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作者: わやこな
2.来訪者 2

 アリヤの部屋に到着すると、にこやかな表情を浮かべていたアリヤは態度を一変させた。
 後ろを向いて出てきた紋様を睨み、空をなぞろうとして舌打ちをしている。

「アリヤくん?」

 たずねると、嫌そうな顔を隠しもせずにアリヤは皓子に言った。

「ごめんね、皓子ちゃん。ちょっと邪魔が来るみたいだから、先に戻ってて。本当は最後まで送りたいけど」
「送りたいって、すぐ隣の部屋だよ」
「俺の気持ちの問題。大丈夫だってわかってるけどさ、気をつけてね」

 するりと手の甲をなぞるように撫でて、繋いでいた手が離された。触れ方ひとつでこうも艶っぽく感じてしまうとは。
 皓子はきょとんとしてしまった。それに、なんだか顔が熱くなってきた。

「これ、中身は無事だと思う。駄目だったら教えて、買うから」
「ええっ、いいよ。いろいろ気遣ってくれてありがとう」

 慌てて否定して礼を言う。買い物袋を受け取り、名残惜しそうなアリヤに手を振ってから、皓子は荷物を手に玄関から出た。

 万屋荘の廊下、その向こうに誰かが立っている。
 一瞬、町中で見かけた仮面の男かと思ったが、人数が多いことに気づいてほっとする。
 さすがに見知らぬ輩が、自分の安心できる場所に現われるのは驚いてしまう。
 日差しで逆光に見えるが、ゆっくりとこちらへ向かってくる姿は見覚えがある。
 旅行に出ていた世流一家であった。
 ボストンバッグを携えた低めの身長の男性、世流中が皓子の姿を認めて軽く手を上げた。隣に控えるモデル体型の美女、妻のノルハーンが娘のスーリを抱えて優雅に手首を動かして振った。
 確か、六月に副業がてらネタを作りにと旅行に出かけて一ヶ月ぶりの帰還だ。過去にも何度かあったが、今回はそこそこの長期間であった。

「ただいま戻りました」
「おかえりなさい。お疲れさまです」

 世流が声をかけてくる。
 すうすうと寝息を立てるスーリがいたので、控えめな声で皓子が応えれば、にっこりとノルハーンが微笑んだ。スラリとした腕に、相変わらず唇の人形を乗せている。
 唇の人形が動いて、女性的な口調がそこから発せられた。

「こっこ、旅先で貴女のお客様に会いましたわ」
「お客さま? 私の?」
「ええ。ダーリンとの散策の傍らで知り合いましたのよ。今、入り口近くまで来ているの。入ってもらってもよろしくて?」
「今!? えっと、ちょっと待ってね。ばばちゃんに相談しなきゃ」

 アポイントメントなしの客は困る。
 万屋荘は特異な術や技術を有する宝庫みたいなものだ。
 それに、外界と完璧に隔てられているわけではない。庭区画や部屋の内部への侵入や許可の無い出入りは禁止されるが、入り口や廊下までは可能だ。

「皓子さん、吉祥さんに言わずともすぐにわかると思うよ。だって、ほら」

 着流しの裾をひるがえして、世流が入り口を指さした。

「皓子さんのお父さんだろう?」
「え」

 指し示す先を向く。
 仮面の男が立っていた。

 思ったよりも近い位置に居る。
 万屋荘入り口というよりも、入ってすぐの廊下にさしかかる辺り。世流一家がここまで招いてしまったのだろう。
 廊下には皓子の胸元あたりくらいの高さになる塀がある。乗り越えようと思えば乗り越えられるが、咄嗟の逃げ道には不適当だ。
 あの白い犬の仮面が、皓子のほうへと向いてじっと見ている。
 夏の強い日差しを影にして、黙って立っている様は不気味だ。

「家族なのでしょう? こっこ」

 そっと声をかけられる。

(なに……? ノルハーンさんの様子が変)

 どこかぼんやりとした風な、とろんとした表情で皓子を促すノルハーンが囁く。恍惚とした、という形容が近い。

「世流さん?」
「話をしたいだけなんだって。ノルがどうにも共感しちゃってねえ」

 そういう世流は、困ったように眉を下げた。

「僕も家族がどうこうは、強く言えなくてね」

 言いながらノルハーンをそっと離す。そのときにノルハーンの人形から、ノルハーンのものではない小さな声が出た。

『吉祥さんにはすでに連絡している。申し訳ない』

 世流の声だ。
 事情があるのだと知って、皓子は世流たちを見てわずかにうなずいた。
 改めて振り向く。
 一定の距離を開けた位置で立ち止まる仮面の男は、まだ皓子に注目して動いていない。
 距離は数メートルくらい。家のドアをくぐるにも邪魔な位置に立っている。

(本当に話をしたいだけなら……本当に、私のお父さんなら、ノルハーンさんの様子が変なのはそのせい)

