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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
1.猫の世界と妙なる小鳥-2
 ルイフォンとメイシアは、お抱え運転手に送ってもらい、繁華街に出た。

 目的地はトンツァイの店。表向きは食堂兼酒場だ。だが、情報が酒場に集まるのは常のことで、トンツァイは〈フェレース〉とはまた別の、昔ながらの情報屋であった。

 帰りは適当にタクシーを捕まえると言って、ルイフォンは繁華街の入り口で運転手を屋敷に帰した。ゆっくりはしていられないが、少しくらいならメイシアを連れ回してもよいだろうと考えたのだ。箱入り娘の彼女のことだから、こんな場所は珍しいに違いない。

 このあたりは夜のほうが華やかな本来の姿なのだが、朝でもそれなりに活気があった。

 旨そうな肉汁の匂いと、温かい湯気が漂ってきた。すぐそこの店先で、蒸かした肉まんじゅうを売っている。今はまだ腹が一杯だが、帰りにメイシアに買ってやってもいいかもしれない。彼女は、おそらく買い食いなどしたことがないだろうから。

 その隣には天然石の店。どう見ても安物の石だが、綺麗に加工してアクセサリーや小物に仕立ててた品々は、なかなか良い感じだった。

 屋敷を出る際、メイシアに身につけていたペンダントを置いていくよう、指示したことをルイフォンは思い出す。繁華街に行くには貴金属は物騒だから、と彼女には言った。そして今、そのペンダントはミンウェイが専門の鑑定士のところに持って行っている。

 メイシアを騙したことには多少の良心の呵責を覚えるが、これは仕方ない。お詫びにブレスレットでもプレゼントしようか、などとルイフォンは考える。石の名前などよく分からないが、桜色が似合うだろう。

 遊戯施設は、まだシャッターが下ろされている。こちらはメイシアが得意そうには思えないが、案外ビリヤードくらいならできるかもしれない。あとで時間があったら行ってみるのも……。

 睡眠不足で体調が悪いくせに、ルイフォンは浮かれていた。

「なぁ、メイシア」

 胡麻を表面にまぶした揚げ団子を横目に、ルイフォンはメイシアを振り返った。甘いものは好きか、と尋ねようとしたのであるが、さっきまで一歩後ろを遠慮がちに歩いていたはずの彼女は、店一軒分くらい後ろにいた。人込みをうまくやり過ごすことができず、離れてしまったらしい。

「あ、悪い」

 ルイフォンは、慌てて彼女に駆け寄る。

「いえ。私が周りに気をとられていたのが悪いのです」

 彼女は、見知らぬ場所に対する不安と好奇心がないまぜになった表情で、恥ずかしそうに言った。今までより少しだけ子供っぽい顔が新鮮で、ルイフォンの頬が自然に緩んでくる。

「あとで、いろいろ案内してやる。とりあえずは、知り合いのところに行く用事があるんだ」

 さすがに往来で『情報屋』云々とは言えないので、そこは誤魔化す。

 このまま迷子にするわけにもいかないので、ルイフォンは強引にメイシアの手をとった。彼女が目を丸くするが、「はぐれないように、だ」と片目を瞑ってみせた。

 残念ながらルイフォンのご機嫌な時間はそれほど長くは続かず、ほどなくして目的地であるトンツァイの店についた。





 からん、からん……。

 店の戸に付けられたベルが、来店を告げた。

「いらっしゃい!」

 ルイフォンが足を踏み入れると同時に、威勢のよい声が響く。恰幅のよい女将が、その体格に似合った笑顔で迎えてくれた。

「――っと、ルイフォンかい。よく来たね」

「お邪魔するよ。女将さん、相変わらず綺麗だね」

 いつも通りのお世辞に、女将は「まったく」と言いながらも悪い顔はしなかった。

「何ぃっ! ルイフォンが来た!?」

 キンキンとした高めの少年の声がしたかと思うと、がたんと椅子の倒れる音が続く。

「あー。まただよ」という複数の少年の微苦笑に見送られ、奥のテーブルから痩せぎすの少年が現れた。この店の息子、キンタンである。母親の女将とは対照的な体型は、父親のトンツァイ譲りだった。

