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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
1.舞い降りし華の攻防-1
「鷹刀イーレオ! 貴族シャトーアの藤咲メイシア嬢の誘拐の罪で逮捕状が出ている!」

 屋敷を取り囲んだ無数の警察隊員の中から、頭頂の乏しい恰幅の良い男が叫んだ。

「ここを通せ!」

 指揮官であるその男は、高圧的に屋敷の門衛たちに迫った。

 しかし、総帥イーレオから「状況が掴めるまで門を死守せよ」と命じられている門衛たちは、一歩も引かなかった。敬愛する総帥の期待に応えることこそ、彼らの誇りだった。

 だから、『狂犬』の異名で呼ばれる警察隊員、緋扇シュアンが、門衛のひとりに拳銃の照準を合わせても、彼らはびくともしなかった。ただ、シュアンの充血した三白眼の凶相を、睨み返すのみである。

 ひるまぬ門衛に、シュアンは愉快そうに嗤う。これで引き金を引くための口実ができた、と満足げに目を細めた。

 そのまま、彼が指先に力を入れたとき、門の上部に取り付けられたスピーカーから、息を呑む気配が伝わってきた。

『門を開けてやれ!』

 焦りのためか、いつものような色気には欠けていたが、それは確かに総帥イーレオの魅惑の声。

 指揮官の男がにやりとした。

「展開せよ!」

 指揮官のだみ声が響き渡ると、濃紺の制服を着た警察隊員たちが、うねりのような返事で応じた。門衛たちは突き飛ばされ、格子の門が大きく開かれる。

 ――堅牢な城壁であるはずの鉄門が、決壊した瞬間だった。

 拳銃を構えた隊員たちは、身を低くして次々に侵入していった。

 玄関扉へと続く長い石畳の道を、傍若無人に軍靴で汚していく。屋敷を取り囲むべく扇状に広がり、白い石畳はおろか青々とした芝すら踏みつけ、傲慢無礼に乗り込んでいく。

 先頭の者が、重厚な木製の扉に手を掛けた。

 そのときだった。

「お待ちなさい!」

 命令調でありながらも、つやのある色香が漂う声――。

 先頭の隊員は、弾かれたようにドアノブから手を放した。その反動でのけぞり、すぐ後ろにいた者の足を踏む。だが、踏まれたほうも麗しの美声に動転していたため、痛みを感じる余裕もなかった。

「ど、どこだ!」

 扉の近くにいた隊員の中から、狼狽をあらわにした叫びがひとつ、漏れた。それを皮切りに、あちこちから、ざわめきの渦が生じる。

 ここは、大華王国一の凶賊ダリジィンの屋敷。いかな警察隊員といえど、生身の人間。彼らは極度の緊張状態にあり、動揺の伝搬はごく自然な現象といえた。

 先頭付近の者たちは、鉄門のところにあったようなスピーカーを、あるいはカメラの類を探して視線をさまよわせた。発生源を見つけたところで何が変わるわけでもないのだが、見えぬものへの畏怖は人間の本能である。それさえ見つければ恐怖が和らぐと、無意識のうちに体が動いたのだ。

 だが、声を上げたのは後方にいた者であった。

「あそこだ!」

 空を仰ぐようして、屋敷の二階を指差している。

 前にいた者たちが、その姿を確かめるべく引き下がり、後ろの者とぶつかり合って更にまた混乱を招きながら、警察隊員の群れが庭へと集まっていく。

 彼らの頭上、白いバルコニーの奥で、レースのカーテンが揺れた。柔らかな布地をかき分けて、すらりとした人影が現れる。

 着る者を選ぶであろう、鮮やかな緋色の衣服。太腿まである深いスリットから覗く引き締まった美脚に、警察隊員たちはごくりと唾を飲む。陽光を跳ね返す絹の光沢の陰影は、彼女の曲線美を如実に表していた。

