残酷な描写あり
青空の絆
俺とルイフォンの関係は、説明するのが難しい。
父上と奴が異母兄弟だから、奴は俺より年下でも『叔父』。このことに間違いはない。
だが、俺たちが生まれた経緯はそんな簡単なものじゃないし、俺たちの間柄はそんな単純なものじゃないのだ。
ある日、俺は屋敷の庭で大の字になって寝転がっていた。
愛刀は腰から外し、両手両足を投げ出す。武術師範のチャオラウに、こてんぱんにやられたあとだった。
そのときの俺は、まだ十かそこらだったけれど、並の凶賊には引けを取らないと自負していた。けれど、兄上が俺と同じ歳のころには、チャオラウから三本に一本は取れたという。
悔しい……。
兄上には天賦の才があると言われている。いずれはチャオラウを超えて、鷹刀一の男になるだろう。
しかも、兄上は人格者だ。凶賊の直系のくせして、穏やかで人当たりがよい。刀を手にすれば冷酷無比になれるくせに、だ。
兄上がいれば鷹刀は安心だ、と皆が口にしている。正直、気難しいと思われている父上よりも、兄上のほうが人望があると思う。
ならば、俺はいったい、なんのために存在するのだろう?
俺は空を見上げた。
青い、青い色が目に染みる。
桜の葉の、さわさわという歌が聞こえてくる。
萌える緑の香りが周りから押し寄せ、汗ばんだ肌に初夏の風が心地よい。
自然は、力強い。
俺の心の澱など、ちっぽけなことだと笑い飛ばすかのように。
――と、大地の振動が、誰かが近づいてきたことを知らせてきた。
庭先で危険があるはずもないが、如何にもチャオラウにしごかれてヘトヘトです、といった体を晒すのはみっともない。俺は素早く身を起こすと、愛刀を腰に佩いた。
軽い足音から予測していたが、現れたのは子供だった。俺よりも少し年下くらいか。随分と生白い肌をしている。
鷹刀では、親を失った一族の子供を屋敷で養っているから、そのうちのひとりだろうか。見かけない顔だから、新顔かもしれない。あるいは同じ屋敷内に住んでいても、直系の俺とは生活が違うから、俺が知らないだけかもしれない。
そんなことを思いながら相手を観察していると、そいつは俺には気づかず、庭の主ともいえる桜の大木に向かって行った。そして、幹に向かって拳を突き出す。背中で一本に編んだ髪が大きく跳ねた。
「糞ったれ!」
声で――というよりも言葉遣いで、男だとわかった。正直、外見からだと、どちらとも判別できなかったのだ。
「随分と弱いパンチだな」
俺が声を掛けたのは、気まぐれだったと思う。
木の葉一枚、揺らすことのできない拳は、子供としても弱すぎる。鷹刀の敷地内にいる男なら、強くあるべきだ。表面的には、そんなことを思っていたような気がする。だが実のところ、落ち込んでいた俺は、明らかに格下の相手に粋がりたかったのだと思う。
俺の気配に気づいていなかったそいつは、驚いたように振り返った。
編んだ髪が円を描き、鋭い猫のような瞳が光る。瞬間的に、空気を斬り裂くような気配が膨らんだ。この俺が、気圧されるほどの――。
「あ、お前は、『リュイセン』!」
そいつの鋭さは一瞬だけで、あっという間に人懐っこい笑顔に取って代わられた。
「お前……」
取るに足らぬと思っていた相手に、刹那とはいえ怯んでしまったことが俺は恥ずかしく――苛立たしく……。しかも、年下のくせに呼び捨てにしてきたものだから、俺の怒りは沸騰寸前だった。
低く唸る俺の声を……そいつは聞いちゃいなかった。嬉しそうに俺の方に駆け寄ってくると、一方的にまくし立てた。
「パンチなんかしてねぇよ。俺が指を痛めたら、仕事になんねぇだろ。見ろ、爪だって、いつも短く切ってある」
そいつは偉そうに言いながら、掌を見せてきた。
「……は?」
唖然とした俺は、そいつの指先ではなく、顔のほうをまじまじと見つめた。
その視線の意味に気づいたそいつは、「うっ」と小さく呻き、ばつが悪そうに唇を尖らせる。
「……母さんが俺のことを小馬鹿にしやがったんだ」
「……」
「てんで、お子様だって! むかついたから、そこの木に八つ当たりしようとしたんだ。けど! 俺は直前で指を守った!」
いきなり、そいつは胸を張る。
「――プロ意識ってやつだな!」
そう言いながら、得意気に口の端を上げた。さっきまで人懐っこかった笑みは、いつの間にか不敵な笑みにすり替わっている。