「ルイフォン、勝負だ! この前の雪辱戦だ!」

 キンタンがルイフォンに向けてびしっと突き出した指先には、カードが挟まれていた。

 彼ら――奥のテーブルの面々は、ルイフォンの遊び仲間であった。たまには連れ立って繁華街を練り歩くこともあるが、大概はなんとなくこの店に集まり、カードゲームに興じている。中でもルイフォンとキンタンの実力は拮抗しており、勝率は五分五分……よりもルイフォンのほうがやや高かった。

 ポーズまで決めてルイフォンの前に躍り出たキンタンだったが、次の瞬間には顎が外れたかのような、ぽかんと口を開けたままの間抜けな姿を晒すことになる。

「ル、ルイフォン!? ……女連れぇ!?」

 甲高いキンタンの声は店中に響き、彼の受けた衝撃は奥のテーブルの少年たちにも連鎖していく。

「なんだとぉ」

「見せろや!」

 奇声に近い声を上げながら、少年たちがルイフォンの元へどやどやと引き寄せられた。

 メイシアは硬直した。

 貴族シャトーアの世界には、大声を出す者も、突然走り寄ってくる者も存在しなかった。すっかり気圧されてしまった彼女には、ルイフォンに救いの眼差しを向ける余裕すらない。

 一方、少年たちは絶句していた。

 彼らはメイシアの無垢な美しさに吸い込まれていた。怯えた表情さえも、保護欲と嗜虐心をくすぐるスパイスとなる。

「すげぇ美少女……」

 たいして語彙が豊かでもない、ひとりの少年のその呟きが、陳腐ではあるが的確に彼女を表現していた。

 片手を突き付けたままだったキンタンが、はっと我に返る。彼は繋がれたままのルイフォンとメイシアの手に目敏く気づいた。

「ああ……、糞……!」

 言葉にならない雄叫びを上げる。それを呼び水に、他の少年たちがルイフォンに矢継ぎ早に問いかけた。

「どこから連れてきたんだよ?」

「名前は?」

「いつからだ?」

 ルイフォンは凶賊ダリジィンの総帥の息子であり、表情にさえ気をつけていれば、端正と言ってよい顔立ちをしている。その気になれば女に不自由しないはずだ。しかし彼は、今まで特定の相手を作ったことはなかった。それだけに、少年たちは興味津々だった。

 彼らは、不躾なまでの好奇の視線でメイシアを舐め回す。ルイフォンの連れだと承知の上でも、黒絹の髪は元より、赤い唇や白い首筋、華奢な撫で肩から更に下へと目が行っていた。

「……スーリンは、どうするんだよ?」

 キンタンが呻いた。彼としては低い声のつもりだったのだが、彼の声質ではそれは叶わない。

「あいつ、お前にぞっこんだろ!?」

 剣呑な響きを載せてキンタンが迫る。そこで初めてルイフォンは、少しばかり軽率だったかと反省した。

「おい、みんな待てよ。こいつは、親父の女だ」

 握った手をそっとほどきながら、ルイフォンはメイシアを少年たちのほうへ押し出す。

「名前はメイシア。屋敷に閉じ込めておくのも可哀想だから、気晴らしに俺が連れ出しただけだ」

「何ぃ!?」

「嘘だろ? 親父さん、もう六十五だろ? まだ『現役』なのか?」

「ああ。あの親父だから」

 ルイフォンのその一声で、一同が納得する。

 メイシアが何か言いたげな様子であったが、ルイフォンは笑って返すだけだった。

 彼女の現在の身分が凶賊ダリジィンの総帥の愛人なのは本当であるし、そう公言しておけば余計なちょっかいを出す者はいないだろう。現に、彼女を好奇の目で見ていた少年たちが浮足立った。それでも、ちらちらと名残惜しげな視線を向けてしまうのは仕方のないことだろう。