 高い襟から続く縁飾りには凝った文様の刺繍が施され、豪華な花ボタンで飾られている。一見して、この屋敷内で高い身分を有している者だと分かった。

「警察隊の皆様、まずは、お勤めご苦労さまです」

 緩やかに波打つ長い髪を豪奢に揺らし、二十歳半ばほどの美女が丁寧に腰を折った。再び顔を上げると、彼女は切れ長の瞳で全体を見渡す。

「私は、鷹刀ミンウェイ。この屋敷のあるじ、鷹刀イーレオの孫に当たります」

 山ほどの警察隊員に囲まれても動じることのない、張りのある声。迫力ある美しさと相まって、一同を圧倒した。

「祖父イーレオは高齢のため、自室で休んでおります。代わりに私が、ご用件を承ります」

 彼女はそう言うと、小さくふわりと跳躍した。

 何ごとだと、警察隊員たちが戸惑っている間に、彼女はバルコニーに手を掛け、長い両足をぴたりとつけたまま、手すりを真横に飛び越えた。

 地上にいる者たちが、皆一様に目を見張る中、ほとんど音も立てずに芝へと降り立つ。着地の衝撃を和らげるための膝を曲げた姿勢から、再びすらりと背筋を伸ばしたとき、波打つ髪から干した草のような香りがふわりと流れた。

「指揮官はどちらにいらっしゃいますでしょうか」

 綺麗に紅の引かれた唇がそう尋ねると、周り中をひしめいていた警察隊員が波のように引いていき、彼女の前に道が開く。その最奥に、恰幅の良い男の姿が現れた。

 ミンウェイは、警察隊員でできた壁の間を物怖じすることなく突き進んだ。足の運びは颯爽と、けれど足音は聞こえない。

「あなたが指揮官ですね」

 見おろされはしないものの、すらりとしたミンウェイと指揮官の目線の高さは、ほぼ同じ。

 掛け値なしの絶世の美女に目の前に立たれ、指揮官は無意識に一歩下がりそうになったが、すんでのところで留まった。

 いい加減、年齢も場数も経験している男である。若い部下たちのように、女の色香に惑わされたりはしない。自らの美貌を武器として使ってくる女が、山ほどいることなど熟知している。むしろ、彼女の容姿は、彼の嫌悪感を刺激するだけに過ぎなかった。

凶賊ダリジィン風情が、何様のつもりだ!」

 指揮官は、意味もなく声を張り上げた。対して、ミンウェイは極めて落ち着いた様子で一礼をした。

「屋敷に入る前に、まずは逮捕状を確認させていただきます」

「はっ! 一端の口をききおって!」

 そう言いながらも、指揮官は切り札でも出すかのように懐から書類を出し、ミンウェイに突きつけた。

「鷹刀イーレオに、貴族シャトーアの藤咲メイシア嬢、誘拐の嫌疑がかかっておる! 重要参考人として鷹刀イーレオの身柄を拘束する!」





「重要参考人として、イーレオ様を拘束に来たそうですよ?」

 総帥の執務室から、そっと外の様子を窺っていたチャオラウが、無精髭の中にある口の端を皮肉げに持ち上げた。

 執務机の上には、適度に音量が絞られたスピーカーがある。ミンウェイの襟の高い衣装に付けられた豪華な花ボタンには、盗聴器が仕掛けられていた。彼女の会話はこちらに筒抜けなのである。

「この場合、まずは『誘拐されているお嬢様を差し出せ』とか言うもんじゃないでしょうかね?」

 チャオラウはイーレオを振り返り、肩をすくめた。イーレオの護衛である彼は、危機的状況にある主人を死守する立場にあるはずなのだが、まるで緊張した様子もなかった。

「茶番だからな」

 イーレオが、相変わらずの机に頬杖をついた姿勢で目線を上げた。

「あの男、さっきは、死体でもいいから探しだせ、というようなことを言ってましたね」

 チャオラウが呆れ果てたかのように吐き出すと、イーレオはそれに頷き、低い声で嗤った。

 これで、斑目一族が、メイシアを鷹刀一族の屋敷に行くよう仕組んだ理由がはっきりした。

貴族シャトーアの誘拐』という罪をでっち上げ、凶賊ダリジィンが逆らえない警察隊を使い、イーレオを捕らえようという腹である。あの指揮官が、斑目一族と裏で繋がっているというわけだ。

