12.202号室、片恋応援 2
皓子とアリヤがちょっとした青春らしきことをしている一方。
落ちつきなく部屋の倉庫をあさって、飛鳥は明日への希望を募らせていた。
飛鳥翔は、ごく普通の一般人男性だった。
過去形というところに、自他共に一般とは言いがたい環境と力があると身をもって理解しているのだ。
もともと天涯孤独だった飛鳥は、養護施設で暮らしながらやっとの思いで高校に入った。まあ、そこまでなら、なくはない話だ。
アルバイト先を探し歩いている最中、急に異世界へと喚び出された。そんなことがなければ。
はじめての転移。
召喚先は、地底奥深くの洞窟。
飛鳥を召喚したはずの人物はすでに事切れており、突然の出来事に混乱しながら襲いかかってくる化け物たちから逃げ回った。
まともな食事もなく、必死の思いで食いつなぎ、ただ生き延びるだけで精一杯の日々を過ごしたのだった。
そこで飛鳥の生への執着、適応能力が育ったと言っても過言ではない。
どうして生きて帰れたのか今でも不思議に思う。
最初の世界は、がむしゃらに地下の洞窟を進み遺跡らしき場所に出て、謎の石版を半分狂ったように調べていたら暗闇に放り出された。覚えているのは、死の縁にたった感覚と降りてくる光だった。
そうして、気づいたら元の世界に戻ってきていた。
何の変哲も無い、化け物もいない、明るい夕間暮れの公園。夕方に流れる防災無線の日本語に、飛鳥は呆然と涙を流した。
場所も分からないが、帰ってこられた嬉しさに街を歩いた。
だけど、飛鳥が居た時よりもすでに十年以上も経過していた。
不思議なことに、飛鳥の姿形はほとんど変わっていなかった。洞窟の世界で飲み食いした何かがまずかったのかもしれない。無気力になって戻ってきた公園でうなだれた、そのとき。
御束マロスと出会った。
マロスは、ぼろぼろの格好で薄汚れた飛鳥を見つけるなり、躊躇なく近寄り親切に声をかけてくれた。
彫像のような美貌の大男が、神様の遣いに見えて、他に縋ることがなかった飛鳥は誘われるままに万屋荘へと連いていった。
それが、飛鳥が万屋荘に来た経緯だった。
(万屋荘は、本当にいいところだ)
飛鳥に対して文句を付けながらも受け入れた管理人の吉祥。
感情が薄くなっていた飛鳥を心配して、気遣ってくれた皓子。
二人をはじめとして、誰もが飛鳥の話を馬鹿にせずに受け入れてくれた。何よりマロスはここを案内してくれ、導いてくれた恩師みたいなものだ。
飛鳥があの一度だけではなく、二度目三度目と召喚されても万屋荘の面々が飛鳥を拾い上げてくれた。
何回かこなすうちに、どうにか戻るための鍵や行動があると把握して、佐藤原の技術提携を受けてやり取りできるようになってからは、飛鳥もすっかり開き直っていた。なんだかんだと濃い住民のおかげで、療養が出来ていったのだと思っている。
田ノ嶋に関しては、飛鳥の心身の療養の根幹に関わっている。
だからこそ、好きになった。
(麻穂さんが楽しそうで、よかったなあ。彼女が嬉しそうだと、俺も嬉しい)
田ノ嶋の笑顔は飛鳥の活力だ。
今も、そうなったきっかけを鮮やかに思い出せる。
田ノ嶋が万屋荘に来てから数ヶ月経った日のことだ。
月に一度あるかないかの頻度で転移させられるとわかってきたあたり。
異世界から帰還した飛鳥を初めて見た田ノ嶋は、驚きながらも半泣きで古傷だらけの体を癒やしてくれた。そしてぽつぽつと治療の最中に話した旅のことを、掛け値なしに「すごいじゃん! 格好良いじゃん!」と褒めて、笑いかけてくれた。
それだけのことと言われたらそこまでなのだが、飛鳥はこのことがきっかけで恋に落ちたのだ。
年上の、綺麗な女性が屈託のない反応をして会話してくれる心地よさや、料理の壊滅さ加減で頼ってこられた嬉しさ。それが重なって、重なって、今に至っている。
もちろん、途中で好意を伝えようとした。
田ノ嶋以外の住人にアドバイスをもらったりもした。
だが、いざ告白しようとすると緊張して、こんな自分が彼女に相応しいのか躊躇っている間に、邪魔が入る。