 ルイフォンはそんな少年たちの反応を横目に、メイシアを伴いカウンターに腰掛けた。

「うちの人だね?」

 女将が尋ねる。ルイフォンは簡潔に「ああ」と答えた。

「悪いね、今、ちょっと仕入れでトラブっちゃって、出かけているんだ」

「ふむ……」

 女将の言葉にルイフォンは眉根を寄せた。『仕入れでトラブルがある』――これは情報屋トンツァイの暗号で、何か気になることがあって調べているということだ。

「じゃあ、待たせてもらうよ。女将さん、あれ出してくれよ。二人分」

「あいよっ」

 女将は威勢よくそう言って、奥に入る。

 つんつん、とルイフォンの服の裾が引っ張られた。隣でメイシアが目で訴えていた。

「違う、違う。酒じゃない」

「え……。すみません」

 彼女は顔を赤らめた。申し訳なさそうに見上げる瞳が、なんとも嗜虐心をくすぐる。

 戻ってきた女将がトレイに載せていたのは、二個の大きな椰子の実だった。上端に穴を開けてありストローが差してある。

「天然のココナッツジュースだ。まずい店もあるが、ここのは美味いぜ!」

 ルイフォンは、ひとつをことんとメイシアの前に置いた。予想通り、彼女は目を丸くしている。お上品な貴族シャトーアなら、椰子の実からそのまま飲むなんて驚きだろう。

 ルイフォンは、もうひとつの椰子の実を手に取って飲み始めた。よく冷やしてあり、口の中に広がる甘みがなんとも美味だ。

 彼に誘われるように、恐る恐るといった体でメイシアがストローに口を付ける。途端、ぱっと彼女の目が見開かれた。

「美味しいです!」

 顔を綻ばせ、「ありがとうございます」と、再びストローに唇を寄せるメイシアに、ルイフォンは満足げに目を細めた。

 ふたりが飲み終わったあたりで、待ちかねていたようなキンタンから声がかかった。

「おい、ルイフォン! 勝負しろよ」

 カードを持った手を振っている。

「俺、今日はこいつのお守りだから」

「逆だろ? 彼女がいるからこそ、ここで男を見せろよ?」

「ああ、それなら」

 がたんと席を立つルイフォンを、メイシアは不安げに見上げた。けれど彼は「行こうぜ」と、楽しげに笑いながら彼女の手を引いていく。

 ふたりの登場に、テーブルがわっと盛り上がった。キンタンの隣りにいた少年が「よくぞ、誘ってくれた!」とキンタンの背を叩き、別の少年ふたりが握手を交している。綺麗所がテーブルに来て心が踊らないわけがない。

「賭けている?」

「いつも程度に」

 じゃあ気が抜けないな、とルイフォンは猫のように、すうっと目を細めた。その傍らでメイシアが一気に青ざめる。彼女は賭け事と聞いてうろたえていた。

 ルイフォンが苦笑しながら尋ねた。

「お前はプレイする?」

「い、いえ。観客でよろしいでしょうか?」

 メイシアの返事に、ルイフォンは軽く頷いて、観客席を用意した。

 切れそうなほどにピンとしたカードを、キンタンが見事な手つきでシャッフルする。この店の夜の顔は酒場であるが、その横顔は賭場でもあるので、一人息子の彼はカードを自在に操れる。実は勝者の決定権は彼にあると言っても過言ではないのだが、イカサマで勝つのは彼の矜持が許さない。

 手元に配られたカードを見て、ルイフォンは、にやりとした。テーブルを囲む少年たちに焦りの表情が生まれる。

 ゲームが始まった。場にあるものよりも強いカードを出していくルールで、手元のカードがなくなれば上がりである。

 次々と出されるルイフォンのカード。他の者は及び腰だ。

「はい、ラスト!」

 ルイフォンが最後の一枚をぱしっと場に放った。

「……えええ? お前、無茶苦茶、カード運悪かったんじゃん!?」

「ブラフか!」

 少年たちが叫ぶ。

「まぁね」

 少年たちの悔しげな声を尻目に、飄々と儲けを確認するルイフォン。さらりと勝利したときの、この爽快感が彼はたまらなく好きなのだ。テーブル上の残りの小銭を巡り、少年たちがドベになってたまるかと躍起になって勝負を続ける。

