かせください』。フィリップって誰だ?」
「ケルヴィン領主だよ、フィリップ・ケルヴィン。そういえば何か刀受け取ってなかったっけ?」
アデルは思い出したかのように大きな荷物入れから預かった刀を取り出した、あの時はレイの事で頭がいっぱいだったアデルは渡された刀の存在をすっかり忘れていた。改めてその刀を見てみる。
鞘はきれいな漆塗り、鍔はついていない。柄は長く三十センチはあるだろうか、鞘から刀を抜くと刃につけられた焼きが見える。とても綺麗でしっかりと手入れされているのが分かる。刃こぼれは一切ない。
「『名刀:雷光丸』、インストーラーデバイスですよアデル」
突如として声が聞こえた、ドアの方から聞こえたその正体はカルナックだった。埃まみれでアデルが持つ刀をじっと見つめている。
「おはようございます先生、昨夜は申し訳ございませんでした」
「良いのですよレイ君、無事に帰ってきてくれたことが何よりです」
レイは深く頭を下げて謝った、その速度は速かった。剣が空気を切るような音を出しながら深々と頭を下げるレイにカルナックは無事だったことを優先した。
「それより、フィリップ君がまさか雷光丸を預けるだなんて驚きですね。扱えないのが勿体ないくらいです」
「そんなに凄い刀なのかこれ」
一度刃を鞘に納めて雷光丸を頭上にかざした、改めて長い刀だとアデルは感じる。自分が持っている刀の二回りほどは大きいだろうか、重さもずっしりとしていてアデルが扱うには厳しいと感じる。
「私が法術で仕上げた逸品です、元の作りも素晴らしいですよ。アデルに渡してある黒刀も名刀の一つですが序列でいえば雷光丸のほうが上でしょう」
アデルの処へと歩いていき、雷光丸を受け取った。それを机の上に置く。そのままいつまでも頭を下げているレイの横を通り過ぎて机の引き出しを開けた。
「さて、二人を呼んだのは他でもありません。今後の話です、レイ君もいつまでも頭を下げてないでくださいね」
ようやく頭を上げて後ろを振り返る、だが本人はまだ謝り足りなそうな顔をしている。それをみてアデルが近づいて小突く。
「いつまでもしょんぼりしてんなよ、これからの話をしようって言うんだぜ?」
「その通りです、まずはアデル。黒刀を私に返してください」
言われるがままにアデルは黒刀の幻聖石を取り出すと具現化しカルナックに渡す。
「手入れはしっかりしていたようですね、これなら明日にでも完成できるでしょう」
「完成? 黒刀で何をするつもりだおやっさん」
「これを君に持たせていたのには理由があります、まずは刀の扱いに慣れること、そしてこれを使って実践をすること。この二つです、刀の技術については後で見させてもらいます。実践というのは分かりやすく言えば熟練度です、この黒刀は使用者の経験を得て成長する特殊な刀です」
黒刀を鞘から引き抜いて刀身を掲げる、片目をつむりモノクル越しに右目でその輝きを確認し始めた。しばらく見つめた後笑顔で再び鞘に納める。
「上出来です、こんなにも早く熟練度がたまっているとは思いもよりませんでしたが好都合です。次にこの刀を手にするときは全くの別物になっているでしょう」
「今でも十分な切れ味だけど、それ以上に何をするっていうんだ?」
「偏に切れ味だけで刀を判断してはいけません、その強度や扱いやすさ等もいい刀の条件です。そこにこの石を配合させます」
一番下の引き出しから真っ黒な石を取り出した、二人はそれを覗き込むように見る。一変なんてことのない石に二人は見えた。多分その辺で拾ってきたと言っても誰も分からないだろう、二人は何の石なのか分からず同時に首を傾げる。
「これは溶岩が固まった石です。それをこの黒刀と配合させてインストーラーデバイスとして完成させます、本当は腕輪のようなものにすればアクセサリーとしても使えると思っていたのですがアデルには似合わないでしょう」
レイが思わず吹き出してしまった、確かにかざりっけ一つないアデルの姿にアクセサリーは似合わないと今の一瞬で想像してしまったのだ。当の本人は舌打ちをしてそっぽを向いた。
「さらに炎帝剣聖結界と抜刀術を組み合わせた技をこの後アデルに伝授します、短時間でどこまで取得できるかわかりませんが覚えておいて損はないでしょう。レイヴンとの勝率を少しでも上げる為にもね」
「新しい抜刀術教えてくれるのか、それは楽しみだ」
そっぽを向いていた顔はすぐさまカルナックへと向けられた、隣で見ていたレイは思わず声を上げる。
「先生、僕には何かないんですか?」
不満そうに言った、かたや新しい武器と技の伝授。まだレイには何も伝えられていない。思わずアデルに嫉妬してしまう気持ちも分からなくはない。
「レイ君にはそうですね、正直なところを言いますと霊剣以上な物を君に与えることは出来ないのです。技もあらかた教えてしまっていますし、法術に関しても合格点です。インストーラーデバイスが無くとも多分剣聖結界は発動できるでしょうから……しいて言うなら剣聖結界を覚えてもらう事ぐらいでしか」
期待の眼差しで見ていたレイだったが、明らかに落胆の表情を隠せなくなってきた。カルナックが言うには霊剣は切れ味強度共に現存する剣の中でもトップクラスに入るであろう業物、それにレイにしか扱えないとなれば彼にそれ以上の物は扱えないであろう。これは修行中にいくつか他の剣や刀を使わせてみた結果から言えることだった。
「先生、その事なんですが実はもう使えたりします」