いっそのこと傍に居られるだけ幸せと思えば良いのかと諦めの境地に入りそうになっては、皓子たちに励まされてきたのだ。
(御束家の血ってすごい)
今日の出来事は、マロスに続いてアリヤも飛鳥を導いてくれているかのようだった。
元天使だというマロスの御利益でもあるのかもしれない。あの輝かしい容貌を見ると否定は出来ない。
(気も良くって、顔もよくて、学歴もあって……麻穂さんが好きにならなくて良かった)
それだけが救いだ。
田ノ嶋が光のイケメンと称するアリヤに対して、惚れでもしたらと警戒していた。
飛鳥は異世界で過ごしている時間も長いおかげか、平和な日和見思考と乖離する価値観も育ってしまった。
取捨選択の中に、排除の選択肢が出来てしまったのだ。
平和な日常生活においてはまず使わないだろう選択肢を、必要とあれば躊躇無く飛鳥は選べるようになっていた。
その点を考えると、アリヤは実に運が良かったのかもしれない。
飛鳥が仮に、狂おしいほど恋に焦がれていたならただではすまなかっただろう。もちろん、飛鳥も無事ではすまないだろうが。
(でも、こっこちゃんかあ……見る目あるよなあ……良い子だもんなあ)
飛鳥がしみじみと思いながら倉庫をあされば、思い出の品々が目に付いた。幼い皓子と読んだ異世界の絵本だ。
織本皓子は、飛鳥の七歳下の妹分のような子だ。
飛鳥と知り合ったのは皓子が九歳のころで、付き合いからするともう七年を迎えようとしている。
人なつっこくて穏やかで優しい皓子は、人目を惹くようなタイプではない。
けれど、一緒に居ると安らぎを覚えさせてくれる、ある種、麻薬のような魅力を持つ女の子だ。
皓子に言わせれば、自分の持つ特殊な体質だそうだが、これは皓子自身の性格や言動も大いに関係していると飛鳥は思っている。
現にアリヤはそれに引っかかって、ずぶずぶに落ちてしまっている。
物珍しさからはじまり、居心地の良さに気づいて、そのままだったのだろう。物騒な世界を渡り歩いて培った、人を見る目から簡単に予想できた。
アリヤの人格は、本人が遊ぶ云々は言っているが、マロス譲りの真面目さが垣間見えている。飛鳥が皓子を過保護に庇わなくても、まあ大丈夫なんじゃないかと思える程度にはしっかりもしている。
だから、田ノ嶋をはじめ住民たちが二人は付き合いだしたと教えてくれたときは、すぐに納得した。
(明日はいっぱいあやかろう……こっこちゃんごめん)
おそらくあれこれと理由をアリヤはとってつける。そうして皓子は迫られると予想出来たが、止めることはしない。
皓子の保護者である吉祥に警護しろとも頼まれていない。
何より、飛鳥はアリヤから皓子に対しての感情をあけすけに吐露されてきたこともあって、気持ちとしては応援する側である。
あれは皓子が父親に連れて行かれる前に、暇だったからと夜にラーメンを誘った際に聞いたのだった。
普段雄弁にあれこれ上手く語るアリヤが「かわいい……どう考えてもかわいい……」と語彙をなくしてぼやいていた姿に「わかる!」と田ノ嶋に対しての感情を想起させて、共感したのだ。
勝手ながらに認定した片恋仲間が報われるのは寂しいが、祝福したくもある。
(あれとこれと持って行って。そうだ、世流さんや佐藤原さん、水茂様にもお土産いるか聞かなきゃな)
普段からお世話になっている住民たちに連絡をとる。
ほどなくしてリクエスト依頼がつけられたので、メモをする。
世流のところは、場所を聞いてついでにこれも持って行って山に返しておいてと仕事の依頼もあったが、ついでだからいいだろう。簡単に請け負って、荷物詰めを再開する。
明日が楽しみで仕方ない。
うきうきと倉庫を見渡した飛鳥は、結局その日の半分をついやして準備をするのだった。
***
まぶしいくらいの青空に入道雲が浮かぶ夏の空。
皓子たちが住んでいる万屋荘がある県を南下した、県境の高原地。時刻は昼前。およそ一時間強のドライブを経て目的地に到着した。
