11.閑話 アリヤの話
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昼下がり。ぶらりと、元々住んでいた街並みを歩く。
さきほどまでは曇り模様だったが、アリヤが外を歩く頃にはすっかり晴天となっていた。外で買い食いする気分だったのでちょうど良い。
(うん、いつもどおり。願ったり叶ったりの天気だ)
御束アリヤは、運の良い人間だ。
欲しいと思った物はたいてい手に入るし、親にも恵まれた。頭だって悪くないし、運動神経も悪くない。
ほんの少し不満点を上げるとするなら、容姿が良すぎたことだろうか。
そんなことを言えば、顰蹙を買うものだとわかるが、かつてのアリヤにとっては憂鬱な問題でもあった。
運が良くても、人の好意や敵意はどうにもならない。
いい人だと思って一緒に過ごした相手が、豹変したように襲いかかってきたり興奮してきたりすることが何度あっただろうか。二度や三度ではなく三桁にさしかかれば開き直りもする。
幸いにも、性犯罪に巻き込まれることはなかった。
アリヤに甘い父の存在も大きかったと思う。ただ、守られることばかりに嫌気が差してからは反抗して誘われるままに遊び歩くことになってしまったが。
人肌の暖かさや触れ合いが癖になったかはわからないけれど、今も続けてしまっている。
もちろん、アリヤとて馬鹿ではない。
遊んでも問題ない相手をきちんと選んでいる。それでも、たまに粘着質につきまとわれることもあるのだが。
「アリヤ? アリヤじゃない、偶然ね!」
立ち止まり、声に振り向いた。着飾った女が見えた。
(今回は駄目なほうだったかー……)
げんなりと内心で嘆きながら、表面は笑顔をつくろって浮かべる。
佐藤原にもらったクーポンを遊ばせるのももったいないので、適当に外食でもして、と考えていた算段が崩れるのを察した。途中まではいい調子だったのに、やはり対人関係はそうそううまくはいかないものらしい。
寄ってきた女性は以前たまたま出会ってお茶をしただけの相手だった。まあ、多少は、サービスしたつもりはある。
アリヤの外面はいいのだ。そうしたほうが楽だから。
(しっかし、あの時はこんな感じでもなかったのになあ)
そう。甘えたような高い声を出すような相手でもなく、今みたいに偶然を装ったふうに付け回すような、そんな遠慮のない性格でもなかった。
お互いに気持ちよく遊ぶだけの関係にしよう。誠実に対応するし、相手もするが、恋人関係には絶対にならない。
我ながら最低だと思うが、アリヤなりにデメリットをきちんと最初に説明しているのだ。だというのに、嫌な方向へと変化する者が時折現れる。
「ねえ、アリヤ。私たちって相性がいいほうだと思うの。ちがう?」
全然、違う。
ただ、お前の都合の良い彼氏像を見せてあげただけだ。しかも、一日だけだったろう。
そう言えたなら、どんなに楽だったろうか。面倒だという思考が頭で渦巻く。「そうかな」と適当に返して微笑む。
それにほっとしたように、声をかけてきた女性は嬉しそうに続けてきた。
「だから、ね、アリヤ。私とだけ」
それは言わせてはいけない。
す、と唇へと指先をあてて閉じさせる。なおも面倒だと思っていることを、相手に露とも知られないように、なおかつ自分がよく見えるように囁いた。
「ごめんね。そういう相手に、俺は向いてない。もっと君を見てもらえる人を探したほうが、ずっといいよ」
相手が呆けている間に、さっさとアリヤはその場を立ち去った。人混みに紛れて、足早に進む。
なんとはなしに出かける気分はしぼんだ。
(あーあ。気分落ちたな)
仕方なしに帰路につくことにした。
だが、そのまま手ぶらで帰る気にもなれず、適当なコンビニに入って菓子とコーヒーを探す。
その途中で、アリヤは見覚えのあるアイスを見つけた。
(あ、これ。もらったやつだ)
普通のアイスより、ちょっとばかり値の張るアイス。
あまりにもなんのてらいもなしに、欲求もなしにもらったアイスのパッケージを見て、皓子を連想してしまった。
(織本皓子ちゃん……なあ)
周りが濃い住人ばかりだからか、ちっともアリヤに頓着しない女の子。
それでいて何かと父であるマロスと比べて微笑ましそうに見てくる。さらにはおまけで、害意をもたれにくく、緊張を和らげるような体質持ちらしいという変わった子。
万屋荘も、最初は父に騙し討ちで連れてこられたようなものだったから気乗りはしなかったが、今はそうでもない。
実家暮らしの延長みたいなものだが、居心地は悪くない。
変で、楽しくて、気負わなくていい。身近な喧噪に嫌気が差したときなんて、癒やされるような気持ちになることもあった。
(……そうだな)
携帯端末のタッチパネルを操作して、万屋荘の電話番号を呼び出す。
相手がSNSをしているかもメールアドレスもわからない程度の仲だけれど、まあ、かまわないだろう。そう思って、アリヤは目的のものを買ったあとで電話をかけた。
保留音が数度鳴ったあと。
落ち着いた、どこかのんびりしたような声がした。
『はい、万屋荘です』
「あ、織本さん? 御束です」
そう声をかければ、向こうは『なあんだ、御束くん。どうしたの?』となんでもないように聞いてきた。皓子の反応は、煩わしくなくて、好ましかった。
「ゴールデンウィーク、空いている日、ある?」
『うん? ええと、明後日なら』
「そっか。じゃあ、美味しいもの、食べに行こうよ」
『え? どうして?』
「佐藤原さんのクーポン、せっかくなら一緒に使おうかなって思って。織本さんの紹介からだったし」
皓子が『ええ、気遣い上手……』と小さく言う。それがまたおかしい。
『御束くんがいいなら、いいけど……本当にいいのかなあ。一緒に行く人いっぱいいるんじゃないの?』
「いや、いないよ」
いるにはいるが、いないことにした。
行く時間を決めて、何を食べたいかを話していれば、驚くほどあっという間だった。皓子は電話が終わる最後まで、アリヤよりも食べるご飯のほうに心惹かれているようで、なんだか気が抜けて楽しかった。
これもまた、皓子の力のなせる業なのだろうか。それとも皓子自身の性格だろうか。
どちらにせよ、アリヤにとっては同じことだ。皓子をはじめ万屋荘の面々とはそこそこ楽しく過ごせそうということは間違いない。
「じゃあ、楽しみにしてるね」
その言葉に嘘はない。
通話を切って、アリヤは颯爽と万屋荘へと足を向けた。