 皓子の父、大門には魅了の力がある。
 吉祥が皓子の幼心ついたときに語ってくれた父の失敗談や逸話で、記憶に刻まれているのだ。
 ノルハーンに申し訳なく思って、世流一家より前に出て対峙する。
 アリヤと居るときとはまた違う、緊張が体をはしる。知れず手に力が入り、買い物袋が揺れる。

「君が、皓子か」

 言葉少なの声は、低く感情が読めない。ただでさえ犬の仮面でよく分からないのに、ますます警戒に体が固まってしまう。

「……ああ、やはり面影がある」

 ひとりで納得したように呟いて、一歩踏み出してきた。
 奇妙な圧力があった。圧倒されるような、呑まれてしまうような存在感を持って、また一歩近づいてくる。
 廊下の床を擦る音で、無意識に後退りしているのだと気づいて唾を飲み込む。

「本当に、僕に似ていない。ひかりに似ている」

 言いかけて止めて、さらに一歩。
 害意はないはずと言い聞かせていても、体は強張りうまく言うことを聞かない。荷物を投げるか視線が動く。
 しかしその間にどんどんと距離を詰めてきて、数歩前に立って手を差し出してきた。

「皓子、こちらへ」
「い、いやです」
「なぜ」
「なぜって」

 行く道理がない。
 何を言いたいのかわからず、怪訝そうに皓子は相手を見てしまう。
 父と名乗る男は、犬の仮面に手を当てて見返してきた。

「僕は君の父だ。物も贈る仲だ」

(……うん? たしかに、そうだけど。それがなんなんだろ。ほぼ初対面だし、何も知らないのに)

 なんだか残念な気持ちがわいた。心底の落胆というよりも、しようもないものを見てしまったような感覚に近い。

「婆さんの契約で縛られているからか」

 革靴をコツコツと鳴らして近寄る大門が手を伸ばしてくる。びくりと体を竦ませれば、伸ばしかけた手は止まりじいと見下ろされた。

「なぜだ、皓子」
「な、なぜって言われても……」

(お父さんのこと、ぜんぜんわからないし)

 はっきり言ってしまっていいのだろうか。
 後ろの世流一家をちらりと見るが、世流は未だぽうっとした様子のノルハーンを抱えている。視線と手先で戻るように示して、皓子はまた犬の面を見上げた。
 初めて見る父の姿は、はっきりいって不審者そのもの。
 仕立ての良いスーツを着ていても、出店で飾られるような犬の面がうさんくささに拍車を掛ける。
 さらには、言葉が少なく愛想もない。ただでさえ感情が見えないのに、これでは、良い印象を抱く要素がないのだ。
 そうしてしばらく見合っていると、皓子のすぐ横のドアが開いた。横といえば、皓子が出てきた101号室だ。

「あれ、皓子ちゃん? なにかあった……」

 また出るところだったのだろうか。ウェストポーチをしたアリヤが皓子を見つけて、きょとりと目を瞬かせた。
 言葉尻は尻すぼみになって、皓子へと手を伸ばす不審者のごとき大門へとアリヤの視線が移る。
 途端、サッと警戒を露わにして大股で飛び出すと、皓子をかばうように間に入った。

「誰、なに、どうしたの」

 短く矢継ぎ早に皓子に聞くアリヤに、大門が動揺した声を上げた。ここに来て初めて感情に揺れた声を聞いた。

「誰だ、君は」
「いや、こっちが聞きたいんだけど」

 背に庇われながら大門を見る。アリヤに間に入られ邪険にされたからだろうか。苛立たしげに大門は仮面を取り去った。
 現われた顔は、アリヤとはまた別方向の整った顔立ちをしている。
 さながら、吉祥を男にしたような怜悧な美貌だ。短髪で塩顔の美中年とでもいえばいいのだろうか。吉祥がよく見る昔のドラマに出てくるようなハンサムキャラの俳優にも似ているなと思えた。
 顔立ちを見たことで、やはり父なのだと皓子は納得した。
 御束一家と食事をしたときに見せられた、写真の中の父をすこし老けさせただけで、ほとんどそのまま変わりは無い。
 アリヤも気づいたのか、訝しそうに大門を見てから皓子にこそりと聞いてきた。

「もしかして、皓子ちゃんのお父さん?」
「そうみたい」
「え、じゃあ、挨拶したほうがいいかな」

 警戒を解こうとしたアリヤに、皓子は思わず服の裾を掴んで止めた。
 ずしりとした買い物袋とアリヤを掴む腕が、皓子を現実逃避させないでくれる頼もしさを感じた。

「あの、初めて会うの。だから、その、アリヤくんには悪いんだけど」
「……そっか。うん、いいよ」

 アリヤは安心させるように、掴んだ指先を軽く叩いた。
 握っては失礼だったか。皓子が指を外そうとしたところ、アリヤに緩く握られた。

「はじめまして。皓子ちゃんにはよくしてもらっています、御束アリヤです」
「ふむ、御束くん。君が」

 眉間に皺を寄せた大門がアリヤを見る。すると、風は吹いていないというのに、ぶわりと空気が震えて通り抜けたような心地がした。
 何かひび割れた音がする。
 ついで、柔らかな光が漏れ出すと、上階で勢いよくドアが開く音がした。

(あ! 翔くんの防犯具!)