……怒っているのか、自慢しているのか、理解に苦しむ。すっかり毒気を抜かれた俺は、ぼそりと突っ込んだ。
「お前、充分に子供だろうが……」
その途端、そいつの雰囲気ががらりと変わった。
「はっ! 餓鬼だから、その程度で『よく出来ました』ってヤツ? 年齢に甘えるなんて阿呆だろ。同じ土俵に立ったら、周りは全部、敵だ」
俺よりもだいぶ背の低いそいつが、斬りつけるような目で俺を見上げてくる。
強い。
実際に戦ったら、一瞬で俺の勝ちが決まるだろうが、そういう意味ではなくて――。
魂が、強い。
「……お前、名前は?」
そう尋ねた俺に、そいつは、すうっと目を細めた。
「お前、やっぱり俺が誰か、分かってなかったんだな」
「え……」
そいつは口角を上げて、にやりと笑う。
「俺は『ルイフォン』」
「な、なんだと……!?」
俺は反射的に間合いを取った。愛刀の柄に手を伸ばし、いつでも抜刀できる姿勢を取る。
奴は――敵だ。
「あ、そうくる? ……まぁ、予測していたけどな。この屋敷じゃ、俺たちは泥棒猫扱いだから」
驚いたふうもなく、奴――ルイフォンは、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。くるくると、よく表情が変わる。まさに猫だ。
奴の余裕綽々な態度に、俺は身構えすぎた自分が格好悪く思えてきた。誤魔化すように咳払いをして、奴の姿を観察する。
まだ子供だからかもしれないが、鷹刀の血族にしては随分と小柄で線が細い。色が白いのは、体を鍛えずに部屋に籠もってばかりいるからだろう。奴の母親はクラッカーで、奴自身もかなりの使い手と聞く。
だが、時折見せる鋭さは、間違いなく鷹刀の血――。
「お前が『ルイフォン』か。父上の愛人だった女が産んだ、子供……」
俺は言ってしまってから、はっと口を塞いだ。自分よりも年下のルイフォンに言うべき言葉ではなかった、と思った。
だが奴には、俺の配慮なんか、まったく必要なかった。微妙に首を傾げて、こう尋ねてきたのだ。
「あれ、お前? ひょっとして勘違いしている? 確かに母さんは、お前の親父、エルファンの愛人だったけど、俺の親父はエルファンじゃないぜ? だから、俺とお前は異母兄弟じゃない」
「ちゃんと知っているよ! お前の父親は祖父上だ。……ややこしいけど」
「別にややこしくないじゃん? お前の両親がいて、お前の兄貴が生まれた。次に、お前の親父が愛人との間に娘を作った。それから――」
その先を言いかけた奴を、俺は自分の言葉で遮った。
「愛人に娘が生まれたから、母上は当てつけのように俺を産んだんだよ!」
俺は唇を噛む。事情があったんだ、とか周りは言っているけど、そんなのは俺からしてみれば詭弁でしかない。
「で、正妻とは冷え切った関係だと信じていた愛人――俺の母さんは、裏切られたと鷹刀を出ていこうとした。そこを慰めたのが、俺の親父――総帥イーレオ、ってわけだ」
――と、奴が続ける。
ルイフォンも父上も、祖父上の子供だから、ふたりは異母兄弟になる。
だから、ルイフォンは俺にとって『叔父』。けれど俺たちこそ、限りなく異母兄弟に近い。
ルイフォンは満面の笑顔を浮かべた。
「俺、ずっとお前に逢いたいと思っていたんだぜ! で、今日やっと、母さんが〈ベロ〉のメンテナンスについてきていい、って」
普段、奴は母親と屋敷の外で暮らしている。だから存在は知っていても、今まで奴と顔を合わせたことはなかった。
「何故だ? 何故、俺に逢いたいなんて言う?」
奴の母親からすれば、俺は憎き正妻の子だ。しかも俺が原因で、父上から祖父上に乗り換えた尻軽女と言われている。奴の家で、俺が良く言われるわけがない。
俺の周りだって、奴の母親を敵視している。ただ、彼女の持つコンピュータ技術があまりにも優れているから総帥が手放さないだけだ、と軽んじられている。
「……? 俺がお前に逢いたいと思うのに、なんか細かい理由が必要なのか? お前に興味を持った。だから逢いたいと思った。それじゃ駄目なのかよ?」
「興味、ってなんだよ? 俺もお前も『親どもの痴話喧嘩の副産物』だ、とでも言いたいのか!」
吐き出すように俺は言った。
俺たちは、望まれて生まれてきた兄上とは違う。優秀な兄上がいるのだから、俺は必要なかったのだ。なのに、父上も母上も俺に優しい。それがかえって惨めだ。
ルイフォンは、きょとんとしていた。