「はい?」
思わず黒刀を床に落としてしまった、目を丸くして発言をした張本人を凝視する。何かまずい事を言ったのかとレイが少し硬直する、カルナックのこんな表情を見るのはとても久しぶりだ。まるでハトが豆鉄砲を食らったかのようだった。
「私も耳が遠くなりましたね、エーテルバーストを起こしたレイ君が剣聖結界をそのまま習得してるだなんていやはや。年は取りたくないものです」
「いえ、習得済みです。深層意識の中で炎帝のおじいさんに教わりましたので」
レイが頭をポリポリと搔きながらそういうとカルナックは固まってしまった、まるで石の様に固まるとそのまま後ろへと直立のまま倒れてしまった。
「先生? ちょっと先生!?」
「氷雪剣聖結界」「炎帝剣聖結界」
外へと連れてこられたレイとアデルはそれぞれ今回習得した剣聖結界を披露する、カルナックの目の前で互いに発動させて見せた。
外見の変化はそれぞれこうだ。レイの見た目はほぼ変わらずだが足元から冷気が放出されている、周りの雪はそれに冷やされて即座に凍り付く。変わってアデル、こちらは腰まで長い真っ黒な髪の毛が真っ赤に染まり瞳の色も赤く染まる。足元からは炎が噴き出して周りの雪を一瞬で溶かした。
それぞれの剣聖結界は準ずるエレメントによって体の一部の色素が変わるのが特徴である、炎であればそれらは赤く染まり、氷は青く染まる。また、風は緑に染まり雷は金色へと変化する。土に関しては黒く変化するが、多分これが一番変化がないと言える。というのも中央大陸では黒髪と黒の瞳を持つ人間が多数存在するからである。それぞれの効果については以前述べた通りであるが、その中でも炎帝剣聖結界は攻撃に特化している。
カルナックの弟子達三人はいずれもコレを習得している。レイヴンは炎帝剣聖結界、シトラは氷雪剣聖結界、フィリップは雷光剣聖結界である。ここで気になるのがカルナックが保有しているエレメントであるが、元々カルナックは特殊な性質を持ち合わせており全てのエレメントと対話ができる。それ故についた二つ名がエレメンタルマスターである。そこに剣術に最も優れている称号の剣聖を持ち合わせているため現存の人類最強と謳われる。全てのエレメントと対話出来る者は数百年に一度の割合で生まれてくると言われている、特殊な存在であることは間違いないのだが前例はある。
話を戻そう、レイとアデルがそれぞれ剣聖結界を発動させたのを見てカルナックが頷く。だがアデルはやはりものの五秒程度でその効果が切れてしまった。片膝をついて息を切らすアデルを横目にレイはしっかりとその効果を継続刺せている。
「上出来です、アデルはもっとコントロールを身につけないといけませんね。そんな調子ではすぐにエーテルが空になりますよ」
「ば……場数を踏むさ」
深呼吸をしながらゆっくりと立ち上がると一つため息を零した。カルナックは無情にもそれをニッコリと笑顔で見ていた。
「上等です、レイ君も有難う御座います」
レイがゆっくりと剣聖結界を解くとアデルに肩を貸して担ぎ上げる。
「次にまだ教えていなかった抜刀術をお見せしますね」
ゆっくりと三人は森の入り口まで歩き無事だった太い木を見つける。二人はカルナックの後ろに立ちその抜刀術をしかと記憶する。
「以前アデルには教えた五連続抜刀は覚えていますね? それの続きとなる六発目の抜刀術です。炎帝剣聖結界を前提とした技となりますので使える機会はほんの一握り、それも一瞬です。それを逃がしてしまえば放つことは今のアデルには困難でしょう」
「アレの続きがあるのかよ、五連続だって過去一回しか成功したことないのに無茶言うなよおやっさん」
アデルが絶望にも似た野次を飛ばした、だがカルナックは相変わらず笑顔のままだった。首を捻ってアデルを見た。
「大丈夫ですよアデル、今のあなたなら五連続まではきっと簡単に出来ます。それだけ成長しているのですから自信を持ちなさい」
そう言って再び前を向く、その瞬間辺りに緊張が走った。ズッシリと重い空気が辺り一面に張り巡らされているのが分かる。後ろの二人は同時に唾をのむ。ゆっくりとカルナックが左手に構える刀を少しだけ後ろに下げて姿勢を低くとった。
「一つ」
始まった、カルナック流抜刀術の神髄ともいえる神速六連撃。右手で刀を鞘から引き抜くと左斜め下から右上へと大木に一本の切れ目が入る。
「二つ」
瞬時に納刀するとすかさず二撃目が走る。今度は縦と横にそれぞれ二本の切れ目が走る。だが普通に二発の斬撃を撃ったわけではない、横に一閃入れた後一度納刀しているのだ。抜刀するときの速度を利用した高速の連続攻撃。そう、二撃目からは斬撃が一本ずつ増える。その調子でまた納刀する。
「三つ」
此処から並の人間では放てない領域へと進む、一秒の間に三回抜刀を行い三回納刀を行う。まさに神速という名にふさわしい速度だった。レイはそれに目が追い付ていない。アデルはまだその速度を追うことが出来る。大木が人間であればこの三発目は膝下を切り落とし、右下から左上に刀がすり抜け、最後の一撃で首を跳ねる。だがまだ止まらない。
「四つ」
カルナックの姿が消えた、アデルにはまだ見えている。大木の横をすれ違うと同時に横に一閃を放つ。後ろに回り込んだカルナックは次に右腕の部分、さらに左腕の部分。そしてまた元の位置に戻るために反対側の横を通り過ぎるともう一度一閃を叩きこむ。この時点で大木はまだ倒れていない、ズリズリと刀が走った線に沿ってパーツに分解された部分が崩れ落ちそうになるがそれをこの四つ目が襲う。