 二番目に上がったキンタンがメイシアに声を掛けた。

「ルイフォンのハッタリに気づいていただろ?」

「何!?」

 そう反応したのはメイシアではなくルイフォンであった。彼は財布に入れようとしていた小銭を取り落とし、慌ててテーブルの下に潜る。

「こいつの席から、俺の手元は見えないはずだぜ?」

 ごそごそと這い上がってくるルイフォンに、賭博師の顔でキンタンが言う。

「場を見る彼女の表情が、微妙に変わるんだよ」

「……すみません。ルイフォンの出す順序に矛盾があったので……」

 申し訳なさそうに、メイシアの目線がルイフォンとキンタンの間を忙しなく泳ぐ。

「実は、俺も気づいていた。ただ、俺のカードじゃ阻止できなくて負けたけど。――あれに気づくって、あんた、凄ぇな。正直、見直した。見た目だけの女かと思っていたから……」

 悪かったな、とばつが悪そうにキンタンが頭を掻いた。

「こいつは賢いからな」

 何故か自慢気にルイフォンが口を挟む。キンタンの視界からメイシアを隠すように体を割りこませたように見えたのは、キンタンの気のせいではないだろう。キンタンはわずかに眉を寄せたが、言及はせずに続けた。

「でも、次の勝負では顔色を変えてくれるなよ?」

 あくまでも正々堂々と勝ちたいキンタンである。

「あの、そんなに顔に出ていましたか?」

「まぁ、わりと」

 キンタンが尖った顎に手を当てて、悪がきの顔でにやりと笑った。

「――こういうときはさ、勝利の女神の微笑みで、にっこりしていればいいんだよ。あんた、せっかく美人なんだし」

「そうだな。俺も、お前には笑っていてほしい」

 ルイフォンにもそう言われ、メイシアは困惑顔で彼らを見返す。テーブルでは、そろそろ敗者が決定しようとしており、ゲームの熱気は次の勝負へと向かっていた。慌てて笑顔を作ろうと努力するメイシア――しかし、すぐにその必要はなくなった。

 からん。

 扉のベルが鳴った。

 キンタンによく似た痩せぎすの男が入ってきた。この店の主、トンツァイである。

「ルイフォン、待たせて悪かった」

「ああ、トンツァイ」

 ルイフォンの口元が引き締まる。お遊びはここまでだった。彼の周りの空気が、がらりと音を立てて変化した。

「なるほど、親父と約束があったのか」

 キンタンが得心のいったように呟く。

 彼の父はテーブルの顔ぶれの中からメイシアの姿を見つけると、骨ばった頬をにたりと歪め、ぴゅうと口笛を吹いた。

「掃き溜めに鶴だな」

 それから身をかがめ、「彼女を同席させるつもりか?」とルイフォンに耳打ちする。

 情報屋トンツァイの言葉に、ルイフォンが眉を動かした。トンツァイがわざわざ確認してくるからには、何かしらの理由があるのだろう。

 しばしの躊躇。そして、ルイフォンはメイシアに視線を向けた。彼女は状況が理解できずに戸惑いの様相を呈していた。

「お前はここで待っていてくれ」

 メイシアの肩にそっと手を置き、ルイフォンは席を立つ。キンタンがいれば、彼女を置いていっても問題ないだろう。

 心細げな表情をするメイシアの耳元で「彼は情報屋だ」とルイフォンは囁いた。彼女は顔を強張らせながらも黙って頷いた。

「キンタン、彼女を頼むよ」

 そう言い残し、彼はトンツァイと共に奥の部屋へ移った。

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