 割れた音の発生源は、先日、万屋荘の面々にお守りがわりにとして渡された土産のキーホルダーからだった。
 皓子は携帯端末の飾りにつけていた。買い物袋に入れていた端末のあたりらへんから光が漏れているのと、アリヤもポケットから光が出ていることからおそらく所持しているのだとわかった。
 音と光に心当たりを見つけたところで、颯爽と廊下の塀の隙間から飛鳥が猛スピードで飛び入ってきた。

 現われた飛鳥は、思いっきり銃刀法違反になるような長剣を持っている。顔はギラギラとして、今にも標的に飛びかかる猟犬のようだ。

「敵か!」

(敵、かな? いやでもさすがに、ここまで敵視するのは……)

 過剰防衛になってしまうのではと、皓子は飛鳥へ向かって首を横に振った。

「あ、ち、違うの。翔くん、そこまでのことじゃ」
「こっこちゃんたちの精神に作用する何かがあった。万屋荘の警備役に携わる者として見逃せない」

 すぐにでも首が落とせるように、剣を向けて凄む飛鳥の瞳孔は完全に開いている。普段の気の良い青年のナリは完全に引っ込んでいた。
 アリヤはそんな姿の飛鳥に若干驚いたようだが、飛鳥に賛同するように皓子の手を引いた。
 ピリピリとした空気が肌を刺す。
 慣れない雰囲気に皓子は途方に暮れてしまいそうだ。

「次に何かするなら、命はない」
「ま、待って! 翔くん、ストップ!」

 戸惑いながらどうにか飛鳥を止めるため、皓子は声を上げる。

「その人は、私のお父さんなの! ばばちゃんが来るまで、待って!」
「こっこちゃんの、お父さん?」

 未だに剣先は向けながら、徐々に表情を緩めた飛鳥が大門を怪しんでいる。

「似てないぞ」
「私もそう思うんだけどねえ……でも、本当みたいなの」
「俺のとこの母さんが顔見知りで、写真持ってた。嘘じゃないよ」

 皓子の説得にアリヤも言い添えると、まだ納得しかねる様子だが飛鳥はやっと武器を収めた。

「じゃあなんでお守りが反応なんか……うーん、でも二人が言うなら」

「ああ無骨な武器なんて、しまっちまいな。アタシの万屋荘が汚れちまうだろ」

 おさまり始めた場に、ようやく吉祥は現われた。
 手には細長い筒を持っている。

「飛鳥。働きご苦労。戻って良いよ、後はアタシがやる。世流も、部屋で休みな。ノルハーンはじきに治る」

 テキパキと指示を出すと、まず世流が一礼して部屋へと戻っていった。
 続いて、すっかりいつもの調子に戻った飛鳥が、頭を掻いてにこりと笑って「わかりました!」と爽やかに帰った。
 残るは、大門と対峙しているアリヤと皓子だ。
 吉祥はずかずかと歩いてくると筒で大門の胸元を押した。

「あの電話があってから、来ると踏んでいたが。随分と馬鹿な真似をしたもんさね。お前が本当に気にしているのはコレだろ」
「それか!」

 奪うように取って、大門は筒を開ける。
 中には、巻いた紙が入っていた。古びてけばだった巻紙を大門は広げて目を通すとすぐさま破った。

「これで、皓子は僕と」
「それは予備の予備だ。狙ってるヤツに馬鹿正直に渡すわけないじゃないか。第一、旦那に頼まれてんだ。アンタに任せるわけないだろ、この生活能力なしの馬鹿息子が」
「婆さん!」
「だれがババアだ! アホたれ!」

 似た顔が言い合っている。
 ぽかんと見ていれば、吉祥は眦を上げたまま皓子たちをじろりと見た。

「御束アリヤ!」
「えっ、はい」
「皓子を連れて部屋に行きな」
「僕の娘を連れて部屋に?」

 今度は大門が気炎を上げる。大門がアリヤを見て、また言いようのない圧力をかけている。
 息を飲んだアリヤがたたらを踏んで見返せば、眉間に皺を寄せた。代わりに吉祥は得意げだ。

「こいつは特殊なヤツの息子だ。お前の未熟な魅了術なんて、大して効きゃしないよ」
「皓子っ」

 手を伸ばそうとした大門の腕を捻った吉祥は、引きずって大家部屋に戻っていく。すれ違う途中で、吉祥は皓子の買い物袋も奪って行った。
 その姿を唖然と見送り、やがてアリヤは「あー……」と気まずげに声を出して提案した。

「皓子ちゃん、俺の部屋でお茶しよっか」
「ありがとう、アリヤくん。その、ご迷惑をおかけします」
「ううん。役得」

 軽く言ったアリヤに手を引かれて、皓子は再び101号室へと逆戻りした。
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