「五つ」
すでに人間であればこの時点で少なくとも十個のパーツに分解されている、その時間僅か五秒。炎帝剣聖結界を使わずに撃てるのが此処までと言われている。今度は上下左右、そして斜めにそれぞれ斬撃を飛ばすのがこの五発目だ。そして最後に刀を下から思いっきり切り上げる。間違いなくこの時点で絶命しているだろう、だがその更にもう一つ。これより先はアデルには未知の領域となる。
「炎帝剣聖結界」「炎帝剣聖結界」
アデルとカルナックが同時に発動させた、何故アデルが剣聖結界を発動させたのか。それは五つ目の連撃を視界でとらえるのがギリギリだったからである。それ以降は未知の領域、無意識に自身の身体能力と動体視力を上げる為に発動させていた。そしてアデルは目撃した、カルナックが抜刀した瞬間に同時に見える六つの剣線を。間違いなく残像である、それも質量を伴った。あまりにも早すぎる同時攻撃。円を描くように一点へと集まるその斬撃にアデルは震えた。我が目を疑ってしまった、今まで教えられてきた技はこれを放つ為のいわば準備運動である。五つ目までを使いこなせなければその先にある六つの斬撃を放つことなんて到底不可能。それまではただの連続攻撃であったがこれは違った。アデルの目にははっきりと映し出されている、これは同時多段攻撃であると。
万が一、五発目で仕留めきれなくとも六発目で確実に殺せるだろう。考えても見てほしい、六方向から飛んでくる同時の刃をどう防げようか? また避け様にもそれまでの攻撃で四肢欠損を追っている可能性が高い。避けられる筈がないのだ。まさに必殺、その名にふさわしい攻撃だった。カルナックの一連の動作が終了し納刀後に斬撃音が耳に届く。剣激は音を置き去りにした。
「おやっさん、その技の名前は?」
まだアデルの体が震えている。大木が大きな音を立てて崩れ、低い姿勢を取っていたカルナックがゆっくりと姿勢を戻すと後ろを振り返る。
「六幻です、頑張ってくださいねアデル」
ニッコリと笑顔でそう答えるとアデルに自分の刀を預けてカルナックは何事も無かったかのように家へと戻っていった。
「イッテェェェェェェェェ!」
アデルだった。あれから二時間ひたすら炎帝剣聖結界を使いながら六幻を習得するべくひたすらそこらじゅうの木々に打ち込み続けた。しかし五連続までは何とか成功するにしてもやはり六幻だけはどうにもたどり着けない、無理もない。いわばカルナックが教える最後の剣技だからである。そう易々習得されてはたまった物じゃない。度重なる右腕の酷使についに悲鳴を上げた。
「だぁぁぁぁ! 音を置き去りにする攻撃なんてどうやったらできるんだよ!」
ドサッと後ろへ倒れこんだ、雪がクッション代わりになり痛みは全くない。
「そうはいってもさアデル、剣聖は目の前でやってのけたんだろう?」
ガズルだった、それだけじゃない。レイとギズーも一緒に外でアデルの特訓を見守っている。二時間ひたすらに打ち込み続けている様子はまさに鬼のようだった。
「そもそもなんで剣聖結界前提なんだ? 速度の問題とは聞いたけど」
ギズーが家から持ってきた椅子に座って尋ねる、背もたれに顎を乗せて両足を開いて座っている。
「単純に速度の問題だけじゃねぇんだ、あの技はいわば音速を超えるんだ。だからこそ音を置き去りにできる、だけどその時の摩擦熱は尋常じゃないんだ。それから身を守る為にも必須なんだと俺は考えてる」
「それを生身でも使える剣聖ってやっぱりおかしいんだな」
ガズルがボソッと呟いた、だが残りの三人はそれに激しく同意する。元々化け物と呼ばれるほどの人間であったカルナックだがその実力は年をとっても衰える気配は全くなかった。
「何かヒントがあるはずなんだ、もう一度アデルが見た様子を話してくれ」
椅子に座っているギズーの頭に左腕を置いて寄りかかっているレイが口を開いた。誤解しないでほしい、アデルがひたすらに技の練習をしている間レイが何もさぼっているわけではない。エーテルコントロールで爆発的に消費する剣聖結界をどうにか長時間維持できるように彼もまた修行している途中だ。証拠に三十分以上も氷雪剣聖結界を発動し続けたままだ。最初にカルナックが告げた時間を遥かにオーバーしている。これも深層意識の中で炎帝に教わった技術の一つである。
「これで何度目の説明だよ。俺が見たのは炎帝剣聖結界を使った後六つの残像が見えた、それがそれぞれ円を描きながら中心へと集まるんだ。斬撃音は納刀した後に聞こえてきた、それ以外は――」
同じ説明を繰り返し繰り返し話してきたアデルはそこでピタッと発言を止める、突然ガバっと上半身を起こすとカルナックの刀を見つめる。三人は突然の事でアデルが何をしているのか分からなかった。
「アデル?」
レイがギズーの頭の上に置いていた腕を退かしてきちんと両足で立つ、カルナックの刀をずっと見つめているアデルに近寄ると隣でしゃがんだ。
「なぁレイ、炎帝剣聖結界の最大の利点ってなんだ?」
「身体に負荷を掛け一時的に爆発的な戦闘力を持たせる事だろ? その代償として発動後は動けなくなることもあるって先生言ってたじゃないか」
「なら、爆発的な戦闘力ってなんだ?」
その場にいた三人がそれぞれ顔を見合わせる、一体アデルは何を言いたいのだろうかと首を傾げる。きっとアデルには何か閃きの様な考えが浮かんだのではと三人は思った。