奴の無垢ともいえる幼い顔立ちに、罪悪感を覚えた。こんな餓鬼に当たるなんて、どうかしている。チャオラウから、たったの一本も取れなかったことが尾を引いている。
そう思ったときだった。
不意に――。
ルイフォンが、にやり、と目を細めた。
それは確かに笑顔だったのだが、俺は思わず後ずさった。そういう笑みだった。
「なるほど! いいな、それ! 面白い」
「な!? 何がだよ!?」
「俺たちは、予定外のイレギュラーってことだよ。何かを期待されていたわけじゃないなら、この俺が実力を見せつければ見せつけるほど、周りは驚愕に打ち震える、ってことだ!」
「はっ!?」
「だって俺たち、存在が計算外の『痴話喧嘩の副産物』なんだから!」
ルイフォンは、青空の如く爽やかに笑った。清々しいほどの声が、初夏の風に溶けていく。
十にもならない子供が、身も蓋もないことを鮮やかに言い切る。俺の心の澱を吹き飛ばすかのように……。
数年後――。
ルイフォンの母親が死んだ。
奴と一緒に暮らしていた、奴の異父姉――かつ、俺の異母姉である姉は、既に家を出ていたから、奴はひとりきりになった。
奴は落ち着くまで、シャオリエ様のところに身を寄せることになった。
俺はというと……父上のあとを継ぐことになっていた。
一族の期待を一身に背負っていた兄上は、鷹刀を出ていってしまった。
幼馴染の一族の女を娶り、これで鷹刀も安泰、と皆が喜んだところに「彼女を表の世界で活躍させてやりたい」との爆弾発言。チャオラウとの勝負に正々堂々と打ち勝って、大手を振って行ってしまった。父上との折り合いの悪い母上も新居に招いたから、それなりに考えがあってのことだとは思う。
シャオリエ様のところで再会したルイフォンは、別人のようになっていた。何処が、と問われると、上手く言えない。娼婦たちとの放蕩生活に溺れているのかといえば、それとも少し違う。
ただ、曇天のような瞳をしていた。
「お前も知っていると思うが、兄上が鷹刀を出ていった」
ベッドで半身を起こした状態のルイフォンに、俺は言った。
「母上も兄上についていった。今、屋敷にはお前を悪く言う連中はいない。いても、俺が黙らせる」
「……」
「屋敷に来い」
今、ここにいるルイフォンは、本来の姿じゃない。俺は目の前にいる奴を否定したくて、思わず命令調になっていた。
「何故、来いと言う?」
ルイフォンは、奴とも思えないような無表情な顔で、俺を見上げた。
「細かい理由が必要か? 俺がお前に来てほしいと思うから、迎えに来た。それだけだ」
かつての奴の言葉を借りて、俺は言う。奴なら応えてくれると信じて。
本当は、俺の片腕になってほしいと思ってやってきた。俺は兄上のような完璧な人間じゃない。でもルイフォンがいれば、なんとかなるんじゃないかと思った。
奴は叔父で、でも弟で。
それより何より、奴は『ルイフォン』なのだ。
「来いよ。――俺たちの力を見せつけてやろうぜ!」
俺は奴に向かって右手を差し出す。
奴は、俺の手と顔を交互に見比べ、それから前に垂らしていた自分の編んだ髪の先に触れる。そこには青い飾り紐に包まれた、金色の鈴が光っていた。
奴の瞳が閉じられ、ひと呼吸置き……、再び開かれた。
「ああ、そうだな!」
ルイフォンの拳が、俺の掌に打ち付けられる。
そして――。
青空の如く爽やかな笑顔が広がった。
父上と奴が異母兄弟だから、奴は俺より年下でも『叔父』。このことに間違いはない。
だが、俺たちが生まれた経緯はそんな簡単なものじゃないし、俺たちの間柄はそんな単純なものじゃないのだ。
ある日、俺は屋敷の庭で大の字になって寝転がっていた。
愛刀は腰から外し、両手両足を投げ出す。武術師範のチャオラウに、こてんぱんにやられたあとだった。
そのときの俺は、まだ十かそこらだったけれど、並の凶賊には引けを取らないと自負していた。けれど、兄上が俺と同じ歳のころには、チャオラウから三本に一本は取れたという。
悔しい……。
兄上には天賦の才があると言われている。いずれはチャオラウを超えて、鷹刀一の男になるだろう。
しかも、兄上は人格者だ。凶賊の直系のくせして、穏やかで人当たりがよい。刀を手にすれば冷酷無比になれるくせに、だ。
兄上がいれば鷹刀は安心だ、と皆が口にしている。正直、気難しいと思われている父上よりも、兄上のほうが人望があると思う。
ならば、俺はいったい、なんのために存在するのだろう?