駐車場近くにある受付施設を中央に、南側がキャンプ地、北側がコテージや貸別荘となっている。そこそこの数の車が駐車場に停まっていたことから、夏休み期間でそれなりに賑わっているのだろうと見て分かった。
ここでもアリヤの幸運が働いたのか、たまたまキャンセルが出た良い立地のコテージが空き、優待券を利用してスムーズに宿泊手続きが出来た。
高原地の森が広がる中にあったコテージは、モルタルの壁と紺色の屋根が特徴的なこぢんまりとしたものだ。今にもおとぎ話に出てきそうな西欧風の雰囲気が皓子の気分を高揚させる。
中は、落ち着いた色合いの家具が並んでいる。
埋め込まれた暖炉や木枠の硝子窓など、やや古ぼけた感じが物語を想起させてますます気に入った。部屋はベッドルームが二つとバスルーム、リビングの奥まったところにキッチンがある。
皓子だけではなく田ノ嶋も「いいじゃない」と満足そうで、さっそく荷物を部屋に運んでいく。ベッドルームは二つなので、当然男女別だ。
化粧を直すという田ノ嶋を部屋に残して、皓子がリビングに行くと、男性陣は暇そうにソファで座っていた。アリヤが気さくに手招きをしてくれたので、そろりと傍に寄る。
まだ田ノ嶋の準備は掛かりそうだと皓子が伝えれば、他愛もない話をして時間を潰すかと飛鳥が話し出した。
「そういえば、世流さんから、この彫刻を山に置いてきてって頼まれたんだった。麻穂さんが良いときにでも二人で出かける口実になると思うかな、こっこちゃん」
そして、早々に幸先が怪しくなった。
皓子は飛鳥が取り出した物体を見て、思わず近くに座っていたアリヤの服をつかんだ。
(明らかにヤバいやつ!)
紙でミイラのようにぐるぐる巻きにした彫刻を、飛鳥は「変わった形だよなあ」と評して振っている。
飛鳥には分からないのだ。
見えない上に、その手のことには一切関知しない。
今までその存在がわからなかったのも、飛鳥の特殊な道具である鞄に入れ込まれていたからだろう。
アリヤは皓子ほどではないが、お世辞にも良いものではないとわかったのだろう。
怪訝そうに飛鳥の持つ物を見て、挙動不審になった皓子を見てから、皓子の肩を安心させるように撫でて落ち着かせてくれている。
唯一、物理でどうこうできる田ノ嶋は自分の部屋に荷物を置いている。
見たなら一発で大袈裟に叫ばれ嫌がられるに違いない。飛鳥に非難が行く前に、田ノ嶋が怖がる前にと皓子は努めて言葉を選んで口を開いた。
「あのね、翔くん。それは、どうかなあ。田ノ嶋さんは運転してくれてたじゃない。だから、すぐは疲れちゃうだろうし、ひとまずしまっておこうよ」
「あっ、そうだな。気が回らなかった。ごめん、つい、嬉しくてさ……はあ、二人がいて良かった。置いてくる」
「うん、落ち着いていこうね」
ゼロ感である飛鳥だからこそ、ヤバい代物の運搬を頼んだり破壊したりする依頼をされていると皓子は知っている。前に何度か現場も見ている。
今回も大方そうなのだと理解したが、どうして今日この日にその依頼を持ってきてしまったのか。
納得した飛鳥が再び鞄にしまって部屋に持っていくのを確認して、溜息を飲み込む。
「……これは、緊急案件かな」
静かに呟いたアリヤは、飛鳥が消えたドアを眺めている。
相変わらず皓子の肩に手はかけたままで、外されない。何かあったらと警戒してくれているのだろうか。
好かれて気を遣われて、悪い気はしない。
「まだ、じゃないかなあ」
「まだかあ」
残念そうな声に、おや、と見上げればにこりと微笑まれる。
(うん? なにか、含みがあるような)
怪しい。
これまでアリヤと接してきた経験が告げている。
これは、己の顔面をもってして力押しで誤魔化すときにしている表情では、と。思えば御束家で見たマロスもそうだった。
「アリヤくん」
「うん、なに?」
「何か心当たりでもある?」
「……全然ないかな。疑ってるの? ひどいなあ、皓子ちゃん。俺は、好きな人の力になりたくて協力したのに」
(怪しい。怪しいのに……っ!)