「例えば戦闘力って言うのは一概にはただの強さってイメージがある。だがそれを細かく分析したらどうだ? パワー、スピード、視認力、判断力等色々なパラメーターに分かれるはずなんだ。その中でも六幻の最大な特徴はその攻撃速度だ、残像を伴い六方からほぼ同時に攻撃を叩きこむ。その攻撃速度は音速を超え音を置き去りにする」
彼にしては珍しい考察力なのかもしれない、普段ぶっきらぼうで単細胞と言われている彼がここまで様々な事を口にするのはやや珍しい。時々あるにはあるが。
「つまり、あの技を成功させるにはスピードが最重要。その攻撃速度を上げれば習得は目前――」
「いや、その攻撃速度云々について今まさに話し合ってる所じゃないか?」
真剣に語るアデルにすかさずガズルが突っ込みを入れる。しばらくの間沈黙が続きアデルが再び後ろへと倒れこむ。
「あぁ、全く何て技だ」
アデル意外の三人はその様子に笑っていた、それを家の中から観察する人がいる。カルナックだった、彼もまたひたすら六幻に向かって繰り返し繰り返し試行錯誤を行うアデルの様子を見ていた。その表情はとても微笑ましいものだった。
「頑張りなさいアデル、六幻の神髄はその見た目にあらず。私が使った時の事をよく思い出すのです、今のあなたならきっと分かる。まだ足りないが必ずレイヴンと出会う前に理解するでしょう」
机に置かれたコーヒーを手に取って口へ運び自身の仕事へと取り掛かった。
「戻ってきたか」
帽子の横に置かれていた自分の愛剣を片手で掴み取ると破壊された玄関へと歩き始める、外にはカルナックを初めとしたダイブ前の面々が揃っている。最初にアデルに気が付いたのはガズルだった、手を振ってアデルの名前を呼ぶと本人も左手を上げてそれに答えた。
「長かったな、どうだった?」
「あぁ、万事解決だ。だけど氷の結界が気になって俺だけ先に戻ってきたんだ、レイには後一時間ぐらいしたら目を覚ます様に伝えてある」
皆の元へと歩きながら話した、両手を組んで結界で封印されているレイを見ていたカルナックは彼の表情をみて安堵する。モノクルを一度右手で掛けなおしてにっこりと笑った。
「おかえりなさいアデル、良くやりましたね」
「大変だったぜ全く、だけど良い体験ができた気がするんだ」
「そうですか、炎の厄災はどうなりましたか?」
右手で鷲掴みにしていた二本の剣を左右の腰に丁寧にぶら下げた。それから帽子を両手で位置調整を行い切れ目がきちんと左目の上にくるように調整する。
「それに関しては大丈夫だ、もう何ともないさ」
平静を装いながら返した、カルナックは何事もなかったように話すアデルを見てもう一度安心する。我が子の様に育ててきた弟子が一つ成長した姿を見て頬が緩む。
「レイは大丈夫なのか?」
今度はギズーが話しかけてきた、寒そうに両手で自分の両腕をさすって小刻みに震えている。寒いのであれば家の中で暖を取ればいいだろうにとアデルは思ったが、自分がギズーの立場であった時そんなことは出来ないだろうとすぐに考えを改めた。
「さっきも言った通りさ、ちょっと一発殴っちまったけどな」
右腕を振りかぶってレイを殴った時のそぶりを見せた、するとガズルが思わず笑ってしまった。
「お前は深層意識の中ですらぶっきらぼうなんだな」
「目覚まさせるにはこれが一番だってお前が言ったんじゃないかガズル」
「それはお前に対してだけだ、寝起きの悪い事悪い事」
二人が笑いながらそんな話をし始めた。会話を聞いていたカルナックはため息を一つついてヤレヤレと首を振った、同じくシトラもそれにつられて微笑む。
「それじゃ、レイ君の結界を解きましょうかね」
右手に握っていた杖を正面に持ってくるとシトラは詠唱を始めた、氷漬けのレイの足元から大きな魔法陣が出現すると紋章の角に沿って新たに魔法陣が出現する。ここでアデルはシトラのエーテルを感じ取った。今までのアデルからすればシトラが何をしているのかさっぱり分からない状態だったが此度の事件でエーテルコントロールを覚えたアデルには感知できるようになっていた。それでもまだレイの足元にも及ばないだろうその技術。
「すげぇ、エーテル感知が出来るようになると改めて凄さが分かるな」
その発言にまずカルナックが驚いた、コントロールも真面に出来ずにいたアデルがこんな短期間で感知まで使えるようになっていることに驚愕した。
「アデル、感知まで出来るようになったのですか?」
「ん? あぁ、爺さんに教わったんだ。というか爺さん言ってたぜ? カルナックはそんなことも教えとらんのかってさ」
「ハハハハ。教える前に飛び出した弟子にそんな事言われる日がこようとは思いもよりませんでしたよ」
「ぬぐっ……」
してやったりと思ったつもりだったが逆に痛い所を指摘されてしまう。恥ずかしそうに帽子を深く被りなおしてバツが悪そうにしていた。
「いつまでも面倒見てもらうわけにも行かないと思ってたんだ、仕方ねぇじゃないか」
アデルがそう呟いた、魔法陣が起動する音によってそれはきっと誰の耳にも届いていないだろう。だがカルナックは薄々感じていた、きっとそうじゃないかなと。アデルの性格を考えればあり得る話だと思っていた。聞こえてはいなくてもそこは師弟であった。
「さぁ、そろそろ結界が解けるよ。レイ君の体誰か押さえてね」
根元からビキビキと音を立ててヒビが入り始める、一瞬それをみたアデルがギョッとする。氷の中で封印されているレイの体は本当に大丈夫なんだろうかと心配し始めた。