俺は空を見上げた。
青い、青い色が目に染みる。
桜の葉の、さわさわという歌が聞こえてくる。
萌える緑の香りが周りから押し寄せ、汗ばんだ肌に初夏の風が心地よい。
自然は、力強い。
俺の心の澱など、ちっぽけなことだと笑い飛ばすかのように。
――と、大地の振動が、誰かが近づいてきたことを知らせてきた。
庭先で危険があるはずもないが、如何にもチャオラウにしごかれてヘトヘトです、といった体を晒すのはみっともない。俺は素早く身を起こすと、愛刀を腰に佩いた。
軽い足音から予測していたが、現れたのは子供だった。俺よりも少し年下くらいか。随分と生白い肌をしている。
鷹刀では、親を失った一族の子供を屋敷で養っているから、そのうちのひとりだろうか。見かけない顔だから、新顔かもしれない。あるいは同じ屋敷内に住んでいても、直系の俺とは生活が違うから、俺が知らないだけかもしれない。
そんなことを思いながら相手を観察していると、そいつは俺には気づかず、庭の主ともいえる桜の大木に向かって行った。そして、幹に向かって拳を突き出す。背中で一本に編んだ髪が大きく跳ねた。
「糞ったれ!」
声で――というよりも言葉遣いで、男だとわかった。正直、外見からだと、どちらとも判別できなかったのだ。
「随分と弱いパンチだな」
俺が声を掛けたのは、気まぐれだったと思う。
木の葉一枚、揺らすことのできない拳は、子供としても弱すぎる。鷹刀の敷地内にいる男なら、強くあるべきだ。表面的には、そんなことを思っていたような気がする。だが実のところ、落ち込んでいた俺は、明らかに格下の相手に粋がりたかったのだと思う。
俺の気配に気づいていなかったそいつは、驚いたように振り返った。
編んだ髪が円を描き、鋭い猫のような瞳が光る。瞬間的に、空気を斬り裂くような気配が膨らんだ。この俺が、気圧されるほどの――。
「あ、お前は、『リュイセン』!」
そいつの鋭さは一瞬だけで、あっという間に人懐っこい笑顔に取って代わられた。
「お前……」
取るに足らぬと思っていた相手に、刹那とはいえ怯んでしまったことが俺は恥ずかしく――苛立たしく……。しかも、年下のくせに呼び捨てにしてきたものだから、俺の怒りは沸騰寸前だった。
低く唸る俺の声を……そいつは聞いちゃいなかった。嬉しそうに俺の方に駆け寄ってくると、一方的にまくし立てた。
「パンチなんかしてねぇよ。俺が指を痛めたら、仕事になんねぇだろ。見ろ、爪だって、いつも短く切ってある」
そいつは偉そうに言いながら、掌を見せてきた。
「……は?」
唖然とした俺は、そいつの指先ではなく、顔のほうをまじまじと見つめた。
その視線の意味に気づいたそいつは、「うっ」と小さく呻き、ばつが悪そうに唇を尖らせる。
「……母さんが俺のことを小馬鹿にしやがったんだ」
「……」
「てんで、お子様だって! むかついたから、そこの木に八つ当たりしようとしたんだ。けど! 俺は直前で指を守った!」
いきなり、そいつは胸を張る。
「――プロ意識ってやつだな!」
そう言いながら、得意気に口の端を上げた。さっきまで人懐っこかった笑みは、いつの間にか不敵な笑みにすり替わっている。
……怒っているのか、自慢しているのか、理解に苦しむ。すっかり毒気を抜かれた俺は、ぼそりと突っ込んだ。
「お前、充分に子供だろうが……」
その途端、そいつの雰囲気ががらりと変わった。
「はっ! 餓鬼だから、その程度で『よく出来ました』ってヤツ? 年齢に甘えるなんて阿呆だろ。同じ土俵に立ったら、周りは全部、敵だ」
俺よりもだいぶ背の低いそいつが、斬りつけるような目で俺を見上げてくる。
強い。