 あの男は『藤咲メイシアの死体』が届けられるのを待っている。大人数の警察隊員で撹乱し、あとから到着するそれを、あたかも初めからあったかのように『発見』し、証拠が上がったことにする。

 ルイフォンがメイシアを街へ連れ出していなければ、屋敷から貴族シャトーアの令嬢を『救出』したという名誉が与えられたのかもしれないが、それは言っても仕方のないことだ。こちらにしても、メイシアやルイフォンが危険な目に遭っているのだから、痛み分けどころか、釣りが出るだろう。

「ルイフォン」

 イーレオは、電話口に向かって声を放った。

 回線は、開きっぱなしになっている。彼らを乗せた車は屋敷に向かって急行しており、大モニタに映しだされた位置情報を示す光点は、かなりのスピードで移動していた。

「こちらの状況は聞こえたな?」

『ああ』

 ルイフォンのテノールがざらついた音声に聞こえるのは、通信状況のせいか、彼の負った傷のためか。

「こちらのことは心配するな。お前たちは、人目につかないようにその辺で遊んできていいぞ」

『祖父上! 何を呑気なことを言っているんですか!』

 イーレオの楽天的な物言いに、声を荒立てたのはリュイセンだった。生真面目に怒鳴る彼のこめかみに、青筋が立っているであろうことは、離れた距離にいても容易に想像できる。イーレオとよく似た声質を持つ直系の孫は、容姿は祖父に酷似していたが、性格的には、ほぼ対極にあった。