「なぁ、そんなに勢いよくやって本当に大丈夫なんだろうな?」
「あら? 私を信じなさい坊や」
ニッコリと笑うと注ぎ込んでいるエーテルを一層増やした、するとどうだろう、見る見るうちにヒビは全体に広がり氷が割れた。心配されていたレイの体には何の傷も無く外相は見られなかった。
「よっと」
氷が割れた瞬間アデルはその場からレイの元へと跳躍して落ちてくる体を両手で抱きかかえた。穏やかな表情で寝息を立てているレイを見てアデルも一安心した。
「さてと、では時間も遅いですし続きは日が昇ってからにしましょう。皆さんお疲れ様です、今夜はゆっくりと休んでください。アデルは朝になったらレイ君を連れて私の元へ来てくださいね」
カルナックが両手で手を叩いてそう言った、その言葉でそれぞれ破壊された家の中へと戻っていく。こうしてレイとアデルの両名は無事に現実へと戻ってくることが出来た。レイはその後すぐに目が覚めてアデル達に謝っていた。カルナックとシトラはすでに部屋に戻っていて謝ることが出来なかったためそれは朝が来てからになってしまう。四人は同じ部屋でそれぞれ体を休めた。しかしこの日、レイとアデルは寝ることが出来なかった。完全に目が覚めていて睡魔など一切ない。しかし精神的な疲れは確実に二人の体に残っている。寝ることは出来なかったが二人は目を閉じてそれぞれその日を休んだ。
日が昇り朝を迎えた、アデルとレイはそれぞれ起き上がると身支度をはじめていた。まだ朝の七時頃だろうか? 吐く息は白く外気温はおそらく氷点下だろう。二人は一度玄関にまで足を運んで外の様子を見た、目の前に広がったのは一面銀世界だった。あの時止んでいた雪がもう一度降ったのだろう。彼らの戦闘の後が限りなく雪に覆われていたからである。庭の先に目をやると森が続いている、その入り口付近の木々がなぎ倒されている。間違いなく戦闘があった痕跡だった、レイはそれを見てここでどれほど大きな戦闘があったのかを理解した。
「暴れたんだなぁ僕は」
「あぁ、凄かったらしいぜ」
二人が雲の間から覗き込んでくる朝日に照らされながらそう話した、そして玄関を後にして二人はカルナックの部屋へと向かう。ドアの前で立ち止まると一つノックをした。だが中から返答はない、物音一切しないカルナックの部屋に二人はため息をつく。
「自分から朝一番で来るように言っておいてこれか」
「仕方ないよアデル、僕は何も言えない」
二人が顔を合わせてそれぞれ笑った、レイがゆっくりとドアノブに手を掛けて回す。立て付けが悪いのか高い音を鳴らしながらドアを開く。中には居るはずのカルナックの姿は見えなかった。部屋の中へと二人はそれぞれ入って辺りを見渡す。だがやはりどこにも姿は見えなかった。
「また本でも読んでるのかと思ったら居ないのか」
両腕を組んで舌打ちをしながらアデルが舌打ちをした、苦笑いしながらレイがカルナックの机を調べる。何かメモ書きでもあるかと思って捜索してみるが机の上は本が散らかっていて良く分からなかった。
「相変わらずだなぁ先生も」
ため息をついて本を一冊一冊本棚にしまい始めた、積み重ねられた本はおよそ二十冊はあるそうだった。それも分厚いカバーで覆われていて一冊が重い。辞典のような物から推理小説のような小さな本まで多岐にわたる。
片づけをしていたレイはふと本の下敷きになっている手紙のようなものを見つける、左手で本を持ちながらその手紙を拾った。
「アデル、これ」
レイの片づけを近くにあった椅子に座ってみていたアデルは腰を上げてその手紙を受け取る、メモ紙は端の処に切れ目があったりしている。
「おやっさんの字だな、何々?」
そこに書かれているのは次の通りだった。
「えーっと、『お久しぶりですフィリップ君、私の弟子達が君達の所にお邪魔したみたいですね。兄弟子である君としてはどのように目に映ったでしょう? 今度また紅茶を飲みにお邪魔しますのでその時にでもお聞かせください』。フィリップって誰だ?」
「ケルヴィン領主だよ、フィリップ・ケルヴィン。そういえば何か刀受け取ってなかったっけ?」
アデルは思い出したかのように大きな荷物入れから預かった刀を取り出した、あの時はレイの事で頭がいっぱいだったアデルは渡された刀の存在をすっかり忘れていた。改めてその刀を見てみる。
鞘はきれいな漆塗り、鍔はついていない。柄は長く三十センチはあるだろうか、鞘から刀を抜くと刃につけられた焼きが見える。とても綺麗でしっかりと手入れされているのが分かる。刃こぼれは一切ない。
「『名刀:雷光丸』、インストーラーデバイスですよアデル」
突如として声が聞こえた、ドアの方から聞こえたその正体はカルナックだった。埃まみれでアデルが持つ刀をじっと見つめている。
「おはようございます先生、昨夜は申し訳ございませんでした」
「良いのですよレイ君、無事に帰ってきてくれたことが何よりです」
レイは深く頭を下げて謝った、その速度は速かった。剣が空気を切るような音を出しながら深々と頭を下げるレイにカルナックは無事だったことを優先した。
「それより、フィリップ君がまさか雷光丸を預けるだなんて驚きですね。扱えないのが勿体ないくらいです」
「そんなに凄い刀なのかこれ」
一度刃を鞘に納めて雷光丸を頭上にかざした、改めて長い刀だとアデルは感じる。自分が持っている刀の二回りほどは大きいだろうか、重さもずっしりとしていてアデルが扱うには厳しいと感じる。