実際に戦ったら、一瞬で俺の勝ちが決まるだろうが、そういう意味ではなくて――。
魂が、強い。
「……お前、名前は?」
そう尋ねた俺に、そいつは、すうっと目を細めた。
「お前、やっぱり俺が誰か、分かってなかったんだな」
「え……」
そいつは口角を上げて、にやりと笑う。
「俺は『ルイフォン』」
「な、なんだと……!?」
俺は反射的に間合いを取った。愛刀の柄に手を伸ばし、いつでも抜刀できる姿勢を取る。
奴は――敵だ。
「あ、そうくる? ……まぁ、予測していたけどな。この屋敷じゃ、俺たちは泥棒猫扱いだから」
驚いたふうもなく、奴――ルイフォンは、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。くるくると、よく表情が変わる。まさに猫だ。
奴の余裕綽々な態度に、俺は身構えすぎた自分が格好悪く思えてきた。誤魔化すように咳払いをして、奴の姿を観察する。
まだ子供だからかもしれないが、鷹刀の血族にしては随分と小柄で線が細い。色が白いのは、体を鍛えずに部屋に籠もってばかりいるからだろう。奴の母親はクラッカーで、奴自身もかなりの使い手と聞く。
だが、時折見せる鋭さは、間違いなく鷹刀の血――。
「お前が『ルイフォン』か。父上の愛人だった女が産んだ、子供……」
俺は言ってしまってから、はっと口を塞いだ。自分よりも年下のルイフォンに言うべき言葉ではなかった、と思った。
だが奴には、俺の配慮なんか、まったく必要なかった。微妙に首を傾げて、こう尋ねてきたのだ。
「あれ、お前? ひょっとして勘違いしている? 確かに母さんは、お前の親父、エルファンの愛人だったけど、俺の親父はエルファンじゃないぜ? だから、俺とお前は異母兄弟じゃない」
「ちゃんと知っているよ! お前の父親は祖父上だ。……ややこしいけど」
「別にややこしくないじゃん? お前の両親がいて、お前の兄貴が生まれた。次に、お前の親父が愛人との間に娘を作った。それから――」
その先を言いかけた奴を、俺は自分の言葉で遮った。
「愛人に娘が生まれたから、母上は当てつけのように俺を産んだんだよ!」
俺は唇を噛む。事情があったんだ、とか周りは言っているけど、そんなのは俺からしてみれば詭弁でしかない。
「で、正妻とは冷え切った関係だと信じていた愛人――俺の母さんは、裏切られたと鷹刀を出ていこうとした。そこを慰めたのが、俺の親父――総帥イーレオ、ってわけだ」
――と、奴が続ける。
ルイフォンも父上も、祖父上の子供だから、ふたりは異母兄弟になる。
だから、ルイフォンは俺にとって『叔父』。けれど俺たちこそ、限りなく異母兄弟に近い。
ルイフォンは満面の笑顔を浮かべた。
「俺、ずっとお前に逢いたいと思っていたんだぜ! で、今日やっと、母さんが〈ベロ〉のメンテナンスについてきていい、って」
普段、奴は母親と屋敷の外で暮らしている。だから存在は知っていても、今まで奴と顔を合わせたことはなかった。
「何故だ? 何故、俺に逢いたいなんて言う?」
奴の母親からすれば、俺は憎き正妻の子だ。しかも俺が原因で、父上から祖父上に乗り換えた尻軽女と言われている。奴の家で、俺が良く言われるわけがない。
俺の周りだって、奴の母親を敵視している。ただ、彼女の持つコンピュータ技術があまりにも優れているから総帥が手放さないだけだ、と軽んじられている。
「……? 俺がお前に逢いたいと思うのに、なんか細かい理由が必要なのか? お前に興味を持った。だから逢いたいと思った。それじゃ駄目なのかよ?」
「興味、ってなんだよ? 俺もお前も『親どもの痴話喧嘩の副産物』だ、とでも言いたいのか!」