 そして、それをなだめる末の息子の姿も、イーレオの目には見えていた。

 リュイセンとは逆に、外見はまるで似ていないものの、父とよく似た性格をしているルイフォンである。

『リュイセン、今、俺たちが屋敷に戻ったら、鷹刀の若い衆が誘拐した貴族シャトーアの令嬢を連れ回し、弄んでいた――と即、逮捕されるだけだぞ』

 ――と、そのとき。

 イーレオの耳に、硝子窓越しに小さく、しかし鋭い銃声が響いた。

 それから、ほんのわずかに遅れて……ミンウェイに付けられた盗聴器が、魂を撃ちぬくような轟音を送ってくる。

「ミンウェイ!」

 窓際に寄ろうとしたイーレオを、チャオラウが制した。

「威嚇射撃です」

 ずっと監視の目を光らせていた彼は、努めて冷静に報告する。その言葉に被るように、盗聴器から押し殺したような笑いを含んだ声が響いた。

『つい、指が滑ってしまいました』

「緋扇シュアンです」

 チャオラウには、遠目にも分かる。

 ――否、遠くから全体を見渡しているからこそ、他の者とは動きが異なるのがはっきりと分かる。

 行動が予測不能な『狂犬』、緋扇シュアン――屋敷の門衛に拳銃を突きつけた男。

 彼は、ぼさぼさに絡みあった頭髪を掻き、参った参ったと首を振った。

『始末書は、あとで書きますよ、上官殿』





 シュアンの声は、執務室を経由して、ルイフォンたちの乗る車まで届いていた。

「一族の非常時だぞ! 俺だけでも屋敷に戻る!」

 整った眉を吊り上げ、肩までの髪を振り乱し、リュイセンが烈火の如く吠えた。狭い車内で立ち上がり、走行中の車から今にも飛び出しそうな勢いである。

「おい、リュイセン、落ち着け!」

 ルイフォンは体格の違う年上の甥を押さえつけようとするが、腕を振り払われただけで、先ほどの戦闘で受けた怪我の痛みを思い出すことになった。

「ミンウェイが危険に晒されているんだぞ。放っておけるか!」

「あいつの役割はもう終わりだ。あとは撤退するだけだから、大丈夫だ」

 大華王国一の凶賊ダリジィンの屋敷を蹂躙せんと、乗り込んできた警察隊員たちは、異様ともいえる高揚感に包まれていた。

 勢いづいた集団は、時として個々人の総和ではなく、積の力を発揮する。その出鼻をくじくこと。それがミンウェイの役目だった。

 彼女の登場で、風向きが変わった。

 けれど、シュアンの放った一発の銃声が、強引に流れを戻そうとしていた。

 ルイフォンもリュイセンも、言葉には出さなかったが、心の内では歯噛みしていた。

「屋敷に戻りましょう」

 鈴を振るような音色でありながら、凛とした力強い響き――唐突に、メイシアが口を開いた。

「駄目だ!」

 反射に近い形でルイフォンが叫ぶ。

 その隣にいたリュイセンは、目を見開いた。まさか貴族シャトーアの娘が、望んで危険の只中に突っ込んで行こうとするなどと、想像だにしなかったのだ。ルイフォンに遅れること数瞬ののち、冷静さを取り戻して反対の意を示す。

「そうだ。お前が行って、なんの役に立つ? 事態をややこしくするだけだ」

 良い印象を持っていない相手だが、荒事にまるで縁のなさそうな華奢なか弱い娘を抗争の渦中に放り込むのは、リュイセンの本意ではなかった。それに彼女が屋敷に存在することは、イーレオの立場を悪くする。リスクばかりでメリットは何ひとつない。

「これは、私が蒔いた種です」

 メイシアは、埃にまみれつつも美しさを損なわない黒髪を横に振った。

「私が、なんとかしてみせます」

 儚げな小鳥のさえずりは、か細く、その瞳には不安の色が見え隠れしていたが、毅然と前を向いていた。そして、ルイフォンが再び反論を口にするより先に、彼女は回線の向こうにいるイーレオに問いかけていた。

「イーレオ様、あなたが認めた私の『価値』を試してくださいませんか?」

 メイシアが鷹刀一族の総帥に持ちかけた『取り引き』――彼女の家族を助ける代わりに、彼女はイーレオに忠誠を誓ったのだ。自分にはそれだけの価値があると主張して。

『メイシア……』

 イーレオが呟いた。そこには確かに迷いが含まれていた。だが、『お嬢ちゃん』ではなく『メイシア』だった。

『いいだろう。帰って来い』

 低く魅惑的な、包み込むような声。こんな事態だというのに、メイシアの企みに胸を躍らせているような、いたずらな笑みを含んだ響き。

 メイシアの鼻の奥が、つんと痛んだ。

 ――帰って来い。

 イーレオにとっては、何気ないひとことだったに違いない。けれどメイシアには、鷹刀一族が彼女の『居場所』であると認めてもらえたように感じられた。

 思わず、こぼれそうになる涙をぐっと堪え、彼女は笑顔で「はい」と答えた。

「ルイフォン」

 メイシアが、ルイフォンに呼びかける。

 しかし、彼女が次の句を告げる前に、彼は彼女の頭を引き寄せた。自分の胸に彼女の顔を押し付け、薄っすらと浮かんでいた彼女の涙が落ちる前に、強引に拭い取る。

「また、お前は無茶なことを考えているんだろう?」

 わざとらしい溜め息をつきながら、ルイフォンは彼女の長い髪をそっと梳いた。

「心配ばかりかけて、すみません。……あの、今から一緒に屋敷まで来て欲しいんです」

「今更、何を言っている? 当然、俺も行くに決まっているだろ?」

「あ、はい。それも、そうですよね」

 ルイフォンはメイシアの鼓動の速さを感じ、肩を抱き寄せた。

 そんな弟分の信じられない行動に愕然としたリュイセンは、とりあえず視線を移して外の景色を眺めることにした。彼にとっては久しぶりの自国の風景だ。屋敷まではまだ遠く、その街並み自体は馴染みのないものであったが、どこか懐かしい景色は母国に帰ってきたことを教えてくれた。

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