「私が法術で仕上げた逸品です、元の作りも素晴らしいですよ。アデルに渡してある黒刀も名刀の一つですが序列でいえば雷光丸のほうが上でしょう」
アデルの処へと歩いていき、雷光丸を受け取った。それを机の上に置く。そのままいつまでも頭を下げているレイの横を通り過ぎて机の引き出しを開けた。
「さて、二人を呼んだのは他でもありません。今後の話です、レイ君もいつまでも頭を下げてないでくださいね」
ようやく頭を上げて後ろを振り返る、だが本人はまだ謝り足りなそうな顔をしている。それをみてアデルが近づいて小突く。
「いつまでもしょんぼりしてんなよ、これからの話をしようって言うんだぜ?」
「その通りです、まずはアデル。黒刀を私に返してください」
言われるがままにアデルは黒刀の幻聖石を取り出すと具現化しカルナックに渡す。
「手入れはしっかりしていたようですね、これなら明日にでも完成できるでしょう」
「完成? 黒刀で何をするつもりだおやっさん」
「これを君に持たせていたのには理由があります、まずは刀の扱いに慣れること、そしてこれを使って実践をすること。この二つです、刀の技術については後で見させてもらいます。実践というのは分かりやすく言えば熟練度です、この黒刀は使用者の経験を得て成長する特殊な刀です」
黒刀を鞘から引き抜いて刀身を掲げる、片目をつむりモノクル越しに右目でその輝きを確認し始めた。しばらく見つめた後笑顔で再び鞘に納める。
「上出来です、こんなにも早く熟練度がたまっているとは思いもよりませんでしたが好都合です。次にこの刀を手にするときは全くの別物になっているでしょう」
「今でも十分な切れ味だけど、それ以上に何をするっていうんだ?」
「偏に切れ味だけで刀を判断してはいけません、その強度や扱いやすさ等もいい刀の条件です。そこにこの石を配合させます」
一番下の引き出しから真っ黒な石を取り出した、二人はそれを覗き込むように見る。一変なんてことのない石に二人は見えた。多分その辺で拾ってきたと言っても誰も分からないだろう、二人は何の石なのか分からず同時に首を傾げる。
「これは溶岩が固まった石です。それをこの黒刀と配合させてインストーラーデバイスとして完成させます、本当は腕輪のようなものにすればアクセサリーとしても使えると思っていたのですがアデルには似合わないでしょう」
レイが思わず吹き出してしまった、確かにかざりっけ一つないアデルの姿にアクセサリーは似合わないと今の一瞬で想像してしまったのだ。当の本人は舌打ちをしてそっぽを向いた。
「さらに炎帝剣聖結界と抜刀術を組み合わせた技をこの後アデルに伝授します、短時間でどこまで取得できるかわかりませんが覚えておいて損はないでしょう。レイヴンとの勝率を少しでも上げる為にもね」
「新しい抜刀術教えてくれるのか、それは楽しみだ」
そっぽを向いていた顔はすぐさまカルナックへと向けられた、隣で見ていたレイは思わず声を上げる。
「先生、僕には何かないんですか?」
不満そうに言った、かたや新しい武器と技の伝授。まだレイには何も伝えられていない。思わずアデルに嫉妬してしまう気持ちも分からなくはない。
「レイ君にはそうですね、正直なところを言いますと霊剣以上な物を君に与えることは出来ないのです。技もあらかた教えてしまっていますし、法術に関しても合格点です。インストーラーデバイスが無くとも多分剣聖結界は発動できるでしょうから……しいて言うなら剣聖結界を覚えてもらう事ぐらいでしか」
期待の眼差しで見ていたレイだったが、明らかに落胆の表情を隠せなくなってきた。カルナックが言うには霊剣は切れ味強度共に現存する剣の中でもトップクラスに入るであろう業物、それにレイにしか扱えないとなれば彼にそれ以上の物は扱えないであろう。これは修行中にいくつか他の剣や刀を使わせてみた結果から言えることだった。
「先生、その事なんですが実はもう使えたりします」
「はい?」
思わず黒刀を床に落としてしまった、目を丸くして発言をした張本人を凝視する。何かまずい事を言ったのかとレイが少し硬直する、カルナックのこんな表情を見るのはとても久しぶりだ。まるでハトが豆鉄砲を食らったかのようだった。
「私も耳が遠くなりましたね、エーテルバーストを起こしたレイ君が剣聖結界をそのまま習得してるだなんていやはや。年は取りたくないものです」
「いえ、習得済みです。深層意識の中で炎帝のおじいさんに教わりましたので」
レイが頭をポリポリと搔きながらそういうとカルナックは固まってしまった、まるで石の様に固まるとそのまま後ろへと直立のまま倒れてしまった。
「先生? ちょっと先生!?」
「氷雪剣聖結界」「炎帝剣聖結界」
外へと連れてこられたレイとアデルはそれぞれ今回習得した剣聖結界を披露する、カルナックの目の前で互いに発動させて見せた。
外見の変化はそれぞれこうだ。レイの見た目はほぼ変わらずだが足元から冷気が放出されている、周りの雪はそれに冷やされて即座に凍り付く。変わってアデル、こちらは腰まで長い真っ黒な髪の毛が真っ赤に染まり瞳の色も赤く染まる。足元からは炎が噴き出して周りの雪を一瞬で溶かした。