ひたすらに押し通そうとしてくる。
最初会ったときは別にタイプではないと思っていたが、とことん真っ直ぐ迫ってくるアリヤの言動もあって、動揺が隠せなくなってきていた。
特に好きだと何度も言われてからは、いやに意識してしまう。
ぐいぐいと身を寄せるアリヤだが、皓子の体には膜が張られたように防がれている。とはいえ、体と体は接触しないだけで距離が近づくのは変わりない。
アリヤの手だけはセーフなのか、肩に置かれた筋張った手に力が入っていると感触でわかる。
「近い、近い。アリヤくん近いです」
「近づいてるんだから、当たり前だよ。皓子ちゃん、見て。俺の手は防がれないっぽいからさ、どこまでか試さない? どう?」
「どうもこうもないと思いますがっ」
「そうかな。俺は気になるな。腕、肩はいけて……顔とかは?」
戯れに至近距離で顔を寄せるアリヤを押して離そうと奮闘するが、皓子の力ではちっとも甲斐がない。
「あのっ、あの、もう翔くんと田ノ嶋さんが来るかもだからっ。ね! 離れよう!」
「んー……しかたない。皓子ちゃんの可愛さに免じてあげる。また後で、仲良くしようね」
「し、しな」
「しないの? するよね? それに、俺たちがこうしてることで飛鳥さんは田ノ嶋さんに近づきやすくなると思うな」
「うう、それは……」
駄目だ。頭が茹だってしまいそうになる。
以前、吉祥に言われた通り、皓子にはなまじこういったやりとりの経験値が圧倒的にない。慣れていないのだ。
隠しもしない言動でぐいぐいと来られて、そうさせているのは自分なのだと思えば、余計に。
そうこうしているうちに、しまいにはもっともらしい風に、「飛鳥さんたちのためになるよ」と囁かれて、反論もしぼんでしまう。
皓子が顔をうつぶせて押す力を弱くしたところで、アリヤはようやく離れてくれた。
「出てきていいですよ」
そして、アリヤがリビングから呼びかけると、おもむろにそれぞれの部屋のドアが開いた。
飛鳥は気まずそうに、田ノ嶋は口元に手を当ててにまにまとしている。
「いや、出づらいじゃん」
「あら~。私はもっとしてもらっててもよかったのに~」
それぞれ言いながら出てきた。あの一連のことが聞こえていたのかと思うと、さらに顔から湯気が出そうになる。
「したいけど、まだ出来ないので。機をうかがおうと思って」
「ひゅー! 積極的ぃ! いや、ほんと、好きなのね。ここまで堂々とされるとか、私ちょっと甘く見てたわ」
「隠すよりもおおっぴらにしたほうが、皓子ちゃんはわかってくれるし、牽制もできていいんじゃないかなって思って」
「おお……がんばれ織本ちゃん」
あけすけな会話にしどろもどろとなる皓子を余所に、田ノ嶋は感慨深そうにうなずいている。
「はあ、最近可愛くなったのが分かるわ……愛されて女は美しくなるのよ」
飛鳥は何か言いたそうに口をもごもごさせている。羞恥心を堪えながら飛鳥に視線を送る。今のは誉めるチャンスだ。
なぜか親指を立てたグッドサインが返ってきた。まったく伝わっていない。
「アリヤくん、ちゃんとわかってる?」
小声で隣に呟けば、「うん」と上機嫌な笑みとともに返された。