吐き出すように俺は言った。
俺たちは、望まれて生まれてきた兄上とは違う。優秀な兄上がいるのだから、俺は必要なかったのだ。なのに、父上も母上も俺に優しい。それがかえって惨めだ。
ルイフォンは、きょとんとしていた。
奴の無垢ともいえる幼い顔立ちに、罪悪感を覚えた。こんな餓鬼に当たるなんて、どうかしている。チャオラウから、たったの一本も取れなかったことが尾を引いている。
そう思ったときだった。
不意に――。
ルイフォンが、にやり、と目を細めた。
それは確かに笑顔だったのだが、俺は思わず後ずさった。そういう笑みだった。
「なるほど! いいな、それ! 面白い」
「な!? 何がだよ!?」
「俺たちは、予定外のイレギュラーってことだよ。何かを期待されていたわけじゃないなら、この俺が実力を見せつければ見せつけるほど、周りは驚愕に打ち震える、ってことだ!」
「はっ!?」
「だって俺たち、存在が計算外の『痴話喧嘩の副産物』なんだから!」
ルイフォンは、青空の如く爽やかに笑った。清々しいほどの声が、初夏の風に溶けていく。
十にもならない子供が、身も蓋もないことを鮮やかに言い切る。俺の心の澱を吹き飛ばすかのように……。
数年後――。
ルイフォンの母親が死んだ。
奴と一緒に暮らしていた、奴の異父姉――かつ、俺の異母姉である姉は、既に家を出ていたから、奴はひとりきりになった。
奴は落ち着くまで、シャオリエ様のところに身を寄せることになった。
俺はというと……父上のあとを継ぐことになっていた。
一族の期待を一身に背負っていた兄上は、鷹刀を出ていってしまった。
幼馴染の一族の女を娶り、これで鷹刀も安泰、と皆が喜んだところに「彼女を表の世界で活躍させてやりたい」との爆弾発言。チャオラウとの勝負に正々堂々と打ち勝って、大手を振って行ってしまった。父上との折り合いの悪い母上も新居に招いたから、それなりに考えがあってのことだとは思う。
シャオリエ様のところで再会したルイフォンは、別人のようになっていた。何処が、と問われると、上手く言えない。娼婦たちとの放蕩生活に溺れているのかといえば、それとも少し違う。
ただ、曇天のような瞳をしていた。
「お前も知っていると思うが、兄上が鷹刀を出ていった」
ベッドで半身を起こした状態のルイフォンに、俺は言った。
「母上も兄上についていった。今、屋敷にはお前を悪く言う連中はいない。いても、俺が黙らせる」
「……」
「屋敷に来い」
今、ここにいるルイフォンは、本来の姿じゃない。俺は目の前にいる奴を否定したくて、思わず命令調になっていた。
「何故、来いと言う?」
ルイフォンは、奴とも思えないような無表情な顔で、俺を見上げた。
「細かい理由が必要か? 俺がお前に来てほしいと思うから、迎えに来た。それだけだ」
かつての奴の言葉を借りて、俺は言う。奴なら応えてくれると信じて。
本当は、俺の片腕になってほしいと思ってやってきた。俺は兄上のような完璧な人間じゃない。でもルイフォンがいれば、なんとかなるんじゃないかと思った。
奴は叔父で、でも弟で。
それより何より、奴は『ルイフォン』なのだ。
「来いよ。――俺たちの力を見せつけてやろうぜ!」
俺は奴に向かって右手を差し出す。
奴は、俺の手と顔を交互に見比べ、それから前に垂らしていた自分の編んだ髪の先に触れる。そこには青い飾り紐に包まれた、金色の鈴が光っていた。
奴の瞳が閉じられ、ひと呼吸置き……、再び開かれた。
「ああ、そうだな!」
ルイフォンの拳が、俺の掌に打ち付けられる。
そして――。
青空の如く爽やかな笑顔が広がった。