それぞれの剣聖結界は準ずるエレメントによって体の一部の色素が変わるのが特徴である、炎であればそれらは赤く染まり、氷は青く染まる。また、風は緑に染まり雷は金色へと変化する。土に関しては黒く変化するが、多分これが一番変化がないと言える。というのも中央大陸では黒髪と黒の瞳を持つ人間が多数存在するからである。それぞれの効果については以前述べた通りであるが、その中でも炎帝剣聖結界は攻撃に特化している。
カルナックの弟子達三人はいずれもコレを習得している。レイヴンは炎帝剣聖結界、シトラは氷雪剣聖結界、フィリップは雷光剣聖結界である。ここで気になるのがカルナックが保有しているエレメントであるが、元々カルナックは特殊な性質を持ち合わせており全てのエレメントと対話ができる。それ故についた二つ名がエレメンタルマスターである。そこに剣術に最も優れている称号の剣聖を持ち合わせているため現存の人類最強と謳われる。全てのエレメントと対話出来る者は数百年に一度の割合で生まれてくると言われている、特殊な存在であることは間違いないのだが前例はある。
話を戻そう、レイとアデルがそれぞれ剣聖結界を発動させたのを見てカルナックが頷く。だがアデルはやはりものの五秒程度でその効果が切れてしまった。片膝をついて息を切らすアデルを横目にレイはしっかりとその効果を継続刺せている。
「上出来です、アデルはもっとコントロールを身につけないといけませんね。そんな調子ではすぐにエーテルが空になりますよ」
「ば……場数を踏むさ」
深呼吸をしながらゆっくりと立ち上がると一つため息を零した。カルナックは無情にもそれをニッコリと笑顔で見ていた。
「上等です、レイ君も有難う御座います」
レイがゆっくりと剣聖結界を解くとアデルに肩を貸して担ぎ上げる。
「次にまだ教えていなかった抜刀術をお見せしますね」
ゆっくりと三人は森の入り口まで歩き無事だった太い木を見つける。二人はカルナックの後ろに立ちその抜刀術をしかと記憶する。
「以前アデルには教えた五連続抜刀は覚えていますね? それの続きとなる六発目の抜刀術です。炎帝剣聖結界を前提とした技となりますので使える機会はほんの一握り、それも一瞬です。それを逃がしてしまえば放つことは今のアデルには困難でしょう」
「アレの続きがあるのかよ、五連続だって過去一回しか成功したことないのに無茶言うなよおやっさん」
アデルが絶望にも似た野次を飛ばした、だがカルナックは相変わらず笑顔のままだった。首を捻ってアデルを見た。
「大丈夫ですよアデル、今のあなたなら五連続まではきっと簡単に出来ます。それだけ成長しているのですから自信を持ちなさい」
そう言って再び前を向く、その瞬間辺りに緊張が走った。ズッシリと重い空気が辺り一面に張り巡らされているのが分かる。後ろの二人は同時に唾をのむ。ゆっくりとカルナックが左手に構える刀を少しだけ後ろに下げて姿勢を低くとった。
「一つ」
始まった、カルナック流抜刀術の神髄ともいえる神速六連撃。右手で刀を鞘から引き抜くと左斜め下から右上へと大木に一本の切れ目が入る。
「二つ」
瞬時に納刀するとすかさず二撃目が走る。今度は縦と横にそれぞれ二本の切れ目が走る。だが普通に二発の斬撃を撃ったわけではない、横に一閃入れた後一度納刀しているのだ。抜刀するときの速度を利用した高速の連続攻撃。そう、二撃目からは斬撃が一本ずつ増える。その調子でまた納刀する。
「三つ」
此処から並の人間では放てない領域へと進む、一秒の間に三回抜刀を行い三回納刀を行う。まさに神速という名にふさわしい速度だった。レイはそれに目が追い付ていない。アデルはまだその速度を追うことが出来る。大木が人間であればこの三発目は膝下を切り落とし、右下から左上に刀がすり抜け、最後の一撃で首を跳ねる。だがまだ止まらない。
「四つ」
カルナックの姿が消えた、アデルにはまだ見えている。大木の横をすれ違うと同時に横に一閃を放つ。後ろに回り込んだカルナックは次に右腕の部分、さらに左腕の部分。そしてまた元の位置に戻るために反対側の横を通り過ぎるともう一度一閃を叩きこむ。この時点で大木はまだ倒れていない、ズリズリと刀が走った線に沿ってパーツに分解された部分が崩れ落ちそうになるがそれをこの四つ目が襲う。
「五つ」
すでに人間であればこの時点で少なくとも十個のパーツに分解されている、その時間僅か五秒。炎帝剣聖結界を使わずに撃てるのが此処までと言われている。今度は上下左右、そして斜めにそれぞれ斬撃を飛ばすのがこの五発目だ。そして最後に刀を下から思いっきり切り上げる。間違いなくこの時点で絶命しているだろう、だがその更にもう一つ。これより先はアデルには未知の領域となる。
「炎帝剣聖結界」「炎帝剣聖結界」
アデルとカルナックが同時に発動させた、何故アデルが剣聖結界を発動させたのか。それは五つ目の連撃を視界でとらえるのがギリギリだったからである。それ以降は未知の領域、無意識に自身の身体能力と動体視力を上げる為に発動させていた。そしてアデルは目撃した、カルナックが抜刀した瞬間に同時に見える六つの剣線を。間違いなく残像である、それも質量を伴った。あまりにも早すぎる同時攻撃。円を描くように一点へと集まるその斬撃にアデルは震えた。我が目を疑ってしまった、今まで教えられてきた技はこれを放つ為のいわば準備運動である。五つ目までを使いこなせなければその先にある六つの斬撃を放つことなんて到底不可能。それまではただの連続攻撃であったがこれは違った。アデルの目にははっきりと映し出されている、これは同時多段攻撃であると。
万が一、五発目で仕留めきれなくとも六発目で確実に殺せるだろう。考えても見てほしい、六方向から飛んでくる同時の刃をどう防げようか? また避け様にもそれまでの攻撃で四肢欠損を追っている可能性が高い。避けられる筈がないのだ。まさに必殺、その名にふさわしい攻撃だった。カルナックの一連の動作が終了し納刀後に斬撃音が耳に届く。剣激は音を置き去りにした。
「おやっさん、その技の名前は?」
まだアデルの体が震えている。大木が大きな音を立てて崩れ、低い姿勢を取っていたカルナックがゆっくりと姿勢を戻すと後ろを振り返る。
「六幻です、頑張ってくださいねアデル」
ニッコリと笑顔でそう答えるとアデルに自分の刀を預けてカルナックは何事も無かったかのように家へと戻っていった。
「イッテェェェェェェェェ!」
アデルだった。あれから二時間ひたすら炎帝剣聖結界を使いながら六幻を習得するべくひたすらそこらじゅうの木々に打ち込み続けた。しかし五連続までは何とか成功するにしてもやはり六幻だけはどうにもたどり着けない、無理もない。いわばカルナックが教える最後の剣技だからである。そう易々習得されてはたまった物じゃない。度重なる右腕の酷使についに悲鳴を上げた。
「だぁぁぁぁ! 音を置き去りにする攻撃なんてどうやったらできるんだよ!」
ドサッと後ろへ倒れこんだ、雪がクッション代わりになり痛みは全くない。
「そうはいってもさアデル、剣聖は目の前でやってのけたんだろう?」
ガズルだった、それだけじゃない。レイとギズーも一緒に外でアデルの特訓を見守っている。二時間ひたすらに打ち込み続けている様子はまさに鬼のようだった。
「そもそもなんで剣聖結界前提なんだ? 速度の問題とは聞いたけど」
ギズーが家から持ってきた椅子に座って尋ねる、背もたれに顎を乗せて両足を開いて座っている。
「単純に速度の問題だけじゃねぇんだ、あの技はいわば音速を超えるんだ。だからこそ音を置き去りにできる、だけどその時の摩擦熱は尋常じゃないんだ。それから身を守る為にも必須なんだと俺は考えてる」
「それを生身でも使える剣聖ってやっぱりおかしいんだな」
ガズルがボソッと呟いた、だが残りの三人はそれに激しく同意する。元々化け物と呼ばれるほどの人間であったカルナックだがその実力は年をとっても衰える気配は全くなかった。
「何かヒントがあるはずなんだ、もう一度アデルが見た様子を話してくれ」
椅子に座っているギズーの頭に左腕を置いて寄りかかっているレイが口を開いた。誤解しないでほしい、アデルがひたすらに技の練習をしている間レイが何もさぼっているわけではない。エーテルコントロールで爆発的に消費する剣聖結界をどうにか長時間維持できるように彼もまた修行している途中だ。証拠に三十分以上も氷雪剣聖結界を発動し続けたままだ。最初にカルナックが告げた時間を遥かにオーバーしている。これも深層意識の中で炎帝に教わった技術の一つである。
「これで何度目の説明だよ。俺が見たのは炎帝剣聖結界を使った後六つの残像が見えた、それがそれぞれ円を描きながら中心へと集まるんだ。斬撃音は納刀した後に聞こえてきた、それ以外は――」
同じ説明を繰り返し繰り返し話してきたアデルはそこでピタッと発言を止める、突然ガバっと上半身を起こすとカルナックの刀を見つめる。三人は突然の事でアデルが何をしているのか分からなかった。
「アデル?」
レイがギズーの頭の上に置いていた腕を退かしてきちんと両足で立つ、カルナックの刀をずっと見つめているアデルに近寄ると隣でしゃがんだ。
「なぁレイ、炎帝剣聖結界の最大の利点ってなんだ?」
「身体に負荷を掛け一時的に爆発的な戦闘力を持たせる事だろ? その代償として発動後は動けなくなることもあるって先生言ってたじゃないか」
「なら、爆発的な戦闘力ってなんだ?」
その場にいた三人がそれぞれ顔を見合わせる、一体アデルは何を言いたいのだろうかと首を傾げる。きっとアデルには何か閃きの様な考えが浮かんだのではと三人は思った。
「例えば戦闘力って言うのは一概にはただの強さってイメージがある。だがそれを細かく分析したらどうだ? パワー、スピード、視認力、判断力等色々なパラメーターに分かれるはずなんだ。その中でも六幻の最大な特徴はその攻撃速度だ、残像を伴い六方からほぼ同時に攻撃を叩きこむ。その攻撃速度は音速を超え音を置き去りにする」
彼にしては珍しい考察力なのかもしれない、普段ぶっきらぼうで単細胞と言われている彼がここまで様々な事を口にするのはやや珍しい。時々あるにはあるが。
「つまり、あの技を成功させるにはスピードが最重要。その攻撃速度を上げれば習得は目前――」
「いや、その攻撃速度云々について今まさに話し合ってる所じゃないか?」
真剣に語るアデルにすかさずガズルが突っ込みを入れる。しばらくの間沈黙が続きアデルが再び後ろへと倒れこむ。
「あぁ、全く何て技だ」
アデル意外の三人はその様子に笑っていた、それを家の中から観察する人がいる。カルナックだった、彼もまたひたすら六幻に向かって繰り返し繰り返し試行錯誤を行うアデルの様子を見ていた。その表情はとても微笑ましいものだった。
「頑張りなさいアデル、六幻の神髄はその見た目にあらず。私が使った時の事をよく思い出すのです、今のあなたならきっと分かる。まだ足りないが必ずレイヴンと出会う前に理解するでしょう」
机に置かれたコーヒーを手に取って口へ運び自身の仕事へと取り掛かった。